Pixysのポジティブライフ

困難に立ち向かうアラフィフの日常
働いて働いて働いて働いて、たまに旅に出る

学級閉鎖

2009-10-26 21:46:39 | 病気や健康の話
とうとう子供のクラスでインフルエンザが多数出たことにより学級閉鎖となった。一週間、じっと息を潜めていなければいけないらしい。
明日から予定されていた修学旅行に行けなくなった彼は、半分悔しそうで、学校がしばらく休みのため半分嬉しそうでもある。
まあ、修学旅行は延期でいつか行けるから、そんなにガッカリしなさんな。

しっかし、今日学校の教頭から電話がかかってきたときにはビックリした。
運転中だったから留守電にしたんだけど、その留守電に「緊急の連絡網です。すぐに学校までお電話下さい。」と入っていたの。
緊急なんていったら、普通、学校に刃物持った男が乱入したとか、子供が事故にあったとか、そういうのを想像するじゃん。かけてみたら
「1つ、今日は給食を食べたら帰らせます。2つ、明日から一週間学級閉鎖です。3つ、修学旅行は延期です。」・・・・緊急じゃなくてもいいじゃん。それに、一つ、二つ、三つって・・・・。なに?

学級閉鎖というのは、私も子供の頃に何回か体験してる。あの時代は、はしかとか風疹だったな。今みたいに予防接種もなかったし、隣のうちの子がかかれば自ら移してもらいにいったもんだ。小さいときにかかっておけば安心ってね。
だから私はそういったはやり病は全て抗体を持っている。インフルも実はずっと昔にかかっているのかもしれない。その当時は新型が見つかってなかったわけだから、それにかかってもちょっと重症なカゼか、あるいは普通のインフルエンザで済まされていたのかも。子供の頃なんて熱でたって頭冷やすくらいで、いちいち病院にはいかなかった。一人暮らし初めてからはなおさらだ。ただ、会社休んで家で市販の薬飲んでひたすら寝てただけ。だから自分がどんな病気だったのかなんてわからないし。
特別な病気を持ってない限り、普段から健康生活を心がけ、体は常に病気と闘える状態を維持していくことに限る。
私には食べすぎと寝すぎが一番良くない。体痛くなる、お腹痛くなる、顔がはれる、頭が働かなくなるって事は正常じゃない状態だから、特に気をつけよう。
そのわりにストレスを感じる事はほとんどない。あるのかもしれないけど、どこも辛くないから、多少のストレスはかえって体にいいのかもね。

さっ、今日もぼちぼち始めますか!


忙しすぎて・・・。

2009-10-23 22:38:00 | 泣ける話
ゼェーゼェー・・・・・。マジ忙しすぎて倒れそうっす・・・・。次々と起こるトラブル、続けざまにかかる電話、やっかいな用事、他人のミスの処理・・・・普通に生活したい
今日は家に帰ってきてバタンと倒れてしまいました。さっき復活しましたが。
引越し準備どころか醤油がきれても買物にも行っている暇がない。
子供と旦那は着々と移動の準備を始めているようです。
私は「明日こそやろう」とか思いながら、全然手をつけられてない状態。そろそろ動かないと間に合わなくなる。
だからといって、仕事しないわけにはいかない。
部屋を片付けだしたから、洗濯物はなんだか増えるし、部屋の中もダンボールとゴミだらけ。おいおい・・・。
わたしはハウスダストのアレルギーです。涙とくしゃみが止まらずに頭痛が続いています。サイテーな環境に今、おかれています。


最近の病院

2009-10-20 23:46:20 | 病気や健康の話
父の手術日。病院の先生から何があるかわからないから家族が立ち会うように言われ、遅くなったけど仕事終わりに病院に行った。
母の入院していた病院とは全く違って、最新設備の揃った新しい病院である。
最初、手術中の家族用の待合室に通される。時間が遅く他には誰もいなかった。
雑誌、漫画本等が並べられた棚、ブルーのソファーが壁に沿って並んでいる。まあ、すわり心地の良いソファーだこと!普通、手術つったら廊下のベンチだろ・・・とか思う。ここに座ってたんじゃ、家族もあんまりドラマチックな手術待ちの時間は過ごせないな。とか思う。

手術室は、テレビで見るのとは全くイメージが違う。めちゃ広く、明るく、一面ガラス張りで中が見えるようになっている。母のいた無菌室よりよっぽど中が良く見える。ドアはもちろん分厚い自動ドア。人が通るとウイーン!となる。
手前の部屋にはモニターが10台以上並んでたり吊ってあったりして、病院というより地球防衛軍の基地みたいだな・・・とか思う。そのうちの2台を使って執刀医からの説明があった。・・・うーん、なんて大きくはっきり映るんだろう。心臓の血管の様子が手に取るようにわかる。これなら誰でも手術できるんじゃないか?とか更に思ったりする。
ガラスの向こう側の手術台に寝かされた父は局部麻酔だけですみ、意識がはっきりしている。下半身にかぶせられた布は多量の血に染まっているけれどダメージはなさそうだ。あんなに出血しても人間生きてるもんなんだ・・・いや輸血したのかもしれない。その光景は、さながら宇宙人に人体実験されている地球人みたいな・・・・。
一時、集中治療室に入り、すぐに病室に戻る。腹が減ったらしく術後数時間もたってないのに、寝たままおにぎりを貪り食う。鶏肉の焼き物も食う・・「いやー、楽だったよー。」と他の部屋の住人に話しかける。とりあえず酒がなくてよかった・・・。
病室の家具類も丸みのあるカラフルなプラスティックや、ゴム素材で出来ていて、子供が転んでも痛くない感じ(笑)病院というより保育所だなとか思う。
ためしにトイレに入ってみた。キレイだし便座あったかいし、やっぱ、ウォシュレットか。泊まるにはいい環境だね。
そんなこんなで無事終了しました。あー、一個面倒な事が終わった。

2009-10-17 23:32:51 | 変な話
2~3日前からレンジの火がつかなくなった。たぶん電池が切れたんだと思う。ガスは出てるから、チャッカマンで火をつける。それからお風呂が自動で沸かせなくなったり、洗面所の電気もチカチカ・・・。まるで私達が出て行くのがわかっているみたい。「役目は終わった」とでもいうように次々と使えなくなっていく家。不思議な現象が起きている。まあ、そんな事もあるのかもしれないなどと思いながら、忘れないように家のあちこちを目に焼き付けていく。
10年以上住んでいた我が家は、改めてみると結構いい家だ。

子供の頃から貧乏でずっと借家住まいだった。六畳一間のアパートだったり父の会社の社長さんちの二階を間借りしてたり、おじいちゃんちは駄菓子やのようなお店をやっていたけど、そこも借家だった。
ある時、ボロボロのアパートから、初めてのお風呂付の家に引越す日、母が泣いているのを見た。「なんでいい家になるのに悲しいんだろう。」と思ったものだ。
小学生の頃、お金持ちの友達はみんな自分の家を持ってて羨ましかった。だからいつか自分もお金持ちになって自分の家を持ちたかった。夢が叶った時には本当にうれしかったな。
大人になってわかったのは、家を持ってるからって別にお金持ちではないってことだ。それに持ってれば持ってるで修理しないといけない時が来る。物は必ずいつか壊れてしまうのだからしかたない。
あの日、母が泣いていた気持ちが今は少しわかるような気がする。どんな家でもそこで生きてきた年月があるわけだから。
天井の木目を、襖の模様を、ドアノブの感触を、愛おしく懐かしく思い出す日がくるのかもしれない。1つ1つに感謝しながら残りの日々を過ごそうと思う。

なぜに重なる?

2009-10-12 10:25:38 | 仕事や生活の話
引越しが具体化してきて、次回公演の稽古が始動し11月までの土日のスケジュールは全て埋まってしまった。仕事は山済みで年末が近づいてくる。パソコンのお仕事は11月~12月が特に忙しい。各社新しい年に向けていろいろ策を練るからだ。秋かと思っていたらもう冬じゃんか。来年は年賀状なしなのがちょっと救いかな。
でも、なんでこういろいろと重なるんだろうか。

引越しはやることいっぱいで大変だ。荷物の整理だけで済ませられるもんじゃない。そんなハードなスケジュールの合間にいったい何枚の書類の書き換えをし、手続きにいき、支払いを済ませ、メールを打つことか、考えただけでも恐ろしい。学校にも行かなきゃいけないんだろうけど、先生と会うだけでも時間調整は難しい。
同時に卒業と中学入学準備が始まっている。
先日どこの中学に入るかの用紙が学校から来たけど、それさえ書けなかった。どこいくのかわからなかったんだもの・・・・。中学校の案内書、もらえないかも・・・・。すでに遅れてる・・・。
制服も体操着もカバンも靴も、細かいこと書くと生徒手帳やら校章やら授業で使う備品やら・・・用意するものは想像をはるかに超える。中学は入ってすぐに「中間テスト」があるから、参考書なども必要になってくるだろう。
大人になってから半年などふーっと息を吐いたとたんに過ぎてしまう。

よーく考えてみれば主婦とは実にそんだ。引越しするのも自分の部屋だけじゃ済まず、キッチン、お風呂、トイレ、玄関、冷蔵庫、クローゼットや押入れの中・・・家中全部片付けるようになるわけで。一日二日でどうにかできる話じゃないわな。土日埋まってるのにいつやるのさ・・・。更にアレルギー性鼻炎には辛い日々が続く。(今もう、くしゃみが止まらない状態)

そんな合間にポンと入ったお芝居出演の話。「セリフ覚えてる暇あるのかい?」と聞いたら「もう最初の方は覚えちゃったよ。」と軽くかわされる。ふん、忙しくて目が回ってるのは私だけかいっ!今回は私はあんまり関わってられない。もう一人でも稽古場にもいけるし大丈夫だから、好きなようにおやりってなもんだ。
半分彼を認めつつ、半分捨てに入って、今回はなるたけ関わらないようにすることにしようと思います。

感動の再会

2009-10-04 22:33:30 | 笑える話
9月29日夕方、東京ドームに行ってきました!
すごい人、人、人・・・・。喫煙所でそれを眺めていたら、そばにいた女性が話しかけてきた。「すごいですねー。ほんとにおばさんばっかりですねぇー。」
その人もおそらく40は過ぎているんじゃないだろうか。まあ、自分も家族のみんなも自覚してるってことだね。
でも本当に面白かったのは、会場に入ってから。
私は早めに着いたので始まるまで1時間半くらい自分の席に座ってじっと待っていた。最初はあまり人はいなくて、おなかもすいていたしジュースでも買ってこようかなと思ってたけど、それどころじゃなくなった。
「あの・・・このチケットはこの席でいいんですか?」かなりいいお年のおばあさん。杖までついてます。チケットを見ると3塁側の席番号。私は子供の頃よく野球見に行ってたからわかるけど、東京ドームの座席はわかりにくい。
「三塁側の席ですね。」周りを見てもまだ時間が早く、ビール売りのお姉さんしかいなかったので、おばあさんをお席まで案内することになる。
自分の席に戻って、そういえば前回も同じような事あったな・・・と懐かしく思っていると、隣に人がやってきた。
「こんにちわぁ!!」「あ・・・こんにちは。」・・・誰だかわからないけど、ヨン様の家族はみんな元気に挨拶をするものである。
「楽しみですねー!早く始まんないかなー、あれ、入り口でもらったこのハンカチは何に使うんでしょうねー。これ、スカパーと契約しろってことですかね・・・・・」
挨拶ばかりでなく、ごく自然に、まるで知り合いのように話し始めた。一応相槌を打ちながら、話に付き合う。隣の席ってことは同じファンクラブの会員なんだろう。
さて、あと5分で始まるという時に電話がなる。「しまった!電源きってなかった。」見ると仕事先から・・・・着信拒否。
場内に「まもなく開演です」の放送が流れる・・・と思った瞬間、ドン!!という音が聞こえ、一人のおばさんが転げ落ちてきた。たぶん、3段ぐらい踏み外して・・・。「大丈夫ですか!?」と駆け寄ると「わたしったら慌てちゃって・・・ああー始まっちゃう・・・早く席に行かなきゃ!」おばさんはすっと立ち上がり、片足ひきながら前の席のほうへ去っていった。かなり痛かっただろうに・・・家族の愛は相当なものね・・・。(^_^;)

内容はというと、ヨン様、ジウ姫登場は感動だった!ドラマのワンシーンを見るように雪が舞い降りてくる中、2人は久しぶりの再会という設定で抱きあう。場内から「きゃーーー!」という声が上がる。テレビのワイドショーで誤解されて放送されるけど、それは決して「やめてー!」というものではない。ヨン様のファンはそれを大喜びするもの。「もっとやってー。」ってなもんだ。
最後には、気球に乗って会場を回ってくれたんだけど、近くで見るとほんとにチェ・ジウはかわいかった
ヨンヨンは手の届きそうなところまでやってきた。隣の人が「ヨンジュンシー!!ヨンジュンシー!!」と大声で呼ぶものだから、ヨン様も気がつきこっちに手を振った。・・・ああいう時は恥じをすてて呼んでみるもんだね。
胸の前で手を合わせて、また出会えたことに感謝しました。