かくれて咲く花

~凛として~

噴火後

2008-12-04 17:22:26 | Weblog


先日の事件から、噴火を経て?心の平安を取り戻しました
このところずっと、わたしの人間関係の中でもやもやしていた部分がすっきりしたので、体調もよくなったほど。だけど自分も完璧じゃないし、苦手な人への対応もまた人生経験だし、自分はその人のことを好きじゃなくても、好きな人だっている。だからその人の存在を全否定することはしちゃいけないし、適切な距離感を持ってお付き合いすればいいだけのこと。それに以前に比べたら「まあ、いい人かもしれないから」とズルズルと不満をためこみながら付き合う期間が短くなった→「見切り千両」がうまくなったじゃないか!と成長をよろこんでおるところでございます。Aさんとは今年もう一回顔をあわせなきゃいけないのですが、「どんなネガティブなことを言われてもポジティブに打ち返す演習」として、がんばろうと思っております

一方で、この問題ではわたし自身の改善すべき点も浮き彫りになりました。まず、好き嫌いがどうしても態度に出てしまう。自分の気持ちに嘘をつけない性格、というといい言い方ですが、これは子どもっぽいといえるでしょう。「嘘をつくのは悪いこと」というのはそのとおりですが、相手のことを思ってつく嘘もある。たとえばケーキがひとつ足りなくて、「これわたし好きじゃないから食べて」と、本当は食べたいけど相手にすすめるために嘘をつくとか、実は知っていても「知らなかった」と言うことで相手を立てるとか、そういうのは思いやりや心遣いの範疇に入ります。なんでも額面通りに素直に受け取るのも無邪気で気持ちよくていいですが、「実はわたしにゆずってくれたんだな」とか、「あっ顔を立ててくれたんだな」とか、「かくされた思い」に気づくと、じわっと心に温かいものが広がる。そして逆説的ですがこれがわかるようになるには、「実は口ではああ言ってるけど、裏ではめちゃめちゃ悪口を言われていた」とか、「あのときは気にしなかったけど、後から考えるとものすごくイヤミを言われてたんじゃないか」など人の二面性を知って愕然とするなど、痛い苦い思いを経験して「言われたこと/されたことの複雑さ」を知り、そしてまたその逆の相手を思いやるからこその「人情」もわかり、感謝できるようになると思うのです。

机の上を整理していたら、走り書きでメモした(たぶん新聞から拾ったと思うのですが)こんな言葉を見つけました。


「口では誓ったが、心は誓いにとらわれない」(ギリシャ古典劇)


いろんな解釈や、場面によって、深いことばに感じることができるのも、いろんな思いを経てこそだなあと思います。先日の「早起きの誓い」などは有言実行が求められるものですが、これを人間関係に置いてみると、心の中の思いはどうあれ、表面上は社会的に失礼な態度を取らず平和に過ごすこと、ともいえるのかもしれませんし、「面従腹背」という言葉もこれにあたるのかもしれません。表面的な部分と深いところが違うということは、誠実な態度ではなく人を裏切ったりするような場合もあるのかもしれないし、逆に照れ隠しや相手を思うからこそ口と心では違うことを言っているときもあるし、「自分の心に正直に」がモットーであっても、なんでもそのまま相手にわかるようにすることもない。顔では微笑みを絶やさず、心の奥では秘めたる思いを持っていてもいい。「表裏がある」というとネガティブな表現ですが、人や物事はそんな単純な、一面的な部分だけでは語れるものでないと気付いたとき、わたしの人生観はぐっと深みを増し、豊かになったと思います。そして時代劇が一層おもしろくなったという効果もあったりするのでした


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