雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

5月4日コペンハーゲン

2011-06-20 21:15:13 | 旅行
コペンハーゲンでのホテルは、デンマークに来て最初に止まったときと同じホテル・ダングレテールだ。中央駅からホテルまでタクシーを利用した。

ホテルフロントに荷物を預け、まず最初にロイヤル・コペンハーゲン・ファクトリー・ショップを目指す。
ホテル最寄りのコンゲンス・ニュートゥから地下鉄に乗り、4駅目にあるSolbjergで降りる。ガイドブックの地図に従って歩くと、ファクトリー・ショップはあった。陶器工場らしく、煙突が見える(左下写真)。入り口近くになると、「工場の販売店」という日本語の表示まであるので感動だ(右下写真)。
ロイヤル・コペンハーゲン・ファクトリー・ショップ
  
このファクトリー・ショップでは、正価で販売できないB級品を安価で購入できる、ということらしい。それ以上に驚いたのは、展示してある陶器の種類の豊富さだ。ストロイエにあるロイヤル・コペンハーゲンの本店に入ったが、展示品の中にはこちらが買いたいと思うデザインのものが見つからなかった。それに対しファクトリー・ショップは、展示品から欲しいものを見つけることができる。
  
予定していた買い物をほぼ済ませることができたようだ。すべての購入品について、バイ・シップで別送してもらうこととした。船便で半年もかかってはたまらないので、「半年かかりませんか」と聞いたら「そんなにかからない」という返事だった。
デンマークは消費税が25%かかる。タックスフリーを適用する場合も、通常であれば購入時には正規の消費税を支払い、出国時にそのうちの大半を戻してもらうという制度だ。それに対し別送の場合は、消費税を支払う必要がないという。これは便利だ。

ロイヤルコペンハーゲンの別送には後日談が二つある。
バイ・シップということでてっきり船便と思い込んでいたのだが、旅行から帰って数日で荷物が届いたのだ。シップといっても飛行機だったようだ。
また郵便局が荷物を届けてきたのだが、「税の支払いが必要だ」という。そのお金を払わないと荷物が受け取れない雰囲気だった。良く分からなかったので、費用(3000円程度)を支払って荷物を受けとった。ところが、中を開けると書類が入っており、「税は日本の消費税。別送の場合は、費用を支払わず、入国時に税関で作成した書類を提出するように」と書かれているではないか。税務署に確認したところ、「一度支払ってしまったら払い戻ししない」と言われてしまった。残念なことである。

昼食時だが、ロイヤルコペンハーゲンから最寄りの地下鉄駅までの間には適当な食事処が見つからなかった。そこで地下鉄でNorreportまで行き、そこで降りて昼飯とした。

この近くの観光スポットとしてローゼンボー離宮があるようだ。取り敢えずそこに向かう。
ローゼンボー離宮
 
ローゼンボー離宮は、広い開放的な公園の真ん中にポツンと建っている(上写真)。
地球の歩き方によると、
「ローゼンボー離宮は、クリスチャン4世王により建てられたオランダ・ルネッサンス様式の建物。1605年から工事を開始し、1634年に完成した。1615年、38歳の男ざかりであったクリスチャン4世王は、絶世の美女キアステン・ムンクと熱烈な恋に落ち、彼女は王のもとにやってくることになった。二人の愛の新居として定められたのが、ここローゼンボー離宮だ。」ということらしい。
内部はどの部屋も、凝った装飾が施されている。デンマークに来てはじめて、内部装飾に見応えのある建物であった。
 
  
  
さらに、ローゼンボー離宮・宝物殿に入る。ここの目玉は、クリスチャン4世王と5世王の戴冠式に用いられた王冠だ。同じく地球の歩き方によると「クリスチャン4世王の王冠は、絶対君主制の前のものであり頭部が開いており、クリスチャン5世王の王冠は、国内を統一したという意味で、頭部がひとつにまとまっている」とある。左下写真が4世王、右下写真が5世王の王冠、という意味だろうか。
ローゼンボー離宮・宝物殿
  

ローゼンボー離宮からは、Norreportまで戻り、そこからKobmagergade通りを通ってストロイエ方面に向かう。途中、ラウンドタワーを見上げながら通過する。このラウンドタワーは、1642年にクリスチャン4世王によって、天文観測所として建てられたとのことだ。
ラウンドタワー
 

一度ホテルへ戻り、一休みだ。
夕食を食べにニューハウンに出る。ガイドブックから選び、スキッパークロエンというレストランに入った。
ニューハウン・スキッパークロエン
  
夕食が終わって外に出ると、まだ明るい。とても寒いのだが、屋外カフェでがんばっている客も多い。
ニューハウンの屋外カフェ
 

ホテルに帰ってシャワーを浴びたとき、寒いなと感じた。また就寝した後も寒さを感じて、ベッドカバーを掛けるほどであった。ほどなく寒さは遠のいたのだが、これが、翌日のトラブルの前兆であることにはまだ気づかなかった。

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5月3~4日オーデンセ

2011-06-19 08:22:51 | 旅行
《5月3日》
オーフスを発ち、列車でオーデンセへ移動する。
オーフス発10時28分
オーデンセ着12時3分という便である。

オーデンセは、童話で有名なアンデルセン生誕の地として知られているそうだ。

オーデンセの街はオーデンセ駅の南側に広がっている。そしてわれわれが宿泊するOdebse Radison Blu HC Andersen Hotelは、ガイドブックの地図によると街の東端付近に位置している。距離は1キロ程度なので、荷物を引いて歩くことにする。
広いとおりに面してはいるが、えらい町外れだ。ホテルらしい建物は、2階建て程度のレンガ造りだ。玄関のある側に回ってみると、ゴミが散らばっている。ひどいホテルの予感がする。
チェックインできる時間ではないので、荷物を預かってもらおうとすると、「荷物室に勝手に入れておけ」ということである。こんなのはじめてだ。こそ泥に荷物を持っていかれたらどうするのだ。

グチを言っていてもしょうがないので、荷物を荷物室に放り込んで観光に出かけることにした。
観光スポットの閉館時間を調べると、アンデルセン子供時代の家の閉館が早そうだ。まずはそこへ向かうことにする。ホテルの前の道を西へ進むと、アンデルセン博物館があり、さらに進むとオーデンセ市役所、その先にアンデルセン子供時代の家がある。
アンデルセン子供時代の家
  
左上写真は家の外観である。この家の右半分がアンデルセン一家の家だ。アンデルセンの父親は貧しい靴修理屋で、仕事場兼家族の寝室兼居間が一部屋、その奥にもっと狭い台所がある。それだけだ。台所の先は裏庭である。
右上写真と左下写真に靴修理の仕事机が見える。右下写真は台所から居間を見た写真だ。
  

アンデルセン子供時代の家からちょっと下ると、オーデンセ川に沿ってアンデルセン公園がある。アンデルセン公園といっても、アヒルの子やマッチ売りの少女の像などがあるわけではない。単なる公園だ。たった一つ、聖クヌート教会の裏側部分にアンデルセンの銅像が建っている(下の写真)。
聖クヌート教会とアンデルセン像
 
聖クヌート教会も、デンマークのお約束でレンガ造りである(左下写真)。中は白壁であまり装飾がない(右下写真)。
聖クヌート教会
  
聖クヌート教会に隣接してオーデンセ市庁舎がある。「現」市庁舎であり、観光スポットではない。トイレを借りた。

次はアンデルセン博物館だ。しかしアンデルセンに特に思い入れがあるわけではないので、さほど興味は湧かない。2枚だけ写真を上げておく(下)。右下写真は、ガイドブックによるとアンデルセンの人生を綴った壁画だそうだ。
アンデルセン博物館
  
昼食は、アンデルセン博物館の一画にあるカフェで済ませた。

アンデルセン博物館を後に、次はオーデンセ駅へ向かう。途中、角を曲がると、そこにオーデンセ劇場があった(左下写真)。その先、北方には王様公園があり、その北の端にオーデンセ駅が見える(右下写真)。実際の駅の機能は、このレンガ建屋ではなく、この写真より右側にある近代的な建物が担っている。
オーデンセ劇場                  オーデンセ駅
  

オーデンセ駅の線路の北側には、デンマーク鉄道博物館がある。扇形をした昔の機関庫(機関車の車庫)を利用した博物館である。左下のような蒸気機関車が多数展示されている。右下の写真は除雪車だ。ガイドブックには「1869年に作られた除雪車」とあり、おそらくこの車両のことだろう。
デンマーク鉄道博物館
  
 
上の写真は、機関庫から扇形の中心を見たところだ。中心には転車台(機関車の角度を変える回転台)が見える。2階からは博物館の全体を見渡すことができる(右下写真)。よくぞ集めたものだ。
  

実はこの旅行を始めてから、私の右膝が痛むようになってきていた。何とかだましだまし旅行を続けてきたのだが、この鉄道博物館に到着したところで、急にその右膝の痛みが激痛に変わってしまった。特に原因が思い当たるわけではない。しかしもう歩けない。
鉄道博物館からオーデンセ駅前のタクシー乗り場までは何とか歩き、タクシーでホテルに帰ることにした。

まだ時間は早いが、もう歩けない。ホテルの部屋で過ごすこととした。そのうち雨が降ってきた。雨で動きが取れなくなる時期と、膝の痛みが発する時期が一致したことは幸いであった。

《5月4日》
オーデンセからコペンハーゲンに移動する日だ。
オーデンセで宿泊したホテルの写真をあげておく(左下写真)。
ホテルの前は青空市だ(右下写真)。高級ホテルを予約したつもりだったが、当てが外れた。カジノを併設しているホテルだった。
ラディソンホテル              ホテル前の市
  

ホテルからオーデンセ駅までは、私の膝の安全のためタクシーを利用することとした。

オーデンセからコペンハーゲンに向かう特急列車の中で、トラブルは発生した。
今まで、ヨーロッパの鉄道旅行で一等車が満席だったためしがない。しかし今回は、オーデンセ駅から列車に乗り込んでみたら、ほぼ満席なのである。そしてわれわれが予約した席に先客が座っている。そのうちの一人はすぐに席を立ったが、もう一人は立たない。「この席の切符を持っている」というのである。乗務員に来てもらった。どちらの切符も正しい。ダブルブッキングされた模様だ。
予約がコンピュータ化された今日、こんなことがあり得るのだろうか。
とにかくわれわれの座る座席を確保しなければならない。乗務員には「席を見つけてくれ」と訴え続けた。
そのうち、前から座っていた乗客と乗務員とがなにやら話をしている。そしてその乗客が立ち上がった。別の席に移る話し合いがついたようだ。乗務員としてみれば、デンマーク語を話さない我々と交渉するより、デンマーク人乗客と話を付ける方が楽だったのであろう。
こうして無事、コペンハーゲンへ向かう列車で座席を確保できたのである。
コペンハーゲン駅
 

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5月2日オーフス

2011-06-18 16:46:55 | 旅行
《5月2日》
本日は1日オーフス観光である。
ホテルを出たところがオーフス大聖堂だ。ここからスタートし、見所をたどりながらオーフス駅に向かうことにする。
オーフス大聖堂に限らず、デンマークの教会はそのほとんどが外観はレンガ造りだ。大陸ヨーロッパと違って石を産出しないのかもしれない。内部はさほど凝った装飾がされているわけではない(下中写真)。帆船の模型が教会内につるされていた(右下写真)。オーフスはオーフス湾の奥に位置する街であり、航海が大きな比重を占めていたのかもしれない。
オーフス大聖堂
   

オーフス大聖堂の横は広場になっており、その奥には劇場が建っている(下の写真)。遠くから写真を撮影するに留めた。
劇場
  

駅に向かう途中、オーフス市庁舎にも立ち寄った。一応観光スポットになっているからだ。現代建築であり、デンマークデザインと建築の名を世界的にした人の設計らしいが、やはり現代建築であり、写真としてここに残すほどのものではなかった。

われわれはヨーロッパを旅するたびに、その国の本屋に立ち寄り、マンガを購入している。オーフスでも歩く途中で本屋を見つけたので、入ってみた。ざっと見回してもマンガの展示が見つからない。そこで店員に"manga"は置いていないか、と聞いてみた。すると店員はすぐに理解し、売り場へ案内してくれた。下の写真である。マンガを置いてはいたが、書棚の一番下にちょこっと置いてあるだけだ。今までヨーロッパを旅してきた中では、漫画の扱いが最も少ない国であろう。ただし、店員が"manga"という単語ですぐに理解できたことから、デンマークでも"manga"と呼ばれていることは間違いなかろう。今回は、ワンピースの第45巻(デンマーク語)を購入した。わが家の書棚を調べてみたら、ワンピース第1巻として、英語版、ドイツ語版、タイ語版の3種類が保管されていた。
本屋のマンガ売り場
  

オーフスには観光スポットがそれほど多くない。一方で時間はたっぷりある。ガイドブックによると、「デン・ガムレ・ビュ(オールドタウン)」という野外博物館があるのだが、徒歩で往復するには距離がある。今回、われわれの足はさほど健脚ではないことが判明しているので、除外することとした。
さらにガイドブックによると、オーフスからバスで30分弱のところにモースゴー先史博物館があるという。そちらを訪問することとした。
オーフス駅前のバス停から市バス6番に乗るという。
オーフス駅前に到着し、市バス6番の停留所を見つけた。バスが来るのを待つ。
やってきたバスに乗り込んだ。
走り出したバスは、市の中心部を通り抜け、北上しているようだ。しかし博物館は市の南にあるはずである。左側に見えるはずの海が右側に見えている。どうもおかしい。そこで運転手に「ミュージアムはまだか」と聞いてみた。すると運転手は、道路の反対側にある停留所を指さし、「ここで降りてあちらの停留所から6番に乗れ」と言うではないか。要するに、6番は6番でも反対方向に乗ってしまったということである。
時間はたっぷりある。反対方向へのバスを待つこととした。証拠として撮影したこの地の写真が下の写真である。
博物館の反対方向
 
バスはモースゴー先史博物館に到着した。ガイドブックによると、領主の館をそのまま博物館にしたとある。
下の写真で、中央遠方が領主の館であろうか。手前左右の建物は、納屋といった感じだ。そして博物館は、その左側の「納屋」の中にある。
モーズゴー先史博物館
 

展示物の中で一番絵になりそうな写真を下に拡大した。博物館的な意味は特にない。
 

この博物館の目玉はグロウバレマンだ。2000年前の炭化した人間の遺体だという(下の写真)。
グロウバレマン
  

先史博物館からはまた市バスで市街に帰ってきた。オーフス駅では降りず、市の中心、デパートの前でバスを降りた。デパートの中をあれこれ見て回った。
昼食の時間だ。昨日夕食を食べたカフェがある運河沿いがやはり飲食街だ。その中の一画、イタリアンのカフェに入った(左下写真)。そして、メニューからピザを注文した。出てきたピザが右下写真である。今まで観たこともないピザだ。丸いピザ生地を半分に折って具を包んでいるようだ。
昼食を食べたイタリアン
  

ホテルに戻った。まだ日は高い。私一人で、ホテルの西の方向をぶらぶら散歩することとした。
下の写真3枚は、ガイドブックによるとVor Frue Kirkeという名の教会だ。
デンマークの各地で見る教会は、見事なほどにレンガ造りで統一されている。この教会もそうだ。ホテルの近くにあるオーフス大聖堂ももちろんレンガ造りである。
Vor Frue Kirke
   

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5月1日オーフス

2011-06-17 23:12:51 | 旅行
《5月1日》
本日は、コペンハーゲン14時50分発の列車でオーフスへ移動する日だ。
カフェロイヤルでの昼食を終えた後、ホテルに戻る。ホテルに預けてあった荷物を受け取り、タクシーでコペンハーゲン中央駅へ移動だ。
昨日購入した指定券で1等車輛に乗り込んだ。下の写真にあるように、通路の片側は対面4人掛け、もう片側は対面2人掛けである。われわれは2人掛けの席であった。
コペンハーゲンからオーフスまでの1等車両     
 
コペンハーゲンのあるシェラン島から、結構広い海を越えてフェン島に渡り、次いで狭い海峡を越えてユラン(ユトランド)半島に渡る。シェラン島からフェン島へどのように渡るのかを確認しようと思っていたのだが、不覚にも眠り込んでしまった。
フェン島とユラン半島の間は、ちょっと広い川を渡ったような感覚だった。

オーフスには定刻17時41分到着だ。
駅前のメイン通りを1キロ弱歩いたオーフス大聖堂の近くに、ホテルがあるはずだ。荷物を転がしながら歩くことにする。
ホテル・ロイヤルはすぐに見つかった。

オーフス ホテル・ロイヤル 全景                 玄関
  
フロントには中国系とおぼしきあんちゃんがいた。ホテルバウチャーを手渡す。
そしてこれが、トラブルの始まりだった。
中国系のあんちゃんがたどたどしい英語と横柄な態度で言うところによると・・・

旅行代理店からホテルへの送金が未完なのだそうだ。本日は日曜で連絡が取れない。明日の朝以降にしか連絡が取れない。従って、私のクレジットカードの情報がほしい、というようなことだ。
クレジットカードのコピーを取るぐらいはホテルで通常行われているので問題ないと、カードを渡した。そしたら、カードを機械に読み込ませた上でピン(暗証番号)を入力せよ、というのだ。
私は激しく拒否した。そして中国系のあんちゃんと言い争いになった。
バウチャーを見ると、連絡先の電話番号が記載されている。
44-070-xxxx-xxxx
070-yyyy-yyyy(緊急時)
の二つだ。どちらかに"London"の地名が入っていた。
そこであんちゃんに「この番号に電話をかけてくれ」と頼んだ。あんちゃんは電話をかけ「どちらも通じない」という。
そこで考えた。海外から日本に電話をかける場合、番号が03-zzzz-zzzzだったら、
+81-3-zzzz-zzzz
と市外局番の最初の「0」を削除してダイヤルする。そこで、この場合も同じかもしれないと推定した。そしてあんちゃんに「44-70-xxxx-xxxx」でかけてもらった。すると「変な外国語のテープが流れている」といって受話器をこちらに渡した。日本語で「現在は時間外」というようなことを言っている。とにかく「0」を削除することで電話が通じることが分かった。
そこでさらに、「44-70-yyyy-yyyyでかけてくれ」と頼んだ。そしてとうとう、HISの緊急窓口に通じることができたのだ。まずは日本語でこちらの状況を説明した上で、中国系あんちゃんに受話器を渡した。しかしそれでも決着が付かない。HISの窓口係員は私に対し、「やむを得ないのでクレジットカードの暗証番号を入力してくれ」と言う始末だ。
その間、中国系のあんちゃんはホテルの支配人と電話で話しをしたみたいだ。しばらくして支配人が階上から降りてきた。そして支配人がHIS係員と電話で話を始めた。
そして支配人の登場により、話は急展開した。支配人とHISとの電話が終了すると、支配人はにこやかにわれわれに近づいてきた。中国系あんちゃんが威圧的だったのとは対照的だ。そしてわれわれにコーヒーを勧め、にこやかに結論を話してくれた。HISの緊急窓口がクレジットカードで支払いをしてくれることになったのだ。そうこうするうちに支払いの完了が確認され、はれてわれわれはこのホテルに宿泊できることになった。

今回のトラブルを振り返ると・・・
第1に、HISがホテルへの入金をしていなかったことが原因である。
第2に、その際のホテルフロントの客に対する態度が失格だ。
第3に、バウチャーに記載された緊急連絡先の電話番号に不備があった。ここは私の推理力で乗りきった。
第4に、さすがはホテル支配人である。中国系あんちゃんの対応でわれわれは腹を立てていたが、支配人は問題を解決するのみならず、われわれの立腹をも解消してくれたのだ。

このホテル・ロイヤルは、100年くらい経過するホテルらしい。そのせいかわからないが、下中写真のエレベータは外側に手動の扉があるのみで、ゴンドラには扉がない。食堂は、中庭にガラス屋根を設けて作られたようだ(右下写真)。

ホテル・ロイヤル フロント            エレベータ        食堂
   

 夕食を食べたカフェ
  
チェックインのトラブルですっかり時間を取られてしまった。これから夕食をとらなければならない。ホテルの部屋に荷物を置き、食事の場所を探しに外へ出た。寒い風が吹く中、あちこちと歩き回った。やっと運河沿いのカフェ街を見つけ、店に入った。左上の写真はその店を翌日撮影したものである。
なるべく軽めのものを、と思って2品注文したのだが、出てきた食事はボリュームたっぷりであった(下の写真)。
   

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5月1日コペンハーゲン

2011-06-06 00:04:14 | 旅行
コペンハーゲンといえば人魚の像である。
しかし人魚の像は、コペンハーゲン市街の北方の海岸に、観光スポットとしてはそれだけ独立して位置している。わざわざそこまで行かなければならない。本当に行く価値があるのだろうか。
そうは思いつつ、とにかく見に行くことにした。ホテルから往復徒歩だとわれわれにはちょっときつい。バスで行けそうである。しかしホテルのフロントで聞いてみたら、バスはものすごく不便であるような言い方であり、徒歩かタクシーを勧められた。そこでホテルからタクシーで出かけることとした。
フロントでの会話で、人魚の像を英語で“リトル・マーメイド”と呼ぶことが確認できたので、タクシーの運ちゃんには「マーメイド」と行き先を指定した。
人魚の像は海岸すぐ近くの小さな岩の上にある。対岸は工業地帯という無粋な場所である。そして、右下写真でわかるように、等身大かちょっと大きいぐらいの像であり、周りの観客と一緒の写真ではこぢんまりとした像に過ぎない。
しかし、こうして写真にしてみると、不思議な魅力を有していることは確かだ。見る角度によっても雰囲気が変わるので、結局4枚を掲載することになった。下の写真のうち、一番上は若干猫背であり、ベストの角度は真ん中の写真のようだ。だが残念なことに、われわれが出かけた朝早くは、この角度は完全な逆光であった。
時間帯によっては、人魚の像の周りは観光客で一杯になるのであろう。またガイドブックでは、海の側から観光船が近づいてくるようである。しかしわれわれの場合、観光客はまだ少なく、ゆっくりと鑑賞することができた。
人魚の像
 
 
   
人魚の像について、「地球の歩き方」には以下のように紹介されている。
「アンデルセンの有名な、しかし悲しい物語を思い起こさせる人魚の像。1913年、彫刻家エドワード・エッセンによって作られた。当時王立劇場では、バレエ『人魚姫』が上映されていた。それを観たカールスベアビール会社2代目社長カール・ヤコブセンが、この像を制作するアイデアを思いついたのだ。
モデルとなったのは王立劇場のプリマドンナで、それが縁で、のちに彫刻家の夫人になった。」
この像は3度も首や腕が切り落とされ、2003年には何と爆破されたそうだ。今は修復されてれわわれが見ることができる。

このあたりはコペンハーゲン市街の北端の海岸で、コペンハーゲンの港に入港するための入り口部分だ。そしてここには、カステレット要塞という五角形の要塞が構えている。人魚の像は、その要塞のすぐ近くの海岸に設けられているのだ。
去年訪れた函館の五稜郭では、すぐ近くに五稜郭タワーがあり、そのタワーにのぼると五稜郭の五角形を手に取るように見ることができた。しかしカステレット要塞にはタワーがない。左下写真のレリーフで、五角形であることを確認できるだけだ。
要塞は、星形五角形の堀で囲まれている(下中央写真)。堀の内周には高い石垣が積まれているわけではなく、土塁があるだけだ。そしてさらにその土塁の内側に右下写真のような建物が並んでいる。兵舎だそうだ。
カステレット要塞
   

人魚の像からの帰りは歩くこととする。
カステレット要塞の南端を抜け、何となく方角を定めて歩き始めた。現在地が分からなくなったが、突然教会のドームが目に入った。フレデリクス教会だ(左下写真)。日曜の午前中ということで、観光目的での入場はできなかった。
そして、フレデリクス教会の反対方向にアメリエンボー宮殿がある。しかし、宮殿の中心広場に入り込んでも、そこが宮殿とは気づかない。大きな広場のまわりを普通の(一応伝統的な)建物が囲んでいるだけである。その普通の建物が宮殿らしい(右下写真)。18世紀末に当時のクリスチャンボー城が炎上したため4人の貴族のマンションを宮殿としたものだそうだ。女王が在宮していることもあるようだ。
フレデリクス教会            アメリエンボー宮殿
  

さらに南下するとニューハウンに出る。
ニューハウンに停泊する帆船                        橋
   
ニューハウンとは、運河の両側にカラフルな建物が建ちならび、それらがカフェ街になっている(下写真)。運河は直線状500mぐらいの長さで、先端は行き止まりだ。その運河に木製のマストを設けたヨットが数多く係留されている(左上、中写真)。ところが、運河が湾に出る側に端があるのだ(右上写真)。ヨットは端よりも運河側に係留されている。どう見てもヨットのマストは端をくぐることができない。一体どうやって海に出るのであろうか。頭が痛くなってしまった。
ニューハウンのカフェ
 

ニューハウンからしばらく、家内と別行動を取ることとした。次の集合場所はストロイエのロイヤルコペンハーゲン本店だ。
ニューハウンの写真を撮った後、ストロイエの南側にある道路をうろちょろした記憶がある。左下と左中の写真は多分ニコライ教会だと思う。右下の女性の石像も、どこで撮ったのか今や定かでない。
ニコライ教会(多分)
   

ロイヤル・コペンハーゲン本店          
 
ストロイエの通りに面しているロイヤル・コペンハーゲンの本店は、由緒ありそうな建物である(上写真)。その建物の1階右端にあるアーチ(左下写真)をくぐって中に入ると、中庭(下中写真)に面してカフェロイヤルがある(右下写真)。本日はここで昼食である。

カフェロイヤル 入り口       中庭 内部
   

最初に頼もうと思ったメニューの品が本日(日曜)にはサービスしないということで、やむを得ずブランチ(左下写真)を頼むこととした。
さすがにカフェロイヤルである。食器はみなロイヤル・コペンハーゲンだ。ただし、使い込んだ茶器は注ぎ口が欠けている(右下写真)。
カフェロイヤル ブランチ              茶器
  

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