茫庵

万書きつらね

2012年03月20日 - 象徴詩 8

2012年03月20日 22時41分39秒 | 詩学、詩論

象徴詩 8

Baudelaireの Guignon を読んでいきます。

 今回はようやく、本詩の初聯に入ります。

ご機嫌斜めのぼーちゃん(画・風雷山人)

 服装や目や髪の色など分からなかったので適当ですが、有名な白黒の肖像から起こしたぼーちゃんとぽーちゃんです。

 それはさておき。

 最初の2行はこれといって問題なさそうですね。Sisypheという固有名詞が出てくる位です。次の2行、特に4行目は有名な一文で、Longfellowの「Psalm of Life」からの流用として知られているところです。総合すると、


  こんなにも重いお荷物を持ち上げるには、シーシュポスよ、あなたの勇気が必要だ。
  仕事に全身全霊を打ち込むといったって、芸術は永く、人生なんてすぐ終わってしまうんだ。

 のような意味合いになります。

 そんなご教訓をこんな不良おやじに垂れてほしくないです。ま、それもさておき、普通の詩として見るならこれはこれで良いのですが、象徴詩として見ると、これだけで終わってはいけない気がします。

 重いお荷物とは何の事でしょうか。なぜ4行目になっていきなり芸術、という言葉を持ちだしているのでしょうか。芸術が「永い」とはどういう事を云うのでしょうか。すべてエドガー・ポオの事を述べているからなのでしょうか。

 さしあたり、ポイントはそんな所でしょう。

 まず重荷を持ち上げること=仕事=芸術である事は、文脈上容易に想像できます。シーシュポスの勇気が必要なほどの、というのはただ努力しただけでは永遠にやり遂げる事は無理で、それでも報われない努力を重ね続けていこうとするほどの勇気、それは気の遠くなるほどの忍耐を伴うとしても辞さないほどの勇気。それが必要になる位の困難、という風にも取れます。要は普通に努力して出来る事ではない、という事です。常人ならとうてい諦めてしまうほどの努力を払ったとしても、芸術は永く人生は短いのです。

 こうしてみると、この苦労の主人公はやはり芸術家のことを言っていると見るのが自然です。しかし、それだと「象徴詩」ではなく単にある人物に捧げた詩、ということでよさそうです。なぜこれが象徴詩の一節になるのでしょうか。ここはやはりもうひとつ奥に入り込む必要がありあそうです。

 Edgar Allan Poeはアメリカの詩人、作家、評論家、哲学者として知られていますが生前はとても不運だったそうです。なので、そのPoeを仏訳し続けたBaudelaireがPoeの不運への抗議意識でこの詩を書いたとしても不思議ではありません。しかし、事はひとりPoeについてだけではなく、人と過酷な運命と芸術のせめぎ合いにまで及んでいるのではないか、と私には思えます。

  芸術を志す者たちよ、覚悟せよ。
  御身等が思うほど世間は御身等を大事には思わぬぞ。
  やるべき事は無限にあり、与えられた時間はわずかなのだ。
  心せよ、そして辛苦を自ら選ぶほどに勇敢なれ。

 といった、若き芸術家に向けてのメッセージも感じられます。当時、おそらく大半の芸術家も読者もそのような危機意識も緊張感も持ってなかったのでしょう。それに対する抗議も含めて「おまいらにはどうせ分からないだろ」という思い込めて、こういった作品を搾り出したのだと考えると心中いかばかりかという思いも湧いてきます。象徴詩には、人が分かってない事に対する揶揄や警告が込められていたりするので、この作品にも社会や人々に対する揶揄や批判が根底に流れているとすると、まだまだ出てきそうな気がしますが、ここから先は読者それぞれの領域としましょう。

 最後にBaudolaireがこよなく愛した(かどうかは聞いた訳ではありませんが)Edgar A. Poe ことぽーちゃんを紹介して今回の幕引きにしたいと思います。

ハの字眉毛のぽーちゃん

ぼーちゃんと同じく白黒の絵から起こしたので色は今ひとつです。

 

2012年03月20日 - 象徴詩 7

2012年03月20日 17時33分33秒 | 詩学、詩論

象徴詩 7

Baudelaireの Guignon を読んでいきます。

 とあるチェコのBaudelaireサイトの解説文によると、この詩はアメリカの作家、評論家、詩人であるEdgar Allan Poe の事を書いているそうです。まあ、BaudelaireはPoeの翻訳家として確固たる地位を築いていた人なので、自分の詩作でPoe本人の事をお題にしてもおかしくはありません。別な文献でも同じ事を書いているのを読んだ事があるので、嘘ではないのかもしれません。

 前回触れた流用部分についてですが、有名な一文、「L'Art est long et le Temps est court.」は古代から知られた名言で、古くはHippocrates、下ってはアメリカの詩人、Longfellowの「Psalm of Life」にも見られます。これも含めて4-8行は流用で、9-11行も英国詩人、ケンブリッジ大学教授Thomas Grayの「Elegy Written in a Country Churchyard」からの流用である、と同解説文では書かれています。

 今回は訳詩を挙げておきます。ドイツ語と、微妙に差異のある簡体字、繁体字の中国語訳です。波特萊爾(波bō 特tè 莱lái 尔ěr )で検索すると、出る出る。中国語圏の文学研究熱はすごいです。「恶之花」紹介文に芥川龍之介の「人生は一行のボオドレエルにも若かない」という言葉が添えられていたりします。ドイツ語版は前回と同じ、Stefan George です。中国語の簡体字版には注釈も含めてPinyinを振りました。日本語と英語の訳詩は目にする機会も多くいくらでもあるでしょうから今回はパスします。

 ただ、詩が本来持つ韻律が各言語にどのように導入されているかはなんとなく感じ取れるのではないかと思います。


UNSTERN
            Stefan George

Um solche lasten zu heben
Braucht es des Sisyphus mut ·
Und wär unser wille auch gut:
Lang ist die kunst · kurz das leben.

Fern von ruhmreichen malen
Nach einsamem totenwall
Zieht meine seele in qualen
Zu trauernder trommel schall ...

Mancher edelstein ruht
Verscharrt in der finsternis hut
Und weit von stichel und brille ·

Manche blume spart
Ihren duft wie geheimnis so zart
Vergebens in einsamer stille.

 以上、http://de.wikisource.org/wiki/Unstern から引用。


è yùn
恶运

yào fù qǐ rú cǐ de zhòng dàn,
要负起如此的重担,
dé yǒu xī xī fú ① de yǒng qì
得有西西弗①的勇气!
jǐn guǎn rén men yǒu xīn nǔ lì
尽管人们有心努力,
què yì shù cháng ér guāng yīn duǎn
却艺术长而光阴短。

yuǎn lí nà xiē zhù míng de fén
远离那些著名的坟,
cháo zhe yī zuò huāng pì de mù
朝着一座荒僻的墓,
wǒ de xīn rú fā mēn de gǔ
我的心如发闷的鼓,
zài sòng zàng de qǔ zhōng qián jìn
在送葬的曲中前进。

  duō shao zhēn bǎo shuì dé sǐ sǐ
——多少珍宝睡得死死,
mái zài hēi àn hé yí wàng lǐ
埋在暗和遗忘里,
yuǎn lí zhe tiě hào hé tàn zhēn
远离着铁镐和探针;

duō shao xiān huā kòng zì tàn jiè
多少鲜花空自叹嗟,
jì shēn yú shēn shēn de jì mò
寄身于深深的寂寞,
sàn fā zhe yǐn mì de wēn xīn
散发着隐秘的温馨。


 xī xī fú yòu yì xī xù fú sī,
  西西弗又译西绪福斯,
 xī là shén huà zhōng kē lín sī de wáng,
 希腊神话中科林斯的王,
 xī là shén huà zhōng kē lín sī de wáng sǐ hòu bèi fá zài míng jiè tuī yī jù shí shàng shān,
 死后被罚在冥界推一巨石上山,
 jiāng jí shān dǐng,shí yòu gǔn xià,rú cǐ fǎn fù bù zhǐ。
 将及山顶,石又滚下,如此反复不止。

 以上、http://www.wenhuacn.com/wenxue/xd_shige/ezhihua/012.htm から引用。

惡運

要肩負起如此重擔,
得有薛西弗斯的勇氣!
儘管人們有心努力,
卻藝術長只見光陰短。
         
遠離那些著名的墳,
朝覑一座荒僻的墓,
我的心如發悶的鼓,
在送葬的曲中前進。
         
──多少珍寶睡得死死,
埋在暗和遺忘裏,
遠離覑鐵鎬和探針;
         
多少鮮花空自嘆嗟,
寄身於深深的寂寞,
散發覑隱秘的溫馨。

 以上、http://www.wisdomgarden.com.hk/fcnscs/bdly.htm から引用。