かくれて咲く花

~凛として~

エレジー

2009-03-21 23:30:11 | Weblog


絶対見に行こうと心に決めつつ、なかなか見に行けずにいた映画「エレジー」を、最終日に駆け込みで見に行ってきました
とても美しく、哀しい映画で、熟成した良質の赤ワインを味わった後のような、深い余韻にまだひたっております。その余韻をまだ舌に感じながら感想を書きますと・・・

「エレジー」では、初老の大学教授をベン・キングズレー、美しく賢い女子学生をペネロペ・クルスが演じており、この写真がわたしの一等お気に入りのシーンなのですが、年の差がいくら離れていても、愛しくてたまらない人の腕にぎゅっとつかまる幸せ感にあふれた表情が素敵です。主人公ふたりをはじめ、他の共演陣もみな、それぞれの揺れる心や複雑な心境を巧みに表現し、美しいNYのアパートメントや景色など映像美や切ないピアノの旋律のBGMの効果も相まって、セリフ以外に「余韻」や観た人の「解釈の余地」がのこるいい映画でした。昨年も「マイ・ブルーベリーナイツ」の感想を書きましたが、わたしはこういう余韻ののこるような、観た人がそれぞれの思いを馳せながら、さまざまな印象を持って味わいながら帰るような映画が好きなようです(ブルーベリーはストーリーはそうたいした映画じゃありませんでしたが、映像美はなかなかでした)。

世の中にはたくさんの「年の差恋愛」というのはあると思うのですが、この映画では30歳差という設定。女性が経験と年輪を重ねた男性に憧れる、という心理は「おっさんキラー」として知られる(?)わたしは理解し共感するところではあるのですが、ベン演じる大学教授の男性側の気持ちが興味深く感じられました。単に若い女と付き合えて幸せ、というものでもなく、若い男が現れたら彼女はそちらへすぐ行ってしまうのではないかという恐れや嫉妬、「死」が彼女よりずっと近くにある自分が約束できない彼女との「未来」。恋の喜びが甘美であればあるほど、いつか必ずくる別れ(最終的には死)やお互いが共有できない未来という時間的制約が大きな壁となり・・・一時のlove affiarと割り切ればお互いにとってこんないい関係(男性は若い女性の身体に癒され、女性は男性から多くを学ぶ)はないのですが、割り切れないからこそ苦しみも悲しみも伴う。この純愛は結局、別れを選ぶことになります。

大きな喪失感を抱えたまま2年間が過ぎて、ふたりは再会します。そのときなんと彼女は乳がんであることが明かされ、皮肉なことに、彼女の方に死が早く訪れてしまうことになる。彼が愛してくれた美しい身体も、手術でruinされてしまう。それは女性にとっては耐え難い苦しみであり、避けられない死を予感しながら、最後に忘れられなかった愛する人のもとへ現れる。「他の人から聞く前に話したいことがある」という彼女からの留守電へのメッセージに、最初は「結婚相手でも決まったのだろうか」と思うが、連絡を取り衝撃的な事実を知らされて涙を流す男性。別れてから、ほかに男はいなかったのかとたずねるシーンは微笑ましく、その後もずっと忘れられなかったという彼女の彼への真実の愛を知り、重篤な病であることを知りという、非常に複雑な感情をベン・キングズレーは表現していました。背中や表情だけで十分に語っているというか。

最後に手術で両乳房を失った彼女のもとへ、彼がお見舞いにやってくるのですが、雨が降りしきる中で、差し迫る死を予感しながら寄り添うふたりはとても美しく哀しい。なぜあのとき去ったのか、という後悔ももちろんあると思うし、彼女が先に死を迎えるという結末はあまりにも予想外で・・・病身の彼女を思いやる彼に、彼女が"I will miss you"と言うところで、涙がボロボロボロとこぼれてしまいました。その前の2年間の"so much I missed you"の思いがあり、ついに再会できて一緒にいるのに、そのことばが未来形で語られる哀しさ。本来ならば、死を前にした彼の手を彼女が握っているというのが、順番であるはずなのに・・・だけど女性としては、手術がおわった姿も愛してくれるというのは、幸せなことだと思います。しかし哀しい。だけど哀しいから美しい。純愛というのは、悲恋の運命をたどるものをそう呼ぶのかもしれません。

ちなみに原作はユダヤ系の作家であるフィリップ・ロス。大学時代(文学部英文科)に、たしかこの作家のクラスを取っていたような記憶が・・・「ナイン・ストーリーズ」の批評かなにかを発表したとき、教授に「君は行間が読めないのか」と怒られ、「書いてないものは読めません」と言い返し、その後社会科学系へと転身したわたし。いまならもうちょっと深みのあることを言えるかもしれないけど、ナマイキな学生ですみませんでした先生。だけどおかげで、社会科学系は非常に水が合い、その後の人生を決定づけてくださり感謝しております



スタンスを切り替える

2009-03-19 17:58:17 | Weblog


今週はぐんぐんとあたたかくなり、とても気持ちがよかったですね
仕事でイラっとすることもあったのですが、いまの部署では「実務的に、淡々と」やればいいんだと気持ちを切り替え、できるだけみんなのお役に立とうというスタンスがちょっとみえてきました。この「できるだけ」というのがポイントでして、できるだけ誰に対しても、自分ができる範囲のことを、責任をもってやらせていただくという姿勢なのです。ちょっと逃げ道をのこしておくというか、気持ちに余裕をもたせるというか。いまのわたしにとって最も大切なのは、おもてなしの心。なごみの空間を提供するのに、イライラしたりすることが一番よくないので、いつもやさしく、やわらかくいられるように自己を保っていたいと思います

ラブリーから、エレガントへと歩みをすすめてまいります


「7777」

2009-03-16 18:33:43 | Weblog


東京はぽかぽか陽気
今日は春物のトレンチコートでも十分なほど。奈良のお水取りが終わるまではと思っていた冬のコートも、そろそろクリーニングに出してしまおうかな。

ランチの帰り、信号待ちをしているとき、ふと前を通ったレトロなバス
へー、あんなバス、東京で走ってるのねと思いつつ、ふと目に留まったナンバープレートが「7777」。ついでにバスの車体にふってある番号も「7」。これは間違いなく数字のメッセージ、7のゾロ目のお導きは?とみてみると・・・


「777」
天使はあなたに拍手を送っています。
おめでとうございます。あなたは波に乗っています。がんばり続けてください。
そしてあなたの願いが叶いつつあることを知ってください。
これはかなり肯定的なしるしで、さらなる奇跡が起こることを予期していいのです。



実は今日は朝からとてもユウウツな会議があり、昨夜は冷えたのか登校拒否なのか、夜中に急におなかが痛くなりよく眠れなかったためぐったりしていたのですが、楽しくおいしいランチでエネルギー回復し(ベホイミ!→HP80~100回復)、その帰りに素敵なメッセージをいただき、もう少しがんばろうと思いました。阪神ファンとしては、ラッキーセブンは無条件に幸運の予感があるのに加え、得意分野での仕事は、ちゃんとやるとほめてもらえましたし

ずっと願い、望んでいたことが、ようやく叶うときを楽しみにしつつ・・・




やさしさに包まれて

2009-03-12 19:25:26 | Weblog


だんだん春めいてきて、気分もうきうき
今日はしみじみと、人の心のやさしさにふれ、心から尊敬する人がいて幸せだなあと思うことがありました

よい上司に仕えること、というのは人生のなかの幸せのひとつだと思います。
いまの上司は、さわやかな外見で、まじめで頭もいいし、やさしくて穏やかなので、人格者と多くの人が認めておられる立派な方です。日頃から尊敬しているのは、愚痴を言わない、人の悪口もめったに言わないこと。そして「こうしてください」という部下からのお願いを快く行動に移してくれる。だけど、ちょっと違うんじゃない?という部分についてはきちんと指摘される。下の者たちがやや突っ走り気味に仕事をすすめようとすると、「こういう場合、物事を動かすにはこういうふうにすすめていくんだよ」とやさしく諭しながら、「やってみなさい」と言ってじっと見守り、ぐちゃぐちゃになってしまうところを交通整理しながら包み込んで仕事をさせようとする・・・等々、おおまかで詰めが甘いわたしなど「世の中にはこんな立派な人がいるんだなあ」と、敬服してしまうのです。

今日はこのところずっと部署をあげて取り組んできたプロジェクトが無事終了したのですが、最初から最後まできちんと責任をもってご自分のお役目を果たし、そしてわれわれがドタバタと仕事をするのを見守ってくれた。それだけでも十分感謝感謝なのに、最後にやさしくみんなにねぎらいの言葉をかけてくれて、「ホントにやさしいなあ」と感激しました。このプロジェクトのあいだじゅう、部署内でみんながワルクチを言いあったり、「こんなの意味ねーよ」とネガティブなことを言って士気を下げるような人がいたり、わたし自身恐ろしい先輩方(複数・多数)に気を遣いまくってじんましんが出たりして、これが終わるのを指折り数えて待っていたほどだったのですが、最後にやさしい言葉をいただいて、わたしは大したことはしていないのですが、がんばってよかったなあと平和な気持ちで終えることができました。そして、こんな人にお仕えできるのは本当に幸せなことだなあと、感謝と尊敬の念を深めたのでした

神様はもうひとつ、幸せな出来事をプレゼントしてくださいました。今日、あたふたと仕事をしていると、わたしがこの世で最も尊敬する人のひとりが「ご苦労さん」と声をかけてくださったのです。えらい方なのに、わたしなんかにご自分からそんなふうに声をかけてくださる。以前お仕事をご一緒させていただいたときも、頼りないわたしに任せてくれながらしっかりとフォローしてくださり、「わからないことがあればいつでも聞きにいらっしゃい」とおっしゃってくださり、本当に「やさしい~~~~」と何回感激で泣きそうになったことか今日はすこしお話ができたのですが、魂が満たされ、エネルギーが一気にチャージされましたこの人のためなら命削って仕事をしてもいいと思える人がいることは、本当に幸せだと思います。本当にあたたかくて、魂にしみとおるようなやさしさをいただき、わたしも人にやさしくしようと自然と気持ちが引き締まるのでした

ハートが大きくて、やさしい人にあたたかく包みこまれる心地よさは、何ともことばにできないほどですが、神様がわたしの心がくじけないようにこんなふうにプレゼントをくださる。本当に感謝そしてまたがんばろうと心がぽかぽかしているのでした

さー今日は疲れた足をマッサージして、半身浴でデトックスして、しあわせな気分のまま寝るゾ~~



「信」と「愛」

2009-03-10 19:27:44 | Weblog


このところ東京は曇り空や雨が続いていましたが、今日は久々におひさまが顔を出してくれました
部屋の中にいて、特に夜、雨の音を聞きながら眠りにつくのはなぜか心が静まるのですが、やはりこういうお天気が続くと、太陽が恋しくなります

尊敬する人からよいお話を伺うと一層心にしみるのですが、「信じる」ということについてのお話。
その方のお父様のお話ですが、親友があることについて疑われた。だけど親友は「やってない」と言う。だけど客観的にみて彼は疑わしいのではないか、と息子であるその方が父に疑問を呈すると、「あいつがやってないと言ってるんだからやってない。あいつがそう言うんだからそうなのだ。いいか、人を信じるとはそういうことだ」と答えられたのだそうです。信じる、ということについてわたしもこうありたい、と思うエピソード。

夫が数々の浮気を(しかも公然と)しても、にっこり笑ってそれを許した女性のお話もいいですね。そういうところも含めて、惚れた男を愛するということ。もちろん内心は相当妬いたでしょうし、そうそう穏やかではいられなかったと思うのですが、そういう境地に至るのはやはりすごいことだと思います。これは「信じる」を超越してますよね。「あなたが浮気はしていないとおっしゃるなら、しておられないのでしょう」と「信じる」のではなく、浮気をしているという事実を知り、認めたうえで、それでもなおその人を愛す。「すべてを受け止める」というのは、そういうことなのかなと深く考えさせられます。そう簡単には真似できないとは思いますが、心の持ち方としてはやはりこういう女性でありたいと願っています。もちろん、愛する人が浮気しないよう、自分も努力することが一番ですけども、相手を責めるのではなく、自分が惚れた男なのだからという気概がかっこいいなと思います


「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
      (コリントの信徒への手紙一 13:4-7)


すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
パウロさまはすごい言葉をのこしていかれたなあと思いますが、このことばを犠牲的な響きなく、喜びをもって体現できるようになるといいなあと思います。書きながら、こりゃめっちゃめちゃ難しいゾとおののきつつ・・・


啓蟄

2009-03-08 23:17:07 | Weblog


2月最終週からここ2週間ほど、仕事もバタバタと忙しかったこともあるのですが、なんだか身体も春へとシフトチェンジしているのか、ややアンニュイ気味な体調ながら多忙な日々を過ごしておりました。また更新に間があいてしまいましたが、メールを書くのも億劫なくらい、文章を書くことができずにおりました。3月5日の「啓蟄(けいちつ)」を過ぎて、ようやくひといきついてきたところ。春に向けて、こう、土のなかからモゴモゴっと芽吹いてくるような時期だったのかもしれません

啓蟄を過ぎて、文字どおり(暦どおり?)ようやく芽を出してきたお花の芽
もうすぐきれいなお花が、咲く予定です