かくれて咲く花

~凛として~

日々前進!!

2011-01-26 20:20:51 | Weblog


2011年がスタートしてはや1か月が経とうとしている。早っっ

年の初めは、何かあたらしいことにチャレンジしたいなと、ステップとコンバットを始めた。正確には、ステップはむかし少しクラスに通っていたので再チャレンジ的なものだけど、派手に転んで怪我をして以来、どうしても恐怖感があって敬遠していた。間違えたとき、焦って逆方向にあわてて移動しようとして、ステップ台に引っかかって転倒してしまった。幸い骨折には至らなかったけど、かなり痛かったあれ以来、ステップはどうしても怖くて・・・だけど「ステップ楽しいよ~ベーシックなら大丈夫だよ、やってみなよ」とすすめてくれる人も何人かいて、やらない理由に「また怪我するのがこわい」という「逃げ」が入っているのも悔しくて、この恐怖心を克服すべく、勇気を出してベーシックのクラスに通い始めた。まだまだおっかなびっくりステップを踏んでるけど、基礎からもう一度確認しつつ、徐々に慣れていこうと思っている。他の人からすれば、「そんな運動くらいでおおげさな」と思われるだろうけど、やはりステップ台を踏み越える動きは、「また転んだらどうしよう」という恐怖心とのたたかい。なんか自転車を乗れるようになるまで、いっぱい痛い思いをしたことを思い出すような、そんなチャレンジ。少しずつ、焦らずに楽しくを心がけているコンバットは、またファイティングとちょっと違う動きもあって、面白い。格闘技系は、いちばんストレス解消になるし、楽しい

ほんの少しずつでも、苦手なことを克服していくことは自信につながる。それをやったら命にかかわる、というようなことでないかぎり、逃げたくない。ステップを踏むたび、自分のなかにこびりついた恐怖心を払い落としていけると思って、怪我には気を付けながら、できると信じて続ける。先生が言っていた。「間違えても、慌てないでついてきて。遅れた動きを取り戻そうとして焦って動くと、踏み外して怪我につながるから、できるところからまた入ってくればいいですから」と。いますぐ、明日にでも上達することではなく、一歩一歩階段を上がっていくこと、続けることが大事。「ステップは筋力が必要だから、筋トレもがんばってください」と言われた。このところパンプに行かれなかったので、今日は筋肉痛必至だけど、エアロもステップもコンバットも軽やかに動けることを目標に、がんばるゾ

前に進んでいないと気が済まない牡羊は、毎日がファイティング


True Colors♪

2011-01-18 22:21:48 | Weblog


Stars on Iceでの、歴代メダリストたちの演技にうっとり
大好きな真央ちゃんは、愛らしさ抜群の衣装にショパンの調べがよく似合っていて→ちなみにいま、メールの着メロは真央ちゃんのこのバラードです
プルシェンコもライサチェクも高橋大輔も素晴らしく、サーシャ・コーエンの着物姿もcuteで、試合よりもずっとずっと「魅せる」ことに重点を置かれたプログラムは、とっても楽しい。
ああ、美しいものってやっぱり素晴らしい

カナダのジョアニー・ロシェット選手(この髪形&メイクの方がかわいい!)の“True Colors”(Cyndi Lauper)を見ながら、しっとりとした演技も素晴らしかったけど、ああ、いい曲だなあ…と改めてじーんときた。


  But I see your true colors
   shining through
   I see your true colors
   and that's why I love you
   so don't be afraid to let them show
   your true colors
   true colors are beautiful
   like a rainbow


小塚選手が強調していた「表現力」。高橋選手が、リンクを自分ひとりだけが滑れて、注目が集まるのが快感だ、ということを以前コメントしていたのを覚えている。スポーツではあるけれど、ひとつの演技が「物語」になり、自分の世界を形成して、観客を引き込む。音楽にあわせて動く、というのじゃ単なるロボットみたいで、機械的で技術だけなのも美しくない。曲を選び、衣装を選び、振り付け、練習し、そのプログラムの意図を理解し、情感をこめて自分の「作品」として作り上げていく過程がある。なんでもそうだけど、譜面はただの記号が並んでいるだけで、それにどう表現者が魂をこめていくかで、全然違うオリジナルなものになる。表現力というのは、やはり人間としての深み、演技外のところでの蓄積がモノをいう世界だと思うので、「表現する」ことは、技術力を高めるということよりもずっとむずかしくて奥深く、これが芸術の魔力ともいうべき「力」なのだと思う。ひとつひとつの「動き」から自然にあふれだす、あるいはその人がまとっている雰囲気や気品。人の心を揺さぶるのは、心という見えないものに届く「見えない」部分があるから。ことばを使わずに表現するからこそ、「想い」をのせようとする。その「想い」をあらわすのが、内側から放つ光、魂の輝きなのではないかと思う。

人はみんなtrue colorsを持って生まれてきている。本質の輝きは、おのずと外見にあらわれる・・・というものでもなくて、固く心を閉ざしていれば、内側に閉じ込めたままになってしまう。歌詞にあるように、いろんな人がいる世界で傷ついてしまい、自分の本当の色を出せなくてしんどい思いをしている人はたくさんいるのだろう。いや、むしろ気がつかないままの生きている人の方が多いのかもしれない。苦しかったり、息苦しさを感じている人は、自分の本質とズレたり、自分が浮いてしまってまわりに合わせようとして苦しくなってしまって、いつのまにか本来の自分がどんなだったかわからなくなって、何が正しいのか、本当に自分が大切にしてきたことがわからなくなってしまって。そして笑顔を失ってしまう。そんな悪循環を繰り返すうち、自分の心を閉ざして、生きにくさに目をつぶって、できるだけ自分の本当の気持ちを感じないようにすることで、なんとか日々をやりすごしていく。そんな、生きながら死んでいるような生活を続けていたら、身体は生きていても心は日々死んでいく。これこそ、死にいたる病。

文章が、どうしたってかなわないなと思うのが、絵。どんなに意を尽くそうと思っても、視覚的なものを文字であらわすには限界がある。本質を一瞬で伝えることができる素晴らしさが、絵に宿る力だと思う。私のtrue colorsはどんな色なのか知りたくて、その美しいパステル画に魅せられているKisaさんに描いてもらった絵が届いた。見つめていると、不思議な気持ちになる。最初は、こんなにピンクがあふれているなんてとびっくりしたけど、中心の白い部分、純粋で無垢な部分。魂の核の部分を必死で守ろうとして、心を閉ざしたり拒否したりしてきたけど、そんな恐怖心に基づく「ぼうぎょ」ではなくて、その純粋な輝きを放ち、本来の色を出していくことが「ぼうぎょ」にもなるそんなつよさが、自然に満ちてくる。どんなに言葉を尽くして説明されるよりも、ただこの絵を見ているだけで、すうっと自分の立ち位置、本来の自分を思い出させてくれる、素敵な絵。飾っているだけで、光を放っているようなこの絵を見たり、また心に思い浮かべるだけで、ズレかかっても自分の軸に一瞬で戻れるtrue colorsをこうして視覚的に表現していただいたことで、私の武器であることばでの表現力を磨こうと気合いも入った。いやいや、武器じゃなくて、道具。元旦の一面広告で、ドラえもんが言っていた。「言葉は、すごい道具になるんだよ。」

絵と同じく、フィギュアスケートのような、人間が行うパフォーマンスも、ことばにすると野暮になることが多いけど、スポーツは結果だけじゃなくて、表面からはわからないところの部分に心を寄せながら見てしまう。その人のプレーや演技、雰囲気からにじみ出るものを捉えたいというか、人間味の部分に関心がいってしまう。昨今世の中でもてはやされている「仲間です」という大学生の言葉は、私には「つくられたもの」に感じられた。「こうすれば、受けるだろう」というあざとさが透けて見えて。そんな計算されたコメントよりも、真央ちゃんの「長かったけど、短かったです」という、言葉のうえでは意味不明のコメントと、その意味を聞かれてぽろぽろとこぼれる涙の美しさ。あの涙が本物なのは、真央ちゃんの気持ちがただあふれていたから。その純粋さは、何よりも大切にしたいと思ったし、美しいと思った。かたちだけ、技術だけパーフェクトなだけ、見せかけだけでは、人の心を打つことはできない。やはり内面から出てくるもの、ナチュラルなもの、すなわち「本物」の部分。人間の本質なんて、自分も含めてもちろん美しいものばかりじゃないけど、だけど私は「すごくうつくしいもの」を見たいと思う。最上のもの。人間の魂の輝き。それを書きたいのだと思う。そのためにも、表現力の向上はchallengingで、だけど奥深い、創作活動の喜びに直結する楽しい学び。

true colorsは美しい、だからそれを見せることを恐れないで。いい歌!!
2011年は、true colors全開にいきましょう


つよく咲く☆

2011-01-11 22:51:26 | Weblog


冬休みのあとすぐ3連休で、今日は鏡開き。振る舞われたおしるこを頂きました
やっぱりおもち、おいしいフウフウしつつ、時々わざとビヨーンと伸ばしてみたりしながら、ほんとはもっとおもち、食べたいんだけどな・・・としみじみ。お正月のお雑煮と、おぜんざいを1回ずつだったから。おきなこにも、砂糖しょうゆにも付けて食べたかったわ。
でもガマンの子。お正月太りの解消は順調でして、2キロ落としました

初詣のおみくじは、大吉を頂いた。

   
    「春風の吹けばおのずと山かげの梅も桜も花はさくなり」


との和歌が添えられ、「心をかたくもって、一時の不運にあわてさわぎ思いまようてはいけません 本業をよくまもって静かにときの来るのをまちなさい 開運うたがいありません」とのこと。何事も辛抱強く、すすめていけば必ず運は開ける、ということかな。
ある銀行のポスターが、すごくいいインスピレーションをくれた。


       つよく咲く。


これだと直感した。つよく咲く。
「強く」じゃない、「つよく」。風が吹くとポキっと折れてしまうような、そんな硬直した“強さ”じゃなくて、芯のつよさ。冬の寒さに耐え抜き、凛として咲く、しなやかさを併せ持つ芯のつよさ。自分の魂の核にあるものを、いつも忘れずにいたいと思う。心友が年末にプレゼントしてくれた、『ムーミンのともだち』にあるように、春を迎えるためには冬をすごさなければいけない。寒空の下でいる「さなぎ」がかわいそうだからと、家に連れて帰ろうとするムーミンに、ミイが呆れかえって言うことばがいい。


   「さなぎはだれにもさわられたくないの。
    ひとりでいなくちゃいけないし、さむくなくちゃいけないの。
    そうじゃなきゃ、つよいちょうになれないの。
    あんたたちがよけいなおせっかいをしたら、
    そのせいでこいつはしぬことになるんだわ!」


チューリップの球根も、冬に植えて、咲くための準備をしている。「チューリップはあたたかいほうが好きなのに、どうしてわざわざ、これからさむくなるときにうえるの?」とムーミンが聞くと、球根を植えながらムーミンママは、


   「チューリップに、ちゃんとふゆをおしえてあげなくちゃ、
    はるがきたってわからないかもしれないでしょ」
   「それにね、なぜだか…
    いまからうえて、じめんのなかでふゆをこさせないと、
    きれいなチューリップがさかないのよ。」


と、冬の役割を説明する。季節はめぐり、必ず春は来ることをムーミンは学び、春になれば、大好きなスナフキンに会えるのを楽しみに、ムーミンは長い冬の眠りに入る。

   
     
アニメ版では、冬になるとスナフキンが旅に出てしまうのが悲しくて、冬眠せずに「スナフキンと一緒に旅に出たいから、僕、頼んでみる」というムーミンに、実は冒険好きな自由人であるムーミンパパは、ひとり旅の素晴らしさを知っていて、「スナフキンを困らせちゃいけないよ。スナフキンは、孤独を愛しているんだ。だけどムーミンが大好きだから、冬眠のあいだは旅に出て、それ以外はムーミン谷で過ごしているんだよ。彼にはひとりの時間が必要なんだ」と優しく諭す。スナフキンも、できるだけムーミンを悲しませないように、「冬眠に入ってから出かけて、君が目が覚める前に帰ってくるよ」という、「じゃあ、ずっと会ってるのと変わらないね!」と、ムーミンは安心して眠りにつく。スナフキンの奏でる、ハーモニカの音がムーミン谷に響くのを楽しみに待ちながら・・・お互いの自由を尊重しながら、そっと思いやるムーミン谷の住人のやさしさも、つよさの裏にあるもの。ことしはカレンダーもムーミンだし引き続き、ムーミン哲学研究に忙しくなりそうです

お花を買いに行ったら、チューリップや桜も早くも登場して、ピンクのお花がたくさんあって、すっかり春の気分に
そう、冬が過ぎれば必ず春がくる。だから、つよく咲く!!!


あけました☆2011

2011-01-05 22:13:03 | Weblog


あけました2011年
ことしもよろしくお願いいたします

おそれていたとおり、お正月太りが大変なことに・・・
なんと!!たった一週間で!!!プラス3キロってどういうこと~~~
だっていろんなごちそうがあって、おいしかったんですものお友達にも、会わなきゃいけなかったんですもの等々の言い訳と後悔は、体重計に乗った時にすべて結果として引き受ける羽目に。現実は、自分の日々の行動の結果なのであるということは、人生そのものでございます。

というわけで、早速ジムへ。筋トレ用にと購入した、さらのバボちゃんシャツ(長袖。バックプリントがええでしょ)着用で、絞りにかかりました。いま自分でも身体、重いです食べ過ぎた報い、すなわち自業自得ですけど・・・
おかげで年明け早々、気合い入ってます。ことしも運動、がんばります!!!!!

まあ、おもちみたいにぷく~っとふくれた丸く福々しい顔をみても、楽しい年末年始でありました
帰省して、高校時代からの心友に「ブログ見てるよ」と言われたり、長年の友人から「真央ちゃんの読んでます」と言われたりすると、めちゃめちゃ気恥ずかしくもあり、うれしかったり。ものを書くということは、自分のいろんな面をさらけだすことでもあるから、親しい人が読んでくれているのは、すごくうれしいことでもあり、やっぱり恥ずかしいという気持ちもあり、だけど読んでくれていることが励みにもなっている。「あなたの文章を私は読んでいます」と言われることは、「あなたのことを私は知っています」と言われているようでもあり、自分の内側まで見透かされたような気がして毎回ドキッとするのだけど、「書くことは人を救ってくれる」という言葉は真実。年末年始は、なんやらかんやらバタバタしていたので、ゆっくり落ち着いてものを考えるということができなかった。「何も考えない時間」も「何かを考える時間」も、一定の静寂な時間であり、私にとっては自分を取り戻す神聖なひとときであるので、これが確保できないと調子が狂う。愛犬の散歩をしているときくらいしかボーッとすることができなかったので、徐々に調整をかけながら、また綴っていきますので、本年もどうぞよろしくお願いいたします

文章を綴ることと同時に、せっかくデジカメを新しくしたので、いつも持ち歩いてハッとするような美しい風景を逃さず撮っておきたいなとも思っている。たとえば人のいない遊歩道で大きな空をひとりじめにしているようなとき、曇天のすき間から光がカーテンのように幾重にも山に向かってやわらかく流れ込んでいる一瞬に出会ったり。夕陽に照らされて、金色に光り輝く愛犬(イエローラブ)が駆ける姿に、『星の王子様』で、これからは麦畑を見るたび、あんたのその金色の髪を思い出すよというキツネのことばを思い出したり。そんな私の詩的な思いをよそに、外に出れたことがうれしくて、クンクンと怪しげなにおいを嗅ぎまわる(なわばりパトロール)に忙しい愛犬の姿を見るにつけても、そんな一瞬は、ことばにするよりもパシャと撮っておいた方がいいのかもしれないと思ったりする。