Pixysのポジティブライフ

困難に立ち向かうアラフィフの日常
働いて働いて働いて働いて、たまに旅に出る

ラジオの楽しみ

2010-08-31 23:24:11 | 仕事や生活の話
これっと決めたこと以外には結構浮気っぽい私。
そんな私が最近はまってることは、NHKラジオ(教育)を聞くことです。
最初は車の中で退屈しのぎにかけた。教育放送ってのはわけわかんないのが多いだろうしジャマにならないから、仕事中にはもってこいかなと思って。

ところが、毎日聞いているとだんだん面白くなってきた。
朝は、詩の朗読。有名な作家のものよりも素人さん(特に小中学生)が作った詩が、生活に密着していてとっても面白い。「へー!」と思ったり「ほー!」と思ったり、「ありゃりゃ!」と思ったりおかしくて笑っちゃったり・・・。

しばらくすると、今度は昔話や伝記などのストーリーものが始まる。こちらはうさぎさんとかもぐらさんとか出てくる。悲しい最後のものもあれば教訓めいたものもある。
「結局そうだろうな・・・。」と納得する。涙がでちゃうものもある。

超笑えるのが12時。ラジオ体操が始まる。第一、第二、第四(?)「大きく息をすってー!いっち、にっ、さん、しっ!・・・・。つい体が動いてしまう世代なもんでね、第二まで・・覚えてるもんだな。ここで首のコリが解消する。

昼以降になってくると、ロシア語、ドイツ語(?)、英語、フランス語、中国語、韓国語と外国語講座の嵐になる。これがかなり笑える。ボラボラ~ボラボラ~としか聞こえないのは何語だったろう・・・?各国の言葉を順番に聞いているとエントランスとかすでに日本語になっている言葉が結構聞こえてきて・・「ああ、これ元はロシア語だったんだ。あの店の名前はフランス語なんだぁー。」とか。「サイゼリヤ」はやっぱイタリア語かなぁ?韓国語はしゃべれないけど、何言ってるかはほぼ理解できることも確認。なぜか英語よりよっぽど単語が入ってる。それに講師の先生の声がいい。私には超気持ちいい音色。中国語は頭の中で漢字にしてみるんだが、全く追いつかない。料理の名前ぐらいしか聞き取れねー。

比較してみると、語学講座はその国の特徴がかなりでていると思う。例えば韓国語は内容がやさしい。日常や旅行をテーマにした作りになっていて恋人同士の会話だったり友人愛があるのに比べて、ロシア語は結構エグイ内容。「じょーだんじゃないわ!なんで入場料がかかるの?!」とけんか腰な言葉だったり、ビジネスや経済なんかの説明で日本語訳してても全くわかんない内容だったり。お国柄が出ています。

まあ全体的にはさっぱり???なんですけどねーーーー!外国語講座は意味不明でもなんか気持ちよくきいてられるのだ。
ああ、最後に英語のニュース番組がある。最近は「ハトヤマ」「オザワ」「カン」という名前が出てきて、訳わかんないけどなんか想像できて笑いがとまらなくなるのです。


ほんとに暑い夏

2010-08-29 16:31:37 | どうでもいい話
マジあっつい日が続いておりますが、皆さんお元気にしてらっしゃいますか?
しっかし、8月も末になるというのに猛暑日が続くなんて・・・9月も夏の仲間にはいりそうっすね。気分はもう秋なのにー!
熱帯夜のせいか2~3日頭痛がしていたので、朝もなかなか起きれず、休みの日は頭に保冷剤を巻いて過ごしています。
何より、ノートパソコンが毎日危機的な状況で、最近ではタオルに巻いた保冷剤を2個、パソコンの下にじかに置いて冷やしながらでないと、最後まで作業することができなくなっています。ファンどころじゃないよ。

こう暑いと、冬がまちどうしくなります。夏には「早く冬にならないかなー!」というのだけど、冬には冬で「早く夏にならなかいかなー!」とつい口走ってしまう。
でも、私達は四季のある恵まれた環境の日本に住んでいるのだから、「夏にはあつい夏を過ごし、冬には寒い冬を堪能して四季を楽しまなければもったいない。」とどこかで誰かが言っていました。
・・・・ふむ、なるほど・・と思い、もう「早く冬にならないかなー」というのはやめようと思いました。残暑を楽しむ方法を探そうと・・・!

・・・・だからといってこの暑さ、、、たまらんなぁー!!!

ふと思った。

2010-08-24 01:18:47 | 笑える話
いきなりだけど、この間ふと気がついた事がある。
同じ人間の目や脳、そんなに大差ないはずなのに、何で霊が見える人とそうでない人がいるのかなぁーとずっと疑問に思ってた。
そりゃー、多少は感がいい人とぼーっとしている人がいるでしょうが、霊能者じゃなく一般の人ならそれほど大差ないのになと思って。
胸の上で手を組んで寝ると怖い夢を見る・・・という噂は、何人かが試したけど本当なんだよね。そうすれば殆どの人が怖い夢を自ら見ることができる。
(うそだと思う人、勇気のある人は試してみてくれ・・・)
そこからピンときた。

普通の人にも霊が良く見えるところはどこだろう・・・と思って考えてた。
そしたら、「暗闇の中で明かりがともる場所」が多いことに気がついた。
うーんと、例えば、夜、自動販売機前、電話ボックス、街灯の下、トンネル、家の玄関口、病院の廊下、月明かりで光る湖や池、海、鏡、窓ガラス、携帯画面やパソコン画面、車のライト、フラッシュの光に写ったりする・・・・
つまり、霊は光に反射して見られることが多いのだろうと思う。あるいは光や電気、そこから発してる電波かもしれないけど、そうゆう物で実体化できる。いや、死んだら明かりの方へ勝手に引き寄せられるのかも・・・何となくロウソクも線香もそんな使われ方なんじゃ・・・?
よーく考えてみれば、光や電波ってあるのは知ってるけど物じゃない。酸素も見えないけどある。見えないけどあるものって世の中には結構あるもんだ。

そこで、霊をみる一般人は、全く見ない人と比べて、もちろん無意識なんだけど、普段から歩いてて明かりの方を良く見る人なんじゃないかって気がしたの。
勝手な自論だけどー。
そんで、思いついたから意識的に明かりがある方を見ながら、夜中歩いてみようと思ったっけ、そう思うと怖くてできないのが難点です。はっはっは・・・!
自ら霊を見る方法となるか否か。でももしそうならいても見ないこともできるわけで。
夜中、霊のいそうな暗い道を歩くとき、ためしに誰かやってみて・・・。
結果が出たらぜひご報告をお願いします!

反抗期vs更年期

2010-08-23 21:44:49 | 笑える話
うちの子は反抗期まっさかり。
「そろそろ髪切ったら?」「やだ。」
「宿題終わったの?」「今はやりたくない。」
「痛いなら病院にいってくれば?」「めんどくさい。」
「暑いね、今日。」「別に・・・?」

何を言っても「やだ。」と一回は言う。
誰が決めたのだか、どこの医者が言ったのだか知らんが、反抗期は自立心が芽生えてきた証拠。・・・・とか?
なら自立してもらおうとほっとくのだが、小さい時より今の方がむしろ他力本願。何をするのも人に頼ってくる。しかたなく助言したり手伝ってやるとそれに対しても文句を返す。まったくお手上げである。

・・・つうか、彼の反抗期にどう対処しようかなどと考えた事はない。大人になれば自然に終わるものだから、いちいちムカついてても時間の無駄だし気分悪いし、彼のいう事は無視して、私自身が良かれと思うように行動するだけである。
だって、彼は反抗期かもしれないけど、私は更年期~~~
殴り合いになっても負けはしない。

そして今日も反抗期と更年期のすれ違いは続くのである。

戦争の記憶

2010-08-15 22:37:17 | 難しい話
今日は終戦記念日ですね。
だからってわけじゃないんだけど、実は2週間ほど前から百田尚樹の「永遠の0」という本を読んでいた。内容が難しい、というより複雑なので毎日寝る前に30分ほどの読書にしている。それで蒸し暑い夜でも良く眠れるかなって思って買った一冊だったんだけど・・・。
ゼロ戦に乗っていた今はなき祖父について孫が祖父の戦友達に当時の話を聞いていくストーリーとなっている。難しいっていうのは、フィリピンやサイパン、満州、ガダルカナルなど前もって何の知識もなかったので、島の名前や位置、どの対戦がこの戦いなのか・・・とかあまりに戦地が多く出てきて、頭が混乱した。学校で習っただけの知識ではついていけない。
戦争は悲惨だとか思いながら、この歳になるまで何にも知ろうとしてなかった。

まあ、そのせいか、その本を読み始めてから夢の殆どは戦争の夢で、しかも戦闘機に乗って旋回していたり、陸軍としてジャングルに身を隠していたりと私自身が夢の中で戦っている。なんで?女なのに戦うのかい?と思う。ちょっと笑えるでしょ。
特にゼロ戦にのって操縦機を前にまるでひるんでいない自分。正面から敵機が飛んでくる。目の前で旋回とかして後方にまわり撃墜する。水面ギリギリも飛んだ。夢の中では名パイロットなのである。旅客機にも乗りたくない私が戦闘機なんて、「おいおい。」と自分にツッコミを入れたくなるが。そんな夢を見続けている今日この頃なのです。
さかのぼって、馬に乗って戦に出ているときもあったな。過去に戻りすぎ・・・(笑)

よく考えると私の父方の祖父は兵士だった。祖母は10年位前に101歳でこの世を去ったが、単純計算すると戦争当時30代半ばだったはずだ。祖父の遺影は軍服姿。子供の頃、家に遊びに行くとまずその写真に目を奪われた。ちょっと怖かった。見たくないんだけど見てしまう。やはり30代半ばで祖父は戦死している。
そんなに若くして夫は戦争に取られ、残された6人の父の兄弟達を育ててきたんだな。祖母には全く頭の下がる思いである。生きていた頃の祖母は何もいわずにいつもニコニコ笑っているやさしい祖母だった。
先の戦争で310万人という犠牲があったという。想像もつかない数字だけど実際はもっと多いに違いない。そう考えると、東京空襲の中、生きながらえてその後も子供の命を守った祖母に感謝しなければいけない。もし子供達の命が尽きていたなら、今の私もうちの子供もこの世には存在していない事になるわけで・・・・・。
はあーーーーーーーーーーーーーーー。と大きなため息が出た。今まで戦争は自分には関係のないものだと思っていた。知らない時代に起きたおとぎばなしのような。でもまだ65年、本当は大きく関係していた事に今年初めて気づいた。仕事で拘わっているお年寄り達は間違いなくそんな時代に苦難を乗り越え生きていた。
だから私や子供が生きている限りまだまだ戦争の記憶はずっと繋がっていくのだと思う。
私にも戦争の記憶があるといえるのかも・・・。

写真のちょっと怖かった祖父の面影を重ねて、この本、まだあと200ページ位読みます。

無くなった実家

2010-08-10 22:33:12 | どうでもいい話
写真は、前、実家があった場所。すっかり何もなくなってしまいました。
つまり私のふるさとにあたるところなんですけど、上から見るとかなり広い範囲が、荒野となっています。車で移動してても全く違う町になっちまって、大きな道が開通されたり、今まで通ってた細道がなくなりマンション立ってたりして方向がさっぱりわからん。近くに買物に行くのに迷子だょ~!
家のあった場所は今後公園へと生まれ変わる予定。ここ全部公園ならすっごい大きな公園になるなぁーと思う。大宮公園レベル?
出来たらまた写真とってみるね!

さて、そろそろお盆ですが、母はいったいどこに帰ってくるのでしょう?
家がないけど、元の場所かな?新しいほうの家は住む前に亡くなったのだけど、仏壇はそこにある。病院生活が長かったから病院内をさまよわないで欲しいが・・・。いったいどこに帰ってくるのやら?
そーねー、呼ばれた所に来るのかもしれないねー。

ふっ!コケタ。

2010-08-04 22:10:41 | 笑える話
こわいもの見たさ・・・?なのか、昨日の記事のアクセス数、ずいぶん多かったのね。

今日は久しぶりにケガした。うーん、怪我して痛い思いしたのって何年ぶりだろう?
階段でけつまずいて、商品守るためそのまま正座でゴール。その時は痛いっていうよりも、「セーフ!!」って思ったけど、その後、何気に膝を付いたら一瞬激痛が走った!
長ズボンだからわかんなかった。両膝小僧、真っ黒、重症・・・。昔バイクでこけたときみたい。^_^;
昔と違って、あざができるとなかなか元にもどらないのよね。
保冷剤で冷却したらすぐに痛みは取れましたのでご心配なく。

ハデにこけてもこの程度のアザなら、まだまだ若いな。ふふふ。

ちょっと怖い話

2010-08-03 22:14:27 | おもしろくない話
7月の最終土曜日、ダンスレッスンの前に浦和の美術館へ行ってきた。
遊んだの久しぶりですっごい楽しかった!美術館の中は涼しかったし。
その時に外で撮った写真にまた妙なものが写りこんでいたので、ブログに載せようかと思ったけど、誰かにのりうつられてもなんだからやめた。夏だなぁ。
子供に見せたら「これ、お母さんが撮った写真じゃん!すぐ削除して!」と怒られたので、処分しました。
ちなみに私が撮ると100枚に1枚は妙な写真が撮れてしまいます。
でも昔から実家にはそんな写真が何枚もあったから、たぶん遺伝だと思います。
最近はデジカメだから昔みたいにプリントはしない。データのうちに削除できるから安心(?)かどうかは別として、家の中に残ることもなくなり、まあ、便利になったよね。
良かったよ。
あたしゃ、心霊写真をテレビ番組に投稿する人の気が知れないよ。供養してもらうのが先でしょ。だからといって持ってる気にもなれないのでデータのうちに削除します。

そういえば、母がまだ生きている頃、母方の兄弟で旅行にいった時に撮った写真、行方不明になっていた。母の肩にのった手。今思えばあの写真は警告だったのかもしれない。それ以来、その写真は行方不明になった。母が退院したときに母と一緒に何度か探してみたけど結局見つからなかった。あの写真はいつになったら出てくるんだろう。
それとも幻だったのか・・・・。