おっさんライダーでいこうぜ

FACEBOOKにはまり2年間このブログ放置してきましたが、再度復活。使い分けが重要なのですね。

会津若松 飯盛山にファシスト党とナチスの紋章が

2008年08月07日 | 芸能・文化


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SPAN style="FONT-FAMILY: ' MS 明朝' ; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"> 長男が小学6年生となり、小学校としては最後の夏休みとなった。3人の息子は夏休みだというのに、毎日野球ばかりに明け暮れ、親としては勉強が心配だ。そんなわけで、福島県会津若松に白虎隊や野口英世を視察する旅行を組んだ。ちょうど私が小学校6年生の時に修学旅行で訪れた地であり、歴史の勉強には最適の地である。(昨年もオヤジライダースでも来ているが、正直歴史には全く興味がなかった)


 子どもたちが最も関心をもったのは白虎隊であった。白虎隊は、会津戦争に際して会津藩が組織した、15歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。少年ながらに果敢に戦うも、近代的な戦力に押され白虎隊も各所で苦戦を強いられた。白虎隊20名が、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた。ここから眺めた市中火災の模様を見て、若松城が落城したものと誤認し、総勢20名が自刃した。自分とそんなに変わらない少年が、国のため、故郷の親兄弟のため、藩主のために命を懸けて戦ったのだ。終始、長男は神妙な面持ちでガイドさんの話しに聞き入っていた。


 飯盛山にて驚いたのが、数多い中でもイタリアとドイツから贈られた記念碑である。1928年にイタリアのムッソリーニ首相から、1935年には元駐日ドイツ大使館政治担当外交官エッツドルフ氏より碑が寄贈されたそうだ。ムッソリーニ首相から贈られた碑を支える支柱は、古代宮殿の柱が使われ、イタリア本国では同種のものはすべて国宝に指定されているらしい。第2次世界大戦で三国同盟を結んだ盟友からの、白虎隊の武士道に対する賞賛なのだ。驚くことに碑にはファシスト党紋章やナチスのシンボルであるハーケンクロイツが刻まれているのだ。よく戦後に破壊されずにのこったものだ。世界広しといえども、こんな碑を見ることが出来るのは、この場所以外には存在しないだろう。イタリアファシスト党とドイツナチス党は、藩主のために命を懸ける日本の武士道を賞賛し、自国でも積極的に教宣活動に利用してきた。もちろん戦時中は日本でも奨励されたが、多くの悲劇を生んだことは歴史の事実だ。そして愛国心がまるで危険思想のごとく喧伝される時代もあり、若者は自分の国を愛することを止めてしまった。


長男は、国を想って自刃した白虎隊の生き様に深い感銘を受けたようだ。私たち大人は、純粋に国を想う子どもたちに、どのような未来に対する視座を示せるだろうか。少なくとも、子どもたちが自分の国を愛せる環境を整えるのが大人の責務である。そして子どもの純粋な気持ちを、国や権力が利用しないように監視するのも大人の責任なのだ。白虎隊が今の世に蘇ったら、彼らはこの国を見てなんと叫ぶだろうか。子どものために企画した会津旅行だったが、実は一番勉強になったのは自分だった。


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