雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

2012年オーストリアの旅

2012-06-27 23:30:46 | 旅行
2012年ゴールデンウィークには、ザルツブルクを中心にオーストリアに出かけた。

まず、主な目的地であるザルツブルクが決まった。映画「サウンド・オブ・ミュージック」にゆかりの地を訪問しよう、ということである
ある日テレビを見ていたら、「オリエント急行でアルプスを越えてイタリアから北へ抜ける」という番組をやっていた。イタリアの確かベネツィアを出発点として、オリエント急行に乗り、アルプスをブレンナー峠で超えて北へ向かうという列車の旅である。そのオリエント急行はオーストリアのインスブルックに停車し、そこから列車を乗り換えてザルツブルクへ行くことができるという。
これはいい、ということで調べてみたら、そもそもそのコースを走るオリエント急行というのは便数が極めて少なかった。1日に何本どころか、1年に何本しか走っていないようである。その上、極めて高価であるらしい。
そこで方針を変え、普通の特急で同じコースを走ることとした。

イタリアからブレンナー峠を越えて北へ抜ける国際特急は確かに存在する。
イタリア側の出発地としては、ヴェネチアよりもミラノの方が峠までの距離が短い。そこでミラノを出発地とすることとした。

4月30日(月)出発
 成田11:55-AF215-17:15パリ19:30-AF2212-21:00ミラノ(泊)
 Nh Linate
5月1日(火)(
 ミラノ9:05 - 10:27ヴェローナ11:02 - 14:32インスブルック(泊)
 Hotel Grand Europa泊
5月2日(水)(
 インスブルック9:40 - 10:33ザルツブルク(泊)
 Sacher泊
5月3日(木)
 ザルツブルク Sacher泊
5月4日(金)(
 ザルツブルク Sacher泊
5月5日(土) ザルツブルク11:02 - 12:30ミュンヘン(泊)
 Kenpinski Airport(泊)
5月6日(日)-帰路
 ミュンヘン9:30-KL1792-11:05アムステルダム14:55- KL861 -(7日)8:50成田

旅人 家内と私

往復の航空券予約、ホテルの予約、それとミラノからインスブルックまでの鉄道指定券の予約とユーレイルパスの手配は、いつものようにHISを利用して行った。

旅行で使うメインのクレジットカードとして、今までは三菱東京UFJ銀行のゴールドカードを使っていた。そして、旅行傷害保険はゴールドカード付属の保険を使っていた。今回もそのつもりであった。
ところが、出発直前にカード番号をメモしようとして見たところ、有効期限が12年4月になっているではないか。まさにこの旅行中に切れてしまう。しかし、新しいカードが送られてきた形跡がない。初めての経験である。
銀行に電話で聞いたところ、驚くべきことが判明した。このカードは銀行のキャッシュカードを兼ねている。しかし、われわれがキャッシュカードとして従前のカードを使い続け、ゴールドカードを一度もキャッシュカードとして使わなかった場合、カードは自動継続されないのだそうだ。「継続されない」というお知らせが葉書か何かで来ている筈だというのだが、それは記憶にない。
しかし、今更どうしようもない。旅行で使うクレジットカードは別のカードとし、旅行傷害保険は別途契約することとした。損保ジャパンの旅行保険をインターネット契約した。
今回、直前にカード番号を控えようとして期限に気づいたから良かったが、もし気づかなかったら面倒なことであった。たまたま期限が旅行中に到来するというのも偶然すぎることではあったが。


             以下、旅行記の詳細に続く
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5月6日ミュンヘン-日本

2012-06-24 17:44:16 | 旅行
帰国の日だ。
昨日の夕食と同じレストランで朝食を済ます。

来るときはエールフランスでシャルルドゴール空港経由だったが、帰りはKLMでスキポール空港経由だ。
 ミュンヘン9:30-KL1792-11:05アムステルダム14:55- KL861 -(7日)8:50成田

まずはタックスフリーの手続きだ。
2008年にミュンヘンからスキポール空港経由で帰国した際には、ミュンヘン空港でタックスフリーの手続きを行った(こちらのページ)。今回も当然同じだろうと、チェックイン後に荷物を持ってタックスフリー窓口を訪ねた。するとどうだろう。窓口のおじさんは「スキポール空港でないと手続きできない」というのだ。前回と異なるので、狐につままれたようだ。
よくよくガイドブックを調べると以下のように記載されている。
《EU圏内で搭乗し、EU圏内で乗り換えて帰国する場合》
①免税品を手荷物で機内に持ち込むとき
  → 免税手続きは最終出国の空港で行う。
②免税品を空港で預ける場合
  → 最初の搭乗空港で手続きし、そのまま荷物を機内預けとする

言われてみれば、2008年には機内預け用のスーツケースに免税品を入れ、ミュンヘンでのタックスフリー手続きを行ったその窓口でスーツケースを預けた。②である。
それに対して今回は、手荷物の中に免税品を入れてタックスフリー窓口に訪れたのであった。①扱いになったということだ。

スキポール空港に到着した。
飛行機を降りて建物に入るとまず、インフォメーションでタックスフリー窓口の場所を確認した。それから延々と歩く。やっと窓口を見つけた。
その場所には、窓口がいくつかあり、そのうちのひとつの窓口に向けて行列ができている。日本人客が多いようだ。
もう一つの窓口では係員が所在なげにしている。そこで私は行列に並びながら、その窓口のお姉さんに向かってタックスフリーの書類を掲げて見せた。するとお姉さんは“こっちにおいで”と手招きする。行列ができていないその窓口でも、タックスフリーの手続きが可能なのであった。
こうして書類へのスタンプ押しが済んだので、続いて払い戻しである。今回の2件のうちの1件はその場でユーロに払い戻してもらった。もう1件はクレジットカードへの戻ししか使えないという。その場でクレジットカード番号を記入し、書類をポストに投函した。

時間はたっぷりあるのでラウンジへ行くことにする。そのラウンジが、また延々と歩いた先にあった。

日本へ戻る飛行機への搭乗である。
どうも座席番号が、家内と私とで同じ列ではあるが隣ではない可能性がある番号だった。搭乗してみたら案の定、通路を挟んだ2つの席であった。そこで男性CAにその旨を申し出ると、「それではとなりの客に替わってもらうように頼むので、その客が来るまでは取り敢えずその席に座っていてくれ」と言われた。
やってきた隣の席の人は白人男性だった。男性CAが事情を話したところ、実に気持ちよく席を替わってくれた。ありがたいことである。

飛行機は無事に成田に到着し、こうして今回の旅もつつがなく終了したのであった。

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5月5日ザルツブルク-ミュンヘン

2012-06-17 21:41:32 | 旅行
ザルツブルク最後の朝だ。本日は鉄道でミュンヘンに移動する。

ホテルの部屋でゆっくりと帰り支度を行い、タクシーでザルツブルク中央駅へ向かった。
ザルツブルク中央駅は現在改装工事中である。切符売り場を探すのに一苦労した。駅舎の外にあるプレハブがそれであった。
列車の出発までには十分な時間がある。ひとつお土産品で買えていないものがあったので、それを探すこととした。スーパーがあれば買えると思うのだが、駅の周辺でスーパーを見つけることができない。そこでまずは駅のホームに上がり、私が荷物と一緒にそこで待ち、家内がお土産を探すこととした。非常に苦労した末、幸いにも目的としたお土産を購入できた。

ホームに停車した別の列車には、自動車を運ぶ貨車が連結されている(左下写真)。この貨車にマイカーを載せて旅行する客がいるのであろう。
その次に登場したのは蒸気機関車に引かれた列車だ。蒸気機関車が入線する前、ホームは結構な混雑だった。蒸気機関車が入線してわかったことは、その雑踏が目的としていたのがこの蒸気機関車だったことだ。蒸気機関車がゆっくりと通り過ぎるのにつれ(右下写真)、雑踏も一緒に動き出し、そしてあっという間にいなくなった。
  
    ザルツブルク中央駅

われわれの列車は、11時2分発である。ミュンヘン着は12時30分だ。

本日の宿泊はミュンヘン空港近くのホテルだが、そこへ行く前にミュンヘン市内で買い物の予定だ。まずはミュンヘン中央駅のコインロッカーに荷物を預けた。市電でマクシミリアン通りへ向かう。

お昼を食べに入ったお店で、メニューにアスパラガスが載っていた。5月はじめのドイツに来た以上、ホワイトアスパラガスを一度は食べておきたい。ということで、注文することにする。ミュンヘンではソーセージも食べたい。アスパラガスのメニューによると、添え物を選べるのだが、その中にソーセージが載っていない。ウェイトレスに聞いたところ、ソーセージも注文できるという。そこで、ソーセージ付きホワイトアスパラガスを一人前注文した。
運ばれてきたものを2分割した後の半分が下の写真である。
  
     ソーセージ付きホワイトアスパラガス(半人前)

ミュンヘン市内から空港まではSバーンで移動する。まずはミュンヘン中央駅へ戻ってコインロッカーから荷物を取り戻し、Sバーン乗り場に移動する。空港行きはS1とS8なのだが、それぞれがミュンヘン駅で反対方向に進むので面食らった。

空港に到着し、隣接するケンピンスキー・エアポート・ホテルにたどり着いた。ロビーでチェックインした後、目的の部屋までたどり着くのにまた一苦労があった。

本日の夕食は、ホテルのレストランでチキンを一人前注文し、シェアした。

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5月4日(2)ザルツブルク

2012-06-15 21:20:15 | 旅行
ホーエンザルツブルク城塞からの下り道は、北側の城壁外側をまず東から西へと下り、ヘアピンで下り道は東に向きを変える。その先にもう1回ヘアピンがあり(左下写真)、街へ下るには左へ曲がる。ここを左に曲がらずに真っ直ぐ進むと、その先にノンベルク修道院がある。

ここで家内と別れ、別行動を取ることにした。家内は買い物のためにそのまま街に下り、私はノンベルク修道院を訪問した。

道を進み、まずは右下写真のアーチをくぐる。
  
ホーエンザルツブルク城塞からノンベルク修道院への道        ノンベルク修道院入り口のアーチ

アーチのすぐ先に、映画で見慣れた風景が目に飛び込んでくる(下写真)。この風景は、映画で3回登場する。1回目は、マリアが修道院を出てはじめてトラップ大佐邸に向かう場面だ。2回目は、トラップ邸でのパーティー中にマリアが突然修道院に帰ってしまい、子供たちがマリアに会いに修道院を訪ねた場面。そして3回目は、音楽祭中にトラップ一家が修道院に逃げ込み、ナチス官憲からすんでのところで逃げ出す場面である。いずれも、下の写真のアングルからの撮影で場面が進行する。
3回目の場面で、ナチスの自動車は写真の左端に見える坂を登ってきてアーチ門の前で停車した。また自動車に乗ってナチスから逃れるトラップ一家は、中央奥に見えるアーチ門から脱出し、そのまま画面の手前側に走り去った。
 
ノンベルク修道院
上写真右端に見えるアーチ型門が下写真だ。子供たちがマリアに会いに来たが門前払いされる場面、そしてトラップ一家を追って殺到したナチス官憲の侵入を遅らせようとゆっくり鍵を開ける場面でこの門が登場する。
 
ノンベルク修道院

アーチ門を背にして背後を見ると、下の写真の山がそびえている。ウンタースベルクという山のようだ。
修道院に逃げ込んだトラップ大佐に修道院長は、国境は封鎖されたようだと告げた。大佐は、修道院の外に見えている山を眺めながら、「途中で車を捨て、徒歩で山越えを」(字幕)とつぶやいた。下の写真と映画の画面とを見比べたところ、山頂付近の様子が微妙に異なるが、全体の雰囲気としては似ているようだ。
 
ノンベルク修道院から見たアルプスの山

さて、映画では、冒頭近くでノンベルク修道院を紹介する場面で修道院の遠景が撮される。この遠景の写真を撮るのも今回目標にしていた。ザルツブルクについてザッハーホテルの宿泊する部屋に入り、バルコニーから旧市街を眺めたら、何と、映画で見たのと同じアングルでノンベルク修道院が見えるではないか(下写真)。遠いので、この写真だけは望遠に強い別のカメラで撮影した。
映画の場面は、こんな望遠での撮影ではない。おそらく、下の写真の右に見える尖塔の上あたりから撮影したのではないかと思う。
 
ザッハーホテルから見たノンベルク修道院

こうしてノンベルク修道院の訪問を終えた。
修道院のアーチ門は半開きだったので、中に入ることはできたと思う。ただし、尼僧院ということもあり、何となく遠慮して中には入らなかった。

この修道院は、街に比較すると高台に位置している。元来た道を戻る途中、いきなり平地に下りる階段道があったので、そこを通って下りることにした。
カピテル広場を経て、大聖堂を左に見て北に進むと、レジデンツ広場に出る。
レジデンツ広場からドーム広場を望む写真を撮影した(下写真)。マリアが最初にトラップ邸に向かう途中で、この場面が登場するからである。映画と同じアングルで撮影しようとしたら、カメラの立ち位置に馬車がたくさん駐まっていたのでやや違うアングルの写真となった。
 
レジデンツ広場からドーム広場を望む

レジデンツ広場を挟んでレジデンツの反対側に建っているのが新レジデンツだ(左下写真)。そこから北東に抜けるとモーツァルト広場だ。中央にモーツァルトの銅像が建っている(右下写真)。
  
新レジデンツ                         モーツアルト広場

ここで家内と電話連絡し、モーツァルト広場で落ち合った。

次に寄るのはフュルストというカフェだ。このカフェには説明がいる。
オーストリア土産の定番中の定番として、モーツァルトクーゲルというお菓子があるという。オーストリア、とくにザルツブルクではどこにでも売られていて、最もシェアが高いのはミラベル社のものだそうだ。
そのモーツァルトくーゲルの本当の元祖が、フュルストだというのだ。
ザルツブルクの菓子職人パウル・フュルストは1890年に新しいチョコレートを発案し「モーツァルトクーゲル」と名付けた。ピスタチオの入ったマルツィパンを球状に丸め、それに棒を刺して溶かしたチョコレートの中に漬けてから乾かす。チョコが固まったら、棒を抜いた穴をチョコレートで塞ぐ。1905年にパリの博覧会でゴールドメダルを獲得したことから、同じチョコを同じ名前で販売する同業者が機械生産で大量に販売するようになったのだという。元祖のフュルストは今でも手作りのため、ザルツブルクの店でしか売られていない(「旅名人ブックス111 ザルツブルク (旅名人ブックス)」参照)。。
そのフュルストを訪問した。
この店、Brodgasseという路地に面している。この路地、本日の朝に通ってきた狭い路地だ。
  
フュルスト 店内                        店の前
店はお客で混み合っていた。奥の喫茶ルームに入り、ケーキを注文した。また、そもそもわれわれはモーツァルトクーゲルのことを何も知らないので、購入前にということで1個注文して食べてみた。チョコボールには1箇所、へそがある。このへそが、棒を抜いた後にチョコを埋めた跡だろう。
そして、お土産用としてフュルストのモーツァルトクーゲルを大量に買い込んだのであった。

モーツァルト広場の北に、ザルツァッハ川を渡るモーツァルト小橋がある。サウンド・オブ・ミュージックでも登場した橋なので、今回の旅でも重要ポイントの一つだ。旧市街側から橋を渡って新市街側に抜けた。新市街側から、ホーエンザルツブルク城塞を背景にしたアングル(下写真)がサウンド・オブ・ミュージックの撮影アングルである。
 
↑ モーツアルト小橋 ↓
  

こうして本日の観光を終え、ザッハーホテルに帰着した。
時刻はまだ早い。私一人でホテル近くを歩くことにする。
  
マカルト広場から三位一体教会                 ホテルブリストル
ホテルのすぐ北にマカルト広場がある。この広場の南東側にモーツァルトの住居がある(下写真)。折角なので参観した。ただし、私自身はモーツァルトに思い入れがないので、“取り敢えず見るだけ見た”ということで流してしまった。
マカルト広場の北東端に三位一体教会があり(左上写真)、北西側にブリストルホテルが位置している(右上写真)。
 
モーツァルトの住居

ザルツブルクには著名指揮者のカラヤンの生家があるという。その生家というのが、われわれが滞在したザッハーホテルの隣にあるのであった。ということで家の前に行った。中には入れない。家の前の庭にはカラヤンが指揮をしている立像が立っている(左下写真)。右下写真が家の全景である。
  
カラヤンの生家  カラヤン像                  生家
カラヤンの生家は、ザルツァッハ川に面している。左下の写真はメンヒスベルクエレベータで上がった対岸の崖の上から見たカラヤン生家である。すばらしい立地で、すばらしい建物である。この建物全体が本当にカラヤン家の住居だったのだろうかと今でも疑っている。ついでに、ホテルの部屋のバルコニーから撮った写真を右下に示す。まさに眼下にカラヤン像が立っていたのであった。
  
メンヒスベルクエレベータから見たカラヤン生家           ホテルの部屋のバルコニーから

家内から携帯で連絡が入った。これからひとっ走り、ゲトライドガッセのモーツァルト生家の隣にあるスーパーで買い物することになった。必要なものを購入することができた。

ザルツブルク最後の夜である。本日の夕食は、ホテルの部屋で買ってきたばかりのサンドイッチを中心にした食材だ。

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5月4日(1)ザルツブルク

2012-06-14 22:35:33 | 旅行
昨日はモントゼーと、旧市街の北方面を歩いた。本日は旧市街の南方面だ。
 
ザルツァッハ川をシュターツ橋でわたった旧市街のすぐのところに、旧市庁舎の建物がある。立て込んだ路地に位置しているので、目立たないが。
  
          旧市庁舎

この旧市庁舎の1階に、子供服の店が開いていた(下写真)。店の出入り口のすぐ右に"RATHAUS"(市庁舎)の標識が見える。この店に入り、孫へのお土産にする子供服を購入することができた。
 
    旧市庁舎1階の子供服店

細い路地を通り、レジデンツに出た。
レジデンツの東に面する広場がレジデンツ広場だ。下写真は、レジデンツ広場の全景と、中央に噴水、正面右にレジデンツが見える。左の尖塔は大聖堂(ドーム)のツインタワーだ。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、オーストリアのナチスドイツ併合直後の場面として、このレジデンツ正面玄関の上にナチスのハーケンクロイツ旗が掲げられた場面が撮影された。
 
  レジデンツ広場と噴水。背景右はレジデンツ、左は大聖堂。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」の別の場面、マリアが修道院から大佐邸に向かう途中の場面として、この噴水の横を通り過ぎる。
 
  噴水とレジデンツ

さて、レジデンツの中を回ることとする。ここは内部の撮影OKである。
レジデンツ正面の入口を入ると、まず中庭に出る。その中庭の先に、レジデンツ入口がある。
  
中庭にあるヘラクレスの泉          中庭からのレジデンツ入口

入口から中に入ると、長~い大階段が現れる。3階まで続いている。
ここからは、豪華絢爛の部屋部屋を次々と回っていく。
 
会議の間(多分) 6歳のモーツァルトが大司教の前で初めてピアノを演奏した部屋

 
謁見の間(多分) 大司教がここで外国からの公使や外交使節と面会した

  
アレキサンダー大王の天井画

 
玉座の間(多分) 大司教を訪れた客人が集う。モーツァルトもここで演奏した

こうしてレジデンツの見学が終わった。
次はドーム広場に入り、そして大聖堂(ドーム)を見学する。マリアと子供たちもこのドーム広場を横切っていった。
 
ドーム広場から大聖堂(ドーム)正面 広場には聖母マリア柱

  
大聖堂内部

ドーム広場から南に抜けるとカピテル広場だ。ここからはホーエンザルツブルク城塞が間近に見える(下写真)。このアングルの写真を撮るのも今回の重要な目的の一つだった。トラップ大佐邸にはじめて向かうとき、マリアはここからバスに乗ったのである。
 
カピテル広場からホーエンザルツブルク城塞

カピテル広場の南のはし、ケーブルカー乗り場の近くにザンクト・ペーター墓地がある。
  
↓ ザンクト・ペーター墓地 ↑
地面に普通に墓石が配置された墓(下写真)のほか、左上写真のように一区画毎が廟所になっているものもある。さらに右上写真の崖に掘られた岩穴の中にも納骨堂や礼拝堂が配置されているようだ。池内紀著「ザルツブルク (ちくま文庫)」によると、1700年代のザルツブルク住民にとって、聖ペテロ教会の墓地(ザンクト・ペーター墓地)に家紋入りの墓石をもつことこそ、この上ない名誉だったとのことだ。
ガイドブックではこの墓地を映画サウンド・オブ・ミュージックで一家が隠れた墓地として紹介されているが、せいぜい監督がこの墓地から着想を得た程度のものであろう。
 

ケーブルカーでホーエンザルツブルク城塞に登った。
広い城内を歩き、あちこちから景色の写真を撮った。ノンベルク修道院を探し回り、やっと見つけて取ったのが右下の写真だ。
  
ホーエンザルツブルク城塞から 北 旧市街                東 ノンベルク修道院

城の南には広い平野が広がる。左下写真、はるか遠方にそびえる山はウンタースベルクという山のようだ。この山はノンベルク修道院からも、またレオポルツクロン城からもよく見える。そのため、映画「サウンド・オブ・ミュージック」ではさまざまなところで登場する山である。左下写真、近くに目を転じると、広い芝生の敷地に不思議な十字路が交差している。その十字路の中心よりちょっと上に一軒家が見える。「首切り役人の家」という。木之下晃著「ザルツブルク 永遠のサウンドオブミュージック」によると、その昔、ここが処刑場だったそうである。いまは個人の別荘になっているとか。
  
ホーエンザルツブルク城塞から 南 首切り役人の家          西方向

左上の写真を隅々まで探索した結果、私はレオポルツクロン城を見つけてしまった。写真の上から4/10、右から2/10付近に4階建てくらいの白い建物が見える。これがレオポルツクロン城だ。そこで、左上写真からこの部分を切り取ったのが下の写真だ。映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、この城の南の門と、その先に広がる湖が撮影対象となった。トラップ大佐邸の前の湖である。写真でも家の向こうに湖が確認できる。レオポルツクロン城から湖のむこうにウンタースベルク山が位置しているのも、これらの写真からうなずける。
さすれば、左上写真にはフローンブルク宮殿も写っているのではないだろう。映画でトラップ大佐邸の建物外観として使われた宮殿だ。ホーエンザルツブルク城塞の遙か南、ヘルブルン宮殿の近くに位置しているはずだが、写真の中に見つけることはできなかった。
 
ホーエンザルツブルク城塞から 南南西 レオポルツクロン城

城内を回った中でマリオネットの展示があったので写真を撮っておいた。
  
ホーエンザルツブルク城塞 マリオネット

昼食は城内のカフェでいただいた。南方向が見渡せるオープンカフェだ。ビーフを注文してシェアした。

城への登りはケーブルカーだったが、下りは歩くことにする。城の東端あたりから、北側の城壁を西に向かって下る道だ。途中で見上げると城がそそり立っている(左下写真)。
  
ホーエンザルツブルク城塞からの下り道

さて、このあとはノンベルク修道院だ。

戻る                            続く
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