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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】プチ哲学

2007年07月09日 22時06分15秒 | 読書記録2007
プチ哲学, (文と絵)佐藤雅彦, 中公文庫 さ-48-1, 2004年
・かわいらしい絵柄の哲学的内容を含んだ絵本。『哲学の本』として手にとってしまうと物足りなさを感じる内容ですが、一般向けに哲学に関した内容を砕いて本にするなら、これくらいやらないとなかなか手にとってもらえないだろうと思います。表紙1ページ+絵2or4ページ+解説文1ページで構成される小編が31編収録。普通に読んでしまうと、味わう間もなくアッという間に読み終えてしまうので、一日一編ずつ約一ヶ月かけて読みました。
・「でもここで開発者のひとりが「はがれやすいということは、はがしやすいという事ではないか……」と考え、あの便利なポスト・イットが生まれたそうです。(中略)このような偶然性の発見を、難しい言葉ですが「セレンディピティー」と言います。」p.72
・「風鈴という道具を使えば、見えないそよ風が美しい音に変換され、部屋の中にいる人でも、風の存在がわかるようになるのです。  「見ること」が、人間の最も得意な行為だとすると、「見えないものを見えるように(知覚できるように)すること」は、最も人間的な行為と言えるのかもしれません。」p.100
・「私たちはものごとの意味を、常に考えて行動しているわけではないのですが、このように、無意識のうちにいつも「ものごとの意味」をさがしています。別の言い方をすれば、 "私たちは意味からなかなか離れられない" のです。」p.104
・「いい道具というのは、むこうからこう使ってくださいという働きかけをしています。  これを難しい言葉ですが、「アフォーダンス」と言います。(中略)このアフォーダンスという考え方は、人間と物との関係をとらえるうえで、今とても大切なキーワードとなっています。」p.126
・「僕が皆さんにこのプチ哲学で伝えたかったことは大きく言えばひとつです。それは、『考えることって、楽しいかも』ということなのです。」p.140
・「きっと、この広告の制作者の頭の中で、(中略)アイデアがパン! と閃いたのではないだろうか。この広告を見た途端、僕はその瞬間を想起してしまった。他人の頭で起こったかもしれないことを、勝手に追体験したのだ。  「考える」ということを、自分は何のためにやっているかというと、このパン! という瞬間に生まれる「!」の「喜び」のためにやっている、といっても過言ではない。」p.154
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【本】笑う月

2007年07月05日 20時28分56秒 | 読書記録2007
笑う月, 安部公房, 新潮文庫 草121=18(3230), 1984年
・ひさびさに安部公房の作品を読みました。独特の幻想的な雰囲気の公房ワールド。ヤバイ、これは面白すぎる。『お気に入り作家リスト』に追加。 "夢" を題材にした短編集。17編収録。
・写真は安部真知(夫人)による表紙絵。本文中にも挿画6点収録。
・「ぼくが経験した限りでは、どんなたのしい夢でも、たのしい現実には遠く及ばない反面、悪夢のほうは、むしろ現実の不安や恐怖を上まわる場合が多いような気がする。」p.17
・「夜空を見上げているとき、視野の周辺にちらと星影がうつり、視線をあらためて向けなおすと、かえって見えなくなってしまう事がある。眼をそらしてやると、再び視界に戻ってくる。網膜の中心部と、周辺部の、機能の分業からくる現象だ。夢と現実の関係にも、どこか似たところがあるように思う。」p.19
・「いくらエンジンを全開にしていても、地図に出ているコースを走っている間は、まだ駄目なのである。いつかコースを外れ、盲目にちかい周辺飛行を経過してからでないと、納得のいく目的地(作品)には辿り着けないのだ。  夢は意識されない補助エンジンなのかもしれない。すくなくも意識下で書きつづっている創作ノートなのだろう。」p.21 "すくなくとも"の誤植?
・「白昼の意識は、しばしば夢の論理以上に、独断と偏見にみちている。」p.30
・「自殺志願の浮浪者が首をくくるのを、仲間が親切に手伝ってやる。自殺者が発見されたとき、その仲間は近くの石に腰をおろして泣いていた。警察の尋問に対して、男はただ「待っていた」とだけ答えた。「何を待っていたのか」と聞かれても、それには答えることが出来なかった。」p.35
・「けっきょく創作ノートは覚めてみる夢なのだろう。必要なのは、メモをしようという心構えらしい。」p.37
・「いま北海道では、あのとおり、いたるところでアムダ狩りが行なわれている。アムダというのは、戦時中、軍が音頭をとってその飼育を農家に半ば強制してまわった、人間そっくりの動物で、皮はなめして靴や鞄に、肉は軍隊用の罐詰に、骨は歯ブラシの柄から、ボタン、カルシウム剤の原料、等々と、かなり大々的な期待がかけられていたらしい。さすがに、期待されただけのことはあって、そのアムダは信じがたいほどの繁殖力をもっていた。(中略)恐ろしい食糧難の時代だった。アムダの肉が歓迎されたのは言うまでもない。」p.43
・「ぼくはこの新薬に、「ワラゲン」と銘名することにした。  ただ、実際に使用したのはそのとき一回だけで、その後は一度も使っていない。作用があまりにも強烈すぎたことと、ワラジ虫が生理的に嫌だったせいだ。」p.67
・「使わないのに買ってくれる消費者のおかげで、日本のカメラは世界制服をなしとげたようなものである。」p.72
・「マニヤがカメラに求めているのは、単なる実用主義的な現実ではなく、むしろ空想なのである。シャッターを押すことで、世界の部分を手に入れる手形にサインをしたつもりになれる。その瞬間の自己欺瞞がたのしいのだ。」p.74
・「とにかくぼくは、ゴミにひかれる。廃物や廃人との出会いが、何よりもぼくを触発する。それは人間の恥部に似ている。虚しく、壮麗で、ただ存在することによってあらゆる意味を圧倒してしまう。当然のことだ。「有用性」が「廃物」に負けることはありえても、「廃物」が「有用性」に屈服したりすることはまず不可能だろう。」p.84
・「夢の引金が、光、音、皮膚刺激、などの生理感覚によって引かれ、飛出した弾丸が脳細胞の何処かに命中すると、あとは玉突きのようにオートマティックな運動の連鎖がイメージを形成する、という道筋についてはぼくもまったく同意見だ。」p.99
・「夢を見たという表現は、もはや適切でなく、夢のなかで言葉が編まれた、とでも言い替えるべきだろう。」p.100
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【本】「頭がいい人」は脳をどう鍛えたか

2007年07月02日 22時06分31秒 | 読書記録2007
「頭がいい人」は脳をどう鍛えたか, (編著)保坂隆, 中公新書ラクレ 167, 2005年
・「だまされた」 読み始めて数ページで気がついた。『編著』となっているが、共著者の名前はどこ? 探すも見つからず、替わりに巻末にはぎっしりと参考文献が[写真]。ま、まさかこれらの本の著者を共著者と見なしているということ!? そんなのアリなのー!?? 単に『著』としてしまうと、パクリがばれたときにやばいので、『編著』としたと、そういうことなのでしょうか。しかも論文や専門書の類は一冊もなく、全て一般向けの書籍。これが『サイエンスライター』の仕事ならまだわからなくもないのですが、『大学教授』の肩書きを持つお方の仕事とは思えません。ところどころ、ヘェーと思う記述にも出会うのですが、そもそも書名と内容がさっぱり噛み合っていないし、オリジナルの主張も無いぶんいわゆる『トンデモ本』よりも性質が悪いと思います。こんな本を出版していては著者も出版社も信用を落とすだけでなんのメリットも無いのではないでしょうか。理解に苦しむ。
・なんじゃかんじゃ言っても、古本屋で手にとってしまった私の負け。
・「脳はからだの筋肉と同じように、鍛えれば鍛えただけパワフルになり、元気に活動する臓器なのだ。」p.3
・「脳は約140億個の細胞で構成されている。しかし、日ごろ、この脳細胞がもつパワーの数分の一、おそらくは10分の1以下しか発揮されていない。」p.4
・「どうやら脳を鍛え、みがきあげることは、しあわせな生き方を探ることとも重なってくるのではないだろうか。」p.5
・「脳がよく働くかどうかは、もっぱら、このネットワークの形成にかかっている。人の脳の成長とは、いうならば、このネットワークづくりを広げ、ネットワークの働きをスピードアップすることと考えてもいい。  脳細胞のネットワークづくりを促進すること。これが脳を鍛え、みがきあげることの本質なのである。」p.19
・「脳は心地のいいこと、楽しいこと、愉快なこと、ハッピーなことによく反応し、いっそう鍛えられ、活気づくことがはっきりとわかってきたのである。」p.27
・「人にとって、「最大の快楽」は、自分が望んだことが実現されるとか、あるいは自分の力で目標を達成することではないだろうか。つまり、快楽の原点はモチベーションをもつことなのだ。 "やる気" をもつことともいえるだろう。」p.28
・「脳の活力を取り戻すには、精神的な疲労をとるか、逆に身体的な疲労を加えるかの、どちらか、あるいは両方を実践する必要がある。」p.32
・「実際、「あの人は頭がよい」といわれる人を観察すると、よい生活習慣を身につけ、ごく自然体で、脳によい生活を送っている人が多いのに気づくはずだ。」p.33
・「まず、心身が健康であること。たとえば、栄養バランスのよい食生活を送っていること。十分な睡眠をとっていること。そして、なによりも、自分がこうしたいと思うことを、無理のない方法でやっていること。人間関係のストレスが少なく、イライラせず、気持ちに余裕がある。心が自由で、仕事を含めた毎日を楽しむように暮らす――これらが、脳を健やかに、伸びやかに働かせる基本的条件なのである。」p.34 いいなぁ~ こんな毎日~
・「この四つの脳葉(前頭葉・頭頂葉・後頭葉・側頭葉)のうち、運動野、体性感覚野、視覚野、聴覚野をのぞいた部分は「大脳連合野」と呼ばれている。」p.37
・「まず、音読することはいくつもの感覚を刺激する行動ということだ。目で見て、声に出して読む。このように、視覚、聴覚を駆使し、発声することで体も使う。ただ黙読するよりも、脳をずっとたくさん使っているのだ。」p.50
・「北海道大学の澤口俊之教授は、サルを実験対象に選び、モーツァルトの『2台のクラヴィーアのためのソナタ ニ長調K.448』を繰り返し聴かせた。すると、さるの「空間的知能」が大きく伸びたという。」p.57
・「ストレスとは、もともとは物理学用語だった。テニスボールの軟球のようにやわらかなボールを指で強く押すと、ボールがゆがむ。このゆがみをストレスというのである。  人間にもこのボールと同じような現象があらわれると考えた生理学者がいた。カナダのハンス・セリエである。  ストレスはなければないほうがいいという印象があるため、すっかり悪者扱いされているが、本来は、生体にある種の刺激が加わったことに対する反応なので、適度のストレスはあったほうがいい場合もある。セリエも「ストレスは人生のスパイスである」という言葉を残しているほどである。」p.58
・「「人は不快な記憶を忘れることによって防衛する」  と精神分析学の父・フロイトはいっている。」p.61
・「脳が集中を持続できるのは、せいぜい30分。最大でも45~50分程度といわれている。」p.63
・「ローマ時代の哲学者キケロは、「年をとっても健康を保つことは、人間の義務の一つである」と語っている。」p.68
・「ところが実際に、コンピュータゲームに熱中しているときの脳波を測定した結果、ゲーム中の脳は、認知症の人の脳にそっくりということが明らかになった。これが、日本大学の森昭雄教授によって指摘された、いわゆる "ゲーム脳の恐怖" である。」p.85
・「だが、外国語を身につけたいなら、同時に複数の言葉を学ぶほうがいいそうだ。実際に一度に七ヶ国語を学ぶというユニークな勉強法を提唱し、成果をあげている語学教室もある。」p.94 こんなところでヒッポ……
・「子役として一世を風靡し、現在は歌手として活躍している斉藤こず恵さんは、一時期、80キロ以上の肥満体だった。現在は40キロ台。まさに体重を半減することに成功した。  その秘訣を斉藤さんはこう語っている。  「食べてはいけないダイエットは長つづきしません。食べるものを変えればいいんです」」p.108
・「好きだと思った人を誘い出す最初の言葉はたいてい、「今度、お食事でもいかがですか?」ではないだろうか。会社や学校のグループでも、より親しくなるためには宴会や飲み会など一緒に飲んだり、食べたりする機会を設けている。」p.110
・「この膨大なキャパシティをフルに活用すれば、おそらく百科事典五億セット分の記憶を搭載できる機能があるともいわれている。」p.113
・「健康的な飲み方のキーワードは「二」。すなわち、ビールなら中瓶二本、ワインならグラス二杯。日本酒なら二合。さらに週二回の休肝日を設ける。これは、医師が定めた、脳にダメージを与えない酒の飲み方のルールである。」p.131
・「昼寝などの浅い眠りのときに、ひらめきが生れやすい理由は、睡眠の質と脳の働きの関係に潜んでいる。」p.139
・「先に述べたナポレオンも、ベッドで眠ったのは三時間程度だが、実際はもっと睡眠をとっていたといわれる。馬上とか会議の席など、ちょっとした時間に仮眠を取っていたのだ。」p.144
・「左脳のほうが発達していることを証明するように、どの民族でも右利きと左利きの比率はだいたい九対一ぐらいの割合になっている。」p.158
・「日本語には、風の音や雨の音など、自然の音を形容する語彙が多彩にあるという特徴があるが、この特徴も、意味のない自然の音を左脳で聞いて、特定の意味づけをするためではないかといわれている。」p.159
・「アレキサンダー大王、ジュリアス・シーザー、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ナポレオン、ベートーベン、エジソン、フロイト、チャーチル、アインシュタイン、ピカソ、チャップリン、ポール・マッカートニー、ビル・ゲイツ……。  彼らは、みな左利きとして知られている。」p.160 そして、ぴかりんも左利き。
・「IQは、20世紀はじめ、フランスの心理学者A.ビネーが考案し、その後、アメリカで手が加えられたものだ。」p.193
・「多変数理論の世界的権威だった数学者の岡潔氏は、「人間の人間たる中心になるのは、科学でもない、理論でもない。情熱だ」と語っている。」p.197
・「心理学者のマーティン・セリグマンは、「過去20年間の心理学の最も重要な発見は、人が考え方を自由に選択できるのに気づいたことだ」といっている。」p.204
・「こうして、人に話を聞いてもらったりして、心のなかに染みついた悩みを積極的に表出することを、専門的にはカタルシスという。」p.206
・「しかし、精神活動が不活発になると、表情から笑いが消えてしまう。よく笑うか、そうでないかは、精神的に健康かどうかをチェックする、一つの目安になっているくらいである。」p.208
・「自己否定は、脳にとっていちばんよくない。」p.217
・「つまり、脳の最高のみがき方は、あなたが幸福に生きる、ということにつきるだろう。」p.220
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【本】幼児と音楽 なにが大切なのか

2007年06月28日 21時10分53秒 | 読書記録2007
幼児と音楽 なにが大切なのか, 園部三郎, 中公新書215, 1970年
・理論よりも著者の経験、そして家庭よりも幼稚園や学校での音楽教育を中心に据えた内容。音楽教育についての主張のポイントとしては、『子供の行動を遮らない』ことと『バランスよく音楽に触れられるような環境作り』でしょうか。
・小学生の頃、縦笛でテレビのCMソングやアニメソングを吹くのが流行し、ある日それが運悪く教室前を通りかかった先生の耳に入り、「こら! いま、ふざけた曲を吹いてたのは誰だ!!」と一喝。犯人が名乗り出たところ、「よし。何を吹いてたのか、今ここで一曲吹いてみろ」との事で、縦笛の名手が一曲披露。「さっぽろ さっぽろ さっぽろいちばん みそらぁ~ぁめん♪♪」 教室内は先生も生徒もバカウケ。続けて演奏すること数曲。ちょっとしたリサイタルの後、無罪放免となりました。本書を読み、記憶に蘇ったエピソードです。
・「この本は学問的な研究の本ではない。幼児を教える教師や、子どもを育てている家庭の親たちが、日常生活のなかで、子供と音楽の関係について、いろいろな希望や願い、あるいはまたさまざまな疑問を解こうとしてぶつかる困難等々について、いっしょに考えてみようとする本である。」p.i
・「最近の子供たちは、学校の音楽の時間に教わる歌や音楽よりも、学校以外の社会的環境、とくにマスコミを通じて聞く音楽に、量からいっても質からいっても、ひじょうに大きな、そしてまた強い刺激を受けてきている。すでに明治時代から「学校唱歌校門を出でず」という名句があるくらいで、学校で教わる音楽は、子供たちにとってはけっしておもしろいものではなく、学校の外でおぼえるおとなの流行歌(中略)のほうが、ずっとおもしろかったのである。」p.8
・「わたしの考えでは、教育とは、おとなが子供に一方的に強制することではなくて、子供が、何よりもまず自分自身でより多くのことを知ろうとし、またより深い理解をもとうとするからこそ、おもしろいからこそ、それをわがものにしようとする意欲がもえあがる。」p.9
・「結論をいそいでいうならば、根性というものは、親や教師のとっておきの占有物ではなくて、なによりもまず子供自身のなかから生まれ出なければならないものなのである。そして、どんなにむずかしくとも、そのような心理的条件を子供に持たせる教育こそが、真の教育ではないであろうか。」p.11
・「おとなの流行歌のなかには、それがどんなに流行しても、幼児のあいだでは、少しもうたわれないものがある。それは、内容の如何にかかわらず、いわゆる情操的な要素が強いもので、一般に子供がうけつけないのである。」p.16
・「子供がわけのわからぬ節まわしでうたい、ただリズムだけで発声し発音し運動する、もっとも初期の情動活動をよく見守り、大切にして、それを音楽に発展させ結びつける音楽教育を考えることこそが、これからの子供の音楽を考える根本であり、そして、それは教育者にとっても父母にとっても理解されなくてはならぬ、根本的なことがらなのであろうと、わたしは考えている。」p.20
・「この事実からみると、人間(この場合は幼児)が生活のなかで、自分自身が体験したことを、口や唇や舌など、自分自身の体の一部を直接使って再現することのできるのは、聴覚を通しての音だけである。」p.23
・「問題は、この「君が代」が、法的には国歌として制定されていなかったにもかかわらず、今日もなお国歌だと思いこんでいる人がたくさんあるほど、事実上の国歌扱いを受けることになってしまったことである。」p.44
・「以上のようなことがらは、おとなや教師はつねに子供の発達段階に応じた方法を見つけ出さなくては、正しい教育方法が発見できないことを物語っていると思う。」p.70
・「要は、美しくすぐれた詩が、すぐれた音楽にうつされ、それをりっぱに音楽的に教えること自体が、もっとも大切な目標なのである。」p.73
・「しかし本来、音楽は、わかるとかわからないというものでなくて、それぞれの人々に存在価値があるものだと、わたしは思っている。」p.76
・「人間の耳に感じとれる音の大きさの単位は、ホン(Phon)と呼ばれるが、普通の人が聞くことのできるもっとも小さい音を最小可聴値0ホンとする。すると、人間が聞くことのできる最大の音は、約130ホンとなる。そして、一般に大きすぎる音は約80ホン以上の音を指していうようである。」p.97
・「音楽の訓練は、まず第一に子供がその先生に親しみ、そのレッスンを喜び、そして音楽することをも楽しみにするということが、基本条件でなければならない。」p.103
・「一般的にいうなら、三、四歳から本格的なプロ修業的な個人レッスンを受けるよりも、むしろ五、六歳までの幼稚園などの段階では、集団生活のなかで、情動活動と結びついた音楽教育を受けることのほうが大切である、とわたしは思う。」p.104
・「おもしろいことに、わたしの知るかぎりでは、ほとんどすべての母親が、「もしできるなら、子供をプロの音楽家にしたい」と内心で考えている。しかし、教師のほうから、「将来専門家にするつもりなのですか」ときかれると、「いいえ、そんな大それたことは」といって、ほとんどすべてのお母さんは否定する。」p.108
・「ただ、すぐれた音楽家になる人は、本来どの教科でも、やれば普通以上の能力があるはずの人だったということだけは事実であろう。」p.110
・「そこで、音楽教育界には、「音楽教育のはじまりは鑑賞である」ということばが金科玉条となっていて、幼い子供たちが自分でうたったり弾いたりすることよりも、鑑賞(聞くこと)を必要以上に重要視する傾向がある。」p.115
・「音楽というものが持つ「意味」は、ひじょうに抽象的なもので、具体的なものは少ない。」p.125
・「保育園や幼稚園、あるいは一般学校教育のなかでは、子供を音楽好きに育てるということが第一の条件であって、個人授業の場合のように、楽器を弾く技術や歌をうたう技術などを特別に綿密に教えることが主要目的ではない。」p.126
・「子供の教育は、なにごとも遊びと結びついた点から出発し、そこで自然で素朴な体験をして、それから抽象的な「音」の世界にはいっていかなくてはならない。」p.180
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【本】そして誰もいなくなった

2007年06月23日 14時59分11秒 | 読書記録2007
そして誰もいなくなった, アガサ・クリスティー (訳)清水俊二, ハヤカワ・ミステリ文庫 HM1-1, 1976年
(TEN LITTLE NIGGERS by Agatha Christie, 1939)

・ミステリ小説の古典。「こんな昔のミステリってどうなんだろ…」と少々懐疑の気持を持ちつつ読んだわけですが、ものの見事にしてやられました。多少、うまく行き過ぎの感はないでもないけれど、それでも参りました。ゴメンナサイ。
・謎の人物からインディアン島の邸宅に招待されたお互い見ず知らずの十名。古い子守歌『十人のインディアン』になぞらえた、彼らを襲う惨劇。犯人は一体誰なのか!? 謎が謎を呼ぶ。
・「島のいいところは、一度そこへ来てしまえば――もう、その先きへは行かれないことだ……すべての終わりへ来てしまったのだ。」p.83
・「死は――自分以外のひとびとを訪れるものなのだ。」p.85
・「お互いに感情をとがらせても、よい結果は生まれない。事実こそ、われわれが問題にしなければならないものだ。」p.141

?どっとはらい 青森県等の東北地方で、物語の最後につける慣用句 「おしまい」「めでたしめでたし」などの意味
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【本】ローマ人の物語 8・9・10 ユリウス・カエサル ルビコン以前

2007年06月20日 22時13分22秒 | 読書記録2007
ローマ人の物語 8・9・10 ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)(中)(下), 塩野七生, 新潮文庫 し-12-58・59・60(7503・7504・7505), 2004年
・ローマ人の物語、第IV集。紀元前100年から51年まで、主人公のカエサルが生れるところから、50歳になりローマへの反乱のために兵を率いてルビコン川を渡る場面まで。
・当時は未開の地であった、今でいうところのフランスやドイツを縦横に駆け回って各地のガリア人やゲルマン人との戦いにあけくれ、果ては海峡をこえてイギリスまでも足を伸ばして各地を平定し、ローマの覇権下に収めてしまうという凄まじい行動力。更にこれが2000年以上前の話だというのだから、その力にはただただ呆れるばかり。一個人にして「ヨーロッパを創作した」の一文は衝撃的です。いったい何がカエサルをそこまで駆り立てたのか!? 一凡人としては、その発想のデカさにとてもついていけません。ここに載せた図でいえば、一般人は単なる "点" にすぎないのでしょうね。
・「ユリウス・カエサル  「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」」上巻p.5
・「カエサルは姉と妹にはさまれた一人息子であったことになる。  それゆえか、母の愛情を満身に浴びて育つ。生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは、絶望的な状況になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。(中略)幼時に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。そして、過去に捕われずに未来に眼を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。」上巻p.40
・「家庭教師についてであれ私塾に通ってであれ、これらの教養学課の勉学は午前中に限られていた。午後は、体育の時間だ。」上巻p.47
・「「リキニウス法」が、長くローマを悩ませてきた貴族と平民の抗争に、この二階級いずれにも均等に国家の要職に就く権利を認めたことで終止符を打ったのに対し、「ユリウス市民権法」は、北はルビコン川から南はメッシーナ海峡に至るイタリア半島の、自由民すべてにローマ市民権取得を認めたことで。「ローマ連合」の盟主と同盟者の立場を平等にした点に意味があった。」上巻p.52
・「また、カエサルの文章も演説も常に、単刀直入に問題点を突くのが特色だ。」上巻p.95
・「いずれにしても、23歳のカエサルの弁護士開業は、見事な失敗で終わった。」上巻p.95
・「幸いにして、待つことを知り楽天的でもあったカエサルだが、 "大学" で学を深める前に海賊に出遭うとまでは、予想していなかったであろう。目的地のロードス島に向う海上で、乗っていた船が海賊船に襲われ、捕虜にされてしまったのだった。」上巻p.97
・「一説によれば、会計検査官(クワエストル)就任までにカエサルが積み重ねた借金の総額は、一千三百タレントにものぼったという。11万以上の数の兵士を、一年間まるまる傭える金額である。」上巻p.120
・「カエサルの読書量は、当時の知識人ナンバー・ワンと衆目一致していたキケロでも認めるところであった。」上巻p.120
・「カエサルは、モテるために贈物をしたのでなく、喜んでもらいたいがために贈ったのではないか。女とは、モテたいがために贈物をする男と、喜んでもらいたい一念で贈物をする男のちがいを、敏感に察するものである。」上巻p.124
・「ローマ社会では、結婚式よりも葬式のほうが重要視された。」上巻p.127
・「アレクサンダー大王やスピキオ・アフリカヌスやポンペイウスのような早熟の天才タイプでなくても、男ならばせめて、30歳になれば起ってくれないと困る。それなのにカエサルが「起つ」のは40歳になってからだから、伝記を書く者にとってはこれほど困る存在もない。」上巻p.141
・「カエサルという男は、あらゆることを一つの目的のためだけにはやらない男だった。彼においては、私益と公益でさえも、ごく自然に合一するのである。」上巻p.148
・「選挙違反は、実際にはあったらしいのである。だが、ローマ最高の弁護士といわれたキケロだ。黒を白と言いくるめることなど朝飯前だったろう。」上巻p.158
・「しかもカエサルは、女が相手でもなかなかに悪賢かった。妻を離縁して自分と結婚してくれと言う怖れのある、未婚の娘には手を出していない。彼が相手にしたのはいずれも、有夫か結婚歴のある女にかぎられていたのである。」上巻p.207
・「イタリアのある作家によれば、「女にモテただけでなく、その女たちから一度も恨みをもたれなかったという稀有な才能の持主」であったカエサル」上巻p.210
・「古今の史家や研究者たちにとっていまだに謎であるもう一つのことは、カエサルがなぜあれほども莫大な額の借金をしたのかよりも、なぜあれほども莫大な額の借金ができたのか、である。」上巻p.210
・「この男は、自分の墓にさえ関心がなかったようである。事実、彼の墓はない。」上巻p.215
・「二千年後でさえ文庫本で版を重ねるという、物書きの夢まで実現した男でもあった。」中巻p.69
・「このカエサルの文体は、次の三語で統括できるかと思う。  簡潔、明晰、洗練されたエレガンス。」中巻p.73
・「『ガリア戦記』は、前置きも導入部も何もなく、いきなり次の一句からはじめる。(中略)これで、たいていの物書きは、歴史家でも研究者でも作家でも、マイッタという気持にさせられる。なぜなら、文章を表現手段にする者にとって、前置きも導入部も書かずにいきなり本題に入るというのは、やりたいけれどやれない夢であるからだ。(中略)ということは、前置きとかイントロダクションとかは、読み手のためにある以上に、書き手のためにあるのである。」中巻p.74
・「闘わずして勝つのは、兵法の基本である。」中巻p.131
・「紀元前一世紀のイギリスは、商人も通わない遠隔の地であったのだ。自分で実地踏査するしかなかった。」中巻p.211
・「あの人は、カネに飢えていたのではない。他人のカネを、自分のカネにしてしまうつもりもなかった。ただ単に、他人のカネと自分のカネを区別しなかっただけなのだ。あの人の振舞いは、誰もがあの人を支援するために生れてきたのだという前提から出発していた。」中巻p.235
・「それに、兵の数も、多ければ多いほど良いとはかぎらない。カエサルは、敵より劣勢な兵力で闘うことを、不利とは考えていなかった。まずもって兵の数が少なければ、兵糧確保の問題も少なくなる。」下巻p.19
・「ためにカエサルの兵士たちには、自分の属す軍団への帰属心が非常に強く、また誇りも高かった。事実、カエサル配下の第何軍団の兵士と名乗るだけで、他国の王にも部族長に対しても、立派に "名刺" として通用したのである。」下巻p.21
・「ユリウス・カエサルは、ヨーロッパを創作しようと考えたのである。そして、創作した。」下巻p.37
・「考案者が死ねばその人の考案したことまで忘れ去れてしまうのは、オリエント(東方)の欠陥である。オチデント(西方)では、人は死んでもその人の成したことは生きつづける場合が多いのだが。」下巻p.69
・「ガリア戦役七年目にしてはじめて、カエサルは盤の向こうに、自分と向い合う一人の敵(ヴェルチンジェトリックス)をもつことになったのである。」下巻p.97
・「敵にするならば、指揮系統が統一されているという点で、蛮族よりも文明国のほうが闘いやすいのである。」下巻p.98
・「ヨーロッパの町の多くは、ローマ軍の基地を起源としている。現在の町の名が、ラテン語を各国式に発音したにすぎない現状がそれを示している。」下巻p.120
・「私には、戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。舞台に上がる前に七割がたはすでに決まっており、残りの三割は、舞台に上がって後の出来具合で定まるという点において。舞台に上がる前に十割決まっていないと安心できないのは、並みの指揮者でしかないと思う。」下巻p.132
・「プルタルコスの記述を信ずるとすれば、カエサルによる八年間のガリア戦役で、百万人が殺され百万人が奴隷にされたという。」下巻p.163
・「しかし、現代イギリスの研究者の一人は、書いている。  「アレシアの攻防戦が、ブリタニアもふくめた、ピレネー山脈からライン河に至る地方の以後の歴史を決定した」と。」下巻p.170
・「おそらく、カエサルが全幅の信頼を寄せていた配下の将は、このラビエヌス一人であったろう。」下巻p.227
・「副将の離反を知ったカエサルは、ラビエヌスが置いていった荷のすべてを、彼あてに送るよう命じた。これが、13年来の同志の離反に際し、カエサルがやった唯一のことだった。」下巻p.235

?へいばこうそう【兵馬倥偬】 戦争のためにいそがしいこと。
?けんどちょうらい【捲土重来】 (「ちょう」は「重」の漢音。「捲土」は土煙をまき上げること。勢いのものすごいさま)一度失敗した者が、再び勢力を盛り返して来ること。一度負けた者が勢力を盛り返して攻め寄せること。けんどじゅうらい。

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【本】知性はどこに生まれるか ダーウィンとアフォーダンス

2007年06月16日 22時28分38秒 | 読書記録2007
知性はどこに生まれるか ダーウィンとアフォーダンス, 佐々木正人, 講談社現代新書JEUNESSE 1335, 1996年
・タイトルを一読しただけでは内容がわかりずらいかと思いますが、人間を含む生物の新しい捉え方・考え方である『アフォーダンス』について、進化論でお馴染みのダーウィンの遺した生物の観察記録を例にとって解説したものです。と、こんな説明でもわかりずらいし、読んでみてもやっぱりわかりずらい。そんな少々特殊な概念について。
・分野は違えど、前出『考える脳 考えるコンピューター』と共通していると感じられる箇所が随所にあり。
・「生きるもののするあらゆることは、それだけ独立してあるわけではない。行為があるところには、かならず行為を取り囲むことがある。まわりがあって生きもののふるまいがある。」p.24
・「だからこの場合ミミズが一年間動き回ってかきまぜた土の量は1000トン!にもおよぶことになる。ミミズはどこでもダーウィンが予想した以上にすごい力で「大地をかきまぜている」。」p.35
・「ダーウィンは動物の行為を機械の動きにたとえることが大きらいだった。彼は自分の眼で、ミミズの動きが、いつも同じようにしか動かない機械の動きとはことなることを確かめることができた。」p.47
・「反射、概念にしたがう行為、試行錯誤。19世紀においてもすでに、行為についてはこれら三種の説明が代表的であった。その事情は残念ながら20世紀末の現在においてもほとんど変わっていない。だいたいこの三つの説明を使い分け、組み合わせてきたのが、行為の理論の歴史である。」p.53
・「ぼくら人間を含めてあらゆる動物がこの世界でしていることは、原理的にミミズの「穴ふさぎ」と同じである。人間もミミズもカブトムシも、いましている行為が利用できることをまわりに探し続けている。そういう存在なのだ。」p.59
・「ミミズが穴ふさぎに使ったこと、カブトムシが起き上がりに使ったこと、ぼくらがかくれんぼに使ったことは、こういうものですというふうに「絵」には描けない。それは発見されるまでどのようなことであるか予想できない。「反射」「試行錯誤」「概念」という既成の枠組みでは、行為だけにある創造性が説明できない。」p.60
・「その名前をジェームズ・ギブソン(1904-1979)という。彼はダーウィンが見ていたこと、つまり環境にあって行為が発見している意味にはじめて独特の名を与えた。  アフォーダンスである。  英語の動詞アフォード(afford)は「与える、提供する」などを意味する。ギブソンの造語アフォーダンス(affordance)は、「環境が動物に提供するもの、用意したり備えたりするもの」であり、それはぼくらを取り囲んでいるところに潜んでいる意味である。」p.61
・「生態心理学(エコロジカル・サイコロジー)の中心にあるアイディアは、エコロジカル・リアリズム(生態実在論)とよばれる。それは生きもののまわりに潜んでいる生きものにとっての意味をまず第一に考え、それを中心にして動物の知覚や行為について考えてみようという主張である。」p.63
・「アフォーダンスはフィジカルであり、バイオロジカルでもあり、サイコロジカルなことである。物であり、生きものに関係しており、そしてぼくらが「こころ」とよんでいる環境と行為との関わりのプロセスの中心にあることである。生態心理学をはじめることは、だから、物理学と生物学と心理学との間に今ある高い垣根を越えようとすることでもある。」p.64
・「脳とはおそらく、環境の「絵のようなイメージ」を浮かべるところではなくて、環境と持続して接触する全身のシステムの一部なのである。脳にあるのは世界の「地図」ではなくて、世界との関係を調整する働きの一部なのである。」p.116
・「生きている動くシステムはこのように環境によって予期的に制御されている。」p.119
・「結果から行為を説明することは、人類の歴史を「未開から文明への進歩である」と考えたり、動物のしていることやその形態に起こる変異を「ある目的に近づくためである」と考えたりすることに示されるように、変化の起こっているところに、そこにあること以外のもの、「意図」や「目的」や「方向」のようなことをもちこむことである。行為についての多くの説明は現在でもこの誤りを犯している。」p.142
・「おそらく20世紀の心理学は、19世紀にダーウィンが執拗な観察という実践で示した、発達ということをどのように見るべきかについてのメッセージをとらえそこねていた。だから見ることよりも、理論にもとづく議論が先行してしまう。  ダーウィンのメッセージはシンプルである。まず、あらゆる行為は、ギゼリンがブルート・ファクツとよんだこと、テーレンがイントリンジック・ダイナミクスとよんだことからはじまるということ。そしてブルート・ファクツはまわりにあることに出会い、多様なことが変化としてあらわれる。ぼくらが行為に観察できることは「はじまり」と「まわり」と「はじまりからの変化」しかない、ということである。」p.154
・「実際に生きものに見ることができるのは「はじまり」が「まわり」に出会って「変化」するということだけである。細胞からぼくらのつくる文明まで、発達には、はじまりと、まわりと、変化ということ以上のことも、それ以下のこともない。」p.155
・「変化のともなう由来から分離されないこととして、どこかに事前にあることではなく、あらわれてくることとして意図を再定義すればよい。その時に意図は誰か(神や脳)のものではなくて、あらわれてくるそのままのことを指す言葉になる。ありもしない変化の原因ではなく、変化のすごさそのものを指す言葉になれる。  ダーウィンがしようとしたことはこのこと、つまり変化が起こるシステムと意図とを分離しないことだった。」p.157
・「つまり行為をするということは、いつもどこかの「曲がり角」に差しかかり、角の向こうにあることを見る、というようなことなのである。」p.186
・「それにしてもアフォーダンスはわかりにくいし、わかってもらいにくい。」p.195
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【本】科学者と世界平和

2007年06月14日 22時10分44秒 | 読書記録2007
科学者と世界平和, (著)アルバート・アインシュタイン他 (訳)井上健, 中公文庫 B-1-25, 2002年
(OUT OF MY LATER YEARS by Albert Einstein, 1950)

・『科学者と世界平和』と『物理学と実在』の二編収録。どちらも難しく、正直言ってチンプンカンプン。
・「科学というものはすべて、日常の思考を洗練した以上のものではありません。」p.46
・「科学の目的は、第一に多様性を示す全体としての感官体験を可能なかぎり完全に概念を使って把握すること、およびそれらの間に連関をつけることであり、他方においては最小限度の一次概念と相互関係とを適用することによってこの目的を達成すること〔可能なかぎり、世界像における統一性、すなわちその基礎の論理的な簡単さを求めること〕にあります。」p.52
・「物理学の基礎概念を導きだしてくることができるような帰納的方法というものは存在しません。この事実を理解できなかったことが、十九世紀の大多数の研究者の根本的な哲学上の誤りをなすものでした。」p.78
・「一般相対性理論が狙いとした第一のものは、それ自身のなかで一つの閉じたものになるという要求を断念することによって、できるだけ簡単なやり方で「直接観測される事実」と結びつく可能性のありそうな一つの暫定的な考え方なのであります。」p.83
・「物理学は、進化の途上にある一つの理論的な思考の体系になっているものであり、その基礎はなんらかの帰納的方法を使って、われわれがそれに浸って生活している直接経験を蒸留していけば得られる、というものではありません。」p.108
・以下、解説(秋山仁)より「第一部の「科学者と世界平和」では、世界政府(世界を一つにした地球規模の政府)の必要性を提唱したアインシュタインの「国連総会への公開状」と、それにたいするソビエト連邦(ソ連、現在のロシア)の四人の著名な科学者の反論が収録されている。」p.127
・「第二部の「物理学と実在」では、二十世紀に入って著しい発展を遂げた量子力学にたいして、アインシュタイン独自の批判的な見解を披瀝している。」p.129
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【本】頭を鍛えるディベート入門 発想と表現の技法

2007年06月11日 22時07分20秒 | 読書記録2007
頭を鍛えるディベート入門 発想と表現の技法, 松本茂, 講談社ブルーバックス B-1112, 1996年
・著者の経歴を見ると、学生の頃から各種ディベート大会で優勝したり日本代表になったり、その後アメリカに渡りディベートを教え、日本の大学に帰るとディベート協会の理事などと、まさにディベートをするために生れてきたような人物の手による入門書。新書の分量の制約から内容はほんのさわり部分のみ。大雑把にディベートとはどんなものかを知るには格好の書。
・ディベートといえば、昔大学の授業にて「原子力発電は是か非か」という題について、それらしきものをやらされた記憶があります。なぜか聴衆には北電の社員も混じっていて、私の拙い発表にもかかわらず熱心にカリカリとメモをとっていたのが記憶に残っています。『ディベート』と聞くと、私の場合『面白さ』よりも『大変さ』のイメージの方が先にきます。その点を考えると、『ディベート競技で勝つ方法』よりは『ディベートの考えを取り入れた建設的日常会話の方法』といった内容の方がお気楽で、興味が持てそうです。
・カバーに描かれたなんとも不気味なキャラクター[写真]。すごーく気になり作者をチェックすると、『土橋とし子』の名が。さらにWikipediaを手繰っていくと、なぜか『ちびまる子ちゃん』に行き着いた。ヘェェー。どうでもよい知識がまた一つ。
・「ディベートのことを自分の意見を押し通すための話術だとか、口先だけうまくなる学習法だとか思っているのなら、それはとんでもない誤解だ。問題を創造的に解決することこそがディベートの目的であり、その本質は論理的な発想の技法である。本書では、論点の整理法や客観的資料の使い方を通して、こうしたディベートのエッセンスを詳しく解説し、さらにディベート思考法を応用したユニークな英語学習法も紹介する。」カバー
・「いい加減に発言を聞いていると、発想が貧弱になり、脳の働きが退化してしまう。」p.13
・「ディベート(debate):ひとつの論題に対し、2チームの話し手が肯定する立場と否定する立場とに分かれ、自分たちの議論の優位性を聞き手に理解してもらうことを意図したうえで、客観的な証拠資料に基づいて議論をするコミュニケーション形態。」p.20
・「ディベートに不可欠な構成要素  ディベーター(肯定側および否定側)  審査員(聴衆)  論題(命題)」p.21
・「手強い相手と議論をすればするほど、かえって自分も思ってもみなかったすばらしい意見が浮かぶようになる。相手の議論や戦略を乗り越えるようなものを創出しようとする。」p.33
・「2つの相反する立場(結論)から議論しあうことにより、真実(social truth)を見いだそうとするのがディベート本来の意義である。」p.58
・「私自身、「心」「頭」「体」のバランスのとれた若者を輩出することが家庭そして学校での教育の目的だと考えている。」p.61
・「今後の大学教育のひとつの目標は「ディベートができる人材の輩出」であると考えている。」p.63
・「大学教員が「何を」教えるのかばかりに注意を向けるのではなく、「どのように」教えるかを考え始めたとき、ディベートがその有力な答えになることは明らかである。」p.64
・「自分自身でディベート的な発想を見につけるには、論題を考えながら、あるいは論題を作りながら新聞を読むとよい。」p.71
・「これは、ふだんの会議でも言えることである。話の骨格に関係ないデータについてのちょっとした間違いであっても、それを指摘してディスカッションの流れを止めたり、話しの腰を折る人が意外に多い。間違いに気がついても指摘しないのも、場合によっては議論に参加する際に重要なテクニックとなる。」p.111
・「なおかつ、たんに4技能(聞く、話す、読む、書く)だけでなく「考える」という第5の技能も磨くことができたことによって、結果として英語の力もついたようだ。」p.141
・「日本人の場合、発音、文法などは、英語が外国語である国の人たちとくらべてみてもそれほど見劣りはしない。しかし、決定的に違うのが流暢さ(fluency)である。」p.151

《チェック本》小林康夫(編)『知の技法―東京大学教養学部「基礎演習」テキスト』
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【本】猛スピードで母は

2007年06月07日 22時19分33秒 | 読書記録2007
猛スピードで母は, 長嶋有, 文春文庫 な-47-1, 2005年
・数年前、芥川賞をとったときには「室蘭の高校を出た」ということで地元の話題になりましたが、その後音沙汰無く存在を忘れかけていたところ、また先日、大江健三郎賞を受賞したということでまたちょっと話題に上りました。そんな訳で読んでみた。
・『サイドカーに犬』(文學界新人賞)、『猛スピードで母は』(芥川賞)二編収録。懐かしさを含んだ家族のドラマ。正直いって全く期待せずに読み出したのですが、これが思いのほか面白かった。独特のセンスを感じます。室蘭についての記述はモロに地元なので、これが全国の人たちに読まれていると考えるとなんだか変な感じ。「水族館の隣が団地」なんて地元じゃない人には違和感あるでしょうけど、実際ホントに隣は団地だし入場せずにトドが見れるのです。
・「いや、まったく不安を感じなかったはずはない。はじめの数日間は、冷蔵庫をあけるときだけ心細さを感じた。」p.11
・「そのころ私と弟の間では、なぜか麦チョコがはやっていた。買ってくれた大人たちは気付いていなかったが、当時売られていた麦チョコには「ムギーチョコ」と「ムーギチョコ」の二種類があった。気付いたのは弟だ。」p.17
・「洋子さんはちゃんとレジでお金を払った。」p.18
・「二人でいるときの父は無口だった。ぼんやりとしているようにみえるが、近づくとさーっと音がするような気がした。まったくの無我の境地ではなくて、何かを考えつづけているような気配がした。」p.53
・「空はいつも曇っている。慎の暮らすM市は北海道の南岸沿いの小都市だが、背後を背の低い山が囲んでいた。だから海から流れてくる雲が停滞しやすいのだといつか先生が教えてくれた。だが慎の印象では低くたれ込めるような曇天ではなく、空全体が白っぽいひんやりとした日が多いように思う。」p.85
・「団地はM市の海岸沿いの埋め立て地に立てられた五階建てでABC三棟、少しずれながら並んでいる。当てたのはC棟の四階の四号室だ。外壁は淡いクリーム色で屋根の色だけ赤青緑と色分けされている。」p.87
・「靴屋では慎はいつも母を苛々させた。  「ちょうどいい?」と問われても、きついのかぶかぶかなのか、きついのが我慢できるのかできないのか、自分のことなのに自信がもてない。」p.88
・「「『ジルベルトとかぜ』」母は抑揚を付けて朗読するのが苦手だった。「かぜくん、ねえ、かぜくん!」という主人公の台詞の部分と「もちろんかぜは、しっているんだ」という地の文章の部分はまったく同じ調子だった。しかしそのせいで母の朗読は妙な憂いを帯びた。」p.91
・「団地のすぐ近くには市営の水族館がある。(中略)二重の金網越しにだが、入場せずに毎日トドの様子を見ることができる。」p.105
・「「サクラ メス 三歳 体重推定百キロ」とある。」p.107
・「「なんで」  「なんででも」母はそういうと両手の平をあわせてみせた。母が珍しく口にした教訓めいた物言いよりも、その手を広げた動作の方が印象に残った。」p.124
・「暗い館内にコの字型に配置された水槽はほとんどに「冷水系」の看板が付けられている。どの魚も地味で垢抜けない。」p.126
・「古い観覧車は窓ガラスもないむき出しのゴンドラで、揺れるときいきいと錆びた音がするのでスリルがあった。」p.128
・以下、解説・井坂洋子『水の面を眺めるように』より「長嶋有は女の人になれる作家であり、子どもにもなれる。」p.164
・「ところで、「サイドカーに犬」は小四の女の子が(父の恋人の)洋子さんという異文化に触れる話。表題作は小学五、六年生の男の子の成長物語だが、長嶋作品をこんなふうにひと言で片づけるのはとても無謀だ。」p.164

《参考リンク》
室蘭水族館のアイドル、トドのサクラ死ぬ 室蘭民報2006年9月15日付朝刊より
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2006/200609/060915.htm
コメント (2)
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