短期間にいろいろありすぎて、書くのがめんどくさい数日間だった。
いや、まだ書く気になれないだけかもしれない。どう整理したらいいのかわからずにいて、頭の中で文章化できてない。だから少しずつ書いていくことにします。
とりあえず、葬儀にきてくれた皆様に御礼申し上げます。
先週の金曜日、朝からノドがひどく痛かった。どうやらカゼをひいたらしい。何とか起きて仕事へ向かおうとしていた朝9時半ごろ、病院から呼ばれ到着した時にはすでに心肺停止。「ついさっきですが呼吸が止まり心臓も止まりました。」と医者は簡単に説明し、父が到着するのを待って宣告という形だった。
母の顔は生きている時よりもはるかに穏やかで、眉間にシワひとつみえない、肌もまだあたたかかった。ほんとに死んでるの?と疑いたくなるような直後でその時には悲しみも沸いてはこなかった。父が来るまでベッドの横で、ぼーっとしていた。
隣のナースステーションから若い看護師達の笑い声がし、病院はいつもと変わらない風景。日の光は明るく部屋を照らし「ああ、天国にいくんだな。」と思えるような感じだった。
その後、母は解剖のため霊安室へ運ばれる。私は病室の荷物を整理し、ナースステーションに風呂敷に包まれた浴衣を届ける。パジャマから着替えるためだ。
母は入院生活が長いから、死後は浴衣が必要だという事をしっていて用意してあった。そりゃそうだ。いままで何人も見送ってきたのだから。そういえば、無菌室で一緒だった人のお葬式にもいったな、二週間位前にも隣の病室の人が夜中に亡くなり、その話をしながら泣いていたっけ。人の事気にしている場合でもないのに・・。浴衣を用意してあった話を聞いて、看護婦さんがたまらず顔を覆い涙を流す。本人はずっと前から覚悟が出来ていた。
そして母は解剖され、この世での最期の社会貢献の役割を果した。
私は一旦自宅に戻るため病院を出る。横断歩道を渡り振り返ると、いつものクセで病院を見上げて「また来るね。」と言いそうになる。「違った。もうこの病院に来る事はないんだった。これが最後だった。」と思ったら、なんだかとても病院や先生や生前の母の姿が懐かしく思いだされた。
母は病院から葬儀屋の霊安室に運ばれるとお線香を立てられ、いきなり「ご遺体」となる。親戚や家の家族がやってきて、葬儀屋との簡単な打ち合わせをする。本格的な打ち合わせは翌日行なった。
弟も駆けつけたし、喪主は当然父だから、私はほとんど黙って聞いていた。
人が死ぬってもっとドラマチックなものだろうと予想してたけど、お金の話やら日程の話でしらっとしていて、普段仕事している時と変わらない時間が流れる。父がいて弟がいて、お茶が出てくる。ただそこに母がいないだけだった。