雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

5月1日(1)ミラノ-インスブルック

2012-05-29 22:39:19 | 旅行
5月1日(火)(1)
 ミラノ9:05 - 10:27ヴェローナ11:02 - 14:32インスブルック(泊)

我々は鉄道乗車券として、ユーレイルセレクトパスセイバーフレキシー(2人、3ヶ国、5日間)を所持している。このパスは、使用開始時に必ずヴァリデーション(使用開始手続き)を行わなければならない。原則として、使用開始国の鉄道窓口で行う。我々は、本日の朝、ミラノ駅で手続きを行う計画である。

予約してある列車の発車が9時5分であり、もし窓口が混み合って時間がかかるようだと面倒である。そのため、前日から朝7時半にタクシーを呼ぶようにフロントに頼んでおいた。
ホテルの食堂は7時オープンである。7時前に降りていくと、フロント前のホールには東洋人が大勢たむろしていた。日本人は我々のみであり、その他は中国人のようだ。
今回の旅行では、日本人に会うことが非常に少なく、その代わり、日本人以外の東洋人が団体で旅行しているのが目についた。中国人が多かったようである。

外は雨である。タクシーは来ていた。7時に食堂に入るときからホテル前に車が止まっていた。それが予約していたタクシーのようだ。フロントの前でうろいろしていたおじさんが運ちゃんだった。7時40分にホテルを出発した。

ホテルからミラノ中央駅までの道で、走っている車は少なかった。ただし、道の両側にはびっしりと車が駐車している。路上駐車のオンパレードである。そういえば30年前にイタリアを訪れたときも同じであった。
ということでミラノ中央駅にはスムーズに到着した。チケットと表示がある方向へ向かう。チケット売り場のカウンターには何人もの係員が座って待っているが、利用者は皆無である。要するに心配した混雑はなかったのである。
カウンターの外に立っていたスタッフに、パスを見せてどうしたらいいか聞いた。スタッフは最寄りのカウンターの係員にそのパスを渡した。係員は、パスの1ページ目にスタンプを押し、日付を記入しておしまいである。

パスの2ページ目にはパスポート番号の記入欄がある。
2008年にドイツ旅行をしたときにもユーレイルパスを使った。このときはアムステルダムのスキポール駅でヴァリデーションを行ったのだが、前日にホテルで2ページ目のパスポート番号を記入しておいた。ところが窓口の女性が「次回からは自分でパスポート番号を記入しないように」とのご注意である。ここは当局が記入すべき欄であるらしい。さらに、「パスポート番号を記入したと同じボールペンを用い、同じ筆跡で使用開始・最終日時を記入するように」とのことで、私が記入する羽目となった。こちらに書いたとおりである。
その経験があったので、今回スタッフに「2ページ目のパスポート番号を記入しなくていいのか」と身振りで聞いた見たのだが、「いいんだ」と身振りで答えてきた。おかしいとは思ったが、そのまま受けとった。
その後、列車に乗り込んだ。ミラノから途中のヴェローナまで、そしてヴェローナから途中のブレンナー峠まで(いずれもイタリア領)においては、車内の検札で何も言われなかった。
ところが、同じ列車がブレンナー峠を越えてオーストリア領に入った途端、やってきた検札にパスを見せたところ、「2ページ目のパスポート番号が未記入だ!」と身振りで言われた。
なんということだ。「ミラノの駅で『いいんだ』と言われた。イタリアの検札は何も言わなかった」と反論したかったが、身振りで伝えることは困難なので諦めた。イタリアとオーストリア(ドイツ気質)との違いを実体験したこととなる。

さて、ミラノ中央駅に戻って。
「駅が混雑して手続きが遅れたら列車に乗り遅れる」と心配して朝から行動していたのだが、結果的には出発までに長い時間がある。電光掲示板を見るのだが、われわれが乗車する9時5分発の列車は停車番線さえ表示されない。長いこと待ち、やっと停車番線が明らかになり、停車していた列車に乗り込んだ。
指定券は1号車の103、105なのだが、号車番号と座席番号が小さすぎてよく見えない。自分の座席を探し出せず、乗務員に聞いてやっと判明した。その席には別の人が座っていたのだが、この人は指定券を持っておらず、すぐに移っていった。
向かい合わせの4人掛けの席であった。向かいの席には別の客がいたが、こちらは英語が話せないふりをして押し通した。

列車はヴェローナに到着した。インスブルック行きの列車は別の番線に入るので、トランクを持って移動しなければならない。この駅では地下通路への昇降が階段であり、トランクを持っての昇降を余儀なくされた。
待つことしばらく、我々が乗る列車が到着した(左下写真)。
  
ヴェローナ駅             ヴェローナからブレンナー峠へ向かう車窓から
これからがアルプスのブレンナー峠越えの列車の旅である。
私がはじめてブレンナー峠の名に接したのは、中学の頃だと思う。ただし、どんな話だったか全く記憶していない。塩野七生氏の「ローマ人の物語」では何回か接したが、それは最近の話だ。
ブレンナー峠が歴史の中でどのような役割を果たしたのかをネットで調べようとしたが、権威ある記事は見つからなかった。
日本大百科事典によると、『標高1370メートル。アルプス越えの重要な峠としてはもっとも低所にあり、先史時代より「琥珀(こはく)の道」として知られ、ローマ時代にはすでに交通の要衝となり、中世には神聖ローマ帝国の南北を結ぶ掛け橋であった。1867年ブレンナー鉄道が峠を越えて通じ』とのことである。第二次大戦前後を除いては、特に歴史上の重要なイベントの舞台になったわけではなさそうだ。
標高1370メートルというのは、「アルプス越え」の語感からすると確かに低い。関東と上越を結ぶ三国峠の標高が1244mというから、良い勝負だ。

さて、列車の窓から見えるブレンナー峠越えの道中はどうだったか。
たしかに線路の両側には山が続くのだが、線路自体は、川沿いの比較的勾配が少ない地域を走り続ける。決して登山鉄道的な急勾配が現れることはない。車窓からたくさん写真を撮ったのだが、たいした写真はない。右上に1枚だけ挙げておく。

ブレンナー峠を越える最後の部分はトンネルであった。川端康成「雪国」の「長い国境のトンネル」のようなものだ。従って、「ブレンナー峠」そのものをこの目で見ることはできなかった。
トンネルを過ぎるとすぐ、列車はブレンナー駅に停車する(左下写真)。この駅を出てすぐのところがイタリアとオーストリアの国境であった。
  
ブレンナー駅                     インスブルック駅

列車は、14時32分定刻(多分)にインスブルック駅に到着した(右上写真)。

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4月30日(月)出発

2012-05-28 19:47:18 | 旅行
4月30日(月)出発
 成田11:55-AF215-17:15パリ19:30-AF2212-21:00ミラノ(泊)

自宅から成田までの交通機関としては、いつものように成田エクスプレスを利用した。東京駅発9:00-成田空港着9:58を予約してある。
成田空港での流れはスムーズであった。空港カウンター前の自動発券機にパスポートをかざすことによって発券が完了する。2つのトランクのうち一つだけをあずけ、もう一つは手荷物として持ち込むのも、いつものとおりだ。
セキュリティーチェックやパスポートチェックもさほど並ぶことなく、済ますことができた。ゴールデンウィークが始まったというのに、なんでこんなに空いているのだろう。
パリまでの飛行機はジャンボであった。ジャンボは燃費が高いということで、JALはすべてのジャンボを売却してしまったということであるが、エールフランスはまだ使っているのである。ゴールデンウィーク中の東京便などに限って臨時に運行しているのかも知れないが。

パリでミラノ行きの便に乗り継ぐ。
シャルルドゴール空港では、乗り継ぎ便のゲートをめざして延々と歩いた。
エールフランスのラウンジは、乗り継ぎ便ゲートの近くに位置していた。搭乗までには十分な時間があるので、ラウンジで休むことにする。

ミラノには空港が2つある。マルペンサ空港とリナーテ空港である。日本からの直行便は主にマルペンサ空港を利用しているはずだが、われわれのパリ-ミラノ便はリナーテ空港着であった。市内までの距離はリナーテ空港の方が近いので、その点では便利であった。
今回は、飛行機がリナーテ空港に着くのが21時と遅いので、空港近くのホテル(Nh Linate)を予約してある。ただしホテルまでの足は決まっていない。空港の出口でざっと見回したが、ホテル行きのバスは見つからなかった。そこで、タクシーを利用することとした。

ネット地図で見ると、ホテルは確かに空港に近接したところに位置している。しかし、空港ビルのある側と反対側に建っていたのであった。そのため、滑走路を含む広大な空港敷地の外側を半周する必要があった。これではとても「空港近くの便利なホテル」ということはできない。明日朝のことを考えたら、ホテルは市内の中央駅近くの方がベターだったろう。

タクシーの運ちゃんは青年だった。ホテル名を告げたが、「住所を教えてくれ」という。あまり地理に詳しくないらしい。ホテルバウチャーを見せたら、住所をカーナビに打ち込んでいた。
英語が通じたので、家内が「英語が上手ですね」と話しかけたところ、大学で勉強したからという。しかし大学で勉強したことを生かす就職口はないのだそうだ。そこで車を購入し、今はタクシー運転手をしているという。イタリアの就職事情を垣間見たことになる。
運ちゃんは、日本のマッサージ術である「シャツ」を習っている、という。我々は日本人だが、「シャツ」などというマッサージ術は知らない。あれこれ考えて思いついた。「それは『シアツ』ではないか?」イタリアではシャツというそうだ。後から考えたら、"Shi means finger, atsu means pressure. So Shi-atu means finger pressure."と教えてあげれば良かったと残念に思った。
降り際、運ちゃんにチップをはずんだところ、"You are so kind!"ととても喜んでいた。

ホテルは、まさに日本の安めのビジネスホテルといった風情であった。

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