![]() | ドイツものしり紀行 (新潮文庫)紅山 雪夫新潮社このアイテムの詳細を見る |
ドイツ旅行が終わってから、上の本を読んだ。
日本人が多く訪れるドイツの街々について、紅山氏がうんちくを語っている本である。
ロマンチック街道に半分近くのページ数を割いている。それだけ日本人が多く訪れるということか。
今回の旅行と関係する箇所について拾い読みした。
《ミュンヘン》
ミュンヘンはそんなに昔からある街ではない。
このあたりは古来有名な岩塩の産地がいくつもある。この岩塩の交易路であるイーザル川の橋を押さえていたのがフライジングの司教であった。
1142年からザクセンの大公だったヴェルフエン家のハインリヒ獅子公が、1156年にバイエルンの大公をも兼ねるようになった後、司教にただ儲けさせておく手はないということで、塩の交易路と課税をめぐって激しい争いを始めた。ハインリヒ獅子公は今までの橋を壊し、新たに自分の支配下にあったミュンヘンに橋や倉庫を造った。その後、ミュンヘンは大発展を遂げることになる。
新ラートハウス(市庁舎)の仕掛け時計は、1568年にバイエルン大公ヴィルヘルム五世とロートリンゲン公女レナーテが結婚式を挙げたときの行事を再現したもので、馬上槍試合で勝つのはバイエルンのシンボルである淡青と白の市松模様を付けた騎士だ。そのあとビール樽をつくる職人たちが踊りだす。
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仕掛け時計 馬上試合 バイエルン騎士の勝ち!
《ライン川》
ライン川は長さ1320キロ、流域面積は22.4万平方キロで、日本の本州の面積にほぼ等しい。
ライン川は国際河川で、どの国の船でも自由に航行できる。
《ビンゲン》
町のすぐ後ろの高台にクロップ城がそびえているが、ローマ人がここに城塞を設けてビンギウムと名付け、麓の河岸に人が集まり済むようになったのがビンゲンの起源だ。
クロップ城はライン河谷にある他の多くの城と同じように、1689年のプファルツ継承戦争の際にルイ十四世のフランス軍によって破壊され、1875年に再建されて、今では郷土博物館になっている。
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《ハイデルベルク》
(ハイデルベルク大学は)立派な門塀を構えたキャンパスがあるわけではなく、一般の建物に混じって街中に建っている。そして建物自体も割に小さくて、古ぼけて見える。
実はヨーロッパでは、歴史の古い大学は皆こういう感じなのだ。日本の大学のように、門塀を構えた一定のキャンパスの中に収まっているのは、ヨーロッパでは歴史の浅い新参の大学と相場が決まっている。
(学生牢の)牢内の壁にも天井にも、ろうそくの煤などで丹念にかかれた氏名、落書き、家紋、自画像などがひしめきあって残っている。ここの学生には名門貴族の子弟も多かった。
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騎士の家 Zum Ritter St.Georg
スペインの迫害を逃れて、フランドルから移住してきた新教徒の富裕な商人シャルル・ベリエが、商館を兼ねた住宅として1592年に建てた。正面外壁がフランドル風のこった作りになっているのはそのためで、さまざまの楽しい彫刻で飾られている。棟上に悪竜を退治した聖ゲオルグの甲冑姿の胸像があるところから、「騎士の家」と呼ばれるようになった。
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1689年に全市がフランス軍の焼き討ちにあったときも、1693年の大火のときにも無事だった貴重な建築である。
ホテルとしては、この建物だけではとうてい部屋が足りないので、隣接している家々を買い取り、壁をぶち抜いて中から往来できるようにして使っている。
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ホテル正面
ハイデルベルク城
城の外まわりが無残に破壊されたのはプファルツ継承戦争のときで、ルイ十四世のフランス軍のしわざである。
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マルクト広場から カール・テオドール橋から
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