かくれて咲く花

~凛として~

Be a driver!!

2014-07-17 18:34:04 | Weblog

先日日経新聞に掲載されていた、マツダの全面広告。ひとめぼれとっても素敵& so inspiring!!

 

YES!!!と魂に着火して 職場の机近くに貼ってあります

そういう私「うめ」は、実は運転免許を持っていなかったりするのですが

だからこそ、どこかに出かけるのにいつも誰かにrideをお願いしないといけない不自由さは、東京ではほとんど感じないけど、地方やアメリカではいつも痛切に感じていた。

だけど人生という道を走るクルマの運転は、他の誰でもない、私がドライバーだもの

今日の読売新聞で紹介されていた、キャロライン・ケネディ駐日米国大使の講演も、アメリカ人らしい、明るい未来を築いていく希望と確信に満ちた、とっても素敵なスピーチ(全文はこちらでぜひ!)

講演のタイトルは"Women change the world"だけど、世界を変えるのは女性だけじゃできないよ、男性の力も必要だよ。Everyone can change the world!!だと思ってるし、男の人も、女の人も、どちらにとっても幸せな世界でなきゃね

最後に引用されていたことばは、いつも心の目立つところにクリップしておきたい

 

「思慮深く、献身的な、少数の市民が世の中を変えられることを疑ってはなりません。実際に世の中を変えてきたのは、そういう人々にほかなりません」(文化人類学者 マーガレット・ミード)

 

そのひとりになれるように、がんばらなくっちゃね!!!

 


ゾウさんの瞳

2014-07-16 21:11:34 | Weblog

気が付けば夏が来たというか、バタバタしているうちに夏至も七夕も過ぎ、まもなく子どもたちは夏休み、というところまでカレンダーが進んでおりました大変ご無沙汰しておりましたが、皆さまいかがお過ごしでいらっしゃいましたか

私「うめ」はおかげさまで、元気を取り戻しております去年のいま頃はもう本当にどん底の時期で、友人たちの温かい励ましに支えられつつ、あらゆる努力をしてもうまく回らず、毎日泣きながら、でもなんとかしてドン詰まりの状況を打開したくて、もがき苦しんでいたことを思うと、こうして救出&保護してもらって、いまはみんなのやさしさに助けられ守られていることに、本当に感謝とご恩返しの日々です。

ちょうど去年の7月のある日、ふと「上野に絵でも見に行こうかな」と思い出かけたのですが、あんまり興味をひかれる展覧会もなかったので、お茶でも飲んで帰ろうかと思ったところ、「そうだ!!上野動物園に行こう」とひらめき(小さい頃は「下野動物園」もあると思っていたわよ、と母が時々思いだして笑うのですが)34℃の暑さのなか、人間も暑いけど動物たちもさぞ暑いだろうと思いつつ、園内を見て回ったのでした。

サル山でじっとサルたちを観察していると、一見のんきなように見えても、こんな狭い世界でチョロチョロと動き回り、ボスザル以下の序列のなかで生きるために、媚びたり裏切ったり、代替わりのときには権力闘争があるなんて、ほんと人間と同じだなあと思ったり。そうか、私はいまサル山にいると思えばいいんだ・・・と思いつつ、でも私は自分のいるサル山だけが世界のすべてだと思ってないから、そのなかでしか通用しない価値観だけの世界で生きているサルたちとは、どうしたってうまくいくわけないんだなあと気付いたり。水浴びしている暑さでのびきったシロクマさんを、なにもこんな灼熱の東京に連れてこなくても、と思ったり、ライオンやトラをこんなふうに狭いところに閉じ込めておくことが、本当に動物にとって幸せなのかと考えると、人間の都合で連れて来られて、見世物にされている子たちが本当に気の毒で、籠の鳥状態の自分の境遇と重なって、より一層その思いが胸を引き裂いて。

ただパンダだけは、なんであんな堂々としてるんだというくらい、ものすごいフテブテシイ態度で、見世物になっているという意識があるのかないのかわからないけど、ギャラリーにいちばん見やすいところにドッカと腰かけて、ムシャムシャと笹を勢いよく食べていました。その堂々とした姿に、「さすが1億もらってるだけあるなあ」と変な感心を覚えつつ、あれくらいの鈍感力というか、フテブテしさがあればなあと思うところもあるけど、しかし可愛げはないよなあ、あんな生意気なパンダに1億も払う価値あるんか?と思ったり東京ではパンダの赤ちゃんはなかなか生まれないけど、和歌山では結構生まれてすくすく育ったりしているのは、やっぱり環境も大きいのかもしれないなあとかいろいろ感じること多く、

 やっぱり動物だって人間だって、自由にのびのびといるべきだ!!!

 と、公園内にあるウッディな造りのスタバでチャイティーを飲みながら、しみじみと思ったのでした。

この救出されたゾウさんのニュース。なんと50年にも及ぶ虐待からようやく自由になり、保護団体のスタッフが「助けに来たよ」と話しかけると、ゾウさんは涙を流したという。救出には8時間もかかったそうですが、足には痛そうな鎖がはめられて移動の自由を奪われ、槍のようなもので突かれたり日常的に暴力を加えられ、どんなに痛くてつらくてしんどかっただろうと思うと・・・だって50年、ですよ!!どんなに長かったことかゾウさんの優しい瞳を見れば、とてもすぐれた頭脳と感情を持っていることはすぐわかる。上野動物園で、大きくて温かい、動じない姿に心なぐさめられ、ボロボロになっていた私の心を察しているかのように、じっとこちらを見つめ返してくれたゾウさんの優しいおめめは、忘れられません。

ゾウさんといえば、ドラえもんに「ぞうとおじさん」という名作があります。戦争の愚かさ、人間の都合で連れてきた動物を人間の都合で“処分”させようとする残酷なまでの身勝手さ、そして動物たちをわが子のように可愛がる動物園の人たちの優しさと心の交流が描かれ、子ども心にも深く心にのこるエピソードのひとつでした。ゾウさんの「ハナ夫」はとっても賢くて優しいので子どもたちの人気者で、しかし戦争が激しくなり、空襲を受けて猛獣たちが園外に出てはいかんと、軍部が動物たちを殺処分するよう命令をするけど、ゾウさんは賢いので、毒入りだと感付いて持ってこられたジャガイモを食べずに弱っていく。「かわいそうなぞう」という絵本を下敷きにしているのだと思うのですが、戦争中にタイムマシンで駆け付けてドラちゃんとのび太君がハナ夫を助けるため動くところに、日頃情けないのび太の熱さとやさしさに感動しますし、「動物を殺すなんて、誰がそんなことを??かわいそうじゃないか!!」と憤るのは、これはいつの時代も変わらないですよね。いまだって、毎日どれだけの動物たちが毎日人間の都合で捨てられ、“処分”されていることか

生まれた場所から遠いところへ連れてこられて、動物にとってはかわいそうだけど、子どもたちが楽しみに動物園に通ってくるのを考えると、動物園はやっぱり情操教育の一環として地域にひとつは必要だなあとも思いますが、上野ではいまも“時局に殉じた”動物たちの慰霊祭が行われているというのに、いつの時代にも心優しい人はいたんだ、と嬉しくなります。靖国神社にも、軍用のお馬さんの慰霊碑がありますし。戦前の動物園について書かれたこちらの文章を読みましたら、日本人というのはやはり几帳面で、どんなときにも花鳥風月を大切に生きとし生きるものを大事にし、そして全体主義に流されやすい多数のなかにあっても、おかしなことに対して頑として筋を曲げない気骨ある人はいるのだということがよく分かります。

ドラちゃんとのび太君が、こんな真剣な表情をしていたんだとハッとしました。「ハナ夫を助けるんだ!!」という純粋な、強い決意。ゾウさんの幸せを考えて、「故郷のインドに送り返してあげればいいんだよ」という、ドラちゃんの提案。ひみつ道具の「ゆうびんロケット」で、インドの山奥のジャングルにハナ夫を送り届けるという、「その人にとっていちばん幸せなことは何か」ということを考えて動く。大切な友人から地球に至るまで、勇敢に乗りこんで行って大切なものを守るために戦い、そのためにひみつ道具を使う。ドラちゃんとのび太君の動機は、とてもシンプルで、自分だけの幸せを求めていないんですね。逆に自分のために使うと、絶対痛い目に遭うということも、ドラえもんは教えてくれます。

国家のためであるとか、仕事のためであるとか、家族のためであるとか何であっても、全体とか共同体だとかいうあいまいな何かのために、あるいは誰かのためだとか一部の人たちだけが満足を得るために、あとの人たちに我慢を強いるという、一人ひとりの命や幸せの犠牲のうえに成り立っているようなブラックな世界/状況は、この世からなくなってほしいと心から願います。「お国のため」と、どれだけの人たちが犠牲になってきたことか。「全体のために」と、周りのことをまず考えて行動することを推奨され、個人の幸せを追求することは身勝手なことだとこの国ではなっている。「みんな我慢してるんだから」と。だけどこれを、「みんながハッピーになるにはどうすればいいのか」という方へ、どうして努力のベクトルを変えないんだろうと思うんですよ。「みんなが我慢しなければいけない」ような状況があって、みんなが我慢し続けてみんなが不機嫌に暮らし続けるのと、「みんなが我慢しなくてもいい」ような方法を考えて、良い方に変えていけばいいのに、と。「みんな」が我慢しているのは、それは何のためですか?我慢し続けて、その先「みんな」幸せになれるんでしょうか?なれないなら、なんでそんなこといつまでも続けなきゃいけないんですか?という問いは、毎日いろんなところで感じることです。

 みんなが幸せであるために、どうすればいちばんいいんだろう?

 不本意な状況を我慢し続ける人より、そう考えて動く人の数の方が多くなれば、きっとみんな(幸せになりたくない人たちはそのままでいる自由ももちろんありますので、ハッピーに生きたいと願うすべての人)が幸せに暮らせる、地上のheavenが実現するんじゃないかと思っています

幼稚園のときのお誕生日に買ってもらって、すり切れるほど聴いた「ドラえもん」のレコード(生まれて初めて買ってもらった思い出のレコード)には、こんなやさしい歌がおさめられていました

ゾウさんの瞳はなぜ青い

1.ゾウさんのめはなぜあおい

  とおくはなれたふるさとの 大草原をみてるから?

  それともゆうべゆめにみた おおきなうみがみえるから?

2.ゾウさんのめはなぜほそい

  いつもげんきなこどもたち おめめほそめてみてるから?

  それともひとりさびしくて ないてはおめめこするから

3.ゾウさんのめはほしのよう

  ひとのこころをひきよせる 南十字のほしのよう

  いつかはきっとふるさとへ かえれるゆめをみてるよう