かくれて咲く花

~凛として~

わたしの「信義」

2008-12-01 17:03:52 | Weblog


今日から12月。ことしもあとのこすところ1か月となりました。
前回の「凛」に続いて、今年のテーマ「信」を実感する出来事がありました。

先週、ものすごく苦手な人(以下、仮にAさん)とご一緒しなければいけない会合がありました。Aさんは押しが強くて(pushy)、威張ってて(bossy)、自慢しい(showy)の3拍子揃ったうえ、さらにおしゃべり。おしゃべりといっても、話がおもしろいとか、人を楽しませる「おしゃべり上手」ならいいのですが、Aさんの場合、とにかくマシンガンのようにしゃべり倒し、話すことは人の噂や悪口などネガティブなことがほとんど。あらゆることや人を断罪調で評する田中真紀子さんのようなタイプで、聞いているこちらはゲッソリするのですがこれだけでも相当関わりたくない人物像ですが(よくこれまでガマンしてきたもんだ)、Aさんに関して最もわたしが不快なのは、何でもペラペラとしゃべること。前々から、いろんな人から聞いてきたオフレコ話を得意げに披露し、わたしが話したこともペラペラとしゃべるし、実際それで怒ったり迷惑を被った人がいるので、「人から聞いた大事なことをこんなにしゃべるなんて、この人は信頼できない」感を高めており、「大事なことはこの人には絶対にしゃべらない」と警戒していたのですが、この会合後、改めて「大事なことも、大事でないこともこの人にはしゃべらない」と決意を固めました。

というのは、Bさん(その場にはいない)のことが話題になり、それが知られたらBさんにとってマイナスになる情報をAさんはペロっとしゃべったのです。たまたまわたしはBさんをよく知っているため、Bさんに不都合にならないようにうまくごまかすことができたのですが、これはわたしにとってはギガデイン(*)級の怒りを覚える出来事でした(*ドラクエをやっておられない方へ解説すると、ドラクエⅣで主人公の勇者が雷を呼び敵に大打撃を与える呪文です)。なぜならAさんは、自分が「事情通」であることを誇示しようとして、Bさんを利用したから。自分をよく見せるために、その人の立場を思いやらず、平気で利用する。これ、人としていちばんやってはいけないことじゃないでしょうか。そのほか、「ここだけの話」をあれやこれやとしゃべるので、最初は「うんざり」だったのがBさんの話題を境にだんだん腹が立ってきて、帰ってからも2~3日はもやもやと怒りが渦巻き、昨夜は夢の中で別な形で怒りを発散しており、久々に夜中目が覚めるというほど、「人として信義に反する!!!」と、これまでの数々の出来事とともに苦々しい思いをしていたのでした。

ちなみにわたしの怒り方は、だんだんと怒りが蓄積されるという「もやもや段階」を経て(「この人に会うとどうも不快だ」とか「なんかこの人好きになれない」とか理由はまだ説明しきれないが「まあ、もしかしたらいい人かも」と思いなおすものの、水面下ではイヤな思いが積み重なっている)、ある日突然「この人がイヤな理由がわかった!!」と怒りの理由が統合されるため、

「怒りを感じるようなことをされた事件発生」→→<怒りの理由の統合プロセス>→→「!!!

というように、事件発生から怒り発生まで相当なタイムラグがあるので、事情がわからない人たちからすると「なんで突然怒るんだ」というふうに受け止められます。本人の中では、怒り沸点に達した時点ではきちんと理由が整理されているので、説明可能なのですが。

ともあれわたしが、たとえばカレーを食べている途中にスプーンを握りしめて「許せない」と怒りにふるえるようなときは――そうめったにないのですが――パターン化すると→①弱い者いじめ②信義に反したとき、であろうかと思います。「信義に反する」というのは範囲が広いですが、上記のAさんのような「自分のために人を利用するような行為」あるいは「言ってはいけないことを人に言う」というのには、頭に血が上ります(時差はあっても)。今回は、積み重なって怒り心頭、というパターンでした。大事な人のことであっても、ちょっとした知人であっても、たとえば情報源に関すること(「誰が~~って言ってたよ」とか)や、それをしゃべることでその人の立場が悪くなるようなこと(「あの人実は~~らしいですよ」とか)は、やっぱり言っちゃいけない。そんなもやもやとした思いを抱えながら、大好きな先輩を訪ねてすこし事情を話すと、うんうんと聞いてくれ、「そういうときに、人としての品性が出るよね」とやさしく受け止めて、今後の付き合い方のアドバイスをいただき、とても気持ちがスッと楽になりました

今回の事件では、やはり人として「信」は守らなければいけないと強く思ったし、「立ち居振る舞い端正に」いなきゃいけない、と思わされた事件であったし、そして、話を聞いて励ましてくれた先輩のように、お会いしただけでもやもやとしていた思いが癒され、元気が取り戻せるような、そんなやさしい存在になりたいなと思いました


人は人の中で磨かれる。出典は忘れましたが、本当にそう思います。みずからの至らない部分は棚に上げて書いてしまいましたが、あー書いてすっきりした。そして読んでくださってありがとうございました。口は禍のもと、とも言われますが、聞いていて気持ちの良い言葉を発するように心がけたいものだと痛感します。そういう意味では今回の記事は失格ですね・・・(反省)最近、江戸時代のドラマ(要は「時代劇」ですが・笑)が好きで見ているので、義理人情を重んじる日本人のDNAは、自分の中にしっかりと流れているんだなあと実感し、その美点を体現できるように精進しなければと思った事件でした

起きることはすべて、意味があるのですね。


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