
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?, フィリップ・K・ディック (訳)浅倉久志, ハヤカワ文庫 SF テ-1-1(SF229), 1977年
(DO ANDROIDS DREAMS OF ELECTRIC SHEEP?, Philip K. Dick, 1968)
・SFの古典的名作。その謎めいたタイトルは、いろいろな作品で模倣されている。舞台は1992年、最終世界大戦後の死の灰の降り積もるサンフランシスコ。警察に雇われた賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)であるリック・デッカードが、火星から地球へ逃亡してきた8体のアンドロイドを追う。単なるSFに留まらない、「人間とは何か?」という哲学的問いを含んだ内容。
・「(録音)テープ」、「"重い" テレビ」、「ソ連」、「"交換手" 付きの映話(テレビ電話)」、などなど近未来にしては多少時代錯誤とも思える言葉がチラホラ出てきますが、60年代から想像した90年代の世界はなかなか興味深い。
・本作が原作の、SF映画の金字塔と評される映画「ブレードランナー」は是非見てみたい映画です。
・「[オークランド発] 探検家クック船長が、1777年、トンガ王に贈ったというわれるカメが、昨日死亡した。二百歳ちかい高齢であった。 テュイマリラと名づけられたこのカメは、トンガ諸島の首府ヌクアロファの王宮内で飼われていた。 トンガ島民はこの動物を首長として敬い、その世話のために特別飼育係が任命されていた。カメは数年前の失火いらい盲目であった。 トンガ放送の伝えるところによると、テュイマリラの遺骸は、ニュージーランドのオークランド博物館に寄贈されるとのこと。 ロイター通信、1966年」p.4
・「「ちくしょう」リックはからの両手をふりながら、よわよわしくいった。「おれは生きた動物を飼いたい。いつも手に入れようと努力してきた。だが、おれのサラリー、市の公務員の給料じゃ、しょせん――」」p.20
・「この問題に関連して、戦争兵器のひとつであった<自由の合成戦士>に改造がほどこされた。異星環境下でも作業できる人間型(ヒューマノイド)ロボット――厳密には有機的アンドロイド――は、かくして植民計画の補助エンジンとなった。国連法によって、すべての移民は各自の選択する形式のアンドロイド一体を、自動的に無料貸与されることが定められ、1990年までには、アンドロイドの種類が、あたかも60年代のアメリカ製自動車のように、理解を絶するほどの細分化をとげていた。」p.24
・「イジドアは一年あまり前から特殊者(スペシャル)の仲間入りをしており、しかもそれはゆがめられた遺伝子のせいだけではなかった。もっと悪いことに、精神機能テストの最低基準にも合格できず、俗にいうピンボケの部類に入れられてしまったのだ。」p.27
・「アンドロイドが、感情移入度測定検査にかぎって、なぜ無残にも馬脚をあらわすのか――たいていの人間が一度はいだくその疑問を、リックも考えてみたことがある。ある程度の知能が、クモ類を含めたあらゆる門と目の生物種に見いだされるのに対して、感情移入はどうやら人間社会だけに存在するものらしい。ひとつには、感情移入能力が完全な集団本能を必要とするからだろうか。たとえば、クモのような独居性生物はそんなものに用がない。それどころか、あればかえって生存能力の障害になる。クモが餌食の身になって考え、相手の生きたい気持をおもいやったりしたらたいへんだ。これはクモだけでなく、あらゆる捕食者にいえることで、猫のように高度な発達をとげた哺乳類でも餓死せざるをえなくなるだろう。 感情移入(エンパシー)という現象は、草食動物か、でなければ肉食を断っても生きていける雑食動物にかぎられているのではないか――いちおうそんなふうにリックは考えている。」p.41
・「「キップルってのは、ダイレクト・メールとか、からっぽのマッチ箱とか、ガムの包み紙とかきのうの新聞とか、そういう役に立たないもののことさ。だれも見てないと、キップルはどんどん子供を産みはじめる。たとえば、きみの部屋になにかキップルをおきっぱなしで寝てごらん、つぎの朝に目がさめると、そいつが倍にもふえているよ。ほっとくと、ぐんぐん大きくなっていく」」p.84
・「内助どころか、とリックは思った。おれがいままでに見てきたアンドロイドの大半は、女房よりよっぽど意欲と生活力を持っていた。女房ときたら、おれになにも与えてくれない。」p.122
・「フィル・レッシュは一枚の油絵の前で立ちどまり、異常な興味でそれを見つめた。梨をさかさまにしたような頭で、一本も髪の毛のない、うちひしがれた生き物が描かれている。その手はおそろしげに耳を押さえ、その口は大きくひらいて、声のない絶叫をもらしている。その生き物のひきゆがんだ苦悩の波紋、絶叫のこだま、そんなものがあたりの空気にまであふれだしているようだった。男か女か、それさえもよくわからない生き物は、おのれの絶叫の中に封じこめられている。おのれの声に耳をふさいでいる。生き物は橋の上に立ち、ほかにはだれの姿もない。生き物は孤独の中でさけんでいる。おのれの絶叫によって――あるいは、絶叫にもかかわらず――隔絶されて。」p.167
・「アンドロイドも夢を見るのだろうか、とリックは自問した。見るらしい。だからこそ、彼らはときどき雇い主を殺して、地球へ逃亡してくるのだ。奴隷労役のない、よりよい生活。たとえばルーバ・ラフトのように<ドン・ジョバンニ>や<フィガロの結婚>を歌うほうをえらぶのだ。不毛な岩だらけの荒原、もともと居住不可能な植民惑星で汗水たらして働くよりも。」p.236
・「「クモって、一度も見たことがないんだもの」プリスがいった。彼女はくぼめた手のひらにくすりびんをのせて、中の生き物をのぞきこんだ。「まあ、たくさんの脚。どうしてこんなにたくさんの脚がいるのかしら、J・R?」 「クモってそんなふうにできているんだ」イジドアはいった。胸がどきどきして息がつけなかった。「もともと八本脚なんだよ」 プリスは立ちあがりながらいった。「わたしの考えを教えてあげましょうか、J・R? この虫に、こんなにたくさんの脚はいらないと思うわ」 「八本?」とアームガードがくちばしをいれた。「どうして四本じゃたりないの? ためしに四本切ってみたらどう?」思いついたようにハンドバッグをあけると、いかにもよく切れそうな爪切り鋏をプリスに手渡した。 異様な恐怖がJ・R・イジドアをうちのめした。」p.264
・「「なにもかも真実さ。これまでにあらゆる人間の考えたなにもかもが真実なんだ」」p.290
・「電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも」p.309
●以下、訳者あとがきより
・「つまり、ディックは、感情移入を人間の最も大切な能力と考えているのです。本書の中での共感(エンパシー)ボックスの役割も、また、人間とアンドロイドとの鑑別に感情移入度検査(テスト)が使われている理由も、これでなっとくできます。」p.315
・「火星から脱走してきた八人のお尋ね者のアンドロイドとそれを追う警官――という、一見アクション・スリラー風なプロットを土台に、「人間とは何か?」という大きなテーマに取り組んだのがこの長篇なのですが、ディックのトレード・マークである目まぐるしい展開とアイデアの氾濫をいくぶん抑えて、ユーモアの衣をかぶせてあるために、違和感の少ない、親しみやすい小説になっています。」p.316
?ぞろっぺえ いい加減なこと。疎略なこと。また、そのさま。あるいは、しまりのない人。
(DO ANDROIDS DREAMS OF ELECTRIC SHEEP?, Philip K. Dick, 1968)
・SFの古典的名作。その謎めいたタイトルは、いろいろな作品で模倣されている。舞台は1992年、最終世界大戦後の死の灰の降り積もるサンフランシスコ。警察に雇われた賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)であるリック・デッカードが、火星から地球へ逃亡してきた8体のアンドロイドを追う。単なるSFに留まらない、「人間とは何か?」という哲学的問いを含んだ内容。
・「(録音)テープ」、「"重い" テレビ」、「ソ連」、「"交換手" 付きの映話(テレビ電話)」、などなど近未来にしては多少時代錯誤とも思える言葉がチラホラ出てきますが、60年代から想像した90年代の世界はなかなか興味深い。
・本作が原作の、SF映画の金字塔と評される映画「ブレードランナー」は是非見てみたい映画です。
・「[オークランド発] 探検家クック船長が、1777年、トンガ王に贈ったというわれるカメが、昨日死亡した。二百歳ちかい高齢であった。 テュイマリラと名づけられたこのカメは、トンガ諸島の首府ヌクアロファの王宮内で飼われていた。 トンガ島民はこの動物を首長として敬い、その世話のために特別飼育係が任命されていた。カメは数年前の失火いらい盲目であった。 トンガ放送の伝えるところによると、テュイマリラの遺骸は、ニュージーランドのオークランド博物館に寄贈されるとのこと。 ロイター通信、1966年」p.4
・「「ちくしょう」リックはからの両手をふりながら、よわよわしくいった。「おれは生きた動物を飼いたい。いつも手に入れようと努力してきた。だが、おれのサラリー、市の公務員の給料じゃ、しょせん――」」p.20
・「この問題に関連して、戦争兵器のひとつであった<自由の合成戦士>に改造がほどこされた。異星環境下でも作業できる人間型(ヒューマノイド)ロボット――厳密には有機的アンドロイド――は、かくして植民計画の補助エンジンとなった。国連法によって、すべての移民は各自の選択する形式のアンドロイド一体を、自動的に無料貸与されることが定められ、1990年までには、アンドロイドの種類が、あたかも60年代のアメリカ製自動車のように、理解を絶するほどの細分化をとげていた。」p.24
・「イジドアは一年あまり前から特殊者(スペシャル)の仲間入りをしており、しかもそれはゆがめられた遺伝子のせいだけではなかった。もっと悪いことに、精神機能テストの最低基準にも合格できず、俗にいうピンボケの部類に入れられてしまったのだ。」p.27
・「アンドロイドが、感情移入度測定検査にかぎって、なぜ無残にも馬脚をあらわすのか――たいていの人間が一度はいだくその疑問を、リックも考えてみたことがある。ある程度の知能が、クモ類を含めたあらゆる門と目の生物種に見いだされるのに対して、感情移入はどうやら人間社会だけに存在するものらしい。ひとつには、感情移入能力が完全な集団本能を必要とするからだろうか。たとえば、クモのような独居性生物はそんなものに用がない。それどころか、あればかえって生存能力の障害になる。クモが餌食の身になって考え、相手の生きたい気持をおもいやったりしたらたいへんだ。これはクモだけでなく、あらゆる捕食者にいえることで、猫のように高度な発達をとげた哺乳類でも餓死せざるをえなくなるだろう。 感情移入(エンパシー)という現象は、草食動物か、でなければ肉食を断っても生きていける雑食動物にかぎられているのではないか――いちおうそんなふうにリックは考えている。」p.41
・「「キップルってのは、ダイレクト・メールとか、からっぽのマッチ箱とか、ガムの包み紙とかきのうの新聞とか、そういう役に立たないもののことさ。だれも見てないと、キップルはどんどん子供を産みはじめる。たとえば、きみの部屋になにかキップルをおきっぱなしで寝てごらん、つぎの朝に目がさめると、そいつが倍にもふえているよ。ほっとくと、ぐんぐん大きくなっていく」」p.84
・「内助どころか、とリックは思った。おれがいままでに見てきたアンドロイドの大半は、女房よりよっぽど意欲と生活力を持っていた。女房ときたら、おれになにも与えてくれない。」p.122
・「フィル・レッシュは一枚の油絵の前で立ちどまり、異常な興味でそれを見つめた。梨をさかさまにしたような頭で、一本も髪の毛のない、うちひしがれた生き物が描かれている。その手はおそろしげに耳を押さえ、その口は大きくひらいて、声のない絶叫をもらしている。その生き物のひきゆがんだ苦悩の波紋、絶叫のこだま、そんなものがあたりの空気にまであふれだしているようだった。男か女か、それさえもよくわからない生き物は、おのれの絶叫の中に封じこめられている。おのれの声に耳をふさいでいる。生き物は橋の上に立ち、ほかにはだれの姿もない。生き物は孤独の中でさけんでいる。おのれの絶叫によって――あるいは、絶叫にもかかわらず――隔絶されて。」p.167
・「アンドロイドも夢を見るのだろうか、とリックは自問した。見るらしい。だからこそ、彼らはときどき雇い主を殺して、地球へ逃亡してくるのだ。奴隷労役のない、よりよい生活。たとえばルーバ・ラフトのように<ドン・ジョバンニ>や<フィガロの結婚>を歌うほうをえらぶのだ。不毛な岩だらけの荒原、もともと居住不可能な植民惑星で汗水たらして働くよりも。」p.236
・「「クモって、一度も見たことがないんだもの」プリスがいった。彼女はくぼめた手のひらにくすりびんをのせて、中の生き物をのぞきこんだ。「まあ、たくさんの脚。どうしてこんなにたくさんの脚がいるのかしら、J・R?」 「クモってそんなふうにできているんだ」イジドアはいった。胸がどきどきして息がつけなかった。「もともと八本脚なんだよ」 プリスは立ちあがりながらいった。「わたしの考えを教えてあげましょうか、J・R? この虫に、こんなにたくさんの脚はいらないと思うわ」 「八本?」とアームガードがくちばしをいれた。「どうして四本じゃたりないの? ためしに四本切ってみたらどう?」思いついたようにハンドバッグをあけると、いかにもよく切れそうな爪切り鋏をプリスに手渡した。 異様な恐怖がJ・R・イジドアをうちのめした。」p.264
・「「なにもかも真実さ。これまでにあらゆる人間の考えたなにもかもが真実なんだ」」p.290
・「電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも」p.309
●以下、訳者あとがきより
・「つまり、ディックは、感情移入を人間の最も大切な能力と考えているのです。本書の中での共感(エンパシー)ボックスの役割も、また、人間とアンドロイドとの鑑別に感情移入度検査(テスト)が使われている理由も、これでなっとくできます。」p.315
・「火星から脱走してきた八人のお尋ね者のアンドロイドとそれを追う警官――という、一見アクション・スリラー風なプロットを土台に、「人間とは何か?」という大きなテーマに取り組んだのがこの長篇なのですが、ディックのトレード・マークである目まぐるしい展開とアイデアの氾濫をいくぶん抑えて、ユーモアの衣をかぶせてあるために、違和感の少ない、親しみやすい小説になっています。」p.316
?ぞろっぺえ いい加減なこと。疎略なこと。また、そのさま。あるいは、しまりのない人。
最近あんまり読みたい本ないなあ、なんて思ってて
ぴかりんさんのトコで思いがけず記憶を呼び覚まされてしまった。
明日にでも書店に駆け込まなくちゃ。
思い出させてくださって ありがとうございまーすノシ
読みたくなる本をお探しなら、SFつながりで、ついでに『タイタンの妖女』なんてどうでしょう? とっても気になるけれどまだ手に入れてない本ですが。