
さて、この日のメインイベントは
「蛍放生祭(ほたるほうじょうさい)」~ほたるまつり~(鶴岡八幡宮にて)
sunny は、子供の頃に、田舎で蛍を見ていたからか、
このイベントは外せなかったようだ。
お祭り自体は午後7時からだったけれど、
私達は早めに(6時半頃)着いたので、並んで待つことに。
まだまだ準備中↓

ちょうどこの頃、雨がパラパラと降ってくる。
ようやく7時前に、儀式が開始。
神職の方達がお辞儀をしているところ↓


傘をさしているのは、子供の保護者の方々。
雨は かなり本降りになってきていた。
写真では見切れているけれど、右の方にテントがあって、その中に子供達がいる。
地元の子達なのかな。
彼らがメインの参加者。
私達は、
こんな感じ↓に並んで それを見ていた。
―――――――――→
→ (先頭)
――――――――
← ●
――――――――
→ (保護者達)
―――――――― □舞殿□
← (子供達)
――――――――――
私達は早めに来た方で、2列目だった。
sunny が、儀式が舞殿で行われることを知っていたので、
私達は●の位置にとどまって待っていたのだけれど、
人によっては…
というより、実際には、皆 傘をさしているので、
舞殿の様子が見られたのは
私達のような舞殿側の ホントに一列目の人達だけだったみたいだ。

なにやら儀式を行っているのだが、正直・・・
(これを見ると、12月の「御鎮座記念祭」御鎮座記念祭 at 鶴岡八幡宮 [鎌倉5]は、結構面白かったと思うなぁ)
しかも もの凄い大雨になってきた。
待っている人達は、何も見えないし、相当退屈だったことだろう。
見物客(私達の側)からの
“ざわざわざわざわ…”という私語の塊が
“どよどよ”と響いていくのが
自分達の側にいても ちょっとわかった。
sunny と、それぞれのデジカメの動画撮影モードで動画を撮って遊び?始める。
神楽が流れて、巫女さんの舞が始まって・・・
(結構面白い動画が撮れたので、載せようと思ったのだが
このブログでは無理みたいだ)
“お祓い(おはらい)”しているのかな? ↓ (ひょっとすると、前に置かれているのは蛍?)

なんで蛍に対して こんな儀式をするんだ? という疑問もあったし、
「放生」って
ちょっと独特の言葉だなとも思ったので 調べてみたら
仏教に関連する用語のようだ。
放生(ほうじょう):
捕えた生物を放ち逃がすこと。仏教で慈悲の行いとする。
広辞苑にはこんな風に載っている。
そして、こんな用語も載っていた↓
放生会(ほうじょうえ):
仏教の不殺生の思想に基づいて、捕えられた生類を山野や池沼に放ちやる儀式。
寺社・仏寺で陰暦8月15日に行われる。
時期は異なるけれども、
八幡宮の蛍放生祭は、この“放生会”のようなものなのだろうか?

儀式の後、子供達が境内の柳原神池(やなぎはらしんち)に蛍を放しに行き、
その後で、私達見物客が順に案内されて蛍を見に行くことになる。
列が動き始めて、後ろを振り返ったら
もの凄い人の数に びっくり!
蛍ごときを見るために、こんなにも大勢の人が!? って。
まだまだ境内へ歩いて来る人の姿も。
(蛍を見るだけなら、8時近くに見に来る方が賢いかも)



かなりの大雨ということで、見るのも大変だったし
蛍も それほどよく見られないみたいだったけど
そんな中 点々と蛍の姿が。
光が見えたと思ったら
すーっと消えるの。
その、光が“すーっと”消えていく様子を見ながら、気がついた。
私、蛍を生で見たの 初めてだ!
テレビで見て、見たことがあるような気がしていただけだ。
私が子供の頃は、
暗くなるまで外で遊ぶのが当たり前だった。
自分の背丈より高い草原で基地ごっこをしたり
おたまじゃくしを取りに田んぼへ連れて行ってもらったり…
田舎に住んでいない割には自然の中で遊んだことがあったように思っていたけど
あれは、都会の中に辛うじて残されていた ちっちゃな自然に過ぎなかったのかも。
(今ではもう、その草原さえマンションになってしまったし、田んぼもどうなっていることやら…?)
「蛍を見たことがない」って気づかなかったほど
蛍を見る機会なんて まったくなかったんだな。
大勢の人が、わざわざ並んでまで蛍を見に来る気持ちが わかった気がした。
現代人にとっては、「癒しの光」なのかなぁ。
この“すーっと”消えていく儚げな光。
夜になっても煌々(こうこう)とネオンサインが光る街を見慣れていると
こういう自然の光が、とても貴重なものに思えるのかも。