Pixysのポジティブライフ

困難に立ち向かうアラフィフの日常
働いて働いて働いて働いて、たまに旅に出る

通夜へ行く

2007-06-28 23:46:11 | 病気や健康の話
先日、久しぶりに通夜に行った話しを書いたばかりだけれど、こういう事は続くものですね。今日もある人の通夜に出席することになった。
その人は、母が病気で入院中、無菌室に入っていた時、2人部屋だったもう一つのベットにいた女性だ。年齢は私と変わらない。まだ若い母親である。高校生、中学生、小学3年生と3人の子がいる普通の主婦だった。彼女はリンパ腫を患っており、それでも回復して、母が退院した後、退院ができたと喜んでいた。
この方は母が入院中、私も毎日のように顔を合わせていたのだが、はっきりと物を言う元気で愉快なお母さんだった。今の家に嫁に入り、姑、小姑にいじめられたそうで、その恨みつらみを毎日ベッドの上で、ノートに書き残していた。母が「毎日何を書いているの?」と聞くと、「あたしが死んだらこのノートを突きつけてやるのよ!」と言っていたそうだ。「あたしばかりなんでこんなひどい目にあわなきゃいけないの?」とご主人にわめき、「こんなのまずくて食べられない。」と看護婦を困らせるあまり良い患者とはいえないタイプだった。けれど子供の話になると、よく泣いていた。とにかくよく泣く人だなーと思った。
母とは同士である。数ヶ月間寝起きを共にしたルームメイト。母はこの人の愚痴をよく聞いてあげた。そしてアドバイスしたそうだ。「順番から行けばお姑さんや小姑さんから先にいなくなるんだから、そうしたらあなたの天下よ。そのためにも早く病気を治して復活しなきゃね。」そんな風に励ましあいながら、死への恐怖と戦ってきた。一足先に母が退院する時、彼女は「寂しいわ。あたしも早く退院したい」と言っていた。骨髄移植を2回行ない、その一月後、彼女も自宅に戻ることができた。
お互いに退院してからも、電話で連絡を取り合っていた。母はどんどん回復し日に日に元気を取り戻していったが、6月末頃に電話した時には「調子が悪くて起き上がれないのよ」と言っていたそうだ。
通夜に行くと「髪の毛のある彼女」を初めて写真で見た。「あんなにきれいな人だったんだな。」と思った。こんな風に思っていいのか分からないが、髪の毛のある写真から、普通の人間として子供を育て、悩みながら生きていた彼女を初めて感じ取ることができた。「ああ、この人も普通のお母さんだったんだよな。」と。
通夜には、普通の主婦では考えられないほど多くの参列者が並んでいた。子供の学校の生徒達も大勢きていた。病院ではあんなにわがまま放題でも参列者の数は、生きて成し遂げたことの証明な気がする。彼女の子供たちは、母が入院中でも学校で頑張り、生活の手伝いをして過ごしてきたに違いない。「私の方が先に行くべきなのにね・・・。」と母は号泣した。

帰り際、「「病院で恨みを込めて書いたノートは、どうしたかね。」という話になった。そこには「自分が病気になったのはあなた達のせいだ」など過激な事が書かれているらしい。昼から夜までずっと書き続けていたこともあるようだ。子供のことも書いていたようだが、あんまりおぞましいので、ご主人が隠し持っているかもしれない。けれど、それでいいような気がする。亡くなった今では「あんなこと書かなきゃ良かった・・・」ときっと後悔しているだろう。死んでから抗議しても始まらない。ただ、病院での苦しい治療に耐えるためにあのノートは彼女にとって必要だったんだろうと思う。たぶん、心の中を全部外に出したい気分だったんだろうと思う。