platea/プラテア

『ゲキxシネ五右衛門ロック』『The Musical AIDA』など、ミュージカルの話題作に出演の青山航士さんについて。

Tenterfield Saddler

2005-06-17 | ボーイ・フロム・オズ
 ブロードウェイのプレビューではフィナーレ"I go to Rio"の前に歌われたこの曲、本公演ではカットされたらしく、CDにはボーナス・トラックとして収録されています。日本版はどうなのでしょうか。アレンの祖父、父親、自分、そして故郷テンターフィールドのことを歌ったもので、他の曲と違い、ロマンチックというにはほど遠い、素っ気無いともいえる歌詞です。

 お祖父さんは馬具職人(Saddler)のジョージ・ウールノー、「羊や花や犬のこと」なら何でも知っている物知りだったようで、彼のlibraryが作られる、という歌詞がでてきます。父親のディックは名前でではなく「ジョージの息子」として書かれており、ディックは戦争から帰還した後、アルコール依存症になり、その末に銃で自ら命を絶った事がわかります。戦場での凄惨な経験により精神を蝕まれ、通常の生活を送れなくなる帰還兵の問題は今も依然としてありますが、ピーターの父親もその一人だったようです。

 そして「ジョージの孫(ピーター)」は、と続きます。「世界中をめぐり、どこか特定の場にすむこともなく、苗字を変え、おもしろい顔の娘と結婚した/彼らのことはどちらも殆ど忘れていたよ、だって彼の送る人生には、ジョージや彼のlibraryや、銃を持ったその息子の居場所なんてありはしない/この歌以外にはね」

 確かにアレンの人生は時代の先端と同じスピードでつぎつぎと展開していった感じがします。歌詞にも出てくるように'war baby'(44年生まれ)であり、映画の黄金期の後、第一の大衆娯楽となったテレビ番組で世に出て、大スター、ジュディ・ガーランドに見出され、妻であったライザは一足早く世界的スターに、ゲイ・リブがもっとも盛り上がったころにその拠点であるグリニッジ・ビレッジで活動し、70年代のシンガーソングライターのブームにも乗り、その後" I go to Rio"は、発表の1年ほどあとに公開されたビデオクリップによってヒット、音楽界でのビデオの重要性をいち早く証明する形になったようです。思い出したくない過去を振り返る間を自分に与えず、自らを急き立てるようにして生きていたのかもしれない、という気がします。

 "I still call Australia home"がオーストラリアの非公式国歌、とまでいわれていても、いったんはオーストラリアに帰ったピーター・アレンが、最期の場所として選んだのはアメリカ、カリフォルニアのサン・ディエゴだったことが、Tenterfield Saddlerの歌詞を読むとうなずけます。このあまりにも悲痛な歌がブロードウェイの本公演でカットされたのも無理はないかもしれません。ですが同時に、この歌詞によって、私の中のピーター・アレン像が急にタイトルにフィットしてきました。父親を「ジョージの息子」、自分を「ジョージの孫」と名無しのように呼ぶ彼が、ひょんなことから住み着いた異国で、たくさんの歌を作り、歌って、人を愛し、人を楽しませ、そして自分の血を残すことなくひとり逝った。最初目にしたときにはあまりにシンプルに思えたタイトル"The Boy from OZ"、今は納得です。