雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

5月5日-ピサ・パリ・東京

2006-05-14 10:24:22 | 旅行
日本に帰る日が来た。
ピサ発9:55-パリ着11:40
パリ発13:15-成田着(5月6日)7:55
というフライトスケジュールである。パリでの乗り継ぎ時間が短いのが不安要因としてある。6時半過ぎに起床し、外を見ると天気は良好である。何とかなるだろう。
朝食、荷造り、チェックアウトを済ませ、フロントにタクシーを呼んでもらう。チェックアウトをしているうちにタクシーが到着した。ホテルから空港まではそれこそ5分か10分である。タクシー料金も5ユーロ台であった。
空港ロビーはがらがらである。エールフランスのカウンターに行き、チェックインの手続をする。「タックスフリーの手続をしたいのだが」というと、チェックインの手続だけして荷物を返してくれた。荷物を持ってカスタム(税関事務所)を探す。カスタムでは、荷物を調べないでタックスフリーの書類に印鑑を押してくれた。その空港内でもユーロで税金が返ってくるようであったが、われわれはクレジットカード口座への払い戻しを希望している。タックスフリーの書類を所定の封筒に入れ、ビルの外にあるポストに投函した。
チェックインカウンターに戻ると、さっきの係員が待っていた。荷物を渡してチケットを受け取ると、その職員は「アイ・アム・ビジー」と言いながら去っていった。我々が戻るのを待っていたらしい。

身体検査を済ませて待合室にはいると、そこもまだ人は少ない。時間はたっぷりある。おみやげのチョコレート類はそこで購入することができた。

いよいよパリ行きの飛行機に乗り込む。その飛行機というのが、小さいジェット機なのでびっくりした。通路の片側は2人掛けだが反対側は1人掛けである。外から見るとまるで自家用ジェット機だ。

ところで、パリ発のチケットを見ると、時刻が12:30となっている。出発は13:15のはずであり、それでも乗り継ぎ時間が少ないと思っていたのに、出発時刻が変更になったのか?これにはあわてた。
パリ着の飛行機は何とか定刻に到着したようだが、到着ターミナルの2Dから出発ターミナルの2Fまでは歩いて結構な距離がある。小走りに近い速度でターミナル間を移動した。
ところが、出発ターミナルに到着してよくよくチケットを見たら、時刻欄にはboarding timeと書いてある。departure timeではなかったのである。出発時刻が変更になったわけではなく、結果として十二分の時間余裕があった。おみやげのチョコレート類を買い足す。

成田までの飛行機はボーイング777であった。帰りの飛行機の中で読もうと思って篠田節子の小説を持ってきたのだが、トランクの中に入れて預けてしまったことに気付いた。家内が松本清張の小説を貸してくれたのでそれを読むことにする。
テレビ画面はやはり前席の背中の液晶画面である。フライトも終わりに近づく頃、斜め前の席の人が見ている画面を見ると、映画「春の雪」のようである。そこで私もイヤホンを着けず画面だけ見るとこにした。英語字幕である。春の雪は35年前に読んでおり、つい最近その最後の場面を読み返していたので、英語字幕でも筋は追える。場面は最終章に入っていた。死の床にある松枝清顯はふっと目を覚まし、傍らの本多繁邦に話しかける。字幕は、"I had a dream." "We will meet again." "・・・ under a waterfall." 原作では「今、夢を見てゐた。又、會ふぜ。きつと會ふ。瀧の下で」

成田には定刻に到着した。ゴールデンウィークだが、早朝のせいだろうか、空いている。成田エクスプレスですぐ出発の席が取れた。借りていた携帯電話をドコモのカウンターで返却し、成田エクスプレスのホームに急いだ。

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5月4日-フィレンツェ・ピサ

2006-05-13 18:58:31 | 旅行
本日は鉄道でピサに移動し、ピサ泊の予定である。午前中はフィレンツェを回り、午後の列車でピサに向かうことにする。

午前中は、私と家内とで別行動をとることにした。家内は土産物を買い求めると言うことなので、私はピッティ宮にあるパラティナ美術館を見ることにする。
幸い、パラティナ美術館の入り口にはまだ行列ができていなかった。今回の美術館は手持ちのガイドブックのみを頼りに中を見て回った。
ガイドブックに載っている重要な絵画はほぼ漏れなく見て回ったと思う。美術館の中は空いていた。有名なラファエッロの「小イスの聖母」と「大公の聖母」が同じ部屋に飾ってあるが、その部屋には私しかいない、という状況であった。

美術館見学後、ホテルで家内と落ち合うと、まずは近くのレプッブリカ広場のカフェで昼食にする。

昼食後にホテルでトランクを受け取り、駅に向かった。駅に着いた時刻は13時頃であった。ピサまでの切符を購入し、電光掲示板を見る。次の列車は13時30分頃発であった。
ピサは終点ではないので、ピサ到着を把握して下車しなければならない。隣の座席に座ってイタリア語で会話している旅行者が、ピザ行きの切符を持っていた。この人の行動をウォッチしていれば安全だ。
ここでふっと気付いたのだが、われわれは駅で切符を購入した後、刻印をしていなかった。一昨日のベネツィア-パドヴァ間も同様である。ガイドブックに「刻印していないのを検札に見つかると、切符不所持と同じように罰金を取られる」と書いてあったのを思いだした。これからは気をつけなければならない。

ピサで宿泊するホテルは駅の目の前である。すぐに見つかった。今回初めてだが、部屋はダブルベッドだった。HISへの注文はツインにしているのだが、「ツインかダブルかは現地に行ってみないとわからない」と言われていた。とうとう1回だけダブルに当たってしまったというわけだ。

一休みしたら斜塔見学である。歩いても行けるのだが2キロ程度ある。バスで行くことにした。ガイドブックには「3番か4番に乗る」とある。4番が来たので運転手に「ドゥオーモ?」と聞いたら首を横に振る。ホテルのフロントで聞いてみたら「1番だ」とのことで、ガイドブック執筆時と状況が変わっているようだ。
切符を購入する場所が分からずにうろうろしたが、タバッキに打っていることが分かり、購入した。1番の停留所前で待つ。しかし路線図で見るとタワーはスタツィオーネの手前にある。おかしい。そばにいた人が、「道路の反対側にあるもうひとつの1番停留所だ」と教えてくれた。1番の反対方向で待っていたのであった。

バスに乗り、アルノ川を越えてしばらくいくと到着である。斜塔に登るつもりにしているので、まずは予約を取らなければならない。ガイドブックによるとシノビエ美術館入り口の切符売り場が空いているとのことなので、そこへ行く。なるほど行列はゼロである。5時の予約が取れた。1時間弱の待ち時間と言うことか。

待ち時間の間、ドゥオーモや洗礼堂など、見るところはいくらでもある。しかしそれぞれで入場料を取られる。入場料が2ユーロと一番安いドゥオーモ(大聖堂)だけに入ることにした。
下の写真は斜塔のてっぺんから撮った大聖堂(手前)と洗礼堂(後方の円形の建物)である。

大きな聖堂だ。ピサの町自体はそれほど大きいように思えないのだが、この町の人たちがよくこんな大きな聖堂を建てたものだ。
聖堂内部の中央に下がっている「ガリレオのランプ」が有名らしい。伝説ではこのランプの揺れからガリレオが振り子の法則を見つけたことになっているが、実は法則発見の半年後にこのランプが設置されたらしい。
祭壇の背後、中央にはステンドグラスに十字架のキリストが描かれ、その上部には同じくキリスト像がモザイクで描かれている。
聖堂の天井は高く格子状に装飾されており、特に祭壇付近の上部はクーポラ丸天井になっている。ふっと思いついて聖堂の幅方向中央を、入り口から祭壇に向かって歩いてみた。視界の中で天井・クーポラの配置が刻々と変化し、荘厳な印象をひしひしと感じることができた。ところが残念なことに、入り口付近ではステンドグラスのキリスト像がガリレオのランプで隠れてしまい、さらに進むと今度はモザイクのキリスト像がガリレオのランプで隠れてしまう。こりゃガリレオのランプが邪魔だ。ドゥオーモのシンボルだそうだが。

17時が近づいたので斜塔に向かう。集合場所へ行くと、「バッグを向こうの荷物預けに預けてこい」と言われる。ずいぶん遠くだ。荷物を預けて戻ったら17時を少し回ってしまった。
その時間に予約した人たち(おそらく25人程度)がまとまって斜塔内に案内される。塔内部の螺旋階段をゆっくりと上る。頂上が近づくと、通路は塔の外に出る。遙か下が見下ろせ、足がすくむ。手すりをしっかりと握っててっぺんまで登った。
てっぺんではずいぶん長い間自由時間だった。思い思いに遠くを眺めたり写真を撮ったりして時間を過ごす。時間の経過とともに高さにも慣れ、最初はこわごわ手すりを離さずに歩いていたのにすたすた自由に歩けるようになる。

遠く南の空、地面近くを飛行機が飛んでいる。空港があるあたりだ。見ていると思い切りバンクし(45°ぐらいか?)、方向を180°変えると高度を下げ、あっという間に着陸した。やはりあそこに空港があるのか。それにしても派手な着陸だ。多分軍用機だろう。4発のプロペラ機のようだった。

斜塔を降りると元来た道を戻り、バスでホテルに帰ることとする。1番の停留所がすぐに見つかった。切符を買おうとうろうろする。道路の向かい側のバールで切符を売っていた。

夕食はホテル1階のグリルで食べることにした。体調が万全ではないのでまたプリモのみのつもりだ。テーブルの支度がきちんとしているので、セコンドを頼まないことに気が引ける。係の人に向かって「ソロ・プリモ・OK?」と聞いたら、にこにこしながら「オフコース」と答えてくれたので、気が楽になった。
お勧めのようなことを言っていたので、リゾットとタリアテッレを注文する。リゾットはチーズたっぷりで、今回も芯が固かった。タリアテッレはほうれん草入りで緑緑している。きしめん状の麺が何枚か重なったまま茹でられた部分が多く、その部分が固かった。ほぐす手間を惜しむとはもってのほかだ。

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5月3日-フィレンツェ

2006-05-12 21:55:37 | 旅行
本日の第1の目標はドゥオーモてっぺんのクーポラに登ることだ。朝のうちなら行列も少ないと考え、ドゥオーモに向かう。入り口はドゥオーモ正面に向かって左側面にあった。行列はまだできていない。さっそく上りはじめた。
前後に人が溜まっていないので、自分の好みの場所で立ち止まって周囲を眺めることができる。クーポラ(丸天井)の基部に到着した。クーポラには、キリストを中心に、最後の審判が描かれており、丸天井の下方は地獄絵図である。歩廊はその地獄絵図の間近を通るので、地獄で苦しむ人びとを超アップで眺めることとなる。

さらにクーポラの湾曲部内部を進むと、てっぺんに到達する。人が少ないので、周囲の景色を存分に楽しむことができた。下の写真は、中央がレプッブリカ広場、右端に半分見えるのジョットの鐘楼である。

クーポラから降りると、ドゥオーモ内部の見学はもういいや、ということになり、次に進む。後から聞いた話では、ドゥオーモに入って下から眺めるクーポラが良いらしい。
まずはドゥオーモ正面に立っている洗礼堂である。
たいていの教会はその正面に広場があり、教会のファサードの全体を眺めることができるのだが、フィレンツェのドゥオーモではそれができない。教会正面に洗礼堂が鎮座しているからだ。この洗礼堂を建設したのは失敗ではないかと思ったのだが、どうも建築順からいうと洗礼堂の方が最も早いらしい。

次にメディチ家ゆかりのサンロレンツォ教会へ向かう。下の写真はドゥオーモのクーポラてっぺんから見たメディチ家礼拝堂(高い丸屋根)とサンロレンツォ教会(その右手前)である。

教会を見た後、メディチ家礼拝堂に入った。礼拝堂の内部は、3分の1程度が工事足場に囲まれ、装飾を眺めることができなかった。退散しようと出口に向かうと、途中で右の小部屋に入るルートがある。行ってみるとそこが新聖具室であり、ミケランジェロの彫刻類はそこで見ることができるのだった。
教会も礼拝堂も、それほど並ばずに入ることができた。

次はおみやげの買い物である。留守番をしている子供たちに、モンブランの名入りのシャーペンや万年筆を購入するのである。直筆のサインがあれば、そのサインを彫り込んで入れることができるらしい。知らなかった。仕方ないので通常の筆記体で入れてもらう。
万年筆のペン先太さは適当に選んだ。太さが気に入らない場合、購入後6週間以内であれば、日本でペン先を無料交換してくれるらしい。日本語説明書では「六ヶ月以内」とミスプリされていた。

昼は昨日の夕食と同様、シニョーリア広場のオープンカフェで食べた。店は昨日と異なる。ピザを1枚頼んで二人で食べた。
10mくらいの距離にアコーディオン弾きがいる。我々の席は外との境界にあるので、アコーディオン弾きが来たらやっかいだ。無視しなければいけないと構える。とそのとき、我々の席の横に白人男性が立ち、「写真を撮ろうか」と話しかけてきた。とっさに「たかりだ」と判断し、「いいです」と断った。
それからしばらく、ふっと前の席を見ると、はす向かいの席では英語で談笑する観光客がおり、その中にさきほど「写真を撮ろうか」と話しかけてきた男性がいるではないか。ということは観光客が好意で写真を撮ってくれようとしたのだ。私はたかりと思いこんでいるから、「ノオ」と答えたのだが、その後に「サンキュー」をつけたかどうかどうしても思い出せない。
その男性はさぞかし気を悪くしただろう。日本嫌いのアメリカ人を一人作ってしまったかもしれない。今更先ほどの非礼をわびるには、私の英語力が非力なのでそのままにした。

さて、本日3時入場で、ウフィッツィ美術館の予約ができているのである。日本にいるときにインターネットで予約したのだ。料金・予約料もクレジットカードで支払い済みだ。
まず西回廊側で予約メールを見せて切符と交換し、次に東回廊側の予約専用入り口からはいる。どちらも行列はほとんどなかった。中にはいるとオーディオガイドを貸していたので、日本語版を借りることにした。最初は使い方が分からずにモタモタする。ボタンを押すと説明が始まり、ひとつの部屋の説明が終わるとそこで停止する。またボタンを押すと次の部屋の説明が始まる、というシステムだった。興味の有無にかかわらず、最初の部屋から順次見ていく羽目となった。
結果として、重要な絵画はほとんど見て回ったはずである。しかしあまりにも多くの絵を見たためか、ひとつひとつの印象が残っていないのが残念である。単に私のボケが進行しているだけかもしれないが。

その後、周囲のお店を冷やかしながらポンテベッキョまで足を伸ばす。ポンテベッキョ、最近はベッキョ橋と呼ぶらしい。これには不満である。ポンテベッキョがベッキョ橋なら、パリのポンヌフはヌフ橋と呼ぶのか。いっそのこと、ポンテベッキョは古橋、ポンヌフは新橋と呼んだらいいだろう。
そぞろ歩きが終わったとき、私と家内はなぜかグッチの財布を1個ずつ手に入れていたのであった。

今まで、食事は常にプリモのみで済ませてきた。それ以上胃袋に入らないからである。しかし、一度ぐらいはプリモとセコンドを組で食べておこうということになった。とあるお店に入り、プリモにはカルボナーラとリゾットを頼む。しかし出てきたのはボンゴレとリゾットであった。ボンゴレでも不満はないので、何もいわずにいただく。セコンドに備え、リゾットは1/3程度残した。
次にセコンドである。魚の種類を表す単語など、英語でさえ全く知らないのに、私はヒラメをイタリア語で「ソリオロ」と呼ぶのを知っているのである。メニューを見たら「ソリオラ」が載っている。だからこれを頼んでも良かったのだ。一方、肉料理でもビステッカ(ビフテキ)ではなくフィレット(フィレ)を頼めば量が少ないはずだ。そこで店員に「フィレットは何グラムだ」と聞いてみたところ、200グラムと答える。これでは食べきれないと思ったものの、つい二人ともフィレットを頼んでしまった。
実は、隣席の東洋人女性客のところにビステッカらしきものが運ばれてきたのだが、それがとてつもなく大きな肉の塊だった。こりゃフィレットでも相当大きいぞ、と覚悟はしていたのだが、はたしてフィレットも大きかった。とても食べきれない。二人とも半分程度残してしまった。とてもデザートどころではない。

ホテルに帰って、フロントでインターネット接続について相談した。しかし、フロントのお姉さんは「できるはず」「私にはわからない」と言うのみである。渡してくれた説明書によると、電話回線に繋ぐダイアルアップの説明書のようだ。私はザウルスに繋ぐモデムなど持っていない。
結局インターネットできずじまいだった。

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5月2日-ベネツィア・フィレンツェ

2006-05-11 19:59:58 | 旅行
ベネツィアからフィレンツェまでの鉄道の予約を変えることはできなかったが、それならばフィレンツェへ行く途中の街まで行ってその街を観光し、そこから予定していた列車に乗り込むことが可能だと思いついた。ボロニアまで行ったのではフィレンツェに近すぎる。その他でガイドブックに載っている街というと、ベネツィアの近くにパドヴァという街がある。ホテルのフロントで聞いたら、われわれが予約している列車もパドヴァに停車するようである。それではそこへ行こうということになった。

ホテルからリアルト橋まで荷物を引いて歩いた。朝早いせいか、それほど雑踏に悩まされることはなかった。リアルト橋からサンタルチア駅まではヴァポレットである。

駅の切符売り場でパドヴァまでの切符を買う。二人で5ユーロである。ヴァポレットが一人で5ユーロだったのと比較し、何と安いことか。ヴェローナ行きに乗ればいいこと、我々の乗るユーロスターがたしかにパドヴァに停車することもそこで教えてもらった。

電車はそれほど待たずに出発した。ガイドブックにはベネツィアから30分と書いてあったが、実際には小一時間かかったようだ。駅到着前の車内アナウンスがない。乗り過ごすとやっかいだ。ボックス席の我々の前に座った若いイタリア人に聞いたら、「自分たちもパドヴァで降りる」ということで安心した。

パドヴァの街の様子についてはこちらを見て欲しい。
ガイドブックによると、パドヴァで最も重要なのはスクロヴェーニ礼拝堂である。ジョットのフレスコ画がすごいらしい。しかし予約が必要で、極めて少人数しか見学できないようだ。文化財保護のためのようである。そのため、スクロヴェーニ礼拝堂見学は早々にあきらめた。
そこで、もうひとつの重要なスポットであるサンタントニオ聖堂を訪問することにする。

荷物を駅に預けて歩き始める。パドヴァ駅を出ると、そこはごく普通の大きな街であった。閑散とした田舎を想像していたので意外であったが、それはこちらの先入観念にすぎない。
駅から南へ歩くと、川を渡ってまずスクロヴェーニ礼拝堂に至る。公園の中にぽつんと建った小さな煉瓦造りの建物であり、観光客も少なく閑散としている。「こちらは裏側かな?」と思った側が、ガイドブックの写真によると表側であった。中に入れる人数が15分に25人と極めて少ないので、このように静かなのであろう。

さらに南に進む。道路の両側にある歩道は、ポルティコ(柱廊)と呼ばれる構造が多く、それがこの町の特徴のようだ。歩道は、建物の2階以上の部分の下にあり、車道側の柱と建物の壁との間に配置されている。

サンタントニオ聖堂は、駅から直線距離で1.8キロほどのところにある。イタリアでも名高い聖地ということで、大阪の四天王寺のような雰囲気を予想していたが、それほどにぎやかではなかった。
聖堂内の祭壇の後には拝観の行列ができており、皆が熱心に拝観している。その中央には、人間の下顎の骨らしきものを飾った宝物があった。"dento di S.Antonio"と書いてあったように記憶している。

サンタントニオ聖堂の近くに植物園がある。世界遺産であり、ゲーテを引きつけた棕櫚の木を見るとこができるとのことで、入る予定にしていたが、入場料4ユーロということで止めにした。

サンタントニオ聖堂近くのバールで昼食をとる。
帰りはパスに乗ろうと、サンタントニオ聖堂近くの大広場(プラート・デッラ・ヴァッレ)に向かう。広大な公園には無数のテント屋台が建ち並んでいた。比較的近くに大きな寺院が見える。サンタ・ジュスティーナ教会であった。なんでこんな田舎にこんな大きな寺院が、と不思議に思う。

どのバスに乗ればいいのか分からないので、最寄りのバス停留所で待ち、やってきたバスの運ちゃんに「スタツィオーネ?」と聞くとうなずいた。あわててバスに乗り込んだが、切符を持っていないことに気付いた。乗客に「チケット?」と聞くと運転手を指さす。運転手から切符を購入した。すると別の乗客が車内の刻印機を指さす。購入した切符の刻印が必要であることが分かった。
バスは市街を大回りし、無事に駅に到着した。

駅についてもまだ時間がある。駅の周辺でデパートのような店を探したが見つからなかった。駅周辺はオフィス街のようで、銀行の建物が多い。
銀行の外側にはATMのような機械が設置されている。そのうちのひとつを使ってみた。手持ちのクレジットカードを挿入し、"identification"と促されたので暗証番号を入力する。100ユーロを要求したところ、無事に100ユーロの現金が出てきた。どの程度のレートで換金されたのか、結果が郵送されてくるのが楽しみである。

まだ時間がある。駅で待合室を探した。案内板に"Sala di attesa"と書かれた場所に行ってみたが、事務室らしき部屋があるのみだ。中に入って"Sala di attesa?"と聞くと、あっちだという。そちらに行ってみたが、ベンチが置いてあるのみだった。取り敢えず、イタリア語のSala di attesa=待合室を覚えた。salaはサロンに通じるようである。

我々が乗るユーロスターは、定刻(15時5分)に到着した。フィレンツェ着も定刻(17時21分)だったと思う。

ホテルは駅から5~10分のところにある。
ホテルの部屋に落ち着くと、まずはフロントでモンブランの店の有無を確認した。家族へのみやげは名前入りのモンブランと決めており、フィレンツェにモンブランの専門店がないと困るのである。フロントの人が端末で確認し、ホテルの近くに店があるということで、地図上で店の場所を教えてくれた。
モンブランの店はヴィーナ・ヌオーヴァ通りにあり、ホテルからトルナブオーニ通りを通って最初の五叉路で道を間違えたが、何とか店を見つけることができた。
ペンのスタイル、外観の色、万年筆ペン先の太さなどのバリエーションを聞き、家族本人たちの意見を電話で確認した上で再度翌日訪問することとした。

その後、無目的に街を歩き、レプップリカ広場からシニョーリア広場に至った。シニョーリア広場内、ベッキオ宮の対面にあるオープンカフェで夕食をとる。トマトスパゲッティとオムレツを頼んだが、味は今ひとつであった。

ホテルはインターネットができるということになっている。部屋にはLANコネクターがある。ザウルスを繋いでみたのだが接続できない。もうパジャマに着替えているし、ホテルとの相談は明日することにした。

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ブログデザインの変更

2006-05-11 14:00:18 | Weblog
今まで使っていたデザインにおいて、昨日から表示が不安定になっていた。そこで、別のデザインに変更することとした。
変更後のデザインであれば、メニュー表示は左側のみであり、画面サイズが小さいディスプレイでもブログ本文が十分に表示されると思う。
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