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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】失われた景観 戦後日本が築いたもの

2007年06月04日 22時25分08秒 | 読書記録2007
失われた景観 戦後日本が築いたもの, 松原隆一郎, PHP新書 227, 2002年
・現代日本の景観について。似たような問題設定の本があったっけ、と思ったら参考文献の第1冊目として挙げられていました。『うるさい日本の私』 問題設定は似ていても、その問題へのアプローチの仕方は全く異なり、オモシロオカシク・ヤワラカクというのではなく、あくまでもアカデミックな雰囲気。景観やその他環境問題について興味があり、その勉強のために読むような、やや硬めの内容です。
・個人的には、景観の良し悪しはどうやって判断するのか、その評価法について興味があったのですが、それに関する記述は無く、飽くまでも行政や経済の立場からの考察でした。
・外を歩くときに注意して空を見上げてみると、本書で指摘されているように、こんな田舎でも想像以上にたくさんの電線が張り巡らされていることにはじめて気がつきました。慣れって恐ろしい。
・収録された事例。第一章:ロードサイド・ショップが生み出した均質な郊外景観(国道16号線)。第二章:公共事業による生活景観の破壊(神戸)。第三章:マンション建設締め出しに端を発した自治体による条例策定(神奈川県・真鶴町)。第四章:電線類地中化(東京都・阿佐ヶ谷)。
・「けれども私は、清潔で新しくはあっても秩序のないことにかけてこれほど突出している景観を持つ国は、世界に類を見ないと感じている。そもそもそうした感覚、つまり景観が荒廃しているという共通の認識がないことじたいについても、絶望的な気分にさせられてしまう。」p.10
・「ついでにいうと、私は道路に白あるいは黄で交通標識をしるすペンキについても塗り方の無神経さが気に食わない。」p.15
・「視野を電線で区切られず、そぐわぬペンキを塗られず、景色により自分の居場所が分かり、せめて旅行先では看板の洪水にみまわれず、暮らしている町では過去との連続を実感していたい――私が景観に望むのは、そうした些細なことである。」p.16
・「つまり私を批判する人々は生活を支える経済の振興を望んでいるのであり、私が日々の暮らしで手放しがたく考える景観は、経済活動によって危機にさらされているのである。」p.16
・「ある景観を醜悪と断じるには、対比すべき景観の美しさに感服した体験を有していなければならない。」p.36
・「ロードサイドビジネスの看板は、歩く人にではなく自動車で走りぬける人の目に留まるように工夫されているために、単純でけばけばしいものとなった。」p.48
・「結局のところ、我が国では、日常景観を守るような社会的政治的制度はいまだ十分には整備されていないのである。住吉川訴訟が暴き出したのは、住民の福祉向上に専心するはずの社会主義政権にしてからが住民の日常生活を維持しようとはしていないという事実であった。」p.94
・「これまで日本の景観は、都市計画家や行政など一部の人々によって論じられ、しかし現実には経済の趨勢によって形作られてきた。それに対して日本における景観の崩壊理由を経済や法の特質にまで遡って分析し、政治論や認識論を駆使して対案を提起した点で、真鶴の条例は衝撃的であった。」p.117
・「それゆえ葬式の折りに派手な色彩の服を着ておれば、顰蹙を買う。だが、葬式に列席する際の服装は慣行によって決まっているだけであり、公権力が規制しているわけではない。服装と建築物に対する規制とは、どこがどう違うのだろうか。」p.121
・「日常景観には、地域によって異なり、数値化しえない質をともなうという性格がある。」p.131
・「チャールズ皇太子というとダイアナ妃がらみの話題ばかりが連想されるが、イギリスではそれ以外に、特異なポジションから言論界に切り込み、物議を醸してきた人物という顔が知られている。」p.143
・「景観を維持し発展させるのは条例ではなく、文化や政治、経済を貫いて条例を支える精神である。」p.159
・「「架空電線」は、欧米の主要都市の中心地には存在していない。対照的に我が国では、とりわけ住宅街で電線は増える一方である。そのことを普段国内で生活しているとき我々は意識していないのだが、80年代以降の円高で急増した海外渡航者によりコントラストの明瞭な違いに突如さらされ、その存在に気づく。」p.177
・「本書は日常景観を汚して省みない日本社会がどのようなものであるのかを描くことを目的としている。そうした意図の背景となっているのが、自分の記憶を呼び起こしてくれるはずの景観が失われつつあることに対する、右記のようなごく個人的な心情である。それは個人的ではあるが、普遍的でもあると信じている。」p.223

?かんぎゅうじゅうとう【汗牛充棟】 (柳宗元「唐故給事中陸文通墓表」の「其為レ書、処則充二棟宇一、出則汗二牛馬一」から。ひっぱるには牛馬が汗をかき、積み上げては家の棟木にまで届くくらいの量の意)蔵書が非常に多いことのたとえ。
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【本】文学入門

2007年05月31日 20時10分24秒 | 読書記録2007
文学入門, 桑原武夫, 岩波新書 (青版)34(E1), 1950年
・あまりにシンプル、かつ強烈なインパクトを与え、ツッコミどころの多い書名に惹かれ思わず手にとってしまった書。内容はなんのことはない、小説(世界的名著)の読書のススメ。しかし恐ろしく密度の濃い本です。180ページ程と薄めだったので気軽に読み出したところ、読むのになかなか骨が折れました。
・最終章『アンナ・カレーニナ』読書会の模様にて、そこで交わされるあまりに高尚な会話に目が回る。こんな読書会、無理無理。
・「文学は人生に必要か、などということは問題にならない。もしこのような面白い作品が人生に必要でないとしてら、その人生とは、一たいどういう人生だろう! この傑作を読んだことのある人なら、おそらく私とともに、そういいたくなるだろう。そして文学の傑作は、『アンナ・カレーニナ』だけではないのだ。」p.2
・「人々は何のために文学を読むのか? 修養、教養、美意識の向上、趣味の向上、等々のため、と答える人もあろうが、そしてそれは偽りではなく、文学はそうした役目をはたしはするが、大多数の人々は、文学が面白いからこそ、強制もされないのに進んで読むのである。」p.6
・「なお文学は、大都会以外に生活する人々にとっては、唯一の真正の芸術品だという事情を知っておく必要がある。地方では、展覧会、演劇、舞踊、音楽会等はほとんどなく、あっても調子をおろしたものである。レコード、ラジオ、美術品の複製などはあるが、要するにもとのままではなく間接的である。文学作品のみが、地方でも都会と全く同じ形で、本ものに接しうる。」p.8
・「それは文学は面白いという点において、囲碁、将棋、茶番などと似てはいるが、文学の面白さは人生そのものに緊密に結びついているからである。」p.9
・「たとえというものは必然的に一面的であって、たとえで議論をすすめることはつねに危険である。たとえをすてよう。」p.10
・「要するに、読者は面白さを求めるが、作者は読者を面白がらせようとしてはならないのである。これは矛盾のようだが、真の文学者とは、そうした矛盾を背負わされた人間なのであり、文学者が悲劇的といわれる理由の一つもそこにある。」p.11
・「よき行動とよき人生を生み出すためには、さらに人生にインタレストをもち、感動しうる心と、つねに新しい経験を作り出す構想力とが必要である。ところが人はこの二者の重要性を忘れ、その正しい養成をややともすれば怠りがちである。しかもその二つのものなくしては、明日のよき生活の建設は決してありえないのである。」p.24
・「文学以上に人生に必要なものはないといえる。」p.26
・「ここで私は、まず、トルストイが『芸術とはなにか』(河野与一訳・岩波文庫)の中で、芸術品に不可欠の資格として要求した三つのもの――新しさ・誠実さ・明快さ――を借用することにする。」p.28
・「報告だが、真にすぐれた文学は題材の新しさのほかに、発見をもっている。つまり、その作品が現れるまでは何人にも、その作品によって示されたものの存在、むしろ価値が全く気づかれずにいたのが、一たびその作品に接した後では、いままでそれに気づかなかったことがむしろ不思議とさえ感じられる、そうした気持を読者に抱かしめるものをもっている。」p.35
・「トルストイは、万人に理解できぬような芸術作品は無価値であるといった。この大胆な提言は二十世紀美学における最も重大な問題を差出したものといえる。」p.41
・「日本は三百年の鎖国と停滞とのために、民族がいわば一家族のようになった面がある。わずか十七字で無理な省略法を行なう俳句のようなものが文学となりえたのは、その「共通なもの」の過度の存在のためであろう。」p.43
・「すべて発見者の仕事には一種の難解さがある。これを在来の文学観から明快さを欠くといって、否定することは、新しさを求める文学の本質と矛盾することとなるだろう。」p.47
・「これを要約すれば、すぐれた文学とは、われわれを感動させ、その感動を経験したあとでは、われわれが自分を何か変革されたものとして感ぜすにはおられないような文学作品だ、といってよい。」p.60
・「すぐれた文学と通俗文学との差異はどこにあるか? もちろん両者の中間にある文学もあるが、両極において、その差異を考えてみれば、一言でいって、前者が人生において一つの新しい経験を形成にしているのに対して、後者は新しい経験を形成していない、ということである。」p.63
・「文学者の偉大さとは、彼がその胸の中にいかに多くの人間を生かしうるかによって定まるといえる。日本の純文学者も自己の孤独の誠実の道をたどってはいる。ただ不幸にして彼らの胸の中には彼一人しかいないのだ。」p.64
・「すぐれた文学は生産的、変革的、現実的、といえる。」p.65
・「以上のことを山登りにたとえてみれば、すぐれた文学は初登攀であり、通俗文学はハイキングである。(日本独特の私小説は、自分の家の庭ばかり見ている人といえるだろう。)」p.67
・「不利な状況においても抵抗をこころみるもののみが、批評家の名に価する。」p.91
・「作品を売りつつ、しかも商業主義に対する抵抗を放棄しないという、この矛盾を切りぬけるもののみが真の文学者である。」p.93
・「日本のみならず、一般に東洋の文学には、社会からの逃避の傾向がつよい。中国では隠逸、日本では世捨人である。」p.98
・「要するに、詩の鑑賞は予備的教養ないし訓練を必要とする。」p.108
・「私は、まず散文から入って、次第に詩・戯曲に及ぶのが、近代文学への大道だと信じる。」p.110
・「物語は、日常生活をはなれた何か異常な出来事を物語るものであって、そこでは事件にあやつられる人物よりも、事件そのものに興味の中心がおかれる。小説は、日常の世界を描くものであり、たとえ異常な事件があっても、それは日常生活と同じ原理をもって解しうるものとして現れている。そこでは事件そのものよりも、作中人物に重点がかかり、全体は特異な個性による世界発見という形をとる。」p.111
・「日本では各人が、それぞれ「独自性」を発揮して読書の選択をしている。だから、ものを書くときでも、議論するときでも、こちらの読んでいるものはあちらが知らず、あちらの読んでいるものはこちらが知らず、共通の地盤がない。」p.116
・「日本でも、各部門ごとにこうした必読書のリストを作成することが、新制大学の教養課程においてなさるべき、第一の仕事と思われる。」p.118
・「大きな長もちのする独自性を養おうとするものは、まずその基盤として、共通なものを身につけることが、大切であろう。」p.119
・「国民の文化教養における「共通なもの」の必要はいうまでもない。そして、普遍を通過せぬ独自性というものはありえない。その意味で、読書の基準化ということは、今の日本に最も大切なことと考え、その試みの一つとして「世界近代小説五十選」をつくってみた。」p.129
・「使う材料は、トルストイの『アンナ・カレーニナ』、中村融さんの訳です。この小説は、ドストイェフスキイも、芸術として完全だ、ヨーロッパ文学中これに匹敵しうるものは何もない、とまでいっていますし、また、この間お目にかかった志賀直哉さんも、近代小説の教科書といっていい、ともらされておりますし、これを選んだことは、お認め願えるかと思います。」p.132
・「リアリズムというのは、ものを目に見えるように描写するというより、むしろ、ものを見たかのように意識させる方法といえましょう。」p.134
・「はじめから理屈ばかりを考えるのなら、小説を読む楽しみはどこにもない。小説はまずすなおに、つぎつぎと現われてくる場面を一々感覚と理知とで、つまり生きた私たちの身体全体でうけとめる、そういうものです。」p.140
・「偉大な作品は、それを読んだあとではどんな偉い批評家の説をよんでも、きっとそれに満足させないだけのものをもっているのです。」p.171

世界近代小説五十選
イタリー
1 ボッカチオ『デカメロン』
スペイン
2 セルバンテス『ドン・キホーテ』
イギリス
3 デフォオ『ロビンソン漂流記』★
4 スウィフト『ガリヴァー旅行記』★
5 フィールディング『トム・ジョウンズ』
6 ジェーン・オースティン『高慢と偏見』
7 スコット『アイヴァンホー』
8 エミリ・ブロンデ『嵐が丘』★
9 ディケンズ『デイヴィド・コパフィールド』
10 スティーブンスン『宝島』★
11 トマス・ハーディ『テス』
12 サマセット・モーム『人間の絆』
フランス
13 ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』
14 プレヴオ『マノン・レスコー』
15 ルソー『告白』
16 スタンダール『赤と黒』
17 パルザック『従妹ベット』
18 フロベール『ボヴァリー夫人』
19 ユゴー『レ・ミゼラブル』
20 モーパッサン『女の一生』
21 ゾラ『ジェルミナール』
22 ロラン『ジャン・クリストフ』
23 マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』★
24 ジイド『贋金つくり』
25 マルロオ『人間の条件』
ドイツ
26 ゲーテ『若きウェルテルの悩み』★
27 ノヴァーリス『青い花』
28 ホフマン『黄金宝壺』
29 ケラー『緑のハインリヒ』
30 ニーチェ『ツアラトストラかく語りき』
31 リルケ『マルテの手記』
32 トオマス・マン『魔の山』
スカンヂナヴィア
33 ヤコブセン『死と愛』(ニイルス・リイネ)
34 ビョルンソン『アルネ』
ロシア
35 プーシキン『大尉の娘』
36 レールモントフ『現代の英雄』
37 ゴーゴリ『死せる魂』
38 ツルゲーネフ『父と子』
39 ドストエーフスキイ『罪と罰』★
40 トルストイ『アンナ・カレーニナ』
41 ゴーリキー『母』
42 ショーロホフ『静かなドン』
アメリカ
43 ポオ短編小説『黒猫』『モルグ街の殺人事件・盗まれた手紙他』
44 ホーソン『緋文字』
45 メルヴィル『白鯨』
46 マーク・トウェーン『ハックルベリィフィンの冒険』
47 ミッチェル『風と共に去りぬ』★
48 ヘミングウェイ『武器よさらば』
49 ジョン・スタインベック『怒りのぶどう』
中国
50 魯迅『阿Q正伝・狂人日記他』


・多少長くなりましたが、本書は現在絶版であること、またその価値があるものと考え『世界近代小説五十選』も書き抜きました。私が読んだ本には★印。たったの8冊。。。とてもじゃないが『本好き』とは口が裂けても言えないお粗末さ。気長に50タイトル完読!目指したいと思います。
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【本】タイムマシンの作り方 光速突破は難しくない!

2007年05月27日 18時39分57秒 | 読書記録2007
タイムマシンの作り方 光速突破は難しくない!, ニック・ハーバート (訳)小隅黎 高林慧子, 講談社ブルーバックス B-798, 1989年
(FASTER THAN LIGHT by Nick Herbert, 1988)

・題名よりトンデモ本的内容を期待しましたが、いたってマジメな内容でした。超光速(=タイムマシン実現)の可能性を、過去考案された様々な理論を基に考察する。難易度はやや高めで、しばしばついていけなくなる箇所あり。著者オリジナルの理論が無いところが残念。
・今のところ未来から来ている人は見たことないからタイムマシンなど不可能、などと思ったりもしますが、ちゃんとそれをかわす理論もあるようです。タイムマシン完成後の時間は行き来自由だがそれ以前は不可能、とか、宇宙は複数存在し我々がいる宇宙はたまたま未来人が立ち寄っていない宇宙である、とか。
・「時間というものが、三次元の空間につぐ第四の次元であるという考え方は、新しい物理学の基礎となっている。ではなぜ人間は、空間を動くのと同じように、時間の中を行ったり来たりできないのか? 空間では前後左右どちらへでも行けるのに、時間だけは一方通行である。」p.5
・「彼(チャック・イーガー)は自伝『イーガー』の中で回想している。「さんざん心配して音速を突破してみると、あとはまるで舗装された高速道路をつっ走っているようなものだった」」p.14
・「地球上でもっとも速く動いている赤道では、地球の自転がひき起こす遠心力のために、北極や南極にいるときより体重が実際に60~80グラム減る。」p.37
・「物理学は主としてそういうパターン――くいちがう観測結果を総合して誰にとっても同一の体系を形成する方法――をさがす学問である。」p.39
・「タイムトラベルの物理学のために、アインシュタインの相対性理論は、動機(ミンコフスキーの時空には過去が永遠に存在する)と手段(超光速関係および相対論的同時性のずれ)を両方とも提供してくれた。」p.60
・「相対性理論の法則がある以上、どんな手段で加速したとしても、期待はずれのおそい速度しか出せない。(中略)極端な話、ほぼ光の速さで航行するロケットから光線を発射しても、光は光速の二倍ではなく、ただ光速で走るだけだ。ここでは相対性理論は、1+1=1という奇妙な結論を出すわけである。」p.64
・「宇宙船を光速の90パーセントにまで加速するには、少なくとも宇宙船の静止質量にひとしいだけの量のエネルギーが必要になる。フォルクスワーゲンの小型車をこの速さで走らせるためには、ほぼ1トンの物質をエネルギーに変換しなければならない。これは、アメリカ合衆国の年間エネルギー消費量にひとしい。」p.66
・「不思議な偶然の一致だが、地球の重力加速度・1Gと一年間の秒数との積は、だいたい光の速さにひとしい。」p.67
・「もっとも、大陸横断の飛行機旅行くらいでは、手っ取り早い長寿法とはならない。たった一秒寿命を延ばすために、世界一周旅行(東まわり)を2500万回もしなければならないからだ。」p.70
・「星々が天球を一昼夜に一回まわっているように見えても、実際には、星が光よりも早く運動しているわけではない。」p.76
・「角運動量がその質量を越えたために崩壊したような物体を、超極限のカー物体(SEKO=super-extra Kerr object)と呼んでもいいだろう。SEKOは裸のリング状特異点を持つ一個の反重力宇宙で、そこでは、時空全体がひどく悪性の領域になっている。」p.167
・「量子力学を利用して超光速通信をしようという計画は、いわゆる "量子結合(カンタム・コネクション)" に集中している。」p.211
・「つまり、間違いのない記録と、時間を逆行して信号を送れる能力さえあれば、過去へ行ったのと同じことができる。」p.223
・「EPR実験によって、超光速通信の研究は大きく一歩前進した。タキオンを生成するとか、時空をねじって閉じた時間の環をつくるというような異様な計画を立てる必要はない。読者諸君、信号を光より速く送信するためには、光子の偏光を個別に測定する方法を発見すればいいのだ!」p.232
・「今日、物理学の間隙をぬって超光速通信機をさがし求めるのは、19世紀における永久機関の探究と似たところがある。」p.235
・「量子論で最大の未解決問題と言えば、「測定とは何か?」である。波動的な可能性を粒子的な現実に変えることができる "観測" を行うとき、いったい何が起こるのか? この基本的問題については半世紀以上も議論されてきたが、まだ答えが出ていない。」p.249
・「こうしたいくつかの抜け穴にひそむ超光速の可能性に対する、筆者の相対的信頼度を表す指標として、仮に1000万ドルを超光速研究に投資するとしたら、量子結合と一般相対性理論には同じ金額――たぶん400万ドルずつ――を、そして100万ドルを先進波の研究に充てたい。残りの100万ドルはその他全般の、実用的なタイムトラベル機構としてはあまり見込みがなさそうなものにまわすとしよう。」p.250
・「ニュートンの決定論的法則にしたがって特殊相対性理論が描いたひとつづきの宇宙は、過去と未来が永遠に定まり、博物館のように静的で、その全歴史は初めから終わりまで琥珀の中に固められたかのように不動のものである。」p.257
・「簡単に言えば、量子論は、この世界が可能性の集まりであるとし、測定を行うことで、その可能性の一つが現実になるというのだ。」p.259
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【本】ぼくは勉強ができない

2007年05月24日 20時37分05秒 | 読書記録2007
ぼくは勉強ができない, 山田詠美, 新潮文庫 や-34-6(5648), 1996年
・高校生、時田秀美(男)が主人公の青春小説。9編収録。同著者の作品は、昔『ベットタイムアイズ』を読んだことがあります。話の内容は全然覚えていませんが、「ナンジャコリャ!?」と、よくわからなかったという印象だけが残っています。それと比べて、今作品は素直におもしろいと思いました。全く視点は異なりますが、どこか灰谷健次郎の作品と共通した部分を感じます。
・「どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。女にもてないという事実の前には、どんなごたいそうな台詞も色あせるように思うのだ。」p.17
・「ぼくの祖父が、前に、ぼくに教えてくれたのだ。女に口を割らせたければ、誉めて誉めて誉めまくれ、と。」p.35
・「確かに、空腹時のラーメンの至福は、恋愛のそれより上等だ。」p.39
・「知識や考察というものは、ある大前提のその後に来るものではないのか。つまり、第一位の座を、常に、何か、もっと大きくて強いものに、譲り渡す程に控え目でなくてはならないのだ。」p.43
・「「おじいちゃん、ぼくは苦しいよ」  「そうか、そうか、それは良かったなあ」  お話にならねえや。ぼくは、恋愛に最も役立たないのは肉親であると確信した。」p.64
・「肉体って、即物的なものだもん、恋愛においてはね。解り易いっての? でも、精神状態も、健全だってのは困るのよ。もっと、不純じゃなきゃ。いやらしくないのって、つまんないよ(中略)ね、秀美、もっと、やらしい男になんなよ。まだ子供だから無理かもしれないけどさ。あんた、いい人だけど、あんまり色気ないよ」p.79
・「世の中には生活するためだけになら、必要ないものが沢山あるだろう。いわゆる芸術というジャンルもそのひとつだな。無駄なことだよ。でも、その無駄がなかったら、どれ程つまらないことだろう。そしてね、その無駄は、なんと不健全な精神から生まれることが多いのである」p.83
・「近頃の高校生は、ファミコンのソフトを買うために避妊具の節約をする程、経済観念を発達させているのだ。」p.102
・「病人にとって大切なのは、その病気が取るに足りないものであると悟らせてくれる周囲の無関心かもしれないなあと思ったりもするのだ。」p.117
・「ぼくは、側に寄って、耳許で、「お茶目さん」と囁きたい欲望に駆られた。確か、鉄棒で失敗した主人公に、「わざ」と、やっただろうおまえは、と言葉にならない冷笑を与えた警告者の登場する小説があった筈だ。」p.140
・「自分が非凡であると意識することこそ、平凡な人間のすることではないか。」p.140
・「これなら、どんな男も夢中になるだろうと、ぼくは思った。彼女のすべては、無垢な美しさに満ちている。けれど、この世の中に、本当の無垢など存在するだろうか。人々に無垢だと思われているものは、たいてい、無垢であるための加工をほどこされているのだ。白いシャツは、白い色を塗られているから白いのだ。澄んだ水は、消毒されているから飲むことが出来るのだ。純情な少女は、そこに価値があると仕込まれているから純情でいられるのだ。もちろん、目の前の女の子は美しい。そのことに疑いの余地はない。けれど、何かが違うのだ。ぼくの好みではない何かが、彼女の美しさを作っているのだ。」p.149
・「くだんないことで悩んでるのは確かだけど、あなたの悩みの実態は、手を替え品を替え、沢山の小説に書かれているのよ。もちろん、どんな文豪も、射精の瞬間には、そんなこと忘れているでしょうけどね」p.163
・「母親は、教師に救いを求めてこそ、その愛情が教室で還元されるのだ。」p.183
・「気付かないということ。それが子供の純粋さであり、特性であるのだ。」p.187
・「他の子供と自分は違う。この事実に、秀美は、とうに気付いていた。自分の物言いや態度が、他人を苛立たせるのも知っていた。そのことで、彼は、たびたび孤独を味わっていたが、自分には、常に支えてくれる母親と祖父が存在しているという安心感が、それを打ち消していた。」p.193
・「過去は、どんな内容にせよ、笑うことが出来るものよ。母親は、いつも、そう言って、秀美を落ち着かせた。」p.193
・「生きてる人間の血には、味がある。おまけに、あったかい(中略)だからな、死にたくなければ、冷たくって味のない奴になるな。いつも、生きてる血を体の中に流しておけ」p.197
・「悪意を持つのは、その悪意を自覚したからだ。それは、自覚して、失くすことも出来る。けどね、そんなつもりでなくやってしまうのは、鈍感だということだよ。」p.211
・「大人になるとは、進歩することよりも、むしろ進歩させるべきでない領域を知ることだ。」p.243
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【本】リストラと能力主義

2007年05月18日 21時00分58秒 | 読書記録2007
リストラと能力主義, 森永卓郎, 講談社現代新書 1489, 2000年
・テレビ等のメディアへの露出が多く、顔を見知った著者なので、どんな本を書くのかと、著者への興味のみで手に取った本。いわゆる『ビジネス書』に分類されるような内容で、普段あまり馴染みのない私でもすんなりと読めました。文章が簡潔でわかりやすい。
・言葉のみが先行し、誤解されて世に広まった『リストラ』と『能力主義』について、その本来の意味を問い直し、あるべき姿を提示する。
・「人件費削減が避けられない場合は、賃金調整でやればよいのである。」p.16
・「いま行われているリストラは、従業員をロープでぐるぐる巻きにして海に放り込み、「さあ、自分で泳ぎなさい」と言っているのに等しいのである。」p.29
・「つまり、大規模なリストラを行うと、短期的には早期退職優遇金などのリストラのコストがかさむため、会社の利益は増えない。ところが、中長期的にも、有能な人材の流出や従業員のモラールの低下によって、業績は改善しないのだ。」p.34
・「いちばんよい「リストラ」の方法は、従業員の雇用は守るという大前提の下で、賃金の能力主義化を強化することによって人件費を変動費化し、短期の経営安定を図ると同時に、従業員の個人優先主義を強化することによって知的創造性を確保し、中長期の経営基盤を固めることなのである。」p.35
・「日本的雇用慣行の特徴は、一般に終身雇用、年功序列処遇、企業別労働組合の三つであるというわれる。」p.40
・「つまり、企業内平等主義としての年功序列制と企業優先主義としての終身雇用制、この二つが日本的雇用慣行の最大の特徴なのである。」p.46
・「こうした背景を踏まえると、年功序列制の下で強力な所得再分配が行われ、終身雇用制の下で中央集権的な人材資源の配分が行われるという仕組みは、社会主義のシステムと非常によく似ていることがわかる。」p.48
・「こうして、会社のなかだけでなく、ふだんの生活まで含めて会社のコントロールが行われ、従業員の規格化が完成していくというのが、日本的雇用システムの正体なのである。」p.57
・「恐怖によって、国民の反乱を弾圧する。その政策といま日本の企業が行っているリストラは同じ性格を持っている。」p.71
・「ところが、どんな部門のどんな職種でも、客観的に処遇の格差をつけるのは、実は簡単なことだ。評価に市場原理を採り入れればよいのである。」p.74
・「集団を統治するには二つの方法がある。一つは忠誠心による統治であり、もう一つはアイデンティティによる統治である。」p.116
・「人間は、他人を支配したいという欲求と同時に、権力に支配されたいという欲求を持っている。人間は命令されたり、支配されたい生き物なのである。」p.118
・「企業理念とは企業にとっての憲法のようなものなのである。」p.121
・「一見矛盾する個人の尊重とチームワークを併存させる。これこそがアングロサクソン文化の真骨頂であるプルーラリズム(多元主義)なのである。」p.122
・「知的創造型の企業で経営者がやらなければならないことは、リーダーシップを発揮して自らの判断で会社を引っ張っていくことではない。思い切った権限委譲をしたうえで、一人ひとりの社員が一つの目標を共有できるように、手を替え品を替えて常に企業理念を普及していくことである。」p.123
・「以上のビジョナリーカンパニーが持つ三つの特徴、すなわち思い切った権限委譲と企業理念の維持、そして進化を促す仕掛け作りを行うという間接統治の仕組みは、二つの企業行動に結びつく。利益至上主義の排除と従業員を大切にする姿勢である。」p.134
・「ビジョナリーカンパニー型の経営システムを導入すれば、これまでの権威は失墜し、その権威をかざして会社を支配してきた権力者たちは失脚してしまう。だから多くの日本企業は、本物の優良企業の仕組みを採り入れることができないのである。」p.135
・「リストラと能力主義化が過ったかたちで行われはじめたいま、企業優先ではなく個人優先の、「自由と自己責任」の雇用システムをどう構築するか。」p.136
・「しかも部長や働かない役員のリストラには、もれなく副産物の効果が付いてくる。それは、彼らの存在をなくすことによって意思決定のスピードアップが実現し、それが新しい技術開発を発展させ、企業が活性化するということである。」p.152
・「会社の生産性を上げるためには、人事部は外に出してしまったほうがよいのは明らかだ。問題は、人事部という猫の首に誰が鈴をつけるのかということだけなのである。」p.159
・「ただ、700万円ずつ二年間稼いだときの税金は二年間で80万円なのに、1400万円を一年間で稼ぐと220万円も税金を納めなければいけない。つまり、集中して自己投資をしようとすると、とんでもない税金を払わなくてはいけないというのがいまの税制なんです」p.163
・「でも、経済白書が書いたように、1965年以降に生れた世代は、払った保険料も戻ってこないんです。それだったら、差額分を給料でもらって自分で積み立てたほうがましでしょう。厚生年金の保険料率はこれからもどんどん上がっていくし、これからますます国民年金のほうが有利になっていきますよ」p.163
・「そこで提案したいのが「まだら定年制」である。  まだら定年制は、たとえば45歳から50歳までは「月曜日だけ定年」、51歳から55歳までは「月、水だけ定年」、56歳から60歳までは「月、水、金だけ定年」という具合に勤務日を段階的に減らしていく。」p.184
・「だからいまの段階でサラリーマン自らリストラに備えるためのいちばんよい方法は、副業を持つことだと思う。」p.186
・「しかも、創造性というのは好きなことをしているときにしか生まれない。人間の脳の構造がそうなっているのである。」p.190
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【本】音楽の遊園地

2007年05月15日 21時11分24秒 | 読書記録2007
音楽の遊園地, 芥川也寸志, 旺文社文庫 140-3, 1982年
・作曲家、芥川也寸志のエッセイ集。岩城宏之、中村紘子、茂木大輔等々、文章を書くことでも有名な音楽家の著作と比べても遜色無く、楽しい内容だと思います。その生い立ちを考えると当然か!? しかし、その音楽作品はまだ聴いたことがなかったりするのですが……無意識には耳に入ってるかな?? 軽い語り口の軽い話題に混じって、著者のヘビーな音楽観が時おり顔を覗かせます。年代的にみて、音楽家によるエッセイのはしりでしょうか。
・「今までの長い歴史のなかで、動物たちがいかに音楽の発展につくしてきたかは、はかりしれぬくらい大きなものがあります。」p.8
・「ねこの皮をなめしますと、オッパイのあとが八個のこります。これを三味線の胴に張る場合は、ふつう一匹を二枚に使いますので、四個の乳孔のあとが黒点となって、胴皮の表面にのこります。ねこ皮の三味線をよく"四つ"ということがあるのは、このためです。」p.9
・「オーケストラのなかで常席を占め、オーケストラ全体の引き立て役であるティンパニーには、この子牛の皮が張られておりますが、いちばん上等なのは、生まれる直前の腹子の背中の部分の皮だそうです。」p.10
・「ですから、ヴァイオリンという楽器は羊のオナカを馬のオシリでこすって、音を出していることになります。」p.12
・「ことにアントニオ・ストラディヴァリは、史上最高のヴァイオリン作りの名匠とされ、現存する楽器数はヴァイオリン約540、ヴィオラ12、チェロ約50で、それらの多くは更にそれを使用していた名演奏家の名前を冠して呼ばれています。」p.17 なんとな~く、Vnは100本くらいかと思ってましたが、500以上もあるんですねぇ~
・「その演奏家のいうのには、男のヴァイオリン弾きがうまくなろうと思ったら、まずすてきな恋人を持つに限る、というのです。楽器を恋人のように抱け。そして愛撫しろ。恋人を愛撫するごとく、楽器を弾け。それが上達の最短距離である。」p.20 これだぁぁ!!
・「はじめにリズムありき――これは指揮者の開祖といわれるハンス・フォン・ビューローの吐いた名文句です。」p.23
・「ある特定の楽器と、それを演奏する人間たちとの間には、ある奇妙な共通性があります。  どこのオーケストラにいっても、ホルン吹きはみんな理屈っぽい性質の持主であり、その反対にトロンボーン吹きはいずれも楽天家であり、十中八九、飲ん兵衛ときまっております。トランペット奏者には長命の相があり、いままでトランペット吹きが若死したという話はきいたことがありません。  有名なフルート吹きは、不思議と白髪型であり、禿げている人はほとんどおりません。ところが、有名なオーボエ吹きは、不思議にみんな禿げております。」p.28
・「オーケストラには、昔からタブーとされている曲目があります。(中略)その一つは、ラヴェルの作った「ダフニスとクロエ」の第二組曲です。有名な曲で、しかもよく演奏されるくせに、この曲をやると、必ず楽団員の中に事故が起こるといううわさは、戦前のヨーロッパではかなり広く信じられておりました。(中略)ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」も、誰でも知っているポピュラーな曲であるにもかかわらず、これを演奏すると必ず内部にもめごとが起こる、というジンクスもかなり広く信じられています。」p.31 こ、これは……知らなかった。。。
・「作曲家にとって、最も恥辱的な言葉は、自分の作った作品が何かに似ている、といわれることです。」p.42
・「次は音程があまりひどすぎます。ドレミファソラシドが正確にうたえないようでは、とても歌手とはいえません。ところが事実は、そういう連中が堂々とテレビに出て、さも得意気に振舞ったりしています。もっといけないのは、本当は歌がそんなに好きではないということが、ありありと見てとれることです。(中略)たとえどんな種類の歌であろうと、歌というものは断じて心の所産であるはずです。」p.67
・「演奏は、いつも音楽誕生の現場であります。」p.88
・「したがって、競いあい、戦いを挑むことを好まないタイプの人は、まるで演奏家としての資格はありません。」p.89
・「交響曲のような絶対音楽は、いっさいの標題、音楽以外の映像や観念から解放された音楽ですが、ブラームスやモーツァルトを意識的に映画音楽として用いることがあるのは、両面との間に生じる違和感、つまり逆効果をねらったものにほかなりません。」p.105
・「世界じゅうの国家のなかで、音楽的に最もすぐれていると思われるのは、フランス国家 "ラ・マルセイエーズ" です。」p.114
・「私は、今の日本国歌 "君が代" が、日本の全国民の信任を得ているとはどうしても思えませんが、だからといって、ただちに廃棄すべし、とも思いません。」p.117
・「ところで、もう一方の馬のしっぽはどうかといえば、これまた近ごろは需要に追いつけず、その強さと相まって、次第に化学繊維が用いられ始めました。こちらはまだテスト中ともいえる段階ですが、やがては音楽界に貢献した馬も、羊同様の運命をたどることになるでしょう。」p.133 化学繊維の弓の毛には未だお目にかかったことがありません。すぐに消えてしまったのでしょうか。『低価格! 丈夫で交換不要! 松ヤニ不要! 抜群の発音!』なんてあったらいいな。
・「科学の究極の目標は、生命の誕生にあるといわれています。つまり、生命のあるものと、ないものとの接点に向かって、探究が続けられてきたわけです。  音楽でも、これと全く同じことがいえそうです。まさしく音楽であるものと、断じて音楽ではないものとの境目に、音楽の本質がかくされているといえるでしょう。」p.140
・「ジャン・コクトーは「雄鶏とアルルカン」の中で、「芸術とは科学を肉化したものである」といいました。これは芸術の本質をいい得て、けだし名言と申すべきでしょう。」p.142
・「ですから、天下に名だたる大カラヤンといえども、うっかり振り間違えることがよくあります。アップで指揮者をとらえるテレビ・カメラのおかげで、幾度となく私はその瞬間を目撃しましたが、しかし、そのあとのごまかし方の上手なことといったらありません。ありゃあ、やはり天下一品です。」p.143
・「つまり、どんな作品にも、かならず、ある秘密がかくされています。  その秘密がなかなかばれないとき、人は、これを傑作といい、その秘密を、たくみにかくし通せる能力を持った者を、人は、大作曲家と呼ぶのです。」p.153
・「魅力ある音楽は、魅力のある人間からしか生れない。これはまず、絶対の理屈といえましょう。」p.155
・「ソフォクレス "女は見るべきものにして、聞くべきものにあらず"」p.161
・「モーリァック "多くの女性は、教養があるというよりも、教養によって汚されている場合の方が多い" 「娘の教育」」p.163
・「静寂の世界を絶対の美として認めないかぎり、音楽は作ることさえ出来ないのです。」p.171
・「元来、人間の耳というものは、眼や口とはちがって、相当器用な人でもパタパタと開いたり閉じたりすることはできません。嫌いなものは一切口にせず、見たくないときは眼をそらす、などということはできないのです。」p.180
・「"はいこれはサービスでございます" といって、欲しくもない品物をつけてくれる商店はいまや普通になってしまいましたが、ほんとうのサービスは、値段をまけてくれるなり、同種のものの中からいちばん良質のものを誠意をもって選び出してくれることであって、欲しくもないものをくれることではないはずです。」p.187
・「ですから文化とは何か、これをひとことで答えろといわれたら、私は「人間が生きよく、人間らしくすばらしく生きていくこと」だと答えます。」p.192
・「週刊朝日<芥川也寸志の音楽手帳> 読売新聞<東風西風> Amica<音楽つれづれぐさ>などに連載したものや、新聞・雑誌への寄稿のなかから、軽い内容のものばかりを選び出して、やや無秩序に、どこからでも気軽に読んで頂けるように配列したのが、この「音楽の遊園地」です。  1973年にれんが書房より刊行されていたものが、今回装を改め、より多くの方々に読んで頂ける文庫版となって、私は大変しあわせです。」p.196
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【本】考える脳 考えるコンピューター

2007年05月10日 20時43分33秒 | 読書記録2007
考える脳 考えるコンピューター, ジェフ・ホーキンス サンドラ・ブレイクスリー (訳)伊藤文英, ランダムハウス講談社, 2005年
(ON INTELLIGENCE How a New Understanding of the Brain Will Lead to the Creation of Truly Intelligent Machines, Jeff Hawkins with Sandra Blakeslee, 2004)

・「動いているのは天ではなく地面のほうだ!」とはじめに誰かが叫びだしたときの状況はこんな感じだったのでしょうか。一見、突拍子もないアイディアに見えるが、これまでの経験に基づきいろいろ検証してみると合理的。しかし、一般の人々の生活にとってはその正否がどっちだろうとたいした影響もなく、「へぇ~、そりゃおもしろい考えだね~」とたいした関心も持たれずおしまい。その発見の恩恵を皆が受けるようになるのは、まだそのずっと後の話。本書は脳の機能についての新しい考え方を提案していますが、その主張を聞いていて、そんなことを考えました。常々、「頭の中味」に興味を持つ身としてはそれほどの衝撃を受け、どうしてもっと大騒ぎにならないのか不思議な気もしましたが、やはり多くの人にとっては「へぇ~。」という程度のことなんでしょうね。
・著者はハンドヘルドコンピュータ『Palm』の生みの親として有名な方らしいです(私は知りませんでしたが)。文章からは、そのように時代を切り開く人物らしい『自信』がムンムン感じられます。これまで科学がほとんど手をつけられなかった、『知能』、『意識』、『記憶』、『思考』、『創造性』などといった言葉についてズバズバと明快な定義を与えていきます。「もしかしてホントに人工知能ができちゃうんじゃないの!?」 そんな興奮と希望を抱かせる。ちょっとでも『頭の中味』に興味を持つ人には是非オススメ。
・今年のベスト本候補。
・「わたしは脳にほれている。その働きを解明したい。哲学の観点からではなく、ただの一般論でもなく、実用的で詳細な工学の立場から知能の本質をさぐり、脳の働きをあきらかにしたい。そして、その働きを人工の装置の上で実現したい。つまり、人間のように考える機能を持った、真の知能を備えた機械をつくりたいのだ。」p.9
・「わたしの考えでは、この問題を解明する最良の方法は、生物学から得られる脳の詳細を制約と手本にしながら、知能をなんらかの計算とみなすことだ。学問としては、生物学とコンピューター科学のどこか中間に位置している。」p.11
・「「記憶による予測の枠組み」」p.13
・「未来を予測する能力こそが知能の本質だ。脳がどのように予測をたてるのかは、この本の主題であり、徹底的に議論する。」p.15
・「わたしは技術者としての直観で、脳はいったん働きが解明されれば人工的に実現することができ、そのときには半導体が使われるはずだと気づいた。」p.19
・「人工知能の研究は人間の能力をプログラムできないばかりか、知能の本質も解明できないだろうと直観した。コンピューターと脳は、完全に異なる原理でつくられている。前者はプログラムされ、後者は自分で学習する。」p.21
・「わたしの考えでは、ニューラルネットワークのもっとも根本的な問題は、人工知能と同じところにある。どちらも、振る舞いに焦点をあてているのが致命的なのだ。(中略)頭の「中」の働きを無視し、外にあらわれる行動に重点を置くことは、知能の解明と、それを備えた機械の実現において、大きな障害となっている。」p.40
・「自己連想記憶では、逆方向の流れと、時間とともに変化する入力の重要性が暗示されていた。だが、人工知能、ニューラルネットワーク、認知科学の研究者の大多数は、時間も逆方向の情報も無視してきた。」p.42
・「残念なことに、全員が全員、脳の働きを解明できると信じているわけではない。少数の神経科学者を含め、驚くほど多くの人々が、どういうわけか、脳や知能を人知のおよばない領域にあるものとみなしている。」p.47
・「人間であることと知能を備えていることは、根本的に違う。(中略)人間は知能を備えた機械よりも、はるかに複雑な存在だ。」p.54
・「人間のほうが(動物よりも)賢いのは、身体の大きさと比較しても新皮質がより広いからであり、層が厚いわけでも、何か特殊な「知能細胞」が存在するわけでもない。」p.55
・「この300億個の細胞が、あなた自身だ。記憶も知識も技能も人生経験も、ほとんどすべてがここにつまっている。」p.56
・「ウィスコンシン大学の生物工学教授ポール・バキリタは、パタンであればすべて脳によって処理されることに気づき、視覚の情報を人間に舌に表示する方法を開発した。」p.73
・「新皮質全体は一つの記憶システムであって、けっしてコンピューターなどではないのだ。」p.80
・「新皮質は「普遍の表現」と呼ばれるかたちで記憶を形成し、現実世界のばらつきを自動的に吸収する。」p.81
・「あるいは、騒々しい場所で会話をしているとき、言葉がすべては聞こえないことがよくある。だが、問題はない。脳は聞こえなかった部分を、聞きたかったように補う。」p.87
・「脳は自己連想によって現在の入力を補い、自己連想によってつぎに何が起きるかを予測する。このような記憶のつながりが「思考」の本質だ。」p.88
・「つまり、人間の脳は蓄積した記憶を使って、見たり、聞いたり、触れたりするものすべてを、絶えず予測しているのだ。(中略)予測はあらゆる場合に行われているので、もはや人間の「認識」、すなわち、現実世界がどのように見えるかは、感覚だけから生み出されるものとはいえない。人間の意識は、感覚と、脳の記憶から引き出された予測が組みあわさったものなのだ。」p.100
・「新皮質が行動を支配し、高度な役割を果たしていることは、人間だけの特徴だ。だから、ほかの動物と違い、複雑な言語や道具を操れる。」p.117
・「脳を解明する研究は、ずっとボトムアップの方針にしがみついてきた。いま必要なのは、トップダウンの方針だ。」p.121
・「新皮質を流れるパターンは三種類ある。つまり、階層をのぼって集まってくるパターン、階層をくだって広がっていくパターン、視床をまわって同じ階層に遅れて再入力されるパターンだ。」p.162
・「この本の中で新皮質とその働きについて述べてきたことには、きわめて基本的な前提が一つある。それは、現実世界に構造があるからこそ、予測か可能になることだ。森羅万象にはパターンがある。」p.194
・「創造性とは、簡単にいえば、類推によって予測をたてる能力にすぎない。新皮質のあらゆる場所で起こっていて、人間が目覚めているあいだには、頻繁におこなわれていることなのだ。」p.200
・「創造性とは、それまでの人生で得られたあらゆる経験と知識を混ぜあわせ、同じパターンを見つけることだ。「これはひょっとして、あれと同じかな?」という具合に。」p.204
・「人々はあまりにも簡単にあきらめてしまう。答えは発見されることを待っていると確信し、長期間にわたってしつこく考えつづける必要がある。  つぎに、自由に発想をふくらませる。脳に時間と余裕を与えなければ、答えを見つけることはできない。問題を解くということは、現実世界から手本になる解法を見つけることだ。あるいは、新皮質に蓄えられた記憶から、類似する問題の解答を引き出してもいい。」p.206
・「意識を生身の脳に振りかける魔法のソースとみなす考えは根強い。脳は細胞のかたまりだが、そこに意識という特製ソースを注いで、ようやく人間のできあがりというわけだ。」p.211
・「わたしの考えでは、意識とは、新皮質の存在によってもたらされる作用にすぎない。(中略)意識の概念は、大きく二つに分類できる。一つは「自覚」と同義であり、日常ではこの意味に使われている。こちらは割合と理解しやすい。もう一つは「クオリア」と呼ばれる概念で、感覚と結びつけられる感情がどういうわけか感覚器官への入力から独立しているというものだ。こちらは難しい。」p.212
・「宣言的記憶とは、思い出して他人に話すことができる記憶、つまり、言葉での表現が可能な記憶のことだ。」p.212
・「想像とは、計画をいい換えたものにすぎない。」p.218
・「このように、人間の意識の大部分は感覚から得られるのではなく、脳に記憶されたモデルからつくられる。」p.219
・「これまでの説明で、「心」が脳の活動の呼び名であることを理解してもらえたと思う。心は別個の存在として脳の細胞を支配するものでも、それと共存するものでもない。」p.221
・「知能を備えた機械は、わたしの考えでは、人類が開発してきた技術の中で、もっとも危険が少なく、もっとも利益が多い部類に属するものだろう。」p.231
・「知能を備えた機械をつくるためには、新皮質のアルゴリズムを突き止め、それだけを機械で実行すればいい。だが、生きている脳のおびただしい数の機能的な特徴を読みとり、機会の上に複写するというのは、これとはまったくべつの問題だ。」p.233
・「しかし、こうした類推は誤っている。知能、すなわち新皮質のアルゴリズムと、旧脳の感情的な衝動、つまり恐怖、妄想、欲望などとが混同されている。知能を備えた機械は、このような感情を持っていない。」p.234
・「数学や科学の問題が、進歩した機械によって100万倍の速さで解かれると考えてみよう。10秒間におこなわれる問題の考察は、人間なら一か月かかる作業に相当する。電光のような速さで考えることができ、疲れることも飽きることもない頭脳は、想像もつかない働きをすることが確実だ。」p.242
・「わたしの考えでは、知識を備えた機械の革命的な応用は、いままでにない種類の感覚の世界にある。」p.246
・「知能を備えた機械はさまざまな応用において、劇的なまでに人間自身の能力を超える。100万倍の速さで学習と思考をおこない、膨大な量の情報を詳細に記憶して、信じられないほど抽象的なパターンを予測する。感覚は人間よりも鋭く、地球全体から刺激を受けることも、きわめて小さな現象を検知することもできる。」p.249 ここまでくると、ワクワクを通り越して恐怖を感じる。将来は、「ワープロ普及で漢字が書けない」どころの騒ぎではなくなりそうです。
・「知能を備えた機械が実現する時期を予想するのは気が進まないが、じゅうぶんな数の研究者がこの問題にいまから専念すれば、実用に耐える試作品を開発して新皮質のシミュレーションをすることは、わずか数年で可能になるだろう。10年とかからずに、科学技術のもっとも注目を集める分野の一つになることが期待される。」p.251
・「階層的な記憶システムの上に新しい産業が築かれ、インテル社やマイクロソフト社にあたる会社が産声をあげるのは、これから10年以内だろう。」p.254
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【本】イワン・デニーソヴィチの一日

2007年05月06日 17時31分33秒 | 読書記録2007
イワン・デニーソヴィチの一日, ソルジェニーツィン (訳)木村浩, 新潮文庫 ソ-2-1(1590), 1963年
(Один день Ивана Денисовича, Александр Исаевич Солженицын, 1962)

・ソ連時代の強制収容所(ラーゲル)での、シューホフ(イワン・デニーソヴィチ)の朝起きてから夜眠りにつくまでの、ある一日の克明な記録。零下30℃近い酷寒(マローズ)の下、ろくな食事も与えられず、ほとんど休みなく働かされるという悲惨な状況にもかかわらず、なぜか明るさを感じる。人の幸せとは何なのか、わからなくなる。
・「仕事というものは、一本の棒ぎれのようなもので、いつも両端がある。人さまのためにするときにゃ――その内容が大切だが、馬鹿どものためにするときにゃ――見てくれで十分だ。」p.17
・「ラーゲルの囚人たちが自分のために生きているのは、ただ朝飯の十分、昼飯の五分、晩飯の五分だけなのだから。」p.20
・「シューホフは、明るい電灯の光を浴びながら、こんなきれいな部屋のなかに、こんなしずかなところに、なんにもしないで、まるまる五分間も座っていられるなんて、まるで夢でも見ている心地だった。」p.26
・「いや、シューホフももういく度か気づいたことだが、ラーゲル暮らしでは全く日数のたつのが早い。ところが、刑期そのものはいっこうに減らないときている。」p.75
・「「ペスト菌! 悪党! ごろつき! さかり犬! 破廉恥漢! 土左衛門!」  シューホフもやっぱり怒鳴った。」p.140
・「ラーゲルの門をくぐるとき、囚人たちはさながら凱旋兵士のように、意気軒昂として、雄々しく、大手を振っていくのだ。まさに、一騎当千の勢いだ!」p.155
・「ふつう、晩飯の野菜汁(バランダー)は朝のときよりもだいぶ薄いのが相場だ。朝は囚人たちを働かせるために食わせるわけだが、晩はそのままでも眠ってしまう。」p.172
・「ただ、きょうはすばらしい一日だったと浮きうきした気分になったシューホフは、そのまま眠ってしまうのも惜しいような気がした。」p.197
・「シューホフは黙って天井を見つめていた。もう自分でも、自由の身を望んでいるのかどうか、分からなかった。はじめのころは激しく望んでいた。毎晩のように、刑期は何日すぎて、何日残っているかと、数えたものだ、が、やがてそれも飽きてしまった。」p.201
・以下、訳者解説より「作家たる者は社会から不当な扱いを受けることを覚悟しなければなりません。これは作家という職業のもつ危険なのです。作家の運命が楽なものになる時代は永久にこないでしょう(ソルジェニーツィン)」p.218
・「すなわち、この「ラーゲルの一日」という圧縮された時間のなかに、ソビエトという国家の長い歴史が、そこに住む人びとの深刻な苦悩をなまなましく具体的に浮彫りしながら、繰りひろげられているからである。」p.223

?へいちゃら【平ちゃら】 (「平」は平気、「ちゃら」は冗談、でたらめなどの意)少しも気にかけないさま。何とも思わないさま。また、たやすいさま。へっちゃら。「これぐらいの雨はへいちゃらだ」
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【本】やさしく学べるC言語入門 ―基礎から数値計算入門まで―

2007年05月04日 17時49分55秒 | 読書記録2007
UNIX & Information Science 4 やさしく学べるC言語入門 ―基礎から数値計算入門まで―, 皆本晃弥, サイエンス社, 2004年
・「あなたの専門はなんですか?」と聞かれたら、答えはこの本の分野ということになりそうです。しかし、『専門家です』と胸を張って言えるほどの技術もなく。もっとしっかり勉強しないと。今回は全ての演習問題を解いたわけではなく、さらっと読んだだけ。
・理工系学生用の入門書。大学での授業で使用することを想定し、余計な内容は全て排し授業で消化できる分量にするなど、通常の入門書とは異なるコンセプトで書かれている。gdbを使用したデバッグの方法、makeコマンドによる分割コンパイル、ライブラリについての記述などが入門書としては目新しい。
・「例えば、英語の学習にしても英語の修得を第1目標とするより「海外旅行で困らない英会話力を身につける」とした方が、学習意欲も高まります。プログラミング言語もこれと同じです。C言語を学ぶ目的は数値計算を行うためである、という立場をとった方が理工系の学生には目的がはっきりして、学習意欲の向上が図れることでしょう。」p.i
・「C言語の特徴は、一言でいうと、構造化プログラミングを行うために設計された言語であるということです。もう少し、細かく見ていくと、いい意味でも悪い意味でもC言語にはいろいろな特徴があります。これは、「C言語が、もともとUNIXを開発するために作られた内輪で使用するための言語であった」ということに起因するものであるといえます。」p.7
・「ANSI Cは略称で、正確には ANSI X3.159-1989, American National Standard for Information Systems-Programming Language-C です。」p.7
・「ここで、皆さんに意識しておいてもらいたいことは、「ポインタの概念自身を理解することは簡単だが、C言語でのポインタの扱いが整理されていないため、ポインタの扱い方が難しい」ということです。」p.8
・「特に、double型でデータを読み込む場合は、printf文と異なり、%fではなく%lfとなることに注意してください。」p.31
・「C言語は構造化プログラミング言語です。構造化プログラミングでは、順次(sequence)・選択(selection)・繰り返し(loop)の3つの制御だけでプログラミングを記述できることが証明されています。これを構造化定理といいます。」p.56
・「aのアドレス&aをswap関数に渡すのならswap関数の定義をswap(double &x, double &y)としたくなるところですがswap(double *x, double *y)としてポインタ変数を使わなくてはならないことに注意しましょう。  例えば、double *xとしたときのポインタ変数はxであり、このxにはアドレスを渡す必要があります。そこで、xにはaのアドレスである&aを渡す必要があるのです。」p.78
・「ちなみに、ある言い伝えによると、64枚の円盤をハノイの塔のルールに基づいて僧侶たちが移し換える仕事をしており、この仕事を終えると宇宙が終るということです。64枚を移すには、1枚移動するのに1秒として、どれくらいかかるでしょうか? 宇宙の終りはすぐ来ますか? 各自で計算してみてください。」p.84
・「このことは、「配列はポインタに読み替えられるが、ポインタは配列に読み替えられない」、ことを意味します。」p.94
・「私個人の経験から言えば、数学の内容が理解できないときには、それを英語で考えればすっきりと理解できる場合があります。恐らく、現代数学は欧米を中心に発達してきたので、下手に日本語に訳して読みづらくしてしまうよりは、直接、欧米言語の指向に合わせた方がよいからでしょう。例えば、悪名高いε-δ論法
 ∀ε>0,∃δ>0:0<|x-c|<δ⇒|f(x)-L|<ε
も「For any ε>0, there exists δ>0 such that 0<|x-c|<δ⇒|f(x)-L|<ε」と書けば理解しやすくなります。
」p.97
・「例えば、Sagaという文字列を文字配列に格納したいときには、
 char str[5];
とします。Sagaは4文字だからstr[4]でいいと思いがちですが、C言語では文字列にはその終了を意味する文字としてNULL文字を最後に入れることになっています。
」p.149
・「また、最近ではメモリも安くなり、処理に十分なメモリを搭載することが可能になってきています。したがって、プログラム初心者が共用体を使うような機会はないと思われるため、本書では共用体については割愛してあります。」p.176
・「gccの警告レベルを最大限にあげるには、以下のように-Wallオプションを指定します。」p.178
・「なお、Windowsでは、静的ライブラリの拡張子はlib、共有ライブラリの拡張子はdllとなっています。」p.200
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【本】先端技術のゆくえ

2007年04月29日 21時16分23秒 | 読書記録2007
先端技術のゆくえ, 坂本賢三, 岩波新書 (黄版)362, 1987年
・哲学の視点から見た『技術』のこれまでの歴史の流れと、今後の展望について。世を支配するものは、『宗教』→『国家』→『経済』→(今ここ)→『技術』という流れであるという主旨。20年前の本だが古さは感じない。文系・理系問わずに読める、内容のしっかりした良い本だと思うのですが、これまた絶版。地味な書題のため多少損をしているかも。
・写真:『六本木ヒルズ』の前に『アークヒルズ』なんてものを造ってたんだ…と調べて見ると写真中央下の低い建物がサントリーホール(出来たて)なのですね。ほええ。まるで異国の都会の写真を眺めるような。なんにも知らない田舎者まるだし。
・「単に時間的に最前線にあるというだけでなく、従来の技術と質的に異なっているという意味合いを込めるために「高度技術」と呼んでみたのである。(中略)それでは高度技術はどのような点で従来の技術と区別されるのか。これには種々の見方があると思われるが、その根本的な特徴を次の三つの点に見たい。  第一は、それが「科学の応用」や「科学・技術」でなく、科学と技術が一体になった「科学技術」であるということである。第二は、それが情報加工と情報伝達を根底に持っていること、第三は、「技術の技術」がすべての技術の根底に置かれていることである。」p.11
・「だから、科学と技術は対象と主体との関係においてベクトルの向きが違うのである。出発点も目的も逆、前提も帰結も逆である。科学の目指しているのは認識であり、技術の目指しているのは制作である。」p.12
・「日本語の場合、技術・科学技術・工学・科学の概念の境界があいまいなのは、工部大学校以来、科学を基礎として近代技術をつくってきたからであって、明治19年に工部大学校が帝国大学工科大学になっていっそうこの特質が顕著になった。大学に工学部を設置したのは日本が世界で最初なのである。」p.22
・「科学と技術が一体となった「科学技術」にあたる外国語は久しく存在しなかった。「科学技術」の概念形成は日本の方が早かったと思われるのである。しかし、20世紀後半以後は、日本語の「科学技術」にあたる英語として「テクノロジー」という語が定着した。」p.23
・「高度技術の時代の中心をなすものとして「情報」を取り上げる場合には、もっと限定して用いなければならない。在来の用語で表現できるものであれば、知識とかニュースとか、はっきり言ったほうがよいのであって、「情報」という言葉は、情報としか表現できないものに限定すべきであろう。」p.26
・「技術の歴史を一言で言うとすれば、それは人間能力の対象化と外的自然の主体化の歴史である。(中略)乗物のことを「足」と呼び、望遠鏡のことを「目」といい、道具のことを「手」と呼ぶのはこの事情を反映しているのである。」p.28
・「つまり、材料を加工して利用しやすいものにする技術から「物質」の概念が成立し、動力を加工して利用しやすいものにする技術から「エネルギー」の概念が成立したのである。」p.33
・「制御と通信だけでなく、計算や分類などの処理も含んで「情報」の概念が成立したのは、やはり電子計算機の開発によってであった。」p.37
・「しかし、エネルギー生産の発達普及が人間の体力を弱化する傾向を強めたように、情報生産の発展が人間の計算能力や記憶力や情報処理能力を弱める傾向は避けられないと思われる。それらの能力をむしろ機械に任せることによって、機械にはできない人間能力の発展が期待されるのであって、それはプログラム作成やシステム設計よりはむしろ「意味」の発見に向けれらるべきではあるまいかと思われる。」p.39
・「この意味では遺伝子操作も情報加工にほかならない。つまり情報技術は単にコンピュータやニューメディアだけでなく、生命にまで及んでいるのである。」p.44
・「私はこの問題を端的に「何のための技術か」という問いとして扱ってみたいと思う。現代の先端技術はいつでもこの問題を抱えていながら、実はこのように問題を提出したことはないのである。」p.79
・「彼らは、もっぱら教会の仕事に従事するのではなく、軍事的に人を驚かす技術の開発に専念したので、アイデア・マン(ラテン語でインゲニアトール)と呼ばれるようになり、これが英語のエンジニアになったのである。」p.82
・「粒子的要素の力学を基礎とする現代物理学から見ると、ニュートンから始まり、質点の力学、質点系の力学と展開して行った流れしか見えないが、他方にデカルトの連続体説を出発点とする水力学・流体力学の伝統が脈々とあって、実験や土木工事の実際と結びつき、科学研究の重要な一面をなしていたのである。」p.89
・「「日本の技術者には独創性が欠けている」とよく言われるが、私は、これは当っていないと思う。一つには、独創性はあるかないかではなくて、独創性の芽を摘むか摘まないかなのであって、明治以来、採算の面から芽が摘まれることが多く、育てられることが少なかったと言った方がよいであろう。」p.156
・「利潤の獲得を第一の目標にするのであれば、これほど急速な技術水準の向上よりも低賃金で廉価品を作っていればよかったのであるが、官も民間企業もあげて技術の高度化に努力してきたことは、私利よりも国益を優先してきた明治以来の日本の会社の特質からくるものと思われてならない。」p.157
・「こうしてみると、「経済の時代」のあとにくるのは「技術の時代」ではないかと思わせる。(中略)「高度技術時代」は、単に先端技術の延長というだけでなく、経済も政治も技術に奉仕するようになる時代という特質を持つのではあるまいか。」p.164
・「第一に、その転換期におとずれるものは「経済革命」ということになろう。宗教の時代の末期には宗教改革があり、政治の時代(国家の時代)の末期には政治革命があった。(中略)第二に、この時代の担い手は言うまでもなく技術者、もっと厳密にいえば「科学技術者」である。宗教の時代の聖職者・僧侶、国家の時代の王と官僚、経済の時代の企業者にあたるものは、技術の時代には科学技術者であって、じじつ、20世紀後半の科学技術者は聖職者や官僚や企業家に近い存在になりつつある。」p.166
・「しかし、技術の時代には崇拝の対象となるのは記号である。神も記号、価値も記号である。技術の時代は記号が横行する社会である。」p.168
・「本当は「技術の時代」ではなく「人間の時代」が来てほしいと願っているのである。しかし、今のまま進めば技術が人間に奉仕するのではなく人間が技術に奉仕する「技術の時代」になるような気がしてならない。」p.188
・「技術を自己目的化するのでなく、何のために使うべきかを示す哲学、あらためて技術の存在理由を示し、技術のあるべき姿を人々に示し、技術者が耳を傾けるだけでなく、それを実現しようとするような哲学が必要だと思われるのである。」p.191
・「技術を、宗教や政治や経済のためではなく、言い古された言葉ではあるが、民衆のため、人びとの福祉のためのものにすることが何よりも重要なのであって、技術と経済とが分離してきた現在、技術を誰のものにするかが今後の課題なのである。それを究極的に決定するのは民の声である。」p.193
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