前報では、今回の沖縄訪問記録のうち、米軍基地と自衛隊基地に関連する内容を記述した。
第2報では、それ以外の話題について記述する。
《美ら海水族館》
2日目に、沖縄本島北部の美ら海水族館を訪問した。孫たちを同伴した今回沖縄旅行の主要目的地だ。
水族館のハイライトは「黒潮の海」だろう。
大きな水槽はいろいろな角度から見ることができるのだが、その最大は下の写真だ。“こんな大きなガラス板がどうやって水圧に耐えているのか?”と不思議に思ったが、ガイドブックには「世界最大級のアクリルパネル」と書かれていた。
世界最大級のアクリルパネルの水槽
巨大窓の中で泳ぐ魚のうち、目を引くのはジンベエザメだ(下写真)。
優雅に泳ぐジンベエザメ
大水槽に隣接してカフェがある。このカフェで飲食しながら、台数層を眺めることができる(下写真)。われわれがカフェに入ったときは空いていて、水槽に最も近い席を占めることができた。
大水槽を間近に見るカフェ
《JAXA 沖縄宇宙通信所》(沖縄県国頭郡恩納村字安富祖金良原1712)
今回のメンバーの中にそらじょ(宇宙ガール)がいて、美ら海水族館から万座への帰途の途中にJAXAの通信所があることに気づいた。そこで、帰りがてらこの通信所を訪問することにした。名護市から南下してしばらくしたところで山の中に入る。下の地図の位置に、通信所はあった。
シーサーに守られた看板 建物入口
通信所のリーフレットには以下のように書かれている。
『沖縄宇宙通信所は、1968(昭和43)年2月、旧科学技術庁宇宙開発推進本部の「沖縄電波追跡所」として発足、1969(昭和44)年10月、旧宇宙開発事業団の発足とともにその一施設となり、2003(平成15)年10月に三機関統合により宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設となりました。
当通信所の主な業務は、人工衛星の追跡と管制です。打ち上げられた人工衛星からの電波を受信し、人工衛星の位置や姿勢、搭載している電子機器が正しく機能しているかどうかを知り、状況に応じて、人工衛星に対してコマンド(指令)電波を送信し、人工衛星の姿勢制御等を行う役割を果たしています。』
通信所の建物の中は一般公開されており、1階には展示室が3~4部屋あった。右下写真はそのうちの1室で、放送衛星「ゆり」の本物のテスト用人工衛星だそうだ。
準天頂衛星観測レドーム 屋内の展示
正面玄関前には、球形のレーダー用ドーム(レドーム)が見える(左上写真)。準天頂衛星観測レドームと説明されていた。
敷地内には、2基のパラボラアンテナが設置されている(下の2枚の写真)。説明書によると、これ以外に30mの大パラボラアンテナ(広報用)が設置されているとあるが、見当たらない。以前設置はされていたがその後解体され、現在は存在しないもののようだ。ただし、上の地図の左下「地図」をクリックしてgoo地図を表示し、航空写真を拡大してみると、宇宙通信所建屋のすぐ南に大きなパラボラが上を向いているのが見える。これが、今では撤去された30mのパラボラに間違いない。この航空写真にはレドームが見えない。まだ建設されていない時期の写真なのだろう。
18mパラボラ 10mパラボラ
3日目、別行動でわれわれが普天間第二小学校を訪問した後(第1報)、那覇市で再び合流した。合流後、最初の訪問先は首里城だ。
《首里城》
首里城入り口近くの駐車場は満車で、ちょっと離れた駐車場へ入れることになった。
4歳と2歳の孫を引き連れ、2人の機嫌を取りながらの見学だから、とにかく順路を回ったこと以外はあまり覚えていない。
《瀬長島へ行く海上道路から那覇空港を望む》
那覇国際空港は那覇市の東端の海岸沿いに設けられている。滑走路は南北に向いている。空港の南端のちょっと先に瀬長島という島があり、沖縄本島とは海上道路でつながっている。そしてその道路の途中が、空港の滑走路の延長上にあり、海上道路から、着陸する飛行機を真上に見ることができる。
本日は、夕食を瀬長島のホテル内レストランで食することにした。まずはホテルで席の予約をした。オープンの6時まで30分ほどの時間があるので、その間に先ほど走った海上道路へ戻り、飛行機の着陸を眺めることにした。
滑走路への着陸誘導施設
滑走路へ向かう側 海上へ突き出る誘導施設
着陸進入路の真下に来た。左上写真は、道路から滑走路へ向かう着陸誘導施設、右上写真は反対に海上へ突き出る誘導施設だ。
しばらく、真上を通過する飛行機を眺めていた(下の写真)。
着陸態勢の飛行機
着陸する飛行機
4日目、東京に帰る日だ。
第1報で書いたようにニライ橋・カナイ橋から知念の海岸を散策し、那覇へ戻ってきた。レンタカーを返却し、モノレールで空港へ向かう。
《那覇国際空港》
空港のレストランでお昼だ。窓際の席が取れた。
窓の外の駐機場には、ピンクのジンベエザメをペインティングしたジェット機(Boeing 737)が駐機していた(左下)。離陸準備が整ったジンベエジェットは、その後離陸していった(右下)。右上写真の左端には飛行機牽引車が見えるが、この牽引車もピンクのジンベエがペインティングされている。
日本トランスオーシャン、ジンベエザメ描いたジンベエジェット
我々の飛行機に乗り込むために通路を歩いていたら、通路の外にもう1機、青のジンベエザメをペインティングしたジェット機を見ることができた。わずかな間に2機も見られたと言うことは、結構な機数でジンベエジェットが就航しているということだろう。
こうして、3泊4日の沖縄旅行が無事に終了した。
第2報では、それ以外の話題について記述する。
《美ら海水族館》
2日目に、沖縄本島北部の美ら海水族館を訪問した。孫たちを同伴した今回沖縄旅行の主要目的地だ。
水族館のハイライトは「黒潮の海」だろう。
大きな水槽はいろいろな角度から見ることができるのだが、その最大は下の写真だ。“こんな大きなガラス板がどうやって水圧に耐えているのか?”と不思議に思ったが、ガイドブックには「世界最大級のアクリルパネル」と書かれていた。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5605.jpg)
世界最大級のアクリルパネルの水槽
巨大窓の中で泳ぐ魚のうち、目を引くのはジンベエザメだ(下写真)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5606.jpg)
優雅に泳ぐジンベエザメ
大水槽に隣接してカフェがある。このカフェで飲食しながら、台数層を眺めることができる(下写真)。われわれがカフェに入ったときは空いていて、水槽に最も近い席を占めることができた。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5611.jpg)
大水槽を間近に見るカフェ
《JAXA 沖縄宇宙通信所》(沖縄県国頭郡恩納村字安富祖金良原1712)
今回のメンバーの中にそらじょ(宇宙ガール)がいて、美ら海水族館から万座への帰途の途中にJAXAの通信所があることに気づいた。そこで、帰りがてらこの通信所を訪問することにした。名護市から南下してしばらくしたところで山の中に入る。下の地図の位置に、通信所はあった。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5625.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5621.jpg)
シーサーに守られた看板 建物入口
通信所のリーフレットには以下のように書かれている。
『沖縄宇宙通信所は、1968(昭和43)年2月、旧科学技術庁宇宙開発推進本部の「沖縄電波追跡所」として発足、1969(昭和44)年10月、旧宇宙開発事業団の発足とともにその一施設となり、2003(平成15)年10月に三機関統合により宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設となりました。
当通信所の主な業務は、人工衛星の追跡と管制です。打ち上げられた人工衛星からの電波を受信し、人工衛星の位置や姿勢、搭載している電子機器が正しく機能しているかどうかを知り、状況に応じて、人工衛星に対してコマンド(指令)電波を送信し、人工衛星の姿勢制御等を行う役割を果たしています。』
通信所の建物の中は一般公開されており、1階には展示室が3~4部屋あった。右下写真はそのうちの1室で、放送衛星「ゆり」の本物のテスト用人工衛星だそうだ。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5614.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5618.jpg)
準天頂衛星観測レドーム 屋内の展示
正面玄関前には、球形のレーダー用ドーム(レドーム)が見える(左上写真)。準天頂衛星観測レドームと説明されていた。
敷地内には、2基のパラボラアンテナが設置されている(下の2枚の写真)。説明書によると、これ以外に30mの大パラボラアンテナ(広報用)が設置されているとあるが、見当たらない。以前設置はされていたがその後解体され、現在は存在しないもののようだ。ただし、上の地図の左下「地図」をクリックしてgoo地図を表示し、航空写真を拡大してみると、宇宙通信所建屋のすぐ南に大きなパラボラが上を向いているのが見える。これが、今では撤去された30mのパラボラに間違いない。この航空写真にはレドームが見えない。まだ建設されていない時期の写真なのだろう。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5626.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5627.jpg)
18mパラボラ 10mパラボラ
3日目、別行動でわれわれが普天間第二小学校を訪問した後(第1報)、那覇市で再び合流した。合流後、最初の訪問先は首里城だ。
《首里城》
首里城入り口近くの駐車場は満車で、ちょっと離れた駐車場へ入れることになった。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5654.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5657.jpg)
4歳と2歳の孫を引き連れ、2人の機嫌を取りながらの見学だから、とにかく順路を回ったこと以外はあまり覚えていない。
《瀬長島へ行く海上道路から那覇空港を望む》
那覇国際空港は那覇市の東端の海岸沿いに設けられている。滑走路は南北に向いている。空港の南端のちょっと先に瀬長島という島があり、沖縄本島とは海上道路でつながっている。そしてその道路の途中が、空港の滑走路の延長上にあり、海上道路から、着陸する飛行機を真上に見ることができる。
本日は、夕食を瀬長島のホテル内レストランで食することにした。まずはホテルで席の予約をした。オープンの6時まで30分ほどの時間があるので、その間に先ほど走った海上道路へ戻り、飛行機の着陸を眺めることにした。
滑走路への着陸誘導施設
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5659.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5662.jpg)
滑走路へ向かう側 海上へ突き出る誘導施設
着陸進入路の真下に来た。左上写真は、道路から滑走路へ向かう着陸誘導施設、右上写真は反対に海上へ突き出る誘導施設だ。
しばらく、真上を通過する飛行機を眺めていた(下の写真)。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5661.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5663.jpg)
着陸態勢の飛行機
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5665.jpg)
着陸する飛行機
4日目、東京に帰る日だ。
第1報で書いたようにニライ橋・カナイ橋から知念の海岸を散策し、那覇へ戻ってきた。レンタカーを返却し、モノレールで空港へ向かう。
《那覇国際空港》
空港のレストランでお昼だ。窓際の席が取れた。
窓の外の駐機場には、ピンクのジンベエザメをペインティングしたジェット機(Boeing 737)が駐機していた(左下)。離陸準備が整ったジンベエジェットは、その後離陸していった(右下)。右上写真の左端には飛行機牽引車が見えるが、この牽引車もピンクのジンベエがペインティングされている。
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5703-2.jpg)
![](https://xs629720.xsrv.jp/blog/okinawa/s/IMG_5706.jpg)
日本トランスオーシャン、ジンベエザメ描いたジンベエジェット
我々の飛行機に乗り込むために通路を歩いていたら、通路の外にもう1機、青のジンベエザメをペインティングしたジェット機を見ることができた。わずかな間に2機も見られたと言うことは、結構な機数でジンベエジェットが就航しているということだろう。
こうして、3泊4日の沖縄旅行が無事に終了した。