ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】摩擦の話

2007年11月23日 22時01分38秒 | 読書記録2007
摩擦の話, 曾田範宗, 岩波新書(青版)791(G33), 1971年
・なぜ人間は地面を踏みしめて歩くことができるのか? これは決して自明なことではありません。靴の裏側が地面にひっかかるから? ひっかかるとはどういう状態なのか? 何と何がどのようにひっかかっているのか? 電子顕微鏡で見てみるとどうなるのか? こう突き詰めていくといろいろな謎が浮かんできます。『摩擦』の歴史とはその謎との格闘の歴史であり、本書では16世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチの時代まで遡り、現代に至るまでを概観します。この他、『日常身辺の摩擦現象』、『摩擦のメカニズム』など、豊富な図を使い平易な言葉で語った『摩擦』尽くしの内容です。数式も結構出てきますが、苦手な人は読み飛ばしても、内容の理解にはそう差し障りはありません。
・人が普段気にかけないテーマに光をあて、専門家ではない者にも「ほうナルホド、これはおもしろい」と思わせる、学問の入口である新書としてのお手本のような本です。
・バイオリンをはじめとする弦楽器のペグの部分。ペグの穴に弦の先をちょっといれてクルクル二~三度回すだけで、ペグの表面はツルツルにもかかわらず、弦がしっかりとまるのは不思議だったのですが、これにも摩擦(オイラーの原理)が絡んでいたのですねぇ。
・「第一は、静摩擦力でも動摩擦力でも、一般に摩擦力は物の重さ(正確に表現すると摩擦面に働く垂直力)に比例するということである。」p.9
・「第二の大切な性質は、動摩擦力(したがって動摩擦係数)が静摩擦力(静摩擦係数)よりも小さいということである。」p.10
・「すなわちこの実験から、重さがおなじであれば、相手の面と接触する摩擦面積はどうであっても摩擦力(したがって摩擦係数)は変らない、というおもしろい摩擦の性質が明らかにされたのである。」p.12
・「このことから、おなじ重さでも、接触面(摩擦面)の材質かかわると、摩擦力(したがって摩擦係数)は大幅にちがってあらわれることがわかる。」p.13
・「さてこれまでの実験でわかったいくつかの摩擦の性質を整理して、きちんと箇条書きにしてみよう。それは次のようになる。
(1) 摩擦力は摩擦面に働く垂直力に比例し、見かけの接触面積の大小には関係しない
(2) 摩擦力(動摩擦の場合)はすべり速度の大小には関係しない
(3) 静摩擦力は動摩擦力よりも大きい

 この三つの実験法則((3)は除くこともある)は、この法則の確立にもっとも功績のあった十八世紀のフランスの実験物理学者で、同時に工学者でもあったクーロン(Charles Augustin de Coulomb, 1736-1806)の名をとってクーロンの法則、またはかれの約百年前、この法則の存在をほぼ確認し、クーロンの研究の基礎をつくったおなじフランスの物理学者・工学者アモントン(Guillaume Amontons, 1663-1705)の名をとってアモントンの法則、さらに両人の名前を連らねて、アモントン-クーロンの法則とよばれており、その確立は摩擦の学問や技術の発展の歴史の上では画期的意味をもつものである。
」p.14
・「こうしてレオナルドは、クーロンの法則の内容をなす主要規定、すなわち摩擦力と垂直力との比例関係、摩擦力が接触面積に関係しないことの二つをすでに確立していたのである。」p.27
・「その多くは「車輪の直径は大きいほうが軽く動くか、小さいほうが軽く動くか」という一見きわめて幼稚な課題なのである。実験も容易である。ところがやってみると、条件によって大きいほうが得だったり損だったりして、一般的でかつ統一的な関係はまだよくわかっていないのである。」p.64
・「万有引力が質量のあるものの存在そのものに密着した自然現象であるように、摩擦は質量のあるものどうしの接触そのものに密着した自然現象なのである。」p.67
・「昭和十年にわたくしは東大の航空研究所に奉職し、はじめて、そして亡くなられるまでのきわめて短い期間だったが(寺田寅彦)先生の面識をえ、食堂などでお話をきく機会ができた。そのとき摩擦はおもしろい問題だ、いいテーマだからよく勉強しろ、という意味の激励をうけたことを覚えている。」p.68
・「オイラーの原理というのは、まるい物にまきつけたロープやベルトの一端を軽い力で引っぱっているとき、多端を引っぱってロープやベルトをすべらそうとすると、非常に大きな力が必要になることの原理である。」p.78
・「われわれの現在もっている工作技術では完全な幾何学的平面というものはつくりえず、かならず凹凸が存在する(図IV-1)。現在の工作技術をもってしては、最高の仕上げ面でも凹凸の高さは10-4mm前後であろう。」p.123
・「凹凸説とそのアンチテーゼとしての凝着説は五十年の論争を重ねたが、ようやくジンテーゼとしての近代的な凝着説が凹凸説を包含して完成に近づきつつあるとみてよい。」p.153
・「凝着説にせよ凹凸説にせよ、それらを統一的にとらえる接点は、要するに摩擦面の変形と磨耗なのであり、わたくしが「摩擦と磨耗とは表裏一体」といったのはこの意味だったのである。」p.179
・「一言にしていえば、「磨耗をともなわない摩擦はない」ということが非常に大切な現実の摩擦の概念だったのである。」p.180
・「しかし遺憾ながら実際には摩擦ブレーキの制動力は、一回ごとにその平均値の16パーセントくらいは大きくも小さくもなるのである。」p.201
・「われわれのつくりだしたスピードはわれわれがとめねばならない。しかしはたして思うようにとめることができるだろうか。残念ながらそれはできていないのである。」p.202
・「近年摩擦の研究が非常に進んで、摩擦のメカニズムもかなり明らかになってきた。摩擦の大きい小さいのメカニズムも、摩擦熱の発生機構から摩擦する表面の温度上昇の様子もだんだんわかってきて、われわれの知識もかなり豊かになった。そろそろこの摩擦という悍馬を手なづけることもできそうである。手なづけるということは、摩擦を小さくしておとなしくさせるのも一つだが、せっかくの悍馬だから悍馬のままその荒っぽいところを利用するのがいちばんの妙法だ。」p.208
・「本書の執筆にあたって、わたくしは読者にこのほとんど忘れられている摩擦という現象を身辺に感じとり、また親しみをもってほしいと願った。」p.213

?ジンテーゼ(ドイツSynthese) 1 論理学で、演繹的な推理法。  2 哲学で、思想の各要素を論理的に結合して統一すること、およびその結果。カントでは、直観と悟性の形式によって結合する先天的総合と、経験判断のような経験的総合とがある。弁証法では、新しい概念によって、二つの対立概念を統合すること。
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【食】カフェ アルテ [喫茶@美唄]

2007年11月23日 07時23分00秒 | 外食記録2007
カフェ アルテ(Caffi Arte) [喫茶@美唄][アルテピアッツァ美唄]
2007.11.17(土)12:20入店(初)
注文 エスプレッソ 500円

・アルテピアッツァ美唄内に、去年か今年か、わりと最近出来た喫茶店です。『森の広場の音楽会』開演前の空き時間にちょっと寄ってきました。
・丘の中腹にある建物はまだ新しく木の香りがして、店内の片隅には薪ストーブがついていました。窓からの景色も良く落ち着いた雰囲気です。コーヒーも美味しい。
・建物の半分は喫茶店で、残り半分は美術作品をつくるための工房(?)になっています。ちょっと覗いてみると、木彫りの作品を作っている方が作業中でした。先日は、美唄弦楽アンサンブルの練習でも使わせてもらいました。
・現在飲み物のみのメニューですが、軽食メニューも欲しいところです。
・アルテピアッツァ内に飲み物の自動販売機はありません。散策途中の水分補給はコチラでどうぞ~♪
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【練】苫小牧第九 ~合唱付き総練習

2007年11月22日 22時17分37秒 | 練習記録
♪苫小牧オケ練習 2007.11.18(日)12:00-16:45@アイビープラザホール
曲 第九 1→3→2→4楽章 → ヘンデル ラルゴ

・この日は苫小牧第九の、合唱も入った総練習。合唱とは初合わせになります。普段のアイビープラザの音楽室ではなく、人数が多いのでホールでの練習でした。
・前半はオケのみで1から3楽章の練習。ほぼ全ての楽器が揃う。
・3楽章:鳥肌たつようなホルンソロ、Kさんさすがです。第九全楽章を弾くのは3度目ですが、特定パートの抜き出し練習なんかで「まだこんなメロディーが隠れてたのか!」という発見がチラホラ。
・2楽章:某氏の指摘により、遅めだった中間部のテンポを早めに変更。途端に音楽がサラサラと流れ出す。全然弾きやすい。いわゆる『普通のテンポ』という先入観があるのはあまりよろしくないですが、やはり『弾きやすいテンポ』というものは存在していて、「遅くすれば、合う」というのは必ずしも成り立たないことを実感しました。
・合唱の声だし準備のため、オケは30分ほど休憩。この日はあちこちから手伝いの人が来ていて、ロビーは各地の奏者で賑わい、『アマオケサロン』さながら。室蘭のオケでは見なくなってしまった、室蘭在住の方がたくさん混じっていました。Vn、Vc、Ob、Pic、Trb…などなど。室蘭ではなく苫小牧でご一緒するとは、なんか変な感じ。
・4楽章:合唱はずいぶんたくさんいました。ステージ上に山台をおいても、後ろの人は指揮が見えてるんだかいないんだか。全員で強奏すると、さすがに迫力があります。まずは歌の入るあたりから始めて、最後まで通し。後で部分的にチェック。合唱は1時間ほどで解放され、残りの時間は4名のソリストとの合わせをしました。ソリストはSopとBarは昨年の定演で共演した方で、Tenは欠席のため代役です。

 それにしてもこの曲、合唱の出番少ないよなぁ。。。

・練習後は急いで札幌市民オケの練習へ向かう。
・演奏会のチラシには前回の苫小牧での第九の集合写真が使われています[写真]。日付は平成5年10月9日。オケをよ~く見てみると、室蘭から手伝いに行っていたO師匠をはじめとするなつかしい顔ぶれやら、ハネケンさんなんかが写っています。なんてったって14年前、皆さん小さい写真でも判別できるくらいに若い! 私がまだバイオリンをはじめて数ヶ月のころです。今回の写真がまた次回の第九に使われることになるのでしょうか。

♪本番 中国「秦皇島市」国際友好都市締結10周年記念 第九in苫小牧 2007.12.16(日)14:00開演@苫小牧市民会館
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【論】Li,2004,Gene mining: a novel and powerful ense~

2007年11月22日 18時22分41秒 | 論文記録
Xia Li, Shaoqi Rao, Yadong Wang and Binsheng Gong
Gene mining: a novel and powerful ensemble decision approach to hunting for disease genes using microarray expression profiling
Nucleic Acids Research, 2004, Vol.32, No.9 2685-2694
[PDF]

・Ensemble dicision approach に基づく遺伝子抽出法の提案。Recursive partition tree の改良版。
・データ
1.Colon data [Alon]
2.Leukemia data [Golub]
・実験
1.Desease relevant genes → Colon 23遺伝子、Leukemia 20遺伝子を抽出。
2.Classification of biological types → 下記5つのクラス分け法により性能比較。
・クラス分け法
1.SVM with five different ketnel functions
2.Fisher linear discriminant
3.Logistic regression
4.K-nearest neighbors
5.Mahalanobis distance

・問題点「However, wrappers and embedded algorithms are often not clearly distinguished, with only slight differences in the feature searching strategies.
・方法「Instead of simply maximizing prediction accuracy, we identify genes that are mostly relevant to a disease itself.
・概要「For this purpose, we introduce a disease-relevance concept and define a relevance intensity (precise mathematical descriptions will be given later) to distinguish between disease-relevant genes and noise features.
・方法「The proposed ensemble selection is a supervised learning approach based on a recursive partition tree.
・「In other words, the genes from the prediction-driven extraction of relevant genes are important for prediction but may not be so for deciphering the complex underlying genetic architecture of the disease itself.
・展望「After this work, the next step is to address a more involved biological question: how do these genes act or interact to lead to the manifestation of a disease phenotype, or so-called target-driven gene networking, which is currently under investigation.
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▲閉店【食】洋食工房たか [洋食@由仁]

2007年11月21日 22時05分15秒 | 外食記録2007
▲閉店 いつの間にか店舗はもぬけの殻に [2011.6.14記]
洋食工房たか [洋食@由仁][Yahoo!グルメ]
2007.11.15(木)17:50入店(初)
注文 カツカレー 980円

・美唄への行き帰り、いつも気になっていた店。建物自体は昔からあったが、最近リニューアルしたお店のようです。国道234号線沿い、夕張へ向う道(道道3号線)の分岐点よりちょっと苫小牧側。
・美唄の練習へ向う途中入店すると客は私のみ。内装は新しくきれいで、テーブル席はそれぞれパーティションで区切られています。なぜだか椅子がずいぶんやわらかい。
・雪が強くなりつつあったので、わりと早くできそうなカツカレーを注文。が、ふと窓から外をみると、先ほどはチラチラと降っていた雪が、本格的な吹雪に。停めた車がみるみる雪に覆われていくような状態です。そのまま居ても立ってもいられなくなり、
このままゆっくりカレーなんか食べてたら、動けなくなる
と、この場で引き返すことを決意。
すいません、食べてる時間がなくなりました…
ちょうど、付け合せのサラダを持ってきたお姉さんに千円札を差し出すと、ただでさえ不審な人物に不審な行動をとられて、お姉さんは、
( ゜д゜)ポカーン
更に説明すると事情をわかってもらえて、
それだったら、包みましょうか? 普段はやってませんが…
と、店の主から親切な申し出が。お言葉に甘えて折りに詰めてもらいました。カレーを受け取ると、心配顔の店員さんに見送られ、一目散に吹雪より逃走。結果、無事自宅に帰りつくことができました。後から考えると、あの店で引き返すことを決断しなければ無事には帰れなかったかもしれません。
・ようよう家に辿り着き、自分で皿に盛り、温めなおしてカツカレーにありつく。よくこんな容器でこぼさず持ってこれたと思います[写真]。カツの肉はいい肉で、ルーも手間がかかった物のようです。辛さの中に少し甘さを感じる味。一気にサクッと完食。これは出来たてホカホカをいただきたかった。今度改めてお店に寄りたいと思います。
・通りがけにちょっと寄ってパッと食べていく、というタイプの店ではなく、ゆったり食事を楽しむタイプのお店です。料理は美味しいのですが、まわりにはほとんど家がなく、国道を通過する客頼みの立地条件からすると、お客さんがつくかどうかちょっと心配な感じです。

 
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初体験 ~ポテトチップチョコレート

2007年11月21日 20時05分53秒 | 日記2005-10
 皆様こんばんは。流行には常にとり残されるぴかりんです。

 先日、『ポテトチップチョコレート』なる物をお土産にいただきました。
 特に甘党というわけでもないのですが、以前なにかで見かけて、この味の想像がつかない組み合わせがちょっと気になっていて、スーパーなんかで思い出すと菓子売り場を見たりしていたのですが、さっぱり見あたらず、よっぽど人気商品なのだと思っていたところ、これって専門店でしか扱っていないのですね。最近知りました。
 そんな折、偶然食べる機会がやってきました。なんというタイミング。
 食べてみると、想像していたよりチョコの比率が高かったです。後にのこる塩味が新鮮。フツーに美味しいです。『ポテトチップ』と言いつつ、チョコをはぎとったら某有名企業の製品とは全く似て非なるものかと思われます。それにしてもカロリーすごそう。。。これだと一日三枚くらいで満足です。

 デブの国へまた一歩前進。
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【演】第15回 森の広場の音楽会

2007年11月20日 22時08分38秒 | 演奏記録
第15回 森の広場の音楽会 ~アルテピアッツァ美唄 アフタヌーンコンサート~
2007.11.17(土)13:00開演, アルテピアッツァ美唄, 入場無料
パート 1st Violin, Viola[*]

2.まこちゃん(ヴァイオリン)、ぴかりん(ヴィオラ)、きょうこ(ピアノ)
 モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364 ~ 第3楽章[*]
4.美唄弦楽アンサンブル
 スメタナ(R.S.Frost編) 「モルダウ」よりのテーマ
 バルトーク(A.Willner編) ルーマニア民俗舞曲(1915)
16.美唄弦楽アンサンブル
 シベリウス アンダンテ・フェスティーヴォ
♪管弦全員合奏
 J.シュトラウス ラデツキー行進曲
※出演分のみ抜粋

・プロ・アマを問わない音楽愛好家の発表会。今回はのべ16組に加えとび入り2組の出演でした。
・この日は晴れて穏やかな天気。到着すると会場にはうっすら雪が積もっていました。他のメンバーの車もあまり見あたらず、まだ着いてないのかとノンビリ風景の写真なんか撮った後で会場に入ると、もう練習やってる!! 打ち上げのために車を置いてきたメンバーが多かったというオチ。だまされた。
・合奏のリハ後は、さっそく三名でドッペルの合わせ。何しろ三人でまともに合わせることができたのはこの日が初めてだったので必死でした。2回通して、その後時間をおいて、もう1回通しました。
・K.364:美唄弦楽アンサンブルの "若手" メンバー三名による演奏。本番は可もなく不可もなく、短い準備期間だと、ま、こんなもんだべ、という出来。事前の私からのテンポ指定は四分音符152で、他の二人は「早い…」とか何とか気乗りしないようでしたが、結局本番はそれより早くなった気がします。本来ならオケ伴奏の曲ですが、ピアノだとちょっとした室内楽曲の雰囲気でした。
 そもそも、「いつかこの曲、弾いてみたいね」という話と「参加者が少ないので、何でもいいから(?)出てください」という話がたまたま重なって実現した企画です。下手に長い準備期間があるよりは、短期間でバタバタしたものの、あまり緊張することもなくお気楽に弾くことが出来てよかったです。では次回は1楽章をオケバックで。(いいのかなぁ、こんなこと言っちゃって…)
 個人的な課題としては、まだまだ "音" ではない音、ガリガリ、ゴソゴソ、といったノイズが多いです。練習していくらかはマシになったのですが。出せたらいいな【美しい音】
 ビオラソロのオリジナル版は、全弦半音上げチューニングをして他パートが♭3つのところを、#2つの楽譜を見ながら弾きます。一度、半音上げを試したところ、確かに音のハリは増すのですが、開放弦を弾くと普段と全然違う音がでて、やはり慣れないことと、チューニングを安定させるならこの曲用の楽器を一台確保しなければならず、手間がかかるので、今回は普通の調弦で弾きました。
 お気楽ということで、衣裳もお気楽にジーパンで。まこちゃんなんか、お客さん用のスリッパのまま演奏。後で指摘すると、「先に言ってくださいよぉぉー!!」 単にステージ靴に履き替えるのを忘れていたらしい。
・バルトーク:前回(11/4)は Va で、今回は Vn1 にコンバート。合奏練習参加は当日のみ。Vn1 は4名なので、パート内で二手に分かれるところなんて、前で弾くY師匠と自分の二人だけ。これすなわち必死。前回いなかったY師匠が入ったおかげにより、いきなりのテンポアップで、全然別な曲に。
・シベリウス:リハ一切無しのぶっつけで、プログラムの最後、アンコール的に演奏。途中、見事に一段読み間違えました。だって、全く同じ音符の段が二段あるんだもの(言い訳)。
・ラデツキー:プログラムにはありませんでしたが、急遽演奏。指揮は合唱の先生にお願いしました。おそらく合唱の指揮しかやったことがないであろう先生は四苦八苦で、お気の毒。
・チェロアンサンブル:先日夕張で弾いた、四声のアヴェ・ヴェルム・コルプスを演奏。声かけてくだされば、楽器持ってきたのに。。。そして夢の Vn、Va、Vc 持ち替え達成。
・とび入り参加:その1 アルペジオで難しげなフランス系の曲をバリバリ弾いていった高校生くらいの女の子。その2 ハーモニカで北の国からを吹いた、おじいちゃん。名も名乗らずに去ってゆく。渋い。
・ほぼ予定通り、16時過ぎに終演。
・便所トーク:終演後の便所にて用を足しつつ交わされた会話。
その1 「位置が逆だったらよかったのになぁ……と、思いながら聴いていました」と、見知らぬオジサンに声をかけられました。意味が飲み込めなかったので聞いてみると、合奏時に私がコンマス席で弾いた方がいいのでは(あくまでも "見た目" の話)、というお話でした。動きすぎちゃった??
その2 「先ほどは失礼しました。演奏する方とは知らなかったもので……」 (ピアノパフォーマー) "hajime" という名で、世界中をさすらいつつピアノを弾いているという方より。どんな方かというと、コチラのページの文章がよくその雰囲気を伝えていると思います。何があったかというと、演奏会中、頼まれてもいないのに、つい、いつもの癖で、奏者の編成に合わせてイスを出したり、ピアノを引っ込めたりとすっかりステージ設営係をやっていたところ、「ちょっとすいません」と呼び止められたかと思うと、「ピアノの椅子の高さを上げてもらえませんか」とのこと。「かなり高目で」と言うので、こんなに高くして大丈夫? というくらい、それはもう高くして差し上げました。そんな件についての挨拶でした。ステージ係なので、全然構いませんよ~♪ たとえプロとはいえ椅子調節を見知らぬ他人に任せるというのは、ちょっと気にはなりましたが。
 用を足すのに一体何分かかっているのか。実際は数十秒なのですけど。
・客数最大約50名[目測]:ほとんどが出演者。一般客がもっと増えたらとも思うし、まぁ、こういう内輪のノリでいいかとも思うし。
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▲閉店【食】味喜屋 [居酒屋@室蘭]

2007年11月19日 22時09分43秒 | 外食記録2007
▲閉店 この店を失うとは室蘭の損失といっていいほどのダメージ。残念無念 [2011.1.12記]
味喜屋(みきや) [居酒屋@室蘭][Yahoo!グルメ]
2007.11.11(日)16:50入店(5回目)
注文 三色丼(うに・かに・いくら) 1000円

・私の場合、室蘭へ遊びにきたお客様を連れて行くなら、とりあえずココ! という接待用のお店。地元ではかなりの有名店です。
・場所は、一旦わかってしまえば迷うことはありませんが、最初は迷うかもしれません。私が最初に行ったときは迷ってしばらく周辺を車でぐるぐる回っていました。お寺に続く急な坂の途中にある小ぢんまりした建物です。この坂には『ムロラン地名発祥の坂』の看板が立っています。
・駐車場は坂の下の、道路が二股に分かれていて自販機があるあたりのわかりにくい場所です。がんばって探しましょう。
・まともにご飯時に行くと、予約無しでは入れないことがあるので、今回は開店と同時に一番のり。
・海鮮丼の店ではなく、海の幸専門の居酒屋です。その中のご飯メニューがこの三食丼。日によっては材料が足りず、具のどれかが欠けてしまうもあるようです。一般的な丼物の量の八割くらいかと思われる、やや小ぶりの丼ですが、充分満足な量です。
・毎度、食べるたびに、自然の恵みに感謝したくなる逸品。無言で集中して一気に食べてしまいます。それぞれの具材からにじみ出てくる何ともいえない甘味。しかもこれが千円。都会で同レベルの物を食べようとしたら一体いくらかかることか。北海道に住んでて良かった。。。
・カウンター席に座ると、いろいろな海の幸が、網の上で豪快に焼かれていくのが見えます。どれもこれも美味しそう。特に『鮭ハラス』はそそられる。まだ三色丼しか食べたことがないので、他のメニューも是非食べてみたいところ。しかし、一匹まるごとのメニューが多いので、多人数で行った方がよさそうです。

 
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オケ行脚の強行軍

2007年11月18日 23時32分40秒 | 日記2005-10
 皆様こんばんは。本日支笏湖畔を三回横切ったぴかりんです。

 札幌実家→苫小牧オケ練習→札幌市民オケ練習→室蘭自宅

久々の強行軍より無事帰宅。最後の札幌から室蘭までの道のりは雪でひどい路面でした。おかげで愛車のおけつは真っ白です[写真]。
 悪天候の中、無茶なスケジュールなので途中で挫折するかと思いましたが、けっこういけるものですね。練習記録はまた後日(書く余裕があれば)。
 樽前錦岡線にて、立派なツノをしたデカい鹿とコンニチハ。あんなに立派なのは初めて見たなぁ。山の『主』という感じ。
 何はともあれ無事で何より。おつかれさまでした☆

 まだ、明日の練習で皆が使う楽譜の準備があったんだっけ。。。

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【本】人間にとって科学とはなにか

2007年11月18日 20時55分26秒 | 読書記録2007
人間にとって科学とはなにか, 湯川秀樹 梅棹忠夫, 中公新書 132, 1967年
・日本の誇る『知』の巨人、二人が、これまた巨大なテーマに挑んだ対談録。あとがきの梅棹氏の言葉に「先生は大物理学者であり、私は未完成の人類学者である。」とあるように、今でこそ『巨人』ですが、対談当時梅棹氏は47歳で『知的生産の技術』を出す前なので、今ほどの知名度は無く、世間的にはブレーク前の頃かもしれません。
・日本の文化遺産と言ってもいいのではないかというほどの内容ですが、そんな本でも現在絶版。日本の出版制度に問題があると思わずにはいられません。私が知らないだけで同様の本がたくさんあるのでしょうね。近年の新しいタイプの古本屋の出現は、そんな読者の不満をカバーするという点で意義のあることではないでしょうか。
・中国古典からの引用多数。
・「もともと私の厭世思想は老子や荘子に結びついていた。ところが老子や荘子の思想は、一方において、すぐれた自然哲学でありながら、同時に最も根源的な意味における科学否定論でも会った。好奇心などあるから、まずいことになるのだ。それを捨てなさい。情報量・交通量がふえるから、うるさいことになるのだ。隣の村との通信・交通もしない方が賢明なのだ。二千何百年か前の、こういう主張が、二十世紀後半の科学文明の中に生きる私たちにとって、他のあらゆる主張にもまして、痛烈なものになってきたのである。」p.iii
・「量子論をつくりだした物理学者マックス・プランクが、繰り返し使った言葉に、「人間からの離脱」というのがあります。」p.5
・「老子の最初に「道の道とすべきは常の道にあらず」とありますが、これを曲解すれば、――あるいは正解かも知れんが――二十世紀の物理によくあてはまる。」p.8
・「十七世紀のデカルトは、まず自明なものから出発せよといっている。だれが考えても、どうしても否定できない自明なものをまず正確に把握して、それを原理として、そこから演繹論理・形式論理を発展させ、だんだんとほかのことを理解してゆくのがよろしいのだというわけです。」p.9
・「湯川 物質とかエネルギーとかいう概念に入っていないものとして、重要なものがいろいろある。中でも、従来の物理学の領域に比較的近接しているもの、一番つながりがありそうなものは「情報」です。」p.17
・「一般的にいえば、ある一定の「知識」――この知識という概念は大変くせもので、再検討を必要とすると思いますが――とにかくある知識を所有しているものが、それを所有していないものに与える。それが情報でしょう。  もっとも一般的な形で情報に定義を与えるとすれば、これはたいへんむつかしいことになるでしょうが、私は、可能性の選択的指定作用のことだ、というようないい方も考えてみています。たとえば、われわれが日常使うような意味の情報も、実は「ああ考えられる」「こうも考えられる」というふうにさまざまな可能性があるときに、そのさまざまな可能性の中で、「実は、これがそうなんですよ」と、一つの答えを選択して与えてくれるもの、それが情報ということの、もっとも一般的な性質ではないかと、私は考えているのですが……。」p.18
・「湯川 このエントロピーというのは「だんだんと増えてゆくことはあるけれども減ることはない」という特徴をもった一種の物理量です。「際立った状態からだんだんとありふれた状態に移ってゆく傾向」を「エントロピーが増える」というふうに物理学では表現している。」p.20
・「生物というものは、存在すること自体が情報であるというところがある。「もの」であると同時に情報であるという存在です。」p.25
・「情報というものの持っている性質はいくつかあると思うのですが、一つ大事なことは、ジェネレーティブ generative だということです。生みだす力です。なにか「型」のようなものがあって、そこにものを詰めこんだら、同じものがいくらでも出てくる。そういう、ジェネレーティブな性質を持っている。」p.30
・「私の知っている限りでは、いままでの物理学は死んでいる世界の話なのですね。少なくとも生命というものを問題にする必要のない世界の話なのですね。それに対して、生物学の世界は、生命のある世界の話です。この二つがどう結びつくのか。それが長い間の問題だったわけです。」p.32
・「いまの科学は、実際のところ、人間を問題にできるようなものじゃない。」p.37
・「実は、私は、大切なのは「納得」ということだと思うのです。」p.42
・「梅棹 意味を伝えるということは、自分とは異なる情報体系をもっている他人から発せられたものを、受け手の方が、みずからの体系の中に、いかに組みこむかということでしょう。組み込み方が大事なのであって、うまく組み込めないというのは納得がゆかんということですよ。」p.47
・「梅棹 科学というものは、いろいろな人間の持っているいろいろな体系の中に、強引に新しい情報を組みこませるためにできた、かなりうまいシステムだ。科学は、一定のトレーニングを経さえすれば、だれにでもかなり大量の情報を組みこませることができるシステムです。」p.48
・「しかし文章が相当に効いてきますね。効いてくるというのは、よそに対して効くだけでなく、その人自身にとって重要なことじゃないかと思うのです。」p.49
・「梅棹 私は数の起源は動物の個体性にあると思うんです。数は物理的には出てこないのではないですか。」p.53
・「湯川 人間はイメージを非常によく利用する。とくにそれを図式化することがありますね。たとえば仏教でいうと曼陀羅。」p.62
・「いわば科学が次々と出てくるのは、人間存在の根本原理としての一種の生殖作用の延長ではないか。」p.74
・「人間はだいたい人生に目的を持っている生物です。サルはサルの生涯において、目的を持っているであろうか。これは大問題だと思うんです。」p.76
・「科学の中にも目的がある。さっきは子供を産むことに目的はないというたけれども、科学を生むことに目的はないというたけれども、やはり固有の目的、子供は生むために生むのだという固有の目的みたいなものがあって、子供はやはり上手にしっかりと生まんならん。なにかそういうことがあるように思うんです。」p.86
・「梅棹 「人間にとって科学とはなにか」を問題にするならば、対比的に「人間にとって宗教とはなにか」ということももう一つ考えてみなければならないでしょう。これを対比して考えると、科学の特徴がはっきり出てくるかもしれないと思います。」p.93
・「一つは小説を書くというのは、結局九十パーセントまで勇気の問題やね。自分の中の障害を突破して書く。これをしなきゃいかんでしょう。一種の捨身ですわね。」p.94
・「科学というのは、一種の自己拡散の原理である。自分自身をどこかへ拡散させてしまう。自分自身をなにか臼のようなものの中に入れて、杵でこなごなに砕いて粒子にしてしまう。それを天空に向って宇宙にばらまくような、そういう作業だということです。自分という統一体をなくしてしまう。」p.95
・「科学がそういう迂遠な理論に走って日常性を欠いていることに対して、非常に強い批判が一方では出てくるけれども、その批判に対して科学は必ずしも直接的な答えを出せないと思うんです。どっか離れたところがある。」p.97
・「梅棹 もし「人間にとって科学とはなにか」という問いかけが、科学の直接の応用とか、どういう効果をもたらすのかということを問題にしているのだとすれば、科学というものは本質的に無意味なものだという答を出さざるを得ないことになりかねないと思うんです。」p.98
・「湯川 科学者をつき動かしているのは、これは、やはり執念ですね。」p.103
・「梅棹 自分自身を客観化する、あるいは関係それ自体を客観化してゆくことが事実起こりつつある。「関係」を対象とする科学が出てくるかも知れません。」p.125
・「湯川 最近、科学の客観化、相対化という傾向がいちじるしくなっているように思えるのです。科学が絶対的なものでないという意識が強くなった。」p.126
・「科学はつねにわからんことを前提にして成り立っている。わからんことがいつでもたくさんある。ところが宗教は、原則としてわからんことがないんです。宗教には、初めにまず説明があると思うのです。科学は、なんでも説明するものだというふうに一般に考えられているけれども、逆なんですね。宗教こそ、なんでも説明する。その説明が宗教への確信を支えている。科学は、なにか確信的でない。科学というのはつねに疑惑にみちた思想の体系なんですね。」p.128
・「当為性というのは、一種の変圧作用です。変圧器が作用するんです。そこでボルテージが上がりよる、生命のボルテージが。生命の流れという全体を全体にした上で、自分のところで変圧器を使うて、そのすべてのエネルギーをこの一点に凝縮して、ボルテージを高めるということです。それが「生きている」ということの一つの内容です。  科学はこれとは違います。「当為」に対する「認識」、これは科学の本質でしょう。(中略)「当為」は自己凝縮の原理、「認識」は自己拡散の原理です。」p.135
・「科学というものは、社会的にいえばある特殊な階層の人、個人でいえば特殊なアドベンチャラーズ、精神的アドベンチャラーズの独占物ではなくなってきた。大衆科学時代にきている。それと同時に、科学がもともと持っていた野性味みたいなものも、また失われつつある。科学の創造力が弱ってくるということかもしれない。」p.141
・「アヘンは非常に不完全なくすりで弊害の方が大きくてだめですが、将来、もっと手のこんだ楽しいくすりがいろいろ出てくるでしょうね。いまはビタミンとかホルモンとか飲むけれども、そんなのよりも、人間の心理状態に非常にうまい影響を及ぼすようなものの方が盛んになるかもしれない。」p.152
・「そういうところまでゆきますと、人間に生き方の問題というのは主観の問題か、客観の問題か、むつかしいことになる。人間は社会的な存在ですから、主観だけですむかどうか知りませんよ。しかし、私は最後は主観が勝つのじゃないかと思う。心理的なものの方が強いのじゃないかと思う。そこに一種の「絶対」が出てくる。自分が思いこんでしまったら万事解決、おしまいじゃないか。」p.152
・「梅棹 科学は目的があってはじまったものではない。できてしもうたもので、だからそういう意味では非常に根元的、生命的なものです。人工物と考えては間違うと思うな。」p.154
・「これは、科学の本質についてつねから考えをめぐらせている二人の科学者の、いわば内省の記録であるといってよいであろうか。」p.172
・「その点、この対談は、きれいごとの科学論ではおわっていない。できあがったものとしての科学の紹介や解説ではなくて、科学を生みだす原動力になっているもの、科学者の心の中にあるドロドロしたものに、いくらかはふれることができたかと思う。」p.173
・「科学者はしばしば自覚しない科学至上主義者である。科学者の書く科学論は、だから、多くの場合、科学の栄光をたたえ、科学の教えをとくことに終始してしまうのである。」p.174
・「そもそもいままで科学者が、「人間にとって科学とはなにか」と問うことはなかったのではないだろうか。科学は、むしろ人間をこえた存在であり、超越的な、神にも似た存在ではなかっただろうか。そういう意味では、ここに「人間にとって」の科学の意味を、あらためて問うているというのは、「科学の人間化」のこころみといえるのかもしれない。」p.175

?とうい【当為】(ドイツSollenの訳語)哲学で、現に存在すること、必然的であること、またはありうることに対して、かくあるべし、かくすべしとしてその実現が要求されること。カントでは、至上命令としてかくすべしと命ずる定言命法を意味するが、目的論的倫理学では、望ましい目的や価値を実現するための手段としてなすべき行為をさす。
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