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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】ドルジェル伯の舞踏会

2008年09月05日 22時07分23秒 | 読書記録2008
ドルジェル伯の舞踏会, ラディゲ (訳)生島遼一, 新潮文庫 ラ-3-1(567), 1953年
(LE BAL DU COMTE D'ORGEL, Raymond Radiguet, 1924)

・二十歳で夭折したいわゆる "天才作家" の遺作。フランス貴族の社交界を舞台にした不倫の恋を題材にした小説。
・三島由紀夫の著作で紹介されていたのがきっかけで手にとった書。「これは本当に二十歳が書いた文章なのか!?」と唸ってしまいます。
・序(ジャン・コクトー)より「運命を非難してはいけない。無情だというのをやめよう。彼は年齢が終りまであまりにも迅速に展開してしまう厳粛な種族の一人だった。」p.3
・「つまりはこうではあるまいか――われわれの注意が、清浄なものは乱れたものよりおもしろくないという理由で、わきに逸れてしまうということでは?  しかし清浄な心のやる無意識の操作(はたらき)というものは、不行跡(ふしだら)な心のやるさまざまな工夫工面より、もっと奇異なものである。」p.12
・「お伽噺を実地に生きることはべつに人を驚かさない。ただその思い出のみがわれわれにこの世のものならぬ不思議を発見させるのだ。」p.24
・「彼は目前に、やさしい愛情でむすばれた一組の男女を見ていた。この結合は彼にはいい感じがした。彼はいつも習性になっているのとはまったく異なった気持ちを感じさせられた。彼の場合はいつも嫉妬が愛に先だつのである。今は彼の精神がいつものようにはたらかなかった。フランソワはこの夫婦のあいだに、そこへ自分がしのびこむ亀裂をもとめようとしなかった。彼はドルジェル婦人が夫と踊っているのを見て、自分が彼女と踊るのと同じ快さを感じていた。」p.37
・「フランソワの恋愛に対する考えはいわば既製品なのだった。しかし、その考えをつくりあげたのは彼自身だったから、出来合い品でなく、寸法をはかって作ったものだと信じていた。それを仕立てたとき、力のない感情だけをもとにして仕立てたことを彼は知らなかった。」p.73
・「人間は海のようなものだ。ある人びとでは不安が常の常態である。また他の人びとは地中海のように、一時は動揺して、またすぐ凪にかえってしまう。」p.88
・「彼女の顔はいじわるい表情になった。彼女はこんなことを強いたことで夫をうらみ、またセリューズには彼が笑ったことで腹をたてた。なぜなら、彼女は自分自身の笑った意味は知っていたが、フランソワの笑った意味は知らなかったからだ。」p.91
・「(この男の頭のはたらき方はへんだな! ロバンは人生をまるで小説のように判断している)と思った。」p.92
・「相手の狼狽ほどわれわれを大胆にするものはない。」p.112
・「(あのひとがなにかあたしたちにかくれてするように疑っていたんだけれど、あたしばかだった)と彼女は思った。」p.114
・「マオは、街路で見当違いをした男から耳にするのも恥かしいことをささやかれた女のように、どんどん足をはやめた。彼女の場合、そばに追いすがって言いよってくるのは、思い出なのであった。」p.116
・「遠く離れていると誰かれの区別(みわけ)がつかない。みんなよく似て見えるからだ。別離はへだてをつくるとはいうものの、それはまた別のへだてを除きもする。」p.118
・「こうした浮気から彼はそれほど大きな快楽を得てもいなかった。アンヌがマオを裏切ったのは、もしこういう言い方が強すぎなかったら、義務のためだといってよかろう。彼にとっては、そういことをするのも、彼の上流人の職業の一部なのだ。それによって、ただ虚栄心のよろこびを得ているだけであった。」p.121
・「言葉は大きい力をもっている。ドルジェル夫人は、自分のフランソワを好きな気持に、自分勝手な名をつけることができると信じていた。そこで、彼女は一つの感情に抵抗することにより、その感情に本当の名を与えることをよけいにおそれたのであった。  いままで義務と恋愛を平行してうまくさばいてきた彼女は、その純真さのうちに、禁じられている感情はこころよくないものだと考えることができたのだ。だから、自分がフランソワにいだいている感情を誤って判断していた。その感情は彼女にとって快いものだったからである。いまや、影のうちに孵化し、やしなわれ、大きくなったこの感情がはっきりその正体をあらわしてきた。  マオは、自分がフランソワを愛している、とみとめざるをえなかった。  彼女がいったんこの恐ろしい言葉を自分にいってきかせると、もういっさいははっきりして見えた。最近数ヶ月のあいまいなものが消散した。が、あまり長いあいだ薄明かりの中にいたあとで、この白昼のような明るさは彼女を盲にしてしまった。」p.134
・「マオは、別の世界に坐して、夫を眺めていた。伯爵は、自分の遊星にいて、起った変化にはまるで気がつかなかった。そして、熱狂的な女のかわりに今では一つの彫像に話しかけているのだった。」p.176
・訳者解説より「『ドルジェル伯の舞踏会』の読後印象を率直にいうと、日常意識の達しない深いところにしかれた将棋盤上で、象牙彫りの駒がふれあう音を聞くような感じである。作中人物の抵抗のある、硬い心理の図表が、幾何学の線のように、美しく跡づけられている。たしかに作者の二十歳という年齢を忘れさせるみごとさだ。」p.180

<チェック本> 大岡昇平『武蔵野夫人』
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【本】無敵のラーメン論

2008年09月03日 08時08分31秒 | 読書記録2008
無敵のラーメン論, 大崎裕史, 講談社現代新書 1595, 2002年
・自称「日本一ラーメンを食べた男」によるラーメン入門書。第一部は「ラーメンとは何か」と題し、ダシとタレ・麺・具についての基礎知識を、第二部は「ラーメンの日本地図」で、全国の主なラーメン店を紹介している。
・本書で紹介さているのは数あるラーメンの中のほんの一部の "話題の店のラーメン" のみ。他にもインスタントラーメン、カップラーメン、海外のラーメンなどなど、考え出すと、ラーメンの世界は果てしがない。
・私自身、特にラーメン好きという訳ではありません。ただ、「そこにラーメンがあるから」食べているというほど自然な食べ物です。私にとっての "普通" は味噌ラーメンなのですが、全国的に見ると少数派なのですね。いろいろなラーメンの記述を見てそのバリエーションの多さには驚かされます。なかでも一度食べてみたいのは『ラーメン二郎』。機会があれば行ってみようと思います。
・巻末には本書に登場したラーメン店リストが掲載されています。うち道内では40店ほど。よく耳にする店名が並んでいますが、実際行ったことがあるのは、『狼スープ』と『山桜桃』くらい。ラーメン店の新規開拓の楽しみはまだまだ底無しにありそうです。
・「ここ五~六年は年間平均800杯のラーメンを食べ、そんな日々を繰り返している。ラーメン関係の仕事が本業だと思われることもしばしばである。  ラーメンにのめり込んでしまうのは私だけではないはずだ。一億総ラーメン評論家、と言われるほどに日本人は誰もがラーメン好きなのだから。(中略)私はこれまで(2002年1月現在)約8500杯のラーメンを食べている。(中略)ラーメンの面白さは海のように奥深く、空のように幅広い。」p.4
・「私は "ラーメン" と書いてある本を見つけるとあまり中身も見ずに買ってしまい、その量も相当なものになってきた。しかし、今度は多すぎて自分の知りたい情報が探せなくなってしまうという問題も発生してきた。そこで、今回、こうした機会をいただき、ラーメンに関する情報を整理してみようと思ったわけである。」p.5
・「ラーメンのスープは、ダシとタレが合わさってでき上がる。  豚骨スープとか鶏ガラスープとかいうが、それは実は「ダシ(出汁)」のことなのだ。ただ、一般的にそのダシのことをスープと呼んでしまっている場合が多い。  よく、雑誌などの分類で醤油・塩・味噌・豚骨とあるが、実際はあの分類は正しくない。なぜなら醤油・塩・味噌はタレの分類だが、豚骨はダシの主材料であり、豚骨ベースでも醤油・塩・味噌があるからだ。」p.14
・「「無化調」という言葉はもともと存在しない。この言葉はラーメンフリークの造語である。(中略)無化調で旨いラーメンが食べられれば、それはそれで嬉しいことである。しかし、無化調ではないラーメン、つまり化学調味料を使っているラーメンにも旨いラーメンはたくさんあるので、食べる立場としては、もはやどちらでも良くなってきているというのが正直なところ。要は美味しいラーメンが食べたいだけなのだ。」p.32
・「(味の三平)店主の大宮守人氏は、ある日、常連に豚汁を提供した、すると、その中の一人が「ここに麺だけ入れてくれ」といってきたのである。そこで閃いた大宮氏が味噌ラーメンを思いつき、七年の開発期間をおいて、とうとう完成させたのである。」p.43
・「ラーメンの麺に欠かせない素材がカンスイである。カンスイの効果は、黄色の発色と独特のアルカリ風味、そしてラーメン特有の食感を出すことである。ただし、使わなくても麺はできる。」p.52
・「麺を作る際に小麦粉100に対する水の比率を加水率という。一般的に、加水率が低いほど麺がスープを吸収するために延びやすく、加水率が高いほどもっちりとして柔かい。」p.55
・「自家製麺が製麺所の麺より優れているかというと、そういうことはないと思う。最初に述べたように「どのようなラーメンを作りたいのか」によって、自家製麺がいい場合もあるし、製麺所に特注する場合もあるだろう。」p.67
・「一説によると、第二次大戦中に陸軍が『軍隊調理法』のなかで煮豚のレシピを載せており、戦地で食べた兵隊たちが終戦後に日本でラーメンの具に加えたという。カレーライスが家庭に広まるのと、同じプロセスなのである。」p.79
・「しかもこのナルトは東京のそれと色が逆になっている。外側が赤なのだ。これは、北海道と和歌山にしか見られない特徴である。」p.98
・「ラーメン店は数多かれど、これほど熱狂的に愛される店、いやブランドはないのではなかろうか。それが「ラーメン二郎」である。普通にラーメンが好きな人なら「今日はラーメンが食べたいな。どこのラーメン食べに行こうか」と考える。しかし、「二郎」好きは「今日は二郎が食いたいな。どこの二郎を食いに行こうかな」と考えるのである。この場合に「二郎」以外の他のラーメン店では代替できないのだ。そういう人たちは "ジロリアン" と呼ばれている。  また、「二郎はラーメンにあらず、二郎という食べ物なり」という格言すらある。」p.116
・「札幌といえば味噌ラーメン。ラードをたっぷり使った濃厚な味噌が特徴といえる。注文のたびにフライパンで野菜を炒め(挽き肉・タマネギ・太モヤシなどが多い)、そこにベースのスープとタレを入れて、熱々のラーメンができ上がる。豚骨ベースのコクのあるスープ、カンスイの効いた黄色くてコシのある太い縮れ麺、強いニンニク風味。これぞ札幌、である。」p.152
・「おそらく今、日本でいちばん人気のある味噌ラーメンは「純連」の味噌ラーメンであろう。」p.153
・「函館はなぜか「塩」なのである。「旭川の醤油」「札幌の味噌」に合わせて、マスコミが作ったかのような話であるが、実際に行ってみると紛れもなく「塩」なのだ。(中略)透明感のある優しいスープが主流。旭川や札幌が男を感じさせるのに対して、函館は気品のある女性を感じさせる。私だけかもしれないが。」p.158
・「ラーメンを通じて、多くの人と出会うことができました。そのことにより、ラーメン・ライフに幅ができ、楽しいラーメン・ライフを過ごすことができています。「いやぁ、ラーメンって本当にいいもんですねえ」と声を大にして言いたいです。」p.226
・「私はいろんなラーメンとの巡りあいを楽しんでいます。楽しくて楽しくてしようがない。だから「美味しいラーメン」というより私にとっては「楽しいラーメン」なんですね。味覚は十人十色。私が美味しいと言ったラーメンを十人とも美味しいと思うとは限らない。むしろ、そうじゃないからこそラーメンは楽しい、そういうものじゃないでしょうか。」p.227
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【本】アインシュタインの世界 物理学の革命

2008年08月29日 08時03分06秒 | 読書記録2008
アインシュタインの世界 物理学の革命, L.インフェルト (訳)武谷三男 篠原正瑛, 講談社 ブルーバックス B-277, 1975年
・アインシュタインの共同研究者であり、前出『物理学はいかに創られたか(物理学の発展)』の共著者でもある物理学者インフェルトの、間近な視点から見たアインシュタイン像。『その業績と影響』と『アインシュタインの思い出』の二部構成で、それぞれ『Albert Einstein. Sein Werk und sein Einfluss auf unsere Welt (1953)』の全訳と『Meine Erinnerungen an Einstein (1955)』の改編版です。
・内容の密度が濃く(文字密度も濃い)、読み終わるまでに1ヶ月以上もかかってしまいました。第1部は、物理理論の内容が主なので読んでいて頭が痛くなるような多少ややこしい記述がありますが、第2部の方は思い出話が中心で気軽に読めます。
・これまで何冊も相対性理論関連書を読んできましたが、いまだに分かったような分からないような曖昧な理解です。きちんと「理解した」と言えるには、自分で式の導出をやらないとダメそう。
・「われわれの結論がめざしている目的は、生活においても、科学においてもおなじである。すなわち自然界の現象を整理し、そして予言することである。それは、われわれが感覚する世界を理解するということなのである。」p.18
・「彼は遠慮深く、善意にみち、親切な人間であった。学校の勉強はそれほどしなかったが、よく考える人間であった。彼は、ふかく感動し、そして疑問を提出するという、すぐれた才能をもっていた。彼は、いかなる人間のドグマも受けいれなかった。」p.20
・「十九世紀のはじめに死んだ有名な数学者ラグランジュは、ニュートンはあらゆる科学者のなかでもっとも偉大な人物であるばかりでなく、もっとも幸運にめぐまれた人物であろう、といっている。なぜならば、宇宙にかんする科学というものは一回しか創ることのできないものであるが、これを創ったのはニュートンだったからだ、と。」p.25
・「アインシュタインがよくわたくしに話してくれたことだが、彼は15才か16歳のときから、だれかがもしも光線に追いついたとしたらどういうことになるだろうか、という問題に頭を悩ましていたそうである。何年も何年も、彼はこの問題を考え続けていた。彼がこの問題を解いた結果、相対性理論が生まれたのである。」p.78
・「わたくしはアインシュタインに、つぎのように言ったことがある。「特殊相対性理論は、かりにあなたがおやりにならなかったとしても、――それほど遠くない将来に――だれかが完成していたと思いますね。その機が熟していたのですから。」すると、「ええ、その通りです。しかし、一般相対性理論についてはそのことは当てはまりませんよ。今日、一般相対性理論が世に知られていたかどうか、わたくしは疑問に思いますね」と、アインシュタインは応えた。」p.88
・「彼は少年時代から、光線を追いかける人と、落下するエレベーターのなかに閉じこめられた人との問題に、頭を悩ましていたそうである。光線を追いかける人という構想からは、特殊相対性理論が生まれた。落下するエレベーターのなかにいる人という構想からは、一般相対性理論が生まれた。」p.92
・「理論的に簡単ということと実践的に簡単ということとを区別して考えるならば、アインシュタインの理論は、ニュートンのかつての理論よりも理論的にはるかに簡単である。(中略)逆説的ないい方をすれば、一般相対性理論はひじょうに簡単で、前提がひじょうに少ないという、まさにこの理由によって、むずかしく思われるのである。」p.111
・「アインシュタイン自身は、自分のことを数学者と考えたことは、いまだかつてなかった。彼は、自分は哲学者であると考えていたが、それは正しかった。なぜならば、彼がとりくんでいった物理学上の問題は、文明の長い歴史のなかで思想家たちがとりくんできた哲学上の問題と深い関連をもっているからである。」p.116
・「空虚な言葉というものは、案外、寿命の長いものである!」p.118
・「有数の天文学者であるE.ハッブルは、つぎのような具体的な比較をやっている。すなわち、直径8キロメートルの大きな球のなかに15メートルの間隔でテニス・ボールが分散している状態を想像してみよ、と。この比較では、テニスのボール一個が一つの星雲に当たり、一つの星雲は数百万の星から成り立っている。そして8キロメートルという大きさは、そこまで今日われわれが進み入ることのできる宇宙の距離をあわらしている。」p.137
・「量子論の歴史は、物質と放射[輻射ともいう]とをあきらかにするために費やされた人間の努力の跡をものがたる歴史なのである――すなわち、自然、ならびに物質と放射との世界をつくりあげている素粒子の構造をあきらかにするために費やされた人間の努力の跡を、ものがたる歴史なのである。」p.156
・「量子論の誕生日は、1900年12月14日である。この日は、マックス・プランクがベルリンのドイツ物理学協会で量子論について講演をおこなった日であった。」p.171
・「われわれの住む世界を理解しようとするならば、否応なしにわれわれの仮定を絶えず改めてゆかなければならないのである。」p.182
・「一つの問題と何年も何年もとりくみ、おなじ問題をいくどでも始めからやりなおすという、このねばり強さは、アインシュタインの天才をあらわす特徴である。」p.201
・「ゾンマーフェルト教授は、たくさんの聴衆を前にしてつぎのような話をした。  「わたくしはアインシュタインを現存の最大の物理学者だと思っていますが、このアインシュタインにむかってわたくしは、『われわれの意識のそとにも、世界は実在しているでしょうか?』ときいたことがあります。すると、アインシュタインは、『ええ、そうだと思いますよ!』と答えました。」  アインシュタインは、外界の実在を考えないでは物理学は成り立たないのだ、という意見であった。」p.212
・「もう一つの理由は、アインシュタインの生命力である。彼の写真を一枚でも見たことのある人は、彼の生命力を感じるであろう。なにかの会合の席上で彼を知合った人は、たとえ彼が何者であるかということを知らなくても、彼のさわやかなユーモア、平凡な事柄でも深い意味のあるものに変えてしまう才能、そして、彼の話すことはすべて彼自身が自分の頭で考えたことである――世の中の狂躁になんらわずらわされることなく――という事実、これらすべてのことによって、魅了されてしまうだろう。彼と知りあった人は、この人は自分の頭でものを考える人だなということを感じるのである。彼は、何百万という人間に影響をあたえてきたのだが、しかし彼自身は、ほんとうの意味で、だれからも影響されない人間である。」p.225
・「また、このころ彼は、音楽の素養をもった母親の影響でバイオリンの教程をうけるようになった。このときから、バイオリンは彼の生涯の伴侶となったのである。彼は、どの音楽よりも古典の室内楽を好み。とくにバッハとモーツァルトを愛好しているが、これは、彼の性格からみてふさわしいことである。」p.232
・「おそらく、彼のほんとうの偉大さは彼の人間性にあると思う。すなわち、生涯かけて宇宙の彼方を見つめていたにもかかわらず、つねに隣人たちのために善意と思いやりとをわすれまいと努力をつづけてきたという、この簡単な事実にあると思う。」p.235
・「わたくしがアインシュタインに親しく接したのは、このときがはじめてだったが、その後16年間というもの、ふたたび親しく接する機会にはめぐまれなかった。しかし、このはじめての接触を通してわたくしは、真の偉大さというものはほんとうの人間性と表裏一体をなしているのだという、簡単な真理にふれることができたのであった。」p.244
・「アインシュタインの英語は、きわめて簡単なものであった。その語彙は、せいぜい300語ぐらいなものだったし、発音といったら、一種独特なものであった。これは、後になってからアインシュタインが話してくれたことだが、彼は実は英語の勉強というものを、したことがないそうである。」p.249ページ
・「この広間のマントルピースの上には、アインシュタインの、つぎのような言葉がかかげられている。  「神様は狡猾だが、しかし悪意はもっていない!」」p.253
・「人間の価値というものの源はなにかといえば、それは主として、思いやりであるといえよう。(中略)しかし人間の価値には、もう一つの、まったく別な源がある。それはすなわち、孤独な、くもりのない思惟からでてきた義務観念である。」p.263
・「自分だけの世界のなかに没しきって、外の世界から孤立していたアインシュタインの生き方を知らなければ、彼の性格を説明することはできない。わたくしがこのことを理解できるまでには、何ヶ月もかかった。ノーベル賞をもらったその日、アインシュタインには少しも興奮したような様子は見られなかった。」p.269
・「アインシュタインは、生活上の欲求を最小限にきりつめて、それによって自己の自由と無拘束な状態とを拡大しようとした。考えてみれば、われわれは何百万という、とるに足らない小さな事物の奴隷になっている。(中略)靴とズボンとシャツと上衣とだけは、どうしても必要なものである。これ以上省略するということは、彼にもできなかったであろう。」p.269
・「かつて、彼はわたくしにこんなことを言った。  「人生は、刺激に富んだすばらしい芝居です。しかし、かりにあと三時間で自分は死んでしまうのだとわかったとしても、わたしは別に大した感じもうけないでしょうよ。わたしは、この三時間をどうしたらもっとも有効に使うことができるだろうか、考えます。それから書類を整理して、ベッドの上に静かに横になって、死んでゆきます。」」p.272
・「彼はよく「頭のなかで考えるときに数式をもちいる科学者は、一人もいませんよ……」と言っていた。  実際、物理学者でも、計算をはじめる前にはまず、ある観念とかアイディアを頭のなかで思いうかべてみる。そして、これらの観念やアイディアはふつう、簡単な言葉で表現できるものなのである。計算や数式は、その後にでてくる操作なのである。」p.283
・「彼は、量子論は厭うべき理論だと考えていた。なぜならば彼は、われわれの実在の世界を説明してくれる真に立派な理論は、統計学的な方法をもちいるべきではない、という見解をいだいていたからである。」p.301
・「その彼がプリンストンで、たびたびこんなことをわたくしに言っている。「物理学者たちはわたしのことを、頭の古い、おばかさんだと考えていますよ。しかしわたしは、物理学はやがて今日とはちがった方向への発展をたどってゆくにちがいないと、確信しています。」」p.303
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【本】ぼくのマンガ人生

2008年08月20日 08時01分54秒 | 読書記録2008
ぼくのマンガ人生, 手塚治虫, 岩波新書(新赤版)509, 1997年
・著者が亡くなったのは1989(平成元)年。もう20年も経つのですね。それは本書が出版されるよりも前の話というわけで、本書は著者が直接書き下ろしたものではなく、過去の講演録などを元に編み直し一冊の本にまとめたものです。自身の半生記や読者へのメッセージなどを平易な言葉で語っています。この他、著者と関係の深かった人たちからの文章や、巻末にはマンガ『ゴッドファーザーの息子』を収録。
・『マンガの神様』とも呼べるほどの大マンガ家ではありますが、意外にも、その作品を読んだことがあるのは『ブラック・ジャック』ぐらいです。手塚氏が一時期医者だったとは初耳でしたが、その経験があってのその作品だったかと大いに納得。本書のおかげで、他の作品も無性に読みたくなってしまいました。
・「家へ帰ると母が待っていて、「お帰り」と言うかわりに「今日は何回泣かされたの?」と聞く。ぼくは指を折って一回二回と数えて、「今日は八回だあ」なんてベソをかいて答える。それが日常だったのです。  そんなときに母が過保護なら、ぼくも甘えてしまって、負け犬のまま終わってしまったのでしょうが、母は決まって「堪忍なさい」と言いました。」p.4
・「ぼくは生来、父の血を継いで、いたってかんしゃく持ちな性格ですから、すぐカッとなります。(中略)しかし、そのつど、いまいましいとは思っても、なんとか腹の虫を抑えることができたのです。それはやはり、母から教わった「忍耐」が大きく作用しているのかもしれません。」p.5
・「ぼくはこんなに優越感を覚えたことはありません。おかげで学校でも、しだいにぼくに対してはいじめもなくなって、仲良しがふえてきました。これはマンガの功徳です。」p.12
・「なにしろ小学校三年生のとき図画の教師に、「君の描く人間はみんなマンガみたいになってしまうので、もうすこし、ちゃんとした人間を描いてごらん」と注意されたくらいです。」p.20
・「札幌を空襲するのに、B29は昭和新山の明りをめがけて行って、そこから角度を変えて札幌へ行くらしい。そこで、北海道の司令部のお偉方が、「あの昭和新山の火口の火を暗くしろ。大きな布をつくってあの上にかぶせろ」というようなことを言ったらしいのです。」p.63
・「「ああ、生きていてよかった」と、そのときはじめて思いました。ひじょうにひもじかったり、空襲などで何回か、「ああ、もうだめだ」と思ったことがありました。しかし、八月一五日の大阪の町を見て、あと数十年は生きられるという実感がわいてきたのです。ほんとうにうれしかった。ぼくのそれまでの人生の中で最高の体験でした。  そしてその体験をいまもありありと覚えています。それがこの四〇年間、ぼくのマンガを描く支えになっています。(中略)つまり、生きていたという感慨、生命のありがたさというようなものが、意識しなくても自然に出てしまうのです。」p.64
・「ぼくは、戦争中はまさかマンガ家になるとは思っていませんでした。ぼくは軍医になることになっていました。」p.68
・「ところが、ぼくは白衣を着て聴診器を持っているので、人前ではちょっとマンガを描けません。それで阪大病院の宿直室を借りて、夜になると宿直室へ入って、中から鍵を締めてマンガを描くのです。翌日、雑誌の編集者が患者みたいな顔をして玄関へ来ると、ぼくは医者みたいな顔をして行ってパッと原稿を渡すわけです。」p.72
・「人間がまだ動物に近かった頃、アフリカや東南アジアのジャングルの中で生活していた頃の人間には、そういう煩悩はあまりなかったと思うのです。(中略)しょうがないだろうというような、どちらかというとひじょうにさっぱりした素朴な考えで生命というものをとらえていたと思うのです。」p.82
・「どんなに科学万能になっても、人間は自分が神様のようになれると思ったら大まちがいで、やはり愚かしい一介の生物にすぎないのです。(中略)人間は生きているあいだにせめて十分に生きがいのある仕事を見つけて、そして死ぬときがきたら満足して死んでいく、それが人生ではないかというようなことを、ぼくはとっかえひっかえテーマを変えながらマンガに描いているのです。」p.89
・「ヒットラーにはじつはユダヤ人の血が混じっている。ヒットラーの母親の父親の母親がユダヤ人と結婚していた。それをヒットラーは戦争中、隠しに隠していた。知っている人間はごくわずかの側近だけで、戦争が終わるまではほとんど秘密にされていたのだが、そういう証拠が発見されている。」p.92
・「友達にしてみればいじめたつもりではなくても、兄にとってははじめての経験で「いじめられた」と被害妄想になっていたと思うのです。」p.97
・「兄にとってマンガを描くことは、ただ単に「好きだから」という一言につきます。「描かなくてはいられない」のだと思います。」p.107
・「たとえば、鉄腕アトムはミッキーマウスによく似ています。ミッキーには耳が二つあるでしょう。鉄腕アトムもかならず角が二つある。」p.111
・「ところが、ディズニーのアニメづくりには大きな欠点があったのです。  まず、ものすごく膨大なお金をかけているということです。(中略)もう一つ、人をとにかくやたらに使ったということです。」p.114
・「最近は、東映などでもだんだん枚数を使うようになってきました。『AKIRA』は、やはり4万5000枚ぐらいかけてつくっているので、動いているのです。それにくらべると、『鉄腕アトム』はまったく動いていません。」p.120
・「アニメーションのよさは、マンガとくらべてみると明らかです。マンガにはいろいろなものがありますが、どのマンガにも言葉が書いてあります。これは外国人には読めません。(中略)インターナショナルなものをつくれば、日本のアニメーションは海外に通用するのです。同時に、ぼくはアニメーションの手法はいま国際語ではないかという気がするのです。」p.121
・「父親という存在のなかで子供にもっとも尊敬されていい点は、勤労でしょう。働いている父親を見せることは、子供たちの人間形成にもっともよい薬です。」p.129
・「「手塚さんは、なぜいつも子供に受けるものが描けるのですか」とよく聞かれますが、とんでもない。仕事の一〇に一つが、子供に認められるかどうかといったところです。ことに、ぼくぐらいのキャリアになりますと、どうしても現代っ子の心情や話題がつかめないので、うんと若いマンガ家の作品を読んだり、子供たちと実際に接して、言葉づかいや流行を調べます。  だが、なかなか子供たちの本音を聞くことはむずかしい。」p.130
・「ぼくはテレビの一番大きな欠点は、とくに民放で、場面がどんどんかわることだと思います。つまり、たいへん深刻でほんとうに深く考えなければならない、あるいはクライマックスで非常に感激しなければならない場面になって、こちらがグッと心を入れたとたんに、コマーシャルがポッと出る。そこで感情が消されてしまうのです。(中略)そういう子供たちは、何を考えるにも、自分と距離をおいて考えるくせがついています。」p.135
・「子供にとって、自分にとって大事件である発見とか発明、あるいは創作を親に持って行ったときに、親が通りいっぺんの生返事をしたり、無視したりせず、そこでちょっと励ましてやるとか、かかわってやることが、いかに力添えになるかということをぜひともお話しておきたいのです。子供は結局、そういうことから親の隠れた人生観を受け取ってくれるのです。」p.138
・「いまの子供をめぐる状況のなかで、大きく欠けているものがあります。それは冒険です。(中略)冒険というのは何でしょう。それは言うまでもなく未知のものへの挑戦です。」p.146
・「そういうぼくの体験から言えることは、好きなことで、ぜったいにあきないものを一つ、つづけてほしいということです。(中略)大きくなってからは、少なくとも二つの希望を持ち、二つのことをつづけることです。いろいろな条件で一つが挫折することになっても、もう一つは残ります。」p.164
・「この「一期一会」という言葉はぼくの座右銘なのですけれども、みなさんの座右銘にもしてほしい。ある席で、ある場所でわずか一回だけ会った人たちが、自分の人生にとって重要な人かもわからないということです。」p.172
・「みなさんが海外に行くと、どうしてもその国の文明だけを見てしまうのです。文化のほうを見ないのです。」p.179
・「「おまえをいじめるやつがあったら みんなおれにいえ!」「おれがおまえを守ってやる!!」「いらんよそんなこと」「ぼくはだれの子分にもなれへんで」」p.195
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【本】クラインの壺

2008年08月06日 22時02分13秒 | 読書記録2008
クラインの壺, 岡嶋二人, 新潮文庫 お-30-2(4992), 1993年
・「クラインの壺」ただただこの単語に反応して、内容も著者も何も知らずに手に取った本。「クラインの壺」とはトポロジー(位相幾何学)の象徴のような、裏表を持たない四次元の不思議な図形のことです。その図形になぞらえて、小説の内容も不思議。「この世の出来事は全て夢なのではないか??」 誰の頭にも一度は浮かぶのではないかという、こんなアイディアをテーマにストーリーが展開するSFミステリーです。非常にテンポよく読め、読み出すと止まらないタイプの文章で、何の期待も無く読み始めたのですが意外に楽しめました。初出は20年前(平成元年)ながら、全く古さを感じさせません。ただし、高校生や大学生が好みそうな若者向けの内容です。
・これだけ質の高い作品を書けるならもっとメジャーになってもおかしくない作家なのに、と調べてみると、"岡嶋二人" とは二名の作家によるコンビのペンネームで、この作品を最後にコンビを解消してしまったようです。
・「梶谷が言って、僕は部屋の隅のソファに腰を下ろした。最初は何色だったものか、見当もつかないほどくたびれ果てたソファだ。  梶谷は僕の前に腰を下ろすと、さて、と眼を細くして笑いかけた。なんだか赤ん坊の泣き顔みたいな笑顔だった。年齢の見当がまるでつかない。笑うと子供のようだが、薄くなった頭や顔の皺からすると五十代にも見える。」p.22
・「ゲームってのはね、義兄さん、すごく古い歴史を持ってるんだよ。人類は、まだほとんど猿のころから、自分の周りにあるものをゲームにしてきたんだ。闘いのあらゆるものがゲームに置き換えられたじゃないか。チェスや将棋なんて、戦争をボードの上でシミュレートしてるわけだろ? ありとあらゆるスポーツは、闘争の形態をゲーム化したものだし、トランプだって未来の予測をゲームの形で行うことからはじまったんだ」p.29
・「ああ、ゲームっていうのはさ、人間が知的動物であるって証拠なんだよ。現実にあるものをゲームって形に置き換えて疑似体験する。人間以外の動物は、そんな高度な思考をしないんだもの」p.30
・「単純に表せば、それは一の後にゼロを十二個置いた数だ。一兆が「テラ」である。  一般に使われているパソコンには、その本体に約一メガ・バイトという大きさの記憶素子(メモリー)が入っている。ということは、イプシロン・プロジェクトが開発しているゲームは、パソコンを百万台つなげたようなものになる……。  これは想像を越えていた。」p.40
・「「てへ」と、梨紗は可愛い舌をチロリと出した。」p.109 この描写にはちょっとゾゾっときてしまいました。
・「「どういう具合に説明すればいいかわからない」  「はじめのところから始めて、終わりにきたらやめればいいのよ」  「…………」  僕は七美を見返した。七美は、ニヤッと笑った。  「『不思議の国のアリス』のセリフよ。トランプの王様がそう言う場面があるの。アリスが裁判に掛けられるとこかな?」」p.256
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【本】死後の世界

2008年08月01日 08時03分09秒 | 読書記録2008
死後の世界, 渡部照宏, 岩波新書(青版)351(C152), 1959年
・本書の内容については下記のカバーの紹介文にお任せ。書名からはおどろおどろしい内容を想像してしまいますが、実際はきわめて学術的な重い記述に終始しています。
・「あの世なんて信じない。死んだら土に帰るだけ」とは思っても、いざ自分や近親者の死体を "生ゴミとして処分" となると、おそらく抵抗を感じてしまうのが不思議なところです。死への畏れというのはそれだけ本能に近い感情であることの顕れでしょうか。
・時代とともに移り変わってきた『死』に対する人々の考え。本書では触れられていませんが、未来にはこれがどう変わっていくのかも興味あるところです。現代の『お葬式』は「死者の死出の旅の安全を祈る」というよりは「生者の気持ちの区切りをつける」儀礼の意味合いが強いでしょう。かつては死者のものだった『死』は徐々に生者のものとして遷り変わり、その行きつく先は?
・「人間は死んだ後はどうなるのであろうか。この問題は、つねに人間の最大関心事であった。本書は、原始・古代から現代の文化的諸民族に至るまで、この問題がどう考えられ、具体的にその考え方がどう表現されてきたかを考察する。さらに、来世観や、霊魂と肉体との関係、また私たちの心がまえとして死をどうみるべきかを語る。」カバー
・「死なねばならないというのがわれわれの生存の特色である。死ぬために生きているという逆説も一面の真理である。」p.i
・「人間が死んだあとはどうなるか。この問題はきわめて古く、かつまた新らしい。世界のいたるところ、あらゆる時代に、この問題が考えられないことはまずなかった。」p.1
・「大ざっぱに言って、死後の世界はまったく存在しないと断定する者はあまり多くはいないと考えられる。」p.2
・「要するに死者儀礼は第一には死者の幸福のためであるが、第二には生存者の幸福を守り、不幸を防ぐのが目的である。」p.18
・「たとえばカムチャツカ半島南部に住むカムチャダル族は死人を犬に食わせるが、それは未来の生涯において犬ゾリに乗っていっしょに走ることを希望するからである。」p.19
・「時代、土地、民族、社会、宗教などの差異によって死者儀礼もさまざまではあるが、表面上の差異から一歩進めて本質を考察すると、差異は予想外に少なく、むしろ人類全体に共通する考え方の方が強いことがわかる。このことはまた最近数十年間における世界の有力な宗教学者、民族学者たちのほぼ一致した結論でもある。」p.34
・「これに対して死者をまじえず近親者だけが死者といっしょに夜をすごし、夫が死ねば妻、妻が死ねば夫、親が死ねば子が一晩死体と一つふとんでねるヨトギ、ソイネ等という風習が兵庫、鳥取、山口、長野などの一部に知られている。」p.44
・「死者の財産には手をつけないというのが古くかつ普遍的な考えであろう。このように考えれば、死者の全財産をふくめて住居を放棄することも、副葬品の豊富なことも、理解できるであろう。  しかし文明が進み、生活が複雑になると、文字どおりに全財産を破棄することは事実上不可能である。そこでいろいろの便法を考えて抜け道をさがすことになる。」p.67
・「人は死後どこにいるのか。死者の存在とは何であるか。一般に常識として考えられていることは、すでに生存中に、肉体の中に霊魂というものが存在し、死ぬと霊魂が遊離し、肉体が滅んだあとでも、霊魂だけは独立に存在を続けるという。」p.149
・「現世と来世とのあいだに河または海が横たわっているという信仰はきわめて広く行われている。ギリシアでも冥界の入口には河があって、生者の世界との境界になっているという考えはすでにホメロスの時代に知られていた。」p.159
・「人が死者の世界に入るさいに神によって審判され、それによって賞罰を受けるという思想は、日本でも俗説としてよく知られ、外国にもその例が多いが、実はすべての民族がはじめからこの点についてはっきりした考えを持っていたわけではない。」p.162
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【本】交響曲の名曲・名盤

2008年07月25日 22時04分31秒 | 読書記録2008
交響曲の名曲・名盤, 宇野功芳, 講談社現代新書 1081, 1991年
・有名(名物?)クラシック音楽評論家によるCDガイド。交響曲編。作曲家の生年順に約60曲収録。有名どころはほぼ網羅されていますが、ブルックナーは全10曲入っているのに、ドボ8やシベ2なんかが抜けていたりと著者の好みが多少反映されているようです。巻末に『作曲家別名盤リスト』つき。
・一時期はよくCDを買っていたものですが、最近はさっぱりです。今回こちらを読んでも食指の動くCDは見当たりませんでした。
・「1枚のCDからよくここまで文章を引き出せるものだ」と、同著者に限らず評論家の方々の文章を目にするたびに感心します。多彩な表現はブログの記事にも応用できそう。
・著者は今でも写真のように、まだ50代かそこらの若さだと思っていたのですが、1930年生まれとは、もうかなりの年なので意外に感じました。
・「たしかに情緒的なアマデウスに比べ、ハイドンのシンフォニーはどこか乾いており、素朴で田舎くさいのは事実だが、感銘の度がうすいかといえばけっしてそんなことはない。モーツァルトのように一聴耳をとらえるチャーミングな特徴には乏しいが、何度聴いても飽きない、という点では上かも知れない。充実度がすばらしいからである。」p.10
・「ハイドンの交響曲からいちばん好きな一曲を採れ、といわれたら、僕はこの「第96番」を挙げるだろう。」p.18
・ハイドン99番「モーツァルトを得意にするヨーゼフ・クリップスは、その陶酔的なまでに典雅な感覚を最大限に発揮し、ウィーン・フィルのチャーミングな音楽美を全開させていく。純粋で柔かく冴えた弦はもちろんだが、とくに管楽器の魅惑は筆舌につくしがたい。  メヌエットにおけるホルンとトランペットの貴族的なまでにしゃれた色合い、フィナーレにおける木管群のたわむれなど、ため息が出るほどだし、ここでもウィンナ・ホルンの上品な茶目っ気が最高だ。」p.23
・モーツァルト40番「僕はウィーン音楽院の一室でワルター使用の楽譜を見せてもらったとき、このルフトパウゼの指示を発見して胸ときめいた思い出がある。」p.49
・「ローマ神話に出てくる神々の王ジュピターの足どりのように始まるこの曲は、壮麗、典雅、優美、まことにモーツァルトの最後の交響曲にふさわしい内容と外観を誇っている。」p.53
・「残念ながら「第九」のCDには理想的なものが一枚もない。そのなかにあって、演奏だけをとればフルトヴェングラーが最高だ。」p.88
・「最近はプロ野球選手の背番号に0番が使われるようになったが、交響曲の0番というのはふざけている。  ブルックナーは最晩年に若いころの作品を整理したが、そのとき、忘れていた交響曲の草稿を見つけ、破棄するにしのびなかったのか、「交響曲第0番、まったく通用しない単なる試作」と書きこんだのである。」p.126
・「それではブルックナーが一生をかけていいたかったこととは何であろうか。  それは神が創造した大自然への讃美であり、偉大な神への帰依の感情である。そこには崇高な祈りがあり、神を信ずる者の浄福と、有限の生を享けた人間のはかない寂寥感がある。」p.127
・ブルックナー3番「どの一部分をとっても《楽器の音》がまったくしないのにおどろかされる。金管の強奏でさえそうなのだ。こんなオーケストラ演奏はたとえウィーン・フィルであっても現在ではとうてい不可能であろう。」p.133
・ブルックナー8番「ブルックナーの最高傑作であるばかりでなく、古今のありとあらゆる音楽作品のなかでもベストを狙う名品のひとつだ。」p.148
・「いわんや同時代のマーラーと比較すれば、これは大人と子供ほどの差がある。マーラーの「第九」がよい、「大地の歌」が傑作だ、といっても、所詮は人間世界のできごとであり、ブルックナーの「第八」は神の御業を思わせる。ほとんど大自然や大宇宙の音楽を想像させるのである。」p.148
・「ブルックナーはこの「第九」を、愛する神様に捧げたが、交響曲を神に捧げた作曲家は彼ぐらいではないだろうか。」p.155
・「ブラームスの音楽は私小説だ。ブルックナーはもちろんだが、モーツァルトやベートーヴェンの作品が人間を突き抜けて宇宙に達するのとは反対に、徹頭徹尾、地上の世界にとどまっている。この「第四」はよくも悪くも、ブラームスの作風が行き着いた最後の境地といえるだろう。  朝比奈隆はブラームスについて次のように語っている。  「彼の芸術というのは多分にセンチメンタルなのではないでしょうか。こういう感情は若い人にはわからないだろうし、女性にも苦手のようですね。年をとった男には心の中の宝のようになってくるんです」」p.173
・マーラー「周知のようにこの大作曲家は当時最高の名指揮者であった。いや、むしろそれが本業であり、創作のほうはいわゆる日曜作曲家だったのである。」p.203
・「シベリウスの交響曲というと、なんとかのひとつおぼえのように「第二」「第二」「第二」だ。もちろん悪い曲ではないが、シベリウスの醍醐味からは遠い。どうせ遠いのなら僕は「第一」を推したいのだが、なぜか演奏機会が少ない。音楽界七不思議のひとつといえよう。」p.226
・「交響曲という作曲形式はショスタコーヴィチで終ってしまったように思う。現代の作曲家たちは、この伝統的なスタイルによってものをいうことができなくなってしまったからであろう。」p.246
●以下、「対談『芸術とは娯楽である』 宇野功芳+玉木正之」より
・宇野「でも芸術というのは個の告白です。自分はこう思う、こう感じる、というのが芸術のはじまりで、その世界からいちばん遠いのが平均化ではないでしょうか。」p.252
・宇野「自分で音楽をやる場合は、自分が世界で一番でなきゃ嫌ですよ、やっぱり。そう思わないで舞台に立つのはせっかく来ていただいたお客さんに失礼ではないでしょうか。」p.253
・宇野「やるのと書くのとでは、全然違うよね。」p.254
・宇野「僕の理想は、お客さんが「なんという素晴らしい演奏だろう」と思うことではなく「なんという素晴らしい曲だろう」と思ってくれることなんですよ。」p.262
・宇野「芸術は、所詮娯楽なんですよ。」p.265
・宇野「芸術にいちばん必要なのは自由の精神だけど、それと同じくらい必要なのが謙虚さですね。神に与えられた才能というか、結局は神様の力でやっているようなものですから。人間の力なんて小さいものですよ。」p.266
・「理屈抜きに楽しいとか、理屈抜きに感動するとか、そういう演奏をする演奏家のほうが、僕は本物だと思うんですよ。だから、批評の世界にも、そういう基準があってもいいと思うんだな。」p.268

?かんぜつ【冠絶】 比べるものがないくらい、非常にすぐれていること。卓絶。
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【本】人は見た目が9割

2008年07月17日 22時01分02秒 | 読書記録2008
人は見た目が9割, 竹内一郎, 新潮新書 137, 2005年
・「おっ!?」と目をひくタイトル。「人(の価値)は見た目が9割(で決まる)」、と何か挑発的な印象を受けますが、実際の内容は、言語以外の情報を扱う「ノンバーバル・コミュニケーション」の紹介です。人間の見せる無意識な行動についての、「へぇ~、なるほど~」と思うような小ネタが面白い。
・出版された当初ちょっと話題になった本ですが、それはやはりこの表題に依るところが大きいと思います。非言語情報の重要性を説く本が、言語情報のおかげで成功するとはなんとも皮肉。
・「最近では、活字の本よりマンガの方が圧倒的に売れている。その理由は様々だが、私見では「文字だけ」より「文字と絵の組み合わせ」の方が、受け手に理解されやすいからだ。」p.9
・「たとえばまばたき。アメリカ大統領選挙の公開討論では、「まばたきが多いほうが、討論後の勝敗後の印象を尋ねる世論調査では負ける」という法則がある。」p.11
・「本書では、こうした「言語以外の情報」すべてをひっくるめて、「見た目」と捉えてみた。」p.12
・「舞台であれ、映画であれ、マンガであれ、物語を作るうえで最も感動的なシーンには言葉で説明するのではなく、「絵で見せる」という鉄則がある。」p.15
・「私たちの周りにあふれていることば以外の膨大な情報――。それを研究しているのが、心理学の「ノンバーバル・コミュニケーション」と呼ばれる領域である。最近は、言葉よりも、言葉以外の要素の方がより多くの情報を伝達していることが分かってきた。」p.18
・「演劇やマンガを主戦場としている私は、人は能力や性格もひっくるめて「見た目が九割」といっても差し支えないのではないかと考えている。」p.19
・「たとえば、「本をたくさん読む人」が「たくさん勉強している人」という錯覚が生まれる。「本をたくさん読む人」が必ずしも「情報をたくさん摂取している人」ではないのである。」p.19
・「教育の陥穽という観点から、一つ補足する。私たちは、子供の頃小学校の先生に「人を外見で判断してはいけない」と教えられた。それは「人は外見で判断するもの」だから、そういう教育が必要だったのだ。  逆にいうなら、「人を外見で判断しても、基本的には問題ない。ごくまれに、例外があるのみである」といってもよい。」p.20
・「私は、ボイストレーニングの基礎ぐらいは、義務教育に入れてもいいのではないかと考えている。声で損をしている人は、学歴で損をしている人より、遥かに多いのではあるまいか。」p.34
・「男女間で重要なことは、並んで座る時、膝、つま先が相手の方を向いているかどうか、である。お互いに相手の方を向いていればよし。相手と別の方向を向いているようでは、「将来は危ない」と考えたほうがよい。」p.41
・「マンガは詰まるところ「見た目」勝負の文化である。現場にいると、それを痛感する。  ベストセラー小説が原作で、絵も上手なのに面白くないマンガというのがある。それはまさに、紙の上でのノンバーバル・コミュニケーションが有効にできていないからだ。」p.69
・「ノンバーバル・コミュニケーションを意識的に活用している最先端の領域がマンガである。」p.71
・「マンガ家は、映画でいうなら、次のスタッフの能力が求められる。脚本家。照明家。カメラマン。監督(演出)。デザイナー(絵と吹き出しの構図やページのデザイン)。本当に大変な職能である。」p.74
・「芳賀綏氏は『日本人の表現心理 』(中公叢書)の中で、日本人のコミュニケーションの特徴を、次の八つにまとめている。「語らぬ」「わからせぬ」「いたわる」「ひかえる」「修める」「ささやかな」「流れる」「まかせる」――。日本も欧米も、ノンバーバル・コミュニケーションは大切なのだが、その発展形態が異なるのである。それは文化の特質による。」p.92
・「さて、日本のマンガは、基本的に墨一色である。白い紙に黒いインクの一色刷りである。これは珍しい現象である。」p.108
・「千葉(昌之)さんは、読み聞かせには、二種類の間があるといっている。  ひとつは、二秒程度の通常の「間」である。  もうひとつは、五秒以上沈黙が続く「長い間」である。千葉さんはこれを「びっくり間」と呼んでいる。」p.
・「つまるところ、「伝える技術」の最大の目的は、「好き・好かれる」の関係をつくることである。」p.137
・「さて、「何たる偶然」とはどんなゲームか。二人の役者に対座してもらい、片方が相手に質問し、お互いの共通点を十個探すのである。で、共通点が見つかると、二人同時に「何たる偶然!」と叫ぶ。十個見つける頃には、二人の心理的距離は相当縮まっている。」p.161
・「つまり、マナーというものはノンバーバル・コミュニケーションを意識化したうえで、非常に洗練した形で練り上げた結果の産物だということになる。」p.168
・「マナーはあくまでも "文化度" である。経済の豊かさの後にくる。逆に言えば、マナーがなっていない人(会社)にはどこか余裕がないということになる。」p.172
・「辛いことが多い人生を生きている人は、笑いを求める傾向がある、と私は考えている。」p.179
・「一方、「泣く」行為は本能的なものであるように思う。赤ん坊は、泣きながら生まれてくる。何故泣くのか、私に理由はわからない。「悲しみ」という感情とは無縁のことだろう。だが、精一杯、あるいは限界の状態を表わしているのだろう、とは思う。」p.179

かんせい【陥穽】 おとしあな。人をだましたり、失敗させたりするための計略。わな。はかりごと。
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【本】陰翳礼賛

2008年07月11日 22時05分32秒 | 読書記録2008
陰翳礼賛, 谷崎潤一郎, 中公文庫 た-30-27, 1975年
・谷崎潤一郎の随筆集。『陰翳礼賛』、『懶堕の説』、『恋愛及び色情』、『客ぎらい』、『旅のいろいろ』、『厠のいろいろ』の六篇収録。
・『感性』研究関連の講演で話題に上ったのがきっかけで手にとった本。同著者の小説はその昔数冊読みましたが、当時は特に心にひっかかることもなく、さらっと通過していました。しかし、この作品を読んだところ著者へのイメージが一変。特に表題作である『陰翳礼賛』では、「研ぎ澄まされた感性の冴え」が感じられます。その内容は陰翳を好む日本人の特質がテーマで、読み進むうちに「日本人てすばらしい……」という気持ちが沸いてきます。そこに書かれているのは、まさに「美しい日本」そのもの。日本について勉強したい外人さんにもオススメしたくなるような本です。
●『陰翳礼賛』
・「私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。」p.11
・「そしてその時に感じたのは、照明にしろ、煖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのに勿論異議はないけれども、それならそれで、なぜもう少しわれわれの習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか、と云う一事であった。」p.14
・「もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、と云うことを常に考えさせられるのである。」p.16
・「とにかく我等が西洋人に比べてどのくらい損をしているかと云うことは、考えてみても差支えあるまい。つまり、一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を巡って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代わりに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩みだすようになった、そこからいろいろな故障や不便が起こっていると思われる。」p.18
・「同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔かい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。そうして手ざわりがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。それは木の葉に触れているのと同じように物静かで、しっとりしている。ぜんたいわれわれは、ピカピカ光るものを見ると心が落ち着かないのである。」p.20
・「瑪瑙(めのう)を製造する術は早くから東洋にも知られていながら、それが西洋のように発達せずに終り、陶器の方が進歩したのは、よほどわれわれの国民性に関係する所があるに違いない。われわれは一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む。」p.22
・「漆器は手ざわりが軽く、柔らかで、耳につく程の音を立てない。私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたたかい温みとを何よりも好む。それは生まれたての赤ん坊のぷよぷよした肉体を支えたような感じでもある。」p.27
・「日本の料理は食うものでなくて見るものだと云われるが、こう云う場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云おう。そうしてそれは、闇にまたたく蝋燭の灯と漆の器とが合奏する無言の音楽の作用なのである。」p.28
・「人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。」p.29
・「かく考えて来ると、われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇というものと切っても切れない関係にあることを知るのである。」p.30
・「もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。」p.34
・「昔の女と云うものは襟から上と袖口から先だけの存在であり、他は悉く闇に隠れていたものだと思う。当時にあっては、中流階級以上の女はめったに外出することもなく、しても乗り物の奥深く潜んで街頭に姿を曝さないようにしていたとすれば、大概はあの暗い家屋敷の一と間に垂れ寵めて、昼も夜も、ただ闇の中に五体を埋めつつその顔だけで存在を示していたと云える。」p.46
・「先年、武林無想庵が巴里から帰って来ての話に、欧洲の都市に比べると東京や大阪の夜は格段に明るい。巴里などではシャンゼリゼエの真ん中でもランプを燈す家があるのに、日本ではよほど辺鄙な山奥へでも行かなければそんな家は一軒もない。恐らく世界じゅうで電燈を贅沢に使っている国は、亜米利加と日本であろう。日本は何でも亜米利加のまねをしたがる国だと云うことであった。」p.56
・「先だっても新聞記者が来て何か変った旨い料理の話をしろと云うから、吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨と云うものの製法を語った。」p.62
●『懶惰の説』
・「とにかくこの「物臭さ」、「億劫がり」は東洋人の特色であって、私は仮りにこれを「東洋的懶惰」と名づける。」p.72
・「文明の進んだ人種ほど歯の手入れを大切にする。歯列の美しさ如何に依ってその種族の文明の程度が推し測られると云う。」p.78
・「「寝てばかりいては毒だ」と云うが、同時に食物の量を減らし、種類を減らせば、それだけ伝染病などの危険を冒す度も少い。カロリーだのヴィタミンだのとやかましく云って時間や神経を使う隙に、何もしないで寝ころんでいる方が賢いと云う考え方もある。「怠け者の哲学」があるように、「怠け者の養生法」もあることを忘れてはならない。」p.86
・「支那を旅行した者は誰でも知っていることだが、支那人の台所では雑巾とふきんの区別がない。汚い物を拭いた布で食卓や箸を拭かれるのにはしばしば閉口することがある。」p.89
●『恋愛及び色情』
・「日本の茶道では、昔から茶席へ掛ける軸物は書でも絵でも差支えないが、ただ「恋」を主題にしたものは禁ぜられていた。と云うことはつまり、「恋は茶道の精神に反する」とされていたからである。」p.95
・「けだし西洋文学のわれわれに及ぼした影響はいろいろあるに違いないが、その最も大きいものの一つは、実に「恋愛の解放」、――もっと突っ込んで云えば「性慾の解放」――にあったと思う。」p.111
・「私はそう思う、――精神にも「崇高なる精神」と云うものがある如く、肉体にも「崇高なる肉体」と云うものがあると。しかも日本の女性にはかかる肉体を持つ者が甚だ少く、あってもその寿命が非常に短い。西洋の婦人が女性美の極致に達する平均年齢は、三十一二歳、――即ち結婚後の数年間であると云うが、日本においては、十八九からせいぜい二十四五歳までの処女の間にこそ、稀に頭の下がるような美しい人を見かけるけれども、それも多くは結婚と同時に幻のように消えてしまう。」p.113
●客ぎらい
・「それと私には、文学者は朋党を作る必要はない、なるべく孤立している方がよいと云う信念があったのであるが、この信念は今も少しも変っていない。私が永井荷風氏を敬慕するのは、氏がこの孤立主義の一貫した実行者であって、氏ほど徹底的にこの主義を押し通している文人はないからである。」p.153
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【本】直観力

2008年07月06日 22時12分12秒 | 読書記録2008
直観力, 新崎盛紀, 講談社現代新書 508, 1978年
・題名を見ると、『第六感』だとか『超能力』だとか人智を超えた力である "直観力" を身に付けるハウツー物を想像してしまいますが、実際は "直観力" を通して見た日本の文化論といった内容で、その話題はかなり多岐に及び多少散漫になっている印象も受けます。「日本人は他国人とは違って、ちょっと特別」という、怖いような、くすぐったいような独自の論を展開。また、余所の書籍からの引用が多く、なるほどと思う小ネタが豊富です。
・「これらの概念の共通項を求めてみると、直観とは「直接に感じ取ること」となるであろう。とすれば、論理とは「間接に理屈でとらえること」にほかならない。」p.5
・「一般に、人間のこころというものを、学者はその得意とする知(知性=考える)の側面から、同じく芸術家や宗教家は情(感情=感ずる)の側面から、政治家や実業家は意(意志=欲する)の側面から、とらえる傾向があるようだ。  わたしはこころというものを、その働きの三つの側面のすべてから、とらえていきたい。つまり、こころは知・情・意全域にまたがる総合的な心理機能である、と解釈したい。」p.12
・「論理とは考えを進める際の一定のすじみちであり、直観とは考える過程をへずに直接に感じとる働きである。」p.15
・「たとえば、ほとんどローマ字や日本のカナ文字のような表音文字だけしかもたぬ欧米の言葉と、表音文字のほかに漢字という表意文字をもち、両系の文字をシステム的にみごとに併用している日本の言葉とは、両者の文字の相違度合いに照応して、両者の論理や直観の思考の方法も、当然に異なってくるはずである。  結論をさきに述べれば、文字という大ざっぱな論理系のなかでも、漢字は直観性を、カナは論理性を表わすということである。」p.25
・「もともと、アナログとディジタルとは、定性と定量とを意味する。これを性格類型にあてはめれば、それぞれ直観型と論理型とに該当する。」p.27
・「人間は一般に、直観型論理型との二つに大きくわかれ、さらに直観型が五官型直角型とに二大別されたように、論理型も速考型深考型とに二大別できるようだ。」p.40
・「将棋の中原名人は「将棋のプロとアマチュアとの違いは」とたずねられて、「負けた試合を覚えているのがプロで、勝った試合を覚えているのがアマだ」と明快に答えている。」p.40
・「現代日本人の悲劇は、話し上手つまり自分の意志伝達の巧者になろうと熱願しているくせに、否、熱願しているがゆえに、あせりのためか、聞き下手の姿勢をくずせぬところにある。」p.47
・「心理学者・岩原信九郎は『記憶力』(講談社現代新書 1976年)で、記憶術の要点を、次の三つにまとめている。  第一は、記憶すべき事項を、いくつかの意味ある単位(チャンク)にまとめて、記憶項目をなるべく少なくすること、第二は、記憶項目はたがいに意味的な関連をもたせること、第三は、記憶事項をできるだけ既知のことと関連づけること(位置づけ)であるとしている。」p.47
・「たとえば、庭に草花などを植える際に、女性は一般に、そのときどきの思いつきで空いた場所に、次々に自由奔放に結果的には雑然と植える。  これに対して男性は、生長後の周辺の草木とのつりあいや、開花時の色どりの調和などを、予想しつつ慎重に位置を選んで植える傾向がある。相対的にいえば、女性は速考的で、男性は深考的だといえよう。」p.52
・「ホイジンガは名著『ホモ・ルーデンス』(中央公論社 1971年)で、「文明は遊びのなかから生まれてきた。もしも、現代文明から遊びの精神が失われれば、文明は存続できないであろう」と述べている。」p.55
・「とにかく、人間は誰にとっても、生命は有限で、しかも誰にとっても、時間は平等に与えられている以上、時間の管理の巧拙は、まさに人生の決定要因であるといえよう。そして、時間管理の巧拙はおおよそ、直観力の強弱と正比例するのである。」p.97
・「英人ハマトンは名著『知的生活』で「時間を空費させる最大の敵は、下手な勉強だ」と含蓄ある警句を発している。」p.98
・「たとえば、作成に約30時間を要する論文ならば内容による多少の違いはあるが、おおむね五時間ずつ六日間で執筆を完了するのが、仕上がりがもっともよい。」p.99
・「読書や講義の内容を、後で役立たせるために、メモをしておくことは重要である。学生時代の私が天才ゲーテの行動に予想外に驚嘆したことの一つは、彼の執拗なメモとり癖であった。」p.105
・「寸暇継考法とは、生活時間全体を一貫して、当面するテーマを常に射程内におきつつ、その間隙、すなわち通勤・食事・入浴などの間に生じる寸暇を惜んで、思考を継続する技法である。」p.106
・「寸暇継考法はわたしの体験からいえば、書斎や事務室で、長時間じっと思考を続けるやり方よりもはるかに能率のあがるばあいが多い。これは集中的な思考を続行できる時間の限度は、普通の成人のばあい、おおむね15分だという、心理学的に実証された事実からも、納得がいく。」p.108
・「実は日本人の一大欠点は、五世紀初頭の『論語』伝来いらいの、また明治開国以降は滔々たる洋書の流入による、書物に頼る他律的な思考にあるようだ。」p.109
・「ソ連の生理学者・セーチェノフの「積極的休憩説」はなかなか面白い。彼は「右手が疲れたときには、ただ休んでいるより、その時に左手を使った方が、後での右手の能率は高まる」と述べている。換言すれば、読書・計算・暗記などの思索的な知的仕事(おもに脳の左半球の機能)に疲れたら、それをやめて音楽・散歩・スポーツなどの感覚的・運動的な情的営み(おもに右半球)に耽り、しばらくして知的仕事にたち帰れば、そのあいだなにもしないでいた時に比べて、知的業績は、著しくあがるという理屈になる。」p.109
・「「人生の真の目的は、無限の人生を知ることである」(トルストイ)。」p.118
・「システムとは1969年のアポロの月面到着いらい使われ始めた言葉で、今や一般の常識に定着した観がある。システムを定義づければ、「多くの部分がお互いに関連しあいながら、全体として共通の目的を志向している体系」となろう。」p.130
・「実は、人間にはもともと「委任したがらぬ心理」がある。だが、この素朴な心理を克服してこそ、はじめて立派なリーダーになれるのである。」p.146
・「実は、現在までに国の内外で、大小無数の想像力育成の技法が開発されてきたが、これらの技法のうちで、わたし自身が活用してきわめて有効だったと感じているものは、ブレーン・ストーミング法、KJ法、入出法、消去法などである。」p.150
・「また、一見、中国原産かと思われる扇子や、中華料理の食卓の回転盤なども、実は日本の発明品だという――扇子は平安後期の貴族の考案とか。これらの発明品の基底には、二千年来、蓄積された温帯稲作の広汎な技術、たとえば、四季ごとに使いわける大小無数の農機具の製造技術などがあることは疑いを容れない。」p.154
・「だが、日本の歴史を通観して、最大の発明品は二種のカナ文字と五十音表と『源氏物語』ではなかったか。」p.155
・「さいきん、洋弓つまりアーチェリーの射方は、射撃と同じく論理的で、直観的な弓道、つまり和弓とは非常に異なること、つまり外観は似ているが、中身はまったく対照的であることに気がついた。それぞれ長い歴史と風土を背負って発達してきた和弓と洋弓とが、日頃の直観と論理という民族性の決定的な差異を、集約的に表象していることに、尽きぬ興趣が感じられる。」p.158
・「日本人型の脳から生まれる創造業績が、世界人類の混迷からの脱出への突破口となることも、あながち夢ではあるまい。」p.166
・「西方の動物系紋章に対する日本の植物系紋章は、照葉樹林の影響と見なすのが自然であろう。」p.170
・「日本が今後、世界文明へ貢献すべき態容は、異文化圏たる欧米のいき方をまねても、日本語を使うかぎりは、かならず限界がある。やはり、日本流儀、たとえば回転レシーブ精神で堂々と立ち向かうべきではないか。」p.178
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