かくれて咲く花

~凛として~

変化を楽しむ♪

2011-02-23 14:55:05 | Weblog


通っていたスポーツクラブが、3月いっぱいで閉館することになった。
四半世紀通っておられるという会員さんもいるので、まじめに通ったのはここ3年くらいの私なんてアタラシイ方だけど、やはり慣れ親しんだ場所がなくなるのは寂しい。ようやく顔見知りもできて、レッスンのときにお話したりできる人も増えてきたのになあ。でもそれはそれで仕方ない。環境の変化を嘆くよりも、変わっていく環境に柔軟にあわせて、そして楽しまないと。

根が保守的なんだと思うけど、いちど確立して、しかも快適であったライフスタイルを変えるのは、私にとってかなり勇気がいることだ。はっきり言って、怖いと感じるほど。先日の「断捨離」もそうだけど、自分からは積極的に変えようとしない私を神様はよくご覧になっていて、自分から変えないならばと、こんなふうに「変化」を強制、というかご用意してくださる。

これまで通っていたところは近所にあったので、すぐ行ける距離だったし、スケジュールも私が楽しんでいたクラスがちょうどうまい具合に配置されていた。一生懸命通っていたときはそれを当たり前のことだと思ってたけど、4月から他のところを探さなきゃいけないというのでいろいろ調べていたら、なかなか思うようなスケジュールや施設を持っている場所が見当たらなくて、これまで当然だと思っていたことが、実はすごくありがたい、恵まれていたことなんだなと思った。

環境って、変わらないと気が付かないという面がある。たかがスポーツクラブなんて趣味の話じゃないかとはいえ、真剣に通っている身にとっては重大な変化。いまのところはなくなっても運動は続けたいから、最寄駅ではないけどできるだけ近いところにしようかなと思っている。がんばれば歩けなくはないけど、夏は大変だから、自転車を買って通おうかなそうすれば、これまでより行動範囲も広がる。電車に乗らずに、足をのばせる距離がぐんとのびる。そうしよう、そしたら一石二鳥やし

閉館が正式に決まるまでは、どうなるんだろうと皆が噂しあっていて、新しいところを探さなきゃと気持ちも焦って落ち着かなかったけど、決まってしまえばそれを受けて自分がどうするかということ。また新しいところで、一部の熱心な人たちみたいに始終ハシゴしてまでとはいかなくても、時々渡り鳥のように、いろんなクラブをのぞいてみるのもいいかもしれない。これまでは毎週ガッチリ「ここは運動する時間」と決めてやってきたけど、これからは柔軟に、固定せずに、思い立ったときにちょうどいい場所へ行こう。そう考えると、この変化もまた楽しくなってくる

変化に対して不安なのは、この先がいまの延長線上にない、すなわち先が見えないから。だけど、「これまでと同じ」ようにいくことなど、実はこの世にはなにひとつない。変化は必ず訪れるもの。これからどうなるのかと、先のことをあれこれ不安に思うのではなく、これから面白いことを日々たくさん見つけていけばいい。変わりゆくもののなかで、大切なものはしっかりと護りながら、しなやかに軽やかに流れにのって。これまでとは違うライフスタイルを楽しんで、ちいさな幸せや喜びで毎日を満たしていこう。

そもそも自由人の私には、そのスタイルの方があっている

低空飛行

2011-02-16 22:51:37 | Weblog


先週からどうも調子が上がらず、低空飛行中
何より寒さで身体が冷えて、気持ちが上がらない・・・体調は持ち直してきたものの、なかなか元気が出ない毎日

とはいえ、先日の雪から、気持ちも上向きに
「雪化粧」とはよく言ったもので、街が静かに白く染まっていくのを見て、澱のように蓄積されていた精神的な疲れまで白く包んでくれて、雪の翌朝の日差しの清らかさ、さわやかさまぶしさは格別
季節は確実に、春に向かっているのですね

不調の原因を辿ると、気候などの外的要因に加え、あまり気がすすまなかった会合に「義理で」出席してしまったのが大きかった。そう、この「浮世の義理」。会合に行く前も、行ってからも、「ああ、なんで断らなかったんだろう」という思いに襲われながら表面上はにこやかに通さなければいけないむなしさ。世の中の人は、こういう場でもっと上手に振る舞えるんだろうけど、私は最近ますます、この手のわけのわからない集まりに行くのが苦手になった。幹事は仕事上の知り合いだけど、ほかの知らない人と名刺交換をしなければならない。無理やり話題を探さなければいけない。関心のない話を聞かなければいけない。気の合う人がいない中、「なんで私、こんなとこにいるんだろう・・・」とどんどん心が曇っていくけど、表に出すわけにいかない。そして帰りは気が抜けてどっと疲れる・・・というパターン。こうなることが確実に予測できる会合は、数年前から原則断っているのだけど、今回はちょっと義理を優先させてしまった。あのとき頼みごとなんかするんじゃなかった、そしたら断るのに罪悪感がなかったのにと悔みつつ、その前から疲れがたまっていたこともあり、この「気疲れ」は普段以上に負担になったようだ。

「いい状態をキープする」というのは、なかなか大変なことなのだというのも、低空飛行の状態のときに改めて実感する。
いい状態のときはフフンと鼻歌交じりに余裕でかわせることも、心身ともに疲れがたまってくると「すばやさ」と「ぼうぎょ」の数値が落ち、「つうこんのいちげき」になってしまう。ドラクエでいう「ボミオス」と「ルカナン」のダブルパンチを食らった状況って、まさにこんな感じなんだろうな。通常の動きより鈍くなり、いつもなら楽にかわせたり盾でひょいと受けられる攻撃をよけきれない。なんだか力が入らず、自分だけ水の中でもがいているような感じで。こんなときは戦闘は回避し、宿屋で休息しないと、画面が赤になってしまう。

こういうときこそ、日常を大切に丁寧に過ごそうと心掛ける。そうすると、ちいさな幸せもたくさんあって。
あたたかいお布団で眠れる幸せ。淹れたての熱い珈琲が美味しかったり、最近研究を重ねていたドライカレーがついに納得のいく味に仕上がったり。熱々のバナナのキャラメル煮にハニーミルクをのせてみたり。幸せって、「なる」ものじゃなくて「感じる」ものなんだなと実感する。

そんなわけで近頃の低空飛行も、そういう時期も必要なのだと思って過ごしている。
いい状態を当たり前だと思わずに、やはり日々の努力が必要なこと、自分が調子が悪い時は何が原因でどんなケアが必要かを知り、あわただしいときに気が付かない日常のちいさな幸せを再確認する、ゆっくりとした時間。これも天からの「ごほうび」。
一度「落ちて」も、必ずまた「上がる」ことがわかっているから、低空飛行の時期もまたありがたい。低く飛んでいるときにしか気付かない風景があるし

そうしているうちに季節はめぐり、寒い冬のあとはかならず春がやってくるから


本棚と旅行かばん

2011-02-08 21:00:45 | Weblog


“断捨離”第二弾、絶賛断行中

整理しなきゃしなきゃと思いつつ先延ばしにしていた、本棚に入りきらない本を100冊ほど処分。
それでもまだあふれてしまうほどある。整理しているそばから、アマゾンから注文の品が届いてまた増えていくし何度も読み返したい宝物の本もいっぱいあって、1秒で「もう要らない」と判断したもの以外は、結局そばに置いてしまった。小さい頃から、本を大切にするようにと厳しくいわれ、踏むなんてもってのほか、畳のうえに置いてある本をまたいで通っただけで怒られた。「ものは大切に」という基本のうえに、本はたくさん知識が詰まったものなので敬意をもって扱わないといけないとかなんとかいう理由だったように思う。ドラえもんなんか読みこんでボロボロになっているけど、いまも古本屋さんが感心してくれるほど、本はきれいに読む方だ。昨今は専らお風呂で半身浴をしながら読むことが多いので、ちょっと湿気でヨタっとなってしまうのが悲しいのだけど。

そんなふうに言われてきたものだから、アメリカ人が本を梯子代わりに使って踏みつけて棚の上の本に手を伸ばしたり、椅子代わりに積み上げて座っているなどという姿には、かなりショックだった。ああ、あんなふうに本の上に乗るなんて・・・と、思わず目をそむけてしまう。「本は神聖なものである」という自分の感覚と、単なる「モノ」として扱われているギャップのいたたまれなさで。小さい頃、『ドラえもん』を買ってもらったとき、『りぼん』や『なかよし』さらには『ジャンプ』の発売日に、うれしさのあまり大切に胸に抱えて走って帰ったことを思い出しても、好きな本を手に入れたときの胸弾むときめきはいまも変わりはない。アマゾンでの注文も確かに便利だけど、探していた本を偶然見つけたときの嬉しさや、たまたま目に留まった本との思いがけない出会いがあるのは、やはり本屋さんだ。フラリと入っては、つい買ってしまう。整理しながら、同じ本を買ってあったのが3冊発覚したうち2冊は、ハードカバーと文庫を購入していた。これはまあ、表紙が違うから忘れてしまったのも仕方ない(内容は同じなのだけど)。もう1冊は、買っておいたことをすっかり忘れて、同じ文庫をまた買ってしまっていた。家のなかにどの本があるかわからない、というまで「持つ」のはもうやめようと改めて決意しつつ、友人に読んでもらうことにした。もったいないし、「ありすぎ」はやっぱりよくないですね。

あっ、もうひとつあった。『赤毛のアン』。もうかなりボロボロになった原書(映画で主演したミーガン・フォローズが表紙のもの)に加えて、やっぱり文庫が2冊(もちろん両方、村岡花子訳)。1冊は文字が大きくなった版なので、母にあげようかな。パラパラとめくるだけでも、なんともいえないなつかしいような気持ちになり、じわ~と涙が出る場面にあふれている。男の子と違うからいらないというマリラをマシュウが説得するため、「あの子がわしらの役に立たなくても、わしらがあの子の役に立てるかもしれんよ」とか。ミニー・メイが高熱を出してパニックになっているダイアナに、さっと外套と帽子を持って外出するマシュウ、「マシュウはカーモディにお医者さんを迎えに行ったんだわ。叔父さんとは腹心だから、何も言わなくてもわかるの」というアンとか。アンのいきいきとした、みずみずしい感性が、マリラとマシュウにどれほどの光と喜び(と大騒ぎ)をもたらしたことか。あの美しいプリンス・エドワード島の自然への憧れはいまもあるし、アイスクリームが特別なのも、アンのおかげ。孤児となり人生の辛さと孤独を味わっていた小さなアンが、マリラに淡々と身の上を語る場面などは、大人になってからの方がぐっと胸に迫るものがある。その話を聞いてマリラの胸のうちに湧きあがった慈しみの心や、アンが日に日に愛しくなる一方で、あまりにアンを愛するのは神をないがしろにしていることではないかと恐れたり、「子どもは甘やかしちゃいけない」と思っているのでつい小言を優先してしまいつつ、アンの話に内心笑いをこらえるのに苦労したとか。何回読んでも、また新たな発見があったり、深く味わえるようになったりする本は、宝物の本。

また確実に増えていく本は、「買った分だけ、スペースをつくる」を基本に、減らしながら増やして(?)いかなきゃ。“断捨離”に慣れてくると、整理するのに迷いがなくなるけど、まだこんなにたくさんものがあったのかと思うと、ちょっとゲンナリしてしまうほど


「ものなんて、心配と荷物をふやすだけ。第一に、気が重くなるでしょ。それに、旅行かばん。持ち歩くのは、まっぴら!」


ホント、ミイの言うとおり。
人生の達人・スナフキンのこのことばどおりに暮らせたら、いちばんいいな


「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆるめんどうが、ふりかかってくるものさ。運んだり番をしたり……。ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。そのほうが、かばんを、うんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねえ……」


このことばには、写真をパシャパシャと撮ることに気を取られていると、大切なことを見落としてしまうことを思い出させてくれる。カメラになんでも納めようとするよりも、じっくりその景色を味わって、自分の目に、記憶に刻み込むことが本当に「そこにいた」「それを見た」ということなんだなと思う。いちいちどこにしまったか思い出しながら写真を探すよりも、自分の記憶の引き出しからならいつでもどこでもスッと取り出せるし、自分だけがその心に強く焼きつけられた一瞬を繰り返し味わうことができる。しかも誰にも見られずに。心のアルバムもまた、誰も荒らすことのできない、神聖な場所


春に向かって☆

2011-02-02 21:14:28 | Weblog


2月に入り、いよいよおひさまの光もさわやかにまぶしく、着実に季節は春に向かっているという感じですね
まだ目には見えないけど、植物も土のなかで、「さあもうすぐ芽を出すぞ~」とストレッチをはじめたという感じでしょうか。ムーミンママが植えたチューリップの球根たちも、春に向けてそろそろウォーミングアップをはじめていることでしょうスナフキンとの再会を楽しみに眠っているムーミンも、そろそろ目を覚ます頃ですよと、体内時計が調整をはじめている頃かもしれません

先週のパンプは、先生が「急病」のためお休み。どうされたのかと思っていたら、なんとインフルエンザだったと今週は復活しておられましたけど、まだちょっと辛そうで、でもご指導はいつもどおり丁寧で手を抜かないところがさすがプロ。今週はバックナンバーの曲で、肩はあの「サンダー」(→このキツさわかるよな、妹よ)、そして胸の曲は大好きな“Don't Cry For Me Algentina(Miami Mix)”。映画「エビータ」のマドンナは美しく、似合ってたなあと思いつつも、これがかなりキツいプログラム。むき~~~となりつつ、歯を食いしばってがんばりました

「Evita」はもともとはミュージカルで、音楽はアンドリュー・ロイド・ウェーバー。元歌のしっとりとしたのも好きだけど、私はこのMiami mixがすっごく好きです。映画も、評判はなぜかあまりよくなかったけど、エビータの波乱万丈の人生、美貌と野心と、そしてほんの少しの聖女性が必要なこの役をマドンナが素晴らしく演じ切ったと私は思う。成功するためには何でもするという迫力、ゴージャスでセクシーで、だけど少女の頃の純粋な思い(この貧困から抜け出したい)がずっと心の奥にあって。こちらのSpanglish mixの方では、マドンナのドレスの数々が見られます。上品であったり、セクシーだったり、高貴だったり、上昇志向や虚栄心などの「欲」までも、どれも多次元プリズムのように内側から光あふれるからこそ、どの衣装を着ても自分が映える“装飾”にできる(→「着られて」いない)。マドンナのきりっとした表情、目に宿る強い意志の力、知性の輝きにはいつも圧倒されます。

   Don't cry for me Algentina The truth is I never left you

何回聴いても心揺さぶられる、音楽の力。このとき、マドンナは実は妊娠していたのを隠してオーディションを受けて、「私にしかこの役はできない」と監督に猛烈にアピールしたとか。自信と実力あってこそですが、かっこよすぎる。人生、勝負するときは打ってでないといけないですね

このキッツイプログラムをこなした後、「ああ、この曲、パンプを始めた最初の頃だったなあ」と思いだして、あの頃から考えればびっくりするような負荷をかけてやっている自分に気付く。いまでもあまり腕の力はないけど、フィットネスクラブに勇気をだして入会して、最初の数年間はたまにしか行かない会員だったけど、あの頃のパンプの先生がやさしくて、腕(表側)のとき、いちばん軽い1キロの重りも付けられない(左右で1個ずつなので2キロになります)情けない私をみかねて、「女性の方はバーだけでもいいんですよ。それだけでも1キロありますからね」と励ましてくださり、あのときはバーだけでやって十分筋肉痛になるへなちょこぶりだった。それがいまや!!2.5キロ付けてできるまでになったのだから、継続は力なりと思います。筋トレは嘘付かないもん。さぼったらしんどいし、地道にやっていれば着実に身体が変わってくる。来し方を振り返るというか、がんばった自分をちょっとほめつつ、昔から苦手の腕立て伏せやジャンプキック(コンバット)など、まだまだできないことがたくさんあるので、ひとつひとつ改善していこうと思うのでありました

それで冒頭のはちみつくまさんの写真につながるわけですが・・・
なんだか急に「はちみつ!!!」と思い始めて、家と職場にひとつずつ買ってきました。はちみつ。
くまさんのかわいらしさにひかれて、写真のは自宅用に。職場用には、紅茶にあわせるためオレンジアカシアのを。なんで突然はちみつを欲したのかと思ったら、くまさん出身のSuebeehoneyを見ていたら(ああ、この北米大陸の雄大な自然がなつかしい)、はちみつは「抗酸化作用があり、筋肉の素早い回復に役立つ」とありました。もちろんFat FREE!!!身体が求めるものって、すごく理にかなっているものだから、よく聴いてあげなくちゃですね

いまはタートルが手放せないけど、薄着になる春に向けて、身体絞っていかなくちゃ。
ちなみにファイティングの先生は、年明けから「皆さんいまから夏に向けて、“くびれ”つくっていきましょう」と言っておられます