Pixysのポジティブライフ

困難に立ち向かうアラフィフの日常
働いて働いて働いて働いて、たまに旅に出る

子離れ

2009-04-28 15:43:25 | 変な話
■5月子供が踊る日

5月2日(土)14:00/18:00
鎌倉生涯学習センター 劇団「鎌倉こまち」公演 ※ちょこっとセリフ有

5月10日(日)POSSE 
千葉QUEENS CLUB(小中高校生OK)

5月16日(土)大ラス(16:00頃~)
さいたま新都心イトーヨーカドー前 ウッディ広場ステージ
一般公開 入場無料

5月17日(日)
ICE CREAM@新宿M's

ダンスイベントのご様子は、動画サイトで「ダンスイベントPOSSE」とか
検索すれば出てくると思います・・・・たぶん?
ご興味のある方は直接ご連絡くださいませ。

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さて告知も済んだことだし、最近のひゅうくんについて書きたいと思います。
最近ひゅう君はファンの女の子に囲まれてます。
「好きな食べ物は?」「好きな映画は?」などと質問が書かれたサイン超なる
ものに学校から帰ってくると真剣に取り組んでいます。メールにも一人一人返事を書きます。
宿題の方が先だろ・・・とお母さんは思うのですが、彼は気にする事もなく
「おかさん!僕が人気者だからって焼もち焼かないでよー。女親はこれだから・・・」と返される羽目に・・・。
そんでもって「思い上がってるとそのうちひどい目にあうぞ!」と脅してみると、「思い上がる奴は三流でしょ、僕は真面目に芝居とダンスがうまくなりたいの!ファンは大切でしょ!」と更に返します。
昨日も遅くまで練習だったため「具合が悪い」と業間の時間に保健室のベッドを借りて30分ほど寝ていたそうだ。
「ばか者!日常生活がまともにおくれない奴に芝居やダンスが出来るか!」
「ちゃんと授業はうけてるし宿題は休み時間か明日の朝やるよ。」

小さい頃、怖がりで何一つ反発できなかった子がずいぶんなまいきな口をきくようになった。つまり成長したのか?これでいいのか?
対外の事は自分で考えて行動できるようになったけど、まだ先読みができない。ハプニングが起こったときに対処する力が足りないと思う。・・・・と自分の子供を冷静に分析するのもおかしいな。

母は一生母なのかと思ってた。ドラマとかだと遠く離れていても、いつまでたっても心配で・・・・って感じなのが母なんだと思ってた。でもそれは子供から見た母親像なんじゃないかと最近思うのだ。
彼の母になって11年たつわけですが、「この子は自分の子供なんだ」という感覚が薄らいでいる。環境にもよるんだろうけどたまに自分がなんだったのかわからなくなる。それは彼が一人前の一個の人間になりつつあるということ、自分と対等に向き合えるという事だと思う。その感覚は、子供がお母さんを慕う意識から抜けるよりもよっぽど早くやってくるものなんだな。
そりゃーそうだな。私が老けるスピードより、子供の成長の方がずっと早いんだから、スタートは親離れ、子離れのスタートは親が先でないとな。









たわごと

2009-04-28 00:16:09 | どうでもいい話
何にもない空虚感漂う一日を過ごす。何にもないというのはやることがないという事じゃなくて、明日の事やこれからの事や心配事等々・・・全てが一旦小康状態に入り、手がつけられない状態になった、あるいは考えるのを止めた・・・途中休憩とでもいうような日です。
やらなきゃいけないこと、伝えなきゃいけないこと、考えなきゃいけないことが、結果何もできない状態をさします。自分的には次回の公演前に全部終わらせてしまいたい気分なのにボーッと過ごすしかない感じ。一日をムダにしたような・・・。
気がつくと周りは知らない間に先に進んでいて「あれ?」みたいな。取り残されているような気がしながら、それでいいような気もする。ありませんか、そんな一日。
いや、別に今日一日、何にもしなかったわけじゃないよ。洗濯もしたしご飯も作ったし、仕事も2、3片付けたし。でも実はもっと頑張る事もできたっていうーーー。つまり体の調子がいいのに考えられないんだろうな、周りが超忙しかったり大変だったりすると自分は何だかそこから外れた気になる。それで「私、どうしたらいいんだろう。」と途方に暮れるわけで・・・・。
1つの量は決して多くないけど、考える事の種類が多すぎてパニックになったあと、この空虚感が訪れることが多々ある。そんなに才能があるわけでもない、歳をとって以前ほど意欲もない私には、もっと平穏な生活が理想なのかも?いや、理想というよりは希望か・・・。
次々とやってくる生活の中の事件に全然真摯に対応できてないっす。頭が「なになに???」と毎日狂ってます。朝起きて「今は夢か現実か?」と一瞬区別ができません。現在、関わっているお仕事関係の人、芝居ダンス関係の人、両親兄弟、家族、病院の先生、学校の先生、近所の人、手続きしてくれてる弁護士さん、どれ1つまともに理解できてなくて皆さんに申し訳ないっす。私の脳ミソでは容量オーバー・・・・。もうこれ以上追加不能です。
今書いてることも半分訳わかってないので、タダのたわごとだと思ってください・・・

豚のしょうが焼き

2009-04-25 23:06:27 | 事件の話
久しぶりにいっぱい雨が降った。そのためダンスのレッスン以外は家でジトッと過ごす。朝洗濯しようかどうか迷ったけど寒いし全然そんな気になれなかった。
ふとテレビを見ると「豚インフルエンザ」のニュース。「ウェッ!今度は豚かい!」とテレビに向かって叫んだ。
要するにどんな動物からでも感染する可能性があるって事でしょ。生き物だから当たり前な気もする。さすがの私もさすがに豚は生では食べないけど、人から人に感染するのはやばいね。

現在、子供の先生をはじめ、知り合いのダンサーさん達が仕事でロスに行っている。イベントなど多くの人が集まる時には感染の可能性も高くなるのは当然のこと。子供が「大丈夫かなー?」と心配しているので「何が?」と聞くと「イベント中止になったりしない?」「・・・感染しちゃうんじゃないかと心配してるんじゃないかと思ったよ。」と言ったけど、舞台人としてはそっちが先に心配で正解なのかもと後で思う。どうせ入国する際に検査をされるだろうから体の事を今心配しても始まらない。・・・出発した時にはまだメキシコでそんな被害が出ているなんて話は聞いてなかった。米国ではまだそれほどでもないようだから、本人達はまだ気づいてないのかもしれない。日本に帰ってきて初めて知ることになるのかも?
そんなニュース見ながら夕飯にアメリカ産の豚肉のしょうが焼き食べてる私と子供。「火を通せは大丈夫だよーん!おいしーね」とか言いながら・・・・・

イベント中止で思い出したけど、舞台本番中に大地震が起こったらどうする?とよく昔考えてたことがあった。この地震大国日本で二十何年もやってきて今まで一度も重なってない方が奇跡のようなもの。関東大震災も東海大地震もそろそろ来てもおかしくないのに、最近日本はわりと静かでかえって不気味。考えたって来るものは来るし防ぎようがないのだけど、心構えだけはしておかないとな。

さて明日は早いから今日は早めに寝るかなぁー。

人生はどうかね・・・?

2009-04-25 02:13:04 | 病気や健康の話
仕事は山積みだけど昼間はしばらく時間がある。今のうちにやりたいことやっておこうと思っていろいろ考えたけど、いざ時間が出来ると何も思いつかない。
そんでもってとりあえず母の病院にいく。今回の入院での治療は終了して、あと検査したら退院できるので、来週頭くらいには家に戻れるかな。でも今、家の中は引越しの準備でめちゃくちゃな状態。退院しない方がいいかも?
「前髪伸びて白髪交じりでダンサーみたいになってるよ。」というとかなりウケた。退院する日には家に帰る前に美容院に寄りたいと言っていた。

この病気は骨髄移植しか完治させる方法はない病気だけど、母は高齢で体力もないのでできない。病気と仲良くしながらどれだけ長生きできるか・・という戦いなのである。母は「血液の病気なのよ」としか言わないから他の病室の人達は母を不思議がる。2ヶ月もの間入院していて治療はたったの2回、2時間点滴をうつのみ。特に具合が悪いこともなく朝は一番に起きてカーテンを開ける。目が見えない人、歩けない人、右手が使えない人等他の患者の世話をする。病院食のほかに売店でおいなりさんとか買ってきてモクモク食べる。何も治療せずに長い時間を過ごすとさすがに退屈らしく、本や雑誌を読んだりラジオを聴いて時間をつぶす。一体どこが悪いのか見た目にはわからないのだろう。
母と病院内の喫茶でお茶して病室に戻る途中、母が以前入院していた時にベッドが近かったガンを患っている患者に会う。今日は通院での点滴の日らしい。3週間に一度これを行いにやってくるのだが、朝9時から夕方4時頃まで一日がかりで大変そうだ。母は大きな声で笑いながらそのおばさんと話している。どちらも病気だなんて思えない明るさ、ただの主婦同士の立ち話のような感じ。病気であっても暗さはみじんも感じられない。そんな光景を見た後、ある本を読んで考えた。

小説の内容は心に病を持つ小学4年生の話だから、直接的に何のつながりもないようだけど、最後まで読むと人間の危うさのようなものに共感する。一歩間違ってたら自分も子供の時に同じだったかもしれない、そんな気がした。壊れ具合がよく似ていたのだ。私は無事生還して乗り越えたわけで。子供が今あの頃の私と同じ年代にいる。未熟で自分勝手で優しくて謙虚でもあり傲慢でもあり残酷であり浅はかでもある。友達や親のたった一言が心に深く影響して明るく壊れていってしまう危険な時期にいる。
あるキッカケが子供を壊そうとした時、自分は正せるだろうかと考えると全く無理と思う。たぶん愛情があったからって直せるものではないんだと思う。直せるのは産まれてからそれまで学んできた経験とか考え方とか生き方とか、子ども自身の中にしかないような気がしたのだ。

母に「人生はいいものかね?」と聞いてみると「ここまで生きられればまあまあだね。」と言った。最初は病気にはなってもある程度楽しく長く生きた事だと思ってたけど、言いたかったのはきっと自分の事じゃない。私が壊れそうなとき母は何もできなかったけど、人生の終わりが近づいた今、そんなに間違っていない私を見て出てきた言葉なのだろうと思った。


しゃべれない話

2009-04-18 00:49:47 | 変な話
先日、今年も家庭訪問は遠慮してもらうよう連絡帳に書いた。それで先生から「家庭訪問は別にやらなくていいのですが、6年間まったくお母さんに会わないのも失礼と思うので都合のよい時に5分でもいいので学校でお会いしたいです。」だそうだ。子供の言い方が不自然なのがおもしろい。あんまり来て欲しくないらしい。
何で家庭訪問を遠慮するのかといえば、旦那昼間イビキかいて寝てるし特に話す事もないしな、先生に任せておいて心配なこともないし、昔と違って、家(生活環境か?)見てもしょうがないんじゃないかい。もともと子供の事を心配するお母さんではない。先生も子供もある程度信頼してるから特に話す事もない。要するに私には必要ないのです。
「家庭訪問って断れるの?」とよく聞かれる。みんなやらなきゃいけないもんだと思ってるんだ。けど、無理にやらなくてもいいんだよ。ほら、だって必要ない人には必要ないじゃん!学校も必要ないこと結構わかってるから(笑)先生が大変なだけ。
別に6年間会わなかったからって失礼なことだとは思わないけど、今回は呼ばれたので学校へ出向こうと思ってる。でもいくら考えてもやっぱり話すことがない。大して悪くもない良くもないわが子の話など・・・シーンとしちゃいそう。口下手なもので・・・。何かを聞かれたら答えればいいのかな???でもきっとうまく答えられない気がするよ。これ性格的なものだから別に悪気があるわけではない。人見知りみたいなもん。5年以上は付き合わないと普通に話できない性格。黙ってしまったら先生気を使うと思うしーーーー。
子供の頃は誰とでも気軽に話ができた。最近はダメだなー、誰といてもどこにいても黙ってる時間が長い。普通おばさんになると口数多くなるもんだが、私は逆だよな。子供はめっちゃおしゃべりなんだが。いったい誰に似たんだ?
だから誤解されやすいんだけど、誤解されても気にならないのも性格だから、全くしょうがない。

















卒業委員だって

2009-04-17 03:24:25 | 学校や教育の話
先日、新年度のクラスで懇談会があった。いつものように欠席したのだけど、知らないうちに「卒業委員」なるものにされてしまった。卒業準備の集金や謝恩会の準備などを行なう役員の事のようですが、卒業式にも出席する気はなかったから謝恩会?・・・などもちろん全く行く気はなかった。
委員会一回もやってないのだから何かの仕事するのはしょうがないけど、謝恩会は自分も一度も出たことがないような気がする。先生に感謝する会なわけでしょ。いったい何をやるのかさっぱり・・・?「えー、やだー!」」と子供も嫌がってるし。(-"-)
・・・私だってイベントはもうたくさんなんですけど・・・。
転校するしかないな・・・

6年生まで役員をやってないお母さん達はみんな昼間フルタイムで働いている人ばかりで、普段から学校では見かけない人達ばかりだ。ただ単に「全員やるべき」という考え方は社会に反しているような気がする。特に特殊な技術を持った職業の人(医者とか刑事とか介護士とか記者とか・・・)急遽手術の時、執刀医がいなくてどうする?患者が危篤状態で主治医はPTAに出席してて手当てが遅れたなんて笑い話にもならない。その人でなければならない事が職業にはある。簡単に言ってしまえばPTAの仕事は誰にでも出来る。子供でも充分だ。貴重な人材をわざわざそこに使うこともないだろう。
例えば謝恩会の会場、お酒飲めなくても、子供が自由に使える場所でケータリングでっていうのも全然悪くないでしょ。子供達は楽しんでやるだろうから別に問題ないと思うし。6年生なら自分達で企画して実行するのは難しいことじゃない。
私は夜も寝なくていいタイプだから仕事をしろといわれれば寝る時間を割いて出来ないことはない。けど病気だったり、寝たきりの親を介護してたり、ほんとにできない人もいると思うんだよね。
ないとは思うけど、もし芝居の公演と卒業式が重なった場合、子供は迷わず公演を選ぶ。友達と一緒に卒業したいという気持ちを押さえ、自分がいなければいけない方を選ぶ。それが仕事で責任を取るということ。普通ずいぶん前から日にちがわかってるからないけど全くないとも限らない。例えば集合写真の撮影日には重なることもなくはないと思うよね。そうすると卒業アルバムの端の方にポツンと置かれたりするんだよね、けどそれも後できっといい思い出になる。

入学式はいろいろ説明あるだろうから行く気でいたけど、卒業式や謝恩会、親でなきゃいかんのかなぁ~?卒業式って親的には「こんなに大きくなったのね・・」と涙する、つまり自己満足したいがために行くような気がして、私的にはなんかうさんくさい感じ。
それに、親がいたらやでしょ、子供としては。・・・・・どうよ???

あこがれ

2009-04-16 13:16:07 | どうでもいい話
今日は朝から「人との出会い」についてなんとなく考えてた。今まで生きてきた間に出会った人は何人ぐらいいるのだろうと。さらっと考えて5000人以上はいるよねー、あたしゃ転職王だし。でも携帯電話に登録されている人数は130人くらい。(もともと電話しない方だからなんともいえないが・・・)
その中で本当に付き合いのある人って数名しかいない。更に好きな人はごくわずか。つまり、私に電話やメールを送ってすぐに返信される人は私にとって大変大事な存在というわけですよ。

先日、携帯のアドレス帳を整理して仕事関係や芝居ダンス関係、友人関係などファイルの分類をした。自分が尊敬できる人たちしかそこに入っていないことに気がついた。
そんなに多くの人達と出合っていながらこの人たちを選んで生きてきた。なんていうか「私はこの人達に出会う運命だったんだ」という気がした。
それは‘私が’愛している人達で相手が同じように大事に思ってくれているかどうかはわからないけど、自分が大切に思える人が結構いるって幸せだなぁと思った。
私が好きな人間は、一言で言ってしまえば「魅力的な人」
それは話す言葉だったり笑顔だったり人柄だったり生きざまだったりいろいろだけど、その人に会えばワクワクしてドキドキして、楽しくておもしろくて、勉強になって、ハッピーになれる。時には考えさせられたり感動したりもする。
それは、私自身が持っていない面を持つ人、あこがれのような存在なのかもしれない。

つかれた。

2009-04-13 00:48:55 | 舞台やダンスの話
イベントが1つ終わりました。次もすぐだから気は抜けないんだけど、夜自宅に戻って少しほっとした。最近1~2週間おきだからなぁ、時間もお金も精神的にもギリギリです。(本人は楽しんでるけど)
今日のダンスイベントは確かスクールの発表会・・・いや、発表会なんていうような内容のものじゃなかった。出演者の半分、プロじゃん・・・。キッズも大人もなんじゃこりゃ?レベルが高すぎる。
コンテストやクラブイベント見てるみたい。知り合いがいっぱい出てたし最近では一番おもしろかったな。
うちの子はただのダンサーじゃなくて、基本役者だから小屋入りすると半分スタッフになる。場慣れしてるというかとにかくずうずうしい。入るなり照明さんに「あれー?ひさしぶり!」と声をかける。「バミリ手伝おうかな。」などと言い出し特に仕事もないとなるとすぐに衣装に着替えてリハに入る。一緒に出演する子の手を引いて誘導。振りつけを教える。即席で他のグループのショー(「おとうちゃーん!!」といって走り去る)の出演をするなど、急遽盛り上げ役にもなる。会場にいるすごいダンサーさん達はほとんどうちの子の知り合いで、その人たちとタメ語で話をする。そのためかどう考えてもうちの子よりダンスが上手なスーパーキッズが興味ありげに近づいてきて握手して更に友達を増やす。何度も舞台に現れるかと思えば自分のダンスでコケる。最後なんか適当に踊ってるし、目立ち方が普通のダンサーとはまるで違う。大してうまいわけじゃないのに会場の中でひどく目立つ。あんたは気のいいスタッフかい・・・?おかげで私が彼の母だと知っている人たちがリハ中に次々と挨拶にやってくる。「今日は宜しくお願いします。」・・・といわれても、私も今日はただの付き添いでスタッフじゃないんですけど・・・。私には誰のお母さんだかお父さんだか全くわからない。「子供や私とつきあっても別にいいことないよ。」と母は心の中で思いながら軽く会釈だけしてやり過ごしていた。「お母さんそれだから友達できないんだよ。」とか子供に言われるが別に新しい友達いらない。人付き合いが嫌いなお母さんで悪かったわね・・・(-"-)
そんなこんなで1日中、気を使っていたのでとっても疲れました。






母?

2009-04-10 21:09:29 | 学校や教育の話
今朝、新年度という事で登校班の親達の顔合わせがあった。その時に自己紹介などするのだけど「○年○組の○○の母です。」とみんな言うのはなぜだろう・・・?と素朴な疑問がわいた。「母かどうか」に何か問題でも?愛人の子だったらそうはいわないだろうし・・・と思って私は「○○です。」と自分の名字だけを言った。すると取りまとめている他のお母さんが「班長の○○くんのお母さんです」と付け足した。私の正体など知るはずもない。心の中で「お母さんじゃなかったらどーすんのよ・・・」と思った。
いやいや、そんな屁理屈が言いたいわけではなく、班長に任せる仕事を班長の母にふるなよ、と言いたいのである。

例えば、こんな注意事項が書かれてある紙を渡された。
「学校を休む場合には朝できるだけ早くに班長宅へ電話をしてください。」
うちの場合、電話は一日中鳴らない留守電、もちろん母は朝寝ている、それは班長の仕事だから母は関わらない。「かけたら留守電だったからって私の携帯にかけるなよ。」といいたいのである。
留守電に入れるか、通学班の集まる時間に班長に伝えればよいこと。だって母が学校に行って、先生に連絡帳を渡すわけじゃないんだから、母に伝えても意味ないじゃん。

また続けてこんなことも書いてある。「保護者が集合時間に直接伝えてください」
うちの子は学校公開日(土曜日)などダンスレッスンや舞台で学校をよく休むけど、その場合は前もって伝えておくし、具合悪くて学校休むときは、よっぽど立てない状態でなければ自分で班に言いに行くのが当たり前としている。
さらに「続けて何日間か休むときでも毎日伝える」・・・・おいおい、いつまでかわかってればいいじゃん・・・。
私が思うに、時間までにこなかった子がいたら、班は先に出発しちゃえばいい。遅刻は本人の責任です。一年生とかで一人で行けなければ親が学校まで送ればいいわけで。
うちの子は、朝自分で起きて自分でご飯を食べて自分で鍵をかけて学校へいく。だから寝坊しちゃったら「ダメじゃん!」と怒られるだけ。朝、おいしいご飯を食べさせてあげて仕度をしてあげて送り出すようなことはしない。忘れ物をしても本人が悪いという結果になる。

「朝ごはんを食べないとお腹がすく、イライラする、集中できない」という事を理解させることが食育であり、食事を与えることじゃない。「時間に遅れたら、忘れ物をしたらどうなるのか」を知ることがしつけなのである。なぜなら全て自分に返ってくることだから、痛い目にあうのは自分自身だから。
自分の責任できちんと生活できたら「えらいぞ!」と褒めてやるだけでいいのだからこんな楽なことはない。

そうそう、私は普通の母親としての仕事はほとんどしていない。それでも「お母さんの特技はなんだろう?」と子供に訪ねると「やっぱ料理でしょ!」という。
「ふーん・・・・。」・・・何で・・・?


イベントな日々

2009-04-05 22:52:11 | 笑える話
実家に母が一時帰宅したので、午前中から引越しの荷造りの手伝いに出かけた。
子供、おばあちゃんと一緒に食器を新聞紙でくるむ。「こうゆう地味な仕事、大好き!」とか言いながら一生懸命コップをくるむ。・・・本心はお小遣い目当てであろう。実際の引越しはもう少し先です。

引越しもそうだけど、イベント続きでゆっくり休んでる暇がない。
写真は、横浜でイベントの際に取りました。海、船、そして意味なく走るプリンス達。
フラワーフェスティバルなるものをやっていたので、お花がきれいだった。いい季節に行けたな。写真もいっぱい撮ったよ、少しずつ公開します。
帰りは中華街の地味な店であんまり高くないコースを2つだけ注文し3人で分けて食べた。ギリギリの贅沢なのであった。

東京じゃない場所でのイベントは、観光を兼ねて楽しめるのでかなりいい。来月の鎌倉も観光したいけど、2回公演だと難しいかなー。時間ないからなー。
早朝に出発すっか。おいしい朝ごはん食べてからいくとか。うふっ(^^♪
食うことばっかですな。