寄生獣の映画を見てきました。
ネタバレありです。
原作をリアルタイムで読んでいた身からすれば、原作に無駄なシーンが一切ないので、これを映画化するのはそもそもかなり改変しないと無理だろうとは思っていました。
なので、色々足りないシーンがありながらもそれなりに妥協しつつ楽しく見ていました。
でもクライマックスでの母親と戦うシーン。これはダメだった。
母親を乗っ取ったパラサイトの新一への攻撃を、母親の右手が勝手に動いて防いでしまった。
これは寄生獣の物語を根底から覆す大幅改変。大失態だと思います。
母親の愛が残っていて奇跡を起こした。これはもう寄生獣ではありません。
原作ではそんなご都合主義の展開は一切ありません。パラサイトに殺された母親は無慈悲に化け物となり、最後までそれは変わりません。
もうこのシーンを見た瞬間に「あ、これ寄生獣じゃなかったんだ」と思って一気に冷めました。
最悪「偶然」だったことにするか…。母親のもともとの癖が出たとか、筋肉の動きに連動した反射みたいな反応だったとか…。制作側にはそんなことにする気はさらさらないでしょうけど。
そうでも考えないと、もうなんでもありのご都合主義の物語になってしまいます。
いやわかりますよ。
どうせ映画の尺では細かいところまで描けないし、そもそも大多数の観客はちょっと映画館に来て2時間ほどスクリーンを見て満足して終わりの人たちなわけで、そういう意味では安っぽいヒューマンドラマにするのが効果的なことは。
実際映画終わった時の回りの人たちの反応は「面白かった!」っていうのばっかりでしたから。
だから僕もミギーのしゃべりがやけに軽くて漫才みたいだったり、そもそも新一とミギーの関係性が(本来の補完関係ではなく)友達みたいだったりっていう違和感には目をつぶって、これはこれとして楽しんでたんです。
でも、変えていいところと変えちゃいけないところってあると思うんですよね。
その点アニメは尺もたっぷりあるし、原作をほぼ踏襲しながら時代の違いを上手くアレンジしていて、なかなか出来が良いと思います。
ミギーが女声なのがやはり残念ですが、それでもうまくミギーを表現していると思います。
寄生獣アニメは今後も楽しみに見ていこうと思います。
いやほんとに残念な映画でしたが、映画版の島田秀夫はなかなか好きです。
いい顔してるw
ネタバレありです。
原作をリアルタイムで読んでいた身からすれば、原作に無駄なシーンが一切ないので、これを映画化するのはそもそもかなり改変しないと無理だろうとは思っていました。
なので、色々足りないシーンがありながらもそれなりに妥協しつつ楽しく見ていました。
でもクライマックスでの母親と戦うシーン。これはダメだった。
母親を乗っ取ったパラサイトの新一への攻撃を、母親の右手が勝手に動いて防いでしまった。
これは寄生獣の物語を根底から覆す大幅改変。大失態だと思います。
母親の愛が残っていて奇跡を起こした。これはもう寄生獣ではありません。
原作ではそんなご都合主義の展開は一切ありません。パラサイトに殺された母親は無慈悲に化け物となり、最後までそれは変わりません。
もうこのシーンを見た瞬間に「あ、これ寄生獣じゃなかったんだ」と思って一気に冷めました。
最悪「偶然」だったことにするか…。母親のもともとの癖が出たとか、筋肉の動きに連動した反射みたいな反応だったとか…。制作側にはそんなことにする気はさらさらないでしょうけど。
そうでも考えないと、もうなんでもありのご都合主義の物語になってしまいます。
いやわかりますよ。
どうせ映画の尺では細かいところまで描けないし、そもそも大多数の観客はちょっと映画館に来て2時間ほどスクリーンを見て満足して終わりの人たちなわけで、そういう意味では安っぽいヒューマンドラマにするのが効果的なことは。
実際映画終わった時の回りの人たちの反応は「面白かった!」っていうのばっかりでしたから。
だから僕もミギーのしゃべりがやけに軽くて漫才みたいだったり、そもそも新一とミギーの関係性が(本来の補完関係ではなく)友達みたいだったりっていう違和感には目をつぶって、これはこれとして楽しんでたんです。
でも、変えていいところと変えちゃいけないところってあると思うんですよね。
その点アニメは尺もたっぷりあるし、原作をほぼ踏襲しながら時代の違いを上手くアレンジしていて、なかなか出来が良いと思います。
ミギーが女声なのがやはり残念ですが、それでもうまくミギーを表現していると思います。
寄生獣アニメは今後も楽しみに見ていこうと思います。
いやほんとに残念な映画でしたが、映画版の島田秀夫はなかなか好きです。
いい顔してるw