ローマ人の物語 11・12・13 ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)(中)(下), 塩野七生, 新潮文庫 し-12-61・62・63(7506・7507・7508), 2004年
・ローマ人の物語第V巻。登場する "役者" はカエサルをはじめとし、ポンペイウス、キケロ、アントニウス、クレオパトラ、オクタヴィアヌス、などなど。時代は紀元前49年~30年。カエサルがルビコン川を越えるところから、その後のポンペイウスとの内戦、ローマの最高権力者としての活躍、暗殺、そして後継者のオクタヴィアヌスが、アントニウスとクレオパトラを倒し、ローマの覇権を握るまで。
・カエサルの暗殺やクレオパトラの演じた役割についてなど、今までよくわかっていなかった部分がおかげで鮮明になりました。クレオパトラは単なる "美女" というわけではなかったのですね。
・カエサルが没してしまったことで、このシリーズを読む楽しみが半減してしまったような気がします。没して後、約2000年後の一読者をもひきつけるその魅力・カリスマ性はやはり強烈。
・「このことを知ったキケロは、親友への手紙に書いている。 <なんというちがいだ、敵を許すカエサルと、味方を見捨てるポンペイウスと!>」上巻p.36
・「ローマ人は、風のように襲ってきては殺戮し略奪し、風のように去っていくタイプの征服者ではなかった。ローマ人は、征服した地を自分たちの世界に組み入れたのである。」上巻p.43
・「私が、「保護者」「被保護者」と翻訳できず、「パトローネス」「クリエンテス」と原語のままで書かざるをえなかった理由もここにある。「クリエンテス」関係とは、一方的な関係ではなく、相互扶助関係であったからだ。」上巻p.45
・「しかし、政治も軍事も、いや人間がかかわるすべてのことは、一プラス一は常に二になるとはかぎらない。三になることもあるし、反対に〇・五で終わることもある。ルビコン川からメッシーナ海峡までの本国ローマは、本国であるだけに、プラス・アルファがあった。この点を、ポンペイウスは見逃した。いや、後には、カエサル暗殺後のブルータスも、ブルータスを破って以後のアントニウスも、数字にも形にも表れないこのプラス・アルファを見逃すことになる。しかしカエサルは、もしもコンピューターが存在していたとしてもそれによって計ること不可能な、このプラス・アルファの重要性を知っていた。そして、カエサルの後を継ぐことになるオクタヴィアヌスも、これを認識していた点において、カエサルの後継者の名に恥じない器であることを示すのである。」上巻p.48
・「このような状態になった場合、人は二種に分れる。第一は、失敗に帰した事態の改善に努めることで不利を挽回しようとする人であり、第二は、それはそのままでひとまずは置いておき、別のことを成功させることによって、情勢の一挙挽回を図る人である。カエサルは、後者の代表格といってもよかった。」上巻p.123
・「カエサル側の兵250は、百倍の敵の攻撃に四時間耐えた。四時間後、スッラ率いる二個軍団五千が到着し、それでようやく撃退に成功した。」上巻p.178
・「ファルサルスの会戦は、イッソスやカンネやザマの会戦と比較すれば、敗者側の戦死者の数が異常に少ない。絶対数が少ないだけでなく、捕虜の数のほうが戦死者数を大幅に上まわった唯一の会戦である。」上巻p.252
・「「方式(メソッド)」とは、誰が踏襲してもそれなりの成果が得られるものでなくてはならない。駆使するものの才能に左右されたり、その場でしか適用可能でないとなっては、教材にはならないからである。 アレクサンダー大王もハンニバルもスキピオ・アフリカヌスも、ウェストポイントの教壇に立てるだろう。だが、カエサルならば言うだろう。 「まず敵と戦場を見せてくれ。その後で勝つ戦法を考える」と。」上巻p.254
・「二千年後のイギリスの研究者になると、次のように書く。 「ポンペイウスは、戦場でならば、カエサルが敵にまわすに値したただ一人の武将であった。だが、ドゥラキウムでのカエサルが、敗北を喫した軍では最後に戦場を捨てた戦士であったのに対し、ファルサルスでのポンペイウスは、最初に戦場を捨てた戦士だったのである。 そして、天才と単に才能のある者を分けるのは知性と情熱の合一だが、ポンペイウスにはそれが欠けていた」」上巻p.271
・「カエサルは、『内乱記』の中で、「人間は、自分が見たいと欲する現実しか見ない」と書いている。」上巻p.285
・「この戦闘後にカエサルは、ローマの元老院に送った戦果の報告を、次の三語ではじめたという。 「来た、見た、勝った」 まったく、「賽は投げられた」とか、後日の「ブルータス、お前もか」とか、カエサルにはコピー・ライターの才能もあったと思うしかないが、」中巻p.19
・「憤怒とか復讐とかは、相手を自分と同等視するがゆえに生ずる想いであり成しうる行為なのである。カエサルが生涯これに無縁であったのは、倫理道徳に反するからという理由ではまったくなく、自らの優越性に確信をもっていたからである。優れている自分が、なぜ、そうでない他者のところにまで降りてきて、彼らと同じように怒りに駆られたり、彼らと同じように復讐の念を燃やしたりしなければならないのか。」中巻p.34
・「兵士とは、休養を与える必要はあるが、与えすぎてもいけない存在なのである。」中巻p.37
・「カエサルという男は、失敗に無縁なのではない。失敗はする。ただし、同じ失敗は二度とくり返さない。」中巻p.55
・「軍事にはシロウトの私でも、こうも戦闘ばかり書いてくるとわかったような気分になるが、戦術とは要するに、まわりこんで敵を包囲することを、どのやり方で実現するか、につきるのではないか。」中巻p.72
・「包囲壊滅作戦とは、アレクサンダー大王が創案し、ハンニバルが完成し、スキピオ・アフリカヌスがその有効性を、ハンニバルに対してさえも勝つことで実証した戦法であった。(中略)だが、タプソスでのカエサルは、騎兵を中央に配することで、敵軍包囲の輪が、従来のような一つではなく、二つになる作戦を立てたのである。」中巻p.74
・「カエサルは、冷徹ではあったが、冷酷ではなかった。」中巻p.91
・「ちなみにムッソリーニは、ローマの警士の捧げもつ権標(フアツシ)から彼主唱の主義をファシズムと名づけ、師団と言わずに軍団と呼び、ローマ式敬礼を導入し、最精鋭軍団を第十軍団と名づけたりしてイタリア軍の強化に努めたが、結果は第二次世界大戦に見るとおりで終わった。形式も大切だが、中身がともなわなくてはどうにもならないという一例でもある。」中巻p.93
・「ローマ独自の共和政とは、毎年選出される執政官二人を頂点とする行政機構を、選挙を経ないエリートたちで構成される元老院が補佐し、最終決定は、市民権所有者全員が投票券をもつ市民集会で決まるというシステムである。行政を担当する人の多くが元老院に議席を持つ人々なので、寡頭政体(オリガルキア)と呼ばれている。」中巻p.107
・「54歳を迎えていたカエサルは、まず、彼が樹立しようとしていた新秩序のモットーとして、「寛容(クレメンテイア)」をかかげた。」中巻p.112
・「しかし、孤独は、創造を業とする者には、神が創造の才能を与えた代償とでも考えたのかと思うほどに、一生ついてまわる宿命である。」中巻p.115
・「この「ユリウス暦」は、紀元後1582年に法王グレゴリウス13世によって最改良されるまでの1627年間、地中海世界とヨーロッパと中近東の暦でありつづける。」中巻p.117
・「カエサルは、ローマのこれ以上の領土拡大を望んでいなかった。望まないというより、現実的ではないと考えていた。」中巻p.131
・「カエサルには、防衛上の境界の概念ならばあった。しかし、後世のわれわれの考える、国境の概念はなかったのである。」中巻p.136
・「治安と清掃は、そこに住む人々の民度を計る最も簡単な計器である。(中略)確信をもって言えるが、古代のローマは、現代のローマよりは格段に清潔であったのだ。」中巻p.172
・「壁は、安全の確保には役立っても、交流の妨げになりやすい。カエサルにとっては、壁を壊すという行為は、ローマの都市部の拡張のためであると同時に、壁なしでも維持できる平和への意思の表明でもあったのだ。」中巻p.188
・「古代の書物は、パピルス紙に筆写した巻物だった。第○章でなく第○巻とするのも、その名残りである。 それをカエサルは、長い巻物を切断して髪の束にし、それらをとじて一冊の書物にすることを考えた。必要な箇所だけを即座に読めるようにと考えてである。」中巻p.193
・「帝政は、事実上、成ったのであった。」中巻p.196
・「ローマ人にとって、カエサルの暗殺は、雲一つなかった晴天に突然に襲ってきた、雷をともなった嵐のようなものであった。殺した側も殺された側も、つまり反カエサル側もカエサル側も、動転して方向を見失ってしまったことでは同じだった。」下巻p.14
・「「三月十五日」と書けば、西欧人ならばそれがカエサル暗殺の日であることは、説明の要もないくらいの常識になっている。西洋史でも屈指の劇的な一日、ということだ。」下巻p.19
・「一人に対し狂乱状態の十四人が刺しまくった結果、カエサルが受けた傷は全部で二十三箇所。そのうち、胸に受けた二刃目だけが致命傷であったという。」下巻p.24
・「カエサル暗殺も、はじめから彼が首謀者であったのではない。妹の夫であったカシウスが、真の首謀者である。ブルータスは、かつがれたのだ。」下巻p.29
・「「ブルータス、お前もか」のブルータスは、デキムスには従兄弟にあたったマルクス・ブルータスではなく、このデキムスであったとする人が多い。」下巻p.35
・「古代のローマ人と現代の日本人は、奇妙なところで似ている。温泉好きであり、室内の内装は簡素を好み、そして、火葬が一般的である点も似ているし、遺骨が故国に葬られるのを強く望む点でも似ている。」下巻p.195
・「猫は可愛がってくれる人間を鋭くも見抜くが、女も猫と同じである。なびきそうな男は、視線を交わした瞬間に見抜く。 クレオパトラも、整った美貌のオクタヴィアヌスの冷たく醒めた視線を受けたとたんに、この種の戦術の無駄を悟ったのではないか。不可能とわかっていても試みるのは、一流と自負する勝負師のやることではない。」下巻p.227
・「もはや誰一人、「オクタヴィアヌス、WHO?」とは言わなかった。あの当時の「少年(プエル)」は、十四年をかけて、カエサルが彼に与えた後継者の地位を確実にしたのである。アントニウスでなく、他の誰でもなく、いまだ未知数の十八歳を後継者に選んだ、カエサルの炯眼の勝利でもあった。」下巻p.232
・「紀元前46年、北アフリカのタプソスでポンペイウス派を破って帰国した当時のカエサルが、以後の施策の基本方針としたのは、「クレメンティア」(寛容)である。前30年、アントニウスを破って帰国し、あの当時のカエサル同様にローマ世界の最高権力者となったオクタヴィアヌスは、以後の施策の基本方針に、「パクス」(平和)をかかげる。ローマによる平和、即ち「パスク・ロマーナ」のはじまりであった。」下巻p.232
・「もしも、第IVと第Vの二巻が他の既刊の巻に比べてより生き生きと叙述されているとすれば、それは叙述した私の功績ではない。生き生きとした情報を与えてくれた、キケロとカエサルのおかげなのである。彼ら二人が生きた紀元前一世紀のローマほどに豊富で正確な資料を遺してくれた時代は、世界史全体を見まわしても他に類を見ないのではないかとさえ思う。」下巻p.i
・「生前の福田恆存から、私は次のことを教えられた。言語を使って成される表現は、意味を伝えるだけではなく音声も伝えるものであり、言い換えれば、意味は精神を、語呂もふくめた音声は肉体生理を伝えることである、と。福田先生は、翻訳もこの概念で成されねばならない、と言われた。」下巻p.ii
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・カエサルの暗殺やクレオパトラの演じた役割についてなど、今までよくわかっていなかった部分がおかげで鮮明になりました。クレオパトラは単なる "美女" というわけではなかったのですね。
・カエサルが没してしまったことで、このシリーズを読む楽しみが半減してしまったような気がします。没して後、約2000年後の一読者をもひきつけるその魅力・カリスマ性はやはり強烈。
・「このことを知ったキケロは、親友への手紙に書いている。 <なんというちがいだ、敵を許すカエサルと、味方を見捨てるポンペイウスと!>」上巻p.36
・「ローマ人は、風のように襲ってきては殺戮し略奪し、風のように去っていくタイプの征服者ではなかった。ローマ人は、征服した地を自分たちの世界に組み入れたのである。」上巻p.43
・「私が、「保護者」「被保護者」と翻訳できず、「パトローネス」「クリエンテス」と原語のままで書かざるをえなかった理由もここにある。「クリエンテス」関係とは、一方的な関係ではなく、相互扶助関係であったからだ。」上巻p.45
・「しかし、政治も軍事も、いや人間がかかわるすべてのことは、一プラス一は常に二になるとはかぎらない。三になることもあるし、反対に〇・五で終わることもある。ルビコン川からメッシーナ海峡までの本国ローマは、本国であるだけに、プラス・アルファがあった。この点を、ポンペイウスは見逃した。いや、後には、カエサル暗殺後のブルータスも、ブルータスを破って以後のアントニウスも、数字にも形にも表れないこのプラス・アルファを見逃すことになる。しかしカエサルは、もしもコンピューターが存在していたとしてもそれによって計ること不可能な、このプラス・アルファの重要性を知っていた。そして、カエサルの後を継ぐことになるオクタヴィアヌスも、これを認識していた点において、カエサルの後継者の名に恥じない器であることを示すのである。」上巻p.48
・「このような状態になった場合、人は二種に分れる。第一は、失敗に帰した事態の改善に努めることで不利を挽回しようとする人であり、第二は、それはそのままでひとまずは置いておき、別のことを成功させることによって、情勢の一挙挽回を図る人である。カエサルは、後者の代表格といってもよかった。」上巻p.123
・「カエサル側の兵250は、百倍の敵の攻撃に四時間耐えた。四時間後、スッラ率いる二個軍団五千が到着し、それでようやく撃退に成功した。」上巻p.178
・「ファルサルスの会戦は、イッソスやカンネやザマの会戦と比較すれば、敗者側の戦死者の数が異常に少ない。絶対数が少ないだけでなく、捕虜の数のほうが戦死者数を大幅に上まわった唯一の会戦である。」上巻p.252
・「「方式(メソッド)」とは、誰が踏襲してもそれなりの成果が得られるものでなくてはならない。駆使するものの才能に左右されたり、その場でしか適用可能でないとなっては、教材にはならないからである。 アレクサンダー大王もハンニバルもスキピオ・アフリカヌスも、ウェストポイントの教壇に立てるだろう。だが、カエサルならば言うだろう。 「まず敵と戦場を見せてくれ。その後で勝つ戦法を考える」と。」上巻p.254
・「二千年後のイギリスの研究者になると、次のように書く。 「ポンペイウスは、戦場でならば、カエサルが敵にまわすに値したただ一人の武将であった。だが、ドゥラキウムでのカエサルが、敗北を喫した軍では最後に戦場を捨てた戦士であったのに対し、ファルサルスでのポンペイウスは、最初に戦場を捨てた戦士だったのである。 そして、天才と単に才能のある者を分けるのは知性と情熱の合一だが、ポンペイウスにはそれが欠けていた」」上巻p.271
・「カエサルは、『内乱記』の中で、「人間は、自分が見たいと欲する現実しか見ない」と書いている。」上巻p.285
・「この戦闘後にカエサルは、ローマの元老院に送った戦果の報告を、次の三語ではじめたという。 「来た、見た、勝った」 まったく、「賽は投げられた」とか、後日の「ブルータス、お前もか」とか、カエサルにはコピー・ライターの才能もあったと思うしかないが、」中巻p.19
・「憤怒とか復讐とかは、相手を自分と同等視するがゆえに生ずる想いであり成しうる行為なのである。カエサルが生涯これに無縁であったのは、倫理道徳に反するからという理由ではまったくなく、自らの優越性に確信をもっていたからである。優れている自分が、なぜ、そうでない他者のところにまで降りてきて、彼らと同じように怒りに駆られたり、彼らと同じように復讐の念を燃やしたりしなければならないのか。」中巻p.34
・「兵士とは、休養を与える必要はあるが、与えすぎてもいけない存在なのである。」中巻p.37
・「カエサルという男は、失敗に無縁なのではない。失敗はする。ただし、同じ失敗は二度とくり返さない。」中巻p.55
・「軍事にはシロウトの私でも、こうも戦闘ばかり書いてくるとわかったような気分になるが、戦術とは要するに、まわりこんで敵を包囲することを、どのやり方で実現するか、につきるのではないか。」中巻p.72
・「包囲壊滅作戦とは、アレクサンダー大王が創案し、ハンニバルが完成し、スキピオ・アフリカヌスがその有効性を、ハンニバルに対してさえも勝つことで実証した戦法であった。(中略)だが、タプソスでのカエサルは、騎兵を中央に配することで、敵軍包囲の輪が、従来のような一つではなく、二つになる作戦を立てたのである。」中巻p.74
・「カエサルは、冷徹ではあったが、冷酷ではなかった。」中巻p.91
・「ちなみにムッソリーニは、ローマの警士の捧げもつ権標(フアツシ)から彼主唱の主義をファシズムと名づけ、師団と言わずに軍団と呼び、ローマ式敬礼を導入し、最精鋭軍団を第十軍団と名づけたりしてイタリア軍の強化に努めたが、結果は第二次世界大戦に見るとおりで終わった。形式も大切だが、中身がともなわなくてはどうにもならないという一例でもある。」中巻p.93
・「ローマ独自の共和政とは、毎年選出される執政官二人を頂点とする行政機構を、選挙を経ないエリートたちで構成される元老院が補佐し、最終決定は、市民権所有者全員が投票券をもつ市民集会で決まるというシステムである。行政を担当する人の多くが元老院に議席を持つ人々なので、寡頭政体(オリガルキア)と呼ばれている。」中巻p.107
・「54歳を迎えていたカエサルは、まず、彼が樹立しようとしていた新秩序のモットーとして、「寛容(クレメンテイア)」をかかげた。」中巻p.112
・「しかし、孤独は、創造を業とする者には、神が創造の才能を与えた代償とでも考えたのかと思うほどに、一生ついてまわる宿命である。」中巻p.115
・「この「ユリウス暦」は、紀元後1582年に法王グレゴリウス13世によって最改良されるまでの1627年間、地中海世界とヨーロッパと中近東の暦でありつづける。」中巻p.117
・「カエサルは、ローマのこれ以上の領土拡大を望んでいなかった。望まないというより、現実的ではないと考えていた。」中巻p.131
・「カエサルには、防衛上の境界の概念ならばあった。しかし、後世のわれわれの考える、国境の概念はなかったのである。」中巻p.136
・「治安と清掃は、そこに住む人々の民度を計る最も簡単な計器である。(中略)確信をもって言えるが、古代のローマは、現代のローマよりは格段に清潔であったのだ。」中巻p.172
・「壁は、安全の確保には役立っても、交流の妨げになりやすい。カエサルにとっては、壁を壊すという行為は、ローマの都市部の拡張のためであると同時に、壁なしでも維持できる平和への意思の表明でもあったのだ。」中巻p.188
・「古代の書物は、パピルス紙に筆写した巻物だった。第○章でなく第○巻とするのも、その名残りである。 それをカエサルは、長い巻物を切断して髪の束にし、それらをとじて一冊の書物にすることを考えた。必要な箇所だけを即座に読めるようにと考えてである。」中巻p.193
・「帝政は、事実上、成ったのであった。」中巻p.196
・「ローマ人にとって、カエサルの暗殺は、雲一つなかった晴天に突然に襲ってきた、雷をともなった嵐のようなものであった。殺した側も殺された側も、つまり反カエサル側もカエサル側も、動転して方向を見失ってしまったことでは同じだった。」下巻p.14
・「「三月十五日」と書けば、西欧人ならばそれがカエサル暗殺の日であることは、説明の要もないくらいの常識になっている。西洋史でも屈指の劇的な一日、ということだ。」下巻p.19
・「一人に対し狂乱状態の十四人が刺しまくった結果、カエサルが受けた傷は全部で二十三箇所。そのうち、胸に受けた二刃目だけが致命傷であったという。」下巻p.24
・「カエサル暗殺も、はじめから彼が首謀者であったのではない。妹の夫であったカシウスが、真の首謀者である。ブルータスは、かつがれたのだ。」下巻p.29
・「「ブルータス、お前もか」のブルータスは、デキムスには従兄弟にあたったマルクス・ブルータスではなく、このデキムスであったとする人が多い。」下巻p.35
・「古代のローマ人と現代の日本人は、奇妙なところで似ている。温泉好きであり、室内の内装は簡素を好み、そして、火葬が一般的である点も似ているし、遺骨が故国に葬られるのを強く望む点でも似ている。」下巻p.195
・「猫は可愛がってくれる人間を鋭くも見抜くが、女も猫と同じである。なびきそうな男は、視線を交わした瞬間に見抜く。 クレオパトラも、整った美貌のオクタヴィアヌスの冷たく醒めた視線を受けたとたんに、この種の戦術の無駄を悟ったのではないか。不可能とわかっていても試みるのは、一流と自負する勝負師のやることではない。」下巻p.227
・「もはや誰一人、「オクタヴィアヌス、WHO?」とは言わなかった。あの当時の「少年(プエル)」は、十四年をかけて、カエサルが彼に与えた後継者の地位を確実にしたのである。アントニウスでなく、他の誰でもなく、いまだ未知数の十八歳を後継者に選んだ、カエサルの炯眼の勝利でもあった。」下巻p.232
・「紀元前46年、北アフリカのタプソスでポンペイウス派を破って帰国した当時のカエサルが、以後の施策の基本方針としたのは、「クレメンティア」(寛容)である。前30年、アントニウスを破って帰国し、あの当時のカエサル同様にローマ世界の最高権力者となったオクタヴィアヌスは、以後の施策の基本方針に、「パクス」(平和)をかかげる。ローマによる平和、即ち「パスク・ロマーナ」のはじまりであった。」下巻p.232
・「もしも、第IVと第Vの二巻が他の既刊の巻に比べてより生き生きと叙述されているとすれば、それは叙述した私の功績ではない。生き生きとした情報を与えてくれた、キケロとカエサルのおかげなのである。彼ら二人が生きた紀元前一世紀のローマほどに豊富で正確な資料を遺してくれた時代は、世界史全体を見まわしても他に類を見ないのではないかとさえ思う。」下巻p.i
・「生前の福田恆存から、私は次のことを教えられた。言語を使って成される表現は、意味を伝えるだけではなく音声も伝えるものであり、言い換えれば、意味は精神を、語呂もふくめた音声は肉体生理を伝えることである、と。福田先生は、翻訳もこの概念で成されねばならない、と言われた。」下巻p.ii
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