かくれて咲く花

~凛として~

パイオニアの道

2009-05-25 17:53:53 | Weblog


朝ニュースを見ていたら、東関親方(元大関・高見山)の好きな言葉が紹介されていた。


辛抱・努力・忍耐


寝ぼけてた頭に、ガツンときました
なんてすばらしいんだろう!!当り前のことだけど、すべて一流といわれる人で、努力していない人なんていない。それに、ハワイから来日し、初めての外国人力士の道を切り開いてきた苦労は、本当にご本人しかわからないものがあると思う。股割りが苦しくて、「これしきのこともできないのか」と言われて流した涙も、「目の汗です」と言うやせ我慢。つらいとき、ひとりで山手線に乗ってぐるぐると20周したこともあるというエピソードはあまりに有名で、私はたしか中学の英語の教科書で読んだ気がする。その彼の口から発せられる「辛抱・努力・忍耐」という言葉は、私のような自分に甘い人間と違って、本当に重みがある。

道は、誰かが通った後にできるもの。パイオニアの人生というのは、道なきところを進み、自分で切り開いてきた歩みそのものだ。その間、先に何があるかもわからない。人に理解されないかもしれない。どんなに努力をしても、くじけそうになることもあるかもしれない。だけど自分を信じて、一歩一歩踏みしめ、道をつくってきた人がいたからこそ、その開かれた道をまた歩いてみようとする人がいる。だけど一番先を歩んだ人はひとりしかいない。その栄光は、最初から約束されたものではない。ただ歩いて、歩いて、そして振り返ったときに、はじめて自分がフロンティアを切り開いてきたことがわかるのだろう。

私はいまでも、「東海道」や「旧中山道」など、昔の人が通った道がいまも交通の要路であることに感動する。最初からあったわけではない道を、いろんな人が通るうちに、道ができてきたのだろう。この道をどんな人が、どんな思いで通ったのかな、忍者も通ったのかな、なんて思いを馳せるのも楽しい(昨今「忍び」シリーズを読んでいる)。東関親方の相撲への愛情と、謙虚な人柄は、なんだか日本人が忘れているものを思い出させてくれる。たぶん日本人だけじゃなくて、昔の人が大切にしてきた美徳というのは、世界共通なのかもしれないけど。

私も、ある種のパイオニアをめざす・・・なんていう言い方も変かな。だって、みんなそれぞれ歩いている道は違うんだし、誰もが自分の人生のフロンティアを切り開いて生きているのだから。特に気負うこともなく、自分の道をすすんでいくのみ。誰も歩いたことがない道だからこそおもしろい。ロールモデルがいなければ、自分がなりたいような未来の自分を描いて、それをめざしてすすめばいい。世間の評価や承認を得ようとすると、前に進めなくなる。「常識」にとらわれず、ただ心のままにまっすぐに。

そういうふうに生きるのは、本当に強い人、孤独に耐えられる人じゃないとできないんだよと言う人もいる。そうかもしれない。だけどその代わりに、自由でいられるという側面もある。人から見てではなく、自分が幸せなのか楽しいのか。それを知っていれば、何も迷うことはない。この強さは、特にこの1年で鍛えられてきたものだと思う。正直キツかったけど、何が起こっても負けない強さは、私への天からのギフトなのだと思う。天の采配は、きびしいけどあたたかくもあり、いつも完璧!


One Year Later

2009-05-19 18:14:53 | Weblog


気がつくと、昨年異動してから1年が経っていた。
そういえばそろそろ1年になるな~と思っていたけど、取り立てて感慨もないというか、まあやっぱり新しい部署に慣れ、軌道に乗ってくるのには1年はかかるもんなんかなという感じ。

この1年、いろんなことがあった。よく泣いたけど、人の心のあたたかさに助けられ、いまなんとかここにいる。振り返って、去年のいま頃の時点からいまの位置は見えていなかった。どこに進んでいるのか、どんなところに辿り着くのか、まったく見えなかったけど、いろんなことを耐え忍び、明日はきっとよくなると信じて歩いてきた。前より少し、強くなった。ちょっと痩せた。エアロが進歩の階段をのぼっている。プールでも長い距離を泳げるようになった。相変わらず人間関係はドラクエで、たまに「痛恨の一撃」やモンスター達による「いきなり襲いかかってきた!」はあるけど、ちょっとレベルアップして無駄な戦闘は避け、傷ついたらすぐ回復に努め、逃げ込める街や城の位置を常に頭に置きながら冒険に出かける「かしこさ」、強敵の攻撃から身をかわす「すばやさ」も上がり、一緒にいて心やすらぐ仲間もできてきた。人生いいことばかりじゃないけど、悪いことだけでもない。

この先に何があるのかなんて、やっぱりわからない。だけど天の采配とお導きを信じ、胸の奥にある、何があっても変わらぬ気持ちを軸に、またここから歩いていくのみ。凛として、微笑みを絶やさずに。

新年に誓った「信」と「凛」、そして「希望」を胸に、道をつくっていく。つくっていくというか、踏みしめてきた歩みが道になるのだから、歩いていくしかない。この先になにがあるのかわからない。だけど進んでいる道に間違いはない。その確信はある。

かくれて咲くこの花も、光を受けて美しく輝きますように




無条件の愛

2009-05-18 17:38:52 | Weblog


先週金曜日、久々に神宮球場へ足を運びました

私は阪神ファンです。学生時代はよく神宮に通いつめました。授業もそこそこに、試合前の練習から見に行ってましたね。週刊ベースボールは毎週読んでたし、あれくらい熱心に勉強していればもっと成績もよかったかもしれない。いまも変わらずトラを愛しているのですが、あの頃と同じくらい情熱を注いでしまうと仕事に支障をきたすので、かなりセーブして社会人生活を送ってきました。私にとって第二の君が代ともいえる「六甲おろし」を熱唱し、風船を飛ばすとき。夜風をほほに感じながら、なんともいえない幸福感にひたることができるのです

神宮にいちばん通っていたころ、90年代の後半の阪神といえばまさに「暗黒時代」。打てない。ピッチャーが頑張っても、スターティングメンバーの打率はほぼ全員2割台だから、点が取れない。先行しても逆転される(だから9回裏まで目が離せない)。あまりにも勝てなくて、見ていて絶望的になるような試合展開。でも我々ファンは明るかった。「明日はがんばりや~」とあたたかい声援を送ったり、ごくごくたまに勝つと勝利の喜びは格別。勝つことがこれほど素晴らしいということをいつも教えてくれた。いまみたいに「阪神は強いから好き」なんていうファンもいなかったので、文句を言いながらも決して見捨てることなく「明日(来年)がある」と前向きで、何より愛があって・・・あのころの阪神は私に「無条件の愛」を教えてくれました。

ある球団を好きになるのにはいろいろ理由はありましょうが、「強いから」とか「好きな選手がいるから」という理由だと、弱くなったら見向きもしないとか好きな選手が他へ行ったり引退したりしたら見なくなるとか、好きになった「理由」がなくなったら、心が離れやすいですね。しかし愛するとは、何があっても心底好きだと言えることではないでしょうか。強くても弱くても、いい時代も不遇の時代も、ベンチがアホでも選手がやる気がなくてもフロントがいつもお家騒動でも外人がすぐ帰っても、忍耐強く応援する。勝ち負けなんて関係ない!ただこの球団が、選手たちが愛しくてたまらないのだ!!という自分の思いだけ。自分でも不思議なのですが、何があっても阪神が好きだ!!!というこの強い思いはどこからくるのだろうと思うほどです。別に私がどれほど阪神を愛そうとも、阪神タイガースにとっては何の関係もないのでしょうけど、だけど「今日は勝ちますように」とか「いやいや、勝利を願うなんて高望みすぎる。いい試合が見れますように」などという小さいけど純粋な祈りや、「負けたけど、ピッチャーはよお投げたなあ」とか「あのヒットはよかったわ」とか、いかに絶望的な状況でもよかったことを見つけて感謝するなど、非常に私の人生観に色濃く影響を与えている存在が阪神タイガースなのであります。

とはいえここ数年強かったとき、最後まで恐ろしくてその快進撃が信じられないというトラウマみたいなのはあります。不遇の時代が当たり前すぎて、いきなりのこの幸せをなかなか信じられないというか。こんなにうまくいってどうしよう、あとから何かあるんじゃないかみたいな疑り深さは、暗黒時代の影響でしょう。だけど暗くても楽しかったな。金曜日の夜、トラキチたちと帰り道、あまりに打てない試合展開に

「なんか暗黒時代に戻ったみたいでしたね」
「でもあの頃はあの頃で楽しかったな~」
「そうそう、そもそも負けて悔しがるなんてあの頃を思えばぜいたくだよ」
「まあ、明日は勝つと信じましょう」

などと語り合いながら、同じくらいトラを愛する同志がいることが嬉しく、やっぱり今日も負けたけど楽しかったなとにこにこしながら帰ったのでした

パウロさまの「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」という愛についての言葉。対象が人間になると難しいと思うのに、阪神のことになると「まさにそのとおり」と思えるのが不思議。だけどすべての人に対してそこまでできなくても、愛する人にはできるはず。何をしてくれたからとか、やさしいからとか、あるいは「こういうところを直してくれれば好き」とか、「こういう面を見て嫌いになった」とかいう「条件付き」ではなく、いい面も悪い面も、欠点もふくめて、ただその人の存在がうれしくて愛しい。阪神に対して持つような無条件の愛を、そのことばどおりに、愛する人に対して持ち続けたいと思うのでした。

神宮3タテ食らっても、たとえ今シーズン何位でも、愛は変わらず。今もこれまでもこれからも、ずっとこの気持ちは変わらない。そう言い切れる強さは、暗黒時代を経ないと持てなかった。だからどんなときも変わらず愛することができる。なんというか、まさに「リンダリンダ」なんですね→♪愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない 決して負けない強い力を僕はひとつだけ持つ♪


価値観のあぶり出し

2009-05-11 19:02:14 | Weblog


東京は先週、雨が降り続きました。結構しっかりとした雨で、なんとなく元気もでなかったわたし

とはいえ雨は浄化の雨。なんとなくユウウツになったり、心の奥に溜まっていたドロンとした感情なんかを、洗い流してくれるんだ~と思うことにしています

とはいえ、「なんかイヤだな」と思う感情と向き合うのは結構しんどいものです今回は、ホントは内心ムチャクチャイヤだと思っていたのに、その感情を見て見ぬふりをしてごまかしてきたけど、だけど失礼な言動の数々や、何事につけ押しつけがましい点など、「あーもうめっちゃめちゃイヤ!!!」と叫びたくなるほどいろいろ思いだし・・・心の澱みやら膿(ホントは傷ついてたのにほおっておいたからね。ごめんねマイハート)やらが、ぐぐっと押し出てきてもやもやしていたのですが、だけど「なんでそういうことを言われたら/されたらイヤなのか」ということを突き詰めて考えていくと、そこで自分の価値観があぶり出されてきます。私だったらそんなことはしないとか、恥ずかしくてそんなこととても言えない等々あるわけですが、それはなぜだろう?と考えると、それが自分の価値観なんだと気づいて。

「自分の価値観」とはいえ、それはとっても「母の教え」なんかの影響も入っていたりして(そういえば昨日は母の日でした)。「人間はみんな平等、草木動物もみな一緒」という母のことばは、気がつくとすごく自分の価値観のベースになっている。だから私は「肩書き」や出自、地位名声なんかで人を見る目を変える人が大嫌いだし、人に接するときはその人がいい人なのかおもしろい人なのか、そこが重要なのであって、社会的地位や生まれ育ちなんかには関心がない。目の前にいる人が人として好ましいのかどうか。たとえ内閣総理大臣や社長でも、そのへんのオッサンやまわりにいる人たちであっても、判断基準は同じ。威張る人、自分より立場が弱い人に辛く当ったりあからさまに見下した態度をとる人、自己顕示欲(あるいは虚栄心)が強い人、自分をよく見せるために他人を平気で利用する人。人の悪口や批判ばっかりの人。弱い者いじめをする人。人のことをあれこれ詮索したり、人の心に土足でズカズカと入ってくる人。あからさまに顔には出さなくても(出てるんですが)、内心ゲーと思うようなのはこういう人たちかな。

こうやって列挙していくと、逆に好ましいなと思う人像も浮かび上がってくる。どういう人かというと、誰に対してもにこにこと朗らかな人。いつも相手の気持ちや立場を考え、思いやりとやさしさを忘れない人。仲良くなっても程よい距離感をキープしてくれる人。自分が好きなことや熱中していることを熱く語る人。男気のある人。ユーモアのある人・・・私の友達、大好きな人たちを思い浮かべながら挙げていきましたが、私の好きな人はみんなこういう美点を持っている人たちです。なんて素敵な人たちなんだろう

もちろん自分自身欠点もたくさんあるし、完璧ではないけど、自分が好きな人たちのような心の美しさを身につけたい。傷ついたり、イヤな思いをして、ついつい厭世的になったり人間嫌いになりそうなときも、人のやさしさやあたたかさを思い出させてくれて、人間っていいなと思わせてくれる、私の大好きな人たちすべてに感謝

それにイヤな人がいるからいい人の素晴らしさ、大切さに気付くという側面もあるんですよね。「イヤ」という心の反応をスルーせず、いい悪いじゃないのだからきちんと向き合って価値観のあぶり出しの洗礼を受けることで、確固とした自分の考え方を築いていくのかもしれません。だから雨の日も必要なのですね。人生なにひとつ無駄なことなし、ですね



ピンクパンサー2

2009-05-05 23:10:32 | Weblog


GWは各地で大渋滞・大混雑のようですが、5連休は東京でのんびりゆったりすごしております

前作に続き、楽しみにしていた「ピンクパンサー2」を観てきました。ところが!!4月11日公開からわずか3週間で、渋谷・有楽町・池袋などで夜のみの上映に。前作を見に行ったときもガラガラでしたが、GW中なのに、有楽町の映画館はやっぱりガラガラ。日本人にはあんまりウケないんでしょうか。しかしゆったりと、そして思いっきり爆笑できてよかったですけど

実は私は有名なテーマソング以外オリジナル版を知らないのですが(あのピンクパンサーのキャラクターが出てくるのかと思っていたほど)、この「ピンクパンサー」シリーズはリメイク版。クルーゾー警部役のスティーブ・マーティンはやはり天才的におもしろく、ドリフ的なドタバタコミカルな動き、大まじめな顔でのおとぼけな言動の数々に、涙が出るほど笑わせてくれます。怪しげなフレンチふう英語も磨きがかかり、字幕がないとさっぱりわからない。共演陣も豪華。前回から引き続き同僚ポントンにジャン・レノ、そして上司役には、前回はケビン・クラインでしたが今回はジョン・クリース。「モンティ・パイソン」の人らしいのですが、私は「ワンダとダイヤと優しい奴ら」のおもしろいオッサンというイメージ(この映画、ドタバタコメディなのですが、なんだか大好きなのです。ワハハと笑うより、クククと笑う感じというか)。さらにクルーゾー警部があまりにも「政治的に正しくない」発言(人種/民族差別、女性蔑視等々)を繰り返すため、プレス対応の教官役にリリー・トムリン。スティーブ・マーティンとのかけあいは最高でした!それから事件解決のために集められた国際ドリームチームに、イタリア代表にはアンディ・ガルシア。ラテン男の魅力たっぷり!個人的にはクルーゾー警部の秘書ニコル役のエミリー・モーティマーがチャーミングで大好きです。今回も、服装もかわいらしく、愛すべきわれらがクルーゾー警部を健気に慕うかわいらしさ満載でした

私はスティーブ・マーティンが大好きなので、主演映画はかなり見倒したのですが、このピンクパンサーシリーズと、「花嫁のパパ」(これもリメイク)、そして「愛しのロクサーヌ」が好きです。特に「ロクサーヌ」は生涯ベストに入るほど大好きなのですが、これまた先日、駅や電車で宣伝していた「シラノ・ド・ベルジュラック」のリメイクと知り、あの鼻の大きな!!と、合点がいったのでした。スティーブ・マーティン版の「シラノ」は本当にチャーミングな主人公で、強くて優しくてすぐれたユーモアのセンスを持つ(まさに私のタイプ)消防士。「びっくりするほど鼻が大きい男に出会ったときに失礼にあたらないようなリアクション20」から、ロマンティックなラブレターまで、「言葉」が練りに練られていて素晴らしい。最後にロクサーヌが「I love your nose!!」と叫ぶのですが、人は外見ではなく心ということを、上質のユーモアで届けてくれます。

今回のピンクパンサー2ともちょっと通じるものがあるのが、人は権威や役職とか、外見とか、そういうのではなくて、やっぱり心が大事ということ。。「星の王子様」じゃないですが、「大切なものは目に見えない」ということをいつも思います。クルーゾー警部は、客観的にみればかなりアホで、いつも騒動を巻き起こしたりするわけですが、自分の名声よりも祖国フランスのために仕事をしているので、心が曇っていないから直感的に事件を解決できるというか。そういうところがいいですね。もうすぐ「天使と悪魔」が公開されるようですが、バチカンの権威をある意味皮肉ったといえるクルーゾー警部の天然ボケは、大笑いさせてくれたので教皇さまも怒らない・・・のではないでしょうか。指輪を盗まれた教皇に、自作自演を疑い「アメと鞭作戦」を行うシーンも笑えますが、夜空に浮かぶ月の美しさに主の偉大さをみて感謝を捧げる、というローマ教皇に向かって、クルーゾー警部が"you are a spiritual person"と言うのは爆笑でした。これを「あなたはなかなか宗教に理解が深いようだ」と訳してあったのは(記憶では)、テストなら×をつけたいけど、このシチュエーション(ローマ教皇がカトリックの大ボスということ、生涯独身であることも知らないフランス人警部)なら、なかなかいい訳といえるかもしれません。ちなみに私はサウスパークの大ファンでもあるので、こういう権威や権力者を茶化したりするのは大好きです。まじめな人は不快になったり、怒るんでしょうけれども。

ともあれこういう楽しい映画の入りが少ないというのは、人ごみが苦手な私にとってはすいてる映画館というのはかなり嬉しいですが、もっと日本人も見ればいいのになあと残念な気もします。スティーブ・マーティンはちょっとエキセントリックだけど愛すべきキャラを演じると世界一ですね。トム・ハンクスも上品でユーモアのセンスがあって大好きな俳優なのですが、ああいうエキセントリックさはないもんなあ(前回の記事を踏まえると、それがあるからスティーブ・マーティンなのであり、それがないからトム・ハンクスなのであり、どちらもすごく好きなんだけど、スティーブ・マーティンの方が「偏愛」してしまうタイプなのでしょう)。でもどちらも人として私がとても大切にしたいと思う(正直さ、善良さ、ユーモア)を、作品のなかで素晴らしい形で表現している、大好きな俳優なのです。

ともあれこの世で最も大事なのは愛と笑い。人生ピンクパンサーで楽しくいこうと思ったのでした



人の魅力

2009-05-01 17:45:26 | Weblog


いいお天気が続いて、気持ちいいですね
GWの谷間で少しゆったり・・・と思っていたら、電車の混み具合はいつもと変わらず「カレンダー通りか~」なんてぶつぶつ言っていた自分を反省。

さてさて「人の魅力」シリーズ。
おおまかに言って、人は誰もいいところも悪いところもあります。この「いいところ/悪いところ(欠点)」も言い方には注意が必要で、Aさんからみると好ましかったり許容範囲でも、Bさんにとってはびっくりするようなことであったり許せなかったりするわけで、絶対的な基準ではありません。だから「好ましい/好ましくない」という、極めて主観的な人それぞれの判断基準によって、人の好き嫌いというのは発生するのだと思います。食べ物も同じことで、何をおいしい/おいしくないと感じるかは人それぞれ。従って、誰かや何かを好きであったり嫌いであったりすることは個人の好みの問題であり、人であっても食べ物であっても、個人の好き嫌いはそれぞれなので、私はそれに立ち入るのも、立ち入られるのも好きではありません。ただ、「これが好きなんですよ」と、情熱的に自分の好きな人やものについて語るのは大変好ましいと思います

このあいだ「愛すべき人」について考察してみましたが(こちら)、人の魅力というのはホントに不思議で、総合的にみてプラスかマイナスかで、「好き」の度合になるのかなと思うのです。たとえば、私の上司なんかはもうホントに文句のつけようのない人格者でまじめなバランスのとれた方なのですが、唯一物足りないところがあるとすれば、「あんまり面白くない」ということ。しかしこれは、「穏やかでまじめ」という誰もが認める美点と共存できにくい点なわけであって、総合的にみれば、ほんとにいい人だなあと思うし、もちろん好きなのですが、なんというかこう、「好き」の入れ込み具合がもうひとつというか。好ましい人であることには違いないんだけど、好きで好きでたまらないという、心をとらえて離さない人ではないのです。でも本当に忍耐強さと穏やかさと知性をあわせ持ち、素晴らしい方なので、すごく尊敬していることには変わりありません。

一方、いいところもあるんだけど、どうしても好きになれないという人もいて、全否定するのは嫌だし、たまにはいいことも言うんだけどね・・・だけどやっぱり好きになれないという場合。これはやはり、トータルで欠点(私から見てですが)のインパクトが強すぎて、いい面を台無しにしてしまうのでしょう。「いいところもあるから」と我慢していても、やっぱりだめだ!!と思ってしまうような人に会うと、自分が狭量だからではないのか、人を受け入れられないのはよくないんじゃないか等々、以前はもう少し深刻に考えていたのですが、最近は「ま、人の好き嫌いにいい悪いはないから」というふうに思うようになりました。誰でも好きな人嫌いな人はいるし、そのこと自体にいい悪いはないんだと。好みの問題、相性の問題ですから、合う合わないがあって当然。できればすべての人と平和に暮らせる「人格円満な人」になりたいな、なんて思ったりもしましたが、最近「あんまり人間丸くなりすぎてもおもしろくない」と思うようにもなりました。

というのは、「好ましいところ」と「欠点」は裏表というか、紙一重だったりするからです。好ましいところが欠点をカバーする(この場合は美点と欠点は別の性質ですね。「ちょっと抜けてるとこもあるけどやさしい」とか)、というのでもなく、欠点があるがゆえに好ましい、という場合もあるわけです。たとえば、しゃべると漫談、みたいに面白い人は、そのサービス精神のゆえ表現が過剰になってしまったりして、人によっては「暴言を吐いている」ととられてしまうことがあります。あるいは、いつもえらそうで上から目線なんだけど、だけどどこかプッと笑えるところや人情があったり、愛すべき「いばりキャラ」として確立されてしまうような人。そうすると、この場合欠点を直してしまったりすると、その人の良さが失われてしまうということになり、魅力が半減してしまいます。人を傷つけないようにと表現をまるくすれば「面白くなくなった」となり、急に謙虚になったら「何かあったんか」と拍子ぬけしてしまったり。「口が悪いけど面白い」みたいな人は、美点と欠点ミックス型というか、それを取ったらその人らしさがなくなってしまう魅力があるんですね。抜けてるのはおおらかであるとも言えるし、ひっくり返せば詰めが甘いともなる。それぞれの性質、たとえばのんびりした人と一緒にいて心安らぐ人もいるでしょうし、逆にイライラしてしまう人もいるでしょう。本当に、見る人によって人の評価というものは全然違う。だから人間は面白くもあり、ある種の人々から嫌われたとしても、他の人たちからはとても愛されるという同時並行的なことも起こるのでしょう。

私にとって、「好きで好きでたまらない、心とらえて離さない」という人に共通するのは、やはり「面白い」という点に集約できるのかな。もちろん、多少口が悪くても人に対する愛情、人情もあわせもってるからこそ、たまらない魅力になるのですけどね


このシリーズ、不定期に続きます!