小さな旅のアルバムⅡ

カメラ片手に旅に出よう! 
温泉、散歩、日常の記録を、気のむくままに・・・

上高地へ(ちょっと寄り道)の旅

2020年10月31日 | 甲信越の旅
週末、天気が良さそうだったので上高地にGoToを利用し一泊で行ってきました。
出発は、高速道路もすいていそうな日曜日に、迷ったのが当日に上高地に行くかそれとも翌日にするか・・・
結局当日は、ゆっくりと出てプラプラとコース途中で寄れそうなところを見ながら急がずに行くことに。

はじめに立ち寄ったのは、千曲市城山史跡公園にある「荒戸城跡」


櫓からは、千曲川と戸倉上山田温泉街が一望できます。


戸隠山方面、


荒戸城跡は、だいぶ前に一度訪問したことがあるので二度目の訪問となりました。



500年前に築かれた荒戸城跡を後に、姨捨スマートICへ向かう途中の風景。


ここは、棚田が広がる。


けっこうな急斜面、稲は刈り取りが終わっていました。


次は、松本の浅間温泉にある 温泉旅館「坂本の湯」へ、明治18年創業でお湯は、源泉かけ流し。


残念なことに10月で閉店してしまうとのことです。日帰り入浴が可能とのことでお湯に浸かってきました。地元の人も多く通う温泉。


源泉名:第一号源泉、アルカリ性単純温泉、とても柔らかい湯で肌がつるつるして、いい湯でした。


坂本の湯でくつろいだ後、今晩宿泊する宿「みやま荘」へ、


露天風呂には、リンゴが浮かんでいて贅沢な時を過ごせました。温泉は第一号源泉から引いているとのことです。


「みやま荘」は、コスパ最高の宿でした。しかも朝食は7時から食べられたので助かりました。


朝食も食べたので今回の目的の上高地を目指します。



2020年10月25日~26日、M6&TG-6にて撮影
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小春日和

2020年10月21日 | 日常
久々の晴天、日差しが心地よい過ごしやすい日でした。
今日は、お休みをもらったので柏市にある「あけぼの山農業公園」に行って来ました。


キバナコスモス目に痛いほどのオレンジです。


正面のコスモス畑は、色彩鮮やか。


心地よい風の中、ゆれるコスモスに癒されました。


2020年10月21日Pentax K-5Ⅱ&M6で撮影 
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北アルプスは、雲の中

2020年10月11日 | 甲信越の旅
雨が上がったけど雲が低い・・・
せっかく白馬まで来たので晴天なら八方池か栂池自然園あたりをハイキングと思っていたのですが今回はダメそうなので予定変更です。


白馬五竜高山植物園なら大丈夫かな? と思っていたのですが雲は低く霧の探索はどうなの???


標高1515mのエイブル白馬五竜アルプス平に広がる日本有数の高山植物園。リフトは動いていましたが乗りませんでした。


お土産でも見てみよう プリンとそば茶を購入しました。


プリンは早めに食べないとね。


白馬の山は雲で隠れているのですが、下はこんな感じて晴天


次は、姫川源流へ あれれ、クマ出るの! 妻がこれを見て拒否反応。


押し問答の末に前進。


良くわからないが赤がキレイ


少し歩くとちょっと視界が開けてきました。


ここが姫川の源流、川は、58kmの距離を国道148号線と並行して流れ、新潟県は糸魚川市の河口から日本海へと注いでいます。


クマよけと言いながらスマホでアンデス民族ポイ音楽を聴きながら歩く妻、右手に持った-細い枝ではクマと戦えないよ!


コスモスが咲いていていい雰囲気。姫川源流の散歩はこれぐらいにして戻ります。


大町山岳博物館前からの写真で山に行った雰囲気に。白馬から大町、安曇野、松本を抜けて・・・


初Go To利用の旅も終わり、結局、雨は避けられたけれど北アルプスの山々を見ることはできませんでした。


白馬八方は、晴天日を狙って何時か再チャレンジ! です。

2020年9月撮影
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白馬 Sierra resort に泊まってきました

2020年10月10日 | 温泉&旅のやど
旅の2日目は、白馬にある「シェラリゾート」に、
朝ごはんの食べすぎでお腹がいっぱいだったので、昼は、眺めの良い立石公園にてコンビニのサンドイッチですませ出発 !


気になるのは、天気でとにかく雲が低い!  天気は、何とか晴れているのですが・・・
夕方に無事雨が降らずにホテルに到着、広大な3万坪の敷地に建ついかにもリゾートホテルといったたたずまいです。

チェックイン後にザーッと雨、前日と同じでぎりぎりセーフでした。

部屋は、少し狭めかなと思えましたが、落ち着いた雰囲気は、好印象。

温泉があるので入ろうかと思ったのですが、浴衣姿で食事は不可能なので、少し我慢し館内散歩しました。

古民家が移設された建屋がありここで温泉が楽しめます。年のせいか、日本家屋は落ち着きます。

みずばしょう温泉、風呂は広めで、露天風呂もありました。

ちょっと変わっていると思ったのは、温泉に行くために、建物をまたいでの移動となるのですが屋根が無いところが・・・自然を実感できます(笑)

無料の足湯と軽食が用意されているミニ食堂もあり、(カレーとかたまごかけご飯とか)別の部屋には、ワインやコヒー、ジュースも有り!

夕食は、フランスコース料理で久々に緊張、白い器のせいなのか?なぜか写真がうまく撮れず(涙)でもとても美味しかった。

家族風呂も無料、予約したのですが、屋根が無いタイプだつたので雨が降っていて写真だけ撮ってきました。

翌朝の朝食、滝が流れるビューポイント席で雨でも満足度アップです。

ビュッフェスタイルですがコロナ対策もされていたので安心できました。

朝食後には、雨も上がり少しづつ晴れ間が見えてきました。


今回は、GO TOクーポンを利用しての宿泊でとても満足できる宿に泊まることができました。
雨が降りホテルの敷地内を散歩できなかったのは残念でしたが、妻もまた泊まりたいと言っていたので良かったで~す。

写真は2020年9月27~28日撮影
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下諏訪散歩

2020年10月07日 | 甲信越の旅
旅の翌日は、「かめや」さんを9時頃にチェックアウトし下諏訪散歩です。
今日は、午前10時頃から12頃までが晴れで午後からは、雨かも?という微妙な天気に。
大切な日差しを有効に過ごさなければ・・・
中山道と甲州街道の合流地点近くには、昔からの面影を残す建物が残っているので散歩には絶好の街です。


今井邦子文学館


塩ようかんで有名な新鶴本店、塩ようかんの販売は11過ぎとのことで、そのお味は、お預けに。


宿場街道資料館

歴史情緒が息づいている雰囲気いっぱいです。

1階から2階もあり無料で見学できます。


諏訪大社下社秋宮

昨日の雨が激しかったせいか池の水がだいぶ濁っていました。

諏訪大社下社秋宮の境内には、温泉が湧き出ていました。

可愛い和装の女の子が・・・七五三?


ここは慈雲寺 下諏訪の観光スポットから少し離れているせいもあり静かでとてもいい所でした。

本堂

庭が素晴らしかったです

京都へ来た雰囲気

裏には、池が

紅葉がたくさん、秋が深まったら綺麗でしようね。

無料で庭園が解放されていたのには、驚き、見ごたえがありました。


こちらは下社春宮 入口の雰囲気が、秋宮と少し違うのですが・・・

素人目には、中の建物の配置は秋宮と同じで本殿はなく、似た雰囲気、でも玄人目には違うのかも?

遠くに見えるのは下馬橋 諏訪大社下社最古の木造建造物 

正面に神楽殿、その奥に幣拝殿と片拝殿、さらに奥に宝殿、宝殿奥にそびえる杉の木が御神木となっているらしい。


万事の石仏 石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する有名なスポットですよね。


思っていたより見ごたえたっぷりの散歩で1時間程度と思っていたら2時間も過ぎてしまいました。


何とか天気も回復してくれているのですが雲が低いのが気がかり、だって午後は白馬へ向かう予定なので・・・

2020年9月27日 M6&G15にて撮影
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下諏訪温泉「かめや」さんで1泊

2020年10月05日 | 温泉&旅のやど
Go toトラベルで東京が除外されていたので高速も余裕かな?と思っていたら想定外の中央高速の渋滞があり、大丈夫かなと思いながらも下諏訪にある聴泉閣「かめや」さんへ到着しました。
諏訪湖周辺の宿は、上諏訪に大きなホテル群が集中しているのに対して比較的小さな宿が多い下諏訪は、予約が早めに埋まってしまう傾向があり泊まったことがありませんでした。下諏訪は、江戸時代の中山道の中で唯一の温泉宿場町として栄えた歴史を感じることができるぶらり散歩が楽しい街です。


「かめや」さんの『上段の間』には、皇女和宮さま、参勤交代の諸大名や、第5代将軍~第14代将軍の歴代御台所の花嫁行列の寝所でありとても歴史あるお宿です。
現在は、総部屋数9室ですが下諏訪にある旅館としては、比較的部屋数が多めな方です。


ロビーの片隅、こんな飾りに癒されます。

廊下の片隅、季節の花、いいですね。


今回泊まったのは、本館ですがリニューアルされていたのでとても綺麗でした。

窓から見える緑がすごいです。窓の下は下諏訪本陣の一部と上段の間に広がる日本庭園。


四時半頃に着、近所を散歩したかったのですが急に暗くなり雨が降って来たので温泉に入ることに。

露天風呂は、小さなものでした。

朝、露天風呂から見えた景色。


風呂に入った後は、お楽しみの夕食、雰囲気のある個室の食事処でいただきました。(写真は朝)

とても手の込んだ料理で味わいがありとても良かったです。

やはり日本酒が美味しい

食べるペースに合わせ温かいものをタイミング良く出してくれる心遣いは、素晴らしいですね。
写真掲載している以外にも色々な料理がありお腹も120%マックス越えとなりました。

   

朝食も見た目もきれいで美味しかったです。


朝ぶろに入り美味しい和食を食べ満腹になったのでGo toの旅、下諏訪散歩に出かけま~す。


TG-6にて2020年9月26日~27日に撮影
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武田勝頼公の史跡を巡る

2020年10月04日 | 甲信越の旅
久々に旅に出かけてきました。
写真は、JR中央線「甲斐大和駅」の近くにある武田勝頼公の銅像です。
一般的に勝頼公は、父、信玄の遺言を守らず戦による領土拡大をし、長篠・設楽が原の戦いにおいて織田、徳川連合軍に敗れ、この戦を境に衰退、織田軍に追い詰められ最終的に自害し戦後最強と言われていた武田家を滅亡させてしまった不運な武将として扱われています。太平洋戦争で言えば、長篠の戦いは、ミッドウェー海戦に例えられるかも知れません。まあこの見方は、戦勝者からの見方なので・・・
織田軍の武田狩りの追手は諏訪まで及び未完成の新府城(韮崎市)で、大軍を迎え撃つには不十分と言う判断になり、真田昌幸の岩櫃城(群馬県吾妻町)に逃亡するか、小山田信茂の岩殿城(大月)に逃亡するか軍議を開く。真田昌幸は要害である岩櫃城行きを勧めたが、小山田信茂は、岩櫃城行きが遠路であり、雪が深いことから岩殿城行きを説き結局は、岩殿城まで退却して織田勢を迎え討つことになる。最終的に武田勝頼は姻戚関係のある武田一族でもあり古参の小山田信茂の岩殿城行きを決意するのだが小山田信茂の裏切りにより向かっていた場所を失い最後にたどり着いた地がこの地となるわけです。
大河ドラマ真田丸でも描かれていましたが未完成の新府城に火を放ち、約700人の軍と、共の者で出発がこの地にたどり着いた頃には200人足らずに。最終的には50人にも満たない数になってしまったと伝えられています。
というわけで以前から興味があった武田家滅亡の地と言われている山梨県の大和町田野地区を旅して見ました。

甲斐大和駅は、国道20号を勝沼から大月方面に少し戻ったところにある駅で平地がほとんど無い山間の駅でした。
そこから少し大月方面に戻り分岐する県道218号で山間の道を進みます。道路は整備されてますが見えるのは山だけです。


ここには、姫ヶ淵、鳥居畑古戦場跡、土屋惣蔵片手切り史跡、武田家関連の史跡などあります。


武田勝頼親子および家臣の慰霊のために徳川家康の命により創建されたのがこの天童山景徳院です。


自刃した勝頼一行の首は信長の元に送られますが、首のない勝頼父子の胴体をこの場所に埋めたと伝えられます。


自刃した勝頼父子の首を、信長の元に送る前に洗ったと伝わる首洗い池。


一度は訪れて見たかった場所では、あるのですが少しばかり悲しい気分での訪問となっちゃいますが武田家ファンとしてはどうしても外せない場所でした。


景徳院本堂、東京がgotoトラベルに加わっていないとは言うもののここは、観光客を見かけずやはり寂しい。


武田信勝公生害石。


墓地は本堂では無くこのお堂の裏側にあるそうです。見逃してしまった(涙)


景徳院の反対側にある駐車場にあるのは、逃亡する将兵が多い中、最後まで武田勝頼に忠節を尽くした侍女16名も、武田氏の滅亡と共に命を絶ったとされる。その侍女たちが死を選び、身を投げた場所が姫が淵。


水の流れが速く岩が多い。


武田勝頼公は、天正三年(1575年)の長篠・設楽が原の戦いで、織田・徳川連合軍に大敗北したのですが、実にそれから7年間も織田・徳川勢の侵攻に耐え続けていました。私が思うに現実的には信玄が精力的に開拓した金山が枯渇しはじめ、経済的にも疲弊していたことが武田家滅亡を導いた原因の一つではないかとも考えます。
そして考え深いのは、織田信長は本能寺で明智光秀に討たれましたが武田滅亡から約3ヵ月後の出来事だったことです。
歴史にはifはありませんが・・・

市川市の自宅を出発していた時に降っていた小雨も止み、これから今日の宿泊地である下諏訪を目指します。

2020年9月16日土曜日TG-6とM6で撮影

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