茫庵

万書きつらね

占術 - メンタルヘルスって...

2012年01月04日 16時23分58秒 | 占術

占術 - メンタルヘルスケア研修

 今回は具体的な占術の方法や理論の話ではありません。まして、占術とメンタルヘルスを比較する、なんて話でもありません。数千年の歴史を持つ占術と、最近始まったばかりの新しい学であるメンタルヘルスとでは、完成度も実績も最初から比較にならないからです。なお、本稿では精神的な健康状態も理論も実践も含めて「メンタルヘルス」とします。

 もう随分前の事になりますが、客先の「メンタルヘルスケア」の研修に参加したことがあります。当時はまだメンタルヘルスという言葉自体が知られていなくて、カウンセリングの事かな、とかスランプの脱出法かな、とか思ったものでした。

 この研修自体はほんのさわりの部分を紹介しただけに過ぎず、事後のアンケートに感想として「非常に教科書的で実践に役に立つとは思えない」と記した事を覚えています。実際、それからほどなくして、その頃かなり精神的に追い詰められていたリーダークラスの人がリタイヤ、会社も辞めたという噂を聞き、あの研修は何だったんだ、と思いました。それでますます「実践的でない」という印象を強くしてしまいました。

 その後、資格試験なんかも出来て、書籍も見かける様になりましたが、中身を確かめた訳ではありませんので、最近の「メンタルヘルス」とはどういうもので、テキストも何を教えようとしているのかは具体的には存じませんが、占術の癒し効果のエッセイを書いたついでに、「癒しきれなかった」ツール、としてのメンタルヘルスの事を思い出したので、これについて綴ってみたいと思います。

 私自身は、占術家として活動した時に、職場の悩みを抱える人と話をした事はあります。幸いその人は立ち直って寿退職するまでその後数年間、勤めあげました。他にも自殺志願者や自己嫌悪に陥った人などの相談者と一緒に問題解決をしてきた経験から見て、この時のメンタルヘルス講義はたいへん物足りなさを感じる内容でした。あくまでもさわりの部分の紹介として捉えるしかないのですが。。。


メンタルヘルスとは?

 先ず最初にお断りを。これはあくまでも昔自分が受けた研修において「私はこう理解した」というものなので、ちゃんとした定義が知りたい人は他所に行っていただきたいと思います。また、本当のメンタルヘルスケアは、ここに挙げた様な問題はとうの昔にクリアしているかもしれない事を、合わせてここにお断りしておきます。

 さて、メンタルヘルスの目標は、要は、精神的な健康を維持してしっかりたのしく働きましょう、という事です。我々ソフトウエア業界にあてはめると、ソフトウエア技術者というのは、職場においてとかく孤独な戦いに追い込まれやすく、プロジェクトが佳境になると、行方不明になったり(本当にあるんです)病気と称してリタイヤしなりする者続出、なんて事も珍しくありません。簡単に言うと、メンタルヘルスとは、そうなる前に皆で支え合って、乗り越えていきましょう、という事です。その為にはどうするか。大変そうな人に声掛けをする。責めない。そして、大変そうな人の見分け方。声掛けの仕方。技術的にはそういった事を皆で覚えて声をかけあっていきましょう、という方向に話が進みます。

 ちょっと待ってください。それ、本当に有効ですか? 

理論と実践の狭間で

 現場にいるのは生きた人間なので、それぞれの性格やポリシー、矜持があって、一様に同じやり方で見分け、接する事が出来るものではありません。これは、見分ける側にとってもいえる事で、楽観的な人は「大丈夫だろう」と思うし、悲観的な人は「あの人大丈夫かな」と思います。つまり、こういう事は人によってばらつきがありすぎ、品質の確保が難しいのです。
 声掛けに至っては、それでむしろプライドを傷つけられ、ますます落ち込む人もあり、安直に出来る事ではありません。講義内容ではそういった事を考慮していませんでした。これが疑問に思った第一。
 現場でプレッシャーの重圧に苦しむのは、大抵の場合、重すぎる負荷、立たない見通し、迫る納期の狭間にあって、精神的にどうこう、という問題ではなく、この要因を取り除くしか解決方法はありません。これはメンタルヘルスではなくプロジェクト管理の問題です。これが第二。
 本当に大変な時になると、プロジェクトの全員がプレッシャーとストレスで溺れそうな状態になるので、とても人の事までかまっていられる余裕はありません。つまり、メンタルヘルスの体系がいくら良い方法を提供していても、本当に必要なときには、実行出来る人が現場にはいません。これが第三。

 以上の様な理由で、現場でこれを有効に機能させるには、その前に片付けなければならない問題が色々とあるな、と感じたのですが、前述の様に、その後、実際にリタイヤする者が出て、この研修も無駄であった事がはっきりしたのでした。

 だからといって、メンタルヘルスというもの自体が無駄なものかどうかは、今の私には判断出来ません。人の心に関わる問題に取り組むのですから、改良の余地--主として理論よりも実践において--もまだまだ沢山あると思います。

 その後も精神的問題でリタイヤする人は、自分が見える範囲だけでも後を断ちません。
 現場で生き残っているのは、このような知識や技術がある無しに関わらず、男女を問わず精神的に頑丈な人ばかりです。

 最終的な感想ですが、メンタルヘルスの学が生き残り、発展していく為には決定的に欠けているものが最低でもひとつある、と思います。数千年生き残ってきた占術にはそれがあります。それに気付き、補っていくか、代わりになるものを用意するか、しなければ、用語のみを残して、働く現場からは支持されないまま消え去るしかないでしょう。何かって? それをここで明かすのは私の役目ではありません。この先の歴史がすべてを語ってくれます。


占術 - 癒し効果

2012年01月02日 13時51分30秒 | 占術

占術 - 癒し効果

 占術に癒し効果はあるのでしょうか。否、と私は考えます。占術は問題の提起、分析、将来に向けてのシナリオライティ ングを行うツールとして機能する事にあるので、人の心を癒やしたり、慰めになったりする事には向いていないのです。例えて言えば、病気の正体を解明するた めに、レントゲンを撮影する事はあっても、それにより病気が治る、という事がないのと同じです。

 にも関わらず、癒やしを求めてくる依頼 者、あるいは癒されたと言って帰って行く依頼者は少なくありません。これは問題が解決されて安心した、というのではなく、一緒になって解明してもらえて、 つまり、問題を共有してもらう事が出来て、心が軽くなったに過ぎず、実際には何も事態は変わっていません。

 とはいえ、科学にはない視点 からの切り込みや、依頼者にそったアプローチは、別な意味で依頼者を安心させるのかもしれません。何故なら、科学では視点ベースは客観にあり、その客観的 視点から対象としての患者を観察し、それまでに蓄積したデータベースと照合してまず何の病気であるかを特定するところから治療が始まりますが、占術では視 点ベースは依頼者にあり、まず依頼者自身が何者であるかを、その占術のシンボル体系から解明し、今何が必要かを考察するからです。このように、占術と科学 のアプローチ方法は真逆の関係になります。科学はあくまでも全体的な法則を個に適用する事が本分なのに対し、占術は個を出発点として、その個に合った道 を、全体の持つノウハウや知恵を駆使しながら探るのです。

 ちゃんとした占術家はそれを無意識のうちに実践しています。ちゃんとした、というのは金儲け主義や娯楽や売名行為でやっている占術家以外の、きちんと基礎を学び、日々の研鑽も怠らず、人の役に立ちたいという使命感と誇りを持って活動している、という意味です。

  では、そういう占術家は何処の誰だ、という事になると、それは私にも分かりません。今の日本に何人位いるのかも分かりません。たまたまそういう人に当たっ たら暫くその話を聞く、という事でしか、このルートでいく方法はないと思います。占術家の良し悪しを見分けるひとつの方法として、理由をちゃんと教えてく れるかどうかです。吉にしても凶にしても、何がどう吉なのか、なぜ凶なのかを明確にして、特に凶の場合にどんな意思決定上の選択肢があるのか、依頼者の意 向を理解した上で、判断材料を示してくれるのでなければ占術家に話を聞く意味がありません。

 多くの場合、占術家は自ら習得した占術の奥 義に従って、決められた結論を述べ、その先のステップまで踏み込む事はしませんし、それは自分の仕事ではないと考えています。そこまで立ち入ると、時間も 手間もかかって、給与以上の仕事になってしまいますし、それだけの実力が無い場合もあります。

 入門書に書いてある事とさほど変わらない コメントしか出てこない場合は、面倒な手順を代行してくれる人位に思って、それ以上は突っ込まない方が時間を無駄にしなくて済むかもしれません。占術家に もいろいろありますから、どんな占術家がいまの自分に必要なのか、よく見極める眼を養う事が大切です。


占術 - ジョハリの窓と心理学の限界

2012年01月02日 05時51分21秒 | 占術

占術 - ジョハリの窓と心理学の限界


 コミュニケーション学です。自己と他者でそれぞれ「見える」見えない」窓を設定し、それぞれの領域でパーソナリティがどうなっているのか、また、どうある事を目指すべきかを論じます。以下のような配置の窓を思い浮かべればよいかと思います。

|1.自分からも他人からも見える|2.自分だけ見える|
|3.他人だけ見える        |4.自分からも他人からも見えない|

 占術は昔からこの4つのどの窓からでもアプローチできますが、心理学では「科学」故に4からのアプローチは出来ません。見えない故にどんな仮説も実験に よる実証も出来ないからです。ここを対象とする限り、少なくとも科学としての心理学は手も足も出ません。イギリスやアメリカで、カウンセラーを目指す学生 たちが、大学や大学院で占星術や易を学習する場合があるのはこの理由故と何かで読んだ事があります。つまり、深刻なケースでは、従来的な方法ではそもそも とりつくしまがないので先に進む事が出来ない、という事が随分前から臨床心理学の現場でも問題として意識されていたのです。カウンセラーや精神科医の従来 的なインタビューでなんとかなる場合も沢山あると思いますが、万能ではないでしょうから、そういう事があっても不思議ではありません。

 ちなみに、私が勉強したタロットの入門書はアメリカの大学で使われているものでした。

  ちゃんとした占術には、森羅万象をシンボリズムによって体系化して考察するメソッドが備わっています。シンボリズムですので、必ずしも科学的でも合理的で もありませんが、ちゃんとそのシンボリズムによる世界観をしっかり構築出来る体系を持ったものであれば、これを上手に使って自己と他者および自己をとりま く世界との相対的な関係とそれぞれの在り方を分析し、これからどうすれば良い状態になるのかを考察する事が出来るのです。それは、既に迷路に入り込んでい る人々に出口を示唆するものでもあります。しかも、出口を示唆するほどまでに成果を上げられるのは、その占術の正当な運用方法を理解している術者が使用し た場合です。単なる当て物や教科書通りの占断しか出来ない術者ではやはり単なる当てずっぽうになってしまいます。欧米のようにカウンセラー志願の専門家の 卵たちがツールのひとつとして学ぶからこそ意味があるのだと思います。とはいっても、実際に出口に向うのは問題を抱えた当事者自身であって、占術はそれに 関しては何もする事は出来ません。

 なお、残念ながら日本では占術がこのような形で使われているという話を聞いた事がありませんし、大学で臨床系の心理学の専門コースで使われているテキスト、というのも目にしたことがありません。



占術 - 凶と出たらどうする?

2011年12月31日 22時05分27秒 | 占術

占術 - 凶と出たらどうする?

 どうもしません。

 たまに占ってもらって悪い事を言われたら本当に悪い事が起きた、という意味の事を言う人がいますが、大きな間違いです。

 そもそも占断の結果は未来を予言したり、まして原因になったりするものではなく、これをほうっておくとこういう結果になるよ、というシナリオリーディン グのようなものです。結果には原因がつきもの。むしろ何が原因で何が起きるというのか。なぜ凶なのかをよく吟味して、本当に起こり得る未来なのかを判断し てから対処を決めなければなりません。そして、前言の通り、占術は未来の原因にはなり得ないのです。

 吉か凶かを気にするよりも、現在の自分が置かれた状況をトータルに見直して、問題があるかないか、将来方っておくと問題になりそうな芽はないかをチェッ クして、問題が発現する前に対策を講じるために占術による分析がある訳で、占術には緻密な分析が要求され、意思決定者には的確な判断が要求される訳です。

 何の努力もしないで無条件に幸運が訪れる、なんて事は世の中まず起こり得ません。

 そんな事を告げられるほど占術は愚かではないし、暇でもないのです。占断結果をどう受け止めるか。これは占術の運用上の問題であって占術自体に責任のあ る話ではありませんが、世の中には無意味なまでにこれを気にする人がたまにいるのが気になります。繰り返しますが、占いで凶が出たから悪い事が起きるので はなく、もともと悪い事が起きるだけの原因があるから起きるのです。占術はそれを事前に発見するためのツールにすぎません。そして、ツールである以上、そ れを上手に使って役立てる事も出来るし、使いこなせず、結局凶運にみまわれてしまうケースもあるのです。

 占術を用いるとき、正しく向かい合わないと、せっかく自分に備わった可能性を見誤るだけでなく、災いを防いで身を守る事すら失敗する事になるのです。し かし、それはあくまでも用いる人の責任です。しかしながら、そういう態度を表明して大衆を啓蒙する占術家が少ない、という現実も一方にはあるようで、占術 家に嫌な事を言われて気にしてたり、占術に全く否定的になってしまっている不幸なケースが後を絶たないのも残念な現実です。Yahoo質問箱などを見る と、そういう質問が山ほどあります。

 やはり程度の低い文化レベルに甘んじている一般大衆と、それに迎合して儲ける事しか念頭にないマスコミが主流を占めているような国では、アカデミックな占術体系は育たないのでしょう。これはどっちもどっちで手のつけどころがない感じです。


占術 - おみくじ

2011年12月31日 16時59分00秒 | 占術

占術 - おみくじ

 おみくじの季節。
 寺社境内には沢山の人がごったがえして一喜一憂します。

 本来の、信心の在り方を見直す為のお告げ、という意味合いは薄れ、
 単なるひまつぶしや娯楽の類に変貌を遂げた感が拭えませんが、
 よく聞かれる事について私見ながら述べてみたいと思います。

1.吉凶の序列
 これはそのおみくじを販売している処で確認するしかありません。
 私自身は吉>小吉>中吉>大吉>大凶>中凶>小凶>凶
 と思っています。大中小は、プラスマイナスのぶれの大きさなので、
 良い半面悪い反動も大きい、という理解でいます。要は、ハイリスクハイリターン
 というわけです。従って、うまくいけばうんといい、が良いか、まあまあ
 自然に良い方向に流れるでしょう、というのを良いか、という選択で、
 私は後者を優先した、というだけにすぎません。
 もちろん諸説あります。

2.何度も引く
 昔、明智光秀が戦勝祈願に立ち寄った愛宕神社で3度も引いた、という故事が
 伝えられていますが、感心しません。このご時勢、お寺や神社は
 「どうぞ何度でも」と云うでしょうが、明智光秀が意中の籤を手中にした後
 どうなったかは歴史が語ってくれるところです。

3.樹の枝に結ぶ
 これも販売している処で確かめるのが無難です。
 よく云われるのが悪い結果だったら枝に結んでくる、というものですが、
 結果に関わらず結ぶ場合も、常に持ち帰る場合もあるようです。
 私は年初のおみくじは一年の糧とすべきものなので必ず持ち帰ります。

4.どこのおみくじが当たるか
 これは正直判断できません。
 何を以て当たりと断ずるかにもよりますが、
 言ってみればすべて当たりというしかありません。
 その寺社に行って、おみくじを引く、という事も、
 一種の縁だと考えられます。とすると、
 その時点において、そのおみくじの言葉が何らかの
 意味を持つからこそ引いた、という解釈も成り立つ訳です。
 私は自分の行為を無にしたくないのでそう考えています。

 

もひとつおまけです。

5.合格祈願
 気休めにしかなりません。
 ちょっと考えれば分かります。
 ライバルも皆同じ気持ちなのですから、
 最後にものを云うのは実力が発揮出来るかどうか、
 ということです。どんな場合でも実力が発揮出来る様に
 コンディションを整える一助になるなら意味があります。

 


占術 - 何を根拠に判断するのか 1

2011年12月31日 16時06分14秒 | 占術

占術 - 何を根拠に判断するのか 1

 世に占術への誤解偏見多く、
 通説常識、必ずしも眞實ならず。

 占術の徒にも世に迎合し、
 自らの術を貶め、笑い者となり
 財を為す者、あるいは名を得る者多し。

 是れ、両ながら悪しき様にて
 いずれ占術の真価を滅せざるを得ず。

 余、此の學の未来を憂ひ、茲に此の術、
 聊かでも眞實への扉を残すべく
 記(しる)さんと欲す。

 願わくば俗説迷信を廃し、
 俗を改むるに一助たらん。
 

 これより占術のしくみについていくつか紹介していきます。
 今回は私の知っている占術全体の紹介です。

1.術数
  私が研究している占術の事を中国では「术数(shùshù)」といい、他に命(mìn)、相(xiàng)、卜(bǔ )があります。 日本で人気の星占いや四柱推命など、生年月日時を入力として主体の性質と行く末を推察する學を命といい、相は手相、面相、印相、堪輿、家 相、しぐさ、筆跡など観た目からそこに秘められた本質を探る學、卜は易、タロット、花占いなど、結果の良し悪しを占う學です。

2.卜
 私が専門とするのは卜、中でも梅花易数(MéiHuāYìShù) と云われるものです。宋の邵雍(Zì YáoFū 1011 - 1077)が創始者といわれています。 日本にも梅花心易として伝わり、江戸時代には指南書が出版されたりしています。卜に類する占術としては、易のほかに、六壬、奇門遁甲、タロット、ルーンな どがあります。志を遂げんとする人が、その成否を尋ねる、というのが卜のスタンスです。 従って、日本人にありがちな「AとBのどちらを選んだらより吉運か」という怠惰で無責任な質問の答えは出せません。まず意思を固めてから天に是非を問う、という気概がなければ意味がありません。

3.命
  本稿でおもはこの命、なかでも日本では四柱推命として知られる、命理學(もしくは八字、子平)を中心に取り上げます。命のカテゴリには中国占術でも占星術 (七政四餘)、紫微斗数、西洋でも占星術、数秘術やタロットの応用技術なども入ると思われますが、共通しているのは生年月日時を元に、人の性質や才能、一 生を通じてたどる運勢を判断することです。歴史的には東西を問わず、是等はむしろ天下国家を論じるもので、個人の運勢を観る様になったのは後世になってか らの事です。

4.卜と命のハイブリッド
 日頃よく目にする占術として、卜と命の両方の性質を持ったものに九星気学、および陽宅が あります。これは主体になる人の生年月日時から命宮などその本人の特質を決定するタイプを特定し、そのタイプの得意とする日時や方位を割り出して、具体的 な行動の結果、どう運気の上下に影響するかを論じる學です。九星気学は奇門遁甲が日本に伝来した後簡略化され、ねじ曲げられた物で迷信にすぎない、という 論もありますが、ここではその真偽は特に追求しません。ただ、命理に比べると、内容的にいかにも古臭く、前時代的に見えます。

5.相
 物の形から内に秘められた眞實を推察する學で、人相(面相)、手相、家相、筆相、印相など、相と名のつくものの総称になります。筆相(筆跡占い)など近代では行動心理学を用いて重厚な論理武装をしているものもあります。最近日本でも定着して人気を博している偽物の風水も、 元々は地理風水といって、古代中国の地政学の一種でした。都市計画を立てるのに、地形の良し悪しを判断する學として発展したものです。また、都市発展の重 要な要素のひとつとして考えられていた、先祖を祀る土地、墓地の建設等もこれで判断していたようです。個人の住居や間取りなど、小さな物を判断するのは本 来の風水の目的ではありません。こちらはむしろ家相学の範疇とするところですね。日本の風水の流行りを見ていると、何千人分もの食事を一気に作る様な工場 と器具を使い、たった一人分の昼食をスタッフそ総がかりで一所懸命こしらえている、という風に見えて大変滑稽です。日本の読者ってこういうのを有難がるん です。ま、人好き好きですのでそういう人を見かけても、私は何も云いませんが。

5.血液型(要注意)
 上記のどれにも当たらな い、ついでに言えば占いではないものに、血液型診断があります。血液型診断は、日本では占いの一種として人気ですが、世界的には必ずしもそうではなく、ナ チスの劣等血液型(Bのことです)撲滅論など、差別の道具として使われた暗黒の歴史があり、他の占術と違って、個人の生物学的遺伝情報をそのまま能力判断 や運勢に結びつける、という点が人権主義者からは攻撃の的にもなっていて、うっかり外国人に血液型など尋ねようものなら、気味の悪い奴だというレッテルを 貼られる、といいます。こういう理由により、私は血液型を占術の範疇には入れない事にしています。


占術全体のしくみと位置づけ

 基本的に、占術とは以下の特徴を持った問題解決ツールだ、と私は考えています。

 1.決まった論理体系とシンボリズムを持つ
 2.決まった手順を踏めば必ず答えが出る
 3.科学ではない

1.決まった論理体系とシンボリズムを持つ
 どんな占術にも「學」といえる論理的な体系と、何をどう解釈するかを定めたシンボリズムが付属しています。問題に対してそのシンボルを選定し、選定されたシンボルを現実に合わせて解釈する、というのがつまるところ占術がやっている事になります。

2.決まった手順を踏めば必ず答えが出る
 占術には必ずその占術の答えを出すための手順が決められています。手順が誤っていたらその答えも取るに足らないものでしかない、というのは他の事でも当然ですね。何かするのに決められた手順を守らないのでは、正しい結果が期待出来るはずがありません。占術でも同様です。

3.科学ではない
 占術を科学に結びつけようとする信者がたまにいます。しかし、占術は科学たり得ません。理由は明白で、まず実験が出来ないこと、そして結果についても客 観的に仮説を証明する事が出来ないものを扱う、という理由に依ります。「占いは統計だ」という人もいますが、これも間違った見解です。理由は同様で、統計 学上有意のサンプルとするには、ターゲットはその占術とは無縁で、置かれた状況も一切そういう情報が無い環境でなければなりません。でないと、例えば獅子 座生まれの人は、時間経過の中で、ついつい流通している獅子座のイメージを取り込んで、それっぽく振る舞ってしまう、といった事があるからです。これを以 て獅子座の行動結果の統計データとして扱うのは甚だ不公平といえます。他の類似の場合も同様です。もし統計をとるなら全くその占術の情報がない処でやらな ければ意味がありません。
 占術は個々のケースについて独自の方法と理論で答えを追求するためのものなので、別に科学たる必要もありません。むしろ科学には出来ない事を扱うので同列で比較する事にも意味がありません。


 以上、簡単ですが、占術の種類としくみ、そして一般に誤解されやすい点について紹介しました。次回からは、実際に占術がどのように機能して答えを出していくか、占者はどういう気概でこれを運用していくべきかを論じます。