ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】蟹工船・党生活者

2008年06月16日 08時06分21秒 | 読書記録2008
蟹工船・党生活者, 小林多喜二, 新潮文庫 こ-2-1(547), 1954年
・最近話題になっていると聞き、そういえば買い置きの本の中に混じっていたかと思い出し、手にとった本。たまには流行り(?)の本も。
・かつて合法的に国の機関によって殺された著者による、どちらも日本の裏歴史がテーマの小説。
○蟹工船:船で苛酷な労働を強いられる労働者たちが、徐々に団結し、遂には反乱を企てる様子を綴ったもの。
・前半はアウシュビッツの獄中記を読んでいるような気分にさせられます。強制労働をさせられるのが、戦争捕虜や囚人というわけではなく、半ば騙されて連れてこられた出稼ぎ労働者や学生アルバイトなどの一般人であるところが、尚恐ろしい。
○党生活者:政府の追跡をかわし、ゲリラ活動を続ける党生活者の日常。その描写は実にリアル。
・こちらの方が「蟹工船」より年をおいて後に書かれただけあって、小説としての完成度が高い。
●蟹工船
・「蟹工船は「工船」(工場船)であって、「航船」ではない。だから航海法は適用されなかった。二十年の間も繋ぎッ放しになって、沈没させることしかどうにもならないヨロヨロな「梅毒患者」のような船が、恥かしげもなく、上べだけの濃化粧をほどこされて、函館へ廻ってきた。(中略)――それに、蟹工船は純然たる「工場」だった。然し工場法の適用もうけていない。それで、これ位都合のいい、勝手に出来るところはなかった。」p.28
・「生命的(えのぢまと)だな!」それが――心からフイと出た実感が思わず学生の胸を衝いた。「やっぱし炭山と変らないで、死ぬ思いばしないと、生(え)きられないなんてな。――瓦斯(ガス)恐(お)ッかねど、波もおっかねしな」」p.33
・「人間の身体には、どの位の限度があるか、然しそれは当の本人よりも監督の方が、よく知っていた。」p.49
・「学生の一人は、小さい時は祖母に連れられて、お寺の薄暗いお堂の中で見たことのある「地獄」の絵が、そのままこうであることを思い出した。」p.49
・「「ドストイェフスキーの死人の家な、ここから見れば、あれだって大したことでないって気がする」」p.49
・「北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本々々労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。――北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」と云っている。蛸は自分が生きて行くためには自分の手足をも食ってしまう。これこそ、全くそっくりではないか! そこでは誰をも憚らない「原始的」な搾取が出来た。」p.54
・「「馬鹿!」と、横から怒鳴りつけた。「殺されるッって分ったら? 馬鹿ア、何時だ、それア。――今、殺されているんでねえか。小刻みによ。」p.92
・「水夫と火夫がいなかったら、船は動かないんだ。――労働者が働かねば、ビタ一文だって、金持の懐にゃ入らないんだ。」p.94
・「「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」」p.106
・「――この一篇は、「殖民地に於ける資本主義侵入史」の一頁である。」p.109
●党生活者
・「「ヒゲ」そう呼ばれているこの同志は私達の一番上のポストにいる重要なキャップだった。今までほぼ千回の連絡をとったうち、(それが全部街頭ばかりだったが)自分から遅れたのはたった二回という同志だった。」p.114
・「「女工の惚れ方はブルジョワのお嬢さんのようにネチネチと形式張ったものではなくて、実に直接かつ具体的なので困る!」」p.123
・「私達は退路というものを持っていない。私たちの全生涯はただ仕事にのみうずめられているのだ。それは合法的な生活をしているものとはちがう。」p.145
・「私の母親は水呑百姓で、小学校にさえ行っていない。ところが私が家にいた頃から「いろは」を習い始めた。眼鏡をかけて炬燵の中に背中を丸くして入り、その上に小さい板を置いて、私の原稿用紙の書き散らしを集め、その裏に鉛筆で稽古をし出した。何を始めるんだ、と私は笑っていた。母は一昨年私が刑務所にいるときに、自分が一字も字が書けないために、私に手紙を一本も出せなかったことを「そればかりが残念だ」と云っていたことがあった。」p.150
・「母は帰りがけに、自分は今六十だが八十まで、これから二十年生きる心積(つも)りだ、が今六十だから明日にも死ぬことがあるかも知れない、が死んだということが分ればやはりひょっとお前が自家へ来ないとも限らない、そうすれば危ないから死んだということは知らせないことにしたよ、と云った。」p.154
・「一定の生活が伴なわない人間の意識的努力には限度がある。一切の個人的交渉が遮断され、党生活に従属されない個人的欲望の一切が規制される生活に置かれてみて、私が嘗て清算しよう清算しようとして、それがこの上もなく困難だったそれらのことが、極めて必然的に安々と行われていたのを知って驚いた。」p.196
●以下、解説(蔵原惟人)より「わが国近代文学の歴史のうちで、半封建的な日本の現実にたいする不満と批判から、それとたたかいながら、その反映である文学そのものの革新を身をもって実践し、ついに日本の現実との対決のうちに、二十代の若さで死んでいった三人のすぐれた作家がある、――透谷、啄木、多喜二がそれである。明治以後の日本の戦闘的民主主義文学の運命はこの三つのTのうちに、この三人の国民作家のうちに、象徴的に表現されている。」p.209

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2 コメント

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流行り (コントラバスの人)
2008-06-16 12:31:42
あら…。
プロレタリアに興味があったなんて意外。
…というか、なぜこんなものが流行り?
世相の現れか?
返信する
>プロレタリア (ぴかりん)
2008-06-20 20:51:26
なんでも、働けど働けどお金が貯まらない現代の若者層を中心に共感を呼んでいる、とかなんとかで話題なのだそうです。
私の周りで「読んだ」という話は全く聞きませんが。
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