雑記帳

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ドイツ博物館-V2号ロケット

2008-05-22 21:01:01 | 旅行
ドイツ博物館シリーズは、前回のバイキング船に続いて、今回は第二次大戦中にドイツが開発・実用化したミサイルのV1号、V2号である。
V1号はバルスジェットエンジン推進、V2号は液体燃料ロケットエンジン推進で、ともに無人のミサイルだ。ロンドン市街の爆撃に用いられたことで有名である。

V1号は、巡航速度が当時のプロペラ機でも撃墜できる程度の速度であり、ほとんどが撃墜されたが、安価に製造できるメリットがあった。
V2号は、撃墜不可能な速度を有していたが、ロケット4機で爆撃機1機が製造できるほど高価であった。
ともにドイツ軍の戦果としては大きなものはなかったが、V1号は後の巡航ミサイルの元祖となり、V2号は後の弾道ミサイルの元祖となる。
また、V2号の技術、実物、技術者を米ソが競い合って獲得し、戦後の米ソにおけるロケット開発の基礎となった。

ドイツ博物館には、V1号が天井からつり下がっている。本物なのか、実物大模型か、縮尺模型か、判然としない。実物は全長7.9mとのことだ。
  
  Deutsches Museum

そしてドイツ博物館には、V2号も展示されているのである。こちらは本物のようだ。全長14mのロケットが直立し、博物館の2階から4階までを突き抜ける小穴の中に配置されている。そのため、全体を遠望することができない。2階から4階までらせん階段を上がりながら、部分部分をながめていく。
  
  
       ① 弾頭部               ② 燃料ポンプ

       ③ ロケットエンジン
  Deutsches Museum

V2号は、液体酸素と液体燃料をタンクに搭載し、これらは燃料噴射ポンプを経てロケットノズルを冷却した後にノズル内に噴射され、ロケット推進します。慣性誘導装置を備えていた。このように、原則的なところでは後のアポロ計画に使われたサターンロケットと同じ構造をすでに具備しているのだ。このV2号を参照できたからこそ、第二次大戦後の米国とソ連は急速に宇宙開発とミサイル開発に成功したのであった。
そのような由緒あるV2号の実物を間近に見ることができたのは、今回の旅行の成果であった。

ドイツのロケットV2号、そのV2号を作りだしたフォン・ブラウン博士は、私が小学生の頃は科学少年にとって著名であった。
ドイツを占領したアメリカとソ連は、それぞれ競い合ってV2号の知識を奪い取った。そしてその知識は、ソ連による世界初の人工衛星であるスプートニク1号として結実する。フォン・ブラウン博士は米国に渡り、米国の宇宙ロケット開発の中心を担ったようである。
第二次大戦後の冷戦及び米ソ宇宙開発競争にとって重要なエポックとなったV2号、そしてV1号を自分の目で見ることができるのがドイツ博物館である。連合国にとっては憎い破壊兵器の筈だが、それでもこのようにきちんと展示している。

その他、飛行機関係で撮った写真を載せておく。
  
  メッサーシュミット戦闘機        ユンカース輸送機

  
第二次大戦中の世界初ジェット戦闘機   戦後アメリカのF-104ジェット戦闘機
  (ドイツ)

アメリカのマーキュリー宇宙船
アメリカの有人宇宙飛行は、マーキュリー計画(一人乗り) → ジェミニ計画(二人乗り) → アポロ計画(三人乗り)と進み、アポロ宇宙船で人間の月到達を実現した。上の写真はそのうちのマーキュリー計画の宇宙船(の原寸模型?)だ。
こんな小さな容器の中に入って宇宙に飛び出すなど、よほどの勇気が必要だろう。
  Deutsches Museum

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1 コメント

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Unknown (平和愛好家)
2008-05-23 16:42:57
命の保証のないロケットでいくわけですから、軍人しか乗れません.資源もないドイツが兵器というのは残念ですが当時高度な科学技術をもっていたのいで戦後、米ソともこれらの技術の奪い合いをしたわけです。
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