雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

帰途

2019-07-31 19:37:16 | 旅行
6月14日(金)ヘルシンキ11:55-SK1709-11:55コペンハーゲン15:45-SK983-(6月15日(土))9:35成田

朝8時45分に迎えの車がホテルに来る。ロビーで待ち合わせだ。
予定時刻よりも前にチェックアウトを済ませ、ロビーで待った。案内の人は定刻前に現れるかと思っていたのだが、現れない。定刻に現れた。定刻前からホテルの前に車が駐まっており、中に人が認められた。その人が案内の人だったのだ。

空港に到着した。案内人も、ガイドブックも、第2ターミナルであると告げている。第2ターミナルで降りてうろうろしていたら、案内の人(日本語ネイティブではない)に日本語で呼び止められた。そこで便名を告げると、第1ターミナルだという。また、タックスフリーの手続きについても教えてもらった。

タックスフリーの手続きは、以前に比較するとものすごく簡便化されている。航空会社カウンターでチェックインする前の段階で、タックスフリー窓口へ行く。商品を購入したお店でもらった、レシートに毛の生えたような紙の帯があり、それを提出するだけでOKだ。タックスフリーの入金はクレジットカード宛てとした。手続きはすぐに終わった。
なお、7月末に入手したクレジットカードの記録に、入金が記録されていた。

ヘルシンキ・ヴァンダー国際空港から、コペンハーゲン・カストロップ国際空港に飛ぶ。カストロップ国際空港でのお土産購入について、当然ながら、EC内(ドメスティック)フロアーから保安検査を通過してインターナショナルフロアに出た後と思っていたのだが間違いだった。ブランドショップは保安検査通貨前のECドメスティックフロアにしか存在しなかった。
やむを得ず、ブランド品購入は諦め、チョコレートなどの購入で我慢することとした。

飛行機は無事に成田に到着した。

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ヘルシンキ

2019-07-30 21:22:34 | 旅行
6/13(木)ヘルシンキ
《ヘルシンキ》
朝、フェリーでヘルシンキに到着し、タクシーでホテルへ向かった。ラディソン・ブル・ロイヤル・ホテル・ヘルシンキである。
さっそく、ヘルシンキ市内の観光に出発した。

ホテルから東進したところに、カンピ礼拝堂がある。
カンピ礼拝堂



カンピ礼拝堂は、ルター派の信徒とヘルシンキ市によって共同運営されている。
礼拝堂の外壁はトウヒ、内壁はハンノキ、建具と内扉はセイヨウトネリコでそれぞれできている。残念ながら、内部は撮影禁止で写真がない。

カンピ礼拝堂からさらに東進するとヘルシンキ中央駅が見えてくる(下写真)。
中央駅

ここで右に曲がり、大通りに面したフォーラムという名のビルに入る。このビルの中にムーミンショップがあるのだ。
ムーミンショップで必要なお土産品を購入した。
ホテルでもらった地図によると、ムーミンショップから道路を挟んだ向かい側に、ハードロックカフェのマークが書かれている。お土産にハードロックカフェのTシャツを購入する予定にしていたので、好都合である。そこで、そのビルに向かった。しかし、目的の店舗が見つからない。ビルの2階のDIYショップの店員さんに聞いたら、場所を教えてくれた。それでも迷いながら、やっとハードロックカフェに到着した。
今まで、海外旅行のお土産にハードロックカフェTシャツを何回も購入したが、本当のカフェで購入したのははじめてだった。

さらに東南方向に歩き、エスプラナーディ公園(西橋)に到着した。この公園は、左右を街路樹で囲まれたような長細い公園だ(下写真)。
エスプラナーディ公園



公園内の銅像

公園の東端に至った。この近くにあるムーミンカフェを探す。
《ムーミンカフェ》

正面
店の前には真っ白いムーミン像だ。


店内


注文品
お菓子の表面を見てほしい。粉砂糖で絵が描かれている。こちらのムーミンサイトと照合した。左がトフスランとビフスラン、右がスティンキーだろうか。


併設するショップ

ムーミンカフェを出て、南進し、トーベ・ヤンソンのアトリエに向かう。
途中の広場に、下の像が見られた。何の像であろうか。


トーベ・ヤンソンのアトリエのあるべき場所に到着した(左下写真)。見つけたのは、右下写真のレリーフだけだ。
 
正面                              正面横のモニュメント

こちらに、トーベ・ヤンソンのアトリエ Ullalinnankatu 28の説明がある。
『ムーミンの物語が次々と生まれた部屋
1944年から移り住んだアトリエは、天井が高く冬になると寒くてコートを着込んで制作をしていたとか。2001年に亡くなるまでここを拠点に生活をしていました。入口には彫刻家の父ヴィクトルが幼少時代のトーベをモデルに制作したレリーフが残っています。(外観のみ見学可)』
残念ながら中に入ることはできなかった。こちらに紹介されているような室内なのだろうか。われわれが見たビルの外観と対比すると、窓の形からして、下写真の左の薄ピンクのビルの屋上に設けられた小屋がそれに当たるようだ。
 

次の目的地は、ヨハンナ・グリンセンのお店だ。ヨハンナ・グリンセンは、フィンランドが誇る有名テキスタイルデザイナーということだ。トーベ・ヤンソンのアトリエから西へすぐのところにあるはずだ。その場所に到達したが、店を見つけることができない。あれこれ迷ったが、どうしても店が見つからない。そこで一旦、ホテルに帰ることにした。
ホテルまでの道すがら出見かけた風景を2枚、以下に示す。




ネットで調べ、ヨハンナ・グリンセンを扱っている店を探した。中央駅の近くのお店で扱っているらしいので、徒歩でその店に行ってみた。店前の表示からして、いかにも日本語が通じそうだったので、最初から日本語で話をした。店内には複数の日本人女性店員がいたようだ。その店には、われわれがほしい商品は置いていなかった。そして、さっきわれわれが探し回ったその場所に、お店は確かにあるという。そこで、その店の前でタクシーを拾い、タクシーに連れて行ってもらった。
店は確かにあった。われわれは、その店の10m手前まで到達したのに、見つけられなかったのだ。

こうして、ヘルシンキの一日は終わった。
後から地図を見ていたら、われわれが行ったムーミンカフェのすぐ近くに、ヘルシンキ大聖堂があったようだ。ちらりとも見えなかったので、行きそびれてしまった。

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フェリー(ストックホルム-ヘルシンキ)

2019-07-29 21:43:49 | 旅行
6/12(水)、ストックホルムから次の目的地ヘルシンキまで、フェリー1泊の旅である。ホテルからタクシーで、フェリーの港であるシリヤ・ターミナルへ向かった。

6/12(水)ストックホルム16:45-フェリー-13日(木)10:10ヘルシンキ
《フェリー》
建物に入り、案内に従って歩いて行くと、改札口前の広場に至った。
広場の一隅に切符売り場がある。そこで予約バウチャーを見せ、切符に交換した。「11階のいい部屋だ」と言われた。我々は、左下写真の一般切符売り場で手続きした。それ以外に、右下写真の団体切符売り場がある。中国、韓国、日本が窓口を開いていた。この3国から、多くの団体が訪れるのだろう。

 
一般切符売り場                      団体切符売り場(中国、韓国、日本)

入船時刻となり、11階の自分の部屋に落ち着いた。
部屋に避難経路の説明図があったので(下写真)、この図面に基づいて船内を説明する。

船の断面

上の側面図で、緑が7階、赤が我々のいる11階である。下の7階の平面図で、白い部分は通路であり、船の7階左右中央部が広い通路であり、左右は商店街だ。この通路は12階まで吹き抜けになっている。
上写真の真ん中11階の断面では、通路は左右2カ所にあり、その左右が船室になっている。一方の側の船室は外に面しており、他方の側の船室は船中央の吹き抜けに面している。我々の部屋は吹き抜け側だ。

 
7階から見た中央吹き抜け           11階船室から見た中央吹き抜け

左上の写真は、7階の中央通路から吹き抜けを見上げた写真であり、右上写真は我々の船室から7階通路を見下ろした写真である。右上写真での各階の窓の配置から、11階の部屋は10階以下の部屋より広いことがわかる。
下の写真は、11階の廊下であり、左右に客室が配置されている。

船室へ向かう廊下

12階まで上がるとデッキである(左下写真)。北欧だから、吹きさらしのデッキは寒い。右下写真のように、ガラスで囲まれて暖かいサンルームが用意されている。
 
デッキ

夕食の時間だ。
我々の切符は、夕食と翌朝の朝食がついている。
7階に降りると、商店街の中にレストランがいくつもある。そのうちの一つに入り、夕食のシステムを聞いてみた。その結果、切符に含まれている夕食は、1フロア下の食堂で食べられるものの、17階のレストランでは使えないことがわかった。
そこで、16階の食堂に降りた。バイキング形式だ。さしておいしい食事ではなかった。
翌朝、朝食も同じ16階のバイキング食堂で食した。

船がヘルシンキに到着した。
我々は荷物を持って、7階のデッキから接岸の様子を見ていた(下写真)。

接弦
上の写真で、左端がわれわれのいる7階デッキ、右が岸壁で、ここに見える乗船下船口が、船の7階に接続される。
船の乗客数は非常に多い。7階の中央通路には大勢が下船を待っているはずだ。一方我々は、下船口近くのデッキで様子を見ている。さて、我々の下船順番はどうなるだろうか。
何と、われわれが真っ先に下船することができた。ラッキーだ。

ビルの中を通過してタクシー乗り場に到着し、待っていたタクシーに乗り込んだ。その前後で、我々の船をとらえる瞬間があった(下写真)。右が舳先である。水平に3本の青線が引かれた部分が、8~10階だ。青線の下が7階、青線の上が我々の泊まった11階である。6階より下は、たしか自動車を格納していたと思う。


フェリーの前半分

こうしてヘルシンキに到着した。

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ストックホルム

2019-07-28 12:37:54 | 旅行
本日は、朝からストックホルム市内観光を行い、午後にはフェリーに乗ってフィンランド・ヘルシンキまでの1泊船旅出発である。
ストックホルム市内観光については、市庁舎の観光のみを主眼としている。

朝、ホテルからメトロを利用して市庁舎に向かう。
《市庁舎》

外から

市庁舎に到着すると、まずは市庁舎ガイドツアーとタワーの予約である。
大変な混雑を予想していた。希望の時間の予約は困難ではなかろうかと。そこで、窓口の開場と同時(9時前後)に窓口を訪れた。しかしそれは杞憂であった。ガイドツアーもタワーも、希望の時間に予約することができた。

ホール前
上の写真は、市庁舎の中庭から、ブルーホールがある建物の方向を見た写真である。建物全体が外壁はレンガ積み(下の写真)である。

レンガ積み

ガイドツアー(英語)での見学が始まった。
下4枚の写真はブルーホールである。ノーベル賞授賞祝賀晩餐会の会場だそうだ。

ブルーホール







下2枚の写真は市議会議事堂である。

市議会議事堂
天井板が張られておらず、小屋裏(屋根裏)が見えている。小屋裏のトップ部分が青色である。説明では、この青色には意味があるように言っていたが、内容は覚えていない。
天井の梁には、ヴァイキング独特の建築様式が取り入れられているそうだ。
上写真奥の階段状部分は傍聴席らしい。


続いて黄金の間だ(下3枚の写真)。壁は1800万枚の金箔モザイクで飾られているという。ノーベル賞授賞パーティの舞踏会広間として使われる。

黄金の間

下写真(上写真の奥)は、ストックホルムの擬人像であるメーラレン湖の女王だという。


下の写真は、女王像の対面の壁である。壁画のてっぺんの部分に、乗馬した人の頭が天井に隠れた像が描かれている。説明者によると、壁画を下から描いていったところ、構図に失敗しててっぺんの騎馬像が天井に隠れてしまった、といったような説明であった。そのような理由で隠れてしまったなど、とても信じることができない。


市庁舎のガイドツアーは終わった。次はタワーである。タワーは、下の写真のように市庁舎のコーナーに建っている。
途中までエレベーターで上り、そこから先はらせん階段である。

タワー


タワー内部 エレベーターから階段部分へ


タワーの外壁の中の通路をらせん状に上っていく

 
らせん階段を見上げる                       らせん階段を見下ろす
タワーの中央部分のらせん階段を上がっていく

 
タワー頂部の模型であろう                     タワー設計者の胸像であろう

頂上展望台に到着した。
下2枚の写真、ガムラ・スタンである。

上写真で中央右の一番高い尖塔はリッダーホルム教会、中央付近の尖塔はドイツ教会、左の目立たない尖塔が大聖堂である。大聖堂の手前には貴族の館が見える。



下の写真は、西方を望んでいる。

タワーの上から
展望台から上を見上げると、鐘楼が見える(下写真)。


こうして、市庁舎観光は終わった。
徒歩で橋を渡り、ガムラ・スタンへ向かう。振り返ると市庁舎である(下写真2枚)。

市庁舎



橋を渡ると、そこはガムラ・スタンの西端、リッダーホルメン島だ。道は上り坂になる。登った先に、リーダーホルム教会が見える。
《リッダーホルム教会》

全体

教会前の広場に銅像が建っている(下写真)。ネットで調べたが、誰の像かわからなかった。服装からは、バイキングのように見える。

教会前銅像

教会の中に入る。

祭壇

祭壇前に、棺らしきものが2つ、安置されている。表面の装飾(下写真)からすると、どちらも王の棺のようだ。こちらも、誰の棺かネットで確認しようとしたが、わからなかった。

祭壇前の棺

リーダーホルム教会を見た後、最寄りのメトロ駅(ガムラ・スタン駅)からメトロに乗り、ホテルに帰った。ガムラ・スタンには、王宮や大聖堂など、まだ見どころはたくさんあるのだが、時間の関係、および疲労との関係から、割愛した。

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オスロ

2019-07-27 14:25:18 | 旅行
6月11日(火)オスロ15:50-SK882-ストックホルム
[オスロ観光後、飛行機でストックホルムへ]

オスロで宿泊したホテルは、スカンディック・セント・オラブ・プラスである。町の中心から北北西方向、鉄道駅(オスロ中央駅)の近くでも、観光スポットの近くでも、メトロ駅の近くでもない。不便なところだ。このホテルを選んだHISには文句を言いたい。
本日の最初の目的地はムンク美術館、その後は短時間だがオスロ観光である。

朝、ホテルをチェックアウトして荷物を預け、ムンク美術館に向けて出発した。ホテルからは歩いて最寄りのメトロ駅へ向かう。10分程度、歩かなければならない。
スマホのマップを頼りにして歩いたのだが、どうもGPSが現在位置を正確に把握できていないようだ。ちょっと横道にそれてしまい、道草をしてしまった。それでもなんとかメトロの駅に到着した。
自動券売機で、クレジットカードを使って切符を購入しようとするが、操作がよくわからない。列の後ろに並んでいる女性に加勢を頼んだが、指さしで「窓口に行け」とされた。窓口に行くと、横に設置された自動券売機を使うように言われた。係の人に教わりながら操作をし、紙片が出てきた。しかし、どうも正規の切符ではないような予感がする。最寄りの係の人に見せたら、やはり切符ではないようだ。元の窓口に戻り、再度教えられながら操作をし、やっと切符を手に入れることができた。
購入した切符は紙である。検札を通過する際、自動検札機はこの紙を受け付けない。係員がいるゲートしか通れないのである。

ムンク美術館最寄りの駅に到着した。ここでも、歩いて到着した場所はムンク美術館の裏側であった。ぐるっと一回りし、やっと美術館の入り口に到着した。

《ムンク美術館》

正面


3種類の“叫び”

展示物の中に、ピカチューの叫びがあったので、写真を撮ってきた(下写真)。帰国してから娘に聞いたところでは、ムンクの日本展覧会の折、お土産としてピカチューの叫びが売られていたらしい。そのうちの一つが、本場の美術館におさまったということだろうか。

ピカチューの“叫び”


少女の“叫び”

ムンク博物館訪問の主目的は、「叫び」をあしらったトートバッグなどを仕入れることである。その目的も達成することができた。

オスロにおいて、ムンク美術館以外で唯一訪問したのがオスロ大聖堂である。ムンク美術館から地下鉄でちょっと戻り、オスロ大聖堂に到着した。
《オスロ大聖堂》

正面


祭壇


祭壇左右のステンドグラス


ステンドグラス

オスロはたびたび大火で被害を受け、オスロ大聖堂は初代から数えて場所を移しつつ現在のが3代目ということだ。1624年にオスロの大火で初代が焼失したため、町の中心を東に移し、2代目の大聖堂を1639年に建設した。しかし、そのおよそ50年後に再び火事で焼失し、3代目の大聖堂が現在の場所に建てられたそうだ。
オスロ大聖堂の前の広場の中央には、クリスチャン4世像が建てられている(下写真)。クリスチャン4世は16~17世紀当時、この地を治めていたデンマーク=ノルウェーの国王で、1624年の大火の後に、クリスチャン4世が区画整理を行い、現在の整然としたオスロの町を築いたとのことだ。

正面前の銅像

オスロ大聖堂からは、徒歩でホテルに向かった。
歩道のマンホールに目を向けたら、面白いデザインであった(下写真)。
《マンホールの蓋》

この図柄はオスロ市の紋章であり、オスロ大聖堂の正面の上、市庁舎にも同じ図柄が飾られているそうだ。中央は聖ハルバルド(実在人物)であり、図柄の下方に横たわっている裸婦が無実の罪で追われていたらしく、それを助けようとしたハルバルドも、女性共々命を落とした。女性は身ごもっていたとのことで、ハルバルド左手の3本の矢は、胎児を含めて3人の命を奪った矢を象徴しているらしい(例えばこちらの記事)。ハルバルドは石臼をつけられてフィヨルドに沈められた。右手に持っているのがその石臼だ。その後ハルバルドは聖人としてあがめられた。

《ホテル近くのロータリー》

歩いてホテルに到着した。ホテル前はロータリーになっている。ロータリーの作品を写真に収めた(上写真)。

本日はこれから、飛行機でストックホルムに移動する。
ホテルで荷物を受け取り、タクシーでオスロ中央駅に向かった。
オスロ中央駅から空港までは、エアポートエクスプレストレインを利用したはずだ。よく覚えていない。
オスロ15:50-SK882-16:45ストックホルム(アーランダ)
小さな飛行機で、中央の通路の両側に座席が2席ずつ。先頭の席であった。スチュワードから英語で話しかけられた。エマージェンシーなどの単語が聞き取れた。当方から「エマージェンシー、サポート?」と聞いたらうなずいた。我々の座席が非常口のそばなので、非常時にはサポートをお願いしたい、ということだろう。「イエス」と答えた。どんなサポートが期待されているのかわからないが。
アーランダ空港からは、鉄道(アーランダ・エクスプレス)でストックホルム中央駅へ向かったはずだ。

ストックホルム中央駅に到着すると、その足で、近くの雑貨屋(イリス)に向かった。
《イリス(雑貨屋)》
 
正面                        内部
お土産品について、この店での購入希望を受けているためだ。白木で作ったブラシなど様々なものを購入した。

宿泊は、クラリオンホテルストックホルム、市街の南端に位置し、ガイドブックの地図からも外れた場所だ。
イリスからは、メトロを利用してホテルに到着した。

時間は遅いがまだ明るい。本日中に、ノーベル博物館を訪れることとした。ホテルからタクシーを利用して博物館に到着した。まだ開いている。
 
ここでの目的は、お土産にノーベルチョコ(上写真)を購入することだ。純正のノーベルチョコはここでしか購入できないということだ。

ホテルの近くを歩き回り、ファーストフード店を探した。ピザ屋を見つけた。ピザを1枚購入してホテルに持ち帰り、ホテルの部屋で夕食とした。

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