象徴詩 8
Baudelaireの Guignon を読んでいきます。
今回はようやく、本詩の初聯に入ります。
最初の2行はこれといって問題なさそうですね。Sisypheという固有名詞が出てくる位です。次の2行、特に4行目は有名な一文で、Longfellowの「Psalm of Life」からの流用として知られているところです。総合すると、
こんなにも重いお荷物を持ち上げるには、シーシュポスよ、あなたの勇気が必要だ。
仕事に全身全霊を打ち込むといったって、芸術は永く、人生なんてすぐ終わってしまうんだ。
のような意味合いになります。
そんなご教訓をこんな不良おやじに垂れてほしくないです。ま、それもさておき、普通の詩として見るならこれはこれで良いのですが、象徴詩として見ると、これだけで終わってはいけない気がします。
重いお荷物とは何の事でしょうか。なぜ4行目になっていきなり芸術、という言葉を持ちだしているのでしょうか。芸術が「永い」とはどういう事を云うのでしょうか。すべてエドガー・ポオの事を述べているからなのでしょうか。
さしあたり、ポイントはそんな所でしょう。
まず重荷を持ち上げること=仕事=芸術である事は、文脈上容易に想像できます。シーシュポスの勇気が必要なほどの、というのはただ努力しただけでは永遠にやり遂げる事は無理で、それでも報われない努力を重ね続けていこうとするほどの勇気、それは気の遠くなるほどの忍耐を伴うとしても辞さないほどの勇気。それが必要になる位の困難、という風にも取れます。要は普通に努力して出来る事ではない、という事です。常人ならとうてい諦めてしまうほどの努力を払ったとしても、芸術は永く人生は短いのです。
こうしてみると、この苦労の主人公はやはり芸術家のことを言っていると見るのが自然です。しかし、それだと「象徴詩」ではなく単にある人物に捧げた詩、ということでよさそうです。なぜこれが象徴詩の一節になるのでしょうか。ここはやはりもうひとつ奥に入り込む必要がありあそうです。
Edgar Allan Poeはアメリカの詩人、作家、評論家、哲学者として知られていますが生前はとても不運だったそうです。なので、そのPoeを仏訳し続けたBaudelaireがPoeの不運への抗議意識でこの詩を書いたとしても不思議ではありません。しかし、事はひとりPoeについてだけではなく、人と過酷な運命と芸術のせめぎ合いにまで及んでいるのではないか、と私には思えます。
芸術を志す者たちよ、覚悟せよ。
御身等が思うほど世間は御身等を大事には思わぬぞ。
やるべき事は無限にあり、与えられた時間はわずかなのだ。
心せよ、そして辛苦を自ら選ぶほどに勇敢なれ。
といった、若き芸術家に向けてのメッセージも感じられます。当時、おそらく大半の芸術家も読者もそのような危機意識も緊張感も持ってなかったのでしょう。それに対する抗議も含めて「おまいらにはどうせ分からないだろ」という思い込めて、こういった作品を搾り出したのだと考えると心中いかばかりかという思いも湧いてきます。象徴詩には、人が分かってない事に対する揶揄や警告が込められていたりするので、この作品にも社会や人々に対する揶揄や批判が根底に流れているとすると、まだまだ出てきそうな気がしますが、ここから先は読者それぞれの領域としましょう。
最後にBaudolaireがこよなく愛した(かどうかは聞いた訳ではありませんが)Edgar A. Poe ことぽーちゃんを紹介して今回の幕引きにしたいと思います。
ぼーちゃんと同じく白黒の絵から起こしたので色は今ひとつです。