platea/プラテア

『ゲキxシネ五右衛門ロック』『The Musical AIDA』など、ミュージカルの話題作に出演の青山航士さんについて。

唐獅子牡丹

2005-09-20 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
開幕前、あゆあゆさんにいただいたコメントに「唐獅子牡丹」が演奏される、とあった事がずっと胸に残っていました。そののち、チエミさんにとって最後となったアメリカ公演で、「とても親しくしていた」人との想い出の曲として歌われた、と知り、ますます気になりながら、どなたのサイトでも情報を得る事が出来ないまま、幕開きを待つことになりました。

 そして実際に見てみると、作品「テネシーワルツ」中では、役作りのためとは知りながら、不在の夫を案じる余り体調を崩し、精神的にも疲れはてて夜の街を一人歩くチエミさんが口ずさむ、という設定でした。島田歌穂さんの演技、歌もさることながら、印象的なピアノのフレーズをはじめとするメランコリックなアレンジが、幾重にもまとわりつく焦燥、不安、刺すような孤独を感じさせ、劇場が寒くなったようにすら思えました。

 チエミさんのからっとした陽のイメージのせいでしょうか、プライバシーにふれるくだりには紋切り型のやりとりが多かったように思います。ですがチエミさんのラテンものなど聞くと、あれほどに熱情を感じさせる女性の声というのは、なかなか耳にすることがありません。島田さんの歌は私が感じたチエミさんの奥底にある激しさ、複雑な感情の襞、情の深さと完全にシンクロして、イメージどおりの素晴らしさでした。そして「キャリオカ」などに対比するようにして歌われる「唐獅子牡丹」は、どんな繊細な台詞よりも、大スター江利チエミが一人の女性として生きた時間を感じさせてくれました。

 もちろんそれは舞台上のひとつの虚構であって、事実とはまた違うとは思いますが、言葉にすることで生じる本当の感情とのブレ(中野ブラザーズと呑む場面)のようなものを、一切排除し、一音一音が感情の結晶のようだったこの「唐獅子牡丹」の音世界は、チエミさんのアメリカ公演での最後の熱唱と表裏一体のような気がしてなりません。音が物語る、私は耳が節穴で、こんな風に思ったことはなかったのですが、"Musical"という領域の見せてくれるものに目が(耳が?)開かれた思いです。