茫庵

万書きつらね

2012年03月03日 - 象徴詩 1

2012年03月05日 00時05分55秒 | 詩学、詩論

象徴詩 1

 象徴詩について思うこと。

 新体詩のことを調べると、必ず出てくるのがフランスに始まるとされる象徴詩の話です。初めてその呼称を見たとき、「詩ってすべからく象徴的なものじゃないの?」と思ったものです。なんでごたいそうに「象徴」という言葉をかぶせているのか、自分には理解出来ませんが、この流れが英米詩にも影響を与え、日本の詩壇にも影響を与えたとされています。蒲原有明が、日本における象徴詩の開祖的存在として認識されているようです。あの詩風が象徴詩だったのか、と、認識を新たにした次第です。


 象徴詩の担い手として有名なフランスの詩人たち。開祖の Charles Pierre Baudelaire 以下、Jean Nicolas Arthur RimbaudPaul VerlaineStéphane MallarméPaul Valéry などが知られています。

 以下はフランス象徴詩のはじまりを告げる作品、 Correspondances です。余りにも有名な作品なので、ここでは原詩のみ紹介します。


Correspondances
                                      Charles Pierre Baudelaire

La nature est un temple où de vivants piliers
Laissent parfois sortir de confuses paroles;
L'homme y passe à travers des forêts de symboles
Qui l'observent avec des regards familiers.

Comme de longs échos qui de loin se confondent
Dans une ténébreuse et profonde unité,
Vaste comme la nuit et comme la clarté,
Les parfums, les couleurs et les sons se répondent.

Il est des parfums frais comme des chairs d'enfants,
Doux comme les hautbois, verts comme les prairies,
- Et d'autres, corrompus, riches et triomphants,

Ayant l'expansion des choses infinies,
Comme l'ambre, le musc, le benjoin et l'encens,
Qui chantent les transports de l'esprit et des sens.

 ※以上、http://odautrey.free.fr/coresspondances.htm から引用。


 見ての通り、ソネットです。
 何と何が照応するのかというと、大宇宙と小宇宙、天地自然のすべてと人間の精神、五感とそれを越えたすべての叡智、のような感じでしょうか。その神秘的世界を詩的表現によって明らかにしていこう、というのが象徴詩です。当時、すなわち19世紀のフランス、および欧州では、自然派やロマン派、高踏派などの詩がマンネリになっていたところに起こった新しい時代の新しい詩、という書き方で紹介される事が多いのですが、私にとっては、「なんだ、天人相応のようなものか」、というのが第一印象です。易学では大昔っからある、それこそマンネリそのものの考え方なので、そんなものがなんで当時新しいとされたのかはいまいちピンときませんが、象徴詩を日本に導入した明治の詩人たちに易学の素養がない訳はないので、彼らがその思想のどこに魅力を感じたのかは私にとってはまったくの謎です。

 ともあれ、象徴詩とは、詩人の思いや普遍的真理を主張するための手段ではなく、詩人が表現したいのは象徴なので、読者は更にその先にあるものを見出さなければなりません。つまりは読んだ通りの詩ではない、と理解しました。
いずれにしても、フランス語のソネット。色々と調べて原詩を味わう事が出来たのは収穫でした。やっぱりオリジナルに当たってみないと何も語れないです。翻訳はいけません。