かくれて咲く花

~凛として~

梅の季節

2016-02-04 21:32:23 | Weblog

このブログを始めたのは2008年。

それから場所を変えながら、私はまだ書き続けています。

 

去年はThe Love Awakensをあらたに立ち上げ、

途中でアメブロの美魂的政治道に移行しましたが、

アメブロ仕様の書き方は、「文字を少なく」「写真付き」「改行を入れる」など、「読みやすさ」「分かりやすさ」を第一に考えて運営しているため、楽しいのですが、やはりものを書く人間としてはこういう文章ばっかり書いていると、ちょと物足りないのです

そんなとき、私の原点がたくさん詰まっている、この「うめ」で綴ってきた文章がより一層愛おしくなり、プロとしてものを書いていくなら私はエッセイストやコラムニストになりたかったんだという気持ちを改めて強く持つようになりました。

文章を書くって、なんて楽しくて愛おしい作業なんだろう。

そんな思いをこめて、久しぶりにこちらのブログも更新してみました。

最近は「ブラックさくら」も登場していますが、一昨秋フランスとイタリアを旅したとき、大天使ミカエルがあちらこちらにいて、「愛とやさしさ」が私のライトセーバーだと教えてくれた。

私は文章を書くことがこんなに好きだから、こうしていまも書いている。そしてこれからもずっとずっと、書いていきます!!!

  

 


Love goes on!!

2015-07-07 22:43:52 | Weblog

本日は七夕さんですね。今日は朝からあいにくの雨でしたが、夕方には上がり、雲は多かったのですが織姫さんと彦星さんは無事会えたでしょうか。雲の上はいつも晴れてるから、地上からは心配無用かな

さて細々と続けてまいりましたこの「うめ」ブログですが、実はもうひとつブログを書いておりまして、並行して書こうと思ってはいたものの、なかなか使い分けられなかったというか、よく考えるともう別に公私を分けて書く必要もないんだなと思い、この際統合しようと思います。

The Love Awakens

こちらでは「うめ」ではなく「さくら」ですが、梅も桜も同じバラ科でありますし、どちらも紛れもない、私自身のことばです。

というわけで、アヒルの子プラムのあたらしい冒険の書は「さくら」の方で綴っておりますので、もしよろしければお読みいただければ幸いでございます。

こんな超個人的ブログを発見し、おたずねくださった皆さまに心から感謝をこめて、これからも引き続き「うめ」とともに、「さくら」をどうぞよろしくお願いいたします


プラム@地方生活

2015-06-14 17:00:12 | Weblog

ご無沙汰しておりました、「うめ」です。なんやらかんやらバタバタと大きく動きまして、先月東京を離れ、思うところあってUターンいたしました。

昨年のいまから思えば、ほんとに人生変わったなあ・・・と思いますが、東京生活での“人由来”のストレスが皆無なため、思っていた以上に地方ライフは快適です。水清く食べ物もおいしく、何よりゆったり広々とした空間は最高で、いかに東京が異様な場所だったか思い知ります。しかしそのぶん、車がないとどこにも行かれないということで、ただいま教習所通いの毎日です。この先に、自分で運転してどこにでも行ける自由があると思うと、とっても楽しみなのですが、運転は安全第一!!でも人生のドライブは、より自由にワイルドに

アヒルの子プラムのあたらしい旅が始まりました、のご報告でした


Spring has arrived.

2015-03-18 22:33:32 | Weblog

ご無沙汰しておりましたが、皆さまお元気でいらっしゃいますか。

私「うめ」は、ことしはたくさんの梅の花に出会いました。昨年の1~3月は人生最悪の時期だったし、その前の年も余裕がまったくなくて、梅が咲いたことに気を留める心のゆとりゼロだったのですが、散策中にあちこちで可愛らしい梅の花を見つけてはうれしくなっていました。ほんのりと紅さした紅梅がいちばん可憐で私好みですが、こうして季節の移り変わりを感じることができる喜びを、これまでどれだけ長い間感じることもなく生きてきたんだろうと思うと愕然とします。

半年前に仕事を辞めることを決断して、文字通り人生を取り戻しているような感じです。思ったよりも心身ともに負担が大きかったため、まだリハビリ中ではありますが、体調がいい日はできるだけ外を歩いて、街歩きを楽しんでいるのですが、これまで来たことがなかったところも、いつも歩いているエリアも、どこを歩いても新たな発見があって、仕事の忙しさで疲れ切って見逃していたことがこんなにあったんだなと改めて実感しています。そういう日常のちいさな喜びをどれだけ犠牲にしてきたのか、そしてそんな働き方でいったい私は何を得て失ってきたのかと思うと複雑な気持ちになりますが、心の底から健康で幸せになりたいと願い、そして愛する人を愛していきたいと思っているところです。

桜並木のそばを歩くと、もう芽吹く寸前の桜のエネルギーを感じて、なんだか「始まりの前」の予感でわくわくします。こんなに自由で、そして穏やかな幸せのなかで春を迎えることができて、心からうれしい。厳しかった冬を終えて、この春は、私にとっては特別な意味を持つ春になりそうです


superbowl 2015 (halftime show)

2015-02-02 20:03:25 | Weblog

昨年に続き、ことしもSeattle SeahawksがSuper Bowl出場!(^^)!

・・・といってもアメフトは究極のguy thingであり、いつまでたってもさっぱり分からないtypical womanたる私は、ことしもやっぱり女&子ども向けの?halftime show専門なのでありますが

ことしのhalftime show performerはKaty Perryということで、とても楽しみにしていて張り切って観たのですが、期待を裏切らない楽しいshowtimeでした缶コーヒー(Fire)みたいな衣装でライオンに乗って登場、最初からRoarで派手に吠えまくり(この歌大好き!!)、続いてDark Horseと、なんか動物で攻めてきたなと思っていたところ、Leni Clavitzと一緒に歌ったI Kissed a Girlは素晴らしかった!!前座がカントリーだったので、アメリカの演歌みたいなところがあるカントリーミュージックが私はあまり好きじゃなくて(日本の演歌も湿っぽいしネチッこいし性に合わないのですが)、この地味さがKatyの派手な演出を一層盛り上げ・・・というよりマッタク忘れてしまってましたが、なんか往年の名歌手と最近のスターが一緒に歌っているという変な感覚より、それぞれの持ち味をいかしながら歌うことで素晴らしいケミストリーが生まれ、そして違うジャンルの歌手が歌うといい曲はまたいい味が出るということを証明していた感じでした。

ライオンにお馬さんと続いたらこんどはpopなCalifornia Girlsでちょっとブサイクなシャークたちと登場して、これは踊りまくりPVも超楽しい、彼女のポップなセンスが遺憾なく発揮されて、観ていてとっても楽しかったし一緒に踊っていましたカワイイものに慣れている日本人からすると、もうちょっと着ぐるみたちが可愛くてもいいような気がしたのですが、アメリカ人からすると十分キュートなのでしょう?!そのあと出てきたMissy Eliotは、なんか黒づくめの衣装にStar Warsのダークサイドの皆さまが登場してきたのかと思いましたが、rap musicがこれまたダメな私はまあKatyの着替えのつなぎなんだろうくらいに思って観てましたが、Katyが着ていたユニフォームふうの背番号「49」は、さすが49ersのファンだからなのかな?と思ったり。まあCalifornia Girlだし、そうであってもおかしくないけど。

最後のFireworkはKatyがshooting starになって夜空を駆けながら歌うという素敵な演出で(→「怖くないんかKaty!!」と突っ込みたい気持ちを抑えきれなかった高所恐怖症な人)、showのフィナーレにふさわしい沢山の花火をガンガン打ち上げ、素晴らしかったです。胸から火を噴くPVにはかなわなかったような気がしますが、何度聴いても、元気が出る名曲!!ほんとはHot n Cold(このwith Elmo versionはplay aroundの意味が子ども向けになっててnice!!)やWideawakeなんかも歌ってほしかったのですが、いい選曲だったと思います。最高でした!!

ゲームのほうは、ゴソゴソしながら観ていたので全部はフォローしてないのですが、シアトルを応援しながらも、私でも名前はなんとなく聞いたことがあるトム・ブレイディに釘づけになってしまい、アメフトが全然分からない私でも分かるくらい、ビシビシといないところに投げるパスが美しく、そしてやや髪は薄くなっているものの男前な顔立ち!!シアトル応援してたのですが、最後の2分のドラマにはなんかいろんなため息が混ざって、シーホークスも頑張ったけど、ペイトリオッツもすごかったと、結果を離れたところでとても感動していました

アメフト選手の体格というのは、これまた人間離れしてますよね。留学先の大学がアメフトがなかなか強くて、たまたま空港で私の前にいた人がアメフト選手で、そのときは「なんかえらいでっかい人だなあ」くらいの認識だったのですが、あとで聞いたらうちの学校のスター選手だったらしく、「なんでサインもらってこなかったんだ!!」と友人たちに責められたりしたものですが、なんかもう同じ人間とは思えない感じの大きさでした。試合後に流れたShots of the yearを見ていると、試合中は聞こえない身体と身体がぶつかり合う音の激しさにびっくりしたり、しかしその肉体美には惚れ惚れしてしまいます。 男の人が女の人の胸や脚を絶対見てしまうように、女の人もあの選手はcuteだとか、もっとパーツ具体的に言えば彼はcute buttだとかなんだとか言いながら、そういうところを見ていたんでしょうね(そもそも試合はよく分からないので)。 勝ったほうも負けたほうも素晴らしかったし、強くていい男がこんなに集っているスポーツは、ルールはよく分からなくても見ごたえがありました。やっぱりアメフトはとことん男の世界で、お相撲のように、Katy Perryとかチアの皆さん以外は女は入っちゃいけないし、入っていけない気がします。個人的には野球選手の体型がいちばん好きなのですが、アメフトはさらに引き締まっていていいですねしかしトム・ブレイディはほんとにかっこよかった。私はああいう目の人に弱いのです。

男の人ならあのプレーがすごいだとかもっといろいろあるのだと思いますが、女の人の感想は、こんなもんだと思います。men and women番外編でした


men and women (part IV)

2015-01-12 16:44:58 | Weblog

ひさびさに「男気」シリーズ、いきます。(→part Ipart IIpart III

古くはMen from the Mars, women from the Venusという本がベストセラーになったように、火星人たる男と金星人たる女が理解し合うのは極めて難しいことだというのは普遍的な事実であった。男女双方にとって、異性の理解しがたい言動は両性の「違い」に起因するものであり、「理解できない」といがみ合うのではなく、理解し合うための助けとなるよう意図して書かれたこの本によると、違う国から来た外国人どころか、遥か遠い違う星から来た異星人だと考えるほうが分かりやすいと説いている。つまり男性と女性はそれくらい違うのだ。しかし「違う」と分かっていながらもなぜか自分の星のルールで相手を判断し、自分の星のスタンダードで相手が動いてくれないと文句を言い、憎み合うようになってしまうという不幸は、国と国同士で戦争が絶えなかったように、いやあるいはそれよりもっと壮大なスケールで行われてきた異文化間におけるミスコミュニケーション戦争であったと言えるのかもしれない。

このスケールが桁違いの男女の違いに対する絶望が、お互いへの尊敬になるとこれまた宇宙的に愛は深まるのに・・・と思う。

男性が女性たる自分にない美点を持っていて、それは絶対に自分には持ち得ないし、かなわないなと思うことのひとつが、「男は黙って」の世界。例えば女性は、問題があると(正確にはなくてもだけど)とにかくしゃべる。しゃべりながら考え、しゃべりながら解決策を見つけようとする。男気がある方の私も、自分でできるだけ考えて結論を出す方だけど、やっぱり誰かに話を聞いてもらい、なんやかんやと自分の置かれた状況を説明しているうちに自分の気持ちに整理がついたり、しゃべるだけで気分がすっきりしたり、いい方法が思いついたり、なにかしらしゃべり終わったときにはしゃべる前よりも気持ちは楽になっている。これはいい話し相手を選ぶという条件付きではあるけど(理解力があり、客観的に判断してくれて、本当に親身に相手の幸せを考えてアドバイスをくれる人=you guys, my best friends!!!)、ガールズトークというのは取りとめのないようなことをランダムにしゃべっているようで、実は結構深淵な精神活動である場合もあるので、いわゆる「女子会」などという集まりには絶対行かないけど、心許せる友との会話は非常に重要であるので、ああだこうだと話せるいい友人に恵まれている私は幸せだと思っているし、またそういう素晴らしい友人たちが困ったときには、何があっても駆け付けたいと思っている。

金星人の世界では、助け合うというのが美点であり、care about each otherしていることをお互いに常に確認している。大丈夫?と常に気遣い、何かあれば手を差し伸べることは義務だと考えているため、困っている人を見たり、苦しんでいる人たちを見ると放っておくことはできず、あれやこれやと心配して「何かできることはないか」と考え、いろいろしてあげたくなる。これは金星人同士であれば、「ありがとう」と気遣いが嬉しく、その気持ちだけで十分だと感謝したくなるのだけど、自助自立を旨とする火星人にとってはうっとおしいだけであって、むしろ自分が自力で解決できる能力がないのではないかと疑われているようにさえ感じるという。この男女の違いをつい忘れて、なにか自分にできることがないかとあれやこれやと考えてみても、金星人は「苦しんでいる人がいて何もできない」という状況に無力感を感じ、あれこれ気遣いをしていたことが逆に火星人にとっては心の負担となり、シャットアウトされてより傷付いてしまうという結果を招いてしまう。

男の人が、自分の苦しみや悲しみを表に出さず、踏ん張って耐えている姿にはぐっとくる。女の人はとりあえず悲しみも怒りも、感情を抑えるよりもむしろ友達に泣いて話して気持ちをリリースするけど、男は黙って耐えている。そこには他人の入り込む余地はなく、ただその心のうちを思うとそっとしておいたほうがいいのだろうと思いながらも、愛する人が悲しみに沈んでいるときに自分が何もできないということもより悲しい。だけどどんな言葉も無力で、何もしてあげることもできなくて、いったいどうしたらいいんだろう・・・と考えていたある日、知人の家で2歳の男の子と遊ぶ機会があった。子どもはエネルギーの塊で、飛んだり跳ねたりして、ソファーにjump intoしては転がって「もう一回」とエンドレスに遊んでいたところ、起き上るのを助けようとする私に「自分でできる」と彼は言う。走り回っていて転んだときも、助け起こそうとすると「自分でできる」と嫌がる。だけど引っ張り起こしてほしいときには、「引っ張って」と甘えてくる。彼は2歳ながら、自分で立ち上がることができるし、自分が必要とする助けが必要なときは自分から言うし、それ以外で助けられるのは嫌だと言う、いうりっぱな「男の子」なのだ。確かにそうだ。ひっくりかえっていても自分の力で起き上れるのだから、「できる」と信じて見守っていればいい。転んでも自分で立ち上がるのだから、自分の力でこちらに来るのを待っていればいい。2歳の男の子に、ああ、これが男なんだなあ・・・と教えてもらった瞬間。

愛する人や大事な人たちが苦しみ悲しみのなかにいるとき、つい「何かしてあげたい」とか「自分がその状況を良くするために、何かできることがあるのでは」と考えることも、よく考えてみれば傲慢だ。自分がどうにかできるなんて、そんなことできるわけない。何もできないのだ。いくらその行動が相手を思っているがゆえであったとしても、それは本当に相手のことを考えているとはいえない。自分が何かしなければという変な使命感にドライブされているだけ。だけどやはり愛する人の悲しみは私の悲しみでもある。そんな状態にあるひとに寄り添うということは、「何かをする」ということではないのだろう。黙って耐えている心のうちを思いながら、心配はしすぎず、だけど心はいつもそばにいて、一緒に祈っている。いつか心に光が差すことを願いながら、自分の力で立ち上がるのを待っている。それが「そばにいる」ということになるのかな。。。

大事だからこそ、何か役に立ちたいと思う。だけどヘルプは、本人が必要だと言わない限り、手を出しちゃいけないんだ。女性の宿命のようなこの資質が自分のなかにあるということは、私はやっぱり女性なんだと確認する。自分が女であるということを思い出させてくれる、本物の男だからこそ、誰よりも大切で、他の人じゃだめなんだ。本当に相手を想い、できると信じて見守るという、海のように広い母性もまた女性性のひとつ。2歳の子が、気付いてなかったスイッチを押してくれたような感じ。彼は自分が私にそんなすごい気づきをもたらしたことは知らないけど、子どもはやっぱりamazing!!!

愛するということは、本当に深くて難しい。だけど男と女は、違うからこそ、なお愛しい。「ことば」をめぐる違い、コミュニケーションについては、また改めて稿を起こすことにしますが、なんでもことばにしようとしちゃいけないですね。

いまもまだどうしたらいいのか迷いの途中ではあるけど。何もできないけど、ずっとそばにいるよ


翼広げて☆2015年

2015-01-02 15:30:53 | Weblog

あけました昨年はあまり更新できませんでしたが、訪れてくださっていた皆さまに心より感謝申し上げます。これは私「うめ」の超個人的ブログですが、ことしはもう少し書いていこうと思っております。本年もよろしくお願いいたします!

昨年2014年は私「うめ」にとっては激動の一年でしたが、無事に年を越すことができて本当によかったです。昨年秋以降、飛び立つ準備をすすめてはきていましたが、年明けとともにロケットスタート!!・・・といきたかったのに、風邪をひいてしまって身体がついてこない瞬発力を誇る(→せっかちとも言う)アリエスな私は、あれもこれもやりたいことがたくさんあってすぐにでも始めたいところですが、この冬はとにかく寒い!!!のでこのところ風邪をひいてばかりですなにをするにも身体が資本、健康でいることがすべての基礎ですので、無理がきかない身体であることを重々自覚しつつ、ことし2015年は「自由に創造していく」をテーマにいろんなあたらしいことにチャレンジしていこうと思っております

昨年掲げた「地上をheavenにする」という目標は、これはかなり壮大なテーマなのでこの先のこりの人生かけてずっと続けていくことになりますし、愛とか平和とかいうものは、なにかふわふわした安穏なものでは決してなくて、大天使ミカエルがなぜ剣を持っているのかと考えても、愛も平和も、確固たる意志と覚悟を必要とするものなんだろうと思います。

アヒルの子プラムのあたらしい冒険の書も始まりますし、自由に翼を広げていよいよ飛び立つ2015年。皆さまにとっても、飛躍の年となりますように!!

 


飛び立つ準備!

2014-12-19 18:20:16 | Weblog

ごぶさたしておりました、「うめ」です。不在の間も、おたずねくださった方がおられましたことに心より感謝申し上げます

早いもので2014年もあと10日ほどになりました。アヒルの子プラムはいよいよ村を出る決断をし、秋からいろいろ旅に出たり、いままでできなかったこと、母と約束していたヨーロッパ旅行もようやく公約を実現するなど、自由を満喫しながら羽ばたく準備をすすめてきました。

上の写真は、ローマを散策中、とある店先にかかっていたもの。昼も夜も飲んでいたプラムは「そのとおりだ」と、おもわずパチリ

まもなく2015年。いよいよあたらしい冒険がはじまります。アヒルの子プラムは、いったいどこに向かうのか?無事美しく空を羽ばたく白鳥になれるのか??乞うご期待!!

 


曇りのち晴れ

2014-08-23 14:25:59 | Weblog

お盆明けもなんのその?東京は相変わらずきびしい暑さが続いています

でも今日はこれから雨が降るようで、いまにも泣き出しそうな空の色私の心も、あまり晴れない。

お盆明けに針に行くと、先生に休養明けで調子がいいと言われて喜んでいたのも束の間、また日々のあれやこれやの忙しさのなかで、いろいろショックなことが重なり、なんか夜も寝付けなかったりで、今週、心はずっと曇り模様だった

今朝は起きてすぐ、とにかくなにか作りたくなって、ブロッコリーを茹でたり、にんじんのサラダやアボカドとひよこ豆のディップを猛然と作っていた。簡単なものだけど、お料理していると心がものすごく安らぐ。いい集中感というのか、作っているときは日々常に頭のなかで巻き起こっている余計な雑念もいずこへという感じで、座禅を組んできたという人の話をこのあいだ聞いたけど、心を静める時間ということなら、私にとってはお料理や洗いものをしているときがいちばんの気分転換で、心がスーッと軽くなっていくさっきまで単なる個別の食材だったのが、お皿のうえで全然違う姿においしく変身している、というのには、なんかいつも感動するんですよ夜はワインを飲みながらちょこちょこつまみながら作るのがこれまた楽しいのですがお料理はほんとにcreationだと思いますね。洗いものは、嫌がる人が多いですが私はなぜか大好きです。洗濯も大好きですが、洗いものの方が手に感じるお水の流れがなんとも気持ちよく、食器やお鍋なんかひととおり洗い終わると、すっかり気分も変わりますし。ただしお手ての保護のため、特に冬はゴム手袋は必須。

仕事が忙しいとこういう時間が持てなくなってきて、心に余裕がなくなって消耗していく・・・というのはこれまで何度も繰り返してきたパターンで、もういいかげんこのサイクルを断ち切りたい。自分の身体の状態を考えても、もうこういう働き方は無理だと薄々気付いてたし、これ以上ストレスをかけることには心身ともに耐えきれないと分かっていた。この2か月は、本当はこの先のことをゆっくりと考える時間に充てるつもりだったけど、思いがけない仕事の忙しさで疲れ果て、いちばん大切にしないといけない人にまで当たってしまうくらい消耗しきってしまっていた。ほんとはもっとやさしくしたいのに。大好きで大事な人を後回しにしないといけないほど、私はこんなこと本当に心からやりたいと思ってるんだろうか?お盆休みの間、自分の心と対話して問いかけた答えは、断固NONだった。一週間またやってみて、「ああ、もうこれ以上は無理・・・」といろんな場面で感じて、その心の声をこれまでのように聞こえないふりをすることももうやめようと思った。もっと手をかけたい、時間を取って丁寧にやりたいことがたくさんある。仕事に使う時間と労力をほかにまわせたら、それこそストレスがなくなるのは言うまでもなく、大好きで大事な人たちのことをいちばんに考えて動くことができる。それがいちばん、私にとっては人生で大切で、そしてそれがいま私のいちばんしたいことだもの。

もし月曜から金曜までフルタイムで働いてないとしたら何がしたいか?と考えると、ずっとやりたかったことは、もっとお料理が上手になりたいから、お料理教室に通うこと。栄養のことももっと勉強したいし、貧血のくせにドロドロな血をサラサラにすべく、「糖質オフのフレンチごはん」という三國シェフのレシピ本も買ってみましたし、おいしくかつ身体に負担をかけないごはんを研究していろいろ作れるようになりたい。自分のためだけじゃなくて、大事な人の身体のためにも。それにこうして「ものを書く」ことも、私にとっては自分のバランスを取り戻す大切な時間。ああ、これもいつの間にかおろそかになっていたなあ・・・ほんとに本末転倒なことをこれまでやってきたんじゃないかと、反省しきりです。

ワークライフバランスとかよく言われますが、これは勤勉なアジア人じゃなく、ヨーロッパ人を見習うべきなのではないかという気がしています。もちろん日本人全体がとかじゃなく、そういう生き方の方が自分は幸せだなという人はそうすればいいだけのことであって、みんながみんな同じ方向にいかなくてもいい。それぞれでいいし、「それぞれ」がいいんです。みんな自分の好きなように、自分が本当に自由にのびのびといられるライフスタイルを選んで生きていれば、幸せな人が増えて、地上がどんどんheavenになっていくんだとしみじみ思います。「こうすれば幸せ」とか、単なる一部の人たちの思い込みでしかないことを、それ以外の状況にある人を不安にさせてしまうような、一律の価値観の押し付けは間違っていると強く言いたい。何が人生でいちばん幸せで、自分が幸せでいられるのはどういう生き方なのか?そんなものは他の誰か決めてもらうものではなくて、自分が決めるものだから。マツダの広告のとおり、人生のdriverは自分自身

今週、心が沈みがちだった私を神様が見かねて、転勤で北へ行ってしまった仲良しの人が「ちょっと東京で用事があったので、顔出しに」とたずねてきてくれたり、ふと「元気かな」と思った人がタイミングよくあらわれて話し込んだり。楽しく仕事をしていたときに知り合った人とは、思い出話をしているとまた大笑いできるし、安心していられるから、ズレてしまっていた自分のいちばんいい状態を思い出させてくれて、自然にバランスを取り戻してくれる。来てくれた彼らはもちろんそんなことは知らなくても、神様が派遣してくれたんだなと思うこのタイミング。こんなふうに、神様は私を時々甘やかしてくれる。天はいつもすべてを見てくださっている、というのは緊張感ではなく、むしろ安心感だと思う。疲れてしょんぼりしていた心に、水遣りをしに来てくれた彼らに感謝そしてやさしい友人たちの励ましと友情も、たっぷりの思いやりやさしさの世界がいちばんだということをまた教えてくれました。ありがとう

なかなかお休みが取れなくて行けなかった、母とのヨーロッパ旅行も実現しなきゃ。元気なうちに、一緒に行っておきたいし、ぜんぜんできなかったからちょっとは親孝行もしたいもの。この秋は、旅に出よう!!!うん、そう考えると俄然楽しくなってくる

私はあまり器用じゃないから、仕事をしはじめると仕事に集中してしまうと思ってたけど、集中しないときちんとできないから集中せざるを得ないという方が正しいかな。だからついほかがお留守になってしまいがち。もともと&DNA的にも遊び人気質だから、逆に遊びはじめると果てしなく怠けてしまいそうでこわかったけど、やはり人生マンジャーレカンターレアモーレ人生でいちばん幸せな時間は、大好きで大事な人たちとの、おいしいごはん&ワインと楽しい会話ですもの

十分かどうかはわからないけど、助けてもらったご恩返しはできたかなと思ってる。もう十分がんばってきたし、やるだけのことはやったから悔いもないし、またこれ以上ここでやりたいと思うこともない。「これまで(消耗するだけの世界)」にはadiosして、「これから(愛のある世界)」へジャンプしていきます

雨が降っても、しばらくするとまた晴れ間が戻ってくる。お空も心も

広島、九州と水の被害が心配だけど、このあとによりよいものを築いてあたらしくはじめるきっかけとなりますよう、住んでいる人たちが本当に幸せを感じて暮らせる場所にしていくことができますように。

【追記】救助犬になったワンちゃんの記事に、「いのち」を考えさせられました


rebalance☆

2014-08-17 15:25:05 | Weblog

rebalance・・・といっても、米国の東アジア戦略のことではなく、ことし前半の疲れがドッと出て、心身ともに崩していたバランスを取り戻したお盆休みの私「うめ」の状態をひとことで言い表した表題でございます。皆さまはこの夏、いかがお過ごしでいらっしゃいましたか。

ことしはなぜか無性に「スイカが食べたい」と思うようになり、生まれてこのかたずーっと瓜系は好きじゃなかったのに、この夏はなんだかやたらスイカを食べていますついでにキュウリも嫌がらずに食べている。この突然の変化はなんだろうという感じだったのですが、仕事はなんやらかんやら忙しいのが続き、キョウレツな夏の暑さも加わってかなり心身ともに参っていたので、身体が欲しているという感覚でした。そろそろ梨も出てきましたし、桃も変わらずラブだしマンゴーも美味しいし、いろんなフルーツを楽しんでおります

よく考えるとことしは前半からずっと走りっぱなしというか、立ち止ってゆっくり考える時間もなく、春にほっと一息ついたのもつかの間、セーフハウスで過ごすなかで本来じっくり考えたかった「ここを出たあとのこと」、日々の忙しさのなかに紛れながらも、確実に日々積み重なっていた「やっぱりこんなのイヤだ」という心の声に十分耳を傾けてあげることができなくて、このお盆休みは来し方を振り返りながら、アヒルの子プラムはいろいろ考えていたのですが・・・ここもやっぱりあんまり長くいるところじゃないな、という気がしています。助けてもらったご恩には報いないといけないと思っていたし、ご恩返しはきっちりやろうと決めていますが、そのあとはブランクというか、現状のまま続けていく先に、明るく楽しい未来はマッタク思い描けない。自分の持っている能力とスキルと経験をいかして別な世界へいくのか、あるいはこれまでのことはまったくゼロに戻してstart overのような感じで進むのか、そこまでは分からないけど、だけどこのまま続いていくことはないだろうな、という気はしています。

現在の延長線上に未来を考えると、結局は現状維持のため汲々、ということになり、考えただけで息苦しくなるほど気持ちも滅入り、brighteningな未来は想像できませんが、現在の状況はどうあれ、こんなことがしたいなとかあんなことがしたいなとか、まったく自由に想像の翼を広げてあれこれ思い描いていると、そのビジョンはとても心弾む楽しい未来の姿であって。「そうぞう」という日本語はimaginationでもありcreationでもある。これがオープンに、広がっていかないところには希望が生まれない。やはり明るい未来を想像し、創造していきたいですものね。

魔界への旅では傷付き自信をなくしていたプラムも、救出されて前のところに戻ってみれば、ドラクエで言えばレベル90くらいまで上げてしまっている感じであることに気付いて。多少まだレベルアップの余地はあるものの、もうほぼやり尽したというか、ラスボスの姿も見てしまい、この世界が何でできているかを知ってしまった(→それは決して楽しいものでもなく、人を幸せにするものでもなかったという事実に気付いてしまった)。「クリア後の世界」でまだなおしないといけないことが残っているのか、それともあるいは新しい冒険の書を始めるのかは分からないけど、これまでみたいに“じゅもん使うな”とか“めいれいさせろ”とか、コマンド下にあって思うように戦えなかった世界ではなく、何の制約もなく自分の頭で考えたとおりに動けて、exploreしがいのある、「次はどうなるんだろう??」と仲間たちと“ガンガンいこうぜ”で楽しく進んでいける冒険の書を選びたいと思っています。クリア後の世界なんて、なんかお宝探しとかだけで、新たな謎を解き進んでいく面白さというものはほとんどないですしね。レベルを上げるのも、強い敵と戦うだけではつまらなくて、その先にまだ知らない世界があってそこへ進んでいくために強くなる、というのが楽しいのであって、ただレベル上げるだけの戦いは不毛ですし。たとえその世界を極めたとしても、まだ他にはいっぱい違う世界があって、そこではまたレベル1からスタートするというのもchallengingで面白そうだし。

いやいや、ここの冒険でそこそこ蓄えた経験値は、ほかの世界では転職後のスキルとして、直接は役に立たなくてもなにかの役に立つかもしれない。たとえ前職が遊び人とか踊り子とか何の役にも立たない職業であっても、せっかく覚えた魔法が違う世界では通じなくても、「つよさ」でいうところの「すばやさ」「かしこさ」なんかはどこの世界でも同じはず。あと数値にはあらわせない「思いやり」「やさしさ」は、魔界でさえなければこれが最強の魔法かもしれないし(逆にいえば、この呪文が“かき消されて”通用しない洞窟や塔なんかは魔界である、ということなのでしょう)。「ちから」はあんまりないから、重い武器を使ったり装備したりはできないけど、「どくばり」でごくたまに敵をプシュっと一突きという、魔法使いプラムの「こうげき」レベルはそんなもんだけど、「思いやり」「やさしさ」のレベルに上限はないし。ほんとはアリーナみたいに元気よく、お城の壁を蹴り破って外の世界へ飛び出していきたい。そう考えると、まだまだレベルアップもしなきゃいけないし、この先の冒険もきっと楽しいはず

私は全然観てないのですが、NHKのドラマですっかり我らがアンのことばが有名になったようですけど、曲がり角を曲がった先に何があるかわからないけど、でもきっとすてきなものだと思う。この確信は、私のなかに変わらずある。この楽観的なほど明るい確信が揺らぐと、バランスを崩してしまう。自分の心のお花をしおれさせてしまうほど忙しいのは、やっぱりいけませんこまめにケアして、おひさまの光とお水と栄養をたっぷり注がないとこれはここでも繰り返し書いてきたのについ忘れてしまうことですが、まず自分がいい状態でないと、思いやりやさしさの魔法は使えなくなってしまいますからね。自分自身が機嫌よくいたいですし、どうでもいい人たちとのくだらない戦いで消耗するのではなく、大好きで大事な人たちに、もっともっと愛をたっぷり注ぎたい。日々の忙しさでおかしくなっていたこのプライオリティの順序は、これからは絶対間違わないようにしなきゃ。人生でいちばん大切なのは愛である、と毎日recite to myselfしないといけない・・・と改めて決意する必要があるなんて、これまでどれくらい本当に心の求めているものを後回しにしてきたのかということでもあり、反省しきりです。

もうちょっとすれば、少し涼しくなってきて過ごしやすくなってくるし、休息をとり本来の牡羊らしさが戻ってきて、また元気よく後半スタート!!という感じです