雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

2009年3月香川

2009-04-18 20:42:06 | 旅行
3月27~29日に香川を訪問しました。
まず新幹線と本四連絡橋を経由して高松に入り、その日は高松泊。翌日は琴平神社を経由して祖谷渓谷のかずら橋付近に泊まります。そして3日目、高松空港から飛行機で帰ってきました。

  
琴平電鉄運転席        琴平電鉄で琴平へ向かう途中

琴平神社

  
堀江謙一氏のソーラーボート    奉納写真

四国こんぴら歌舞伎大芝居
「旧金毘羅大芝居は、天保6年(1835)に建築された現存する日本最古の本格的芝居小屋である。 
 昭和45年(1970)、学術的かつ文化的価値の高さを認められ国の重要文化財の指定を受け、その保存を図るため昭和51年(1976)、国の多額な補助金を得て復元再興がなされ、現在地に移転し、天保時代の姿そのままに甦った。
 「四国こんぴら歌舞伎大芝居」は、昭和60年(1985)6月の初公演以来、文化庁、香川県及び松竹株式会社のご理解ご協力を得て毎年開催され、町をあげて取り組む地域振興のイベントとして、全国からの歌舞伎ファンを魅了し続けている。」

  
JR琴平駅       大昔の琴平駅
  
祖谷渓谷 かずら橋付近

  
琵琶の滝     近くの大駐車場

かずら橋

  
かずら橋

  

  
大歩危渓谷 船下り


  
大歩危渓谷

  
JR大歩危駅


大歩危駅下

  
琴電琴平駅の近く    JR琴平駅前

讃岐・釜あげうどんと屋島

2009-04-18 20:18:06 | 旅行
3月27~29日に香川を訪問しました。
まず新幹線と本四連絡橋を経由して高松に入り、その日は高松泊。翌日は琴平神社を経由して祖谷渓谷のかずら橋付近に泊まります。そして3日目、高松空港から飛行機で帰ってきました。

1日目は昼頃に高松に着きました。その日は屋島を訪問することにしていたので、お昼は屋島の近くのうどん屋「わら屋」に決めています。

わら屋は、昔は香川で「西の何とか、東のわら屋」と呼ばれていたようです。現在は地元の人にはさほどの人気はないようですが、それでも2006年のランキングで堂々の16位に入っています。
高松市内からタクシーに乗り、東方面にしばらく走ると、左に屋島の山(てっぺんが平坦な山)が見えてきます。その屋島の麓にわら屋があります。古民家を移築した建物らしいのですが、外観を撮るのを忘れてました。こちらを見てください。
  
わら屋 店内(左)  うどん場(右)

この店は、釜あげうどんで有名です。普通うどんは、茹でた後に冷水で締めます。そうしないと、急速に味が落ちるそうです。
それに対し釜あげうどんは、茹でた後に締めません。そして、ゆでたてを食するのです。ゆで汁に入ったまま、熱いうどんが運ばれてきます。このうどんをだし(めんつゆ)につけて食べます。
  
釜あげうどん(てんぷら)

ここの名物は、たらいに入って出てくる家族うどんだそうです。釜あげうどんが12玉入っているようですが、我が家族3人ではとても食べきれません。それぞれが普通の釜あげうどんあるいは大盛りを頼みました。

わら屋には、釜あげうどんの他にざるうどん、生醤油うどんもあります。
釜あげうどんは、茹でたてでしか食べられないので、普通は釜あげに限って注文してから余計に時間がかかります。ところがここわら屋では、もちろん釜あげうどんは注文してから時間がかかるのですが、ざるうどんはもっと時間がかかるのです。おそらく、この店は釜あげ専門店なので、茹でて締めて作り置きをすることがないのでしょう。ざるであっても、注文を受けてから茹で、そして冷水で締めるので、釜揚げよりも時間がかかるということのようです。

屋島のてっぺんには、タクシーで行く予定にしていました。しかしうどんでおなかがいっぱいになったこともあり、歩いて登ることにしました。わら屋からすぐに登ることのできる道はないようです。店の人に聞いたところ、ここから一般道をしばらく西に進んだところに、登り口があるようです。
あれこれ迷いながら、登り口に到着しました。池の向こうに屋島が見えます。頂上が平で、不思議な形をしています。

屋島登り口付近から屋島を見る

  
四国八十八箇所第84番霊場の屋島寺  屋島の展望台から

高松市内からわら屋へ向かうタクシーの中で、運転手さんが話してくれたのですが、屋島の中腹にぽつんと青色シートをかぶせた場所が小さく見えます。それは、1300年前、日本書紀に書かれていた遺構が、つい最近発見された、ということでした。詳しくは、ウィキペディアによると以下の通りです。
「天智天皇の命で、白村江の戦い敗戦後の667年に古代山城の屋嶋城(やしまのき)を築いたと日本書紀に記述がある。これは、唐・新羅の日本侵攻を恐れてのことである。同時期には対馬-博多-瀬戸内の海上防衛線に沿って30近い砦城が構築されている。古代山城屋嶋城は長期間その存在が不明であったが、2000年ころ地元研究家の平岡岩夫氏らがその遺構石塁を発見・確認し、現在はその復元が進められている。」

また屋島は、那須与一が扇の的を射た古戦場として有名ですが、そちらについては特にゆかりの地を見ることはできませんでした。

ところで、高松は自転車王国です。大きな道路には、下の写真のように自転車専用レーンが設けられています。

高松市内 自転車専用レーン(右側)