かくれて咲く花

~凛として~

曇りのち晴れ

2014-08-23 14:25:59 | Weblog

お盆明けもなんのその?東京は相変わらずきびしい暑さが続いています

でも今日はこれから雨が降るようで、いまにも泣き出しそうな空の色私の心も、あまり晴れない。

お盆明けに針に行くと、先生に休養明けで調子がいいと言われて喜んでいたのも束の間、また日々のあれやこれやの忙しさのなかで、いろいろショックなことが重なり、なんか夜も寝付けなかったりで、今週、心はずっと曇り模様だった

今朝は起きてすぐ、とにかくなにか作りたくなって、ブロッコリーを茹でたり、にんじんのサラダやアボカドとひよこ豆のディップを猛然と作っていた。簡単なものだけど、お料理していると心がものすごく安らぐ。いい集中感というのか、作っているときは日々常に頭のなかで巻き起こっている余計な雑念もいずこへという感じで、座禅を組んできたという人の話をこのあいだ聞いたけど、心を静める時間ということなら、私にとってはお料理や洗いものをしているときがいちばんの気分転換で、心がスーッと軽くなっていくさっきまで単なる個別の食材だったのが、お皿のうえで全然違う姿においしく変身している、というのには、なんかいつも感動するんですよ夜はワインを飲みながらちょこちょこつまみながら作るのがこれまた楽しいのですがお料理はほんとにcreationだと思いますね。洗いものは、嫌がる人が多いですが私はなぜか大好きです。洗濯も大好きですが、洗いものの方が手に感じるお水の流れがなんとも気持ちよく、食器やお鍋なんかひととおり洗い終わると、すっかり気分も変わりますし。ただしお手ての保護のため、特に冬はゴム手袋は必須。

仕事が忙しいとこういう時間が持てなくなってきて、心に余裕がなくなって消耗していく・・・というのはこれまで何度も繰り返してきたパターンで、もういいかげんこのサイクルを断ち切りたい。自分の身体の状態を考えても、もうこういう働き方は無理だと薄々気付いてたし、これ以上ストレスをかけることには心身ともに耐えきれないと分かっていた。この2か月は、本当はこの先のことをゆっくりと考える時間に充てるつもりだったけど、思いがけない仕事の忙しさで疲れ果て、いちばん大切にしないといけない人にまで当たってしまうくらい消耗しきってしまっていた。ほんとはもっとやさしくしたいのに。大好きで大事な人を後回しにしないといけないほど、私はこんなこと本当に心からやりたいと思ってるんだろうか?お盆休みの間、自分の心と対話して問いかけた答えは、断固NONだった。一週間またやってみて、「ああ、もうこれ以上は無理・・・」といろんな場面で感じて、その心の声をこれまでのように聞こえないふりをすることももうやめようと思った。もっと手をかけたい、時間を取って丁寧にやりたいことがたくさんある。仕事に使う時間と労力をほかにまわせたら、それこそストレスがなくなるのは言うまでもなく、大好きで大事な人たちのことをいちばんに考えて動くことができる。それがいちばん、私にとっては人生で大切で、そしてそれがいま私のいちばんしたいことだもの。

もし月曜から金曜までフルタイムで働いてないとしたら何がしたいか?と考えると、ずっとやりたかったことは、もっとお料理が上手になりたいから、お料理教室に通うこと。栄養のことももっと勉強したいし、貧血のくせにドロドロな血をサラサラにすべく、「糖質オフのフレンチごはん」という三國シェフのレシピ本も買ってみましたし、おいしくかつ身体に負担をかけないごはんを研究していろいろ作れるようになりたい。自分のためだけじゃなくて、大事な人の身体のためにも。それにこうして「ものを書く」ことも、私にとっては自分のバランスを取り戻す大切な時間。ああ、これもいつの間にかおろそかになっていたなあ・・・ほんとに本末転倒なことをこれまでやってきたんじゃないかと、反省しきりです。

ワークライフバランスとかよく言われますが、これは勤勉なアジア人じゃなく、ヨーロッパ人を見習うべきなのではないかという気がしています。もちろん日本人全体がとかじゃなく、そういう生き方の方が自分は幸せだなという人はそうすればいいだけのことであって、みんながみんな同じ方向にいかなくてもいい。それぞれでいいし、「それぞれ」がいいんです。みんな自分の好きなように、自分が本当に自由にのびのびといられるライフスタイルを選んで生きていれば、幸せな人が増えて、地上がどんどんheavenになっていくんだとしみじみ思います。「こうすれば幸せ」とか、単なる一部の人たちの思い込みでしかないことを、それ以外の状況にある人を不安にさせてしまうような、一律の価値観の押し付けは間違っていると強く言いたい。何が人生でいちばん幸せで、自分が幸せでいられるのはどういう生き方なのか?そんなものは他の誰か決めてもらうものではなくて、自分が決めるものだから。マツダの広告のとおり、人生のdriverは自分自身

今週、心が沈みがちだった私を神様が見かねて、転勤で北へ行ってしまった仲良しの人が「ちょっと東京で用事があったので、顔出しに」とたずねてきてくれたり、ふと「元気かな」と思った人がタイミングよくあらわれて話し込んだり。楽しく仕事をしていたときに知り合った人とは、思い出話をしているとまた大笑いできるし、安心していられるから、ズレてしまっていた自分のいちばんいい状態を思い出させてくれて、自然にバランスを取り戻してくれる。来てくれた彼らはもちろんそんなことは知らなくても、神様が派遣してくれたんだなと思うこのタイミング。こんなふうに、神様は私を時々甘やかしてくれる。天はいつもすべてを見てくださっている、というのは緊張感ではなく、むしろ安心感だと思う。疲れてしょんぼりしていた心に、水遣りをしに来てくれた彼らに感謝そしてやさしい友人たちの励ましと友情も、たっぷりの思いやりやさしさの世界がいちばんだということをまた教えてくれました。ありがとう

なかなかお休みが取れなくて行けなかった、母とのヨーロッパ旅行も実現しなきゃ。元気なうちに、一緒に行っておきたいし、ぜんぜんできなかったからちょっとは親孝行もしたいもの。この秋は、旅に出よう!!!うん、そう考えると俄然楽しくなってくる

私はあまり器用じゃないから、仕事をしはじめると仕事に集中してしまうと思ってたけど、集中しないときちんとできないから集中せざるを得ないという方が正しいかな。だからついほかがお留守になってしまいがち。もともと&DNA的にも遊び人気質だから、逆に遊びはじめると果てしなく怠けてしまいそうでこわかったけど、やはり人生マンジャーレカンターレアモーレ人生でいちばん幸せな時間は、大好きで大事な人たちとの、おいしいごはん&ワインと楽しい会話ですもの

十分かどうかはわからないけど、助けてもらったご恩返しはできたかなと思ってる。もう十分がんばってきたし、やるだけのことはやったから悔いもないし、またこれ以上ここでやりたいと思うこともない。「これまで(消耗するだけの世界)」にはadiosして、「これから(愛のある世界)」へジャンプしていきます

雨が降っても、しばらくするとまた晴れ間が戻ってくる。お空も心も

広島、九州と水の被害が心配だけど、このあとによりよいものを築いてあたらしくはじめるきっかけとなりますよう、住んでいる人たちが本当に幸せを感じて暮らせる場所にしていくことができますように。

【追記】救助犬になったワンちゃんの記事に、「いのち」を考えさせられました


rebalance☆

2014-08-17 15:25:05 | Weblog

rebalance・・・といっても、米国の東アジア戦略のことではなく、ことし前半の疲れがドッと出て、心身ともに崩していたバランスを取り戻したお盆休みの私「うめ」の状態をひとことで言い表した表題でございます。皆さまはこの夏、いかがお過ごしでいらっしゃいましたか。

ことしはなぜか無性に「スイカが食べたい」と思うようになり、生まれてこのかたずーっと瓜系は好きじゃなかったのに、この夏はなんだかやたらスイカを食べていますついでにキュウリも嫌がらずに食べている。この突然の変化はなんだろうという感じだったのですが、仕事はなんやらかんやら忙しいのが続き、キョウレツな夏の暑さも加わってかなり心身ともに参っていたので、身体が欲しているという感覚でした。そろそろ梨も出てきましたし、桃も変わらずラブだしマンゴーも美味しいし、いろんなフルーツを楽しんでおります

よく考えるとことしは前半からずっと走りっぱなしというか、立ち止ってゆっくり考える時間もなく、春にほっと一息ついたのもつかの間、セーフハウスで過ごすなかで本来じっくり考えたかった「ここを出たあとのこと」、日々の忙しさのなかに紛れながらも、確実に日々積み重なっていた「やっぱりこんなのイヤだ」という心の声に十分耳を傾けてあげることができなくて、このお盆休みは来し方を振り返りながら、アヒルの子プラムはいろいろ考えていたのですが・・・ここもやっぱりあんまり長くいるところじゃないな、という気がしています。助けてもらったご恩には報いないといけないと思っていたし、ご恩返しはきっちりやろうと決めていますが、そのあとはブランクというか、現状のまま続けていく先に、明るく楽しい未来はマッタク思い描けない。自分の持っている能力とスキルと経験をいかして別な世界へいくのか、あるいはこれまでのことはまったくゼロに戻してstart overのような感じで進むのか、そこまでは分からないけど、だけどこのまま続いていくことはないだろうな、という気はしています。

現在の延長線上に未来を考えると、結局は現状維持のため汲々、ということになり、考えただけで息苦しくなるほど気持ちも滅入り、brighteningな未来は想像できませんが、現在の状況はどうあれ、こんなことがしたいなとかあんなことがしたいなとか、まったく自由に想像の翼を広げてあれこれ思い描いていると、そのビジョンはとても心弾む楽しい未来の姿であって。「そうぞう」という日本語はimaginationでもありcreationでもある。これがオープンに、広がっていかないところには希望が生まれない。やはり明るい未来を想像し、創造していきたいですものね。

魔界への旅では傷付き自信をなくしていたプラムも、救出されて前のところに戻ってみれば、ドラクエで言えばレベル90くらいまで上げてしまっている感じであることに気付いて。多少まだレベルアップの余地はあるものの、もうほぼやり尽したというか、ラスボスの姿も見てしまい、この世界が何でできているかを知ってしまった(→それは決して楽しいものでもなく、人を幸せにするものでもなかったという事実に気付いてしまった)。「クリア後の世界」でまだなおしないといけないことが残っているのか、それともあるいは新しい冒険の書を始めるのかは分からないけど、これまでみたいに“じゅもん使うな”とか“めいれいさせろ”とか、コマンド下にあって思うように戦えなかった世界ではなく、何の制約もなく自分の頭で考えたとおりに動けて、exploreしがいのある、「次はどうなるんだろう??」と仲間たちと“ガンガンいこうぜ”で楽しく進んでいける冒険の書を選びたいと思っています。クリア後の世界なんて、なんかお宝探しとかだけで、新たな謎を解き進んでいく面白さというものはほとんどないですしね。レベルを上げるのも、強い敵と戦うだけではつまらなくて、その先にまだ知らない世界があってそこへ進んでいくために強くなる、というのが楽しいのであって、ただレベル上げるだけの戦いは不毛ですし。たとえその世界を極めたとしても、まだ他にはいっぱい違う世界があって、そこではまたレベル1からスタートするというのもchallengingで面白そうだし。

いやいや、ここの冒険でそこそこ蓄えた経験値は、ほかの世界では転職後のスキルとして、直接は役に立たなくてもなにかの役に立つかもしれない。たとえ前職が遊び人とか踊り子とか何の役にも立たない職業であっても、せっかく覚えた魔法が違う世界では通じなくても、「つよさ」でいうところの「すばやさ」「かしこさ」なんかはどこの世界でも同じはず。あと数値にはあらわせない「思いやり」「やさしさ」は、魔界でさえなければこれが最強の魔法かもしれないし(逆にいえば、この呪文が“かき消されて”通用しない洞窟や塔なんかは魔界である、ということなのでしょう)。「ちから」はあんまりないから、重い武器を使ったり装備したりはできないけど、「どくばり」でごくたまに敵をプシュっと一突きという、魔法使いプラムの「こうげき」レベルはそんなもんだけど、「思いやり」「やさしさ」のレベルに上限はないし。ほんとはアリーナみたいに元気よく、お城の壁を蹴り破って外の世界へ飛び出していきたい。そう考えると、まだまだレベルアップもしなきゃいけないし、この先の冒険もきっと楽しいはず

私は全然観てないのですが、NHKのドラマですっかり我らがアンのことばが有名になったようですけど、曲がり角を曲がった先に何があるかわからないけど、でもきっとすてきなものだと思う。この確信は、私のなかに変わらずある。この楽観的なほど明るい確信が揺らぐと、バランスを崩してしまう。自分の心のお花をしおれさせてしまうほど忙しいのは、やっぱりいけませんこまめにケアして、おひさまの光とお水と栄養をたっぷり注がないとこれはここでも繰り返し書いてきたのについ忘れてしまうことですが、まず自分がいい状態でないと、思いやりやさしさの魔法は使えなくなってしまいますからね。自分自身が機嫌よくいたいですし、どうでもいい人たちとのくだらない戦いで消耗するのではなく、大好きで大事な人たちに、もっともっと愛をたっぷり注ぎたい。日々の忙しさでおかしくなっていたこのプライオリティの順序は、これからは絶対間違わないようにしなきゃ。人生でいちばん大切なのは愛である、と毎日recite to myselfしないといけない・・・と改めて決意する必要があるなんて、これまでどれくらい本当に心の求めているものを後回しにしてきたのかということでもあり、反省しきりです。

もうちょっとすれば、少し涼しくなってきて過ごしやすくなってくるし、休息をとり本来の牡羊らしさが戻ってきて、また元気よく後半スタート!!という感じです