コーヒーを飲みながらウトウトしてしまうほどの、うららかな午後
ぽかぽかと差し込む日差しのなか、ソファに沈み込むようにうたたね・・・「しあわせがじんわり」なひとときです
ミトンのお話の続き。(陽だまりで、美人のバラさんと写真にとってUPしました
)
実は書きながら、幼少時代を思い出して、なんだか涙ぐんでしまいました。「幸せな子ども時代」と書きましたが、小さい頃のわたしの写真は、どれもこれも本当に天真爛漫ないい笑顔で、本来の自分はこんなに清らかだったのにな・・・と思うと、なんだか涙が止まらなくなるのです。幼稚園に入るまでは、母の愛情に包まれて、なんの心配もせずにのんきに過ごしていた。純真で、疑いを知らないようなその表情は、大人になった自分から見ると、もうこんなふうには笑えないなあという哀しみに襲われるのです。
わたしは妹がいますが、小学校1年生のときに生れたので、もともとひとりっ子気質。加えて超・早生まれだったので、幼稚園にあがってまわりについていけず、6月頃に高熱を出し即入院。いま思えば、小さいなりに環境の変化にパニックだったのでしょう。まわりのお友達は兄弟姉妹がいて、小さい頃から「世慣れ」というか、もまれながら育ってきているのに、ひとりっ子のうえ4歳になったばかりで反応も遅く、どう対応していいかわからない。とにかく、ものすごく幼稚園がイヤだったような気がします。それに、わたしは周りの子とは違う服を着せられているのにも初めて気付きました。母はオシャレな人だったし、「自分は自分、人は人。人のことを気にすることない」という主義なので、子どもらしいとかいう基準で服を選ぶのではなく、幼稚園のときはモスグリーンのコートを与えられ、小学校では、みんな白いソックスなのにひとりだけ鮮やかなマルーンのカラータイツを学校にはいて行ってからかわれたりと、周囲との「ズレ」に戸惑い、「みんなと違うからイヤ」という理由は、まったく理解してもらえませんでした。いま思えばすごく深い緑が素敵なコートだし、カラータイツも今なら喜んで履きたいかわいい色でしたが、要するに「大人から見れば素敵」な服を着せられていたというか。ピンクや赤が着たいと何度泣いたことか・・・
まあ、多少の抵抗はしましたが、「みんなが着てるから」という観点優先ではなく、自分が好きなもの、着心地のいい良質なものを着るという姿勢は、母から学んだような気がします。ただ、いまでも甘めな服が好きなのは、ある意味反動かもしれません。だけどあのお気に入りのミトンをはじめ、小さい頃の写真の中のわたしの服装をみると、母のセンスの良さが発揮されているのもよくわかります(現在の母は、犬がいることを理由に、楽でラフな服装に流されておりますが)。
話はそれましたが、この「どうもまわりとうまくなじめない」というのは、大人になった今でもあんまり変わりません。わたしが子どもの笑顔をなくしていったのは、母の愛に包まれ、イジワルや人の悪意などと無縁の環境から、「現世」に送り込まれたときからなのでしょう。学校では、イジワルな子もいたし、悪意はないんだけど子どもならではの無邪気さに傷つくことはたくさんありました(大人になってからも、「悪気はないのに人を傷つけているが、本人はそれに気づいていない」という悪質なケースは多々ありますが)。昨日も、ああ、やっぱり悪意を持たれているんだなあ・・・と、「現代の大奥」的職場で、ちょっと気持ちが沈むことがありました。「あの人はこういう人だから気をつけた方がいいわよ」的なことを、きっとこの人は吹き込まれているんだろうな、というのをちょっとしたことから感じ取ってしまったので。具体的に裏を取ったことではなく、あくまで直感ベースですが、実際そういう「囲い込み」のようなことをする先輩なので、そういうことを言っていても少しも不思議はないし、むしろ言っていない方がおかしいほど。こういうことがあると、いろいろ過去に受けたベットリ貼り付いてくるような悪意の数々が思い出され、しばし気分が悪くなりました。
その先輩がわたしを嫌っているという事実が問題なのではなく、自分がその人のことを嫌いだからと言って、なんで関係ない人の行動までコントロールしようとするのかなあというところに、イヤなものを感じるのです。小学生的な言い方だと「私はあの子が好きじゃないから、あの子としゃべっちゃだめ」「あの子と仲良くするなら、あなたはとは口をきかない」と仲間外れにするような感じかな。大人になっても、「あの人と付き合うなら、あなたには情報を教えない」とか、そういうある意味何かを人質に取りながら、自分への忠誠を要求する。まったく理解できませんが、そういう人がいるというのは現実なので、できるだけそうした人々については「見ざる・聞かざる・言わざる」の日光のサル3原則で、適切な距離感を取るのが外交方針なのですが、こういうふうに、わざわざそういう「悪意のホームグラウンド(イジワルな人たちが集まり、悪意に満ちたゲームをやっている)」から離れたところにいるのに、変化球がフェンス越しに飛んできて当たった、みたいなことがたまにあると、やっぱりちょっとはいやな思いはします。
世の中から、悪意やイジワルや嫉妬がなくなればいいなあとは思うし、「神様が人間を愛しているなら、なんでこんなに悪いことがたくさん起こるんだ」という人もいます。だけど、悪意やイジワルにつらい悲しい思いをしたからこそ、人のやさしさや思いやりが身にしみるというのも事実。いい人ばかりに囲まれていると、それが普通だと思って感謝しなくなるかもしれないし、だから神様は艱難辛苦もご用意されているのかな、と思います。自分だって完璧じゃないということも思い知るし、特に何をしたわけでもないのに自分の存在自体を気に食わない人がいるというのは、とても悲しいけどそういう目に遭わなければそういう人がいるということも知らなかったし、「我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈ったという山中鹿之助まではいかなくても、艱難辛苦を通して学ぶことは、忍耐の美しさと、悪意やイジワルとは真逆の、愛と思いやりもこの世には存在するという素晴らしさなのかなと思います。
それに、乗り越えられない試練を神様はお与えにならなくて、必ず逃げ道や助けも用意してしてくださっているということも実感しています。神様はとてもやさしくて、こんなわたしに甘すぎやしませんか、と思ったりもしますが、だけどやっぱりあんまりきびしくしないでくださいとも思うのでした
そんなことをつらつらと考えていたら、別の先輩(やさしい)がやってきて、こんな話をしてくれました→『火宅の人』の著者、檀和雄の遺言が「おまえたちにたくさん苦難があるように」だったことを、娘である檀ふみは長らく理解できなかったけど、だけど今になってみるとわかる気がするという心境になってきたと言ってたけど、わかる気がする。艱難辛苦もないと、感謝もできないものね、と。タイムリーなお導きでした
ちっちゃいミトンが似合う頃と同じ笑顔はもうできなくても、悲しいことや苦しいこと、つらいことがあったけど、おかげで多少人情がわかるような大人になれた(まだ進行中!)ことは、何も大事なものを失ったということではなくて、あの頃の清らかな心はまだわたしの中にはしっかりのこされいて、無知からくる「無邪気」ではない、いろいろな人の思いがあることを知ったうえで凛として微笑む強さを身につけたのだと思います。清らかなところで清らかでいられるのは当然かもしれないけど、清濁両面あるところでも清らかさを保つために、神様は実にさまざまな(それらは本当に気の利いた、心にくい演出に満ちている)イベントを用意され、ドラクエ的にいえばいろいろな戦いを通して、われわれはレベルアップしていくのだと思うのです。最近は「フバーハ」を覚えたので、このレベルアップはかなり戦いを楽にしてくれたように思います。心強いやさしい仲間も、休息できる町や宿屋も増えていますし
あの小さい頃お気に入りだった、薄いピンクに飛行機の絵のミトンも、大好きだった白い毛糸の帽子も、きっと母は大切にしまってくれているはず。年末年始に帰省したときに、探してみようかな。きっと、ミトンの小ささに、びっくりするだろうなあ&自分も「もみじの手」時代があったことを思い出せていいかも!