久々にここ最近の変化をメモ。
左手人差し指が鯉口を切る様に変化したことがきっかけとなり、芋蔓式に様々な変化が起きてきたこの秋でした。
右手は抜刀の時の、刀の柄を持つ手。
なんといっても、より「手の内」が使えるようになった。
これにより、10本の指のまばらさが緩和。
特に親指とその付け根の負荷が減る。
その結果、さらには、フルートの当て位置が変化。
親指に頼らない持ち方というのは、より釣り合いをシビアにしないと不安定になってしまうから、そうなったのだと思いますが、より左に。
一般的な三点支持は、やり方にもよるのかもしれませんが、どうしたって、余計な負荷と力みを腕にかけることとなり、それは肩、首、口元のこわばりをもたらしていることが多い。なので、音もそんな感じに。これもまあ、好みの問題なのだろう。
でも、若い頃ならいざ知らず、還暦越えて、そんな辛い労働はしたくないよ、ということで、私は三点支持反対派である。
その代わりに採用しているのはフルートの前後、左右を釣り合わせる、という持ち方。
前後はセッティングによる工夫。
これはアルテスもその図表に記している。(黄色じゃない本参照)
左右は、今までは、頭の重さを載せるようにしていた。
そのため、首だけが曲がることのないように、足腰背骨、全てを丸めて使う「羊座り」の姿勢。
それが今回、よりリッププレートの左側に接するように。
つまり、シーソーで重い相手と釣り合うためには、より重さを乗せる、というのが今までのもの。それがより遠くに乗る、という・・・物理!
これに伴い、以前よりも頭の重さを載せなくてもよくなったので、より頭が真っすぐになり、首が画期的にラクに。
まさに首がネックだったことを実感する日々。
さて、首がラクになると、今度は舌が変化。
これも、今のこの構え方だからこそ、と思うけれど、この舌の位置の変化によって、さらに響き増大。
今まで、なんと口先だけのピーチクパーチクの音でやっていたのだろう?
とこれは鯉口の時も思ったことですが、それがさらに。
チェロの低音、にはまだまだ程遠いけれど、大分、近付いてきたかな・・といったところです。
口先だけの・・というのは、おそらく今の標準語のせいではないか?とも思っている。
フルートを吹く時にも音名をソルフェージュしている訳だけれど、それはがっつり日本語のドレミ。
それがかなり邪魔していた。
現代日本の標準語というのは、それだけで口元に緊張を強いている。
急にラテン語で、という訳にもいかないけれど、フルートを持った時には舌の位置を変えて、というお稽古をずっとやってきて、ようやく、それが身についてきたかな、という感じです。
追記
左手人差し指が鯉口を切る様に変化したことがきっかけとなり、芋蔓式に様々な変化が起きてきたこの秋でした。
右手は抜刀の時の、刀の柄を持つ手。
なんといっても、より「手の内」が使えるようになった。
これにより、10本の指のまばらさが緩和。
特に親指とその付け根の負荷が減る。
その結果、さらには、フルートの当て位置が変化。
親指に頼らない持ち方というのは、より釣り合いをシビアにしないと不安定になってしまうから、そうなったのだと思いますが、より左に。
一般的な三点支持は、やり方にもよるのかもしれませんが、どうしたって、余計な負荷と力みを腕にかけることとなり、それは肩、首、口元のこわばりをもたらしていることが多い。なので、音もそんな感じに。これもまあ、好みの問題なのだろう。
でも、若い頃ならいざ知らず、還暦越えて、そんな辛い労働はしたくないよ、ということで、私は三点支持反対派である。
その代わりに採用しているのはフルートの前後、左右を釣り合わせる、という持ち方。
前後はセッティングによる工夫。
これはアルテスもその図表に記している。(黄色じゃない本参照)
左右は、今までは、頭の重さを載せるようにしていた。
そのため、首だけが曲がることのないように、足腰背骨、全てを丸めて使う「羊座り」の姿勢。
それが今回、よりリッププレートの左側に接するように。
つまり、シーソーで重い相手と釣り合うためには、より重さを乗せる、というのが今までのもの。それがより遠くに乗る、という・・・物理!
これに伴い、以前よりも頭の重さを載せなくてもよくなったので、より頭が真っすぐになり、首が画期的にラクに。
まさに首がネックだったことを実感する日々。
さて、首がラクになると、今度は舌が変化。
これも、今のこの構え方だからこそ、と思うけれど、この舌の位置の変化によって、さらに響き増大。
今まで、なんと口先だけのピーチクパーチクの音でやっていたのだろう?
とこれは鯉口の時も思ったことですが、それがさらに。
チェロの低音、にはまだまだ程遠いけれど、大分、近付いてきたかな・・といったところです。
口先だけの・・というのは、おそらく今の標準語のせいではないか?とも思っている。
フルートを吹く時にも音名をソルフェージュしている訳だけれど、それはがっつり日本語のドレミ。
それがかなり邪魔していた。
現代日本の標準語というのは、それだけで口元に緊張を強いている。
急にラテン語で、という訳にもいかないけれど、フルートを持った時には舌の位置を変えて、というお稽古をずっとやってきて、ようやく、それが身についてきたかな、という感じです。
追記
大事なことをすぐに忘れる・・
左手親指も、先月のプーレ氏の演奏が刺激となり、大きく変化。
今まで、落ち着き過ぎていた親指はより活発に。
当て位置も、より指先、そして側面に。
時間にゆとりのある場合は爪で、というのもアリ。