茫庵

万書きつらね

2012年03月17日 - 象徴詩 5

2012年03月17日 23時47分11秒 | 詩学、詩論

象徴詩 5

今回はBaudelaireのCorrespondancesの第四聯です。

 いよいよ最後の聯です。前回までは自然が寺院だ、という話から始まって、香り、光(色)、音の混然一体となった感応の世界が繰り広げられてきたのでした。

 最後の聨はこの詩の結論を述べます。単純に訳語を並べるとざっと以下に述べるような感じ。最後の行の主語は前の聯にあります。これはこの聯を読みだしてから気付いたのですが、よーく見ると第三聯は文章としては終わっていませんでした。もっと大きなフォントで見ればよかった、などと思いつつ、改めて読み込んでみると、

 香水がある。それは、子どもの体のようにみずみずしくて、オーボエのようにやわらかで、草原のように緑を成す、
 --それでいて他方では爛熟して豊潤で誇らしげで、
 限りなく事物の拡がりを保ちつつ、琥珀や麝香や安息香や純粋さのように、
 精神と感覚の呼応を謳い上げる。

のような文になっています。この人の文体には動詞が少ないのでどこで切ったら良いのか判断に苦しみます。

 ともあれ、これで一通りの内容が揃いました。この内容から何を象徴として感じ取るかは読者に任されています。作者のおっさんは何を意図してこう表現したのでしょうか。読者の我々はどう向きあえば良いのでしょうか。私はここに来るまでの間にちょくちょく述べてきた如く、象徴としては物足りない感で一杯で、本作で述べられた感覚の呼応や一体化のような主張についても、既に梅花心易の世界ではもっと高度な形で述べられている事なので「いまさら」と思ってしまいます。西洋近代詩の信奉者の中には中国にはこの手の神秘主義が無い、と指摘する向きもありますが、梅花心易創始者の邵雍はいわゆる市井に在って当代の名士とも交流のあった、れっきとした大儒であり、歴史に名を残した詩人でもあるので此等の指摘は単に著者が知識不足である事を露呈しているにすぎません。

 あと、呼応、感応、あるいは万物照応などと訳される本作ですが、半分を「香水」ないしは「香り」「匂い」についてだけ述べている点もなんだかアンバランスに感じます。フランス人は風呂嫌いなので体臭がきついからフランスでは香水が発達している、などと、どこかで聞いたか読んだかしたことがありますが、もしかしたら単にそれだけのことなのかもしれません。命の象徴としての匂いは視覚や聴覚などよりも鮮烈なイメージなのかもしれません。が、そのあたりの事は、これから先、更に他の象徴詩を読んでいくにつれ、変化していくかもしれないところです。

 詩文としての本作は、ソネットとしてはもとより、対句的表現、リズミカルな語の組み合わせなど、声に出して読む面白さも備えた一編だと思います。ただ、色々と批評等を調べてみると、Baudelaireは技巧的にはそれほど上手とはいえないそうなので、ひょっとしたら私が読みにくいと感じたのはそれ故なのかもしれません。フランス語ではどういう詩が巧いのか、まだ自分では判断出来ないのでなんとも言えませんが、そのあたりはこれからの研鑽で読み取れる様になっていきたいと思います。

 最後に本作のドイツ語と英語の訳詩を挙げておきましょう。私にとってはドイツ語版が一番読みやすく、詩としてもしっくりきます。ちなみにこの訳はドイツの詩人、Stefan GeorgeとEric Boernerの訳と、A.Z.Formanの英語訳を紹介します。東西を問わず、名詩人たちはおしなべて語学に達者な人が多く、外国語の詩に影響を受けたり、外国語で詩を書いたりしていますね。ちゃんとした詩を母国語で書けるようになるにはやはりこれは不可欠かな、と思ったりします。

EINKLÄNGE
              Stefan George

Aus der natur belebten tempelbaun
Oft unverständlich wirre worte weichen ·
Dort geht der mensch durch einen wald von zeichen
Die mit vertrauten blicken ihn beschaun.

Wie lange echo fern zusammenrauschen
In tiefer finsterer geselligkeit ·
Weit wie die nacht und wie die helligkeit
Parfüme färben töne rede tauschen.

Parfüme giebt es frisch wie kinderwangen
Süss wie hoboen grün wie eine alm –
Und andre die verderbt und siegreich prangen

Mit einem hauch von unbegrenzten dingen ·
Wie ambra moschus und geweihter qualm
Die die Verzückung unsrer seelen singen.

 以上、http://de.wikisource.org/wiki/Einkl%C3%A4nge より引用。


Entsprechungen
                 Eric Boerner

Die Natur ist ein Tempel: durch Säulen voller Leben
Zuweilen wirre Worte sich ergehn;
Der Mensch durchschreitet Wälder von Symbolen,
Die, ihn betrachtend, mit vertrautem Blick begegnen.

Im tiefen und dunklen Zusammenhang
Des Echos, das weit entfernt wieder erwacht,
So lang wie der Tag und lang wie die Nacht,
Entsprechen sich Farben, und Düfte, und Klang.

Der frische Geruch von kindlichem Fleisch
Ist süß wie Oboen, wie Wiesen so grün –
Und anders: verdorben, begeisternd und reich,

Wie endlose Dinge in Ewigkeit blühn;
Wie Ambra und Moschus und Weihrauch erklingen,
Das Wandeln des Geists und der Sinne besingen.

 以上、http://home.arcor.de/berick/illeguan/baude1.htm より引用



Correspondances
                                               A.Z.Forman

Nature’s a shrine where living columns stand
And now and then breathe a confounded phrase,
Man wanders there amid a forestland
Of symbols, followed by their intimate gaze.
As long-drawn echos blent from far away
together into dark deep unison,
As huge as night and like the light of day,
perfumes and sounds and colors join as one.

There are scents fresh as flesh of any child,
Meadow-green, mellow as an oboe tone,
- and others: rich, corrupt, triumphant, wild
expanding like the infinite alone
like ambers, musks and orient frankincense
that sing the rapturings of soul and sense.

 以上、http://poemsintranslation.blogspot.com/2010/04/baudelaire-correspondances-from-french.htmlより引用。


 次回からはBaudelaireの次の詩にいきたいと思います。Le Guignon「不運」です。