かくれて咲く花

~凛として~

2月、如月

2012-02-03 18:09:01 | Weblog



   梅の花 香(か)をかぐはしみ 遠けども 心もしのに 君をしぞ思う

                 <万葉集巻20・4500 市原王(いちはらのおおきみ)>


あっというまに、2月。如月。
この冬は本当に寒いなあと思うけど、年末の冬至で陰極まって陽になり、そして年が明けると、陽ざしの明るさのなかに春に向かってたしかに季節は動いていることを実感し、「ああ、いまは寒いけど、これから春がくるんだなあ」と私はうれしくなります。皆さまはいかがでしょうか。

「うめ」としては、1月中旬あたりから、「ああ、もうすぐ梅が咲く」と思うだけで心華やぎます。上の句は、梅の「香り」を詠んだ、当時としてはめずらしいものだとか。梅を愛した万葉人は「咲きかた」や「色」を愛でるのが主流で、その香り高さが意識されるようになるのは古今和歌集の時代になってから。むかしの人たちが古来より愛した梅の凛としたたたずまいはいまも変わらず私たちの心にも美しさを映し出しますが、梅の香りに、宴の主催者への思いを重ねたこの市原王が紡いだうたは、相当“あたらしい感性”だったのですね。梅の香に思いをいたすようになるまでの間、日本人にどんな意識の変容があったのかな・・・などと考えるのも楽しい。

その古今和歌集には、


   梅の花 にほひをうつす 袖のうへに 軒もる月の かげぞあらそふ


という藤原定家のうたがあり、情景が目に映るようで、そしてことばから梅が香り立ってくるようで。万葉の時代は率直に気持ちを詠んでいたけど、古今和歌集になると技巧に走るから本当の気持ちを詠んでいるのではなくなってくるんだよ、と以前教えてもらったことが、いますっと理解できた感じ。

ことしは太宰府天満宮の「飛梅」の開花が例年よりも遅れているそうですね。私の体調も完全回復とはいえないままで、相変わらず微熱が続いていることを先生に相談すると、熱さましを処方してくれて、37℃を越えたときは飲むことに。「去年の10月半ばからずっと熱があるので、このしんどさが普通になりつつあるのですが・・・やっぱり治しきれないのはつらいです」と、自分の免疫力のなさにしょんぼりしていると、「大丈夫。時期が来たらかならず下がりますから」と励ましてくれました。風邪を治しきるのは、あたたかくなった頃になるかもしれないけど、自然に咲く花と同じく、咲く時に咲くように、治るときに治る。自然に体力が回復するまで、ぼちぼちと、だけど気持ちはぽかぽかと陽気に過ごしていこうと思います。

昨今は自分の体調もこんななので、大好きで大事なひとたちの健康をより一層願うようになりました。元気でいてくれたらそれでいい。自分がそのひとに何かできることがあって、それで元気になってくれたら、もっとうれしい。たとえ何もできなくても、何も言えなくても、私の大事なひとたちが元気で幸せでありますように。

最近は、そんな感じです。