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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】生物学個人授業

2007年08月25日 22時35分29秒 | 読書記録2007
生物学個人授業, 岡田節人 南伸坊, 新潮文庫 み-29-1(6519), 2000年
・生物学分野の大家、岡田節人氏を先生とし、生徒として南伸坊氏が受けた講義の記録。
・細かい知識ではなく、大雑把に『どんな感じか』をつかむには格好の書。この本の後、養老猛司氏(解剖学)などを招き、「個人授業」はシリーズ化。
・「「もう一つ、大事なことがある!」  ときた  「いいですか? それは、生命は絶えたことがない! ということや。これを知らんアホがおるのや。ピンときとらんアホが!」  といきなりおこってます。」p.20
・「体細胞というのは一代で終わりでございます。生殖細胞、いつまでも絶えることがない」p.21
・「遺伝子やDNAには、ファンがいないんや。暗いイメージで、応援団あらへん。応援団ないさかい、研究の費用を得るにも苦労する。」p.22
・「あの本は面白いよ。生物学を学びたければ、『ジュラシック・パーク』を読みなさい。特に、前の三分の一ぐらいの、かなり科学的なことの書いてある部分を、飛ばし読みせんと、全部読んでみい。大学程度の生物学がみんな書いてある。」p.23
・「そうなのだ。死の話というのは、みんな本当は「自分が死ぬ話」なんですよ。死の美学だの、死の価値だの、神秘だのエロチシズムだの、色々いうけど、それは具体的に「自分が死ぬ」っていうことが、結局はわからない恐ろしさを話してるっていうことなんですね。」p.26
・「命という言葉には、哲学と生物学で抽象のレベルが違っているという話。「生命は絶えたことがない!」というフレーズを、もう一度書き留めておきましょう。」p.32
・「生命を失うようなガンが発生する生物は、えらい限られております。(中略)イモリには、ガンはほとんどありません。発ガン物質をなんぼ注射しても食べさせてもガンにはなりません。何でイモリにはガンがないのや?(中略)つまり、再生のような現象をやることによって、ガンを克服してしもうとるんです」p.36
・「細胞同士がくっつくというのは、どういう仕組みになっているのか、何故、心臓は心臓の細胞同士だけでくっついて、心臓になるのか? そのカラクリがわかれば、細胞同士のくっつき方の弱い転移するガン細胞を、一つ所に固定しておくことができる。(中略)ガンが人を死に至らしめるのは、ガン細胞が、ガン細胞同士でしっかりくっついていないからだというわけでした。」p.40
・「 本当に、恐竜を生き返らせることは可能ですか?  岡田 残念ながらノーであります。(中略)いちばん大事なことは、DNAは物質であって、生きているものではないということです。」p.56
・「私にとっての生きものとはこうなります。  「生きものとは、自らの故障を自らで見つけ、自らで治癒するようなしなやかさをもったシステムである」  生きもののしなやかな性質こそは、私をとらえてやまない「生きものの魅力」であり、しなやかさとは生きものへのオマージュであります」p.63
・「「ひとことで言うたら、発生というのは、オタマジャクシはカエルの子、いうことですなあ」」p.77
・「子供のころから、虫が好きという人がいます。ボクが面白そうだな、と思う人にはそういう人が多いんです。養老猛司先生とか、岡田先生とか。」p.79
・「「分化というのは仮の姿なんですよ。本質的には、何も変わっとらん、卵のときと。見かけは筋肉やら神経やらえらい違うとるが、あれは仮の姿や、逆から見たらいいんです」(中略)「分化を語れなければ、発生は語れません」」p.82
・「すべての細胞はおなじ遺伝子をもっているけれども、どの遺伝子が使われるかは、細胞によって違うのです。すべての遺伝子が常に働いているのではない。異なった遺伝子群が働くことが分化の実態なんでした。これを岡田先生は「宝の持ち腐れ作戦」と名づけました。  では、この遺伝子の働きのスイッチをONにしたりOFFにしたりするのはなんなのでしょう。これもまた遺伝子なんでした。」p.99
・「ホメオボックスの発見は、生物学を変えた。レベルを一つ違うものに上げたんです。体のマクロな成り立ちを遺伝子の言葉で説明できる。これがキイだ! と、かなりの人がすぐに気づいたはずや、1984年のことです。」p.101
・「ちなみに、岡田先生がホメオティック・ジーンに日本語で命名するなら「巨視的形態統括者」にするとのことです。」p.107
・「エボリューションというのは発展、生物学的には、多様性が増えたということや。一種類から始まって、35億年の歴史の間で8000万種まで多様性をきわめてきたと、そこに進化の一番大きな意味がある、ということですね」p.124
・「甲虫のね、体のサイズが10分の1になると種類が100倍になっとる、というルールが成立するというのです。」p.134
・「細胞間を接着できるような物質をつくり出す遺伝子というのがあればこそ、多細胞生物ができるんですからね。カドヘリンの歴史をたどれば、多細胞生物の起源が分かる。」p.144
・「生物の分類にはランクがありまして、一番下がスピーシス(種)、そのスピーシスの幾らかのよく似たものを集めてジーナス(属)、そのジーナスを集めてトライブ(族)、そのトライブを集めてファミリー(科)となる。(」p.150
・「私の経験からいうと、生物の科学についての話題のなかで、多くの人たちを麻薬の如くに引きつけているのは、獲得された形質は遺伝するか? というものでしょう。そして皆さんは、獲得形質も少しは遺伝する、という答えを生物学からなんとか引き出したいと期待しておられるとしか思えないのです。獲得形質の遺伝は起こりません。」p.157
・「生きものについての科学のあり方とは、「共通のこと」と「異なっていること」とのはざまの悩みである、ともいえるのです。」p.173
・「なにもいまさら「生きものは複雑である」と言って偉ぶってみせることはありません。私はもっといい言葉を使っています。それは「生きものは、よくできている」という言葉です。同じことだと思われるかもしれませんが、えらく違います。」p.179
・「最近の私の心境では、50の生命の解釈論よりも、ある一つの生きものが演ずる一つの現象を、ちょっと深くみるほうが、ずっとおもろい。そのおもろいことから、生きているとはどういうことかを具体的に感得していただければ、という立場を、最近とっております。」p.180
・「すべての生物の中で、再生能力が最も貧弱なのが人間です。治せるものといったら、怪我くらいなものです。」p.198
・「常にある程度の余裕をもって生きている、それが「生きもの」なのかもしれません。その余裕のことを、私は「損得ぼちぼち」と、至って関西風に表現いたしました。」p.203
・「わかる快感というのは、わかったつもりでいたことを、こなごなに砕かれる快感なのだ。人間はわかった時に快感を感じるようにセットされている、とボクは思ってる。わかった風なことを書いてしまいましたが、もちろん砕かれるべき常識、知識もまた、ためこんでいなければ、その快感も少ないんですけどね。」p.204
・「この私のいう、 "わかるテーマの生物学" は、たぶんネオ・マクロ生物学と呼んでおいてもよいと思う。あるいは、古くからの "生命体" という言葉を復活させて生命体生物学を(漢字の好きな人は)あててもよい。」p.216

《チェック本》 マイケル・クライトン『ジュラシック・パーク』
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【本】戦艦大和

2007年08月22日 22時29分46秒 | 読書記録2007
戦艦大和, 吉田満, 角川文庫 2529, 1968年
・おそらくは『戦艦大和』を題材にした文学・映像作品は全てこの作品を参考にしているのではないか、という小説『戦艦大和の最期』を中心とし、同著者のエッセイを五編(『占領下の「大和」』、『一兵士の責任』、『異国にて』、『散華の世代』、『死によって失われたもの』)収録。
・とにもかくにも、実際に「大和に乗っていた」人間の肉声であることからくる圧倒的迫力に打ちのめされる。まさに名著。
・艦内で交わされる会話の内容にわりとくだけた調子があったり、スピノザやバッハの名が出てきたり、ちょっと意外な空気を感じた。その時代に対する、私が持っていたイメージが少し変わった。
・『記録すること』の重要さを改めて実感した。
・「昭和十九年末より、われ少尉(副電測士)として「大和」に勤務す」p.5
・「二日早朝、突如艦内スピーカー「〇八一五(午前八時十五分)ヨリ出航準備作業ヲ行ナウ 出航ハ一〇〇〇(十時)」」p.5
・「(通常の冷却状態より「スクリュー」の作動までには二十四時間を要す)」p.9
・「「ハンモック」に入り本をひらく  平常は訓練に次ぐ訓練のため、読書の余暇は皆無なるも、出撃せば多少の閑暇あらんと期待して、その直前鑑底図書庫よりようやくに探し来たれる一冊、哲人「スピノザ」が伝記なり 明日より訓練再開せば、また寸暇をも奪われん わずかに数ページを読みたるのみなれば、突入までに読了の見込みなし それもまたよからんと思いつつ読み耽る 柔らかき小説体の行文、密のごとく心を包む  入隊後の一か月、ほとんど連夜、本屋をさまよい血まなこに背文字を追い求めおる悪夢に悩みしを想う」p.14
・「一次室(通称「ガンルーム」、中尉少尉の居室)にて、戦艦対航空機の優劣を激論す  戦艦必勝論を主張するものなし  「『プリンス・オブ・ウェールズ』をやっつけて、航空機の威力を天下に示したものは誰だ」皮肉る声あり」p.16
・「彼らを迎うるもの、まさしく死なり かの唯一にして、紛うことなき死なり  いかにその装いは華麗ならんとも、死は死にほかならず」p.18
・「「不正を見てもなぐれんような、そんな士官があるか」 むしろ蒼ざめて間近に立つ 「すっかり見ておった 貴様の言うことも一応は分かる おそらく自分の場合から考えて、この際はなぐりつけるよりも、説教の方が効き目があると考えたんだろう」  「そうです 自分の場合だけでなく、兵隊に対しても正しいと思いました」  「貴様はどこにおるんだ、今娑婆にいるのか」  「軍艦です」  「戦場では、どんな立派な、物の分かった士官であっても役に立たん 強くなくちゃいかんのだ」  「私はそうは思いません」 しばし睨み合う  「貴様にも一理はある それは分かってる――だからやって見ようじゃないか 砲弾の中で、俺の兵隊が強いか、貴様の兵が強いか あの上官はいい人だ、だからまさかこの弾の雨の中を、突っ走れなどとはいうまい、と貴様の兵隊がなめてかからんかどうか 軍人の真価は戦場でしか分からんのだ いいか」」p.21
・「蒼ざめし母が、頬を打ち伏すおくれ毛を想うなかれ  かくみずからを鼓舞しつつようやくに認(したた)む  「わたしのものはすべて処分してください 皆様ますますお元気で、どこまでも生き抜いて行って下さい そのことをのみ念じます」 更に何をか言い加うべき」p.25
・「一六〇〇(四時) 出港  旗艦「大和」 第二艦隊司令長官伊藤整一中将坐乗  これに従うもの九隻 巡洋艦「矢矧」以下駆逐艦「冬月」「涼月」「雪風」「霞」「磯風」「浜風」「初霜」「朝霜」 ことごとく百戦錬磨の精鋭なり  日本海軍最後の艦隊出撃なるべし 選ばれたる精強十隻」p.27
・「沖縄海面作戦は一応の目標たるに過ぎず 真に目指すは米精鋭機動部隊集中攻撃の標的にほかならず  かくて全鑑、燃料搭載量は辛うじて往路を満たすのみ 帰還の方途、成否は一雇だにされず  世界無比を誇る「大和」主砲、砲弾搭載量の最大限を備え気負い立つも、その使命は一箇の囮に過ぎず わずかに片路一杯の重油に縋る」p.31
・「本作戦の大綱次のごとし――まず全鑑突進、身をもって米海空勢力を吸収し、特攻機奏功の途を開く 更に命脈あらば、ただ挺身、敵の真唯中にのし上げ、全員火となり風となり、全弾打ち尽くすべし もしなお余力あらば、もとより一躍して陸兵となり、干戈を交えん(分隊ごとに機銃小銃を支給さる)  世界海戦史上、空前絶後の特攻作戦ならん」p.32
・「「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ  日本は進歩ということを軽んじすぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」  彼、臼淵大尉の持論にして、また連日一次室に沸騰せる死生談義の、一応の結論なり敢えてこれに反駁を加え得る者なし」p.33
・「兵学校出身の中、少尉、口を揃えて言う 「国のため、君のために死ぬ それでいいじゃないか それ以上になにが必要なのだ もって瞑すべきじゃないか」  学徒出身士官、色をなして反問す 「君国のために散る それは分かる だが一体それは、どういうこととつながっているのだ 俺の死、俺の生命、また日本全体の敗北、それを更に一般的な、普遍的な、何か価値というようなものに結び付けたいのだ これらいっさいのことは、一体何のためにあるのだ」p.34
・「通信科敵信班、米艦より「サイパン」宛の緊急電信を傍受  暗号文によらず、平文のままなりという われを侮れるか 内容に機密性低くその要なきか」p.36
・「母が乳首を離れ朝食なるものに親しみはじめしより、今日まで幾千、幾万度これを重ねたるかと心愉しく想う  「朝食」――今日を限りに、われとは無縁の存在なり――何か訝しく、笑いをこらう」p.43
・「勇猛と技倆を謳わるる名艦長、また「ゴリラ」の愛称をもって全将兵より敬愛せらる」p.51
・「航海長、左右を顧みて莞爾、「とうとう一本当てちゃったね」 答うるものなし」p.56
・「日頃人なつこく柔和なる彼も、鋭き一瞥を投げしのみ  雨衣裂け散りて歪める肩、小柄のうしろ姿痛々し 出血過多か、困憊見るに堪えず 報告を完了して緊張緩めば、おそらくは崩折れたるままならん」p.58
・「いっさいを吹き掃われたるかと見れば、朽ちし壁の腰に叩きつけられたる肉塊、一抱え大の紅き肉樽あり 四肢、首等の突出物をもがれたる胴体ならん  あたりに弾かれたる四箇を認め、抱え来てわが前に置く(中略)これを抱けば芯焼けてなお熱く、これを撫すれば手触り粗木の肌のごとし(中略)他の八名は全く飛散して屍臭すら漂わず  なんたる空漠か  今の瞬時までまさに現前せる実在は、いかなる帰趨を遂げしぞ  疑い訝しみて止まず 不審に堪えず  悲憤にあらず 恐怖にあらず ただ不審に堪えず 肉塊をまさぐりつつ、忘我数刻」p.58
・「三時間前哨戒直に立直の直前、電話を流れて耳ぞこに残りし大森中尉(主任電測士)の声、最後の声なり 「吉田少尉、貴様には面倒なことばかりさせて苦労をかけたなあ……すまんかったなあ……」  しからず しからず われこそ怠慢なりしを われこそ気儘なりしを」p.60
・「世界の三馬鹿、無用の長物の見本――万里の長城、ピラミッド、大和」なる雑言、「少佐以上銃殺、海軍を救うの道このほかになし」なる暴言を、艦内に喚き合うもなんら憚るところなし」p.63
・「戦闘中みずからの任務を持たざる者にはかかる例少なからず 衝迫、停電、横転、被弾の重囲のうち、しかも状況は皆目不明、「今死ぬか、今死ぬか」の切迫感に脅かさるるまま、待機と忍苦の時を刻む よく常人の堪えうるところにあらず  まず舌端しびれ次いで手足しびれ、自由を失い、ついには瞳孔開き切る 肉体はなおぬく味を保つも、真実は死人なり、形骸なり なくしていたずらに肉体の死を待ち焦がるるのみ」p.73
・「真実は数分前、幕僚いざり寄る最後の協議に、「作戦中止、人員救出ノ上帰投」の決定を、長官独断下命せられたるなり」p.89
・「時に「大和」の傾斜、九十度になんなんとす(かかる例稀有なり 一般艦船は傾斜三十度をもって沈むを常とす)  ために主砲砲弾、弾庫内にて横転、細き尖端の方向に横滑りし、天井に信管を激突、誘爆を惹起す」p.96
・「「大和」あなや覆らんとして赤腹をあらわし、水中に突っ込むと見るやたちまち一大閃光を噴き、火の巨柱を暗天まで深く突き上げ 装甲、装備、砲塔、砲身、――全艦の細片ことごとく舞い散る  更に海底より湧きのぼる暗褐色の濃煙、しばしすべてを噛みすべてを蔽う  火柱頂は実に六千メートルに達す(護衛駆逐艦航海士の観測による)  閃光よく鹿児島より望見し得たりという(のち新聞紙にも報道)」p.97
・「ふと思う 貴重の時、真の音楽を聴き得るは、この時をおきて他にあるべきか  聴くを得べし われ今素直ならば聴くを得べし 類いなき一瞬を得ん  ――空白 死のごとき静寂  さらばされ、みずからの音楽を持たざりしか かの愛着、かの自負、すべて偽りなりしか  ――まて、今聴きしもの、胸に甦りたるもの、何ぞ  まさにしかり、「バッハ」の主題なり 耳慣れたる、わが心の糧なる主題なり」p.104
・「この作品の初稿は、終戦の直後、ほとんど一日をもって書かれた。(中略)その後、自分以外の人の眼に触れる必要から、数度にわたって筆を加えた。その最終的な形が本稿である。」p.126
・「戦争を否定するということは、現実に、どのような行為を意味するのかを教えていただきたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ当然すぎて無意味である。誰が、この作品に描かれたような世界を愛好し得よう。」p.127
・「私は、発表の意志なく書いたが、もしその価値のあるものなら、お任せしますと答えた。それから氏(小林秀雄)は、自分の得た真実を、それを盛るにふさわしい唯一の形式に打ち込んで描くこと、これが文学だ、それ以外に文学はない、だからこの覚え書はりっぱに文学になっている、敗戦の収穫として求めていたものに、ここで一つぶつかった、この文語体は、はからずも一種の名文になっている、何も思い惑うことはない、この方向に進んでゆけばいい――」p.135
・「それからの五か月を陸上の特攻基地勤務に過ごした私は、そこで終戦を迎えた。まっ先にきたのは、いかに生きるべきかという自問だった。いつでも死ねるという自暴自棄な気楽さによりかかっていた身には、平和の日々は明るくまぶしすぎた。何をしてもそれが消えずに、自分が生きていることの証拠として一つ一つ残ってゆくということが恐ろしく、平凡に生きるための手がかりを必死に求める気持だった。」p.148
・「犯罪と責任は常に不可分なのではなく、犯罪のないところにも責任はありうる。むしろそのような責任こそ、根の深い、本物の責任なのではあるまいか。  ――私はここで、このような基本的問題にたいする不明を恥じるとともに、みずからの戦争協力の責任を、はっきりと認めることを明らかにしたい。これを認めなければ、私の発言は、はじめからその支えを失うことになるにちがいない。」p.157
・「私はこれまでの議論を通じて、戦争協力責任の実体は、政治の動向、世論の方向に無関心のあまりその破局への道を全く無為に見のがしてきたことにあるとの結論に達した。」p.159
・「最後の決戦に備えて、精鋭部隊の温存を至上命令とする戦況の下で、「青白く理屈っぽい」学徒兵は、絶好の消耗品として可愛がられた。」p.185
・「『わがいのち月明に燃ゆ』の中の最も感動的な場面は、どこであろうか。私にとって驚異であったのは、「私はどうしてもいきねばならない。充実した潔く美しい生を開いてゆかなければならない。自分の尺度を持つことだ。自分の足場がなければならない」という自己建設の抱負をこの手記の初めの数ページ目に書いた彼が、その抱負にそむくことなく、軍隊と戦争への協力という宿業に最後まで苦しみ抜きながら、自分への忠実を貫き通した志操の堅さであった。」p.199
・以下、解説(阿川弘之)より「著者の吉田満氏は戦争中東大法学部在学のまま、いわゆる学徒動員で兵科予備学生として海軍に入り、少尉任官後副電測士として軍艦大和の乗組員になり、昭和二十年の四月、大和の沖縄特攻出撃に参加して生き残った人である。本職の海軍軍人ではない。」p.210
・「この作品は個人の力ではどうにもならなかった著者の生死の、微妙な偶然の間をくぐり抜けて私たちの手に残った日本民族の一つの記念碑と呼んでいいものである。」p.211
・「戦争末期、動かぬ世界一として内海に碇泊させておいてもいたずらにアメリカの飛行機の目標になるだけで、それならばこの役に立たぬ巨艦に最後の死に花を咲かせてやろうというのが、大和の特攻出撃のおもな動機であったろうが、航空部隊の掩護無し、燃料片道搭載という出撃はもとより無暴で必敗の作戦であった。それを承知の上でその命令にサインをした当時の海軍首脳部は、春秋の筆法をもってするなら、七万二千トンの大和と三千人の将兵とを犠牲にして、一つ、「戦艦大和の最期」という光る記念碑を後世に残したのである。」p.213

?せっしやくわん【切歯扼腕】 歯ぎしりをし腕を握りしめること。激しく怒ったりくやしがったりする様子にいう。
?しょうよう【慫慂】 (「慫」も「慂」も「すすめる」の意)そばから誘い、すすめること。

《チェック本》 林尹夫『わがいのち月明に燃ゆ』
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【本】同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった

2007年08月15日 21時06分18秒 | 読書記録2007
同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった, 小澤征爾 大江健三郎, 中公文庫 お-63-1, 2004年
・2000年、二人が共に65歳のときに長野県奥志賀高原と東京・成にある大江氏の自宅にて行なわれた対談録。この本の存在を初めて知ったとき、意外な取り合わせに感じましたが、読んでみると二人の間には昔から交流があったのですね。対談は主に大江氏が小澤氏にインタビューする形の、大江氏主導で話は進みます。話題は音楽5割、文学2割、その他3割くらいの配分でしょうか。その密度の高い会話に、個人的には興味津々でとても面白いものでしたが、音楽には興味の無い人なんかには受けが悪いかもしれません。この二人の名を見て飛びつく読者にとっては大満足の内容です。
・二人の会話からは、『考えること』の重要さを感じました。深く、長く、密度高く『考えること』。
・「ええ。共生感ということでしょうね。 "音楽する" という動詞をTVで使ってられたけど、音楽しているとき、同じ人間として一緒に生きるという共生感を、はげしくお感じになるんでしょうね。」p.10
・「僕は、小澤さんが、生徒として本当に優秀な人だと思うんですね。まず斎藤秀雄先生という先生がいる、それからシャルル・ミンシュがいる、バーンスタイン、カラヤンがいるというふうに、すばらしい先生を見つけられる。それから後、今度はあなたがすごくいい先生になられると思うんですよ。」p.22
・「その斎藤先生がこう言われたのを覚えているという。音楽家として日本人には利点があると。ドイツ人の音楽をドイツ人はドイツ音楽としてしかやらないけれど、日本人は外国人がドイツ音楽をやるということで、勉強する。」p.24
・「小澤 音楽はまったく個人的なものなんですよ。」p.24
・「僕は子供が二人できたときに、この子供たちのためならば、音楽なんか辞めちゃってもいいと思った。(中略)人間というのは本当のエネルギーになるものは、案外すごい身近にあるんじゃないかなあと思っているんです。(中略)ピカソがもうずいぶん年取ってから、「本当の何かを創ろうとするエネルギーは何だ」と訊かれて、「女だ」と言ったというんですね。いろんな問題は案外そういうところにあるんじゃないか。」p.26
・「子供が生まれるころまでは、大体自分の頭で計算したおとりに生きてゆけるものだと。僕は自分がそういう人間だと思ってたんです。ところが子供が生れてみると、その自分の計算の全体が崩れた。」p.32
・「いろんな国の音楽が出来上がったけども、音そのものは、人間に関係ないときからあったんじゃないかなと思います。そういう考えを僕はずっと持っているんです。音楽がインターナショナルの言葉だということもちょっとおかしい。  音楽には言葉以前の生きている人だれでもが、あるいは聞いた話だと、植物までそれに影響される。」p.36
・「サイトウ・キネン・オーケストラとはどういうことが特別なんだろうと考えて、ぼくの答えは、いろんな違ったオーケストラにいたり、違った室内楽団にいる人、縦に独立してそれぞれの仕事をしている人が、あるとき横につながって、上の次元の仕事をやってしまうことが面白いんじゃないかと思うんですね。(中略)俗っぽくいえば、サイトウ・キネン・オーケストラというのは、どんな後ろの方に座ってる人でも、もうまったくインヴォルヴメントね。日本語で言うと……。なんだっけ?  大江 引き込まれている、参加しているというか、個で責任を取りつつ、仲間になっている。一緒にやってる。」p.41
・「メロディーが始ったときに、その音楽がどこへ行くか、いま弾いている音はどこに向かって弾くか、あるいはどこに向かって到達するようにしているか、その音のディレクション(方向)、あるいはフレーズのディレクション。」p.42
・「僕は、いま十二歳の男の子に、初めて室内楽を教えているの。ニューヨークから一人で来てるんですよ。その子は、音は全部弾けるんだけど、ディレクションがないんです。意欲的なディレクションが。なぜかというと、彼はそれを使ってだれかに聴かせようとしてないから。」p.43
・「僕の小説が他の人の小説と違う点は、「動機づけ」ということを、どう表現するかということを考えていて、つまりさっき言われたディレクションということを考えていることです。自分が書くものを、どの方向に向かって、どれくらいの正確さで到着するようにボールを投げるかということを、いつも考えるんです。」p.46
・「若い人は、ヴァイオリンのきれいな音さえ出せばいいと思っているのかもしれませんね。音を出せばいい。(中略)そうすれば、だれかが受け取ってくれると思っている。しかし、専門家は、本当に相手に伝わるところまで持っていく。それが表現なんでしょうね。」p.47
・「日本と外国を比較しない。日本語と外国語を比較しない。日本の学問と芸術と外国のそれらを比較しない。その点が、現在になっても日本人の最大の欠点になってると思う。」p.59
・「日本にいろんな遅れてる面があるとすると、もちろん音楽も教育もですけど、一番遅れているのは、もしかすると政治かもしれない。」p.73
・「会社の益とか、インスティチューションの益のほうが個人よりも大事だと思った瞬間に、その個人は個というものを失った。どんなところへ行っても、インスティチューションの益が、その人よりも強いということはありえないと僕は思うわけです。(中略)まあ言ってみれば国よりも個のほうが大事なんだという考え方ですね、うんと大雑把に極端にいえば。」p.92
・「本当の文学の読み手を創るための教育の敵は何かというと、僕は、あきらかにテレビだと思いますね。(中略)テレビが消費文化だということを、改めて若い人も年取った人間もまじめに考えるべきだ、と僕は思う。現にテレビは物を売るためにやっているわけですね。」p.104
・「僕たちにも、カルテットがいかに音楽の全ジャンルのなかで中心的かを教えてくれるんですよ。」p.104
・「やはり、芸術家というものは、時間をかけて丹精を込めて創って行くというのが基本態度であって、作家は一人ですべてやるから、自分を否定する勇気を持ってそれをやらなきゃいけない。作家として自分に責任を取るためには、それやらなきゃならない。」p.107
・「人間の情というもののなかに必ず悲しみがあるとすると、音楽は、理屈なしに、それを出すのに一番手っ取り早いものを持ってたんじゃないか。音楽の響きのなかにそれがあるんじゃないか。  そうすると、それがあったからこそ今度はそのなかから楽しい音楽というのが出たんじゃないか。  大江 あ、そうだ。」p.111
・「そして二十一世紀に対しては、新しい日本人が出てくるんじゃないか、と予感する。僕は、「新しい人」と呼んでいるんですが。新しい個人ですね。個として責任を取る人、個として誇りを持っている人、そういう人たちが多くできて日本という国がいまの感じと違ってくるんじゃないか。そういう感じを僕は漠然と持っているわけです。」p.120
・「単純に申し上げますと、日本人が主になってやるオーケストラ、あるいはオペラ、あるいは室内楽も、世界のスタンダードと同じなんだよということが当たり前になる世の中を早く作らなきゃいけないということですね。」p.128
・「逆にいうと、東洋人にどこまでできるかという実験、その実験をやっているんですよ。これはもっと気取っていえば、自分のスタンダードをつくってるなんて言ってますけど、本心は、中国生まれの東洋人で、日本語しかできなかった男が、どうやって西洋の音楽を、死ぬまでにどこまで分かるようになるか、どこまでいけるか、という実験なんですよ。」p.136
・「さて、きょう僕が小澤さんにお話を伺おうとして、あらためて小澤さんのご本を手に入るかぎり読んでみたんだけども、自分が指揮者として、どんなに優秀な人間かということは、ほとんど書いてありません。」p.144
・「あなたたちは、自分が全身で受けとめた音楽を通訳していられると思うんですね、他の人にわかる言葉で。まず、そういう仕事じゃないですかね、指揮者というのは。」p.147
・「ディレクションというのは、明らかに非常に健康的なフレーズのことをいいまして、百人が聴いてれば、ほとんど九十九人までが納得するのがディレクションなんです。」p.151
・「斎藤先生はすごくこわい先生で、自分がこの曲を書いたと思えるところまで勉強したら暗譜していいよとおっしゃってた。一所懸命そういう練習もさせられて、たとえばベートーヴェンの『一番』のシンフォニーを、テストだと言って、先生に部屋に入れられて、「いまから三時間したら戻ってくるから」って、先生はどっかへ行って教えてるわけね。帰ってくるまでにお前、スコアを思い出して書いておけと。」p.165
・「それで僕、バーンスタインに言われて、スケベーニンゲンというヘンな名前のオランダのフェスティバルにいって指揮をしてたんです。」p.175
・「子供たちの一番大事なときは、おそらく十ぐらいにはもう終わっちゃうだろうと考えると、少なくとも小学校終わるぐらいまでは日本にいたほうがいいんじゃないかなと思ったんです。  みんなには、甘っちょろいと言われた。武満さんなんかには、「ナショナリズムだな、お前は」と言われたし、森英恵先生には、「贅沢だ」と言われた。「親と一緒にいない子供は駄目だ」と言う人もいっぱいいたし。」p.179
・「僕のような小説家は、とくにさしせまったスケジュールはありませんからね、ひとつ興味のあることに出会うと、ずっとその一つのことだけ考えていていいんです。その間に、多くはありませんが講演をしに行ったり、文学賞の選考に行ったりとかしますけど、電車で行く間も、帰りもずっと考えているわけですね。迎えの車に僕が乗らないのは運転手さんから話しかけられると困るからです。」p.207
・「僕の場合、生活の基盤は本を読むことですが、僕も本にどんどん書き込んでいきます。もう四十年も午前中の半分はたいていそれをやってきました。」p.208
・「才能はあるけれども、それが自分自身でコントロールできないような、人間になりかけみたいな奴が面白い。まあ自分もそうだった。そういう人が年を取ってきて、ある奥行きのある人間、自分だけの在庫もあるような人間になって、自分の本当の世界、自分の本当の声を持っている人間になってくる。そういうふうにして芸術家は老年に至り、その人なりに完成し、そして死んでいくんだとは思いませんか?」p.211
・「いま、僕が思うのは、すごい学者や作家、詩人でも、大体その人が生きた年齢まで生きれば、その人の作品や思想は全部分かる、ということです。」p.213
・「音楽の場合は、ほんとに僕はまだわからないことがいっぱいある。だけど、文学と演奏家とだいぶ違うと思うのは、やっぱり文学というのは書いたものが残ってて……。」p.213
・「音楽の演奏ということは、もう一度生き直すといいますかね、武満徹という人をもう一度生き直すことじゃないか。武満さんの人生のある局面を演奏家と聴衆の僕らが一緒に行き直すということじゃないか、と思うんです。  小説の場合も、新しい演奏家による受けとめです。批評でそれがわかります。」p.215
・「思い起こせば今から四十年近く前、指揮者として着任したばかりの僕がNHK交響楽団にボイコットされたとき、大江さんは武満さんと井上靖さん、三島由紀夫さん、黛敏郎さん、團伊玖磨さん、有坂愛彦さん、一柳慧さん、それから中島健蔵さん、山本健吉さん、浅利慶太さん、谷川俊太郎さん、石原慎太郎さんたちと一緒に、僕を励ますためのコンサートを急いで開いてくれたことがあった。」p.224
・以下、解説(尾崎真理子)より「対談は終始、まずは大江氏から、光さんと共に「聴く人」として過ごした長い時間によって練り上げられた音楽の根本に関する問いが積極的に投げ掛けられた。対する小澤氏は、最初は当意即妙に、それから次第に、やはり長い現場の経験から独自に到達した結論を大胆に告げ、その言葉への感銘で力を得た大江氏が、そらに芸術全体へ、未来の日本人の理想へと論を導いてゆくという、何とも見事な流れの、それ自体が絶妙に演奏されている二重奏のように進んで行った。」p.229
・「二十三歳で芥川賞を受賞、二十四歳で仏プザンソンの国際指揮者コンクールで優勝、共にスタートこそ早く華々しいが、そうした例なら他にもある。肝心なのは、若く純粋で無傷のまま世に出た二人が、つまらぬ怨望に屈することなく「個」の誇りを守り、ライバルのいないほどの才能を独力で高めつづけ、「弧」の闘いから降りなかったことではないか。」p.230
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【本】科学・あの話題はどこにいった

2007年08月07日 23時06分21秒 | 読書記録2007
科学・あの話題はどこにいった 世界を騒がせた30の科学・技術, 大浜一之, 講談社ブルーバックス B-1000, 1994年
・内容は題名そのまま。取り上げられた話題は、具体的には、高音超伝導、第5の力、イオンロケット、C60、マイクロマシン、ヒトゲノム、核融合、常温核融合、SSCなどなど。それらのなかで現在花開いているのはヒトゲノム関連の技術くらいでしょうか。『モノになる技術』の成功の影には、たくさんの消えていく技術があることが分かります。94年の出版時にとっては今現在の状況であるけれども、それから10年以上経った今読むと「そしてその後この話はどうなったのだろう」とまた同じことの繰り返し。
・表紙の図[写真]を見て、海の中はずい分起伏に富んでいるものだと思ったが、単に強調表示しているだけでした。深い日本海溝でもせいぜい8kmなので、実際この縮尺だと起伏はほとんど目に見えないくらいでしょう。勘違いの一歩手前。
・新聞社出身の著者のわりには、どうも文章のテンポがイマイチ。
・「ノーベル賞受賞者がよくいう言葉に「私は山の上にちょこんと石を置いたに過ぎない」というものがある。言葉を変えれば、科学・技術には、それぞれ根があり、幹があり、枝があり、葉があるのである。それが個々に切り放されて紹介されることが多い。そのため、「科学技術は難しい」、という評価につながっているのだと思われる。それで、科学・技術の周辺部分を雑学的に書き込むように心がけた。」p.7
・「地上で最も深くボーリングしたのは、旧ソ連。現在はロシアに属するが、バレンツ海に面する北極圏のコラ半島の根っ子、ムルマンスクの西方にある「コラ半島超深度ボーリング総合地質検査所」が、掘った約1万2000メートル強(目標1万4500メートル)だ。」p.104
・「日本では、1962年に東京芝浦電気(現在の東芝)が(人工ダイヤモンドの製造に)初めて成功している。」p.127 "東芝"の名の由来を初めて知った。
・「現在、マシン、つまり実際に動き、実用化できている機械で最も小さい物は時計らしい。最小の部品の大きさが約一ミリという現状では、時計より小さい機械をつくることは無理に近いからだという。」p.138
・「日本は、ワトソン博士にだいぶ脅かされて、1991年、「ヒトゲノム解析計画」に参加した。」p.151
・「「石油はあと30年分しかストックがない」という話を、一度は聞いたことがあるだろう。この「あと30年」は、戦後、ずっと一貫して言われ続けてきたことだ。(中略)つまり、石油は、1989年時点では「あと46年」ということになる。時点という言葉を使ったが、もうおわかりのように、可採年数は、確認可採埋蔵量と生産量の関数だから、年々変わるものだ。」p.154
・「石油は液体だから、大きな空洞にジャブジャブと溜まっているような印象である。ところが違うのである。実際の石油鉱床は、砂岩でできている貯留岩そのものである。石油はその砂岩砂粒間の孔隙間に水とともに圧入されているのである。」p.159
・「最後に石油の成因。成因には、無機成因説と有機成因説の二つあって、まだ完全に決着がついていない。」p.161
・「MHD(電磁流体力学)発電は、フレミングの右手の法則による物理的発電と、高温ガスを使った熱を利用した気水発電との組み合わせで、発電効率を高める、省エネ発電であるとされる。」p.171
・「「高温ガス炉」とは、原子炉で1000℃前後の高温をつくり、発電だけでなく、水から水素を分離するなど多目的に使おうという炉である。原子炉だから、二酸化炭素に関しては放出しなくてもすむ。」p.185
・「そのために、考え出されたのが「高速増殖炉」で、Fast Breeder Reactorの頭文字からFBRとよばれることもある原子炉である。この高速増殖炉は、プルトニウム239を燃料とし、そのまわりをウラン238(ブランケット材という)で取り囲んだものを炉の中で反応させるものである。つまり、プルトニウムは燃料として使われるが、ウラン238が変化して、使った分以上のプルトニウム239ができる(つまり増殖する)というものである。」p.193
・「SSCは陽子電子の、陽子の集団を円形真空リング(直径5センチ)の中で、磁力を使って上部と下部でそれぞれ反対方向に加速し、予定の速さになったところで、周回軌道を合わせて衝突させ、どのようなことが起こるか(相互作用)を見ようというものだ。」p.227
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【本】インドで考えたこと

2007年08月03日 22時10分19秒 | 読書記録2007
インドで考えたこと, 堀田善衞, 岩波新書(青版)297(F31), 1957年
・インドの旅行記というよりは、書名のとおり、インドを材料にとった思索の書。書かれていることを十分に理解するには、私の能力では足りずちょっと歯が立たない感じです。もっと修行が必要。
・50年前の本ですが、今でもインドの田舎に行けば状況はほとんど変わってないのでは、と思えます。単なる想像で実際のところ全く分かりませんが。本書を読むとますます謎が増え、とらえどころがなくなる。そんな神秘の国、インド。行ってみたいか? と問われると、、、う~ん、、、即答しかねます。
・「この手記は、私が1956年の晩秋から58年の年初にかけて、第一回アジア作家会議に出席するためにインドに滞在したその間に、インドというものにぶつかって私が感じ考え、また感じさせられ考えさせられたことを、別に脈絡をつけることなくじかに書きしるしてみたものである。」p.ii
・「この旅行は、私にとってひょっとするとアジアにおける日本の特殊性について考えるための旅行であったかもしれない。」p.4
・「空気は乾いている。日本と比べてあまりに乾燥しているので、空気というものがまったくないのではないか、といった奇妙な錯覚さえ起こりかねない。」p.18
・「しかし、ここに不思議なのは、この七人の文学者は、森羅万象について話しても、文学についてだけは話さぬという奇々怪々な結果になったことであった。  というのは、そこにこそ、重く苦しい歴史をこれまでに背負って来た全アジアの真の面貌の一つがあらわれていると私は思うのだが、要するに、お互いがお互いの文学について、なにひとつ知らないからなのだ。」p.27
・「悲しいことに、アジアでは、中国、ソヴェト、日本の三国をのぞけば、文学者が文筆だけで自立出来る国は、いまのところどこにもないのである。」p.36
・「インドへ来て、人が第一に放棄しなければならなくなるものは、ほかならぬ、この「彼等のもの」、「我等のもの」という考え方のようである。」p.39
・「けれども、本当は、歴史は直線的なものなどでは決してなくて、様々な次元が、古代の次元、中世、近世、近代などの諸次元が重層をなしていて、その切り口である現在という次元、現在という断面には、あらゆるものがむき出しになっている、そういうものではなかろうか。と、そんな風に、私はインドへ旅立つだいぶ以前から考え出していた。単純な発展段階説などで料理され得るようなものでは、人間の歴史は無いだろう、とも考えていた。」p.44
・「夜半、ふと目覚め、小用に行く。空の星が、死にたくなるほどに美しい。」p.59
・「太陽は、敵だ。このあたりではものを育てる母なる太陽ではなくて、一切の生き物を灼き枯らす兇悪な敵ではないか、と思われる。青一点張りの、うとましくなるほどに青い蒼窿のどまんなかで、太陽は千本もの手をふりまわして、勝手放題、人間の都合、総じて生きものの方の都合など考えてもくれず、たったひとりで躍り狂っている。千手観音というのは、こいつから発想されたんだろう、と云って、私はその無智を笑われたが、そう思いたくなるようなものである。」p.74
・「季節は、二つしかない。雨期と乾期だけである。」p.77
・「そして人々の動物的な生活水準。というよりも、殺生禁止が徹底しているための、動物との、いわば平和共存。マラリア菌をもっていることがわかっているのに、それでも蚊を殺すことを厭う人々がある。」p.78
・「とにもかくにも比較的に気候温和で食物の種類の多い日本島に育ったものにとって、インドの自然が人間に対してどんなに邪慳で無慈悲、かつ事実として脅迫的であるかを云うことはむずかしい。」p.79
・「デリーにいるあいだ、私は音楽の催し物がある毎に欠かさず聴きに行った。もともと音楽が好きだということもあったが、いちど聞いて、インドが実に豊かな音楽の資源をもっている、中国にくらべたら段違いに豊かなものであることに気付いたからであった。楽器も、百数十種類はあるらしい。(中略)リズムでは近代ジャズに似ていて、音響全体は、なんとなくシェーンベルヒの十二音階音楽を連想させる。音楽は、そして歌も、はじまるともなくはじまり、おわりになったとも思えぬところで、思いがけなく、そして決して基調音に復帰することなく、中途半端な次属音らしいもので、妙なところで、妙だろうがなんだろうがおかまいなしでハタとおわってしまうのである。怪奇にして異様なる音楽ということが出来るであろう。」p.88
・「戦後すでに十数万の日本人が海外へ出掛けた。サンフランシスコ講和会議に行った吉田茂の旅券が第一号だそうで、私のそれは138813号であった。」p.99
・「インドにはいったいいくつことばがあるのか。私は正確なことを知らない。というのは、質問をしても答えが人によって違うからである。ある人は、十四、十七、またある人は百とも百二十とも云う。私の記憶では、いちばん多いのが二百二十という答えであったと思う。  さて、この十七というのは次のようなものである。アッサム語、ベンガリー語、イングリッシュ(英語もインド内の一語、恐らく通用範囲がいちばん広いだろう)、グジェラーティ語、ヒンディ語(これを国語にしようということになっている)、カンナダ語、カシュミーリー語、マラヤラム語、マラーティ語、オリア語、パンジャビー語、ラージャスタニー語、サンスクリット語、シンディ語、タミル語、テルグー語、ウルドゥ語の十七。  私はつくづく思った。いや、インドという国は、これはたいへんなことになっている、と。」p.107
・「おそらく、日本のように一ヶ語だけで全国はなしの通じる国は、地球の上では、むしろ少数に属するのだ。特殊な国なのだ。」p.108
・「仕方がない、私はスプーンとフォークをあやつって、ひっかきまわし、灰色と黄と紅がまざりあって、遂にどす黒くなったものをひとくち、口に入れた。そして思い切って嚥下した。それは、もう辛いなどというものではない。頭のテッペンから汗が吹き出すような気がした。気も遠くなりかけた。(中略)黄色いものと紅いものと、山羊のヨーグルトと脳味噌でぐちゃぐちゃになった、黄、紅、白、灰色、これらのみんなにどす黒いのドスという形容をかぶせたものの盛り上がった皿を手にして、茫然としていると、今度は詩人が、これはどうやらあなたにはあわないらしい、ではこいつはあっさりしているから、こいつに、例の黄色いものや、深紅色のどろりとしたものをつけてお上がりなさい、」p.137
・「要するに概念がちがうのだ。極東の島とはちがうのだ。」p.140
・「もしおれがここに生れて……、と思うと、私はもう怖ろしくなって来る。その怖ろしさが、農村を少しばかり歩いてみて、身にぞくぞくと迫って来るのを覚えた。」p.141
・「夕暮れどきをちょっとすぎたくらいの時間に、カルカッタのダムダム飛行場に降り立ち、はじめて市中に車で入ったとき、途端に横面をはりとばされたような気がした。何にはりとばされたか。人口過剰、貧窮、街の汚さ加減などの千手観音の、その長い手の奥、その本体、本尊である「搾取」というものに。」p.150
・「帰国して、私はいろいろな人に、いろいろとインドの事情を聞かれた。(中略)そしてたいていの質問者の、最終的な疑問は、次の質問に帰着するようである。(中略)「そんなに貧しくって、非能率でのろくさくて、不潔で、官僚的で、古い宗教的なものが支配的なまでにありすぎる『後進国そのもの』なのに、いったい国際社会におけるネルーなんぞの偉そうな発言はどうしたわけのものなのか。あれは単なるハッタリなのかね、中味と外見がそんなにずれているんでは……?」」p.165
・「いかし、いったい何故インドのインテリ諸氏はかくも雄弁、あるいは超雄弁なのだろうか。」p.173
・「インドのある文学者と話していたとき、話題が不意に、人生の目的如何というような巨大な題目に入って行ったことがある。彼は言下に、目的は解脱(release)にある、といって私をおどろかせた。彼の考えと私の考えとは、根本的に対立する。私は解脱なんぞさせられてはたまったもんじゃない、と思っている。が一方では、心底では、不安でもあり空虚でもあるのである。」p.192
・「あるとき私は質問をした。  「しかし、それらはすべて死の思想ではないか?」  と。これに対して、言下に、  「しかり、しかるが故に生の思想である」  という返答をえた。」p.205
・「インドで、私はしばしば漱石のことばを思い浮かべた。そして、それと同時に、幾分の警戒心をまじえてではあったが、内村鑑三のことを考えた、特に『余はいかにしてキリスト教徒となりしか』という一書のことを考えた。」p.207
・「「その歩みがのろかろうがなんだろうが、アジアは、生きたい、生きたい、と叫んでいるのだ。西欧は、死にたくない、死にたくない、と云っている。」」p.210
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【本】大学崩壊!

2007年07月30日 21時46分41秒 | 読書記録2007
大学崩壊!, 川成洋, 宝島社新書, 2000年
・無能でモラルの無い大学教授、頽廃した教授会、学力の低下した学生について、大学に関する醜聞のコレクション。以前、『分数ができない大学生』(岡部恒治他編,東洋経済新報社,1999年)という本が話題になりました。私は未見ですが、この本の成功を受け、出版社が似たような内容の本の企画を、過去同じようなテーマで文章を書いたことのある著者に改めて持ちかけ、一冊の本に仕立て上げた、という筋書きが見えるようです。他書からの引用が豊富なのでリファレンスとしての価値は多少あるかもしれませんが、読み物としての価値はあまり感じられません。
・「私は他の無能教授とは違う!」と、自らの仕事っぷりを示すためか、巻末に本書の内容とは何の関係も無い文献リストを収録[写真]。
・「答えは明白だ。大学にふさわしくない人間を排除すればいいのである。」p.5
・「そのほか多種多様な錯乱形態があって、「東大の先生の三割はおかしい」という昔からの言い伝えはやはり本当だといわざるをえない。(西部邁『学問は死んだ』)」p.23
・「とりあえず受験生諸君は、大学の入試要項をよく見て、教養課程の充実していない大学は避けるべきであろう。試験問題の不適切さだけではなく、入学後の教養教育の不十分さは将来の人間形成に支障をきたすからだ。」p.25
・「すでに、国立大学では教養部の解消と新設学部の設立といった大改革も終わり、私大も、「サバイバル戦争」を意識してか新設学部の創設に躍起になった。「国際」とか「情報」といったなんとも馬鹿の一つ覚えのような月並みなネーミングの新学部のオンパレードである。」p.112
・「助手、という侮蔑的な名称自体、私も助手の経験があるので何とかならないものかと思うが、その名称が示すとおり、助手とは、大学の前近代的な教員制度の矛盾を一身に引き受けねばならぬ立場なのである。」p.120
・「私は、「大学教員の任期制」には反対である。このように任期制の趣旨をネジ曲げて運用しようとする教授会があるからだ。それよりも、「大学教授の任期制」なら賛成である。」p.121
・「結局、数学の学力低下は、旧帝大などのトップ校の大学を含む一般的な現象であり、こうした低迷した状況という盤根錯節を一気に切開するのは、スリムになりすぎた大学入試の抜本的な変革、つまり、入試科目の拡充しかないであろう。」p.191
・「もうそろそろ、この種の入試問題にピリオドを打ちたいものである。「エイティーン・ショック」を利用して、いわゆる大学入試を実施せずに、新入生を決定するシステムを考えねばならない時期にきているのかもしれない。」p.204
・「望蜀の一言を付記すれば、入試科目の英語を「選択」科目にすべきである。冒頭に述べたように、ほぼ何の役にも立たない受験英語の能力で、志望する大学が序列されていること自体、おかしいではないか。」p.206

?そくぶん【仄聞】 ほのかに聞くこと。ちらっと聞くこと。うわさに聞くこと。側聞。「仄聞によると」
?うこさべん【右顧左眄】 右を見たり左を見たりして迷うこと。左顧右眄。
?ばんこん‐さくせつ【盤根錯節】 1 わだかまった根と、入り組んだ節(ふし)。  2 混みいって処理するのに困難な事柄。盤根。
?ぼうしょく【望蜀】 一つの望みをとげ、さらにその上を望むこと。足ることを知らないこと。
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【本】ハツカネズミと人間

2007年07月26日 22時08分00秒 | 読書記録2007
ハツカネズミと人間, スタインベック (訳)大浦暁生, 新潮文庫 ス-4-8(5111), 1994年
(OF MICE AND MEN, John Steinbeck, 1937)

・舞台は1900年代初頭のカリフォルニア。農場を転々としながら金を稼ぐ二人組、ジョージとレニーの物語。
・同著者の著作は初見。アメリカの作家でノーベル賞を受け、同年代の人物であるという点で、フォークナーのことがすぐに頭に浮かびます。フォークナーに衝撃を受けたのと同様に、こちらも負けずに強烈な空気感を持っています。のどかでいて、どこか不気味さと緊張感が漂う。
・「先頭の男は小柄で機敏、顔が浅黒く、ぬけめのない目をして、目鼻だちも鋭くたくましい。からだのどの部分もきびきびしており、手は小さくて丈夫、腕はしなやか、鼻は細く骨ばっている。その後ろからついて来るのはこれと正反対の大男で、顔にしまりがなく、大きな薄青い目と幅広いなで肩をしている。重そうに足をいくらか引きずって歩く様子は、まるでクマが足を引きずっているようだ。腕は振らず、だらりとたれたままだ。」p.6
・「「かわいがってると、すぐにおらの指をかむんだ。それで、ちょっと首をひねると、もう死んじまう。とってもちっちぇえからなんだよ。……ねえ、ジョージ、おらあ、いますぐウサギがほしいなあ。ウサギならそんなにちっちゃかねえよ」」p.17
・「「なぜからかうのをやめたか、話そう。ある日、みんなでサクラメント川の川岸にたむろしていたのときのことだ。おれは自分がすごくかしこいような気がしてね。レニーに向かって<飛び込め>と言った。やつは飛びこむ。ところがまったくのカナヅチなんだ。やっと助け出したけど、もうすこしでおぼれるところだったよ。それなのに、助けてくれてありがとう、とおれに礼を言うんだ。おれが飛びこめと言ったことなんざ、すっかり忘れてるんだな。それで、おれはもうそんなことはやらねえようになった」」p.58
・以下、訳者あとがきより「フォークナーといえばミシシッピ州のオクスフォード周辺を思い出すように、スタインベックの世界はカリフォルニア、とりわけサリーナス近辺の自然や歴史と密接に結びついている。」p.149
・「原題の Of Mice and Men は、スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ(1759-96)の詩「ハツカネズミに」の第七節――  ハツカネズミと人間の このうえもなき企ても  やがてのちには 狂いゆき  あとに残るはただ単に 悲しみそして苦しみで  約束のよろこび 消えはてぬ  からとったものだ。」p.156
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【本】超常現象をなぜ信じるのか

2007年07月23日 22時34分39秒 | 読書記録2007
超常現象をなぜ信じるのか 思い込みを生む「体験」のあやうさ, 菊池聡, 講談社ブルーバックス B-1229, 1998年
・日常、誰もが経験する『勘違い』などの現実の誤認識。その脳内の情報処理のメカニズムについて、『超常現象』を例にとり認知心理学の立場から解説する。これを読むと、人の記憶や推論というものがいかに危うく、信用できないものであるかを思い知らされます。タイトルからはイロモノ的印象を受けますが、実はしっかりした内容の良書。
・「言った」、「言わない」が喧嘩の原因になることがよくありますが、皆、これを読んでおけばそんなトラブルも解消!? 本書を読んでなお自分の記憶や推論に絶対の自信を保てる人は少数派ではないでしょうか。
・「したがってこの本では、超常現象の正体を解明すること自体を目的とはしません。考えてみたいのは、私たちが経験をもとに、いとも簡単に超常的解釈を信じてしまうという事実です。」p.6
・「「超常現象からの認知心理学入門書」」p.7
・「これらの表現に共通する意味を辞書的に考えてみると、「信じる」とは「何か(が存在すること)を疑わずに、本当のことと思いこむ心の働き」であり、言いかえると「あることが事実であると想定する心理状態」をさしているようです。(中略)ですから、信じるという言葉を使う場合は、信じる対象が不確実であるという意味を帯びて使われます。もしも確実なことであれば、ただ単に「知っている」とか「ある」か「ない」かだけで述べるほうがしっくりきます。」p.17
・「このような何かを信じる心の動きを、心理学用語では「信念(ビリーフ)」と表現します。心理学辞典によれば、信念とは「ある対象がある特性をもつことについての主観的可能性を述べたもの」と定義されています。」p.18
・「例をあげれば、血液型性格判断を信じている人で、「本に書いてあったから信じる」というのは情報的信念であり、「自分の血液型が当てられたし、血液型で人の性格を予想できた。だから信じる」というのは推論的信念ということになります。」p.21
・「そしてこうした誤信念は、科学的な知識や常識の不足から生まれるとはかぎらないというのが非常に興味深い点です。そこにはもっと深く、人間の心の本質に根ざした心理システムが影響を与えているのです。」p.23
・「不思議現象が科学的に認められないのは、科学的常識に反しているという理由からではありません。(中略)これらの現象が実在するという主張に、いまのところ信頼性と妥当性が欠けており、証拠として著しく不完全であるからです。」p.25
・「不思議現象を信じる心は、決して無知や教育の欠如によって生まれるのではなく、必ずしも科学的な態度と対立するものでもないことがうかがえます。」p.33
・「エンゲルスは「自然科学を神秘世界に媒介するのは思考を放棄した平凡な経験」であると指摘したそうですが、体験は信念を形成する上で実に強い力をもっているのです。」p.35
・「私は、この認知バイアスこそが、不思議現象に対する誤った信念を生み出す大きな要因になっていると考えているのです。」p.39
・「19世紀後半に知覚心理学の端緒をひらいたドイツの生理学者ヘルムホルツは「知覚とは、外界を単に再現することではなく、感覚情報のパターンから無意識的な推論を行った結果である」と考えました。この考え方は、当時から賛否両論がありましたが、後に認知心理学の立場から再評価され、有力な知覚理論の一つに位置づけられています。」p.44
・「目がとらえているまだら模様は何も変わっていません。変わったのは私たちの知識と、それにもとづいて絵を見ようという「予期」だけです。  予期によって、ダルメシアンについての知識が呼び起こされ(活性化され)、それにもとづいて絵を見ようという知覚の構えが形成されます。」p.48
・「このような、ものを見たり考えたりする際の枠組みになる知識のことを、認知心理学では「スキーマ」と呼びます。言いかえれば、スキーマとは個人が経験を通して形成してきた外部環境に対する総合知識のことです。」p.49
・「問題1  あなたがふだん見慣れている百円玉の両面を思い出して、できるだけ正確に描いてみてください。描きおわるまで、次のページはめくらないように。  さて結果はどうでしょう。」p.79
・「バートレットは、このような記憶の変容の原因が、その人の知識や経験の総体であるスキーマにあると考えました。つまり人はスキーマにそって新しいできごとを記憶するため、スキーマと整合するように記名や想起を行い、スキーマと矛盾する情報はゆがめられたり、思い出せなくなるなどして、徐々に失われていくのです。」p.82
・「こうした偽の記憶を植え付ける実験は、他にも多く行われています。それらの結果からも、イメージを膨らませる暗示を与えることで、まったく実在しなかった体験ですら、生々しい記憶として思い出されることがあるという驚くべき事実が明らかになっています。」p.89
・「自分の記憶について確信している程度と、実際にその記憶内容が事実であるかどうかの相関を調べた多くの研究では、日常の記憶場面における相関はごく低く、確信度が高いからといってそれが正しい記憶であるとは判断できないことが明らかになっています。」p.93
・「こうした記憶研究の成果から、UFOや幽霊などの不思議現象の目撃談は、非常に誘導を受けやすい性格をもっていることがわかります。  たとえば何か正体不明の物体を目撃した人に「どんなUFOを見たのですか?」とか「その霊の様子はどうだったのですか?」といった聞き方をしただけで、誘導尋問(事後情報)になります。」p.94
・「つまり、催眠状態で得られた証言は信憑性が低いため原則として信用ができない――これが認知心理学からの妥当な結論と思われます。」p.100
・「超常現象よりも深刻な問題として、現在欧米で社会問題となっている「幼児期の性的虐待の記憶の回復」があります。これは「偽記憶症候群(False Memory Syndrome)」とも呼ばれ、典型的なケースでは、催眠や誘導イメージ法などの暗示性の強い心理療法を受けた相談者が、幼児期に家族から性的な虐待を受けていたことを思い出し、その結果、父親を裁判に訴えるなどして家族関係を崩壊させてしまうものです。」p.102
・「私は、この思考の段階での情報処理のバイアスこそが、誤った信じ込みを生み出す最大の要因であると考えています。」p.104
・「この例のように、個別の事例から一般的な法則性が導かれる推論形式は「帰納推論」と言います。逆に、一般的な法則から個別のできごとについて推論する形式は「演繹推論」と言います。私たちは帰納推論と演繹推論を繰り返しながら、日常生活を送っているのです。」p.109
・「ある仮説を証明するために、その仮説の否定を考えるということは、直感的にはなかなか理解しにくいことですが、論理的には適切な思考法です。」p.118
・「私たちが予知夢に関してかよった信念をもっているとすれば、それは目立つできごと相互に関連性があると考えてしまい、反証事例を考慮せずに確証事例のみで判断するという思考バイアスに大きな原因があるのです。」p.125
・「もちろん、動物の敏感な能力によって、人間や計測機器が感知できない微妙な地電流や電磁波の変化を感知している可能性までは否定できません。しかし地震の前に暴れた動物がいるという事例だけでは、動物に予知能力があるかどうかはわからないのです。そして、本当に必要な反証事例(地震前に暴れなかった例、暴れても地震がなかった例)は、ほとんど注意を引きません。そもそも、日本では有感地震のない日の方が珍しいことも忘れてはならないでしょう。」p.134
・「このような錯誤は、うっかりすると医学専門家や心理療法家でもおちいることがあります。そこで「治療した、治った、ゆえに治療に効果があった」というロジックで治療を評価することは「三た論法」と呼ばれて厳しく戒められています。」p.138
・「このように、理論的に厳密な手続きに頼らず、確実ではないが効率よく問題を解決しようとする考え方(方略)を「ヒューリスティクス(簡便法)」と呼びます。これに対し、論理的な一定の手続きにしたがって問題を厳密に解決するシステマティックな処理法略を「アルゴリズム」と呼びます。」p.149
・「あなたの身のまわりで、後になれば不吉な予兆と思うようなことは、日常的に起こっているはずです。何か事件が起きると、そうした日常的なできごとの中からふさわしい予兆が選ばれて、不思議な体験と解釈されます。しかし、事件といえるようなことが何も起こらなければ、日常的なことはすぐに忘れられてしまいます。」p.156
・「たしかに、あなたが一年間にそんな体験をする確率はわずか10万分の3にすぎません。しかし日本の人口(約1億2000万人)を考えれば、毎年3000件以上もこんなできごとが起こっていることになるのです。」p.161
・「確率にもとづいて起こるできごとは、対象となるケースが多くなればなるほど真の値(この場合は理論値)に近づきます。これはベルヌーイの「大数の法則」として知られています。(中略)自分自身や身近な体験談など少ないケースを論拠に全体を判断することは、非常に危険です。」p.166
・「そこで知覚システムは、そうした不完全で多義的な感覚情報を、適切な形に推測、補完して、情報の解釈を一つの安定したものにする働きをもっています。こうした知覚の再構成能力のおかげで、私たちは感覚器の能力以上の知覚情報を効率的に利用できるわけです。(中略)ですから、さまざまなできごとの中から不思議現象が容易に発見されるのは、私たちにとって自然なことだと言ってもよいでしょう。ただ、この能力が働きすぎるために、ときには力余って本来関連性のないところにまで関連性を見いだしてしまうのです。」p.180
・「反証情報を無視するには、自分のスキーマに合わない証拠は、例外として別枠に放り込んでしまい、事実上考えないですませることです。これを「サブタイプ化」と言います。」p.185
・「私たちの認知的保守性のあらわれの一つに、「偶然性に支配された、原因のないできごと」という考え方を嫌い、どんなできごとにも確固とした因果関係があると考える傾向があります。」p.188
・「まず、自覚しておかなければならないのは、再三再四指摘しているように、体験を構成する知覚や記憶、思考といった認知情報処理はエラーに対してもろく、容易に情報の変容を引き起こすことです。認知システムには、情報の変容を起こす仕組みが根本的に組み込まれているのです。」p.197
・「自分がしている認知情報処理に注意し、これを理解する働きを、認知自体を認知する上位(メタ)の認知という意味で「メタ認知」と呼びます。」p.198
・「メタ認知の大切さを含めて、人が陥りやすい思考の落とし穴や先入観の影響などを充分に自覚し、ものごとを感情論を排して冷静に、論理的に考え、判断を下す思考の技術、これを総称してクリティカルシンキングの技術と呼びます。」p.204
・「「敵を知り、己を知れば百戦して危うからず」という言葉がありますが、何よりもまず、日常のさまざまな活動の中で、過ちを犯しやすい自分自身の認知を謙虚に知ることこそ、人生や社会のさまざまな問題に立ち向かう際の基本ではないでしょうか。」p.206
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【本】ぼくの命を救ってくれなかった友へ

2007年07月20日 21時38分13秒 | 読書記録2007
ぼくの命を救ってくれなかった友へ, エルヴェ・ギベール (訳)佐宗鈴夫, 集英社文庫 キ-11-1, 1998年
(A L'AMI QUI NE M'A PAS SAUVE LA VIE, Herve GUIBERT, 1990)

・日本でいうところの、『芸能人の曝露本』といった内容でしょうか。フランスの作家である著者のエイズ感染や同性愛の告白を織り込んだ作品。著者自身の闘病記(ノンフィクション)を想像していましたが、体験に基いた創作小説という雰囲気です。カバー紹介文には「一大センセーションを巻き起こし、」の文字があるが、今読んでみると、特に胸に迫るような場面があるでもなく淡々とした展開で、そういう作風なのか一部支離滅裂の印象もあり、そんなに話題になる程の内容だろうかと思えます。出版当時はまだ、エイズが目新しく物珍しい病気だったという時代背景の違いのせいかもしれません。
・「この本は、病人なら誰もがいだいているこの不安な気持ち、そのあいまいな境目のなかでしか存在理由をもたないと思っている。」p.9
・「はじめて、心底からつらい思いを味わった。できるかぎり本を書きたい。死を宣告されたせいで、きゅうにそんな気持ちになった。」p.73
・「彼がいなくなると、気分がよくなった。最良の看護人は自分だった。ぼくの苦悩など、誰もわかってくれないのだ。」p.182
・「ジュールはぼくたちが感染していないと思いこんでいたとき、エイズのことをすばらしい病気だと言った。たしかに、この恐ろしい病気には、なんとなく甘美なもの、魅惑的なものがある。もちろん、いたましい病気ではあるけれど、急死することはないのだ。確実に死にいたる途中に踊り場やひどく長い階段があり、階段の一段一段は死への比類のない見習い期間であった。死ぬ時間をあたえてくれ、死人に生きる時間をあたえてくれる病気、時間を発見し、つまり生を発見する時間をあたえてくれる病気だった。アフリカミドリザルが広めた、いわば現代の天才的な発明である。」p.194
・「死病を自覚していく局面でいちばんつらいのは、たぶん遠景の喪失だろう。病状の悪化と、それとときを同じくして起こる時間のちぢみのなかで避けることのできない失明のように、ありとあらゆる遠景が失われてしまうのだ。」p.209
・「AZTの投与をはじめるまえに、じっくり考えさせてもらいたい、とぼくはシャンディ先生に言った。治療をうけるか、自殺をするか、つまり、治療をうけ、生きていられる期間をのばして、あたらしい作品を一、二冊ものにするか、それとも、やはりこういった拙劣な書物を書けないように自殺するか、それをはっきりさせると言外に匂わせたのである。」p.217
・「自殺は健康な人間の反射的行動だった。病気のせいで自由に自殺できなくなるときのことを、ぼくは恐れていた。」p.219
・「「きっとエイズはアメリカ人を大量殺戮するだろう。アメリカ人は犠牲者のターゲットをはっきりしぼっている。麻薬患者に、同性愛者に、囚人なんだ。ほうっておけば、そのうちエイズがこっそり片づけてくれる、静かに、そして、ひそかに。」p.255
・訳者あとがきより「さて、本書ですが、エイズ感染があきらかになった年の十二月、ローマで書きはじめられ、二年後の1990年にガリマール社から刊行されて、それまでは一部の文学関係者に高く評価されていただけで、「本の売れ行きがあまりかんばしくなかった」ギベールを一躍ベストセラー作家にした、まさしく彼の代表作とも言うべき作品です。」p.298
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【本】日本の天気

2007年07月13日 22時19分36秒 | 読書記録2007
日本の天気, 高橋浩一郎, 岩波新書 (青版)489(G26), 1963年
・このシンプルかつストレートな題名が目に付き、思わず棚から手にとりしばし立ち読みの後購入。しっかりした内容のよい本でした。「日本は四季のある珍しい国」とはよく言われますが、その日本の四季について春から順にその天気について丁寧に解説したものです。日本の豊かな四季の変化や、それによってもたらされる恩恵や災害について改めて思い知らされました。今となっては当たり前になっている気象衛星からの写真ですが、なにしろ古い本なので地上や飛行機からの観測をもとに天気の予報をしていたりと、当時の苦労が偲ばれる記述もあります。人工雨など、天候の人為的操作に関する記述には興味をそそられました。いつしか自在に雨を降らせたりと、天候を人間がコントロールする時代なんてくるのでしょうか。
・「日本人は外国人よりは、はるかに天気に対する関心が深いようである。手紙の初めには、陽春の候となりとか、暑さきびしき折りからなど、天気に関することから書き出すことが多い。また日本には季節感を基礎とした、世界独特の俳句という短詩が生れた。」p.2
・「このように天気といっても、場合により多少違うが、とにかく一つの場所のある時刻における大気の状態をいうことには間違いなかろう。」p.6
・「現在新聞などに用いられている天気図の記号は、いわゆる日本式と称するもので、気象庁や気象台で用いているものとは違う。」p.11
・「ある特定の日がその前後の日に比較し、非常に違っている場合がある。そのよい例が11月3日、文化の日である。(中略)明治時代には菊薫るこの日は明治天皇の誕生日だから晴れるといっていたが、実際に調べてみてもその傾向がはっきりとしているのである。」p.23
・「日本の水はこのように人口割りにすれば少ない方の部に入るが、面積当りでは多い方であり、ふだんその有難みを感じないが、諸外国にいってみると恵まれていることを痛感するのである。そして、日本の人口が多いことは、雨の例でもわかるように、一つは気候的に恵まれているからであって、もし気候が悪かったならば現在の人口は到底養えないであろう。」p.44
・「日本の雨が多いのは、気象学的にみれば、日本が大陸と海洋の境にあり、大陸の気団と海洋の気団の塊の前線帯にあるからである。」p.45
・「集中豪雨ということばがジャーナリストによりつくられたのは、たしか昭和33年7月1日の浜田の大雨のあとである。この言葉は学術用語ではないが、実感の出る言葉である。」p.58
・「暑さが続くともう少し涼しいとよいがなあと思う。これは人情ではあるが、夏は暑い方がよい。日本の夏が暑いので、米などもよく育ち、狭い国土にもかかわらず大きな人口を支えることが出来るのである。」p.81
・「このように、長期予報についてもいろいろと研究はされているが、現在なおその基本的の思想がまとまっておらず、今後の研究課題として残されているのである。」p.85
・「土用波である。これは台風によって生じたうねりが伝わって来て、海岸でくだけて起るものであり、土用波は台風シーズンの前ぶれである。(中略)また夏の土用の日にうなぎを食べるという習慣は幕末の科学者平賀源内がはやらせたことといわれているが、これは夏やせをふせぐ意味もあるのであろう。」p.97
・「ふつうの台風は風のエネルギーだけで1024エルグの桁であり、それを維持していくのには毎秒1020エルグのエネルギーを補給しなければならない。これは水爆百コ分のエネルギーに相当し、また106台、すなわち百万台の機関車の出す馬力に当るのである。ここでは台風のエネルギーとして風のエネルギーしか考えていないが、実際にはこのほか位置のエネルギーがあり、これはさらに20倍も大きいのである。」p.118
・「災害は自然と人間の戦いにおいて人間が破れた時に起こるものである。」p.130
・「近頃は天気図を電送写真(ファックシュミル)で放送もする。」p.139
・「春は太陽の日ざしが一日一日と強くなる頃であり、地面は暖められ、対流が起りやすい。したがって大気の鉛直の安定度は悪く、乱れが出来やすく、ごみなども舞い上がりやすい。(中略)これに対し、秋はつるべ落としに日が短かくなり、地面から冷えていくので、大気の安定度はよく、風の乱れは小さくなる。しかも台風期に降った雨で地面がぬれており、ゴミも立ちにくい。このため空気中のごみは少く、空が澄むのであろう。」p.146
・「日本付近では一般に東寄りの風は雨の兆であり、西寄りの風は天気がよい兆である。」p.151
・「昔の天気予報は当らないといってよく物笑いの種にされた。水をのむ時、測候所、測候所、測候所と三度いえば当らないというような笑話もあったくらいである。」p.160
・「なお、1980年6月1日から、このような考えにそって、雨の降る確率をつけた、降水確率予報が、日日の天気予報にも加えられるようになった。」p.167
・「昭和34年の4月末から5月初めの飛石連休には各地の山岳で山の遭難がおこり、4月28日から5月5日の間に22名の死者を出している。」p.171
・「この頃は暖冬が続き、生活も向上したので、むかしほど寒さは感じられないが、」p.180
・「このスモッグというのは煙と霧との混合物という意味で、英語のスモウク(煙)とフォッグ(霧)とをつないで出来たものである。」p.184
・「また霧を消すことは技術的に可能であるが、非常な経費を必要とするなどの理由から、実用にはなっていない。」p.189
・「気象庁が何省に属するかという質問にも簡単には答えられなくなる。農林省にあっても、建設省にあっても、逓信省にあってもおかしくない。イギリスでは空軍省に属し、アメリカでは商務省、インドでは運輸通信省に属している。日本では戦前は文部省に属していたが、現在は運輸省に属している。この例からもわかるように、気象はいろいろの方面に関連があり、とくに国土計画に際しては是非とも考えておかなければならない一つの重要な鍵である。」p.196
・「一般的にいって、降水量が増すと物価が下る傾向がある。これはおそらく天気が悪いと、人間が出不精になり、物の消費が減り、在庫品が増すためであろう。」p.203
・「もう一度年々の平均気温や降水量を調べてみよう。そうすると、年々の変化は実はいろいろな長さの周期的変化の合成されたものと見なすことが出来、一般的の傾向として、長周期の方が大きな振幅をもっていることがわかるのである。」p.205
・「一般的にいうと、太陽活動が盛んになると大気の南北の混合が盛んになるといえる。このように太陽活動の変動が気候変動の原因と考える根拠が増して来ているが、まだ確定したわけではない。」p.209

?りげん【俚言】 俗間に用いられることば。また、土地のなまりことば。俗言。俚語。
?シノプチック(synoptic) 1 要約の,通観[大観]的な.  2 共観的な;共観福音書の[に関する]
?えいまん【盈満】 物事が満ち満ちること。欠けたところがないこと。また、そのさま。盈溢。
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