かくれて咲く花

~凛として~

ハートの紫陽花

2010-06-17 18:46:13 | Weblog


前回のハートの梅に続き、こちらはハートのあじさい。すてき
(ちなみにハートの梅は紀州、あじさいは京です)

梅雨の時期はややアンニュイになるけど、雨にぬれる紫陽花が美しいのと(特にブルーのが好き)、夜、雨音を聞きながら寝るのはとても好き。なぜかわからないけど、とても安心するから。


梅と忍びとこだわりと

2010-06-15 19:35:12 | Weblog


単に前から好きだっただけなのに、「好き」と口にするとレッテルを貼られるから軽々に言いたくないことがふたつある。

それは、梅酒好きと歴史好き。梅酒はここ数年ブームなので、それに乗ってると思われるのが極めて不本意であり、歴史小説好きに至っては、母の手ほどきのおかげであるにもかかわらず、とりわけ戦国時代が大好きというと、「へー、歴女だね」とか言われる。


     ええいうるさい、世の中で流行る前からずーーーーーっと好きなんじゃい!!!



・・・といちいち叫ぶのもめんどくさいので(飲みに行ったらだいたい梅酒やしね)、実は梅酒くらいしか飲めない事情や、いかに戦国時代の忍びがエキサイティングかについて語ったりと、付き合いのレベルによって濃淡に差はあるものの、一応説明をしたりするようにしている。アカウンタビリティは大切にしているのでござるよ。しかし私は決めつけられると反発したくなるので、決めつけられ方によっては明らかにムッとし、わざと違うのを頼むこともある(といっても、せいぜいあんずのお酒なのであまり迫力がない)。

そういう不本意なことはあるにしても、梅酒がブームになってよいことは、最初からいきなり梅酒を頼んでもわりと許容される雰囲気が出てきたことと(「じゃあ、最初は全員ビールね」という頼み方は、ビールが好きじゃない人にとってはかなりの圧力で、「私は他のものを・・・」となかなか言い出せないものなのである)、大いに歴史を語りあえる仲間が増えることかもしれない。ただ私は「武将萌え」なる摩訶不思議な精神的科学反応を起こす物質は持ち合わせてないので、いわゆる「歴女」といわれるような人たちと積極的に語り合いたいとは思っていない。歴史を語り合うというよりも、「あいつは治部少みたいなやつだ」とか「鳥居元忠のような忠誠心じゃないか」とか、そういうふうに歴史を踏まえて語り合うのは楽しい。

先日はなんと梅酒リストに「くの一」を発見、即注文。しかもコラーゲン入り!梅好き、戦国好きにとってはたまらないチョイス3杯飲んだけど、3杯とも「くの一」を頼んで、気分はすっかり忍びモード。買い置きしてあった忍び小説の世界に、またまた耽溺していくのでありました


リルルとマスタードラゴン

2010-06-11 17:45:57 | Weblog


ドラクエ5では、4の世界から数百年経ち、天空城が湖の底に沈んでいるのを復活させるというミッションがある。すごく好きなのが、地上のすべてを見通すマスタードラゴンが、天空城から地上の人間たちを眺めて、「人間もなかなかいいものじゃな」と言い残して、こっそり人間界へ潜入して行方不明になっているという設定。4では、人間の若者と恋に落ちた天空人を許さなかった厳格なマスタードラゴンに、いったいどういう心境の変化があったのか??

この現実世界で、いろんなことが起きるたび、落ち込んだり心が折れそうになったりするたび、「人間なんて大キライ」モードになることがしょっちゅうだけど、このマスタードラゴンの気持ちがなんかわかるのは、普段はあれほど自分勝手で、強欲で嫉妬や憎しみなどにまみれた醜い争いを繰り返している人間たちが、ときたま驚くような美しい行動をとる。たとえば「のび太の鉄人兵団」(ドラえもん映画の中でも屈指の名作!!)で、敵であるリルルを助けようとするのび太の行動を、ロボットのリルルは理解できず、しずかちゃんにたずねる。


リルル「人間のすることってわからない。どうして敵を助けるの」

しずか「時々理屈に合わないことをするのが人間なのよ


小学生で既にわかっておられるしずかちゃんのこのセリフ。だけどその「理屈じゃない」ところに人間らしさがあるのですよね。のび太は逃げようとするリルルに、「撃って!!」と言われるが、どうしても撃てない。リルルは「意気地なし!!」と言って、のび太を気絶させて泣きながら去っていくが、この心に打たれて、鉄人兵団の親分たちに「人間は悪い人たちばかりじゃありません」と擁護の演説をする。これは映画「シュリ」で女工作員が、工作した相手に殺されそうになるけど、しかしどうしても相手の男を愛するゆえに撃てないというシーンと並んで、私の心の琴線をかき鳴らす場面

マスタードラゴンにしてもリルルにしても、そういう「理屈にあわないことをする人間」に興味を示し、心を動かされたのだろうと思う。実際人間界にいても、自分でも理屈に合わないことをいっぱいしているし、そこが人間やっていて面白いことでもある。人間には情というか、心という不思議なものがある。うつくしさのレベルにおいて一定の心の状態はあっても、清らかだったり、時々ブラックになったり、多面的でリアクティブで。宝石の原石のような感じなのかもしれない。ところどころキラキラ輝いていたり、まだ磨かないといけないところがあったり。もちろんみずからを律して、感情に揺がれない、温厚な人格者には敬服するけど、やっぱり感情がたくさん動いた方が楽しいし、生きている実感がある。

理屈だけでは、人は動かないし、情というファクターが絡みながら、予想もつかないドラマが起こったりする。「こうすれば、こうなるだろう」みたいな予測可能性が適用されたり適用されなかったり、思わぬ行動に出て、周りは理解不能、本人もなんでそんなことしたのか説明できなかったりと、「全部きれいに」説明できないし、「全部きれいな」行動ばかりじゃない。むしろ、「きれいな」のは少ないのだろうと思うけど、そんな世知辛い世の中で光輝く心のうつくしい人に出会ったり、期待していてもなお期待以上に笑わせてくれる人がいたり、口は悪いけど本心は温かかったり、本当に人間は複雑怪奇な生き物なのだろう。このドラえもんの名言集にふれるだけで、「人間ってなんていいものなんだろう」と思ってしまうではないか

地上に降りてきたマスタードラゴンは、すっかり人間の世界になじんで、戻ってきて元の姿に戻っても、威厳のある言葉遣いでしゃべるのが面倒くさくなって、ついカジュアルな物言いをして天空人の従者をびっくりさせてしまったり、お茶目な一面を持ち合わせるようになる。大変人間らしいというのか、全知全能の完璧な神より、ギリシャのムチャクチャ人間くさい神様たちの方に激しく親近感を覚えるのと似ている。マスタードラゴンの姿のときはかっこいいのに、世を忍ぶ仮の姿であった「プサンさん」のときはなんか頼りないのにね、なんて主人公の息子(8歳)に言われたりするほどだ。完璧であることが魅力であるのではなく、すこしの欠点と愛嬌がある方が、より好ましかったりするのも人間ならではなのかもしれない。

なにより地上はお酒もご飯も美味しいしね
リルルはロボットだから食べなかったかもしれないけど、「プサンさん」はお酒が非常にお気に召していたようで、祝宴で酔っぱらってご機嫌であった。そこもまた親近感を覚えたりする。

人間やってるのも、そう悪いもんじゃないなあと思う今日この頃でござる


6月、水無月

2010-06-02 23:54:34 | Weblog


水無月に入り、今週のお花はアジサイ。白で控えめに清らかに咲いているのを見ると、心癒される。
紫陽花、と漢字で書いた方がうつくしい

小学校の時、母がよく庭の紫陽花を切って「学校に持って行きなさい」と朝持たせてくれた。私は学校までそれを持って行くのが恥ずかしくて、それをまた先生に言わなきゃいけないのがいやでたまらなかったのだけど、先生が花瓶にいけてくれると、ほのかにうれしかったような記憶があります。小学校のときは、本当にいろいろと「子供心にいやなこと」がたくさんあったけど、「大人になってもいやなこと」というのもやっぱりたくさんある。変わってないこともあるし、変わらぬこともあるけど。

なんか最近眠くて眠くて仕方ない
大好きな忍び小説を読み返しているけど、前に読んだときとは違う視点に気付く。そういえば、去年の6月にこの本読んでたはず。1年経ったこと、自分のレベルアップがうれしい。せめて夢の中では、かっこよく飛苦無(甲賀忍びの手裏剣)が使える忍びになりたいわ。

さー今日はこのへんで栞をはさんどいて、寝よ・・・