小さな旅のアルバムⅡ

カメラ片手に旅に出よう! 
温泉、散歩、日常の記録を、気のむくままに・・・

小峰城跡(福島県・白河市)

2022年10月13日 | 城・城跡
今年の秋は、天候が安定せずに雨や曇りの日が多いですね。
せっかくの3連休もイマイチの天気だったし旅には、良い季節のはずなのに残念。

私の場合、ネットにて直前予約することが多いのですが「全国旅行支援」開始に伴ってネットもツナガリ難くなってしまい旅に出かける機会が少なくなりそうな雰囲気になって来ました。
そんな中、過去に訪問したけれどブログにアップしていない場所もたくさんあるなと気づき今回は、春に行った小峰城の写真をアップしま~す。



思っていたより大きな城跡でした。写真が傾いていますがご愛敬。


残念だったのは、桜が散った後でした。


会津藩や白河藩が統治していたとのことで戊辰戦争においては、会津を守る拠点となった城。


角度が急な石垣は、見応えあります。




桜が満開の時に再度訪問して見た~い。


カッコいい。


門の中から


平成3年に三重櫓、平成6年には前御門が歴史資料や発掘成果をもとに復元されたとのことです。


翌日訪れた会津の鶴ヶ城の桜(下の写真)を見るのが目的の旅だったので、ついでに寄った小峰城は、写真をアップしていなかったのですが・・・小峰城も見応えありですよ。


旅の予定が立てにくく天候も安定しない日々・・・過去の写真で旅気分をあじわって見ました。

2022年4月にSONY RX100M4にて撮影。

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桜が見頃の会津へ

2022年04月20日 | 城・城跡
一度、桜が見頃の時期の鶴ヶ城を見てみたいとの思いがあり会津へ行って来ました。


お堀に登って見ます。


ここからは、二の丸に向かう赤い廊下橋が良く見えました。


堀の上からの鶴ヶ城、絵になります。


堀の南側には、住宅街が間地かに。


大きな城だけあり堀や石垣も立派です。


何十年ぶりに城に入って見ました。 入口がけっこう狭かった。


城の内部は、撮影禁止だったのですが、以前入城した印象とは、別で歴史展示物やパネル展示が綺麗に配列されていました。

5層からの展望も素晴らしかったです。


城の周りは桜に囲まれているのが良くわかります。


茶「麟閣」の庭に咲く桜


鶴ヶ城の桜見物、あっと言う間に2時間近くたってしまいました。午後は、次の目的地の御楽園へ


戊辰戦争の戦いをくぐりぬけ残った庭園の見学です。


明治16年には松平容保家族が東京から移り住みここで数年間過ごしたそうです。


落ち着いた雰囲気の良い庭園でした。
会津の城下町は、探索したいところが色々とあるのですが、雨が降ってきてしまったので今日の観光は、これで終了して宿に向かうことにしました。


先日購入して見たコンデジSony RX100M Ⅳでビデオ撮影のテストをして見ました。
短い動画なので良ければ見てみてください。


会津の春  SONY RX100 MⅣ にて2022年4月25日に撮影
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何処へも出かけなかった夏休み

2019年08月18日 | 城・城跡
今年のお盆は、例年に比べ長めの夏休みをとることができたのですが、この時期は、何処かに出かけても混んでるし妻は、咳ぜんそくになってしまい結局、ほとんど出かけずじまいに。
何処かに行きたいな~なんて想いながら旅本の付録にあった「日本100名城MAP」に自分が行ったことのある城に印を付けてみました。
関東から中部地域にかけては、そこそこ行ってると実感。オレンジ色のマーカーで塗って見ました。

北陸、関西方面は、かなり少なめですね。

九州、四国、ノーマークでした。


私が今まで行ったことのある城で好きなのは・・・


松本城、天気の良い日は、北アルプスの山々が美しく城とロケーションを含めた調和が何とも言えません。


彦根城も


広い日本庭園から見える城が素晴らしい。


犬山城もいいですね。


城自体は小さめですが、城からの眺めは・・・


岐阜城からの眺めに似た雰囲気ですが、


犬山城の天守閣からの眺めが何ともいい雰囲気。


天守閣からの眺めと言えば、この城の眺めも好きです。


木造で建築した最古の模擬天守の郡上八幡城。


ここは、清らかな水に囲まれた城下町も魅力です。


旅に全然出かけられていないので妄想で楽しんだひと時でした。
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天守台からの眺めが美しい「二本松城」へ行って来ました

2019年05月19日 | 城・城跡
ほんと久々に福島県郡山へ新幹線に乗るのもこれまた久々です。



新幹線の車両連結なんか思わず写真撮ってしまい鉄っちん気分。



今回の目的は、会社の同期会があり郡山駅が集合場所です。
昼は、同期が事前に調べてくれていた浪江やきそばを食べてみることにしました。なかなか美味しかったで~す。
そして昼飯を食べた杉のやさんの近くに二本松城跡があったので寄って見ることにしました。



ここ二本松城も戊辰戦争の犠牲の舞台となった場所です。城郭入口にあるのは、幼い子らが兵士となって討死、自刃してしまった「二本松少年隊」の像です。



天下の堅城と言われた城跡は、再現されたものですがとても立派なものでした。



箕輪門を入るとクランクになっていてとても攻めにくい構造になっています。



クランクの先は、駐車場になっているのですがそこを上に登ると立派な石垣が姿を現します。



天守台からの眺望がとても良くここが合戦の舞台になったとは信じがたい気分でした。


城の入り口から天守まで、約120mを登るのですが道は狭いのですが車でも何とか天守台近くまで行くことが出来ます。


晴天だったので安達太良連峰が良く見え清々しい美しい景観を眺めることが出来ました。


安達太良連峰のアップ


天下の堅城と言われたこの二本松城が落城した理由は、白河小峰城へ援軍として出兵した武士たちが戻る前に、新政府軍に攻め込まれてしまい城を守る兵隊はほとんど残っ無く、老人兵と少年隊が主力でした。それでも城を守ろうとした健気さ。それが二本松城少年隊の悲劇につながりました。
攻め手の新政府軍もあまりに幼い子らが切りかかってくるのに驚き、何とか生け捕りにしようとしたのですが、その勢いに止む無く鉄砲で討ち取ったという記録があるそうです。


戊辰戦争の悲劇というと「会津白虎隊」を思い出すのですが、この二本松城で戦った「二本松少年隊」も悲劇として歴史に刻まれている出来事です。


2019年5月18日 G15にて撮影

                             
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ぶらり温泉と城跡見物の旅(2日目)

2018年12月08日 | 城・城跡
旅の2日目も晴天、嬬恋休暇村の部屋からの眺めは、素晴らしく部屋の窓から撮った写真ですがそこそこ絵になってますよね?


特に予定も無かったので少しドライブします。朝食バイキングの食べ過ぎで重くなった体をムチ打っての出発です。


まずは、嬬恋高原のキャベツ畑をドライブして見ることにしました。


キャベツの産地である畑も今は、土だけで少し寂しいですね、到着したのは、愛妻の丘。


愛妻の丘からの風景は、北海道の美瑛に近い雰囲気があります。


但し嬬恋は、キャベツ専用なので美瑛のようなパッチワークの丘ではありません。


さて、次は何処に行こうか・・・少し迷ったあげく前から行って見たかった五稜郭に向かうことにしました。


五稜郭は、北海道では?と思うかも知れませんが長野にも幕末に造られた五稜郭「龍岡城」たつおかじようの跡が残っています。はじめに「五稜郭であいの館」により五稜郭の資料をもらいお茶まで無料で飲ませていただきました。



やはりこの城跡は、地上から眺めても形が分からないので「であいの館」にある竣工時の絵図を撮影してみました。
龍岡城は、江戸時代末期に田野口藩主 松平乗謨が1864年に田野口藩新陣屋として着工し、1867年に竣工しました。フランスのボーヴァン将軍が考案したといわれるもので、突角部に砲座を設け各稜堡から十字砲火をもって攻防することを目的としています。廃藩後明治5年(1872)城は取り壊しになりましたが、堀と土塁、建物の一部「お台所」が城内に残され昭和9年に国史跡として指定されています。


堀には、桜の木が植えられているので春は見応えがありそうです。






城内は、現在小学校となっています。


天気に恵まれた12月の気まぐれ旅も終わり家路に向かいま~す。


 2018年12月2日G15にて撮影  
                                
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ぶらり温泉と城跡見物の旅

2018年12月03日 | 城・城跡
12月1日土曜日、天気も良くまずまずの行楽日和一泊2日の群馬への温泉旅行へ行って来ました。
3連休明けのせいか高速道も順調に走れまずまずのスタート。
温泉へ直行もいいけど、貧乏症の私は、どこかへ寄リたくなり小諸にある小諸高原美術館へ。



ここを経由した理由は、美術館が目的では、無く小高い山にある飯綱山公園、ここからの眺めがとっても良さそうだったので・・・



地図上には、飯綱山公園となっていますが案内板には、富士見城跡となっており戦国時代に終わり頃に造られた山城跡でした。


さっそく階段を上ってみます


とても眺めが良く富士山が見える事もあるらしいが今日は見えません。


下に見える道は信越自動車道


堀切 古くには土採場だった場所


紅葉は、終わっていましたが眺めが良いので気分が良かったです。


山の最高所にある 主郭








三の郭に紅葉の木が1本


燃えるような赤を見ることができました。


陽ざしが傾いてきました。


鮮やかな赤を目に焼き付けそろそろ今日の宿に向かうことにしました。


冬の陽射しは山に遮られてあっという間に暗くなってきました。


本日の宿は、嬬恋鹿沢の休暇村 到着時には、気温が零度で寒かったと思ったら標高1,000m以上もあるらしく納得。


お茶をいただき少しほっこりとしました。


鹿沢温泉に入り運転の疲れもとれそうです。しかし空気が澄みきっている雰囲気は感じるのですが外気温が寒~い。


実は、旅の直前で妻が風邪をひき私は、旅を断念していたのですが金曜の夜に直ってきたから温泉へ行こうよ!と言いだしたので突然に決まった旅でした。さて明日は、何処へ行こうかな?

 2018年12月1日にG15にて撮影
                                  
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日本の城 (岐阜城&犬山城)

2017年09月17日 | 城・城跡
9月も中旬、しかも今週は、3連休でお出かけ日和のはずが台風接近により外出は、控えることに。
う~ん相変わらず何処へも出かけられずじまい・・・です。

今日は、少し時間がとれたのでこんな時は、昔に撮った写真をネタにアップします。


斉藤道三から織田信長が城主となった岐阜城、現在の天守閣は、鉄筋で城の内部は情緒も感じられない物で残念。


やたらと標高差が激しい山に建っているので、頂上近辺までロープーウエーが開通しています。


駐車場からの写真


城内は、何の風情も感じられないけれど 展望台からの眺めは良かった。


眼下に長良川、この風景を見て思い出したのは・・・犬山城。


犬山城、標高差は、岐阜城ほどては無いけれど・・・


見える風景の雰囲気が似ているかな?


城は、要塞としての役割から立地条件が似てくるのかも知れません。


犬山城は、戦国時代から続く木造建築で国宝です。


城の窓からの眺め、(古い町並みが残る城下町方面)


毎年行われる犬山祭り、城下町って情緒たっぷりでいいですよね。


転勤で四日市で過ごした3年半、放置状態の日帰り旅写真、今頃の登場です。
2007年8月撮影
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高天神城跡(静岡県・掛川市)

2015年07月07日 | 城・城跡
掛川城」見学の後、古い宿場町の探索か城跡かと迷ったあげく今回は、高天神城跡の探索をすることに、昨日、大雨でなければ両方探索が出来たのにな~あ(涙)と思いながらの城跡見学です。
「高天神を制するものは、遠江を制す」と言われた高天神城、標高132mの鶴翁山を中心に、自然の地形を巧みに活かした山城です。ここを舞台に武田と徳川による激しい争奪戦が繰り広げられました。


三方が絶壁で、難攻不落とされた城だが現在は杉や檜のうっそうとした林に覆われています。


高天神城の築城は、室町時代、今川氏が守護大名から戦国大名に成長する過程で築かれたとする説が有力と言われています。


訪れる人は決して多くは無いようですが少なくも無い?城跡への探索を終えようとしている関西系のおばさんたちと遭遇、杖を貸してもらいました。


今川氏の滅亡後徳川家康の持ち城となり、小笠原長忠が引き継ぎ城主となりました。


1571年(元亀2年)、武田信玄が攻めるも城は落とせず。


信玄が攻め落とせず、跡を継いだ勝頼が天正2年、大軍二万で囲んで開城させた。


名将信玄があきらめた城を落としたのだから、勝頼の武名は大いに上がったに違いない、この時、援軍の織田信長が間に合わず、おわびとして家康に黄金2袋を贈呈した。


しかし長篠・設楽原の合戦に勝利して反攻に出た家康は、横須賀城(掛川市)を拠点に高天神城の奪還を目指す。家康は無理押しはせず、天正5年ごろから周囲に砦をつくって包囲し、城への補給路を断つ作戦に出た。


写真は現在の設楽原


織田・徳川連合軍に大敗した武田勝頼は、その後衰退。


横須賀城を拠点とした家康が高天神城の奪還に成功しました。
深い緑の影を落とす木々に覆われた城跡は、戦国のロマンを秘めながら静かに時を重ねています。

今日は、これから長篠・設楽原の合戦場址へと向かいます。  

K-30&TG-850にて2015年7月撮影
                                   
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掛川城(静岡県・掛川市)

2015年07月05日 | 城・城跡
静岡県にある掛川城に行って来ました。
梅雨の真っ最中のせいか到着した日は大雨で観光は、出来ずじまい(涙)
翌日の朝、雨が止んだので早速城へ向かって見ました。
城近くの店は白壁の外観が多く城下町の雰囲気を感じる工夫がされていていい雰囲気でテンションアップ。



掛川城の表玄関にふさわしい桜門造りの本格的な櫓門。


土曜日の朝、静かな街、


丘の上に建つ城


階段の上にそびえる天守閣


城壁に空けられた 火縄銃用の狙い窓


のぞいてみると・・・


今川氏真が徳川家康に攻められた時に、井戸から立ちこめた霧が城をつつみ家康の攻撃から城を守ったという伝説がある井戸。


三層四階の天守閣へ


掛川城は、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたもの、鉄筋より雰囲気がありますね。


遮るものが無いので見晴らしは最高でした。掛川駅方面をみると新幹線が見えました。


右の円になっている花壇が本丸があった場所


掛川城御殿を見下ろします。


掛川城御殿から城を見上げる。


江戸時代後期に再建された建物で、全国で数ヶ所にしか残っていない大変貴重なもの。


本丸跡には、花が植えられた公園となっています。

東海道新幹線に乗ったときに見えた城、調べたら掛川城であることが解ったのが8年前、やっと訪問することが出来ました。

2015年7月4日土曜日K-30&TG-1にて撮影

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懐古園「小諸城址」探索

2015年06月11日 | 城・城跡
愛妻の丘」からパノラマラインをドライブし今回の旅の最終観光地点となった懐古園へ。(日本100名城のひとつ)
夕方4時過ぎの到着でしたが6月の陽射しは、夕方になっても白く強いのが印象的でした。


小諸城は信濃守護小笠原氏の流れを汲む大井光忠により築かれ武田晴信(後の信玄)により拡張整備された城、


関が原へ向う途中の上田城攻略で、真田親子に足止めされた徳川秀忠は、ここに逗留した。


本丸跡は懐古神社


天守台、三層の天守閣があり寛永3年に落雷で焼失したと言われている。


石垣には、見事な桜の木。


夕方で人もまばらで静かです。


水の展望台より眺める千曲川


天守台を見上げる


黒門橋の下に広がる紅葉谷は、秋は紅葉の名所となるそうです。


歴史に想いをよせながら四季楽しむことが出来る城跡でした。

K-S1にて2015年6月6日撮影
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