茫庵

万書きつらね

2012年03月22日 - 象徴詩 9

2012年03月22日 22時59分14秒 | 詩学、詩論

象徴詩 9

今回はBaudelaireのGuignonの第二聯です。

 前の聯では重荷を持ち上げるのはたいへんだ、という話でした。芸術は人生すべてを投じて挑むにはあまりにも長大だ、という痛々しい叫びともとれる一文で終わっていました。あまりにも重い荷物を負わざるを得なかったこの人物も、道途中で燃え尽きたのでしょうか。第二聯ではいきなり墓地の情景が描きだされます。

 数々の有名な墓などには目もくれず、
 遠くにひとつ、ぽつんとたたずむ、とあるお墓に向かって、
 わが心臓はヴェールをかけて音を押し殺した太鼓のように、
 葬送行進曲を叩きながら進んでゆく。

というほどの意味合いになります。ヴェールをかけた太鼓、というのはぐもぐもと鈍くこもった音、どんどんと高鳴る鼓動のような感じではありません。誰にも顧みられない、遠く離れたところにぽつんと立っている墓に眠る人物のために、主人公の心臓は葬送行進曲を演奏しながら向かうのです。この人物の偉大さを敬慕するのは自分しかいない、という自負と誇り、おまえらに分かってたまるか、という怒りが入り混じった感情も受け取れます。それが何を象徴しているのか、それを表現して作者は何が言いたいのか、という事なると更に別な事に思いを馳せる必要があります。

 沢山の人が賞賛するから素晴らしいとは限らない。むしろ忘れ去られてしまったものの中に輝ける真実が宿る場合もある。本能はその真実を求めるが、その真実とともに歩むという事は、想像以上の重荷を負う事になるだろう。また、あまりにも自己の存在はちっぽけで目標たる真実は長大である。世間では、もうその真実は滅び去ったと思われているが、自分は真実のために抑え気味の鼓動で葬送曲を奏でながら歩み続ける。自分の胸に去来するもの。それは、ただ前に進む、のみである。

 なんてところが筆者のイメージです。易でいえば、「占じてこの卦を得たら、人を欺いて密やかに己の誠を通すべし」などと解するところです。しかしながら、それでも答えは常にそれだけという訳ではありません。別な時に占えば、「己の理想破れ、墓中に、ただ休む」のような答えが出るかもしれません。