小さな旅のアルバムⅡ

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足尾銅山へ行って来ました

2024年05月17日 | 歴史旅
約400年間にわたり掘り開かれた足尾銅山の坑道を見学してきました。
まずは、トロッコ電車に乗って坑道内にある展示場まで進みます。


トロッコ電車乗り場、堀大工の(鉱石を掘る職人)人形がお出迎え。
堀大工は、独身で各鉱山を渡り歩く者が多くキビシイ労働をする為に、酒とバクチで気を紛らわし金をすべて使い果たす者もいた。との事。


トロッコは、ゆっくり坑道に向かって進みま~す。


坑道の長さの総延長は、1,234キロメートル(東京~博多間)に達し日本一の鉱都と呼ばれた足尾銅山を見ることが出来る貴重な歴史観光です。


トロッコ電車から降り坑道内展示の見学コースに向かいます。しかし淋しいくらいに観光客が少なかったです。


江戸時代の手掘りの様子。


水滴が垂れてくるので滑らないように注意が必要。


やたら顔がリアルのような・・・


明治・大正時代になると機械化が進みました。


昭和に入るとダイナマイトで爆発させる方法が用いられることに。


昭和時代の弁当を食べる休憩風景。


発掘された鉱石。


自然銅らしいのですが、ただの石との見分けがつきません。


銅は、色々なものに使われていますが身近なサンプル例も。


平成元年まで操業していた本山製錬所、このあと現在の変わり果てた姿を見て来ました。


江戸末期まで各地で造られていた一文銭、裏に足が刻まれたものが「足字銭」と呼ばれ足尾で造られていたそうです。



鉱山の街として栄えた頃の面影は・・・現在、産業遺産と環境のまちとしての役割を背負う姿を見て見ます。「松木川」「渡良瀬川」の源流にあたる砂防堰堤からのスタートです。


このエリアは、緑化地域となっているようなので緑がきれいでした。


大正8年に建てられた製錬所大煙突


本山製錬所、廃墟感が半端ない感じ。


通洞変電所、今も稼働しているとか? 


森高千里の渡良瀬橋で有名な橋がこちら足尾にある・・・と思ったら栃木県足利市にある橋がモデルらしく偶然同名の橋だったようです残念。

他にも見て見たい街の様子や建物が多くあったのですが・・・
時間が足りなくなり雨も降って来たので今日は、ここまでで終了。これから日光にある宿へ向かいま~す。

2024年5月12日にSONY RX100m4にて撮影                             

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2 コメント

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メダルの裏側は・・・ (ciao66)
2024-05-18 17:41:29
製錬所の廃墟は雰囲気たっぷりですし、坑道のリアルすぎる人形からは厳しい歴史が伝わってきますね。
石見銀山のように、ここを世界遺産にする運動もあるようです。そうなれば観光客も来るかと思われ、保存もちゃんとできそうに思うのですが・・・
メダルの表と裏のような、足尾鉱毒事件を有名ですが、田中正造記念館という小さい博物館も有るようですね。
なるほど寛永通宝の「足字銭」の意味が解りました!
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ウエルカムCiaoo66様 (photo510)
2024-05-18 21:49:01
足尾銅山の歴史は、江戸時代からですから、ほんとに長いですよね。
正直、期待はしてなかったのですが見応え十分で、時間が足りないほどでした。

街自体も廃墟感が何とも言えず・・・再度訪問して見たいと思ったほどです。

日本初の公害問題、足尾銅山鉱毒被害は、田中正造が政府との解決を訴え国や企業相手に身を賭して立ち向かう話は、有名なはずですが、意外にも観光客が少なかったです。

そういえば、足尾銅山を世界遺産へと言うポスターが張ってありました。
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