かくれて咲く花

~凛として~

men and women (part IV)

2015-01-12 16:44:58 | Weblog

ひさびさに「男気」シリーズ、いきます。(→part Ipart IIpart III

古くはMen from the Mars, women from the Venusという本がベストセラーになったように、火星人たる男と金星人たる女が理解し合うのは極めて難しいことだというのは普遍的な事実であった。男女双方にとって、異性の理解しがたい言動は両性の「違い」に起因するものであり、「理解できない」といがみ合うのではなく、理解し合うための助けとなるよう意図して書かれたこの本によると、違う国から来た外国人どころか、遥か遠い違う星から来た異星人だと考えるほうが分かりやすいと説いている。つまり男性と女性はそれくらい違うのだ。しかし「違う」と分かっていながらもなぜか自分の星のルールで相手を判断し、自分の星のスタンダードで相手が動いてくれないと文句を言い、憎み合うようになってしまうという不幸は、国と国同士で戦争が絶えなかったように、いやあるいはそれよりもっと壮大なスケールで行われてきた異文化間におけるミスコミュニケーション戦争であったと言えるのかもしれない。

このスケールが桁違いの男女の違いに対する絶望が、お互いへの尊敬になるとこれまた宇宙的に愛は深まるのに・・・と思う。

男性が女性たる自分にない美点を持っていて、それは絶対に自分には持ち得ないし、かなわないなと思うことのひとつが、「男は黙って」の世界。例えば女性は、問題があると(正確にはなくてもだけど)とにかくしゃべる。しゃべりながら考え、しゃべりながら解決策を見つけようとする。男気がある方の私も、自分でできるだけ考えて結論を出す方だけど、やっぱり誰かに話を聞いてもらい、なんやかんやと自分の置かれた状況を説明しているうちに自分の気持ちに整理がついたり、しゃべるだけで気分がすっきりしたり、いい方法が思いついたり、なにかしらしゃべり終わったときにはしゃべる前よりも気持ちは楽になっている。これはいい話し相手を選ぶという条件付きではあるけど(理解力があり、客観的に判断してくれて、本当に親身に相手の幸せを考えてアドバイスをくれる人=you guys, my best friends!!!)、ガールズトークというのは取りとめのないようなことをランダムにしゃべっているようで、実は結構深淵な精神活動である場合もあるので、いわゆる「女子会」などという集まりには絶対行かないけど、心許せる友との会話は非常に重要であるので、ああだこうだと話せるいい友人に恵まれている私は幸せだと思っているし、またそういう素晴らしい友人たちが困ったときには、何があっても駆け付けたいと思っている。

金星人の世界では、助け合うというのが美点であり、care about each otherしていることをお互いに常に確認している。大丈夫?と常に気遣い、何かあれば手を差し伸べることは義務だと考えているため、困っている人を見たり、苦しんでいる人たちを見ると放っておくことはできず、あれやこれやと心配して「何かできることはないか」と考え、いろいろしてあげたくなる。これは金星人同士であれば、「ありがとう」と気遣いが嬉しく、その気持ちだけで十分だと感謝したくなるのだけど、自助自立を旨とする火星人にとってはうっとおしいだけであって、むしろ自分が自力で解決できる能力がないのではないかと疑われているようにさえ感じるという。この男女の違いをつい忘れて、なにか自分にできることがないかとあれやこれやと考えてみても、金星人は「苦しんでいる人がいて何もできない」という状況に無力感を感じ、あれこれ気遣いをしていたことが逆に火星人にとっては心の負担となり、シャットアウトされてより傷付いてしまうという結果を招いてしまう。

男の人が、自分の苦しみや悲しみを表に出さず、踏ん張って耐えている姿にはぐっとくる。女の人はとりあえず悲しみも怒りも、感情を抑えるよりもむしろ友達に泣いて話して気持ちをリリースするけど、男は黙って耐えている。そこには他人の入り込む余地はなく、ただその心のうちを思うとそっとしておいたほうがいいのだろうと思いながらも、愛する人が悲しみに沈んでいるときに自分が何もできないということもより悲しい。だけどどんな言葉も無力で、何もしてあげることもできなくて、いったいどうしたらいいんだろう・・・と考えていたある日、知人の家で2歳の男の子と遊ぶ機会があった。子どもはエネルギーの塊で、飛んだり跳ねたりして、ソファーにjump intoしては転がって「もう一回」とエンドレスに遊んでいたところ、起き上るのを助けようとする私に「自分でできる」と彼は言う。走り回っていて転んだときも、助け起こそうとすると「自分でできる」と嫌がる。だけど引っ張り起こしてほしいときには、「引っ張って」と甘えてくる。彼は2歳ながら、自分で立ち上がることができるし、自分が必要とする助けが必要なときは自分から言うし、それ以外で助けられるのは嫌だと言う、いうりっぱな「男の子」なのだ。確かにそうだ。ひっくりかえっていても自分の力で起き上れるのだから、「できる」と信じて見守っていればいい。転んでも自分で立ち上がるのだから、自分の力でこちらに来るのを待っていればいい。2歳の男の子に、ああ、これが男なんだなあ・・・と教えてもらった瞬間。

愛する人や大事な人たちが苦しみ悲しみのなかにいるとき、つい「何かしてあげたい」とか「自分がその状況を良くするために、何かできることがあるのでは」と考えることも、よく考えてみれば傲慢だ。自分がどうにかできるなんて、そんなことできるわけない。何もできないのだ。いくらその行動が相手を思っているがゆえであったとしても、それは本当に相手のことを考えているとはいえない。自分が何かしなければという変な使命感にドライブされているだけ。だけどやはり愛する人の悲しみは私の悲しみでもある。そんな状態にあるひとに寄り添うということは、「何かをする」ということではないのだろう。黙って耐えている心のうちを思いながら、心配はしすぎず、だけど心はいつもそばにいて、一緒に祈っている。いつか心に光が差すことを願いながら、自分の力で立ち上がるのを待っている。それが「そばにいる」ということになるのかな。。。

大事だからこそ、何か役に立ちたいと思う。だけどヘルプは、本人が必要だと言わない限り、手を出しちゃいけないんだ。女性の宿命のようなこの資質が自分のなかにあるということは、私はやっぱり女性なんだと確認する。自分が女であるということを思い出させてくれる、本物の男だからこそ、誰よりも大切で、他の人じゃだめなんだ。本当に相手を想い、できると信じて見守るという、海のように広い母性もまた女性性のひとつ。2歳の子が、気付いてなかったスイッチを押してくれたような感じ。彼は自分が私にそんなすごい気づきをもたらしたことは知らないけど、子どもはやっぱりamazing!!!

愛するということは、本当に深くて難しい。だけど男と女は、違うからこそ、なお愛しい。「ことば」をめぐる違い、コミュニケーションについては、また改めて稿を起こすことにしますが、なんでもことばにしようとしちゃいけないですね。

いまもまだどうしたらいいのか迷いの途中ではあるけど。何もできないけど、ずっとそばにいるよ


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2 Comments

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男気とは。。。 (ちえこ)
2015-01-17 05:43:43
なんとも愛おしいものですな。

愛する人にそっと寄り添いたいとき。
心から女で良かったなと思います☆
しなやかにそういうことが出来る性で良かったなと。

一番大事なのは そこまで愛する相手にめぐり合えたってことだよね!
この上なく、素敵なことです^^
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Re:男気とは。。。 (うめ)
2015-01-18 22:18:16
ちえこさん☆

男気には惚れ惚れしますよね。。。
本物の男を前にすると、ああ私やっぱり女だったんだ・・・と思い知ります(→guy friendsに「僕より男気あるもんなあ」と言わしめた男気あふれるアリエス・笑)

そっと寄り添う、ということがなかなかわからなくてできなかったのですが、あなたが元気で無事でいてくれたらそれでいいよ、という感じです。ちえこさんのように、しなやかに男前フェミニン(!)が発揮できるように努力していきます♪

愛は奥深いです。毎日自分のいろんな気持ちを発見して、そしてまた愛しくなっています^^


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