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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】ジュラシック・パーク

2008年11月07日 08時01分07秒 | 読書記録2008
ジュラシック・パーク(上)(下), マイクル・クライトン (訳)酒井昭伸, ハヤカワ文庫NV696・697(3318・3319), 1993年
(JURASSIC PARK by Michael Crichton 1991)

・『恐竜』をテーマにして大ヒットした映画の原作にあたるSF長編小説。映画も面白かったですが、小説の方も素直に面白いです。上下巻合わせて約800ページほどありますが、それほど長くは感じません。どこまで事実を書いているのか作り話との継ぎ目がわかりませんが、非常に専門的な記述が多数あり、物語のリアリティを高めています。原作を読んでみると、映画ではかなり内容を削っていることがわかります。
・作中の数学者イアン・マルカムの言葉は非常に暗示的。
・11/4に著者が亡くなったとのニュースが報じられていました。同著者の著作は初見でしたが、なんという偶然。合掌。
・「20世紀も残り四半世紀というあたりから、科学のゴールドラッシュともいうべき現象がはじまった。すさまじいまでの速さで性急に進められていく、遺伝子工学の事業化である。この事業の発展ぶりたるや、まさに猛烈のひとことにつきるが、外部にはめったに情報が漏れてこないこともあって、その特徴や意義は一般にほとんど理解されていない。  バイオテクノロジーは人類史上最大の革命を約束する。20世紀がおわるまでには、原子力やコンピュータよりはるかに大きな影響を日常生活にもたらしているだろう。」上巻p.9 書き出し。
・「フードというのは自動DNA塩基配列決定装置(シークエンサー)――自動的に遺伝コードを解読する機械の通称でしてね。開発者の名をとってこう呼ばれているんです。」上巻p.83
・「アフリカやインドのサファリ・パークでの研究によれば、捕食者/被食者の比率は、おおまかにいって、草食獣400頭につき肉食獣一頭の割合だという。その割合をそのままあてはめれば、10000頭のカモノハシ竜の群れに対しては、25頭のティラノサウルスしかいなかった勘定になる。したがって、大型肉食恐竜の化石が発見されることはきわめてまれだ。」上巻p.91
・「肉食恐竜は一度の食事で体重の25パーセントの肉を食べ、そのあとは眠くなる。」上巻p.116
・「たとえばライオンの群れの場合、新たにその群れを乗っとった雄が最初にすることは、子供を皆殺しにすることであることを知っている。理由はどうやら遺伝子にかかわることらしい。」上巻p.117
・「結局ハモンドらは、おおむね日本の借款団にたよらざるをえなくなった。それだけの忍耐がある投資家は、日本人だけだったのである。」上巻p.122
・「ホーンテッド・マンション、カリブの海賊、ワイルド・ウエスト、大地震――どこにいっても似たようなものばかり。だからわれわれは、生物学的なアトラクションを創ることにしたのだ。生きているアトラクション――とてつもない脅威に満ち、全世界のどぎもをぬくようなアトラクションをな」上巻p.124
・「知ってのとおり、動物園の人気は高い。昨年のアメリカの全動物園の入場者数は、プロ野球とプロ・フットボールを合わせた全試合の入場者数よりも多いのだ。加えて日本人は動物園好きだ。日本には50もの動物園があり、さらにつぎつぎに造られているという。」上巻p.135
・「遺伝子操作された動物は特許の対象となる。1987年、最高裁がハーヴァードに有利な判決を出している。InGenは恐竜の特許をとるだろう。そうなればだれも、合法的には類似品を造れなくなる」上巻p.136
・「じっさいのところ、恐竜のDNAはですね、哺乳類のDNAよりも抽出が簡単なのです。なぜかといいますと、哺乳類の赤血球には核がありませんから、赤血球中にDNAはない。(中略)ところが恐竜は、現在の鳥と同じように、赤血球に核がある。これは恐竜が現世爬虫類とは異質な生物であることを示す、多くの証拠のひとつといえます。恐竜は厚い皮におおわれた、巨大な鳥類だったのです」上巻p.197
・「爬虫類の卵は卵黄を大量に含みますが、水はまったくふくんでいません。したがって、胚は卵外の環境から水分を補給しなくてはならない。この霧はそのためのものです」上巻p.208
・「三歳の子供が、「あ、ステゴサウルス!」と叫んだときの驚きはいまもわすれられない。子供たちがこんな複雑な名前を覚え、口にできるのは、名前を覚えることで巨大な権威を身近なものにしたい、という願望があるからではないのだろうか。」上巻p.226
・「「そうするとヴェロキラプトルは、皮膚といい姿といい、爬虫類の外見を持っていながら、鳥のように動き、鳥なみのスピードと獲物を狩る知恵を持つ――そういうことか?」  「そうだ」とグラント。「しかも、両方の習性がもじりあっているらしい」」上巻p.233
・「1842年、当時の英国の指導的な解剖学者であったリチャード・オーウェンは、その骨の主に "恐竜(デイノサウリア)" という名前をつけた。ラテン語で "恐ろしいトカゲ" という意味である。」上巻p.233
・「「飼いならされた恐竜?」ハモンドは鼻を鳴らした。「だれもそんなものは見たがらんよ、ヘンリー。客が見たいのは本物の恐竜だ」  「それには異論がありますね。はたして客は本物を見たがるでしょうか。客が見たいのは予想どおりの恐竜です。ここにいる恐竜は、一般のイメージとはかけはなれています」」上巻p.238
・「人生はあまりにも短く、DNAはあまりにも長い。」上巻p.243
・「大規模なコンピュータ・システムを構築するプログラマーともなると、秘密の入口を仕掛けておきたいという誘惑には抵抗できない。むしろそれは常識だ。もしバカなユーザーがシステムをハングアップさせたとしても――そして助けをもとめてきたとしても――そういう入口を用意しておけば必ず修復できる。それに、サインの意味もある。"キルロイ参上" というやつだ。」上巻p.340
・「恐竜はすぐれた視力を持っていますが、視覚器官は基本的に両棲類のそれでしてね。動きに同調するんです。だから、動いていないものはまったく見えません」下巻p.20
・「DNAはおそろしく古い分子である。現代世界の街路を闊歩し、赤ん坊を膝の上であやす人間はわざわざ考えてみようともしないことだが、すべての生物体の中心にある物質は――生命の踊りをはじめた物質、すなわちDNA分子は――地球と同じくらい古い歴史を持っており、その進化は20億年以上も前に、本質的に完了している。以来、抜本的な変化は起こっていない。」下巻p.33
・「大型肉食恐竜の顎の力は、そんなに強くないんです。強靭なのは、首の筋肉組織のほうでしてね。顎は獲物を抑えるためのもので、ふつうは強力な首をねじって、獲物のからだを引きちぎるんです。」下巻p.102
・「技術者に知能はない。連中にあるのは、わたしがいうところの "見かけの知能" だ。技術者は当面の状況しか見ない。連中にいわせれば、"目前の問題に集中する" ということだが、要するに考え方の幅がせまいということだ。技術者はまわりを見ようとしない。結果まで見とおそうとしない。」下巻p.180
・「科学者は副産物やゴミや傷や副作用を望む。それらを創りだすことで、彼らは安心するんだ。科学という布には最初からそのような意図が織りこまれていて、それが破局の規模を増大させてゆく」下巻p.182
・「「進歩とはなんだ?」マルカムはいらだたしげにいった。「さまざまな進歩があったにもかかわらず、1930年以降、女性が家事に費やす時間は変っていない。掃除機、洗濯機、乾燥機、固形ごみ圧縮機、生ごみ処理機、ノーアイロンの服……。それだけのものが開発されていながら、1930年以降、家事にかかる時間が同じなのはどういうわけだろうな?」  エリーは答えなかった。  「なぜなら、進歩などなにもなかったからだ」と、マルカムはいった。「ほんとうの進歩はなかった。三万年前、ヒトがラスコーの洞窟に壁画を描いていたころは、一週間に20時間も働くだけで、食べものも済むところも着るものもみんな手にはいった。残りの時間は遊んだり眠ったり、好き勝手なことができた。しかも彼らは自然の世界に住んでいた。済んだ空気、澄んだ水、美しい森、鮮やかな夕焼け。考えてみてくれ。週に20時間だぞ。三万年前はそれでよかったんだ」」下巻p.183
・「あらゆる大規模な変革は、死に似ている。彼岸にいってみないことには、向こうのようすがわからない」下巻p.237
・「だが、あんたは決して自然に慈悲を乞おうとしない。自然をコントロールしようとする。その時点から、人間は深刻なトラブルに巻きこまれざるをえない。なぜなら、そんなことはできっこないからだ。」下巻p.305
・「地球は人間の愚かさを超えて生き延びる。生物は人間の愚かさを超えて生き延びる。そうでないと思うのは――人間だけだ」下巻p.337
・「人間が出現してからいままで、地球にとってはまばたきひとつするあいだのことだ。人類があした滅亡したとしても、地球は気づきもしまいよ」下巻p.339
・「古生物学者というものは、長いあいだ化石骨を発掘してきて、骨格からどれだけ貧弱な情報しか得られないかをわすれてしまっている。化石骨はたしかにその動物の姿形を、体長や体重を教えてくれる。筋肉がどのようについていたかもうかがわせてくれるし、その情報をもとにして、その動物の往時の行動ぶりも偲ばせてくれる。骨の状態から、その動物たちがどのような病気にかかったかの手がかりも与えてくれる。だが、しょせん骨格は貧弱な情報源でしかなく、そこからその動物の全体像を読みとることは不可能だ。」下巻p.389
●解説(小畠郁生)より
・「この耳慣れない "ジュラシック" とは日本語の "ジュラ紀" にあたる時代の名称で、フランスとスイスの境にあるジュラ山脈にちなんで名づけられたものだ。ジュラ山脈をつくっている堆積岩が、もともとこの時代にできたのである。」下巻p.403
・「主人公グラント博士のモデルは、どうもモンタナ州立大学ロッキーズ博物館の恐竜温血論者ジョン・R・ホーナー博士らしい。私は彼に何度も会ったが、風貌といい、性格といい、ビールのすすめ方までグラントそっくりだった。」下巻p.404
●訳者あとがきより
・「本書が世に出たころは、まだ "大きい、鈍重、頭が悪い" という恐竜イメージが一般に定着していた。そのイメージの落差をついて、時期的に遅すぎもせず早すぎもせず、絶妙のタイミングで常識をくつがえし、読者の知的好奇心を刺激したことが、本書がアメリカで大ベストセラーとなり、日本でも大好評をもって迎えられた最大の理由だろう。」下巻p.412
・「そういえば、このザウルスという表記、すっかり定着している感があり、話すときなどはつい「ティラノザウルス」などといってしまうのだが、語源はいったいなんなのだろう? もしや、「左(さ)衛門」が「××左(ざ)衛門」となるように、日本語特有のなまりではないかという気がするのだが、どなたか教えていただけませんか。」下巻p.415

?せんもう【譫妄】 医学で意識障害の状態の一つ。外界からの刺激に対する反応は失われているが、内面における錯覚、妄想があり、興奮、不穏状態を示したり、うわごとなどを示す。
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【本】戒厳令下チリ潜入記 ―ある映画監督の冒険―

2008年11月03日 08時10分11秒 | 読書記録2008
戒厳令下チリ潜入記 ―ある映画監督の冒険―, G.ガルシア=マルケス (訳)後藤政子, 岩波新書(黄版)359, 1986年
(LA AVENTURA DE MIGUEL LITTIN CLANDESTINO EN CHILE by Gabriel Garcia Marquez 1986)

・本書の内容については記事文末の訳者解説の書き抜きに譲る。
・最近その名をちょくちょく目にする、ノーベル賞作家による作品。同著者の作品は未見で、かなりの期待を持って読んだのですが、何の変哲も無い文章でいまいちピンと来ない内容でした。翻訳が学者さんの手による影響もあるかもしれません。
・内容は「冒険記」ですが、やはりハリウッド映画のような派手さはありません。
・「私たちの計画は机上のプランでは非常に簡単であった。だが、その実行には大きな危険が伴っていた。その目的とはすなわち、軍事独裁12年目のチリのありさまを密かにフィルムに収めることである。」p.3
・「私にとって一番難しかったのは、自分を別人に仕立てることであった。パーソナリティの変革は毎日がたたかいであって、その場合、人はしばしば自分の決意を翻し、もとの自分のままであろうと願うものだ。」p.6
・「ただひとつだけやってはならないのは、笑うことであった。私の笑い方は非常に特徴的であり、変装を見破られる可能性があったからである。そのため変装の責任者はこの上なく真剣に「笑ったら死ぬぞ」と言ったほどだ。」p.12
・「私はこの時、亡命の日々がいかに長く、また破壊的であったかを思い知らされた。それは私たち亡命者ばかりでなく、チリにとどまった人々にとっても同じだったのである。」p.64
・「ソーダファウンテンで冷たいコーヒーだけの朝食をとった。ここにもお湯がなかったのだ。」p.97
・「サルバドル・アジェンデの名は過去を支える名であり、その思い出にたいする崇拝は、ポブラシオンでは神話の域に達している。」p.106
・「若い世代の中になお生きつづけている崇拝の対象は、もうひとつある。それはイスラ・ネグラの海の家で見られるパブロ・ネルーダに対する信仰である。」p.114
・「私が出国した二日後に、このインタビューが発表された。表紙には私の写真が載せられ、「リティン、入国せり、撮影せり、そして去れり」という、シーザーの例の言葉をややもじったタイトルがつけられていた。」p.168
・訳者解説より「本書はラテンアメリカ文学の巨匠であるノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスのルポルタージュである。著者の序文にもあるように、亡命中のチリの映画監督ミゲル・リティンがウルグアイのブルジョアというふれこみで祖国に潜入し、サンチアゴの市街や貧民街、さらに大統領府の中などを撮影して無事出国した時の話を、ガルシア=マルケスが「リティンの語り」という形式で本にまとめ出版したものである。」p.213
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【本】臨死体験の不思議

2008年10月29日 08時00分08秒 | 読書記録2008
臨死体験の不思議 至福の悟りが待っている!?, 高田明和, 講談社ブルーバックス B-888, 1991年
・科学とは無縁に感じられる『臨死体験』をテーマに据え、改めて科学的視点から迫る。『臨死体験』を仏教の『悟り』と結びつけて論じている点が特徴的。まとめとして、平田精耕老師(天龍寺派管長)との対談を収録。前出『死を見つめる心の科学』の姉妹書。
・自身、『臨死体験』の経験はありませんが、これだけ体験談を聞かされると、このような死を目前にした脳の特別な活動はあっても不思議じゃないのかなと思います。但し、あくまでも生理学の範囲の話で、霊的・宗教的な話までいってしまうと懐疑的になってしまいますが。
・『悟り』の境地に興味はありますが、そのために死にかけるのはカンベン。
・「事実、釈迦は、人生の最大の悩みを「四苦」、つまり、生老病死としましたが、それ以外にも「八苦」として愛別離苦、つまり、どんな好きな人とも必ず別れなければならないとか、怨憎会苦、つまり、どんな嫌いな人とも一緒に暮らさなければならないという苦しみをあげています。」p.14
・「そこで死の問題にもどりますが、死からもどった人、死を体験した人はいません。「霊の世界」とか、「あの世」とか言ったところで、実際にそこに行った人の話ではなく、霊媒師や宗教家などが、いかにもあの世を見たことがあるかのように話しているのを聞くにすぎません。  つまり、私たちにとって、死とは永遠に謎なのです。(中略)いったい、臨死体験は本当に "あの世" を垣間見た経験なのでしょうか。あるいは、これは死の直前の脳の変化による幻覚なのでしょうか。また、科学者はこれをどのようにみているのでしょうか。」p.15
・「もう一つ、私が興味をもったのは、臨死体験と、禅でいう「魔境」の関係です。これは座禅を続け、精神統一(禅定)が進んでくると、全身がなくなってくるような気がしてくることをいいます。(中略)このような魔境と臨死体験は、どこが違うのでしょうか。もし魔境と臨死体験が同じような感覚だとすると、魔境は悟りの一歩手前といわれますから、人が死ぬということは、案外、解脱の境地に入ることなのかもしれません。」p.16
・「禅では、「大死一番」などといって、一度精神的に "死ぬ" ことを要求します。有名な白隠禅師は、「若い衆よ、死ぬのがいやならいま死にゃれ。一度死んだら、二度とは死なぬぞ」と詠っています。」p.28
・「では、臨死体験は、死に近い人の何割くらいに見られるのでしょうか。  多くの統計では、40~50パーセント、ほぼ40パーセント台の半ばぐらいといっていいでしょう。」p.32
・「臨死体験を幻覚と同一視する研究者も少なくありません。とくに薬物によって幻想、幻覚が出現し、これが臨死体験としての報告とかなりよく似ている場合があるからです。しかし、本当の臨死体験の場合は、このような経験をしたあと人生観が一変してしまうということがあるのに、薬ではそのような状態に達することができないという点に、根本的な違いがあるようです。」p.39
・「また、臨死体験には、まったく幻覚にすぎないものもあることは事実でしょう。しかし、臨死体験には、精神構造の変化の持続性という特徴をもつ場合が多くあります。  このことは、臨死体験には解脱の精神状態に近いものがありうるのではないか――という本書の主題を支持するものと思えます。」p.50
・「このように見てきますと、臨死体験には、基本的には文化、教育、環境とは関係のない本質的な光景に、文化や環境と関係する因子が混在して形成されるといっていいようです。」p.80
・「以上をまとめますと、客観的に臨死の人は光を見たり、トンネルに入ったりする感じが臨死でない人より強く、また感情的には至福感などの陽性の感情をもつことが多いということがわかります。つまり、臨死体験は幻想や思い込みではなく、本当に死に瀕したときに起こることがわかると思います。」p.93
・「死に直面する事故や病気から生還した人は、不動心というか、未来の不安定要素や危険に対して、心の平和を保っていられるようになるらしいのです。アンケート調査のうち、七人は、もはや死の影におびえなくなったと明言しています。」p.101
・「次の、海で溺れて死にかかった女性の言葉は、この人たちの気持ちをすべて代弁しているといってもいいでしょう。  「私は人生や生きているものに、よりいっそう気づくようになった。しかも、まだ残りの人生があるうちに、これを楽しむことができて本当に幸せです。」  この言葉は、「臨死体験は悟りに近いのではないか」という考え方を支持しているように思われます。」p.108
・「ここまで読まれた読者は、臨死体験や危機的状況の自覚下で起こる現象には共通の点が多い、と感じられたに違いありません。つまり、臨死体験は、私たちの大脳生理とは無関係な、完全に神秘的な体験ではない、ということになるでしょう。」p.140
・「動物にとって幸せや快感というのは、存在の大きな理由です。したがって、動物の脳がなにかの刺激に対し、より快感を得る、つまり快感中枢のほうが不快の中枢よりはるかに大きいというのは、幸福感をもちやすい動物のほうが存在に適しているということです。」p.154
・「以上のことを考え合わせますと、臨死体験のときに見るイメージは、夢とはまったく異なる次元のものであることが、よくわかると思います。」p.181
・「時間は客観的には一定の速度で流れているというのが、ニュートン力学の基本でした。しかし、それ以前は、時間は時と場合によっていろいろな流れ方をすると考えられていたのです。」p.182
・「では、悟りとはなにかということになると、とても私には答えられませんが、一応、次のように述べておきましょう。  この世の森羅万象が仏性と呼ばれる不生不滅のものからなり、私たちの悩みや恐れは夢のようなものだということを自覚した状態。」p.215
・「臨死体験は、あくまでも生きているときの体験ですから、死後の世界を垣間見たことにはならないと、私は思います。」p.216
・「平田 われわれは、あなたがおっしゃったように、瞬時に生まれ瞬時に死んでいる。こういって、もう一分前の私は死んで、現在の私が生まれ変わって、いましゃべっている。」p.238
・「人間というのは、悪いことをしたから、今度はよいことをしましょう。こういう自由な選択意思があるわけです。そういう自由な選択意思と、それからどうにもならなかった過去のものとが合体して、瞬間、瞬間に生まれ変わり、死に変っているのが人間の実存だということでしょうね。」p.240
・「だから、もしキリスト教の人たちが、自分たちのもっている理論をいっぺん全部捨ててしまって、そして、理論を超えた世界へ入って、もう一度理論の世界へもどってきたら、ものすごく手強い理論ができ上がるだろうと思います。」p.246
・「Aの老師が「右へ行け」といったら、Bの老師は「あれは間違いだ。左へ行け」といわれた。それの出てくるもとのところへ帰って、あなたがAへ行かれようが、Bへ行かれようが、それはご勝手だ。そこは自分で判断するよりしかたがない。それが禅なんです。」p.249
・「絶体の集中というものは絶対の解放でなくちゃいけない。そうでなければ、車にぶち当たりますね。車が通るところを、パーッと専念して向こうへ安全に渡れる。悟りなんて、そんなことです。悟りという世界が特別に天国かどっかにあって、座禅していたらそこへ飛んでいくというものではない。」p.250
・「つまり、人は精神の集中が極限状態になると、自分の仏性(本性)が自分を自覚し、さらにそのときには、外界の様子が一変し、すべてが輝きわたって見えるというのは、ありうることだと思います。  この状態は、単に宗教的に精神を集中したのみでなく、死の危険にさらされたときにも起こりうるのです。」p.259
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【本】人間そっくり

2008年10月25日 11時14分27秒 | 読書記録2008
人間そっくり, 安部公房, 新潮文庫 あ-4-12(2329), 1976年
・「火星人は一体誰なのか?」 登場人物は二組の夫婦の四名のみ。物語は、ほぼ冒頭の命題について交わされる会話のみによって進行し、手に汗握る心理戦が展開される。
・"面白い小説" ってこういう作品のことを言うんだよなぁ……と唸ってしまいました。カバー裏では「SF長編」と紹介されていますが200ページ弱でそれほど長くはありません。また、初出は1967年で、約40年前の作ですが全く古さを感じさせない内容で、やや星新一や筒井康隆と似た雰囲気も有ります。
・「その奇妙な男は、ある晴れた五月の昼さがり、ミシンのセールスマンかなんぞのような、のどかな足取であらわれた。」p.5 書き出し。
・「まったく、誤解されたユーモアほど、みじめで無残なものはない。笑ってもらえなかった道化に残されている道は、ただ死か復讐あるのみだと、誰かが書いているのを読んだ記憶があるが……」p.15
・「何が飛び出してくるか分らない、そのトポロジー空間の出口のような受話器の口に、しばし気をうばわれたまま立ちつくしていたものである。」p.30
・「でも、そんなことより、この大きすぎる引力……引力なんて、慣れてしまえば、空気みたいなものだけど、わずか391ダインの世界から来た身にとっては、まるで、年中急上昇しつづけているエレベーターの中で暮しているようなものでしょう。それで、よく、エレベーターごと、ビルの天井をつきぬけて、宇宙の果にほうり出されてしまう夢を見たりするんです。あの感じ、もうれつに孤独なんだなあ。火星人は、地球で暮していると、どうしてもノイローゼにかかってしまうんですよ。」p.39
・「ほらまた嘘! 先生、おねがいですから、ぼくをこれ以上苛立たせないで下さいな。ベッドの下に薮蚊が巣をつくったみたいな、嫌な気分になってきた。」p.48
・「真剣な対話というものは、すばらしい精神の体操みたいなものですね……」p.62
・「そんなこと、出来っこないじゃありませんか。公理が証明不可能なことは、初等幾何学の第一課に書いてあることですよ。証明できるのは、事実の関係だけで、事実そのものの証明なんて、犬は犬なり、というのと同じことじゃないですか。」p.63
・「臆病な犬ほどよく吠えるというが、その臆病さのおかげで、犬はしばしば、身の安全を保つことが出来るのだ。」p.69
・「べつに面倒なことはいらないんです、ぼくをモデルにして、今日体験なさったことをそのまま書けば、それで一丁あがりですよ。けっこう、しゃれた、現代風の短篇になると思うな。結末だって、適度にワサビのきいた、風刺的な味をもっているし……」p.80
・「ついでに、ほら、先生のペンネームも考えておいたんですけど……甲田申由(こうださるよし)……いかがです?」p.83
・「神経の被覆が、全体にわたっていぶりだす。味がするような皮膚の火照りが、地図になって拡がりはじめ、掻けば、掻くほど、相手の領分を拡大してやるだけのことだと、百も承知していながら、しかも掻かずにはいられないのだ。」p.141
・「と、いつの間にやら、また元の場所に戻って来てしまっている。同じところばかりを繰り返す、古レコードのような執念深さに、今度は僕の方が、殺虫剤に酔った虫のような気分になってしまっていた。そして、つぶしたはずの虫の方は、むっくりと事もなげに起上がり、顎を鳴らして詰めよってくるのだ。」p.149
・「大きな嘘を隠すには、小さな無数の嘘で、そのまわりをくるんでやるのが一番だという。」p.159
・解説(福島正実)より「安部さんは、繰り返し、私に、SFを、動物園の檻の中の猛獣にしてしまうことの愚を説いた。」p.182
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【本】東京ゲノム・ベイ計画

2008年10月17日 08時06分16秒 | 読書記録2008
東京ゲノム・ベイ計画 日本に託された人類の未来, 新井賢一, 講談社+α新書 102-1C, 2002年
・『東京大学医科学研究所所長』の肩書きを持つ著者の、「遺伝子産業を核に、日本を世界最高の技術立国にしよう!」という力強い提言。遺伝子の仕組みなど科学的な記述はほとんど無く、『科学書』というよりは『ビジネス書』の傾向が強い。本書の出版当時はまだ具体的な計画やスケジュールがあるでもなく、「こんな風になったらなぁ」という個人の希望の段階です。その後数年経っていますが、この計画がどうなったのかはよく分かりません。
・「本書において著者が強調したいことは、「東京ゲノム・ベイ」の形成を通して「価値の消費から価値の創造へ、目標追跡から目標創造へ、国内向けから世界を相手に」、教育・研究・開発の歴史的転換を成し遂げ、研究成果を付加価値の高いゲノム産業の創出に効率良く結び付けることである。」p.6
・「日本は模倣が得意だといわれるが、独創性はもっと優れている。過去にも優秀な人材を輩出し、独創性とベンチャー精神を発揮させる土壌があった。その中から生まれた革新的な科学技術が、世界レベルで健康分野に大きく貢献してきたことは、多くの人が知るところだ。」p.20
・「明治の世界的な研究と業績は、こういった背景があればこそ成し遂げられたことだ。そして、21世紀のゲノムの新時代も、世界から頭脳を受け入れ、力を合わせて研究・開発を進めていってこそ、世界を引っぱっていけるだけのポジションに立つことができるのだ。  そのために、今から始めなければいけないのが、国内から世界に視野を広げたアジア・環太平洋地域の国際分子生物ネットワークであり、世界の頭脳を集結させる「東京ゲノム・ベイ計画」なのだ。」p.22
・「すなわち東京の問題は、「一極集中」自体が原因であるというよりも、集中しても有効に機能しない縦割り行政が問題なのであり、これこそ日本の抱える問題の象徴なのである。」p.25
・「国は細かく規制をするのではなく、開発がフェアに行なわれる土俵さえ提供していればいい。(中略)オリンピックにたとえるなら、競技場は国が作るが、ここで競技を行う選手は官僚ではない。選手は個々の研究者であり、ベンチャー企業であるといった考え方だ。」p.28
・「これまでの薬の開発の過程を見ると、画期的と評価される新薬は、長期間の研究開発と膨大な費用を必要とした。かつては10年、100億円といわれたものだが、今では日本においては300億円もの投資が必要となっている。これだけの投資を行っても、実際に新薬が生み出される確率は、候補となる化学物質の2%ほどでしかない。それが短期間で、安価に、しかも高い確率で開発できるようにもなるのだ。」p.35
・「ポスト・ゲノムの基礎となるのはゲノム解析によって得られたデータだが、知識をベースにして産業を興していく立場にとってラッキーだったのは、この基礎データに特許が認められなかったことだ。」p.38
・「個人の特性に対応するオーダー・メイド医療は、医科学研究の中で、常に強く求められてきたことだ。  たとえば、抗がん剤は、末期の段階では、どの患者にも必ず効果があるというものは、まだ存在していない。」p.53
・「生命科学と情報科学は、1940年代まではかけ離れた学問であった。それが50年代に入って遺伝子の研究が進み、遺伝子という鋳型の生化学が入ることで、生命科学もデジタルな直線的な情報の時代へと移り、学問として情報科学と結びついた。情報科学と生命科学が結びついたことで、それまでアナログ的な説明が多かった生命系の現象について、鋳型概念から遺伝暗号、タンパク質合成の翻訳の場としてのリボソームと研究が進む中で普遍的に説明できる可能性が生まれてきたのだ。」p.58
・「私たちが科学を認識できるのは、脳の働きによるものだ。人間の脳も細胞の集まりであり、遺伝子により制御されている。その遺伝子により制御される細胞集団が、なぜものを考えることができるのか、はたして遺伝子の違いによって考え方に違いが生まれるのか、遺伝子の集まりである細胞が認識した知識とは何なのか、という疑問が生まれている。」p.59
・「日本が重要な貢献をできるかどうかは、ITとバイオ・テクノロジー(BT)と融合させたBIT、さらにはナノテクノロジー(NT)を融合させたBINTともいうべき新領域の進展にかかっているといえるのだ。」p.62
・「「ポスト・ゲノム」の研究は生活に直結する実用研究を含むが、その研究の柱の一つは、解析されたゲノム・データから有用な遺伝子を見つけ出すことであり、もう一つの柱は医薬品の開発に直結する疾患遺伝子の解析と、タンパク質の立体構造の解析だ。」p.69
・「ゲノム・データから遺伝子を見つけ出すには、バイオ・インフォマティクス(生命情報工学)と呼ばれる高度な情報処理技術が必要となる。バイオ・インフォマティクスは、約30億文字からなる膨大なヒト・ゲノムをコンピュータを駆使して読み解いていく、新たな研究分野だ。つまり、BT(バイオ・テクノロジー)とITが結合した新分野というわけだ。」p.70
・「このようにゲノム医科学は、生命科学と技術開発の進展にともなって、その対象を拡大しつつあり、バイオ・ベンチャーもそれに対応して「機能遺伝子発見型(第一世代)」から、「創造技術開発型(第二世代)」、「情報集約型(第三世代)」などに変化してきた。」p.86
・「縦型社会の日本から、横型社会の外国に出た場合、初めこそカルチャー・ショックを受けるだろうが、自分が主体となっていけばいいことなので、時間の経過とともに慣れていく。ところが、いったん横型社会に慣れた研究者が縦型社会に戻るとなると、これが難しい。世界で学んだ日本の頭脳が、海外にとどまったまま戻ろうとしない大きな理由が、ここにある。」p.104
・「日本でベンチャーが育たないのは、承認手続きに時間がかかりすぎることが、大きな理由として指摘されている。」p.119
・「アメリカではNIHが開発側で、FDAが規制側という役割分担がしっかりしているが、日本の各省庁は開発側に資金を提供しつつ、安全性の規制も行っている。前にも、たとえとして示したことがあるが、「開発側=競技選手」「規制側=審判」であり、日本の仕組みは、相撲とりが行事を兼ね、審判が野球選手に変身するようなものだ。  多くの省庁が審判とプレーヤーの両方を行っているから、ゲームのルールが極めてわかりにくい。」p.130
・「日本の製薬会社の中で最もゲノム創薬の研究がすすんでいるのは、最大手の武田薬品工業だ。20年前から生物工学研究所を設立してバイオ関連研究に取り組み、これまでに取得した遺伝子関連の特許も日本で最も多い。」p.164
・「それは遺伝子工学の父であり、ノーベル賞受賞者であるアーサー・コーンバーグ博士の「必要が発明の母であることは滅多にない。むしろ真の発明が必要を生むのである」という言葉だ。」p.210
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【本】ローマ人の物語 14・15・16 パクス・ロマーナ

2008年10月13日 22時10分05秒 | 読書記録2008
ローマ人の物語 14・15・16 パクス・ロマーナ(上)(中)(下), 塩野七生, 新潮文庫 し-12-64・65・66(7509・7510・7511), 2004年
・古代ローマの歴史絵巻シリーズ第6集。話は紀元前700年代から始まって、ついに紀元をまたぐところまできました。今回の主役はユリウス・カエサルの跡を継ぎ、ローマの初代皇帝となったアウグストゥス(オクタビアヌス)。ローマは安定した平和の時代へ。
・「ユリウス・カエサルの言葉の中で、私が最も好きなのは次の一句である。  「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」」上巻p.12
・「天災の後を継いだ天才でない人物が、どうやって、天才が到達できなかった目標に達せたのか。それを、これから物語ってみたい。」上巻p.13
・「オクタヴィアヌスは、手段ではちがっても目的では、完全にカエサルと考えを一にしていた。国家ローマは、領土拡張の時代から領土維持の時代に入ったとする認識である。」上巻p.25
・「何事であれ新しいことをはじめる場合の基本姿勢は、現状の正確な把握にあるのは当然だ。」上巻p.28
・「アウグストゥスは、まれなる美男であったという。武骨な容貌だったアントニウスが、カエサルが後継者に指名したのは、17歳当時のアウグストゥスが美少年であったからだ、と悪口を言ったほどである。(中略)しかし、彼の美しさは、形の美だけではなかった。その顔は、話をしているときも話に耳を傾けているときも、無限の静けさと晴れやかさが乱されることはなく、それが会う人に、容貌の美以上の美を印象づけたのである。」上巻p.61
・「そして、共和政時代のほうが非拡張主義で帝政時代が拡張主義と思うと、ローマ史では完全にまちがう。共和政時代こそ覇権拡大の時期であり、帝政は防衛の時代に変る。」上巻p.80
・「「慎重」こそ、アウグストゥスの生涯を律した性格でもあった。」上巻p.90
・「ローマの帝政とは、選挙つきの帝政なのである。」上巻p.146
・「ローマ人の間での内紛はローマ人の間で決着がつくのに、オリエント諸国では王家間の結婚による結びつきが緊密なためか、他国の介入を呼んでの戦域拡大に進むことが多かった。」上巻p.176
・「何であろうと自由は認める、ただし反ローマに立たない限りは、が、アウグストゥスの、そしてその後のローマ帝国の、統治の基本方針になっていくのである。」上巻p.185
・「平衡感覚とは、互いに矛盾する両極にあることの、中間点に腰をすえることではないと思う。両極の間の行き来をくり返しつつ、しばしば一方の極に接近する場合もありつつ、問題の解決により適した一点を探し求めるという、永遠の移動行為ではなかろうか。」中巻p.31
・「防衛線は、山ではなく河、という考えが、カエサル以後のローマの戦略になる。河ならば、対岸が望めるからである。(中略)ライン河の防衛線は、カエサルが確立してくれていた。ユーフラテス河は、アウグストゥスが外交で解決している。黒海も、南は属州、東は同盟国で固め、北のボスフォロス王国とも同盟して、「パクス・ロマーナ」は半ばにしろ完了していた。残るは、ドナウ河である。」中巻p.46
・「ローマ軍団の真の強さは、武器を交えての戦闘よりも、計画に基づいての事前準備の完璧さにある。」中巻p.49
・「ときの執政官マリウスによって、五百年間つづいてきたローマの軍事制度の大改革が行われる。徴兵制から志願制への移行だった。ローマの兵士は、市民の義務から、市民の職業になったのである。」中巻p.75
・「しかし、いかにこの種のローマ化が進もうと、軍団兵補助兵合わせても30万足らずという兵力で、全長一万キロにおよぶ防衛線を守りきるのは大変な事業である。だが、種々の事情で30万に押さえるしかなかったからこそ、防衛力の効率性の追求という、ローマ軍の真のパワーにもつなげることができたのである。」中巻p.100
・「一貫した方針とケース・バイ・ケースという、概念では矛盾するやり方をともに行使し、しかも積極的に活用していくには、基本線は簡単なものであったほうがよい。そして、これとともに求められるのは、バランス感覚である。この才能でも、ローマ人は群を抜いていた。」中巻p.100
・「まったく、現代のローマは、古代のローマの上に建っている。おかげで、地下に駐車場をつくることもむずかしい。現代の地下一階は、古代の地上一階に相当するからである。」中巻p.118
・「私見にすぎないが、納税者が節税や脱税に情熱を傾けるようになるのは、直接税なら10パーセント、間接税ならば5パーセントからではないかと思ったりしている。」中巻p.132
・「都市計画とは、一人ですべてを計画するよりも、いくつかの「核」になる建造物を「公」が担当し、その周辺は「民」にまかせたほうが人間的な街づくりになるように思う。」中巻p.136
・「知性とは、知識だけではなく教養だけでもなく、多くの人が見たいと欲する現実しか見ない中で見たくない現実まで見すえる才能であると思うが、見すえるだけでは充分ではない。見透した後で、それがどの方向に向うのが最善の道であるかも理解してこそ、真の知性と言えるのだと思う。言い換えれば、創造性を欠く現実認識力は、百点満点の知性ではない。」中巻p.148
・「アウグストゥスには、「読ませる」「聴かせる」能力が不十分なのだ。内容のいかんにかかわらず、読み、聴く快感を与える才能が不十分であったのだと思う。」中巻p.151
・「一見逆説のようだが、逆説ではなくて真実である。文明の度が高ければ高いほど、その民族の制覇は容易になり、低ければ低いほど、その民族の制覇は困難になる。とくに、征服した相手を滅ぼさずに活かすローマ人のやり方では、このちがいはより明白になった。」中巻p.170
・「そして、ローマ人の最高の徳は、自分たちだけで何もかもしようとしない点にあった。ローマ覇権下に生きる各民族には、それぞれが得意とする分野で活躍する機会と舞台があったのである。  だが、文明を知らないで生きてきた民に文明による利益を納得させるのは、大変な難事になる。これがまず、未開の民相手の制覇行の難点になった。」中巻p.171
・「ローマ人の死生観は、死生観などという大仰な文字で言いあらわすのがはばかられるほど、非宗教的で非哲学的で、ということはすこぶる健全な死生観であったと私は思う。死を、忌み嫌ったりはしなかった。「人間」と言うところを、「死すべき者」という言い方をするのが普通の民族だったのである。」中巻p.191
・「「平和」は、唱えているだけでは絶対に実現しない。」下巻p.8
・「「国父(パーテル・パトリアエ)」の栄誉だけは、カエサルが与えられていた栄誉のうちで、アウグストゥスが得ていなかった最後のものであった。」下巻p.32
・「政治とは、小林秀雄によれば、「ある職業でもなくある技術でもなく、高度な緊張を要する生活」であるという。(中略)この状態を生き抜くのに必要な資質は、第一に、自らの能力の限界を知ることもふくめて、見たいと欲しない現実までも見すえる冷徹な認識力であり、第二には、一日一日の労苦のつみ重ねこそ成功の最大要因と信じて、その労をいとわない持続力であり、第三は、適度の楽観性であり、第四は、いかなることでも極端にとらえないバランス感覚であると思う。」下巻p.34
・「編年記風に歴史をたどるならば、われわれはこれより先に進む前に、あることに想いを馳せずにはいられない。  それは、紀元前と後の境界線上にあるこの時期、イエス・キリストが生まれていたはずだからだ。ただし、ローマ皇帝アウグストゥスによる国勢調査(チエンスス)のためにヨセフとマリアが本籍地にもどる旅の途中で生まれたという美しいエピソードだが、この前後には国勢調査は実施されていないのである。」下巻p.38
・「後にマキアヴェッリが注目することになる特色だが、ローマ人には、危機到来となればそれまで敵対していたもの同士でも直ちに一致団結し、実力あると認めたものに全権を委託するという性向がある。」下巻p.63
・「ローマ人は食事をとるとき、寝台式のものに片腕で支える形で横になってするのが習慣になっている。そのローマ人が椅子に座って食事するというのは、現代の感覚ならば、立ったままで食事する、に等しい。」下巻p.70
・「つまりカエサルは、現代風に言えば「絨毯爆撃」を徹底させることでしか完全制覇の見込みのない、ゲルマニアの地への深入りを断念したのである。現地を熟知し、兵士の間で生きてきた人にしてはじめて、迷うことなく下せる決断であった。反対にアウグストゥスのゲルマニア制覇は、文官が机の上で地図だけを相手に練り上げた戦略であったのだ。」下巻p.107
・「老いてもなおアウグストゥスは、現実的な男でありつづけたのだ。物産が自由に流通してこそ、帝国全体の経済力も向上し生活水準も向上するのである。そして、それを可能にするのが、「平和(パクス)」なのであった。」下巻p.123

《関連記事》
2008.1.9 ローマ人の物語 11・12・13 ユリウス・カエサル ルビコン以後
2007.6.20 ローマ人の物語 8・9・10 ユリウス・カエサル ルビコン以前
2007.3.10 ローマ人の物語 6・7 勝者の混迷
2006.11.25 ローマ人の物語 3・4・5 ハンニバル戦記
2006.5.26 ローマ人の物語 1・2 ローマは一日にして成らず
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【本】外国語上達法

2008年10月09日 08時01分28秒 | 読書記録2008
外国語上達法, 千野栄一, 岩波新書(黄版)329, 1986年
・「外国語」と聞くと、どうも反射的に「英語」が思い浮かびますが、本書では英語に限らずとにかく日本語以外の言語ならなんでも、という大きなテーマを扱っています。語学習得の入門書としては息が長く、そこそこ有名な本だと思います。
・論理の組立がシンプルで分かりやすい。それだけ著者の頭の中で本の内容が明快に整理されているということ。
・この手の本にはどうしても、「コレを読むだけで英語が出来るようになる!」なんてことを期待してしまいますが、結局は「地道な不断の努力」、これ無しには何事も習得不可能であることを思い知らされるのみです。
・「私は語学が苦手である。論より証拠、中学では英語でずっこけたし、旧制高校では<ドイツ語でえらい苦労をした。そして、やっと入った大学は一年延長したにもかかわらず、専攻のロシア語でロシア文学を楽しむなどという醍醐味はついぞ味わったことがなかった。」p.2
・「そんなわけで「ポリグロット」(多言語使用者)の伝記は数多くの言語を習得しうるヒントを含んでいたのに、自分ではそれに気がつかなかった。」p.4
・「くり返していうが、才能の差はある。しかしある言語を習得できるかどうかは、その習得の方法に、より多くのことが依存している。」p.6
・「ある人が「語学の習得というのは、まるでザルで水をしゃくっているようなものです。絶えずしゃくっていないと、水がなくなってしまいます。水がどんどんもれるからといって、しゃくうのを止めるとザルははぜてしまうのです」といっているが、これは真実であろう。語学の習得で決して忘れてはいけない一つの忠告は「忘れることを恐れるな」ということである。」p.9
・「忘れるし、よく覚えないからといって外国語の学習を始める前からあきらめる人には、70歳を過ぎた今日でも毎年一つは新しい外国語をものにしておられる私の恩師の話を伝えることにする。「いや、もうだめですね。覚えるそばから忘れていきますよ。見事に、きれいさっぱりです。私たちが若い人たちに対抗していく唯一の手段は、何度も何度もくり返すしかありませんね」といいながら、先生は一年たつとその言語を習得しているのである。」p.9
・「なぜ英語を勉強しなければならないのかが分かっていない人に英語を勉強させるのは、困難な業としかいいようがない。」p.19
・「人間の能力には限界があって寿命も限られているのであるから、必要なだけの英語ができればよく、それで十分なのである。」p.26
・「もし本当に上手に外国語を読み書き話せるようになろうとしたら、正直にいって三年から五年はかかる。」p.28
・「「先生、語学が上達するのに必要なものはなんでしょうか」  「それは二つ、お金と時間」p.38
・「お金と時間が必要なことが分かったが、それではそのお金と時間で何を学ぶべきなのかというのが、私の次の質問であった。それに対して、S先生は次のように答えられた。  「覚えなければいけないのは、たったの二つ。語彙と文法」p.41
・「「外国語を学ぶためには、次の三つのものが揃っていることが望ましい。その第一はいい教科書であり、第二はいい教師で、第三はいい辞書である」」p.42
・「いつの頃からか日本での外国語教育は文法偏重になり、言語にとってこれほど大切な語彙についての学習はなおざりにされている。」p.48
・「単語の学習には、この精神力が必要なのである。このことについては、次のラテン語の格言がすべてを物語っている。Repetitio est mater studiorum. (繰り返しは学習の母である)」p.51
・「もし千語をモノにできれば、その言語の単語の構成がなんとなく分かるようになり、千五百にするには最初の千語の半分よりはるかに少ないエネルギーで足りるようになる。そして千五百語覚えさえすれば、もう失速することはない。」p.53
・「われわれは学習にあたっては、よくでてくる単語――言語学的にいえば、類度数の高いもの――から覚えるべきである。」p.55
・「すなわち、頻度数の高い語は原則として短いのである。」p.63
・「「文法というものは面白い」というと、九分九厘の人までけげんな顔をし、多くの人が積極的にこの説に反対する。しかし、「文法は大切である」ということにはあえて異議を唱えない。大切なことは認めるが、人気が無いのである。」p.66
・「さて、これまで「文法」という語をはっきりした定義をせずに使ってきたが、ごく大雑把にいって、語をより上の単位へと組み上げていくルールの集合という意味と、それを研究する学問という二つの意味がある。」p.70
・「文を作る規則の集合としての文法とは何かということを考え直してみると、文法には単語を組み立てていくルールと、その組立を表示するための形を扱う部分の二つがある。前者を言語学では「統語論(あるいは統辞論)」、後者を「形態論」と呼ぶ。」p.72
・「もう一度いうが、語学書は薄くなければならない。とりわけ、初歩の学習書はそうでなければならない。」p.97
・「よい語学教師にとって絶対に必要なことは、学生に「この教師はできないんじゃないか」とか「間違ったことを教えているんじゃないか」と疑われないことである。」p.109
・「よい授業の目安は受講者の数が多く、出席がよく、学習者の数が減らないことである。」p.114
・「外国語上達法には、ことばについての理論である言語学と、学習の中で重要な意味を持つ記憶を扱う心理学と、教授法を論ずる教育学の三つの基礎が必要である。」p.114
・「すなわち、語学教師が教壇に立つということは、語学という技術を教えているだけではなく、同時に受講者から全人格の審査を受けているということなのである。」p.122
・「外国語を上手に習得するのにとても大きな意味を持ち、しかもそのことを本人自身が知りながら、それでもなおあまり重要視しないという学習上の謎が「発音」である。」p.144
・「まったく[r]と[l]の区別は面倒で、少なくとも日本人にとっては持病のようなものである。」p.150
・「外国語を学ぶ場合、その外国語の知識がアクティブであるか、パッスィブであるかの区別は大切である。前者ではその外国語で書いたり、話したりする能力のあることを示し、後者では話されたことがどうにか理解でき、書かれたことが理解できることを意味する。」p.162
・「ゲーテのファウストの中にも 'Es irrt der Mensch, solang er strebt.' (人は努力する限りあやまつものである)という言葉があるように、何もしなければ誤りを犯すことはないが、黙っていては会話は上達しない。会話では「あやまちは人の常」の精神が大切なのである。」p.168
・「チェコ語に「レアーリエ」(realie)という語があり「ある時期の生活や文芸作品などに特徴的な細かい事実や具体的なデータ」という説明がついている。」p.178
・「従って自分の見たことのないシュメールやエジプトの時代から今日まで、極寒のエスキモーから砂漠のベドゥインの生活と、とりあげる対象によって次々と異なったレアリアの知識が要求される翻訳家という職業はとても大変な職業で、ちょっとでも油断をすれば誤訳をしかねない危険の中にいるのである。」p.191
・「外国語学習法を書いた数多くの人々のいくつもある忠告の中で、規則正しく繰り返すこと、できれば毎日学習するというのは、すべての著者が例外なしに勧めている方法である。」p.200
・「私の願いというのは、「この本を読んで上達法の知識が増え、上達法が分かるようになった」というのではなく、「この本に書かれていたことを実際に利用して、外国語ができるようになった」という風になって欲しいということである。」p.203
・「ヨーロッパ大陸で英語が通ずるのはお金持の観光客を相手にする一流のホテルや案内所だけで、それ以外では依然としてドイツ語かフランス語しか通じないことは、案外日本では知られていない事実である。」p.209
・「二つの言語より三つの言語、三つの言語より四つの言語と進むにつれて、その人の視野は複眼的になり、物事の違った面が見えてくる。そして、他の人の持たない情報も得られることになる。ただ、その言語が使いものになることがその条件なのである。  チェコ語にはそれを表わすうまい表現がある。Cim vice kdo zna jazyku, tim vicekrat je clovekem,――いくつもの言語を知れば知るだけ、その分だけ人間は大きくなる。」p.212

?laconic 1〈言葉などが〉短いが含みのある,簡潔な  2〈人が〉口数の少ない,ぶっきらぼうの.  3 あまりしゃべりたくない.
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【本】はじめての一眼レフ

2008年09月17日 22時00分45秒 | 読書記録2008
はじめての一眼レフ, 大西みつぐ, 講談社現代新書 1364, 1997年
・一眼レフカメラの入門書。カメラの機械的な取扱いだけではなく、著者の写真に対する考えを綴った読み物的要素の強い内容です。今ではカメラと言えばすっかりデジカメですが、この頃はまだ出初めで、全編フィルムカメラについての説明です。デジカメについては巻末の一節で軽く触れられるのみ。
・「なんどか原稿をストップさせ、カメラを持って町に飛び出し、行方不明になってしまおうかとも考えたが、講談社の堀沢加奈さんの熱い激励によりなんとかそれは回避できた。」p.7
・「このように、「被写体の動きを写真の上でどのように表したいのか」というようなことを考えることが、写真表現の面白さを体験するはじめの一歩だといえるだろう。」p.42
・「数値が大きくなるほど絞りは閉じられていく。これは2の等比数列の関係にあり、絞りを一つ絞る(「一段絞る」などという)と光量は二分の一に落ちる。」p.45
・「いずれにせよ、ファインダーの真ん中だけしか見ていないというのはもったいない。カメラは隅々も写してくれるはずだ。」p.61
・「一眼レフの内蔵露出計は反射光を測っていると書いた。さらに詳しくいえば、測った被写体が18パーセントの反射率になるよう演算して値を出してしまう。この18パーセントとは、完全に反射する被写体(100パーセント)と黒い被写体(3パーセント)の近似値ということで、中庸な濃度として再現される反射率である。つまり内蔵の露出計は白いワンピースを「白いもの」としてみなすのではなく、「明るいもの」として計算を行なうわけだ。」p.76
・「人間の目がふつうに見える角度をもとにしたものが「標準レンズ」といわれるもので、だいたい46度前後。おおまかに区別すると、それより広い角度のものが「広角レンズ」。また狭い角度のものが「望遠レンズ」と呼ばれている。」p.85
・「パースペクティブを強調できる広角レンズには「歪み」が、また望遠レンズには、ダイナミックに遠近感を圧縮させるが「被写界深度の浅さ」がつきまとう。しかしこれらをうまくコントロールしていくことで、個性的な表現への糸口は見えてくるものだ。」p.89
・「広角レンズを使い、近景から遠景までピントが合うように写すことを「パンフォーカス撮影」という。」p.93
・「アマチュアカメラマンのみなさんの作品検討会に出席させていただくと、必ず「構図」のことを聞かれる。それほど構図とは重要なものなのだろうか。はたして、「よい構図=よい写真」なのだろうか。」p.110
・「しかし、写真と絵画は違う。構図というある形式をなぞってさえいればよい写真が生まれるというものではない。光線状態、レンズ、露出など、いままで語ってきたいくつかの写真の要素が微妙に絡み合い、その質をも決定していくし、さらに撮影者の内的イメージや、撮影現場での身体感覚も加わるという多層的な構造を持つ表現方法であるはずだ。構図もある程度は重要だが、それだけに規定されるものではないだろう。むしろ構図に縛られてしまうこと自体が、よい写真への足かせになってしまうこともあるように思える。」p.111
・「私の個人的な考えで恐縮だが、ある持続した時間の流れと空間の変化に、写真を撮ろうという人がどういった生かし、身体的に反応していったのかというプロセス全体をシャッターチャンスとよんでみてもよいのではないだろうか。だからシャッターチャンスは無限なのだ。」p.120
・「シャッター・チャンスは、事物や現象をとおして対象するはずの真実を、カメラを向けて模索する過程に発見される瞬間の把握にほかならないと考える。(重森弘庵『写真芸術論』)」p.120
・「ベタ焼きを繰り返し眺めながら、撮影現場での自分の「動き」を振り返る。続けてシャッターが押されているだろうか。また「露出」や「ピント」のチェックなど技術的な側面はどうかなどという細かいところを子細に検証していく。少し胃の痛くなるような作業だが、ここで自問自答をしていくことが、次の作業である引き伸ばしなどに色濃く反映されるし、さらには再び撮影する際に大きなヒントとなるのである。」p.122
・「写真は撮影現場ですべてが終わるのではない。こうした後からの大事な作業があることを忘れてはならない。それらが面倒ではなく、楽しいと思いはじめたら、すでにあなたはワンステップ階段を上がっていることになろう。」p.123
・「技術も経験も資金もたっぷりあり(それに体力も必要だ)、いつでも好きなときに動けるというなら、ある程度は「絵葉書のような写真」を手に入れることもできようが、ふつうは予定や仕事をうまくやりくりして、わざわざ撮影に行くのだろうから、そろそろ「絵葉書」そっくりの写真を追い求めるのはあきらめてみたらどうだろうか。風景写真は絵葉書写真がすべてだと思わないでほしいのだ。「風景」はもっと目の前に豊かに広がっているし、いつでも私たちに生き生きとした感動を与えてくれるはずだ。それを自由に選択しカメラに収めてみよう。そこにはわたしの風景、あなたの風景が必ずある。」p.154
・「「観光」とは文字通り「光を観る」ということだ。旅先の豊かな光を意識的に写真に記録することで、私たちもまた「寅さん」のように素敵な旅をたくさんトランクにストックできるかもしれない。」p.159
・「本来日本人は、たとえば桜色のような中間色を好んでいたはずだ。どうもこれは温帯圏の光線量によるらしい。」p.162
・「以上のように、新写真システムAPSは、どちらかといえば、撮影そのものを楽しむ人たちというよりは、まず、記念写真を中心に「同時プリント」の写真を楽しむ人たちにアピールするところからはじまっている。またデジタル情報を意識することで、次世代に「写真」のメディアとしての可能性をつなげようという意図が、そこにうかがえる。」p.187
・「「マビカ」という、フラッとで双眼鏡のような形をした「電子スチルカメラ」が登場したのは1981年だった。このカメラは2インチのフロッピーディスクが記録媒体だった。ただしこれは、信号の変化を周波数の変化に変換していくFM変調によるアナログ記録方式だった。」p.188
・「21世紀には、こうしたデジタル機器などのよりいっそうの「進化」を横目で見ながら、従来の写真術は伝統芸のように暗室の中で黙々と制作され続け、その表現としての奥深さを語るという構図ができるのではないだろうか。デジタルの「0と1の組合せ」もよいが、1プラス1が決して2にはならないのが表現の世界であることを、頭の片隅に入れておきたいものだ。」p.196
・「時間と金をかけて遠くにいかなくとも写真は撮れる! 「近所」もまた写真撮影の現場として面白いし、刺激に満ちた空間なのだ。」p.197
・「不思議なもので、カメラを持っていれば、なにかを「見よう」という意志が積極的に働く。実際はなにかを探して「撮ろう」とするわけだが、まず、自分の肉眼に頼らざるを得ない。特別に面白いものや珍しいものがなくとも、「よく見る」ことで、「意識的に見る」ことで「見えてくるモノや世界」がきっとある。そのことを素朴に面白いと感じることができるなら、そこから「表現」というはてしない旅もはじまるのである。」p.200
・「このスナップショットという言葉は、もともと「急に射落とす」という意味の狩猟用語であったが、しだいにすばやく撮影することを指すようになっていった。(中略)しかし本来、スナップショットとは、方法というよりも、ひとつの身体的な行為だ。いかに自由な尺度で、世界の断片や日常を意識的にすくいとれるかという試みであると思っている。」p.201
・「私たちの日常はとりとめもなく、しかし確実に過ぎていく、シャッターを押しながら過去をとどめ、同時に未来に向かおうとする意志をそこに認める。そうした一連の「想い」を自覚的にとらえようとすることが写真の魅力のひとつでもあるだろう。」p.203
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【本】女性100人に聞いた 魅力ある男の条件

2008年09月12日 08時01分54秒 | 読書記録2008
女性100人に聞いた 魅力ある男の条件 何が彼女の心を動かすのか?, 潮凪洋介, 王様文庫 E29-2, 2006年
・たまには肩の凝らないこんな本の紹介も。
・男性向けに『女性のオトコを見る目』を網羅的に教示する内容。硬い言葉で書くとこんな感じでしょうか。筆者の語り口はテンポ良く明快で、読みやすい。「なるほどー」と思ったり、「これはないだろー」と突っ込みいれたりしながらの暇つぶしにはうってつけです。
・「100人」と看板を掲げるのであれば、もうちょっと具体的なデータ(アンケートの結果等)があってしかるべきなのですが、そういう記述は全く無し。これは、空想で創り上げたいわゆる『トンデモ本』と似た傾向で、「ほんとーに100人いるの??」という疑念が湧きますが、その辺はあまり本質的な事ではないので、ま、いいや。
・「女性の気持をつかみ、自分に惚れさせたいという願望は、世の中すべての男性にとって人生最大の課題のひとつであり、男の本能そのものとも言える。」p.3
・「本書は、「読むだけで魅力的な男になれる仕様書」である。(中略)なぜここまで自信を持って本書をすすめられるのか? この本に「女性が密かに男に求める真実」が余すことなく書かれているからだ。」p.3 私が「魅力的になった」と、もし感じた人は教えてください。
・「私は冒頭の問いに答えるために、様々なジャンルの100人の女性にご協力いただき "女100人「イイ男改造」委員会" を結成した。」p.4
・「他人の子どもを愛おしそうに見る男の表情は、女性から見ると無条件にイイ男に思える。」p.15
・「「笑顔」もイイ男に見える重要なポイント。つまり「笑顔」は女性だけの武器ではないのだ。」p.16
・「少しくらい気分が高揚してもいい。仕事の話でも遊びの話でも、女性の前で熱く語る自分を恥じないこと。どんなことでも、自分がワクワク、ドキドキしたことは迷わず言葉に出してみよう。」p.17
・「もう1点は、女性は男性のエスコートに弱いということ。ドアを開ける、彼女を常に歩道の内側にするなど、ちょっとした紳士的な振る舞いはかなりポイントが高い。」p.19
・「男からすると「なぜ?」と思うかもしれないが、運転中の横顔に惹かれるという女性は非常に多い。だから、横に座る彼女をチラチラ見ながらではなく、しっかりと前を向いて運転しよう。」p.21
・「体力や気力のギリギリまでがんばっている男が、フッと気を抜いたときの表情は、女性の母性本能を大いに刺激する。」p.23
・「「オーラのある男性って、なんだか気になる」  ここまで、いろいろな「イイ男の表情」を見てきたが、最終的にはこれに尽きるのかもしれない。」p.25 「近寄りたくない」負のオーラなら発している気がする。
・「男の魅力は、自信に裏打ちされた精神的な「ゆとり」から生まれる。」p.30
・「まずはひたすら女性とのコミュニケーションに慣れること。初対面の女性の店員に気楽に話しかけてみる、会社の女性社員と会話を楽しむ、昔からの女友達に電話するなど、あらゆる方法を使って、目の前に女性がいる風景を当たり前の状況にするのだ。」p.31
・「女性に会う瞬間は「キミに会うのを心待ちにしていた」という気持ちが伝わるような振る舞いをするほうがいい。」p.37
・「そんなに高級なレストランでなくても、予約をしてくれただけでうれしいという言葉をよく聞く。小さくてもよい、何か「彼女のための行動」をひとつ起こすことが大切だ。」p.43
・「少年のような笑顔をたたえることが、魅力的な顔への第一歩、ということだ。」p.48 「無表情」とよく言われます。
・「つまり、目、表情、肌、という順番で男性の顔を見る人が多いということだ。  これらを女性の眼力に適うレベルまで引き上げるにはどうすればいいか。それは、やりたいことに一生懸命に取り組み、毎日をイキイキと健康に過ごすことだ。」p.50
・「もし「仕事さえ一生懸命取り組んでいれば、自然に女性を惹きつけられる」という甘い考えを持っているなら、今すぐ捨てるべきだ。  真のイイ男は身だしなみに気を遣い、服の着こなしもうまいということを、女性は知っている。」p.57
・「女性が言う「清潔感」は、キレイに洗ってあればいい、というものではない。いくらシャツをピカピカに洗い上げても、シワシワだったら「清潔感がある」とは言えない。」p.64 うちにはアイロンがありません。
・「姿勢をよくするだけで、一挙一動が決まって見えるから不思議だ。女性からすれば2割増しの「イイ男」に見える。これは顔の造作うんぬんのはなしではない。」p.70
・「いい趣味を持っている男が、仕事にも人生にも一生懸命に向き合っているということを、女性はちゃんと知っている。だから、趣味を持つことはとても重要な意味を持つ。」p.104
・「ちなみに、「彼にやってほしい趣味」の中で、ズバ抜けて人気が高かったのが「スノーボード」。(中略)また、料理が得意な男も好印象だ。」p.105
・「イイ男に見える趣味とは、女性と「一緒に共感したり」「一緒に楽しめる」もの。つまり、ふたりに共通する趣味を持つことだ。」p.111
・「イイ女は、男を背景や付属物だけでは判断しないもの。必ず、相手の人間性を見ようとする。  そのときにイイ男かどうかを判断する基準のひとつが交友関係だ。いい交友関係を築いている男には、自然といい評価が下される。」p.114
・「男は自分に女友達がいることを隠したがる人が多い。理由は、彼女に焼きもちを妬かれるのが怖いから。でも、それは男の思い過ごしにすぎない。逆に、女性も含め、たくさんの友人知人がいる男性は魅力的な男に見える。」p.118 これを許容できるのは相当オトナの女性に限定されるのでは?
・「仕事やうわべだけの関係ではなく、感情の深い部分でつながった交友関係を持つ男が、真の魅力的な男と言えるだろう。」p.121
・「魅力ある男の周りには、魅力ある友達が集まる  簡単に言うと「人生を一緒に楽しめる友人がたくさんいること」。これが魅力的な男に必要な友好関係だ。」p.123
・「メガネにこだわらないのは、自分の顔にこだわらないのと同じこと。似合うメガネをかけることで、ビジュアルを3割増しでカッコよく見せられる。洋服を選ぶのと同じようにじっくりメガネを選んでほしい。」p.131
・「大切な彼女にはマメに電話をかけ、安心感を高めてあげよう。用事などは特になくてもよい。彼女の声を聞くことが、何よりも一番大切な用事なのだから。」p.139 電話嫌いにとっては難易度高し。
・「たとえば、彼女が約束の時間にいつも遅れる場合。「なんでいつも遅刻するんだ!」とブチ切れるのはNG。  まずは、「どうにか遅刻しなくて済む方法はないかな」と聞いてみる。」p.156 間違いなくブチ切れる派です。
・「男は20代前半までは、容姿がよければとりあえずはモテる。しかし、20代半ばを過ぎると、容姿より中身が重視される。その中核をなすのが性格だ。」p.163
・「マイペースで緩やかな部分と、自分の意志と力で生きていく強さや鋭さが混在している男性を理想とする女性が多い。」p.163
・「親に感謝する人。自立してる人。自信がある人。この三拍子が揃っている人が理想」  実はこの三拍子は、結婚後の人生そのものを表している。つまり、親に感謝できるというのは、家族を大切にできること。自立は家族を守れること。そして、自信は生活力につながる。男に一生ついて回る言葉として、心に留めておいてほしい。」p.169
・「損得抜きで、親しい人を助けられる人は、周りを喜ばせることに生きがいを感じられる人だ。」p.185
・「女性は男性が自分のために使ってくれた金額に喜ぶわけではない。その熱意や手間に喜ぶものなのである。」p.199
・「余暇の時間を使って魅力的な自分をつくり上げた男性は、どんな仕事をしていてもモテるのである。」p.202
・「「声が大きいほうがいい」  何はともあれ「声」だ。最近、「声」が小さい男性ビジネスマンが多すぎる。」p.215 モゴモゴしゃべって「え?」って聞きかえされる事が多い。
・「さりげなくドライブに誘っておきながら、実は見事なクリスマスツリーを見せてあげるという演出。これは「予想以上のものを見せてあげる」という点がポイント。何げないドライブで期待以上のステキなものに遭遇できると女性の満足度は高くなる。」p.227
・「どこに行こうか迷ったら「ホテルの中のレストラン」と覚えておけば大丈夫。車の停め場所に困ることもない。」p.227 これが通用するのは道内では札幌ぐらい。
・「女性をちょっとした遠出に誘った場合には、「癒す」「食べる」「浸かる」の3つが大切。海や山の癒し、その土地ならではの料理、そして温泉。」p.229 なんて優雅な~ むしろこちらが連れて行ってほしい。
・「「オレのそばにいてほしい」  これはあくまで男性のほうが優位になっている場合に効く。男性のほうが異性関係には恵まれていて女性が奥手、と一見不釣合いにも思えるような関係の場合だ。」p.243
・「しかし、どちらのパターンでも必ず伝えるべき2つの言葉がある。それは「好きだ」という事実と「彼女になってくれたら幸せにする」という未来への誓いである。」p.250
やってはいけない! より
・「やってはいけない! 女性に誤解されるこの顔つき ⇒ 無精ヒゲを伸ばしているような、清潔感のない顔」p.52 (*´∀`*)ノ ビンゴー!
・「やってはいけない! 話したくなくなる、こんな話題 ⇒ ダラダラと話すのは頭の悪さをアピールするだけなので、簡潔に話をまとめること。」p.87
・「言ってはいけない! 彼女が思わず引いてしまうこの一言 ⇒ 以前「好きだ」と言ってくれたのに、覚えていない  女性は男に言われた心地よいセリフを、長く覚えているものだ。対して、男は自分の発言を忘れがち。彼女が大切に覚えている言葉は、たとえ忘れていても、覚えているフリをしてあげよう。それがやさしさだ。」p.247
・「やってはいけない! こんな言葉、こんな態度 ⇒ 一人暮らしが長いからか、人と協調できない  一人暮らしをするのはいいことだ。だが、自由を謳歌しすぎると自分の生活に他人が関わることが邪魔に思えてしまう。女性はつき合っているときから、この辺の空気を敏感に察知する。自由な時間や自分の領域が何よりも大切だ、というタイプの人は、結婚しないほうが幸せかもしれない。」p.263 イタタタタ… 最後の最後で結論が出てしまいました。
女達へ一言――こんな男性を選びなさい より
・「仕事のときは厳しかったり人を寄せつけないような顔をしていても、プライベートでは表情豊か――。そんな人を選ぼう。オンとオフが変わらないような人はあまりおすすめしない。」p.32
・「おすすめなのは、カッコつける場面ではビシッと決め、崩すべきときはしっかり崩すことができる男性。どちらかに偏っているのはよくない。」p.44
・「顔の中で注目すべきポイントは、目。暗い目つきや嫉妬深そうな目つきなど、目つきが健康的ではない男性はやめたほうがよい。」p.55
・「いつも同じ服ではなく、自分に似合う服で、しかも流行に流されず、生地のよい長持ちする服を着ている男性がよい。」p.68
・「複数で会話が盛り上がっているとき、その話についてこられない人に「○○ちゃんはどう思った?」など、話を振れる余裕のある人を選ぶようにしよう。」p.89
・「どんな場でも感情に流されず、話の趣旨を元に戻してきちんと仕切れるような男性を選ぶとよい。」p.94
・「感動を相手にきちんと伝えられる気遣いができる人、また感動できる自分にプライドを持っていて、それを楽しく話せる男性がいたら、きちんとつき合うべきである。」p.102
・「恋人にするなら「一緒に楽しめる趣味を持っている男性」が絶対楽しい。さらに欲を言うなら「いろいろな趣味を浅く広く楽しむタイプ」よりも、インストラクターになれるぐらいに精通している趣味を持つ男性がよい。」p.112
・「彼が魅力的な男性かどうかを見極めるために、彼の仲間、友人の中で「恋人にしてもいい」と思うくらい魅力的な人が何人いるかをチェックしてみよう。」p.124
・「そのような弱い男性は不安から、かたときも彼女から目を離すことができない。一方、強さに裏打ちされたやさしさを持つ男はときどき豪快に彼女を「放置」する。女性はつい、「私に関心がないのでは?」と勘違いする場合もあるが、それは違う。何から何までやってくれる男性と一緒にいても女性は成長しない。強くてやさしい男性はそれを知っている。「愛情に満ちた放置」ができる男性がおすすめだ。」p.150
・「声を荒げずに叱ることができ、言わんとすることが明快な男性をおすすめしたい。具体的に言うと、大きな失敗をしたときでも、叱りが10分以内に収まる人である。逆に10分以上叱りつづける男性は要注意。」p.161
・「もし彼氏にするならば、やりたいことが自由にできるために必要なお金を、十分に手に入れようとしている人を選ぼう。」p.199
・「だから、初めから肩書きを前面に押し出すような人はやめたほうがよい。そういうタイプは肩書きなどに比べて中身に自信がなく、心の奥底では何らかのコンプレックスを持っていることが多い。」p.210
・「女性を楽しませるのがデートである。しかし、女性の気持ちだけを最優先して、行きたくもない場所へ出かけるなど、自分を押し込めてデートをしているような男性はNG。」p.239
・「酔っているときに言われた言葉が気になったら、後日、「この間、こんなことを言ってたけど、ホント?」と彼に聞いてみよう。本心からの言葉なら、男性は覚えているはずだ。自分の言ったことを覚えていない男性は、選ぶには時期尚早かもしれない。」p.251
・「あなたが今までつき合っていた人にあきれられていた欠点や、恋が終わってもなかなか直せなかった欠点を、「そのままでいいよ」と受け入れてくれる男性。これがあなたが選ぶべき結婚相手だ。  女性はダメな部分や欠点を受け入れてくれた男性に無意識のうちに感謝し続けるので、ふたりは良好な関係を築ける。また、欠点を受け入れてもらえることであなたに自信がつく。するとよいところがどんどん伸びて、魅力的な女性になれるのだ。」p.266
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【本】ヒンドゥー教 インド3000年の生き方・考え方

2008年09月10日 08時00分46秒 | 読書記録2008
ヒンドゥー教 インド3000年の生き方・考え方, クシティ・モーハン・セーン (訳)中川正生, 講談社現代新書 1469, 1999年
(HINDUISM, Kshiti Mohan Sen, 1961)

・ヒンドゥー(ヒンズー)教のコンパクトな入門書。第一部『ヒンドゥー教の本質と教え』、第二部『ヒンドゥー教の歴史』の二部構成。巻末に解説(橋本泰元)収録。
・自身、「ヒンズー教ってイスラム教とどう違うんだっけ??」という程度の認識しかありませんでした。本書を読んでみてもやはりピンと来ず、つかみどころのない宗教です。本書はいろいろな宗派を平行に列記していますが、より深い理解を得るためには、どこか一つの宗派に的を絞った本の方が良いかもしれません。
・「ヒンドゥー教には、キリスト教、イスラム教や仏教などの世界宗教と違い、まったく開祖というものがいない。ヒンドゥー教は、ゆうに5000年をこえる期間にわたり、インドに生まれたすべての宗教や文化を吸収、同化しつつしだいに発展してきた。したがって、この宗教には、キリスト教における「聖書」やイスラム教における『コーラン』などに相当するような、なにか宗教的論争が起きた際の最後の解決のよりどころとなる唯一絶対の権威ある聖典は存在しない。」p.3
・「前800年頃にできたとされる「ウパニシャッド」は、ブラフマン Brahman (梵)とアートマン Atman (我)の教説を中心にしている。ブラフマンは万物に偏在する「神」のことであり、アートマンは「自己」を意味する。「ウパニシャッド」は、このブラフマンとアートマンの同一説(梵我一如説)を主張し、それによれば、最高実在はすべての霊魂のなかに自己を顕現するとされる。」p.19
・「仏教以後のヒンドゥー教は、さまざまな傾向を示している。ヒンドゥー教の文献は、神にいたる三つの道、すなわち「知識による道(ジャニャーナ・マールガ)」、祭式などの「行為による道(カルマ・マールガ)」、ひたすら信仰を捧げる「信愛の道(バクティ・マールガ)」を強調する。」p.21
・「ヒンドゥー教の教義では、人間の理想的な一生は四つの段階 asrama (四住期)からなっているとされる。第一は学生期、すなわち訓練と教育の期間、第二は家住期、すなわち一家の主人となり社会で積極的に活動する期間、第三は林住期、すなわち俗世との縁を断って森に退く期間、第四は遊行期、すなわち隠者となる期間、の四つである。」p.24
・「ヒンドゥー教の理想は活動しないことだといわれるが、実際にはヒンドゥー教の聖典のかなりの部分で活動的生活の価値が称えられているのである。たとえば、『バガヴァッド・ギーター』には次のようにある。
 定められた行為を行なえ。行為は無為にまさり、あなたの身体は無為によって維持することはできない。(三・八)
」p.25
・「ヒンドゥー教は、神にいたる多くの道の存在を許容しているので、すべての信徒に強制できるような決まりきった宗教儀礼は存在しない。」p.42
・「神へいたる「多くの道」の概念がヒンドゥー教に無限の多様性をもたらしている。各宗派の信仰はそれぞれ異なっており、その宗教儀礼も違っている。ヒンドゥー教には、一元論、二元論、一神教、多神教、さらには汎神論にいたるまであり、まさにあらゆる型の宗教の一大実験場さながらである。」p.48
・「哲学者S・ラーダークリシュナンは次のように述べている。「ヒンドゥー教は、思想に関しては絶対的な自由を与えるが、行為については厳格な規律を課する。人は、文化と生活についてのヒンドゥー教の教えを受け入れるならば、たとえ有神論者、無神論者、懐疑論者または不可知論者であっても、すべて同じくヒンドゥー教徒でありうる。重要なのは行為であり、信仰ではない」。」p.50
・「事実、ヒンドゥー教にみられる、おそろしく多様な信仰や儀礼の間にみられる一致点は、無私の奉仕、世俗的な欲望を捨てること、正直、愛などの行為の根本的規範を信じることであった。すなわち、クリシュナの説く「すべての生きものを憎まず、友情をもち、憐れみ深く、 "私のもの" および "私" という考えを捨て、苦楽にに左右されず、忍耐強くあれ!」(『バガヴァッド・ギーター』12・13)という言葉を信じることである。」p.52
・「ヒンドゥー教の神は、全知全能でかつ世界に偏在しており、各人に対してそれぞれ異なった姿で現れる。神への道は多数あり、おのおのが他の道と同等に正しい。神についての観念が一見矛盾しているようにみえるのは、実は同じ最高実在が無限な姿をもっているということを意味することにほかならない。」p.53
・「「ヴェーダ」には、次の四種がある。(一)『リグ・ヴェーダ』 Rg-Veda、(二)『ヤジュル・ヴェーダ』 Yajur-Veda、(三)『サーマ・ヴェーダ』 Sama-Veda、(四)『アタルヴァ・ヴェーダ』 Atharva-Veda である。」p.62
・「「ヴェーダ」はその成立以来、長い間文字にされることがなかったので、それに関わる祭官や学者は、すぐれた記憶力をもっていなければならなかった。そのために古代において口承という習慣が起こり、「ヴェーダ」は師から弟子へ、世代から世代へと、暗唱により伝えられていったのである。」p.68
・「ヴェーダ宗教は、非常に煩瑣な供犠とともに、ブラフマンやアートマンを説く「ウパニシャッド Upanisad」の教説にしだいに取って代わられた。」p.73
・「「ウパニシャッド」によれば、人生の目的は自己の認識にある。万物に偏在する唯一独自のブラフマンを真に認識すれば、われわれはあらゆる束縛から解放され、真実在が有、識、歓喜であることを悟るであろう。そして、この悟りは、かつてのヴァーダ宗教が目指した天国への至福の願いをはるかに超越しているのである。」p.77
・「チャールヴァーカの警句の一つに有名なインドの諺になったものがある。それは、「生きているかぎり楽をせよ。借金をしてでも楽をせよ。一度死んでしまえば、もうそれっきりなのだから」」p.91
・「このように、唯物論、ジャイナ教」、仏教などの異端思想は、すべてヒンドゥー教の哲学や実践法のなかにそれぞれの痕跡を残している。」p.98
・「ガウダパーダは語る。
 滅亡もない、創造もない、束縛もない、解脱への修行もない、解脱への望みもない、解脱されることもない。これが絶対の真理である。
」p.123
・「各宗派の指導者たちは、それぞれ異なる学派に属しているが、多くのヒンドゥー教徒は、互いの寛容のおかげで激しい紛争や迫害が一度もなかったことをむしろ誇りとしているほどである。」p.126
・「宗教の違いは、単なる神を呼ぶ名前の違いにすぎない。誰でも同じ神に祈っているのである。」p.151
・「人間の数と同じだけの宗派がある。神の創造は、それほどまでにも多様なのだ。各派の祈りは、多くの小川にも似て、大海のごときハリ(神)のなかへ、ともに流れ込む。」p.157
・訳者あとがきより「人間の生きる意味や目的、本来の自己の発見、魂の救済、自然環境や他の生物たちとの調和的関係、死後のこと、そして神と人間の関係など、ヒンドゥー教は人生観、世界観にかかわる全局面、全領域において根源的な問いかけを発している。」p.194
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